10月に昔の常駐者たちと会います。酒を飲んで神場問題を議論する気はありませんが、そろそろ今 思い返してみてもいいかなと考えるようになりました。インターネット上で第四インターの女性差別問題の資料
議論を多く見かけるようになりました。
発端となった合宿所 での神場(第四インター共産青年同盟から合宿所に派遣されていた某のペンネームです)のいわゆる神場問題(労農合宿所の無党派の女性利用者に強姦未遂をした事件)に他党派(当時
共労党プロ青同、現在は離党している)の合宿所常駐者としてかかわった立場から、現在の私の思いのようなものを書きます。未整理で断片的ですが、いくらかでも伝わればと考えます。この雑文は男である私が、男たちにむけて書いたものです。
私も含め、当時の新左翼の一部では、女性差別への認識は非常に弱いものがありました。96年4月に開催された第四インターJRCLの第17回大会のために女性差別克服小委員会が提案した議案書の「組織内女性差別問題についての同盟の経過と問題点について」の一部に
強姦とは「夜遅く家路を急ぐ若い女性が物陰から飛び出した暴漢に襲われる」というようなものとして考えられていたという一節がありますが、私の認識もそのようなものでした。
当時、一方には極左的な反差別第一主義ともいえる潮流があり、これは女性の女性差別への怒りの直接的表現でしかなかったと思っています。
共産主義的価値観をある集団の中で 先行的につくりだそうという志向と、それがどこまで可能か 現実と理想を混同する未熟さが私たちのなかにありました(現在の私は共産主義者として自己規定していませんが)
重層的な差別構造と社会的病理のなかに存在する集団は、当然 その影響を受けます。革命党派といえど例外ではなく、志向している方向性と現実の到達水準の混同という反省の上にたって、現実的対応をすべきだったのでしょう。具体的には今の会社のセクハラ対策などの水準を
諸集団が取り入れる程度のものでよかったでしょう。もちろんこれは後知恵であり、私が偉そうに指摘できることではありません。
まあ当時も、神場問題発生直後から、それまで男女混合だった宿泊場所が、男女別に分けられたりという程度のことは労農合宿所でも行われ、プロ青同現闘小屋でも行われました。
合宿所で強姦未遂事件をおこした神場の性癖は、私のあやふやな記憶によると合宿所に来る前からその片鱗がうかがえたものです(もちろん神場を追及する過程でわかったことですが)共産青年同盟に加入する以前からかもしれません。共産青年同盟での活動の2年や3年で、治療的対応なく男の女性差別
レイプという病気ないしは病的傾向を治せるはずがないと今はいえます。しかも当時のインターには、「大衆運動路線を選択したわれわれは、青年のアナーキーな性道徳に寛容であった」(女性差別克服小委員会が提案した議案書の「組織内女性差別問題についての同盟の経過と問題点について」より)という状況がありました。
余談ですが当時のインターは、向こう見ずで勢いがあり、ちょっと自由主義的なところも私には好感が持てました。
私たち、合宿所関係についていえば 心理学や 病理学に対する無知から 主観的能動性 革命的闘争に対する献身性の強要ですべて解決させようとしたのではなかったかと感じています。神場にとっては、私たちの対応は実際にはストレスのより強化としてしか感じられなかったでしょう。私は神場を擁護するつもりはありません。今から思えば、例えばアメリカ合衆国で性犯罪者に現在、試みられているようなカウンセリング的手法が望ましかったと言っているに過ぎないのです。薬物療法や東洋医学的な療法も効果的でしょう。
もっとも、主観的能動性 革命的闘争に対する献身性の強要ももっと徹底させれば つまり洗脳的やり方をすれば 心理療法としては成功したかもしれないが
そのためには当時のインターがカルト化しないと無理だったでしょう(インターがカルトだといっているつもりはありません)神場には治療的対応が必要だったが
、実際に行われたのは不徹底な糾弾でした(この場合の糾弾は、被害者の女性とその救援グループが行ったものを示すのではありません。私は被害者の女性とその救援グループが行った糾弾には同席していません。私たちがインター女性グループなどと共に行ったものです。言葉の正しい意味では追及かもしれません)
被害女性と彼女を救援していた女性グループについては、比較的早期に合宿所とは連絡が切れましたし、私は言及することはできません。私の記憶が正しければ、後で東京の強姦救援センターを創る流れの女性たちだったと思います。当時
神場問題を、直接的に 合宿所の問題と捉えたのは誤りだったと思います。 合宿所が関係ないというつもりはありません。神場個人の病理の治療と合宿所に存在する女性差別的傾向を改善していくことは相対的に分けて考えるべきだったと考えているだけです。
インター内部の問題はここでは論じません。他党派だった私にはわかりません。 ただインター女性グループの中に 大衆的に合宿所の問題を拡大し
インター内部の女性差別問題の活性化に利用しようとした意志が存在したのは事実であり、その圧力に、少なくとも私は抗しきれなかったとはいえます。
インターの女性差別克服小委員会が提案した議案書の「組織内女性差別問題についての同盟の経過と問題点について」を見ても、当初
インターの指導部が隠蔽的に働いた様子がうかがえます。インター女性グループの合宿所での動きは、無理からぬことだったのでしょう。
合宿所は党派相互、無党派と党派の統一戦線の場であったし、統一戦線の場でしかありませんでした。当時は数人の無党派活動家、共労党プロ青同から2名、戦旗.共産同から1名
、インターから3名が常駐していました。神場はインターの3名のうちでは、最も若手で、指導的立場にはありませんでした。
その程度の団結水準で、神場個人の病理の克服と治療を集団的に拡大しすぎた。誤った普遍主義があったといえると思います。そのために三里塚連帯の大衆運動に困難をもたらしました(三里塚連帯の大衆運動自身を、聖域として褒め上げるつもりはありませんが)
三里塚連帯の大衆運動にかかわるものはすべて神場問題にかかわるべきだというような迫り方を、一時期、合宿所の常駐者の多くが、合宿所利用者にしていたような気がします。
例えば合宿所の常駐者の一部ないしは全部で、インターと共同して委員会をつくり適時、三里塚情報(合宿所の情報誌)などで報告していくという形態が、望ましかったのではないかとも考えています。まあ当初
問題を討議しあったインターの現地指導部が、しばらくたったら自分たちの強姦、強姦未遂で失脚し私たちの前からいなくなるという状況では、そうきれいにはいかなかったでしょうが。
実際に行われたのは、合宿所利用者全体を巻き込んだ神場への糾弾会であったと記憶しています。
私自身も、神場問題への取り組みの過程で一時期、極左的な反差別第一主義、反女性差別第一主義へと立場を移行させました。その結果、現地を離れ、共労党も離党しました。
共労党離党自身を間違いとは思いませんが、反差別第一主義の選択とその立場からの離党は誤りであったと考えています。
妻 は無党派の立場から当時、神場問題にかかわりました。
彼女は現在、CRや再評価カウンセリング(コウカウンセリング)に興味を持っています。
フェミニストカウンセリングに関連してCRの紹介が、あるHP上にあったので、以下に転載します。
「フェミニストカウンセリングは、CR(Consciousness Raising)グループ=意識覚醒グループから誕生したといわれています。1960年代後半から70年代に盛り上がったアメリカの第2波フェミニズム運動は、草の根のレベルでのCRグループに支えられていました。女たちが毎週一回集まって、自分たちの仕事、恋愛、結婚、子育て、セックス、老い、母娘関係などをめぐって話し合っていました。
そして、女たちは、自分の悩みを語り合いながら他人の悩みを聴きながら、それぞれに「自分だけの問題、困難だ」と思い込んでいたものが、女たちみんなに共通する問題であることに気づいたのです。たとえば、「女らしくしなさい」と育てられてきたことが、いかに窮屈で自分の生き方を狭めるものであったかと共感し合い、これは、「私個人の問題ではなく社会の問題すなわち政治の問題だ」(Personal
ispolitical)と意識覚醒したのです。
日本では、70年代のウーマン・リブによってではなく、フェミニストカウンセリングの発展とともに、CRグループがひろまりつつあります。」以上
彼女の意見は、神場たち強姦、強姦未遂をおこした男は男なりに、カウンセリング治療をうけるべきであったし、他の強姦、強姦未遂をおこしていない男たちも別の観点からカウンセリング治療(集団的なものも含めて)を受けるべきだったというものです。
強姦という犯罪をおこさせたストレス状況をなくするために(ストレスだけから強姦がおこったわけではありませんが)、例えば指導部を適時
交代させていくとか、いろいろとしんどいことを男たち相互で話し合うとか、いろいろやることはあったんじゃないかという意見です。
他の強姦、強姦未遂をおこしていない男たちも、指導部の一部の強姦、強姦未遂という事実の前に、PTSD(心的外傷後症候群)といえる状態にあったのではないか。そのケアを全然考えていなかったという意見もありました。
私も「指導部を適時 交代させていくとか」という点は、当時の軍事的戦争的状況を考えるとちょっと無理かなとも思いつつ、妻に同感です。私は軍事を好むほうですが、軍事は人をおかしくするものを本質的に含んでいると考えています。軍事の抑圧性に自覚的でなければなりません。人間の精神は脆弱なものです。
神場問題を「主体的に女性差別に取り組み」といったトーンで政治的にぎりぎりと煮詰めていったところで空しい気がしています。男が自分の弱音を簡単に出せるような抑圧的でない場を、組織の中にどれだけ作っていくのかといったこと。心理的医療的観点をもっと入れていった方が、糸口が見えてくるような気がしています。
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