つぎへすすむまえにもどる
なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
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★  五 資本家団体のあいだでの世界の分割

 資本家の独占団体、カルテル、シンジケート、トラストは、その国の生産を多少とも完全にその手におさめつつ、まずはじめに国内市場を相互のあいだで分割する。しかし資本主義のもとでは、国内市場は不可避的に外国市場と結びついている。資本主義は早くから世界市場をつくりだした。そして、資本輸出が増加し、最大の独占諸団体の対外的および対植民地的結びつきや「勢力範囲」がいろいろと拡大したのにつれて、事態は「おのずから」それらのあいだの世界的協定に、国際カルテルの形成に近づいていった。
 これは、資本と生産との世界的集積の新しい段階、先行のものとは比べものにならないほど高い段階である。つぎにこの超独占がどのようにして成長するかを見よう。
 電機産業は、技術の最新の達成によって、一九世紀末から二〇世紀初めにかけての資本主義にとって最も典型的な産業である。そしてそれは新しい資本主義国のうちで最も先進的な二つの国、合衆国とドイツでどこよりも発展した。ドイツでは一九〇〇年の恐慌がこの産業部門における集積の増進にとくに強い影響をおよぼした。このころまでにすでに産業と十分に癒着していた銀行は、この恐慌のときに比較的小さな企業の没落と大企業によるそれらの吸収をいちじるしく促進し強化した。ヤイデルスはこう書いている。「まさに銀行の援助を最も必要としている企業から手をひくことによって、銀行は、はじめは気違いじみた景気をあおっておきながら、のちには、銀行と十分密接には結びついていない会社を絶望的な破滅に追いやる(*)」。
 (*) ヤイデルス、前掲書、二三二ページ。

 その結果、集積は一九〇〇年以後に巨大な前進をとげた。一九〇〇年以前には電機産業には七つか八つの「グループ」があり、そのおのおのはいくつかの会社(全部で二八あった)から成っており、それぞれの背後に二つから一一の銀行があった。だが一九〇八―一九一二年ごろには、これらすべてのグループは二つか一つに融合してしまった。この過程はつぎのようにすすんだ。

    電機産業におけるグループ
   一九〇〇年以前                    一九一二年ころ
 フェルテン・ウント・ギヨーム・・ホフェルテン・ウント・・・・・イ
 ラーマイヤー・・・・・・・・・・・・・・・・・・コラーマイヤー      セA・E・G・・・・・・・・・・・・イ一九〇
 ウニオン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ホA・E・G・・・・・・・・・・・・・・コョアルゲマイネ・エレイ、八年以
 A・E・G・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・コョアルゲマイネ・エレクイ 、クトリッィテーツ・、セ来密接
                 、トリッィテーツ・ゲゼ、 カゲゼルシャフト  コ、に「協
                 カルシャフト     コ            、力」
 ジーメンス・ウント・ハルスケ・・ホジーメンス・ウント・ハ・・イジーメンス・ウント・・・コ
 シュッケルト会社・・・・・・・・・・・・・・コルスケ―シュッケルト  セハルスケ―シュッケル
 ベルグマン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ベルグマン・・・・・・・・・・・・・・コト
 クンマー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一九〇〇年に倒産

 このようにして大きくなった有名なA・E・G(アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ―ゲゼルシャフト)は、(「参与」制度によって)一七五―二〇〇の会社を支配し、総額約一五億マルクの資本を自由にしている。この会社は、直接の在外代理店だけでも一〇ヵ国以上に三四をもっており、そのうち一二は株式会社である。すでに一九〇四年に、ドイツの電機産業が国外に投下している資本は二億三三〇〇万マルクあり、そのうち六二〇〇万マルクはロシアに投下されている、と考えられていた。いうまでもなく、「アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ―ゲゼルシャフト」は巨大な「結合」企業であり、それに属する製造会社だけでも一六をかぞえ、電線や碍子から自動車や航空機にいたるまでの種々さまざまな生産物を生産している。
 しかしヨーロッパにおける集積はアメリカにおける集積過程の構成部分でもあった。事態はつぎのようにすすんだ。

       「ジェネラル・エレクトリック・コンパニー」(General Electric Co.)
      ョ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「ヨ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「イ
 アメリカ トムソン=ハウストン会社が エディソン会社がヨーロッパのために会社「フランス・エデ
      ヨーロッパに一会社を設立  ィソン会社」を設立。これがドイツの会社に特許権を譲渡

 ドイツ  「ウニオン・エレクトリツィ 「アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ・ゲゼルシャフト」
      テーツ・ゲゼルシャフト」  (A・E・G)
      カ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「ホ「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「コ
       「アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ―ゲゼルシャフト」(A・E・G)

 こうして二つの電機「強国」ができあがった。「これらから完全に独立している他の電機会社は地球上にない」、とハイニヒは論文『電機トラストの道』のなかで書いている。この二つの「トラスト」の取引高と企業の規模については、つぎの数字が、完全というにはほど遠いが、なにがしかの観念をあたえてくれる。〔第13表を参照〕

〔第13表〕
「「「「「「「「「「「ホ「「「ホ「「「「「「「「ホ「「「「ホ「「「「「「「「
           、   、 商品取引高  、従業員数、   純益
           、   、(100万マルク) 、    、(100万マルク)
「「「「「「「「「「「゙「「「゙「「「「「「「「゙「「「「゙「「「「「「「「
 アメリカ――「ジェネ、1907年、    252   、 28,000 、   35.4
  ラル・エレクトリッ、   、        、    、
  ク・コンパニー」 、1910年、    298   、 32,000 、   45.6
  (G.E.C)  、   、        、    、
「「「「「「「「「「「゙「「「゙「「「「「「「「゙「「「「゙「「「「「「「「
 ドイツ――「アルゲマ、1907年、    216   、 30,700 、   14.5
  イネ・エレクトリツ、   、        、    、
  ィテーツ―ゲゼルシ、1911年、    362   、 60,800 、   21.7
  ァフト」     、   、        、    、
  (A.E.C)  、   、        、    、
「「「「「「「「「「「ヨ「「「ヨ「「「「「「「「ヨ「「「「ヨ「「「「「「「「

 そして一九〇七年にはアメリカとドイツのトラストのあいだに世界の分割にかんする協定がむすばれた。競争は排除された。「ジェネラル・エレクトリック・コンパニー」(G・E・C)は合衆国とカナダを「受けとり」、「アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ,ゲゼルシャフト」(A・E・G)にはドイツ、オーストリア、ロシア、オランダ、デンマーク、スイス、トルコ、バルカンが「あてがわれた」。特別の――もちろん秘密の――協定が、新しい産業部門や、形式的にはまだ分割されていない「新しい」国へ侵入する「子会社」にかんして、むすばれている。発明や経験を交換しあうことも規定されている(*)。
 (*) リーサー、前掲書。ディウリッチ、前掲書、二三九ページ。クルト・ハイニヒ、前掲論文。

 幾十億の資本を自由にし、世界のすみずみに自己の「支店」、代表、代理店、取引先、等々をもつ、この事実上単一の世界的なトラストと競争することがどんなにむつかしいかは、自明である。しかしこの二つの強大なトラストのあいだでの世界の分割も、もし力関係が――発展の不均等や戦争や倒産などの結果――変われば、もちろん、再分割を妨げるものではない。
 このような再分割の試みの、再分割のための闘争の、教訓に富んだ実例を、石油産業がしめしている。
 ヤイデルスは一九〇五年につぎのように書いた。「世界の石油市場はいまでもなお二つの大きな金融グループのあいだで、すなわち、アメリカのロックフェラーの『石油トラスト』の(Standard Oil C-y)と、ロシアのバクー石油の支配者であるロスチャルドおよびノーベルとのあいだで、分割されている。この二つのグループはたがいに密接な関係に立っているが、それらの独占的地位はすでにこの数年来五つの敵によって脅かされている(*)」。すなわち、(一)アメリカ油田の枯渇、(二)バクーのマンタショーフ商会の競争、(三)オーストリアの油田、(四)ルーマニアの油田、(五)海外の油田、とくにオランダ植民地の油田(きわめて富裕なサミュエル商会とシェル商会、これらはまたイギリス資本と結びついている)がそれである。最後の三つの企業群は、巨大な「ドィッチェ・バンク」を筆頭とするドイツの大銀行と結びついている。これらの銀行は、「自分の」足場を得るために、たとえばルーマニアで石油産業を自主的に計画的に発展させた。ルーマニアの石油産業には一九〇七年に外国資本が一億八五〇〇万フランあり、そのうちドイツ資本は七四〇〇万フランと見つもられていた(**)。
 (*) ヤイデルス、一九二―一九三ページ。
 (**) ディウリッチ、二四五―二四六ページ。

 経済文献でまさに「世界の分割」のための闘争といわれる闘争がはじまった。一方では、ロックフェラーの「石油トラスト」は、すべてを手に入れようとのぞんで、当のオランダに「子会社」を設立し、オランダ領インドの油田を買収し、こうしてその主要な敵であるアングロ=ダッチ「シェル」トラストに一撃をくわえようとおもった。他方、「ドィッチェ・バンク」とその他のベルリンの銀行は、ルーマニアを「わが手に」「ひきとめ」、ロックフェラーに対抗してルーマニアをロシアと連合させようとつとめた。ところがロックフェラーは、はるかに大きな資本と、石油を輸送して消費者に送りとどけるすばらしい組織とをもっていた。闘争は「ドイッチェ・バンク」の完全な敗北をもっておわるほかはなかったし、実際に一九〇七年にそれでおわった。「ドイッチェ・バンク」にとっては、数百万の損失でその「石油事業」と手を切るか、それとも屈服するかの、二つに一つの道しか残されていなかった。第二の道がえらばれ、「ドイッチェ・バンク」にとって非常に不利な協定が「石油トラスト」とのあいだにむすばれた。この協定によって「ドイッチェ・バンク」は、「アメリカ側の利益をそこなうことはなにも企てない」義務を負った。もっともそのさい、もしドイツで石油の国家専売法が制定された場合には協定は効力を失う、という規定があった。
 そこで「石油喜劇」がはじまる。ドイツの金融王の一人で「ドイッチェ・バンク」の取締役であるフォン・グヴィンナーは、彼の個人秘書シュタウスを通じて、石油専売のための扇動をはじめた。ベルリン最大の銀行の巨大な機関全体、すべての広範な「関係者」が動員され、新聞はアメリカのトラストの「くびき」に反対する「愛国的な」叫びにむせび、帝国議会は一九一一年三月一五日にほとんど満場一致で、石油専売法案を作成すべきことを政府に要請する決議を採択し
た。政府はこの「人気のある」思いつきにとびついた。そして、アメリカ側の協定当事者をあざむき、国家専売によって自分の事業を建てなおそうとおもった「ドイッチェ・バンク」の賭けは、勝ったように見えた。ドイツの石油王たちは、ロシアの精糖業者の利潤にもおとらない膨大な利潤の前喜びにひたっていた。・・・・しかし第一に、ドイツの大銀行が相互のあいだで獲物の分配をめぐって争いをはじめ、「ディスコント―ゲゼルシャフト」は「ドイッチェ・バンク」の貪欲な関心を暴露した。第二に、政府がロックフェラーとのたたかいに恐れをいだいた。というのは、ロックフェラーぬきでドイツが石油を手に入れられるかどうか(ルーマニアの産出高は大きくない)、きわめて疑問だったからである。第三に、ちょうどそのとき、ドイツの戦争準備のために数十億にのぼる一九一三年度予算が可決された。こうして専売法案は延期された。ロックフェラーの「石油トラスト」はさしあたりたたかいの勝利者となっている。
 ベルリンの雑誌『バンク』はこのことについてつぎのように書いた。「石油トラスト」とたたかうには、ドイツは電力の専売を実施し、水力を利用して安い電気をおこす以外に道はない、と。だが――とこの雑誌はつけくわえている――「電力の専売は、電力生産者がそれを必要とするときにおこなわれるであろう。すなわち、電気産業におけるつぎの大きな瓦落が真近にせまったとき、そして今日、電気産業の私的『コンツェルン』によって方々に建設されている巨大で高価な発電所――それのために、これらの『コンツェルン』は今日すでに都市や国家その他からなんらかの部分的独占をあたえられているのだが――が、もはや有利に営業できなくなったときに、おこなわれるであろう。そのときに、水力を利用しなければならなくなるであろう。しかし国営では水力から安い電力を得ることはできなくて、水力はふたたび『国家によって統制される私的独占』に移譲されなければならないだろう。なぜなら、私的産業はすでにたくさんの取引契約をむすんでいて、巨額の補償金を獲得しているからである。 ・・・・カリの専売のときもそうだったし、石油の専売のときもそうだし、電力の専売のときもそうであろう。いまや、美しい原理に目がくらんでいるわが国家社会主義者たちも、ついにつぎのことを理解すべきときであろう。すなわちドイツでは専売は、消費者に利益をもたらすとか、あるいは国家に企業者利得の一部でもあたえるとかいう目的をもったことも、そういう結果をもたらしたこともけっしてないのであって、それは、破産に瀕した私的産業を国家の負担で救済することに役だっただけなのである」。
 (*) 『バンク』、一九一二年、第一号、一〇三六ページ、一九一二年、第二号、六二九ページ、一九一三年第一号、三八八ページ。

 このように貴重な告白をドイツのブルジョア経済学者はしなければならなくなっている。われわれはここで、金融資本の時代には私的独占と国家的独占とが一つに絡みあっていること、両者とも実際には、世界の分割のための最大の独占者たちのあいだの帝国主義的闘争の個々の環にすぎないことを、はっきり見るのである。
 海運業でも、集積の巨大な成長はやはり世界の分割にみちびいた。ドイツでは二つの巨大会社、「ハンブルグ=アメリカ」と「北ドイツ・ロイド」とがぬきんでている。両方とも、おのおの二億マルクの資本(株式と社債)と、一億八五〇〇万―一億八九〇〇万マルクの価額の汽船をもっている。他方、アメリカでは一九〇三年一月一日に、いわゆるモルガン・トラストすなわち「国際商船会社」が、アメリカとイギリスの九つの海運会社を合併し、一億二〇〇〇万ドル(四億八〇〇〇万マルク)の資本を擁して、設立された。すでに一九〇三年に、ドイツの巨大会社とこのアメリカ=イギリスのトラストとのあいだに、利潤の分配に関連して世界の分割にかんする協定がむすばれた。そしてドイツの会社は、イギリスとアメリカをむすぶ輸送業務で競争することを断念した。どの港はどの会社に「あてがわれる」かが精密に規定され、共同統制委員会が設置された、等々。この協定は二〇年の期限でむすばれているが、戦争のときには効力を失うという用意周到な但し書がついている(*)。
 (*) リーサー、前掲書、一二五ページ。

 国際軌条カルテルの形成史もまたきわめて教訓に富んでいる。はじめイギリス、ベルギー、ドイツの軌条工場が、すでに一八八四年、産業の極度の沈滞期に、このようなカルテルを設立しようと試みた。協定に参加した国の国内市場では競争しないこと、そして外国市場をイギリス――六六%、ドイツ――二七%、ベルギー――七%の比率で分割することが、協定された。インドは全部イギリスにあてがわれた。協定にくわわらなかったイギリスの一会社にたいしては共同のたたかいが遂行され、その費用は総販売高から一定の比率によってまかなわれた。しかし一八八六年に二つのイギリスの会社が連合から脱退したときに、トラストは崩壊した。これにつづく産業の好況期に協定に達しえなかったことは、特徴的である。
 一九〇四年初めにドイツで鉄鋼シンジケートが設立された。そして一九〇四年一一月には、イギリス――五三・五%、ドイツ――二八・八三%、ベルギー――一七・六七%の比率で、国際軌条カルテルが復活した。ついでフランスが、第一年、第二年、第三年に、一〇〇%を超える四・八%、五・八%、六・四%の比率で協定にくわわり、総量は一〇四・八%、等々となった。一九〇五年には合衆国の「鉄鋼トラスト」(「U・S・スティール・コーポレーション」)が、ついでオーストリアとスペインがくわわった。フォーゲルシュタインは一九一〇年にこう書いた。「いまの時点で地球の分割は完了している。そして大口消費者、なによりも国有鉄道は、彼らの利益が考慮されることなしに世界がすでに分割されているのだから、詩人のようにジュピターの天国に住まわなければならない(*)」。
 (*) フォーゲルシュタイン『組織形態』、一〇〇ページ。

 さらに国際亜鉛シンジケートについて一言すると、これは一九〇九年に設立され、ドイツ、ベルギー、フランス、スペイン、イギリスの五ヵ国の工場群のあいだに、生産高をこまかく割り当てた。つぎに国際火薬トラストは、リーフマンのことばによれば、「ドイツのすべての爆薬製造工場のあいだのまったく現代的な緊密な同盟であって、これらの工場は、のちにこれにならって組織されたフランスとアメリカの爆薬工場とともに、相互のあいだで、いわば全世界を分割した(*)」。
 (*) リーフマン『カルテルとトラスト』、第二版、一六一ページ。

 リーフマンは、ドイツの参加する国際カルテルの数は、一八九七年には全部で約四〇であったが、一九一〇年ころにはすでに一〇〇ほどあったと見つもった。
 一部のブルジョア著述家たち(いまではK・カウツキーも、たとえば一九〇九年の彼のマルクス主義的立場を完全に裏切って、彼らの仲間にくわわった〔51〕)は、国際カルテルは資本の国際化の最もきわだった現れの一つであって、資本主義のもとでの諸国民間の平和を期待する可能性をあたえるものだ、という見解を表明した。この見解は、理論的には完全に不合理であり、実践的には論弁であって、最悪の日和見主義を不誠実にも擁護する一方法である。国際カルテルは、いまや資本主義的独占体がどの程度まで成長したか、そしてなにをめぐって資本家団体のあいだの闘争がおこなわれているかを、しめしている。この最後の事情は最も重要である。この事情だけが、いま起こっていること〔52〕の歴史的=経済的意味をわれわれに明らかにしてくれる。というのは、闘争の形態は、種々の、比較的部分的で一時的な原因によって変化しうるし、またたえず変化するが、闘争の本質、その階級的内容は、階級が存在するかぎり、どうあっても変化しえないからである。いうまでもなく、現代の経済闘争の内容(世界の分割)を塗りかくし、ときに応じてこの闘争のあれこれの形態を強調することは、たとえばドイツ・ブルジョアジーの利益になることである――カウツキーはその理論的考察において、本質上彼らの側にうつってしまったのだ(このことについてはなおあとで述べる)。まさにこの誤りをカウツキーはおかしているのである。もちろん、ここで問題になるのはドイツ・ブルジョアジーではなく、全世界のブルジョアジーである。資本家たちが世界を分割するのは、彼らに特別に悪意があるからではなく、集積の到達した段階が利潤獲得のために彼らをいやおうなくこの道に立たせるからである。そのさい、彼らは世界を「資本に応じて」、「力に応じて」分割する、――商品生産と資本主義の体制のもとでは、これ以外の分割方法はありえない。ところで、力は経済的および政治的発展に応じて変化する。いま起こっていることを理解するためには、どういう問題が力の変化によって解決されようとしているかを知らなければならない。そして、これが「純粋に」経済的な変化であるか、それとも経済外的な(たとえば軍事的な)変化であるかという問題は、第二義的な問題であって、資本主義の最新の時代にたいする基本的見解をすこしも変えることはできない。資本家団体のあいだの闘争と協約の内容の問題を、闘争と協約の形態の問題(きょうは平和的で、あすは非平和的で、あさってもまた非平和的である、というような)にすりかえることは、詭弁家の役割に身をおとすことを意味する。
 最新の資本主義の時代はわれわれにつぎのことをしめしている。すなわち、資本家団体のあいだに世界の経済的分割を基礎として一定の関係が形成されつつあり、そしてこれとならんで、これと関連して、政治的団体のあいだに、諸国家のあいだに、世界の領土的分割を基礎とし、植民地のための闘争、「経済的領土のための闘争」を基礎として、一定の関係が形成されつつある、ということである。


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