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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital
Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。 http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/DVProject/DVProjectJ.html http://www5.big.or.jp/~jinmink/TAMO2/DT/index.html |
★ 三 金融資本と金融寡頭制
ヒルファディングはつぎのように書いている。「産業資本のますます多くの部分が、それを充用する産業資本家に属さなくなる。彼らは資本の管理権を、彼らにたいしてこの資本の所有者を代表する銀行をとおしてはじめて獲得する。他方、銀行はその資本のますます多くの部分を産業に固定しなければならない。そのため、銀行はますます産業資本家になる。このような仕方で実際には産業資本に転化している銀行資本、すなわち貨幣形態にある資本を、私は金融資本と名づける」。「金融資本とは、銀行の管理下にあって産業家によって充用される資本である(*)」。
(*) R・ヒルファデイング『金融資本論』、モスクワ、一九一二年、三三八―三三九ページ〔39〕。
この定義は、そのなかに最も重要な契機の一つ――すなわち、生産と資本との集積は、それが独占にみちびきつつあり、またすでにみちびいたほどいちじるしく進展したということ――の指摘かないかぎりで、不完全である。だが一般にヒルファディングの叙述全体のなかでは、とくにこの定義をとってきた章のまえの二章では、資本主義的独占体の役割が強調されている〔40〕。
生産の集積、それから成長してくる独占体、銀行と産業との融合あるいは癒着、――これが金融資本の発生史であり、金融資本の概念の内容である。
つぎにわれわれは・資本王義的独占体の「業務遂行〔41〕」が、商品生産と私的所有という一般的環境のもとでどのようにして不可避的に金融寡頭制の支配になるか、ということの記述にうつらなければならない。注意しておくが、リーサー、シュルツェ―ゲーヴァニッツ、リーフマンその他のようなドイツの――いや、ひとりドイツのだけではないが――ブルジョア科学の代表者たちは、ひとりのこらず帝国主義と金融資本の弁護者である。彼らは、寡頭制の形成の「からくり」、その手口、その「浄不浄の」所得の大きさ、寡頭制と議会との結びつき、その他等々を、あばくのではなく、塗りかくし美化している。彼らは「ややこしい問題」を避けるために、もったいぶった、ぼんやりしたことばをつかったり、銀行の取締役の「責任感」に訴えたり、プロイセン官吏の「義務感」をほめたたえたり、「監督」とか「規制」とかにかんするまったくくだらない法案などの小さなことを大まじめで検討したり、またたとえばつぎの「科学的」定義のようなたわいない理論遊戯にふけったりしている。リーフマン教授はこんなことまで書くにいたっている。
「・・・・商業とは財貨をあつめ、貯蔵し、それを人の使用に供することを目的とする生業活動である(*)」。(ゴシックと傍点は教授の著書どおり)・・・・。そうすると、商業は、交換をまだ知らなかった原始人のもとでもあったし、社会主義社会にもあることになる!
(*) R・リーフマン、前掲書、四七六ページ。
しかし、金融寡頭制の驚くべき支配という驚くべき事実はなんとしても目につくので、すべての資本主義国で、アメリカでも、フランスでも、ドイツでも、ブルジョア的見地に立ちながら、しかもなお金融寡頭制のほぼ正しい姿をえがき、そして――もちろん小市民的なものだが――それの批判をしている文献が現われている。
最も重要視すべきものは、まえにすでにいくらか述べた「参与制度」である。この制度におそらくだれよりもはやく注意を向けたドイツの経済学者ハイマンは、ことの本質をつぎのように記述している。
「指導者は親会社(文字どおりには『母親会社』)を統制し、親会社はさらに、それに依存する会社(『子会社』)を支配し、子会社は『孫会社』を支配する、等々。こうして、あまり大きくない資本でもって、巨大な生産諸部門を支配することができる。実際、資本の五〇%をもっていれば株式会社を統制するのにつねに十分であるとすれば、指導者は一〇〇万マルクの資本をもっているだけで、『孫会社』で八〇〇万マルクの資本を統制することができるわけである。もしこの『絡みあい』がもっとすすめば、一〇〇万マルクで一六〇〇万、三二〇〇万、等々を統制できるわけである(*)」。
(*) ハンス・ギデオン・ハイマン『ドイツの大鉄工業における混合企業』、シュトゥットガルト、一九〇四年、二六ハ―二六九ページ。
実際には、経験がしめしているとおり、株式会社の事業を切り盛りするためには株式の四〇%をもっていれば十分である(*)。なぜなら、ばらばらな小株主の一定部分は、実際には、株主総会に出席したりなどすることがけっしてできないからである。株式所有の「民主化」ということから、ブルジョア的詭弁家や日和見主義的「でも社会民主主義者」たちは、「資本の民主化」、小規模生産の役割と意義の増大、等々を期待している(あるいは、期待するふりをしている)が、この株式所有の「民主化」は、実際には、金融寡頭制の威力を増大させる方法の一つなのである。より先進的な、あるいはより古くて「経験に富んだ」資本主義諸国でより小額面の株式が法律によってゆるされているのは、一つにはこのためである。ドイツでは、一、〇〇〇マルク以下の額面の株式は法律によってゆるされていない。それでドイツの金融巨頭たちは、一ポンド・スターリング(=二〇マルク、約一〇ルーブリ)の株式さえ法律でゆるしているイギリスを、うらやましげにながめている。ドイツの巨大産業家で「金融王」の一人であるジーメンスは、一九〇〇年六月七日の帝国議会で、「一ポンド・スターリングの株券はイギリス帝国主義の基礎である(**)」と言明した。この商人は、ロシアのマルクス主義の創始者とみなされていながら、帝国主義とはある国民の邪悪な性質だとおもっているぶざまな某著述家〔42〕よりも、帝国主義とはなにかについてより深い、より「マルクス主義的」な理解をもっている・・・・。
(*) リーフマン『参与会社・・・・』、第一版、二五八ページ。
(**) シュルツェ―ゲーヴァニッツ『社会経済学大綱』、第五章第二節、一一〇ページ。
しかし「参与制度」は独占者たちの権力の驚くべき増大に役だつだけではない。それはさらにどんな後暗い醜い行為をも天下御免でやりとおし、公衆から巻きあげることを可能にする。なぜなら、「親会社」の指導者は、形式的には、法律上は、「子会社」にたいする責任がなく、子会社は「独立のもの」とみなされていて、子会社を通じてなんでも「やりとげ」うるからである。つぎに、ドイツの雑誌『バンク』の一九一四年の五月号から一例を借りよう。
「カッセルの『バネ鋼製造株式会社』は、数年まえには、ドイツで最も収益の多い企業の一つと考えられていた。しかし管理が悪かったため経営が悪化し、配当は一五%からゼロに落ちた。ここでわかったことだが、取締役会は株主には内密に、その『子会社』の一つで公称資本金が数十万マルクにすぎなかった『ハッシア』に六〇〇万マルクを貸しつけていたのである。『親会社』の株式資本のほとんど三倍もの額のこの貸付けについて、その貸借対照表にはなにも記載されていなかった。法的にはこのような隠蔽は完全に適法であって、まる二年間もそうしておくことができた。なぜなら、これは商法のどの規定にも違反していなかったからである。責任者として虚偽の貸借対照表に署名していた監査役会会長は、当時カッセル商業会議所の会頭であったが、いまでもそうである。株主たちが『ハッシア』会社への貸付けについて知ったのは、やっとそれが失敗」・・・・(このことばに筆者は括弧をつけるべきであろう)・・・・「だったことがわかり、『バネ鋼』の株を消息筋が売りに出したためその相場がほとんど一〇〇%下落してからのことである
・・・・」。
・・・・「株式会社ではごくあたりまえな貸借対照表の綱渡り的芸当のこの典型的な実例は、株式会社の取締役会が個人企業家よりもはるかに気軽に危険な仕事に手をつける理由を、われわれに説明してくれる。貸借対照表作成の最新技術は、取締役会にそのおかした危険を平株主の目から蔽いかくす可能性をあたえるばかりでなく、実験が失敗した場合には、おもな当事者が適当なときにその持株を売却することによって被害をまぬかれる可能性をもあたえる。ところが個人企業家は、彼のすることの全部について全責任を負っている。・・・・
数多くの株式会社の貸借対照表は、中世の時代から知られているあのパリムプセスト――上に書いてある文字をまず消さなければ、その下にある、ほんとうの意味をもった記号を解読できないもの――に似ている」。(パリムプセストというのは、もとの文字が塗りつぶされていて、その上に他の文字が書いてある羊皮紙のことである。)
「貸借対照表を裏の見えないものにする手段として、最も簡単で、したがって最もしばしばもちいられるものは、『子会社』を設立するかまたは系列下に入れることによって、単一の経営をいくつかの部分に分割することである。この制度の有利なことは、種々の目的――合法、非合法の――から見てきわめて明白なので、この制度を採用しないような大会社は今日ではまったくの例外であるほどである(*)」。
(*) L・エシュヴェーゲ『子会社』――『バンク』、一九一四年、第一号、五四五ページ。
この制度を最も広範に採用している最大の独占会社の例として、この筆者は有名な「アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ―ゲゼルシャフト」(A・E・G――この会社については、なおあとでも述べる)をあげている。一九一二年には、その会社は一七五―二〇〇の会社に参与し、もちろんこれらの会社を支配し、全体で約一五億マルクの資本を擁している、と考えられていた(*)。
(*) クルト・ハイニヒ『電気トラストへの道』――『ノィエ・ツァイト〔43〕』、一九一二年、第三〇年、第二巻、四八四ページ。
監査や、貸借対照表の公開や、その一定様式の作成や、監督機関その他についてのありとあらゆる法規は、善意の――すなわち、資本主義を擁護し美化しようという善良な意図をもった――大学教授や官吏たちが公衆の注意をひきつけるのにもちいるものであるが、しかしどんな法規もこの場合なんの意義ももちえない。なぜなら私的所有は神聖であり、株を売ったり、買ったり、交換したり、担保に入れたりなどすることは、だれにも禁止することができないからである。
ロシア大銀行で「参与制度」がどの程度に達しているかは、E・アガードのつたえている資料から判断することができる。彼は一五年間露清銀行の職員をつとめた人で、一九一四年五月に『大銀行と世界市場(*)』というあまりしっくりしない標題の著作を公刊した。著者はロシアの大銀行を二つの基本グループに分けている。すなわち(a)「参与制度」のもとで活動しているものと、(b)「独立しているもの」とである。もっともこの「独立」というのを、著者はかってに外国の銀行からの独立という意味に理解しているのだが。第一のグループを著者は三つの亜グループに、すなわち、(1)
ドイツの参与、(2) イギリスの参与、(3) フランスの参与に分けているが、ここで著者が念頭においているのは、右のそれぞれの国籍の外国巨大銀行の「参与」と支配である。また著者は銀行の資本を、「生産的」に投下されているもの(商業と工業に)と、「投機的に」投下されているもの(証券業務と金融業務に)とに区分しており、その持ち前の小ブルジョア的=改良主義的見地から、資本主義を維持しながら第一種の投資を第二種の投資から分離して、第二種を除去することができるかのように考えている。
(*) E・アガード『大銀行と世界市場。ロシア国民経済とドイツ=ロシア関係にたいする大銀行の影響という観点から見た、世界市場における大銀行の経済的および政治的意義』、ベルリン、一九一四年。
著者の資料はつぎのとおりである。〔第7表を参照〕
〔第7表〕 銀行の資産(1913年10―11月の決算報告による)
(単位 100万ルーブリ)
「「「「「「「「「「「「「「「「「「ホ「「「「「「「「「「「「「「
、 投下資本
ロシアの銀行のグループ別 セ「「「「ホ「「「「ホ―「「「
、 生産的 、 投機的 、 合計
「「「「「「「「「「「「「「「「「「゙「「「「゙「「「「゙「「「「
(aの1)4銀行 、 、 、
シベリア商業銀行イ 、 、 、
ロシア銀行 セ 、 413.7、 859.1、 1,272.8
国際銀行 、 、 、 、
割引銀行 コ 、 、 、
「「「「「「「「「「「「「「「「「「゙「「「「゙「「「「゙「「「「
(aの2)2銀行 、 、 、
商工銀行 ホ 、 239.3、 169.1、 408.4
ロシア=イギリス銀行コ 、 、 、
「「「「「「「「「「「「「「「「「「゙「「「「゙「「「「゙「「「「
(aの3)5銀行 、 、 、
ロシア=アジア銀行 イ 、 、 、
サンクト―ペテルブルグ私営銀行、 、 、 、
アゾフ=ドン銀行 セ 、 711.8、 661.2、 1,373.0
モスクワ合同銀行 、 、 、 、
ロシア=フランス商業銀行 コ 、 、 、
「「「「「「「「「「「「「「「「「「゙「「「「゙「「「「゙「「「「
(11銀行)合計(a) =、 1,364.8、 1,689.4、 3,054.2
「「「「「「「「「「「「「「「「「「゙「「「「゙「「「「゙「「「「
(b)8銀行 、 、 、
モスクワ商人銀行 イ 、 、 、
ヴォルガ=カマ銀行 、 、 、 、
ユンカー会社 、 、 、 、
サンクト―ペテルブルグ商業銀行、 、 、 、
(旧ヴァーヴェルベルグ銀行) セ 、 504.2、 391.1、 895.3
モスクワ銀行 、 、 、 、
(旧リャブシンスキー銀行) 、 、 、 、
モスクワ割引銀行 、 、 、 、
モスクワ商業銀行 、 、 、 、
モスクワ私営銀行 コ 、 、 、
「「「「「「「「「「「「「「「「「「゙「「「「゙「「「「゙「「「「
(19銀行)総計 、 1,869.0、 2,080.5、 3,949.5
「「「「「「「「「「「「「「「「「「ヨ「「「「ヨ「「「「ヨ「「「「
この資料によれば、大銀行の「稼動」資本を構成する約四〇億ルーブリのうち、四分の三以上すなわち三〇億ルーブリ以上は、外国銀行の、それもなによりもパリ(有名な三大銀行、すなわちバンク・ド・リュニオン・パリジャンヌ、バンク・ド・パリ・エ・デ・べ―バ、ソシエテ・ジェネラール)とベルリン(とくにドイッチェ・バンクとディスコント―ゲゼルシャフト)の銀行の、実質上の「子会社」である諸銀行の手にある。ロシアの二つの巨大銀行、すなわち「ロシア銀行」(「ロシア外国貿易銀行」)と「国際銀行」(「サンクト―ペテルブルグ国際商業銀行」)は、一九〇六年から一九一二年までのあいだに、その資本を四四〇〇万ルーブリから九八〇〇万ルーブリに、積立金を一五〇〇万ルーブリから三九〇〇万ルーブリにふやしたが、これらは「四分の三はドイツ資本によって活動している」。第一の銀行はベルリンの「ドイッチェ・バンク」の、第二の銀行はベルリンの「ディスコント−ゲゼルシャフト」の「コンツェルン」に属している。お人好しのアガードは、ベルリンの銀行が株式の大多数をにぎっていて、そのためロシアの株主が無力であることに、心の底から憤激している。いうまでもなく、資本を輸出する国は甘い汁を吸うのである。たとえばベルリンの「ドイッチェ・バンク」は、シベリア商業銀行の株をベルリンにもってゆき、それを一年間金庫にしまいこんでおいて、そのあとで一〇〇にたいする一九三という、ほとんど二倍の相場で売りだし、約六〇〇万ルーブリの儲けを「稼ぎだした」のであって、この儲けはヒルファディングが「創業者利得〔44〕」と名づけたものである。
ぺテルブルグの巨大銀行の全部の「力」を、この著者は八二億三五〇〇万ルーブリ、ほとんど八二億五〇〇〇万ルーブリと算定しているが、そのさい彼は、外国銀行の「参与」を、より正確にいえば、その支配を、フランスの銀行――五五%、イギリスの銀行――一〇%、ドイツの銀行――三五%というふうに分けている。著者の計算によると、総額八二億三五〇〇万ルーブリのこの機能資本のうち、三六億八七〇〇万ルーブリ、すなわち四〇%以上は、いくつかのシンジケート、すなわち、プロドウーゴリ〔石炭シンジケート〕、プロダメータ〔製鉄シンジケート〕、および石油業、冶金業、セメント工業のシンジケートの手にある。したがって、銀行資本と産業資本との融合は、資本主義的独占体の形成と関連して、ロシアでも巨大な前進をとげたわけである〔45〕。
少数者の手に集積されて事実上の独占を享有している金融資本は、会社の創立、有価証券の発行、国債、等々から、巨額の、しかもますます増大する利潤を引きだし、金融寡頭制の支配をうちかため、社会全体に独占者への貢ぎ物を課している。つぎにしめすのは、アメリカのトラストの「業務遂行ぶり」の無数の事例の一つで、ヒルファディングがあげているものである。一八八七年にハヴメイヤーは、資本総額が六五〇万ドルになる一五の小会社の合同によって一つの砂糖トラストを設立した。ところでこのトラストの資本は、アメリカ式表現によれば「水増しされて」、五〇〇〇万ドルとさだめられた。この「過大資本化」は、このおなじアメリカで鉄鋼トラストが将来の独占利潤を勘定に入れてますます多くの鉄鉱山を買いいれるのと同様に、将来の独占利潤を勘定に入れていた。実際に、砂糖トラストは独占価格を設定し、そして、七倍に「水増しされた」資本にたいして一〇%の配当をおこなうことができるほどの収入をあげたのであるが、この配当は、トラスト設立のときに実際に払いこまれた資本にたいしてほとんど七〇%にあたる! 一九〇九年にはこのトラストの資本は九〇〇〇万ドルであった。二二年のうちに資本は一〇倍以上になったわけである。
フランスでは、「金融寡頭制」の支配は(『フランスにおける金融寡頭制に反対する』――これはリジスの有名な書物の標題である。第五版が一九〇八年に出ている)、わずかばかりちがう形をとった。四つの巨大銀行が有価証券の発行にあたって、相対的ではなく「絶対的独占」を享有している。事実上、これは「大銀行のトラスト」である。そして独占は、証券発行による独占利潤を保障する。借款の場合、借款を受ける国は、総額の九〇%以上は受けとらないのが普通であって、一〇%は銀行その他の仲介者の手にはいる。銀行の利潤は、四億フランの露清公債から八%、八億フランのロシア公債(一九〇四年)から一〇%、六二五〇万フランのモロッコ公債(一九〇四年)から一八・七五%であった。小さな高利貸資本から発展をはじめた資本主義は、巨大な高利貸資本としてその発展を終える。「フランス人はヨーロッパの高利貸である」、とリジスは言っている。経済生活のあらゆる条件が、資本主義のこの変質のため深刻な変化をこうむっている。人口も、工業も、商業も、海運業も停滞しているのに、「国」は高利貸によって富むことができるのである。「八〇〇万フランの資本を代表する五〇人の人が、四つの銀行で二〇億フランを自由にできる」。すでにわれわれの知っている「参与」制度が、やはり同じ結果にみちびく。巨大銀行の一つ「ソシエテ・ジェネラール」(Societe
Generale)が「子会社」の「エジプト精糖会社」の社債六四、〇〇〇口を発行した。発行価格は一五〇%であった。すなわち、銀行は一ルーブリにつき五〇カペイカ儲けたわけである。だがこの会社の配当は架空のものであることがわかり、「公衆」は九〇〇〇万から一億フランの損失をこうむった。しかも「『ソシエテ・ジェネラール』の取締役の一人は『精糖会社』の重役の一人であった」。だから、この著者が、「フランス共和国は金融君主国である」とか、「金融寡頭制が完全に支配しており、それは新聞をも政府をも支配している(*)」とかいう結論をくださずにはいられなかったのも、あやしむにたりない。
(*) リジス『フランスにおける金融寡頭制に反対する』、第五版、パリ、一九〇八年、一一、一二、二六、三九、四〇、四八ページ。
金融資本の主要な業務の一つである有価証券発行のもつ異常に高い収益性は、金融寡頭制の発展と強化において非常に重大な役割を演じる。「国内には、外債発行のさいの仲介に匹敵するほどの収益をあたえる事業は一つもない」――ドイツの雑誌『バンク』はこのように書いている(*)。
(*) 『バンク』、一九一三年、第七号、六三〇ページ。
「証券発行の業務ほど高い利得をもたらす銀行業務は一つもない」。産業企業の証券の発行での利得は、『ドイッチェ・エコノミスト』の資料によれば、年平均で次のとおりであった。〔第8表を参照〕
「一八九一―一九〇〇年の一〇年間に、ドイツの産業証券の発行で一〇億マルク以上が『稼ぎだされ』た(*)」。
(*) シュティリヒ、前掲書、一四三ページおよびW・ゾンバルト『一九世紀のドイツ国民経済』、第二版、一九〇九年、五二六ページ、付録八。
産業の好況期には金融資本の利潤はすばらしく大きいが、他方また不況期には、小さくて堅実でない企業はたおれるのに、大銀行は、それらの安値買収とか、あるいは儲けの多い「整理」や「再建」に「参与」する。欠損企業の「整理」にあたっては、「株式資本は減価される。すなわち、収益はより少ない資本にたいして分配され、その後は、その資本にたいして計算される。あるいは、もし収益がなにもないようなら、新しい資本がつぎこまれ、これはより収益の少ない旧資本と結合されて、いまや十分な収益を生むこととなる」。ヒルファディングはさらにつけくわえていっている。「ついでながらいえば、こういう整理や再建は、銀行にとっては二重の意義をもつ。第一には有利な事業としてであり、第二には、窮地にあるこのような会社を自分に従属させるための好機としてである(*)」。
(*) 『金融資本論』、一七二ページ〔46〕。
例をあげよう。ドルトムントの「ウニオン」鉱業株式会社は一八七二年に設立された。約四〇〇〇万マルクの株式資本が発行され、その相場は、初年度に一二%の配当が得られたときには一七〇%に騰貴した。金融資本は甘い汁を吸って、二八〇〇万マルクばかりのほんのわずかを稼ぎだした。この会社の設立にあたって主要な役割を演じたのは、順調に三億マルクの資本をもつにいたっていた例のドイツ最大の銀行「ディスコント―ゲゼルシャフト」であった。その後「ウニオン」の配当はゼロにさがった。株主たちは資本の「棒びき」に、すなわち、全資本を失わないためにその一部を失うことに、同意しなければならなかった。こうして、何回かの「整理」の結果、「ウニオン」会社の帳簿から三〇年間に七三〇〇万マルク以上が消された。「現在では、この会社の最初の株主たちは、その株式の額面のわずか五%をもっているにすぎない(*)」。――それなのに、「整理」のたびに銀行は「稼ぎ」つづけていたのである。
(*) シュティリヒ、前掲書、一三八ページおよびリーフマン、五一ページ。
急速に発達しつつある大都市の近郊での土地投機もまた、金融資本のとくに有利な業務である。銀行の独占は、この場合、地代の独占および交通機関の独占と融合している。なぜなら、地価の高騰、土地を有利に分譲する可能性、等々は、なによりも都心との交通の便のいかんにかかっており、しかもこれらの交通機関は、参与制度や取締役職の割当てによって当の銀行と結びついている大会社の手にあるからである。こうして、『バンク』の寄稿家で、土地売買や土地抵当などの業務を専門に研究したドイツの著述家L・エシュヴェーゲが「泥沼」と名づけたものが生じる。すなわち、近郊の土地の気違いじみた投機、ベルリンの「ボスヴァウ・ウント・クナウアー」社のような建設会社の破産――この会社は、「最も堅実で最も大きな」「ドィッチェ・バンク」(Deutsche
Bank)の仲介によって一億マルクほどの金(かね)をかきあつめていた会社であるが、銀行のほうは、もちろん「参与」制度によって、すなわち内々に、裏でうごいていて、「たった」一二〇〇万マルクの損をしただけで手を引いてしまった――、ついで、いかさま建設会社からなんの支払も受けない小経営主と労働者の零落、建築地情報や市会の建築許可証の交付を受けるための「誠実な」ベルリン警察や行政官庁との詐欺的な結託、その他等々である(*)。
(*) 『バンク』、一九一三年、九五二ページ、L・エシュヴェーゲ『泥沼』、同誌、一九一二年、第一号、二二三ページ以下。
ヨーロッパの大学教授やお人好しのブルジョアたちが偽善的に顔をしかめてなげいている「アメリカ式風習」が、金融資本の時代には、どこの国でも、文字どおりあらゆる大都市の風習となったのである。
一九一四年の初めにベルリンで、「運輸業トラスト」が、すなわち、高架鉄道、市街電車、バス会社の三つのベルリンの運輸企業のあいだの「利益協同体」が形成されようとしている、という噂がたった。雑誌『バンク』はつぎのように書いた。「このような企てがあることは、バス会社の株式の過半数が他の二つの運輸会社の手にうつったことがわかったときから、知られていた。・・・・この目的を追求する人々が、自分たちは運輸業を統一的に調整することによって節約をしようとのぞんでいるのであり、その節約の一部は結局は公衆の利益になりうるだろうと言うと、人々はこれをそのまま信じかねない。だが、形成されようとしているこの運輸業トラストの背後にはいくつかの銀行がひかえており、それらは、のぞみさえすれば、それらが独占している交通機関を土地売買の利益に従属させうるので、問題は複雑である。このような推定が当然であることを納得するためには、すでに高架鉄道会社の設立のさいに、その設立を奨励した一つの大銀行の利益が介在していたことを思いおこせば、十分である。すなわち、この運輸企業の利益は土地売買の利益と絡みあっていたのだ。じつは、この鉄道の東部線は、のちに鉄道の建設がもはや確実になったときにこの銀行が自分自身と何人かの関係者のために膨大な利益をもって売却した土地を、とおるはずになっていたのである(*)・・・・」。
(*) 『運輸業トラスト』――『バンク』、一九一四年、第一号、八九ページ。
独占は、ひとたび形成されて幾十億の金(かね)を運用するようになると、絶対的な不可避性をもって、政治機構やその他のどんな「細目」にもかかわりなく、社会生活のあらゆる面に浸みこんでゆく。ドイツの経済文献のなかでは、フランスのパナマ事件〔47〕やアメリカの政治的腐敗についてあてつけをいいながら、プロイセン官吏の誠実さを追従的に賛美するのが普通である。しかし、ドイツの銀行業について論じているブルジョア文献でさえ、純粋の銀行業務の枠をつねに遠くはみだして、たとえば官吏が銀行に転職する事例がますます多くなっていることから、「銀行への突進」ということを書かなければならなくなっているのが、実情である。「その秘めたあこがれがべーレン街の坐り心地の良い椅子だというのでは、官吏の清廉さもはたしてどんなものであるうか?(*)」――べーレン街というのは、「ドイッチェ・バンク」のあるベルリンの街路のことである。雑誌『バンク』の発行者アルフレード・ランスブルグは一九〇九年に『ビザンティン主義の経済的意義』という論文を書いたが、これは、ことのついでに、ヴィルヘルム二世のパレスティナ旅行と、「この旅行の直接の結果であるバグダード鉄道の建設、すなわち、われわれのすべての政治的失策をあわせたよりももっと『包囲』について責任のある、あののろうべき『ドイツ企業家精神の大事業(**)』」について述べている。――(包囲というのは、ドイツを孤立させ、帝国主義的な反ドイツ同盟の環でドイツを包囲しようとつとめた、エドワード七世の政策のことである)。すでにわれわれが言及した、この同じ雑誌の寄稿家エシュヴェーゲは、一九一一年に『金権政治と官吏』という論文を書いて、一例としてドイツ人官吏フェルカーの一件を暴露した。この男はカルテル委員会の委員で、精力的なことで秀でていたが、その後しばらくして最大のカルテルである鉄鋼シンジケートで高給の地位を手に入れた人物である。けっして偶然ではない同様の事件がいくつかあるので、このブルジョア著述家は、「ドイツ憲法によって保障された経済的自由は、経済生活の多くの分野でもはや内容のない空語となった」とか、いまあるような金権政治の支配下では、「最も広範な政治的自由でさえ、われわれが非自由人の国民となることからわれわれを救うことはできない(***)」とか、告白せざるをえなかったのである。
(*) 『銀行への突進』――『バンク』、一九〇九年、第一号、七九ページ。
(**) 同誌、三〇一ページ。
(***) 同誌、一九一一年、第二号、八二五ページ、一九一三年、第二号、九六二ページ。
ロシアについては、一例をあげるにとどめよう。いまから数年まえにすべての新聞に報道されたことだが、信用局長のダヴィドフが官職を去ってある大銀行に就職し、その俸給は、契約によれば、数年のうちに一〇〇万ルーブリ以上になることになっていた。信用局というのは、「国家のすべての信用機関の活動を統一すること」を任務として、首都の銀行に八億―一〇億ルーブリの額の補助金をあたえている官庁である(*)。――
(*) E・アガード、二〇二ページ。
資本の所有と資本の生産への投下との分離、貨幣資本と産業資本あるいは生産的資本との分離、貨幣資本からの収入だけで暮らしている金利生活者と、企業家および資本の運用に直接たずさわるすべての人々との分離――これは資本主義一般に固有のことである。帝国主義とは、あるいは金融資本の支配とは、この分離が巨大な規模に達している、資本主義の最高の段階のことである。金融資本が他のすべての形態の資本に優越することは、金利生活者と金融寡頭制が支配的地位にあることを意味し、金融上の「力」をもつ少数の国家が他のすべての国家からぬきんでることを意味する。この過程がどれほどすすんでいるかは、証券発行の、すなわちあらゆる種類の有価証券の発行高の統計資料から、判断することができる。
A・ネイマルクは『国際統計研究所報(*)』に、全世界の証券発行にかんするきわめて詳細で、完全で、比較のできる資料を発表した。この資料はその後なんども経済学文献に部分的に引用されている。つぎに四〇年間の集計をあげよう。〔第9表を参照〕
(*) 『国際統計研究所報』、第一九巻、第二冊、ハーグ、一九一二年。〔第10表の〕右の欄の小国にかんする数字は、一九〇二年を基準にとり、それを二〇%だけふやした概数である〔48〕。
〔第9表〕 各10年間の証券発行額
(単位 10億フラン)
「「「「「「゙「「「
1871―1880年、 76.1
1881―1890年、 64.5
1891―1900年、 100.4
1901―1910年、 197.8
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一八七〇年代に全世界の証券発行総額が高かったのは、とくに、フランス=プロイセン戦争およびそれにつづいたドイツにおける会社創業時代と関連する起債のためである。全体としては、一九世紀の最後の三〇年間には増加の速度は比較的それほど急速ではなく、二〇世紀の最初の一〇年になってはじめていちじるしい増加をしめし、この一〇年にほぼ二倍になっている。したがって二〇世紀の初頭は、独占体(カルテル、シンジケート、トラスト)の成長という点で転換期である――このことについてはすでに述べた――だけでなく、金融資本の成長という点でも転換期である。
一九一〇年の世界における有価証券の総額を、ネイマルクはほぼ八一五〇億フランと算定している。そして重複計算を概算で控除して、彼はこの額を五七五〇億―六〇〇〇億フランとしている。これを国別にしめすとつぎのとおりである(総額を六〇〇〇億フランとして)。〔第10表を参照〕
〔第10表〕 1910年の有価証券総額 (単位 10億フラン)
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イギリス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・142イ 、 オランダ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12.5
アメリカ合衆国・・・・・・・・・・・・・132セ479 、 ベルギー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.5
フランス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・110、 、 スペイン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.5
ドイツ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・95コ 、 スイス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6.25
ロシア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31 、 デンマーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3.75
オーストリア=ハンガリー・・・・24 、 スウェーデン,ノルウェー,・・・・2.5
イタリア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14 、 ルーマニアその他
日本・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 、
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合計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 600
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この資料からただちに、それぞれおよそ一〇〇〇億から一五〇〇億フランの有価証券をもつ四つの最も富んだ資本主義国が、どれほどくっきりぬきんでているかがわかる。これらの四つの国のうち二つは、最も古い、そしてあとで見るように、最も植民地を多くもつ資本主義国、イギリスとフランスであり、他の二つは、発展の速さと生産における資本主義的独占体の普及の程度との点で先進的な資本主義国、アメリカ合衆国とドイツである。これらの四ヵ国であわせて四七九〇億フランを、すなわち全世界の金融資本のほとんど八〇%をもっている。残りの世界のほとんどすべては、なんらかの形でこれらの国々の――国際的銀行家の、世界金融資本のこれら四本の「柱」の――債務者および貢納者の役割を演じている。
金融資本の依存と結びつきとの国際的な網をつくりだすうえで資本の輸出が演じる役割については、とくに立ちいって論じなければならない。
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