つぎへすすむまえにもどる
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★  一 生産の集積〔22〕と独占体〔23〕

 工業の驚くべき成長と、ますます大規模な企業への生産の集中のいちじるしく急速な過程とは、資本主義の最も特徴的な特質の一つである。この過程については、近代の工業センサスがきわめて完全できわめて正確な資料をあたえてくれる。
 たとえばドイツでは、工業企業一、〇〇〇につき、大企業、すなわち五〇人以上の賃金労働者を雇っているものは、一八八二年には三つ、一八九五年には六つ、一九〇七年には九つであった。そしてこれらの大企業に所属する労働者の比重は、労働者一〇〇人につきそれぞれ二二人、三〇人、三七人であった。だが生産の集積は労働者の集積よりもずっとはげしい。なぜなら、大経営では労働はずっと生産的だからである。このことは、蒸気機関および電動機にかんする資料がしめしている。ドイツで広い意味で工業といわれるものをとれば、すなわち商業や交通その他をふくめていえば、つぎの情景が得られる。全体で三、二六五、六二三経営のうち大経営は三〇、五八、すなわちわずか〇・九%である。これらの大経営に属する労働者は、一四四〇万人のうち五七〇万人、すなわち三九・四%、蒸気機関は八八〇万馬力のうち六六〇万馬力、すなわち七五・三%、電力は一五〇万キロワットのうち一二〇万キロワット、すなわち七七・二%である。
 一〇〇分の一たらずの経営が、蒸気力と電力の総数の四分の三以上をもっている! そして企業総数の九一%を占める二九七万の小企業(賃金労働者五人未満の)には、蒸気力と電力の七%しか属さない! 数万の巨大企業がすべてであり、数百万の小企業は無にひとしい。
 一、〇〇〇人以上の労働者を雇う経営は、ドイツでは一九〇七年に五八六あった。これらの経営が、労働者総数のほとんど一〇分の一(一三八万人)と、蒸気力および電力の総量のほとんど三分の一(三二%)をもっている(*)。あとで見るように、貨幣資本と銀行とは、ひとにぎりの巨大企業のこの優越をいっそう圧倒的なものにする。しかもまったく文字どおり圧倒的にする。すなわち、数百万の中小「経営主」とさらには一部の大「経営主」さえ、実際には、数百の百万長者金融業者に完全に隷属しているのである。
 (*) 数字は、『ドイツ帝国年鑑』、一九一一年、ツァーン、からの摘要。

 現代資本主義のもつ一つの先進国である北アメリカ合衆国では、生産の集積の進展はもっとはげしい。ここでは、統計は狭義の工業を別に分け、経営を年生産物の価額別に分類している。一九〇四年には、一〇〇万ドル以上の生産額をもつ巨大企業は一、九〇〇 (二一六、一八〇のうち、すなわち〇・九%)で、それらで一四〇万人の労働者(五五〇万人のうち、すなわち二五・六%)と五六億ドルの生産額(一四八億ドルのうち、すなわち三八%)をもっていた。五年後の一九〇九年には、これに対応する数字はそれぞれつぎのとおりであった。企業数は三、〇六〇(二六八、四九一のうち――一・一 %)で、それらのもつ労働者数は二〇〇万人(六六〇万人のうち――三〇・五%)、生産額は九〇億ドル(二〇七億ドルのうち――四三・八%)であった(*)。
 (*) 『合衆国統計要覧 一九一二年』、二〇二ページ。

 国内の全企業の総生産額のほとんど半分が、企業総数の一〇〇分の一のものの手中にある! そしてこれら三、〇〇〇の巨大企業は二五八の産業部門にわたっている。ここからして、集積はその一定の発展段階で、おのずから、いわば独占のまぎわまで接近することが明らかである。なぜなら、数十の巨大企業にとっては相互のあいだで協定に達するのは容易であり、他方では、まさに企業が大規模であることが競争を困難にし、独占への傾向を生みだすからである。競争の独占へのこのような転化は最新の資本主義経済における最も重要な諸現象の一つ――最も重要なものではないとしても――であって、われわれはこれについてもっと詳しく論じる必要がある。だがはじめに、われわれは生じかねない一つの誤解をかたづけておかなければならない。
 アメリカの統計のしめすところによれば、二五〇の産業部門に三、〇〇〇の巨大企業がある。そうすると、あたかも各部門に最大級の規模の企業が一二ずつあることになる。
 しかし実際にはそうではない。あらゆる産業部門に大きな企業があるわけではない。また他方では、最高の発展段階に達した資本主義のきわめて重要な特質は、いわゆるコンビネーション、すなわち、さまざまな工業部門が一つの企業内で結合することである。これらの工業部門は、原料加工の連続した段階をなすこともあれば(たとえば、鉄鉱石から銑鉄を精錬し、銑鉄を鋼鉄に精製し、さらにおそらくは、鋼鉄からあれこれの完成品をつくる)、あるいは、ある部門が他の部門にたいして補助的な役割を演じるという関係にある場合もある(たとえば、廃物または副産物の加工、包装材料の生産、等々)。
 ヒルファディングはつぎのように書いている。「・・・・コンビネーションは景気の差異を平均化し、したがって結合企業にとって利潤率をより安定したものにする。第二に、コンビネーションは商業の排除をもたらす。第三に、それは技術的進歩を可能にし、そのため『純粋』企業(すなわち結合していない企業)にくらべて超過利潤を得させる。第四に、それは、原料価格の下落が製造品価格の下落よりもおくれる強度の不景気(事業の沈滞、恐慌)の時期の競争戦で、『純粋』企業にくらべて結合した事業の地位を強める(*)」。
 (*) 『金融資本論』、ロシア語訳、二八六―二八七ページ〔24〕。

 ドイツのブルジョア経済学者ハイマンは、ドイツの鉄工業における「混合」企業、すなわち結合した企業について記述した特別の著書を書いたが、そのなかでつぎのように言っている。「純粋企業は、高い原料価格と安い製品価格とのあいだで圧しつぶされて、破滅しつつある」。そこでつぎのような情景が得られる。
 「一方には、数百万トンの石炭採掘高をもち、石炭シンジケートにかたく組織された大きな石炭会社が残り、そしてこれらの会社には大きな製鋼所とそのシンジケートが緊密に結びついている。年に四〇万トン(一トンは六〇プード)の鋼鉄を生産し、膨大な量の鉱石や石炭を採掘し、鉄鋼製品を生産し、工場地区の労働者宿舎に一万人の労働者を住まわせ、ときには自分の鉄道や波止場さえもっているこれらの巨大企業、――これらはドイツの鉄工業の真の典型である。そして集積はますます進展する。個々の経営はますます大規模になり、同一の産業部門あるいは異なる産業部門のますます多くの経営が結びあって巨大企業になり、これらにとってはベルリンの六大銀行が支柱とも指導者ともなっている。ドイツの鉱山業については、集積にかんするカール・マルクスの学説の正しさが的確に証明されている。たしかに、産業が保護関税と運賃とによって保護されている国については、そうである。ドイツの鉱山業は、収奪されてよいまでに成熟している(*)」。
 (*) ハンス・ギデオン・ハイマン『ドイツの大鉄工業における混合企業』、シュトゥットガルト、一九〇四年(二五六、二七八―二七九ページ)。

 例外的に正直な一ブルジョア経済学者はこのような結論に到達せざるをえなかった。だが注意しておくべきことは、ドイツの工業が高率の保護関税で庇護されているため、彼はドイツをどうやら特別あつかいしていることである。この事情は、集積と、企業家の独占団体すなわちカルテルやシンジケート等々の形成とを、促進しえたにすぎない。きわめて重要なことは、自由貿易の国イギリスでも、集積は、すこしおくれて、そしておそらくは別の形態でではあっても、やはり独占にみちびきつつある、ということである。へルマン・レヴィ教授は『独占、カルテルおよびトラスト』にかんする特別の研究のなかで、大ブリテンの経済的発展の資料によってまさしくつぎのように書いている。
 「大ブリテンでは、まさに企業が大規模であることとその技術水準の高いことが、独占への傾向をひそませている。一方では、集積の結果、企業に巨額の資本を支出しなければならなくなりそのため新しい企業にとってはますます大きな資本額が必要とされるようになり、したがって新しい企業の出現が困難となる。他方では(そしてこの点のほうがわれわれはより重要だと考えるのだが)、集積によってつくりだされた巨大企業と同じ水準に立とうとおもう企業はどれも、膨大な量の生産物を余分に生産しなければならないので、それを有利に売ることは需要が異常に増大した場合にだけできるのであって、そうでない場合には、この余分の生産物のため、価格は、新しい工場にとっても独占団体にとってもひきあわない水準に下落するようになる」。イギリスでは、企業家の独占団体、すなわちカルテルやトラストが発生するのは――保護関税がカルテル形成を容易にしている他の諸国とは異なり――、多くの場合、競争する主要な企業の数が「二ダースほど」になるときだけである。「大工業における独占の発生にたいする集積の影響は、ここでは結晶体のような純粋さで現われている(*)」。
 (*) へルマン・レヴィ『独占、カルテルおよびトラスト』、イェナ、一九〇九年、二八六、二九〇、二九八ページ。

 いまから半世紀まえにマルクスが『資本論』を書いたころには、自由競争は圧倒的多数の経済学者にとっては「自然法則」とおもわれていた。マルクスは、資本主義の理論的および歴史的分析によって、自由競争は生産の集積を生みだし、そしてこの集積はその一定の発展段階で独占にみちびくことを証明したが、官学は、このマルクスの著述を黙殺という手段によって葬りさろうとした。だがいまや独占は事実となった。経済学者たちは山なす本を書いて、独占の個々の現われについて記述しながら、あいかわらず口をそろえて、「マルクス主義は論破された」と言いはっている。しかしイギリスの諺にもいうように、事実は曲げようのないものであって、いやでもおうでもそれを考慮に入れなければならない。事実のしめすところによれば、たとえば保護貿易か自由貿易かの点での個々の資本主義国のあいだの相違は、独占体の形態あるいはその出現の時期における本質的でない相違をひきおこすだけであって、生産の集積による独占の発生は、総じて資本主義発展の現段階の一般的で基本的な法則である。
 ヨーロッパについては、古い資本主義が新しい資本主義に最終的にとってかわられた時期を、かなり正確にさだめることができる。すなわち、それは二〇世紀の初めである。「独占体の形成」史についての最近の総括的な労作の一つに、つぎのように書いてある。
 「資本主義的独占体の個々の事例は、一八六〇年以前の時代からもあげることができる。そしてそれらの事例のなかに、いまではこれほども普通のものになっている形態の萌芽を見いだすことができる。しかしこれはすべて、カルテルにとってまったく前史時代である。現代の独占体の真の端緒は、最もはやく見ても一八六〇年代のことである。そして独占体の最初の大発展期は一八七〇年代の国際的不況からはじまり、一八九〇年代の初めにまでおよんでいる」。「ヨーロッパにかぎって考察するならば、自由競争の発展の頂点は六〇年代と七〇年代である。その当時イギリスは古い型の資本主義組織の建設を完了した。ドイツではこの組織は手工業および家内工業と決定的な闘争にはいり、それ自身の存在形態をつくりだしはじめていた」。
 「大きな変革は一八七三年の瓦落(がら)から、あるいはより正確にいえば、それにつづく不況からはじまった。この不況は、八〇年代の初めのほとんど目につかないほどの中断と、一八ハ九年ごろの異常に強力な、しかし短期の活況をともなっただけで、二二年にわたってヨーロッパ経済史を満たしている」。「一八八九―一八九〇年の短い活況期に、この景気を利用するのにカルテルが大いにもちいられた。無分別な政策のために、物価は、カルテルがなかった場合にあがったであろうよりも、もっと急速にもっと激しく高騰した。そしてこれらのカルテルはほとんどすべて不名誉な最期をとげて『瓦落の墓場』にはいってしまった。それからさらに五年間の事業不振と低物価がつづいたが、産業界で支配した空気はもはや以前と同じではなかった。人々は不況をなにか自明のものとは考えず、新しい好景気のまえの中休みにすぎないものと見た。
 こうしてカルテル運動は第二期にはいった。カルテルはもはや経過的な現象ではなくて、全経済生活の基礎の一つとなった。カルテルは産業部門をつぎつぎに、なによりも原料産業を征服する。すでに一八九〇年代の初めに、カルテルは、のちに石炭シンジケートが形成されるときの手本となったコークス・シンジケートの組織のうちに、今日でも本質的にはそれ以上すすんだものを見ないほどのカルテル化技術をつくりだした。一九世紀末の非常な活況と一九〇〇―一九〇三年の恐慌とは、少なくとも鉱山業と鉄工業では、はじめてまったくカルテルの標識のもとでおこった。そして当時はこのことはなおなにか新しいものとおもわれたとしても、経済生活の大部分が原則として自由競争から遠ざけられたということは、いまでは広範な社会意識にとって自明のこととなった(*)。」
 (*) フォーゲルシュタィン資本主義工業の金融組織と独占体の形成』――『社会経済学大綱』所収、第六編、テュービンゲン、一九一四年。なお同一著者の『イギリスとアメリカにおける鉄工業と繊維工業の組織形態』、第一巻、ライプツィヒ、一九一〇年、を参照。

 そこで、独占体の歴史を総括するとつぎのとおりである。(一) 一八六〇年代と一八七〇年代――自由競争の最高の、極限の発展段階。独占体はほとんど目につかないくらいの萌芽にすぎない。(二) 一八七三年の恐慌以後のカルテルの広範な発展の時期。しかしカルテルはまだ例外にすぎない。それはまだ堅固なものではない。それはまだ経過的な現象である。(三) 一九世紀末の活況と一九〇〇―一九〇三年の恐慌。カルテルは全経済生活の基礎の一つとなる。資本主義は帝国主義に転化した。
 カルテルは販売条件、支払期限、その他について協定する。それは販路を相互のあいだで分割する。それは生産する生産物の量を決定する。それは価格をきめる。それは個々の企業のあいだに利潤を分配する、等々。
 カルテルの数は、ドイツでは一八九六年にはほぼ二五〇、一九〇五年には三八五で、これには約一二、〇〇〇の経営が参加していた、と算定されている(*)。しかしこの数字が過少に見積られていることは、だれでもみとめるところである。さきにあげた一九〇七年のドイツ工業統計の資料からわかるように、一二、〇〇〇の巨大企業だけでも、確実に、蒸気力と電力の総量の半分以上を集中している。北アメリカ合衆国では、トラストの数は一九〇〇年に一八五、一九〇七年に二五〇と算定された。アメリカの統計は全工業企業を、個人に属するものと、商会に属するものと、会社に属するものとに区分している。最後の、会社に属するものは、一九〇四年には企業総数の二三・六%、一九〇九年には二五・九%、すなわち総数の四分の一以上であった。これらの経営で働く労働者の数は、一九〇四年には総数の七〇・六%、一九〇九年には七五・六%、すなわち総数の四分の三であった。また生産額は一〇九億ドルと一六三億ドル、すなわち総生産額の七三・七%と七九・〇%であった。
 (*) リーサー博士『ドイツの大銀行、ドイツの全体経済の発展との関連におけるその集積』、第四版、一九一二年、一四九ページ。――R・リーフマン『カルテルとトラストおよび国民経済組織の発展』、第二版、一九一〇年、二五ページ。

 カルテルやトラストの手に、ある産業部門の全生産高の七―八割が集中されていることも、まれではない。ライン=ヴェストファーレン石炭シンジケートは、一八九三年に創立されたときにはこの地方の石炭の全生産高の八六・七%を、そして一九一〇年にはもはや九五・四%を集積していた(*)。こうしてつくりだされた独占は巨額の所得を保障し、巨大な規模の技術=生産単位の形成にみちびく。合衆国の有名な石油トラストの(Standard Oil Company)は一九〇〇年に創立された。「その資本金は一億五〇〇〇万ドルであった。一億ドルの普通株と一億〇六〇〇万ドルの優先株が発行された。そして後者には、一九〇〇―一九〇七年のあいだに四八%、四八%、四五%、四四%、三六%、四〇%、四〇%、四〇%の配当が、全部で三億六七〇〇万ドルの配当が支払われた。一八八二年から一九〇七年までに得られた純益は八億八九〇〇万ドルで、そのうち六億〇六〇〇万ドルが配当として支払われ、残りは積立金に繰りいれられた(**)」。「鉄鋼トラス(United States Steel Corporation)の全企業には、一九〇七年に二一〇、一八〇人を下らない労働者と職員がいた。ドイツ鉱山業の最大の企業、ゲルゼンキルヘン鉱山会社(Gelsenkirchner Bergwerkgesellshaft)には、一九〇八年に四六、〇四八人の労働者と職員がいた(***)」。すでに一九〇二年に、右の鉄鋼トラストは九〇〇万トンの鉄鋼を生産していた(****)。その鉄鋼生産高は、一九〇一年には合衆国の鉄鋼総生産高の六六・三%、一九〇八年には五六・一%を占めており(+)、採鉱高では同じ年にそれぞれ四三・九%と四六・三%を占めていた。
 (*) フリッツ・ケストナー博士『組織強制。カルテルとアウトサイダーとの闘争の研究』、ベルリン、一九一二年、一一ページ。
 (**) R・リーフマン『参与会社と融資会社。現代資本主義と証券制度との一研究』、第一版、ィェナ、一九〇九年、二一二ページ。
 (***) 前掲書、二一八ページ。
 (****) S・チールシュキー博士『カルテルとトラスト』、ゲッティンゲン、一九〇三年、一三ページ。
 (+) Th・フォーゲルシュタィン『組織形態』、二七五ページ。

 アメリカ政府トラスト委員会の報告書はつぎのように言っている。「競争者にたいするトラストの優位は、その経営の大規模なことと技術装備の優秀なことにもとづいている。タバコ・トラストは、創立の当初から、手労働を広範囲に機械労働にとりかえるためにあらゆる努力をはらった。トラストはこの目的のために、タバコの製造になにかの関係のあるすべての特許を買いしめ、このために巨額の支出をした。多くの特許がはじめは役にたたないものであって、トラストに雇われている技師がそれに手をくわえなければならなかった。一九〇六年の末に、特許の買占めだけを目的とした二つの子会社がつくられた。また同じ目的のために、トラストは、自分の鋳物工場、機械工場、修理工場を設立した。ブルックリンにあるこの種の工場の一つは平均三〇〇人の労働者を雇っており、ここで巻タバコ、小型葉巻、嗅ぎタバコ、包装用錫箔、箱、その他の生産のための種々の発明の試験がおこなわれ、同じくここで発明が改善されている(*)」。「その他のトラストも、いわゆる developping engineers(技術発展のための技師)を雇っているが、彼らの任務は、新しい生産方法を発明し、技術の改善を試験することにある。鉄鋼トラストはその技師と労働者に、技術を高めるか生産費を引き下げるかしうる発明にたいして高額の賞金をあたえている(**)」。

 (*) タバコ工業にかんする諸会社委託委員会報告書、ワシントン、一九〇九年、二六六ページ。――パウル・ターフェル博士『北アメリカのトラストと、技術の進歩にたいするその影響』、シュトゥットガルト、一九一三年、四八ページから引用。
 (**) 前掲書、四九ページ参照。

 ドイツの大工場でも、たとえば最近数十年間に長足の発展をとげた化学工場でも、技術改善の仕事が同じように組織されている。生産の集積過程によって、すでに一九〇八年までに、この産業では二つの主要な「グループ」がつくりだされ、それらはそれぞれの仕方でやはり独占に近づいていった。はじめ、これらのグループは、それぞれ二〇〇〇万―ニ一〇〇万マルクの資本をもつ二組の巨大工場の「二社連合」であった。すなわち、一方は、以前のマイスター会社だったへヒストの一工場とフランクフルト・アム・マインのカッセラ会社で、他方は、ルードヴィヒスハーフェンのアニリン=ソーダ工場とエルバーフェルドの旧バイエル会社である。その後、一九〇五年には一方のグループが、一九〇八年にはもう一つのグループが、それぞれもう一つの大きな工場と協定をむすんだ。こうして、それぞれ四〇〇〇万―五〇〇〇万マルクの資本をもつ二つの「三社連合」ができあがり、そしてこれらの「連合」のあいだにすでに「接近」や、価格「協定」等々がはじまっている(*)。
 (*) リーサー、前掲書、第三版、五四七ページ以下。新聞は(一九一六年六月)、ドイツの化学工業を統合する新しい巨大なトラストについて報道している。

 競争は独占に転化する。その結果、生産の社会化がいちじるしく前進する。とくに、技術上の発明と改善の過程が社会化される。
 これはもはや、分散していて、おたがいのことはなにも知らずに、未知の市場で販売するために生産する経営主たちの昔の自由競争とは、まったく別のものである。集積は非常にすすんで、一国のすべての原料資源(たとえば、鉄鉱石の埋蔵量)だけでなく、あとで見るように、数ヵ国の、さらには全世界の原料資源の概算さえできるほどになった。そしてただにこのような計算がおこなわれるだけでなく、これらの資源が巨大な独占団体によって一手に掌握されてゆきつつある。市場の大きさの概算がおこなわれ、その市場をこれらの団体は協定によって相互のあいだで「分割」する。熟練労働力は独占され、優秀な技術者は雇いきられ、交通路と交通手段――アメリカの鉄道、ヨーロッパとアメリカの汽船会社――はおさえられる。資本主義はその帝国主義段階で、生産の最も全面的な社会化のまぎわまで接近する。それは資本家たちを、彼らの意志と意識とに反して、競争の完全な自由から完全な社会化への過渡の、ある新しい社会秩序に、いわば引きずりこむ。
 生産は社会的となるが、取得は依然として私的である。社会的生産手段は依然として少数の人々の私的所有である。形式的にみとめられる自由競争の一般的な枠は、依然として残っている。そして少数の独占者たちの残りの住民にたいする抑圧は、いままでの一〇〇倍も重く、きびしく、耐えがたいものとなる。
 ドイツの経済学者ケストナーは、「カルテルとアウトサイダー(すなわち、カルテルに加入していない企業家)とのあいだの闘争」について特別の著書を書いた。彼はこの著書に『組織強制』という標題をつけた。もっとも、資本主義を美化しようとするのでなければ、もちろん、独占者の団体への服従の強制というべきであっただろう。「組織」のための現代の、最新の、文明的な闘争で、独占者の団体がもちいている手段の一覧表をちょっと見てみるだけでも、教えられるところが多い。すなわち、(一) 原料の剥奪〔26〕(・・・・「カルテルへの加入を強制するための最も重要な方法の一つ」)、(二) 「盟約」による(すなわち、労働者はカルテル企業でのみ労働に従事するという、資本家と労働団体との協定による)労働力の剥奪、(三) 輸送の剥奪、(四) 販路の剥奪、(五) カルテルとだけ商取引をするという、購買者との協定、(六) 計画的な価格切下げ(「アウトサイダー」、すなわち、独占者に服従しない企業を破滅させるために。一定の期間原価以下で売るために、幾百万が支出される。ベンジン工業では、価格が四〇マルクから二二マルクに、すなわちほとんど半分に引き下げられた例があった!)、(七) 信用の剥奪、(八)ボイコット宣言。
 ここに見られるのはもはや、小企業と大企業との、技術的におくれた企業と技術的にすすんだ企業との競争戦ではない。ここに見られるのは、独占に、その抑圧に、その専横に服従しない者が、独占者によって絞め殺されるという事実である。この過程はブルジョア経済学者の意識にはつぎのように反映する。
 ケストナーは書いている。「純粋に経済的な活動の分野においてさえ、従来の意味の商業活動から組織者的=投機的活動への一定の推移がおこっている。最大の成功をおさめるのは、その技術上および商業上の経験にもとづいて顧客の欲望をだれよりもよく判定でき、潜在状態にある需要を発見して、それをいわば『明るみに出す』ことのできる商人ではなくて、組織的発展および個々の企業と銀行との一定の結びつきの可能性を予測できるか、少なくとも予感できる、投機の天才(?!)である」・・・・。
 普通の人間のことばに翻訳すると、これはつぎのような意味である。すなわち、商品生産は従来どおり「支配」しており、経済全体の基礎と考えられているとはいえ、実際にはそれはすでにそこなわれ、主要な利潤は金融的術策の「天才」の手に帰するような状態にまで、資本主義の発展がすすんだ、と。これらの術策と詐欺の基礎には生産の社会化がある。しかしこのような社会化にまでこぎつけた人類の巨大な進歩が・・・・投機者を利することとなっているのである。われわれはあとで、資本主義的帝国主義にたいする小市民的な反動的批判が、「このことを基礎にして」どのように「自由な」、「平和な」、「公正な」競争への復帰を夢みているかを見るであろう。
 ケストナーは言っている。「カルテルが形成された結果としての価格の持続的な高騰は、いままでは重要な生産手段について、とくに石炭、鉄、カリについてのみ見られたことであって、逆に完成品についてはけっして見られなかった。これと関連して、収益性の向上も同様に、生産手段を生産する工業にかぎられていた。この観察はさらにつぎのことで補足されなければならない。すなわち、原料(半製品ではなく)をつくる工業は、カルテルの形成のおかげで、半製品を再加工する工業を犠牲にして、高利潤という形で利益を引きだすだけでなく、この加工工業にたいして、自由競争のもとではなかった一定の支配関係に立つにいたったのである(*)」。
 (*) ケストナー、前掲書、二五四ページ。

 われわれが傍点をうったことばこそ、ブルジョア経済学者がいやいやながら、しかもまれに承認するだけの、そして、K・カウツキーを先頭とする現代の日和見主義擁護者たちがいとも熱心に言いのがれをし拒否しようとつとめている、事態の本質をしめしている。支配関係およびそれと関連する強制関係、――これこそ、「資本主義の発展における最新の局面」にとって典型的なことであり、これこそ、万能の経済的独占体の形成から不可避的に生じなければならなかったことであり、実際にも生じたことである。
 カルテルのふるまいの例をもう一つあげよう。原料資源のすべて、あるいはその主要な部分をその手ににぎることができるところでは、カルテルの発生と独占体の形成はとくに容易である。しかし、原料資源の掌握が不可能な他の産業部門では独占体は発生しないと考えたら、それは誤りである。セメント工業では原料はどこにもある。しかしこの工業も、ドイツでは強度にカルテル化されている。工場は地域別シンジケートに、すなわち南ドイツ・シンジケート、ライン=ヴェストファーレン・シンジケート、等々に統合された。価格は独占的な価格が設定されており、一車両あたりの原価は一八〇マルクなのに、価格は二三〇―二ハ〇マルクである! 企業は一二―一六%の配当をしている。しかも、現代の投機の「天才」たちは、配当として分配されるもののほかに多額の利得を自分のポケットに入れるすべを心得ているということを、忘れてはならない。これほども利益の多い産業から競争を除去するために、独占者たちは奸計すらもちいる。たとえば、この産業の状態は悪いという虚偽の噂が撒きちらされ、新聞紙上には、「資本家諸君! セメントエ業に資本を投ずるのを警戒せよ」という匿名の広告が掲載される。そして最後に、「アウトサイダー」(すなわち、シンジケートに加入していないもの)の施設を買収し、彼らに六八―一五万マルクの「弁償金」が支払われる(*)。独占体は、「控えめな」弁償金支払から、競争相手にたいするダイナマイトの「使用」というアメリカ式のものにいたるまでのあらゆる方法で、いたるところで自分の進路を切りひらくのである。
 (*) L・エシュヴェーゲ『セメント』――『バンク〔27〕』、一九〇九年、第一号、一一五ページ以下。

 カルテルによって恐慌を除去するということは、なにがなんでも資本主義を美化しようとするブルジョア経済学者たちのおとぎ話である。事態はまさに反対で、いくつかの産業部門で形成されている独占は、総体としての全資本主義的生産に固有の混沌状態を強め、激化させている。資本主義一般にとって特徴的な、農業と工業との発展の不均衡は、ますますひどくなる。最もカルテル化されているいわゆる重工業、とくに石炭と鉄のおかれている特権的地位は、その他の産業部門での「計画性のますますはなはだしい欠如」にみちびくのであって、このことは、「ドイツの大銀行の工業にたいする関係」についてのすぐれた労作の一つの著者であるヤイデルスがみとめているとおりである。
 (*) ヤイデルス『ドイツの大銀行の工業にたいする関係、とくに鉄工業について』、ライプツイヒ、一九〇五年、二七一ページ〔28〕。

 あつかましい資本主義擁護者リーフマンはつぎのように書いている。「国民経済が発展すればするほど、それは「より危険な企業か外国の企業に、その発展に長い期間が必要な企業に、あるいはまた地方的な意義しかもたない企業に、ますますむかうようになる(*)」。危険の増大は結局は資本の非常な増大と関連するのであって、資本は、いわば縁(ふち)からあふれるように外国その他に流れでてゆく。しかもそれと同時に、技術のとくに急速な発達は、国民経済の種々の側面のあいだの不均衡、混沌状態、恐慌の諸要素をますます多くもたらす。そこでこの同じリーフマンはつぎのことを承認するのをよぎなくされる。「おそらく、人類はそう遠くない将来に、ふたたび技術面での大変革に当面し、その大変革は国民経済組織にも影響をおよぼすであろう」・・・・。電気、航空・・・・。「こういう根本的な経済的変動の時代には、普通、激しい投機が発展するのが通例である」・・・・。
 (*) リーフマン『参与会社と融資会社』、四三四ページ。
 (**) 前掲書、四六五―四六六ページ。

 だが恐慌は――あらゆる種類の恐慌のこと、経済恐慌が最も多いが、たんに経済恐慌にかぎらない――、それはそれで、集積と独占への傾向を大いに強める。一九〇〇年の恐慌の意義についてのヤイデルスのきわめて教訓的な考察を、つぎに引用しよう。この恐慌は、われわれが知っているように、最近の独占体の歴史で転換点の役割を演じたものである。
 「一九〇〇年の恐慌のころには、主要産業部門には、巨大企業とならんで、今日の概念からすれば時代おくれの組織をもった『純粋』企業」(すなわち、結合していないもの)「がまだたくさんあったが、これらは好景気の波に乗って頭をもたげたものであった。しかし物価の低落と需要の減退のため、これらの『純粋』企業は苦境におちいった。このような苦境は、合同した巨大企業には全然かかわりがなかったか、ごく短期間問題になったにすぎない。その結果、一九〇〇年の恐慌は、一八七三年の恐慌とは比べものにならないほどいちじるしく産業の集中をもたらした。一八七三年の恐慌も優秀な企業のある程度の淘汰をおこないはしたが、この淘汰も、当時の技術水準のもとでは、恐慌から首尾よく脱出できた諸企業の独占をもたらすことはできなかった。だがまさしくそういう永続的な独占を、今日の製鉄業と電機産業の巨大企業は、それらの非常に複雑な技術と、大いにすすんだ組織と、その資本力とのおかげで、いちじるしくもっており、またそれほどではないが、機械製作業や、金属工業のある部門や、運輸業その他の企業も、もっている」。
 (*) ヤイデルス、一〇八ページ。

 独占――これこそ「資本主義の発展における最新の局面」の最後のことばである。しかし現代の独占体の実際の力と意義についてのわれわれの観念は、もし銀行の役割を考慮に入れなければ、きわめて不十分な、不完全な、過小なものであろう。


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