●ベトナムの交通事情
ホーチミン市に降り立つと、まず誰でも最初に驚くのがオートバイの数の多さである。どこもかしこもバイクだらけ。そのバイクの群れが車といっしょになって市中の道路をところせましと走り回っている。ベトナムでは車は右側通行であるが、どの車も中央線を大きくはみ出して追い越しをする。だから対向車が追い越しをかけながら正面に迫って来てこわい。いつ正面衝突しても不思議ではない。右折も左折も、日本では考えられないような曲がり方をする。そしてやたらに警笛を鳴らす。日本では暴走族が鳴らすような警笛を装着している車が多く、あちこちで「パラリラパラリラ」と喧ましい。横断歩道は所々あるが、無いのと同じ。車は止まってくれない。歩行者の間を通ってゆく。
二十三年前に訪問団が来たときには、いくらなんでもこれほどではなかっただろう。交通ルールもマナーもあったもんじゃない。友人の話によればバイクの免許取得は簡単で、実技と筆記試験はあるが、自動車の筆記試験は一〇問の選択式である。そのうえバイク運転者の半分以上は無免許だとのこと。これでは事故がおきないわけがない。メコンデルタツアーでお世話になった日本人ガイドの話によれば、ホーチミン市だけで一日二十人以上が亡くなっており、死者など何度も見ているそうだ。私もバスの中から、気の毒な犠牲者を見てしまった。ホトケさまは道路の端でコモをかぶせられ、仰向けにひらいた足先が見えた。胸のうえにバナナと長いお線香が供えてあった。ベトナム交通当局は交通の安全のために昨年六月、バイク搭乗者にヘルメット着用を義務づけたが、守る人はほとんどいない。
しかし、それでもバイクは重要な交通手段である。まだまだ裕福とはいえない一般庶民にとってバイクは便利で手軽な「マイカー」なのである。たまに家族で帰省するときにはお父さんが運転し、お母さんと子どもを乗せて四〜五人乗りで出かける。多少の危険があっても、これがいちばん安上がりな方法なのである。
市内主要道路と、国道など幹線道路は舗装されている。しかし道路の端は土けむりが舞い上がるしバイクの排ガス規制などもなく、空気は汚れている。それにベトナムの強い日差しはバイク搭乗者の肌をさす。そのためバイク搭乗者の多くは帽子をかぶりタオルでマスクをする。とくに「肌の白さ」はベトナム人にとって大事なことらしく、そのために日焼けから肌を防いでいるのだという。
車種をみると、市中ではバイクは日本車が多い。ベトナムでは、九八年にハノイ近郊でホンダの現地生産が開始されたが、数年前から中国製の安いコピーバイクがベトナム市場に大量に流入し、バイクの絶対量が急増。交通渋滞をさらに悪化させる結果となった。またこれはホンダのシェアにとって脅威となった。これに反撃してホンダは、中国製部品を多用した自社ブランドバイク「ウェーブ・アルファ」をベトナムで組み立て、従来の約半値での販売を開始した。すると安いので予約殺到。中国製コピーバイクは一転して在庫過剰の投売りとなった。ホンダは更にこのバイクをフィリピンにも輸出。その後、中国でコピーバイク工場とホンダの提携が報じられた。ベトナムでの現地生産は他にスズキとヤマハ。カワサキはタイからの輸入と思われる。
郊外に行くと、旧ソ連製のミンスク、旧東ドイツ製のシムソンなどを見かける。しかし都市部では以前から見向きもされないそうである。「ミンスク」というバイクは形はホンダによく似ている。2ストローク単気筒を採用している。たぶん2ストの馬力、登坂力が山岳地帯では実用的なのだろう。ダラットへ向かう道で時々見かけた。バリバリと騒音を立てながら煤煙をまき散らして国道二〇号線を走ってゆく。
アジアの多くの国々と同じく、ベトナムでもバイクを「ホンダ」と呼んでいた。インドなどでは「俺のホンダはヤマハ製だぞ」などという会話が成立しているが、ベトナムでもそうであった。八〇年代まではアジア全域で「ホンダ帝国」が成立していた。このホンダ「神話」はベトナム戦争の過程で形成されたものらしい。しかし特に都市部では九〇年以降この言葉はだんだん使われなくなってきた。それは中国の影響によるところが大きい。中国のコピーバイクは、「技術立国」日本をおびやかし、「ホンダ帝国」を崖っぷちに追い込むものだった。ホンダはこの中国の「ライバル」と提携する事によって自らの内に取り込む戦略を取るに至った、ということなのだろう。
車は、乗用車もトラックもバスも、少し前までは日本車が多かったそうだが今では韓国車が圧倒している。訪問団が見たというソ連製トラックなどはほとんど見かけない。通り過ぎる車はどれもデウ(大宇)、ヒュンダイ(現代)が多い。さらには、韓国から直接払い下げになったらしい中古の路線バスが国道を走っており、そのバスには韓国の市内循環経路がそのまま掲示されていた。同じく日本製のバスにもそうしたものがあり、ダラットからの帰り道で「湊川公園」と大きく書いてあるバスを見かけた時には思わずのけぞった。このほかにも「神戸三宮神社行き」バスなども以前たくさん走っていたそうだ。こういう不思議な風景はいまアジア各地に見られる。
中古車、特に大型車は韓国製が圧倒的に多いが、乗用車の新車事情はやや異なる。金持ちは皆日本製RV車かベンツを買いたがる。もしくは両方持っている。そういえばダラットの師範学校が送迎してくれた公用車も濃紺色のトヨタカローラだった。
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