アジア青年会議ベトナム友好訪問団の記録 1979年4月24日〜5月4日 |

睡蓮の咲く池の中に柱一本だけで立っている小さなお寺がある。 |

ハノイの下町カムティエン街はカトリック教徒が多く住む人口密集地帯である。クリスマスが近づくと遠くに行っている人も帰省し家族と共に過ごす。米軍はこれを利用して、クリスマスイヴの夜、徹底したジュウタン爆撃をおこない、多くの民間人を殺傷した。焼け跡の一画にちいさな公園が建設され、米軍の犯罪を忘れないために記念像が建てられた。 |

おじいさんは家も家族も爆撃でうしなった。身よりのなくなったおじいさんは、ここの管理人となった。そして訪れる人々にその時の様子を語ってきかせる。 |

西湖(ホータイ)の岸辺にせり出して建つタンロイ(勝利)ホテルは、のどかで美しいベトナムの風景の中に調和して佇む。夜になると壁を這うヤモリが鳴き声をあげる。 |

トンニャット(統一)公園で読書する老人に何か風情を感じておもわずシャッターを切った。 |

手前はタニシの詰め物、ベトナムのタニシはでかい。右上はカエルのもも肉。ベトナム料理は世界の二大美食文化=中国料理とフランス料理の影響をうけ、ホテルの食事は豪華でおいしい。庶民的な「フォー」(お米のうどん)などもとてもおいしい。 |

旅行団が訪問した時にはまだ中国とベトナムは交戦中。中国代表団との間で停戦交渉が続いている最中だった。ハノイ市内では1人用の防空壕を作り、道路の両脇に埋める作業が続いていた。 |
 
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