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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
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★  四 資本の輸出

 自由競争が完全に支配する古い資本主義にとっては、商品の輸出が典型的であった。だが、独占体の支配する最新の資本主義にとっては、資本の輸出が典型的となった。
 資本主義とは、労働力も商品となるような、最高の発展段階にある商品生産である。国内の交易だけでなく、とくに国際間の交易の増大は、資本主義の特徴的な顕著な特質である。個々の企業、個々の産業部門、個々の国の発展における不均等性と飛躍性は、資本主義のもとでは避けられない。はじめはイギリスが他の国々にさきがけて資本主義国となり、一九世紀のなかごろには、自由貿易を導入して、「世界の工場」、すなわち、すべての国への製造品の提供者という役割をねらい、他の国々はこれとひきかえに原料品をイギリスに供給しなければならなかった。しかしイギリスのこの独占は、すでに一九世紀の最後の四半世紀にそこなわれた。なぜなら、一連の他の国々が、「保護」関税にまもられて、自立的な資本主義国家に発展してきたからである。そしてわれわれは、二〇世紀にかかるころに別の種類の独占が形成されたのを見る。それは、第一には、資本主義の発展したすべての国における資本家の独占団体の形成であり、第二には、資本の蓄積が巨大な規模に達した少数の最も富んだ国々の独占的地位の形成である。先進諸国では巨額の「資本の過剰」が生じた。
 もちろん、もし資本主義が、現在いたるところで工業からおそろしく立ちおくれている農業を発展させることができるなら、またもし資本主義が、目まぐるしい技術的進歩にもかかわらずいたるところで依然としてなかば飢餓的で乞食のような状態にある住民大衆の生活水準を高めることができるなら、資本の過剰などということは問題になりえないであろう。そのような「論拠」は小ブルジョア的な資本主義批判者たちがたえずもちだしているところである。しかしそうなったら資本主義は資本主義でなくなるであろう。なぜなら、発展の不均等性も大衆のなかば飢餓的な生活水準も、この生産様式の根本的な、避けられない条件であり前提であるからである。資本主義が資本主義であるかぎり、過剰な資本はその国の大衆の生活水準を引き上げるためにはもちいられないで――なぜなら、そうすれば資本家の利潤が下がるから――、資本を外国に、後進諸国に輸出することによって、利潤を高めることにもちいられるのである。これら後進諸国では利潤が高いのが普通である。なぜなら、そこでは資本が少なく、地価は比較的低く、賃金は低く、原料は安いからである。資本輸出の可能性は、一連の後進諸国がすでに世界資本主義の運行のうちに引きいれられ、鉄道の幹線が開通するか建設されはじめ、工業発展の初歩的条件が確保されている、等々のことによってつくりだされる。そして資本輸出の必然性は、少数の国々で資本主義が「爛(らん)熟」し、資本にとって(農業の未発展と大衆の貧困という条件のもとで)「有利な」下部面がたりない、ということによってつくりだされる。
 つぎに、主要な三ヵ国が外国に投下している資本の規模にかんする概略の資料をかかげよう(*)。〔第11表を参照〕
 (*) ホブソン『帝国主義論』、ロンドン、一九〇二年、五八ページ。リーサー、前掲書、三九五および四〇四ページ。『世界経済アルヒーフ』、第七巻、一九一六年、三五ページのP・アルント。『所報』所収のネイマルク。ヒルファディング『金融資本論』、四九二ページ。ロイド―ジョージ、一九一五年五月四日の下院における演説、『デイリー・テレグラフ』、一九一五年五月五日号。B・ハルムス『世界経済の諸問題』、イェナ、一九一二年、二三五ページほか。ジーグムント・シルダー博士『世界経済の発展傾向』、ベルリン、一九一二年、第一巻、一五〇ページ。ジョージ・ベイシュ『・・・・大ブリテンの投資』――『王立統計協会雑誌』、第七四巻、一九一〇―一一年、一六七ページ以下。ジョルジュ・ディウリッチ『ドイツ経済の発展と関連する、ドイツの銀行の国外膨張』、パリ、一九〇九年、八四ページ〔49〕。

〔第11表〕 国外に投下された資本
     (単位 10億フラン)

「「「「「ホ「「「「ホ「「「「「「ホ「「「
  年次  、イギリス、 フランス 、ドイツ
「「「「「゙「「「「゙「「「「「「゙「「「
 1862年 、   3.6、   ―   、 ―
 1872年 、  15 、10(1869年)、 ―
 1882年 、  22 、15(1880年)、 ?
 1893年 、  42 、20(1890年)、 ?
 1902年 、  62 、  27―37  、 12.5
 1914年 、 75―100、   60   、 44
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 この表からわかるように、資本の輸出が大きな発展をとげたのはやっと二〇世紀初頭のことである。戦前に、この三つの主要な国々の国外への投資額は一七〇〇億―二〇〇〇億フランに達した。この額からの収益は、控えめに年利五%として、一年に八〇億―一〇〇億フランに達するにちがいない。これこそ、世界の大多数の民族と国とにたいする帝国主義的抑圧と搾取の、またひとにぎりの富裕な国家の資本主義的寄生性の、堅固な基礎である!
 国外に投下されたこの資本はさまざまな国にどのように分布しているか、それはどこに投下されているか――この問題にはおおよその答えしかあたえることができないが、それでも現代帝国主義の若干の一般的な相互関係と関連とを明らかにすることができる。〔第12表を参照〕

〔第12表〕 国外投下資本の大陸別分布(概数)(1910年ころ)
     (単位 10億マルク)
「「「「「「「「「「ホ「「「「ホ「「「「ホ「「「「ホ「「「「
           、イギリス、フランス、 ドイツ 、 合計
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 ヨーロッパ    、   4 、  23 、  18 、  45
 アメリカ     、  37 、   4 、  10 、  51
 アジア,アフリカ,、  29 、   8 、   7 、  44
 オーストラリア  、    、    、    、
「「「「「「「「「「゙「「「「゙「「「「゙「「「「゙「「「「
 総計       、  70 、  35 、  35 、  140
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 イギリスでは、第一位にあるのはその植民地領土で、それは、アジアその他はいうにおよばず、アメリカでも非常に大きい(たとえばカナダ)。巨額の資本輸出がここではなによりも巨大な植民地と密接に結びついているのであるが、帝国主義にとっての植民地の意義についてはなおあとで述べる。フランスではこれと異なる。ここでは在外資本は主としてヨーロッパに、それもどこよりもロシアに(一〇〇億フランを下らないものが)投下されている。しかもそれは主として貸付資本すなわち国債であって、産業企業に投下される資本ではない。イギリスの植民地的帝国主義と区別して、フランスのは高利貸的帝国主義と名づけることができる。ドイツには第三の変種がある。その植民地は大きくなく、ドイツが国外へ投下している資本は、ヨーロッパとアメリカにきわめて均等に分布している。
 資本の輸出は、資本が向けられる国で資本主義の発展に影響をおよぼし、その発展をいちじるしく促進する。だから、ある程度、資本の輸出は輸出国での発展をいくらか停滞させることになりかねないとしても、そのようなことが生じるのは、まさに全世界における資本主義のいっそうの発展を拡大し深めることの代償としてである。
 資本を輸出する国にとっては、ある「利益」を獲得する可能性がほとんどいつも得られるのであって、この利益の性格は金融資本と独占体の時代の特性を照らしだしてくれる。たとえば、ベルリンの雑誌『バンク』は一九一三年一〇月につぎのように書いた。
 「国際資本市場ではさきごろから、アリストパネースの筆にふさわしいような喜劇が演じられている。スペインからバルカンにいたる、ロシアからアルゼンティン、ブラジル、中国にいたる、数多くの外国国家が、借款を得ようという要求をもって、それもときにはきわめて緊急な要求をもって、公然あるいは隠然と大貨幣市場に現われている。ところが貨幣市場はいまとりわけ良好な状態にあるわけではなく、また政治的見通しも明るくはない。しかしどの貨幣市場も、隣国が自国を出しぬいて借款に応じ、それとともになんらかの反対給付を確保しはしないかという懸念から、借款要求をあえて拒否しかねている。この種の国際取引のさいにはほとんどいつも、通商条約における譲歩であれ、給炭所であれ、港湾建設であれ、うまい利権であれ、大砲の注文であれ、なにかが債権者の利益に帰するのである(*)」。
 (*) 『バンク』、一九一三年、第二号、一〇二四―一〇二五ページ。

 金融資本は独占体の時代をつくりだした。ところで独占体はいたるところで独占原理をともなう。有利な取引のために「縁故」を利用することが、公開市場での競争にとってかわる。借款の一部を債権国の生産物、とくに軍需品、船舶、等々の購入に支出することを借款の条件とするのは、最も普通のことである。フランスは最近の二〇年間(八九〇―一九一〇年)に非常にしばしばこの手段に訴えた。資本の輸出は商品の輸出を助長する手段となる。そのさい、とくに大きな企業のあいだの取引は――シルダーが「やんわりと」表現したように(*)――「贈賄と紙ひとえ」である。ドイツのクルップ、フランスのシュネーデル、イギリスのアームストロングは、巨大銀行および政府と緊密に結びついていて、借款契約をむすぶさいに容易には「無視」できない会社の見本である。
 (*) シルダー、前掲書、三四六、三五〇、三七一ページ。

 フランスはロシアに借款をあたえるにあたって、一九〇五年一一月一六日の通商条約でロシアを「締めつけて」、一九一七年を期限とするある譲歩を獲得した。同じことは、一九一一年八月一九日の日本との通商条約〔50〕についてもあった。オーストリアとセルビアとの関税戦争は、一九〇六年から一九一一年までのあいだに七ヵ月間中断しただけでずっとつづいたが、それは一部分は、セルビアへの軍需品供給でのオーストリアとフランスとの競争によってひきおこされたものである。ポール・デシャネルは一九一二年一月に議会で、フランスの商会は一九〇八―一九一一年のあいだにセルビアに四五〇〇万フランの軍需資材を納入した、と言明した。
 サン―パウロ(ブラジル)駐在のオーストリア=ハンガリーの領事の報告のなかでは、つぎのように述べられている。「ブラジルの鉄道建設は、大部分、フランス、ベルギー、イギリスおよびドイツの資本でおこなわれている。これらの国は「鉄道建設と関連する金融業務のさいに、鉄道建設資材の供給を自国の手に確保している」。
 このように、金融資本はその網を世界のすべての国に、いわば文字どおり張りめぐらしている。そのさい大きな役割を演じるのは、植民地に設置される銀行とその支店である。ドイツの帝国主義者たちは、この点でとくに「うまく」やっている「古い」植民地領有国を、うらやましげにながめている。イギリスは一九〇四年に二、二七九の支店をもつ五〇の植民地銀行(一九一〇年には五、四四九の支店をもつ七二の銀行)をもっていたし、フランスは一三六の支店をもつ二〇の銀行を、オランダは六八の支店をもつ一六の銀行をもっていたのに、ドイツは「全部でたった」七〇の支店をもつ一三の銀行しかもっていなかった(*)。アメリカの資本家たちは、それはそれで、イギリスとドイツの資本家をうらやんでいる。彼らは一九一五年にこう不平をいった。「南アメリカでは五つのドイツ銀行が四〇の支店を、五つのイギリス銀行が七〇の支店をもっている。・・・・イギリスとドイツは最近の二五年間にアルゼンティン、ブラジル、ウルグァイに約四〇億ドルを投資した。そしてその結果、両国はこれら三国の全貿易額の四六%をその手におさめている(**)」。
 (*) リーサー、前掲書、第四版、三七五ページおよびディウリッチ、二八三ページ。
 (**) 『アメリカ政治=社会科学アカデミー年報』、第五九巻、一九一五年五月、三〇一ページ。同晝の三三一ページに書いてあるところによると、有名な統計学者ペイシュは、金融雑誌『ステーティスト』の最近号で、イギリス、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダが輸出した資本の額を、四〇〇億ドルすなわち二〇〇〇億フランと算定した。

 資本を輸出する国は、比喩的な意味で世界を自分たちのあいだで分割した。だが金融資本は世界の直接の分割をももたらした。


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