アジア青年会議ベトナム友好訪問団の記録 1979年4月24日〜5月4日 |
早朝から民兵、武装公安、各労組・団体などが整列しメーデー行進の準備を行っていた。道路わきにはミサイルがならび、行列は通りのはるか先まで続いていた。ベンタンホテルからの撮影。 |
行進開始を待つ武装公安部隊。けっこうだらけている。街中のスピーカーから響く有線の声。偉いひとのごあいさつか、演説か、それとも本日のスケジュールの説明か? |
行進がまもなくはじまるぞ。ちょっと緊張しはじめる。しかし周りでみている市民も楽しそう。 |
行進がはじまった。武装民兵の行進。行進曲はいままで聴いたことがない曲だった。もっとも日本で知られている行進曲のほとんどはアメリカのものだからあたりまえか。ベトナム独自の曲?正直いって演奏はへた。でも愛嬌があってたのしい。
手にもったM16はアメリカ製だろうか?サイゴン解放があまりに電撃的であったために米軍は新品の兵器を大量に放置したまま逃亡していった。解放勢力はこれを捕獲した。
この日は学校も休みで、子ども達も参加する。中学生の子供が覚えたての英語で話しかけてきた。 |
4月30日は解放記念日。この日から翌日のメーデーにかけて街中がお祭り気分で沸き立つ。訪問団はこの日、統一会議場うらの児童公園に見物にいった。写真中央のうしろ姿が訪問団の面々。 |
公園内でなにかパフォーマンスをおこなっていた。アコーディオンやギターの演奏とうた声。黒山の人だかり。 |
学生たちが書いたポスターが公園のあちこちに無数に展示されていた。さながら「青空展覧会」。デザインも素晴らしく美しいポスターがたくさんあり、ほしくなった。 |
これも展示してあったポスターのひとつ。帰国後、訪問団はこのポスターの写真をもとに復元、大量に印刷・販売しベトナム支援カンパにあてた。残念ながらポスターは完売。手許にもない。 |
児童公園に展示されていたポスターをもとに復元・印刷されたポスターのひとつ。左上にホーチミンのことば「独立・自由」。いちばん大きい字は「チェンダウ」(戦闘)。 |
ここは解放前はゲリラの根拠地だった。都市への食料供給と失業者対策を目的として希望者を募りここへ移住させる。広大なパイナップル農場。近くに缶詰工場が建設される予定。 |
米軍のあらゆる掃討作戦にも屈せず闘いつづけた鉄の三角地帯。ここは南ベトナム最強の革命根拠地だった。フーミンフー村で説明するミン上尉と通訳。後ろは破壊された米軍戦車。「持っていかないでください」と書いてある。農家の土間をのぞくとナパーム弾の弾頭で作った水くみ、ボール爆弾のなべなどがある。この付近には全村に地下トンネルがはりめぐらされている。総延長200キロにおよび、地形が変わるほどの爆撃にも耐えた。 |
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