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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
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☆  事項訳注

〔1〕 マルクスは1883年3月14日ロンドンで死んだ。
〔2〕 これはエンゲルスの誤解であって、1900年に出た宣言のロシア語版序文はプレハノフが言うとおり、プレハノフが訳した。注の『ロシアの社会関係』のあとがきでは、「プレハノフの出版した共産党宣言」と書いてある。
〔3〕 その後、この原稿は見つかった。この『宣言』の1890年ドイツ語版の序文は、このあたらしく見つかった原稿そのままの訳文で、これをエンゲルスがロシア語から重訳した旧来のものと両方をくらべてみると、同じ人が書いたものではあるが、こまかい点では多少ちがっている。
〔4〕 国際労働者協会(第一インタナショナル)の第一回大会で、この大会ではまたマルクスの書いた創立宣言と規約もきまった。
〔5〕 第二インタナショナル創立の会議。
〔6〕 ローマ法王はローマ・カトリック教会の首領。封建時代、宗教・政治の最高権力をにぎって西ヨーロッパを支配してきたが、16世紀の宗教改革運動によって政治の権力をうしない、また信徒の多数をうしなった。しかしなお、ローマ・カトリック教徒をひきい、その後も国際反動勢力の有力な支柱となっている。『宣言』当時の法王はピウス九世。
〔7〕 ツァーリはロシア語で皇帝の意味。ロシアのツァーリは、1917年の二月革命で退位させられるまで300年以上も、宗教・政治の最高権力をにぎって国内に絶対専制支配をしき、国際的にもヨーロッパ反動勢力の先頭に立っていた。『宣言』当時のツァーリはニコライ一世。
〔8〕 フランスの急進派は、1840年代、フランスにあらわれた王政に反対する、主として当時のブルジョア共和派。共産主義、社会主義に反対したマラストがその指導者であった。
〔9〕 フランドル語はベルギーの北部でつかわれるドイツ語系のことば。
〔10〕 「階級とはなにか? これは、社会の一部分が他人の労働を自分のものにすることをゆるすものである〔搾取関係できまる〕。社会の一部分が土地全体を自分のものとしているばあいには、地主の階級と農民の階級がある。社会の一部分が工場をもち、株式や資本をもっていて、他の部分がこの工場ではたらいているばあい、資本家とプロレタリアの階級がある。」(レーニン『青年同盟の任務』、『偉大な創意』)
〔11〕 奴隷ははじめ氏族社会の共有だったのが、私有財産制が成立してのちは個人の私有になって、まったく「口をきく道具」として売買され、所有者が刑罰をくわえることはもちろん、ときにはころすことさえできた。古代ギリシアの都市で、自由民(公民権をもつ市民)が奴隷をもち、これに寄生遊食していた。
〔12〕 古代ローマでは、貴族は富裕な地主で、彼らは住民中の特権階級であり、完全な市民的および政治的諸権利をもっていた。平民は人民大衆のことで、彼らの権利は奴隷よりはましだったが、非常にかぎられていた。
〔13〕 封建時代の武士の首領が領主で、農奴は半奴隷のようなもので、かってに土地をはなれて他国にゆくこともできず、つくったものは大部分、領主にさしださなければならず、これにたいしては代金の支払いもなく、まったく強制にもとづくものであった。
〔14〕 ギルドまたはツンフトは、封建時代にあった商人や手工業親方の特権的な組合。職人はギルドの親方のもとで、年期奉公をして腕をみがき、やがて親方の肩書きを買うなりもらうなりして、はじめてギルドの組合員になった。経済が発達して競争がはげしくなるにつれ、だんだん職人は親方になれないようになった。
〔15〕 農村の騎士は下級貴族として地主をかねていたが、大商業と租税の取立てによって腹をこやしていた騎士は、一種の都市貴族で、金融業者や船主でもあった。騎士が戦士としてはなやかだったのは中世の初めだけで、右のようになってからは戦士としての役もはたせなくなったのは、エンゲルスのいうとおりである。
〔16〕 中世の都市は、城壁をめぐらしてあった。都市の公民はこのなかに住んでいた。農奴のうち、しだいに農業からはなれて手工業をやるものが、ついに土地からはなれて都市の周辺にあつまってきた。これがとくにゆるされて城外の一地区に住んでいた。特許市民または城外市民という名はここからきた。
〔17〕 大革命以前のフランスで、貴族、僧侶につぐ第三の身分。農民、ブルジョアジー、手工業者、小市民、労働者がふくまれる。他の二つの身分に支配され、租税を負担させられ、政治上の権利はほとんどあたえられていなかった。
〔18〕 身分君主制とは、マニュファクチュア時代の半封建的君主制のことで、支配機構のなかに三つの身分、僧侶、貴族、第三身分としてのブルジョアジーの代表がくわわっていた。
〔19〕 民族移動(Volkerwanderung,exoduses of nations,invasions)とは、4世紀から6世紀にかけて、ゲルマン民族その他がヨーロッパの西部のローマ帝国の版図にむかってうごいた大移動。
〔20〕 十字軍は、キリスト教の聖地エルサレムが回教徒に占領されたのをうばいかえすため、ローマ法王がヨーロッパの僧侶、諸侯、騎士、商人、農奴らによびかけておこなった大遠征。11世紀末から13世紀末まで前後7回、175年におよぶ。その原動力は東方に販路をもとめようとした商業の資本要求であった。エルサレムはとりかえせなかったが、この遠征によって地中海一帯の交通貿易がさかんになり、イタリアの商業都市が成長し、資本の発達をうながした。またこの戦争のためにヨーロッパの封建社会の矛盾を増大させた。
〔21〕 ここでいう「政治権力」の本節の最後の要求のまえのところに書いてある。
〔22〕 フランス革命は、封建制度をたおし、絶対専制政治の鎖をたち、資本主義発達への原動力として、1789年7月14日、パリ市民のバスティーユ牢獄破壊にはじまり、人権の宣言、封建特権の廃止をへて、ついに君主制の廃止、国王の処刑にすすみ、小市民階級の独裁で最高潮にたっした。人民の力で王、貴族、高僧の反抗、および外国反動政府の干渉にうちかった、輝かしい大革命である。
〔23〕 啓蒙思想とは、18世紀、フランスを中心として西ヨーロッパにおこった合理主義思想のこと。勃興したブルジョアの思想を代表し、キリスト教的偏見や封建的先入観を理性にもとづく批判によって徹底的にうちやぶり、フランス大革命の理論的背景を形づくった。ルソー、モンテスキュー、ヴォルテール、ディドロ、ダランベールなどが有名であるが、メリエ、モレリ、マブリのような共産主義的思想家もいた。
〔24〕 レーニンは『国家と革命』の多くの箇所でこう言っている。国家、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートとは、プロレタリア独裁のことである。マルクスのいう「民主主義をたたかいとる」とは、プロレタリア・デモクラシー、すなわちプロレタリア独裁である。1848年の革命の経験にもとづいてマルクスは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』のなかで、プロレタリア独裁の考えを発展させている。ここでマルクスは、プロレタリアートは、たんにできあいの国家機関を利用するのではなくそれをうちこわさなければならない、と言っている。パリ・コンミューンの経験にもとづいてマルクスは、ブルジョアジーをたおしたのち、プロレタリア独裁のあいだの国家機関の形(コンミューン型の国家)のことも書いている。すべてこれらのことの深い意味については、『国家と革命』の第2章と第3章で、くわしく論じてある。〔25〕 当時の社会主義のいろいろな学説、すなわちプロレタリアートにはむかう階級の利益を代表した社会主義(大地主の利益を代表する封建的社会主義、資本家の利益を代表するブルジョア社会主義)や貧困化して没落しかけた小ブルジョアや農民の利益を代表した小ブルジョア社会主義などを批判したこの章は、いまでもあてはまる。帝国主義の時代のいろいろな党派のことについては、コミンテルンの綱領の第6章、第1節、「労働者階級のあいだにおける反共産主義的イデオロギー」にくわしく書いてある。
〔26〕 1830年7月におこったフランスの七月革命は、ブルボン王朝のシャルル十世をいただく大地主=貴族の権力をたおして、金融ブルジョアジーが政権をとった革命。特権階級の利益を代表するシャルル十世の王政に反対して、パリの労働者は小市民とともに立ちあがり、3日間の市街戦を勝ちぬいて王政をたおした。しかし、勝利の結果は労働者階級のものとならず、銀行家、大商人、大工場主など、一部のブルジョアジーが政権をにぎって、旧王家の別系であるオルレアン王朝のルイ・フィリップを王にむかえ、いわゆる七月君主制となった。
〔27〕 選挙法改正運動は、18世紀後半からの産業革命によって経済の実権をにぎったイギリスのブルジョア階級が、19世紀初め、政治の権力をもにぎるため、プロレタリアートの力をかりて、選挙区の改正、選挙権の拡大を要求した運動。この運動の結果、1832年に選挙法が改正され、ブルジョア階級は権力をにぎることができた。ただし、労働者階級には選挙権があたえられなかった。
〔28〕 正統王朝派(Legitimist)とは、ルイ十四世の弟フィリップがオルレアン家をついだのにたいし、ブルボン王朝のことをいう。旧貴族、大地主、高僧など大革命以前の旧特権階級からなる。モンタランベールがその指導者であった。
〔29〕 青年イングランド派は、イギリスで1842年ごろ、保守党議員のなかにつくられた一分派。資本主義の弊害をみとめ、これをとりのぞこうとしたが、目標が封建的な「メリー・イングランド」(牧歌的な農民国イギリス)であったため、民衆の支持を得られなかった。ディズレイリやトマル・カーライルもその仲間であった。
〔30〕 マルクスとエンゲルスは、このクラインビュルゲライ(Kleinburgerei)ということばを、封建貴族の支配や絶対君主制を支持した都市の小ブルジョアのなかの反動的な分子をさしてつかった。この連中の理想は中世時代のギルド制度である。ドイツの都市にはこういう考えをもった連中が多かった。
〔31〕 エルサレムはパレスティナの首都。古代ユダヤ王国の都。キリストの墓があり、キリスト教の聖地。ドイツの狂信的宗教家ゲオルグ・ラップ(1770―1847)は古代エルサレムにあった原始キリスト教会の制度の再建をめざす「新エルサレム教団」をつくり、アメリカにわたって共産主義的な植民地をつくった。
〔32〕 イギリスの空想的社会主義の先駆者トマス・モーア(1478―1535)の著書に出てくる空想上の理想郷。空想的社会主義(ユートピア社会主義)の名はこれからおこる。
〔33〕 チャーティストは、イギリス労働者階級が1837年から10数年にわたっておこなった一大政治運動の参加者。権力を獲得するために、普通選挙、議会の毎年改選等を要求する人民憲章(ピープルズ・チャーター)の請願署名運動からはじまり、全国チャーティスト同盟をつくり、ゼネラル・ストライキをもくわだてた。48年の大弾圧以後下火となった。
〔34〕 「レフォルム」派は、1840年代フランスにおこた社会民主主義の一派。小市民的急進派から社会主義者をもふくむ共和主義者の左翼が、37年『レフォルム』という機関紙を中心にあつまったもの。社会改革と労働者の救済をめざして政治運動をおこし、48年の二月革命には、臨時政府にルドリュ−ロラーン、フェルディナン・コロン、ルイ・ブランをおくったが、六月蜂起をさかいとして解体した。第4章のフランスの「社会民主党」と同じものである。
〔35〕 ジェイムズ・ファジーの指導するスイスの小ブルジョア民主(共和)党のこと。
〔36〕 1846年1月のクラカウ反乱は、ポーランドにたいする、ロシア、オーストリア、プロシアの圧迫に反対して、1832年に創立されたポーランドの小さい貴族の組織であるポーランド民主協会がおこした。このときは、民主主義や共和主義の要求のほかに、農奴制から農民を解放することを要求した。
〔37〕 この第十五問の答えはエンゲルスがはじめに書いて消しているが、もとの文を下にかかげる。
 「そうだ。なぜなら、第一に、プロレタリアート自身は、かならずしもつねに存在したのではなく、歴史のうちで共同体所有から、封建的所有から、あるいは同業組合的所有から、出てきたからである。近代の私的所有は工業のうみだしたものである。それはマニュファクチュアと大工業のはじめだけに特有の、そして可能な所有形態である。したがって、私的所有がまったく存在しないか、法則の例外としてのみ存在するあいだは、それが廃止されるはずがない。
 第二に、私的所有の廃止は、他のあらゆる社会秩序の変更と同じように、旧来の社会秩序でまにあわぬほど成長した生産力によって必然となったときに、はじめて可能である。工業で、中世の封建的所有および同業組合的所有に適合しなくなった新しい生産力がうみだされたとき、この新生産力が私的所有をうみだした。大工業で生じた生産力は、私的所有がそれに適合しないこと、生産力は私的所有ではまにあわないこと、はじめて新生産力のこの発展によって私的所有の廃止が可能になることを、日に日にますますしめしている。
 第三に、私的所有の廃止の前提は、一方には、多数の貧乏な生活をしているプロレタリアート、すなわち私的所有に抑圧されている階級が、他方には、少数者の手に集積された大量の資本と、たやすく増大されうる生産力が存在することである。プロレタリアートは、この生産力を自己のものとして、自己を解放するために、さらに発展させさえすればよい。私的所有の廃止のつぎにくる財産共有の前提は、社会の全成員に十分なほど生産され、こうして、すでに生産力のより高い発展段階を、非常に多くの資本の堆積があるときにだけ可能である。財産共有の前提はまた、被抑圧階級は、私的所有自体に抑圧され、封建的所有や同業組合的所有の時代のように、私的所有の再建<その解放を見つけ>とその結果にでなく、その廃止にだけ彼らの解放を見つけることである。しかし両方ともに、すでに証明したように、大工業によってはじめて生じ、したがって今日はじめてできるのである。」
〔38〕 革命的バビロンとは、18世紀末のフランス・ブルジョア革命以来革命の中心地とみなされたフランスの首府パリのこと。
〔39〕 『新オーデル新聞』は、1849年にブレスラウで出された日刊紙。
〔40〕 ここで自治体(Gemeinde)というのは、広い意味で都市自治体と農村の自治体をふくんでいる。


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