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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/DVProject/DVProjectJ.html
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☆  人名注

オーウェン、ロバート(1771―1858) イギリスの偉大な空想社会主義者。労働者の苦しみを教育の普及と生活条件の改善とで解決できると信じ、スコットランドの自分の工場で実験して成功。さらにイギリスやアメリカに社会主義の理想郷をたてようとしたが失敗。労働者階級自身の闘争や組織の能力を信じなかったが、社会の矛盾を経済関係から具体的に解決しようとする進歩した考えをしめし、工場法、協同組合、労働組合のさきがけをなした。

カベー、エティエンヌ(1788―1856) フランスの空想社会主義者。七月革命に参加。イギリスのオーウェン主義を見て刺激をうけ、共産主義的な理想郷をえがいた小説『イカリア旅行記』を書いた。暴力をしりぞけ平和的に共産主義を実現せよと説く。のちアメリカにわたり共産主義的な植民地をつくって失敗した。

ギゾー、フランソワ(1787―1874) フランスの反動的な政治家、歴史家、王党派。1832年以来外相あるいは首相として内外の革命運動鎮圧にあたった。48年の二月革命は「ギゾーをたおせ」というスローガンでおこされた。この革命でロンドンに亡命。

グリューン、カール(1817―87) 1844年以来、人道主義的・社会主義的著述家として活躍した。いわゆる真正社会主義者のひとり。48年革命後のプロシア国民会議には左翼議員であったが、のちブルジョア民主党にうつった。

ザスリッチ、ヴェラ・イ(1821―1919) 女学生の当時から人民主義の革命運動に参加し、1880年に亡命してプレハノフらとともに「労働解放団」の創立に参加。マルクスのいくつかの主要著作のロシア語訳者、1900年には『イスクラ』編集者の一員、1903年の分裂ののちはメンシェヴィキ、反動期には解党派、社会排外主義となり十月革命の敵となった。

サン―シモン、アンリ(1760―1825) フランスの偉大な空想社会主義者。フランス大革命を階級闘争、貴族、ブルジョアジー、無産者の対立である、と理解、また経済が政治の基礎である、と見たことは、のちの科学的社会主義のさきがけとなった。ただし社会問題の解決を一種の宗教(新キリスト教)にもとめた。

シスモンディ、ジャン・シャルル(1773―1842) ジュネーヴうまれの経済学者。労働者階級の立場からではないが、イギリスの資本主義の弊害を見て、過剰生産、恐慌など資本主義の矛盾を指摘し、古典学派を批判した。

ダーウィン、チャールズ(1809―82) イギリスの生物学者。6年の海外旅行ののち、ひろくあつめた材料を基礎として『種の起源』(1859年)を書き、進化論を証明した。生物が永久不変でなく変化発展してきたこと、その原因が生存競争による自然淘汰であること、をあきらかにし、自然を不断の変化発展と見る唯物弁証法にたいせつな基礎をあたえた。

ダンデ、アリギエーリ(1265―1321) イタリア中世の大詩人。イタリアの統一のため政治活動にも参加したことがあった。

ハウスタウゼン、アウグスト(1792―1866) プロシアうまれの法制史家。王の命令でプロシア各地の土地制度を研究、またロシア皇帝の求めにより農業制度および農民の事情を研究し、そこにのこる古い土地共有制のなごりを発見した。『ロシアにかんする研究』という有名な著書がある。

バクーニン、ミハイル(1814―76) ロシアの無政府主義革命家。第一インタナショナルにくわわったが、プロレタリアの組織的な革命行動よりもむしろ社会から脱落した下層の貧困者の暴動を中心に考え、いっさいの国家(労働者階級が権力をにぎったものまで)を否定する立場は、マルクスと衝突した。彼の一派はインタナショナルのなかで分裂行動をおこし、ことにパリ・コンミューンの敗北後に策動がひどかったので除名された。

バブーフ・フランソワ・ノエル(1760―97) フランス大革命にあたってプロレタリアートのためにたたかった有名な革命家。つねに民衆とともに生活し、革命中、民主主義は私有財産の撤廃によってはじめて完成されるという共産主義思想に到達し、文筆によってこれを宣伝。1794年の反革命後、秘密結社「平等会」をつくって暴動を計画したが、発覚してとらえられ、97年に処刑された。

ビスマルク、オット(1815―98) 1862年からプロシア首相、71―90年までドイツ帝国首相、78年以来、労働運動と社会民主党にむけられた反動立法を実施した。

ブラン、ルイ(1811―82) フランスの政治家、歴史家。著書『労働の組織』により社会主義者として労働者からも信頼され、二月革命では2名の労働者代表のひとりとして臨時政府にはいり、労働問題をうけもち、国営作業場をつくった。しかし小市民的な立場から階級闘争に反対し、労働者の反政府運動をさまたげた。労働者階級の蜂起ののちブルジョア政府に迫害され亡命。帰国後パリ・コンミューンに反対した。

フーリエ、シャルル(1772―1837) フランスの偉大な空想社会主義者のひとり。商人であった体験からブルジョア社会の悪弊を手ひどく批判した。独特の発展段階に立つ歴史観から理想社会のくることを予想し、それの社会組織を構想したが、その費用を出してくれる篤志家のあらわれるのをむなしく待ちつづけた。

プルードン、ピエール・ジョゼフ(1809―65) フランスの社会主義者。「財産とは盗みである」と説き、搾取のない小所有者の社会を理想とし、協同組合や無利子の交換銀行により交換面から社会を改良できるものと考えて、労働者階級のストライキや政治闘争に反対した。彼の著書『貧困の哲学』はマルクスの『哲学の貧困』で徹底的に批判された。第一インタナショナルにおいて、プルードン主義の主張がはじめは相当つよかったが、結局マルクス主義に克服された(マルクス=エンゲルス選集第1巻263ページ参照)。

ボナパルト、ルイ(1808―73) ナポレオン三世、フランス皇帝(在位1852―70年)。

マウラー、ゲオルグ(1790―1872) ドイツの法制史家。ドイツの古い社会制度であるマルクを研究して、階級発生以前の土地共有制をあきらかにした。

マクファーレン、ヘレン 『宣言』の英訳者。

ムーア、サミュエル(1830―95以後) マンチェスターの裁判官。1863年以後、マルクス、ことにエンゲルスと親交があった。

メッテルニヒ、クレメンス(1773―1859) オーストリアの有名な反動政治家。フランス革命後、ヨーロッパ旧秩序の回復をはかり、国内および国外の革命運動鎮圧に全力をかたむけた。その道具につかわれたのが1815年に成立した神聖同盟(ロシア、オーストリア、プロシアの同盟、18年にはフランスも加盟)である。48年のウィーン暴動で追われた。

モル、ヨゼフ ケルンの時計工で、ケルンの労働者協会の主要なメンバーのひとり。1849年の憲法戦役に参加して戦死した。

モルガン、レウィス・ヘンリー(1818―81) アメリカの社会学者。インディアンのなかに40年も生活して、その社会制度、ことに結婚制度および財産制度を研究し、階級発生以前の社会構造をあきらかにした。その著書『古代社会』(1877年)にしめされた具体的な研究の成果は、エンゲルスの『家族、私有財産および国家の起源』のなかで理論化され、唯物史観の確立に役だった。

ラッサール、フェルディナンド(1825―64) ドイツ労働運動の偉大な指導者のひとり。「賃金鉄則」というまちがった理論を支持し、全ドイツ労働同盟を創立、のちこれは社会民主党と合同した。

ルドリュ―ロラーン、アレクサンドル(1807―74) フランスの政治家。急進的な小市民的共和主義者で、社会主義者ルイ・ブランとむすんで日刊新聞『レフォルム』を出す。二月革命で臨時政府にはいったが、労働者階級の六月暴動を見ごろしにした。翌年ブルジョア政府に反抗をこころみて失敗。イギリスに亡命した。

ワイトリング、ウィルヘルム(1808―71) ドイツ労働者階級のうんだ共産主義的な革命運動家。労働者を解放するものが労働者階級自身であることを、他の社会主義者にさきんじて知っていた。ただし、そのプロレタリアートを大工業が組織し訓練するものであることはまだ理解せず、手工業をおもく見ていた。エンゲルスの『共産主義者同盟の歴史』のなかにもワイトリングのことが書いてある。


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