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【投稿】 ダラットへの道
かつて「ゆめ」を共有した人々に捧げるちいさなベトナム報告 武峪 真樹 2002.8.5

ビエンホア市門。「お客様ようこそ」

●社会主義と市場経済のジレンマ

 ホーチミン市では共産青年団の新聞「タイニェン」やホーチミン市労働連団の機関紙「グォイラオドン」(労働者)などがある。「グォイラオドン」には「求人」とともに「求職」広告がたくさん掲載されている。求職者は自分の特技や長所を宣伝し、そして希望金額も書いている。平均してだいたい一〇〇ドルくらいを要求している。技術的に自信があるものは二〇〇ドルから三〇〇ドル。企業は、この求職情報を見て電話し面接・採用するのだそうだ。高倍率の競争に勝ち抜き入学した国立大の「情報技術科」を卒業しても就職先を見つけるのは簡単ではない、ということらしい。

 経済的活況はベトナムだけではなく、隣国のカンボジアも相当なものらしく、経済的交流が盛んである。多くのベトナム人がカンボジアへ出稼ぎにゆく。ホーチミン市からプノンペンまでは三〇〇キロほど。また、最下層の人民にまで「経済的交流」は及んでおり、近隣のカンボジアからもはるばる歩いて国境を越えて物乞いにやってきて市当局に見つかり、本国に送還される。カンボジアから物乞いにサイゴンに来る人々は恒常的なもので、「今年は何人送還」と報道される。

 中国と同じくベトナムも経済的ジレンマの中にある。社会主義とは平等を目指す体制であるわけだが、長いあいだ植民地解放戦争をたたかってきたベトナムには資本の蓄積があるわけもなく、そのままでの社会主義では「貧困の平等」にしかならない。そこで市場の開放をおこなったわけだが、それは経済の資本主義化を促進し、人々の平等を求める意識と連帯感を薄れさせ、個人的利益を最優先する利己主義的傾向を不断に生みだしてゆく。
 ベトナムの国家経済全体が上昇してゆくのはいいことだが、その富の分配を政府がコントロールできなければ、社会主義への道は遠のき、少数の「赤い資本家」と多数の貧困に苦しむ人々とを生み出していくことになる。こうした危険は、相対的に資本主義が圧倒的に有利な現在の世界情勢の中で巨大な重圧となってこの小さな社会主義国にのしかかってきている。ベトナムでは、経済政策上の資本主義的リスクは企業ばかりでなく政府・官庁内部にも影響を及ぼしてきており、役人の「汚職」が深刻な問題となっている。ベトナム共産党指導部はこれをどのように解決してゆくのか。


クアンドイ・ニャンザン(ベトナム人民軍)の建物

●経済発展と貧困、戦争の傷あと

 資本主義的方法による経済の発展は必ず貧困を生み出す。これは資本主義経済の宿命である。アジア諸国では、その状況が繰り返し現れた。そして今なお貧困の問題は解決できないばかりか、ますます深刻化してきている。フィリピンではマニラ近郊の通称「スモーキーマウンテン」といわれるゴミ山の周辺に最下層の人々が住む。中国では上海郊外、タイでもバンコクの鉄道沿いに貧民が集まり、不衛生で貧しい生活を強いられている。資本主義グローバリゼーションがWTOや世界銀行を通じて強力に推進されている現在、貧困の問題はますます顕著になってきている。
 ベトナムではどうか。飛行機が降下しタンソニャット空港が見えてきた時、郊外に真新しいきれいな建物がいくつも建ちならんでいるのが見えた。しかし同時に、空港付近には無数の粗末なバラック建ての建物がひしめきあっているのを見た。ベトナムでも間違いなく貧富の差は広がっている。そして貧困はベトナム社会を蝕み始めている。街角のいたるところにいる物売りにまじって、宝くじを売るこども。そして物乞い。
 私が下町の屋台で夕食をとっていると、小さな女の子が近づいてきた。まだ五歳か六歳くらい。愛らしい目でわたしを見つめ、一枚二千ドンの宝くじの束を差し出す。この子たちは毎日朝から晩まで売り歩いて一日百枚から百五十枚を売る。五枚、十枚とまとめ買いをする人が多いので、固定客を掴めばそれなりの売上げになる。売上げのうち五〜一〇%が収入となるので一日二万ドンくらいの収入となる。三〇日売り続ければ六〇万ドン。これは農村部での法定最低賃金(二〇万ドン)よりも多い。統計的に比較したわけではないが、もしも何の生産性も生まない宝くじ販売の方が農業生産に従事するよりも多額の収入を得られるというのであれば、これは現代資本主義のメカニズムそのものであり、ベトナム人は宝くじを通じて「生産よりも投機の方が優位である」体制を日常的に学んでいる事になる。このような資本主義的「訓練」が日常的に横行している中で、はたして政治思想だけで人々を社会主義に向けて組織していけるのか、ベトナム政府の困難性を思わずにはいられない。

 物乞いはたいてい両足または片足がない。または両足ともあっても細くて立てそうもない。それが薄汚れたすげ笠を差し出してお金を要求してくる。三十代から老人まで、年齢の幅はひろい。足が無いのは地雷のせいだろうか。物乞いをしなくてはならないのは政府の厚生事業予算の不足によるものだろうか。
 そういえば、以前日本でも有名になったベトちゃんドクちゃんの消息を知ることができた。彼らは二人とも元気で、とくにドクちゃんのほうは健常者と変わらないそうである。最近も日本から支援者がやってきたという。しかし、報道機関に注目を浴びた子どもはまだ幸せである。実際には多くの農村で、今でも障害児を抱えた家庭がある。その子たちは周囲の目を避けてひっそりと暮らしている。 
 枯れ葉剤の正体はダイオキシンであり、これは決して分解しない猛毒である。米軍はこれをベトナムのジャングル地帯に大量に散布した。その量は七五〇〇万リットルを超える。だからいまだに地方農村には多量のダイオキシンが残っていると考えていい。アメリカがこれを処理したという話は聞かない。まだまだ問題の解決は遠い。
 しかし、最近の経済発展のおかげで、政府はそうした障害者をかかえる家庭に対して月額五万ドンから十万ドンの補助金を出すことができるようになったそうである。これは日本円に直すと四百円から八百円くらいに相当する。


メコンデルタの水上の住居

●学校制度と子どもたち

ベトナムの学校制度は日本とちがって五・四・三・四制である。だが、日本と一番違っているのは、小学校から「卒業試験」があることである。日本では小学生は必ず卒業するが、ベトナムでは試験に合格しなければ卒業できない。そして、その卒業率におおきな地域差がある。就学率・進学率にも地域による大きな差異が見られる。それは経済的な較差によるものではないかと思われる。特に農村部は貧富の格差が拡いている。
 ベトナムでは人口増加が深刻な問題となってきており、現在、年間百万人ずつ増加していると見られている。二十三年前には五千百万人と報告されているが最近の統計では八千万人に近い。しかし出生率は都市部では減少傾向にある。これは高学歴化にとって有利となっている。しかし農村部では退学者の増大が指摘されている。最近発表された資料でも小学校卒業年齢に占める卒業者の割合が一番低いのは中部高原地域で六〇%。また高校卒業試験の全国平均合格率は九〇%だが、メコンデルタ地帯では低い。
 ベトナム政府はこの状態を改善しようと努力している。ベトナムには五十三の少数民族が存在するが(一九八九年統計)、多数派のキン族(ベトナム族)と比較すると経済的な較差が見られ、それは子ども達の進学率にも影響を与えている。そこで進学試験の際、一部の少数民族の子どもたちには、いわゆる「ゲタ」をはかせる優遇措置がとられている。戦争終結後しばらくは、優遇措置の対象は解放戦争を戦って戦死した解放戦線や北ベトナム軍の兵士の子どもたちであったが、今は廃止されたという。

 二十三年前には戦争孤児の問題が最も大きかった。南部に一〇万人以上もいる孤児たちのために「竹の子学校」という施設が建設されていた。訪問団はこのうちチュドックの竹の子学校を視察した。白人兵の子、黒人兵の子、韓国兵の子、いろいろな子どもたちが仲良く生活していたという。その子たちは今では三〇歳から四〇歳に達しているいるはずである。
 「週刊金曜日」七月五日号には子どもに関する新しい問題が指摘されている。ストリートチルドレンの問題である。主に都市部で深刻化しているという。子どもたちは麻薬を売買し、HIVに冒される。低開発国における市場経済の歪みは先進諸国よりもはるかに増幅された苦痛となって一番弱い子どもたちを襲う。しかし、友人によれば、農村部の貧困の問題も都市部に負けないほど深刻な問題となっているという。

街角のお巡りさん。バイクはホンダの新品

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