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あとがき

 1977年5月6日、政府・空港公団により岩山大鉄塔が抜きうち撤去された。この暴虐極まりない仕打ちに対する全国の労農大衆の怒りは6〜8、3日間の激戦となって爆発した。この戦いで我が同志達は敵機動隊の水平射撃にも一歩もひるむ事なく進撃し、各所でこれをたたきふせた。この戦闘のもようは翌日には「世界革命」号外となって全関東の職場・学園へいち早く持ち込まれたのである。
 「号外」は、各地区で強い共感を呼んだ。渡された号外を手にとって見るなり「すごい!」と声をあげる姿は各所で観察されたものだった。もちろん、それらの驚きはとりわけ写真に対して向けられたものだったに違いない。
 火焔ビンを浴びて火ダルマとなる放水車、そして放水車をたたき壊しつつ更に前進する同志達の姿をつぶさに報じた説得力ある宣伝は、この写真印刷――オフセット印刷の高度な技術をもってはじめて可能な業であったろう。もしも我々の手中にある技術がせいぜい謄写刷程度であったとしたら、「号外」はこうした大きな効果を発揮できなかったに違いない。充分に考え抜かれた高度な扇動技術は巨大な効果を獲得することができるのである。
 しかし又同時に、その成果を生みだしたものが扇動の中に含まれていた「真理」であったことも確認できるだろう。号外が注目を受けたのは、実は同志達の断固たる戦闘の成果なのであって、写真印刷は、それを迫真極まる報道とする為の手段にすぎないのだ。
 労働者階級の前衛組織にとってと同時に資本家階級にとっても宣伝・扇動は極めて重要な問題にちがいない。しかしながら彼らと我々の扇動技術の間には唯ひとつだけ絶対に相反する点がある。それは、我々の扇動技術が真理を出来る限りに正確に、わかりやすく伝える為に使用されるのに対し、資本家のそれが、ウソを本当らしく見せる為に使用されるという点である。
 例えば、労働者の当然の権利である様々な争議権を、「違法」キャンペーンで押え込もうとし、あるいは今日の資本主義経済には必然である物価上昇を、労働者の賃上げに責任転嫁しようとするペテン。競艇バクチのアガリで子供達をたぶらかし「一日一善」などとシャラクサイ広告つきでテレビの「文化」番組に出資する偽善等々……。
 レーニンは絶対にこのような方法では宣伝をしなかった。表面に現れた現象に対して、その本質を把み出し暴露する方法を用いて党派闘争を展開していった。スターリンのように事実をねじ曲げ、論敵を暗殺するのではなく、自派ばかりではなく論敵の主張をも正確に大衆の前に明らかにしてゆくことによって権力への道を切り拓いたのである。
 我々の宣伝・扇動・組織がレーニン主義に基づいているというのはこの点においてであり、スターリニズムの根をレーニンに求める傾向や、「レーニンの扇動技術を更に発展・完成させたのがヒットラーだ」などというデマゴギーをまさにこの点において粉砕してゆかなくてはならない。

 宣伝・扇動というのは骨のおれる、根気のいる仕事だとつくづく思う。どんなに丁寧にこしらえても手渡したビラのほとんどが読まれることなくごみ箱へ投げ捨てられる、そう解っていても、ガリ切りをやめる訳にはいかないし、長いこと時間をかけて印刷をしてゆかなくなてはならない、全国で活動を続けている同志たちの宣伝・扇動にかけた人知れぬ苦労話はきっと沢山あるに違いない。しかし、同志たちのそうした苦労は我が同盟の中に着実な成果として蓄積していることを我々は確認できるだろう。
 「……政治的扇動の仕事は、けっしてむだに消えさってしまうものではない。その成功は、われわれがいますぐ即座に大多数を獲得したか、あるいは歩調のそろった政治行動にたいする同意を得ることができたかどうかだけによって、はかられるのではない。おそらく、われわれは即座にこうした同意を得ることはできないであろう。われわれは、一時的失敗でどぎまぎすることなく、ねばりづよく、たゆむことなく、首尾一貫して自分の仕事を遂行するからこそ、組織されたプロレタリア党である、と。……」(レーニン)

アジア青年会議発行「闘うアジア」第6号表紙

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