●E=MC2(二乗)
ぼくはなんだか、とんでもないところに首を突っ込んでしまったみたいだ。
「じゃあミラ大統領と側近たちは自分たちのお金儲けのために戦争をしようとしているの?」
「そうだ。これから戦争が始まれば兵器がたくさん売れる。だからもっとたくさん生産するために工場の規模を拡大しようとしていたんだ。だからアルデバラン社が工場を外国に移転させようとしていたのはちょうど都合がよかったわけだね。そして、われわれを利用して『ペルセウス秘密同盟のしわざ』に見せかけて100人の工員もろとも会社を消滅させてしまったんだよ。」
「あの。さっき、100人は死んでないって言ってましたね。あれはどういうことですか? 消えちゃったってことは、死んじゃったということじゃないのですか?」
「それは私が答えましょう」と、別のひとりが声をあげた。
「私はある大学で物理学を学んでいます。君はE=MC2(二乗)という公式を知っているかい?」「いえ、知りません。それは何の公式ですか?」「エネルギーと質量の関係をあらわしたものだよ。君たちの世界の物理学研究者もみんな、この公式を知っているはずだ。物質は簡単には消滅しない。もしそれを消滅させようとすれば、膨大なエネルギーに変化するんだよ。だから、物質が何もない空間の中に消滅してしまうなんてことはあり得ないんだ。もしも彼らが本当に消滅したのなら、その質量は全てエネルギーに変化するはずだ。そのエネルギーはすさまじいものになる。たぶんケンタウロス市全部を吹き飛ばすくらいのエネルギーだろう。だから、この世界で消滅したように見えるとすれば、それは別の空間へ移動した、と考えるのが正しい。だから、いちばん有り得る可能性としては、100人の工員は建物とともに君たちの世界のどこかへ移動したのだという事だ。ちょうど君がわれわれの世界へ来たようにね。だからおそらく死んではいない。だけど帰ってこれるかどうかはわからない。」
「でも、ぼくが帰れるとしたら、彼らも帰れるんじゃないですか?」
「うん。そうだね。それは理屈として正しいと思う。けど、この世界に帰ってくる方法をかれらが見つけだせるかどうか。私にはわからない。」
ぼくは話をきいてすこし安心した。でも、この世界に戻ってこれないかもしれないというのは、家族にとっては辛いことだろうな。
●ピエロ・リュネールとは?
しかし、それにしても、教授がぼくをここへ連れてきたのはなぜなんだろう。ぼくは何も特別な能力も秘密ももっていない普通の人間にすぎない。それなのに秘密の会議につれてきたのはなぜなんだろう。何の目的があるんだろう。
「リュネールさん。あなたのおっしゃることはだいたい分かりました。説明されたことは筋がとおっていると思います。きっと大部分の兵器工場が大統領と側近たちのものだということも本当だろうし、消えた100人の身元もじきに判明するでしょう。そうすれば、その人たちが会社に反抗的な人たちだったかどうかもすぐわかるでしょう。だけどわからないのは、なぜ警察に狙われている秘密組織の会議にぼくのような何も知らない者を呼びよせたのですか? あなたたちのためになにか手伝ってくれといわれても、ぼくにはなにも手伝えないと思います。それに、あなたたちの考え方はわかったし理解できるところもあるけど、ぼくはやっぱり工場を爆弾で破壊するなんていけない事だと思います。たとえひとりも犠牲者を出さないとしても。それでは多くの人たちの賛成を得られないんじゃないでしょうか。選挙だとか、ほかのもっと正しい手段で世の中を変える方法があると僕は思います。」
するとリュネールは優しくこたえた。「きみは『あちらの世界』からのお客様だ。通りすがりの旅行客にすぎない。その君が、この世界のことに関わる必要はまったくない。いや、関わってはいけない。私はね、きみに、ただこの世界を観察していってほしいんだよ。そのために、テレビや新聞で大統領が言っていることばかりじゃなく、その裏に隠されたほんとうの世界も見てほしいと思って、君にここへきてもらったんだ。その結果として私たちの考えや行動をどう思うか、それは君の自由だ。だけど、この世界で見たり聞いたりしたことを、いつか君が自分で考えたり行動していくために役立ててほしいと思うんだ。私が君にねがっているのはそれだけだよ。」
「リュネールさん。もうひとつ聞きたいことがあります。偶然かもしれませんが、ぼくが持っているチケットの発行人は『ピエロ・リュネール』という名前になっているんです。その人は、もしかしてリュネールさんの親戚かご兄弟ですか?」
「私がピエロ・リュネールだよ。」
「え?」
「そう。君をあちらの世界から呼び寄せたのは私なのだよ。」…そのとき入り口の横で聞き耳をたてていたひとりが言った。
「警察が来たぞ!」
●7番目のとびら
僕たちは音をたてないようにと注意された。部屋はうす暗かったのであまり目立たなかったが、部屋の反対側のリュネールの席の後ろにもうひとつとびらがあった。一同の動きはすばやかった。とびらを開けると無言のままつぎつぎととびらの向こうへ消えていった。ぼくは教授といっしょにそのとびらの向こうへ出た。そこは左右にひろがる廊下になっていた。ところどころにある小さな明かりが廊下をぼんやり照らしていた。廊下の壁は一面にふしぎな幾何学模様と奇怪な絵で埋めつくされていた。一同は右の方向へむかった。ときどき右や左に曲がり角があり、いくつも分かれ道があった。道の間にはギリシャの神殿のような円柱があって道を分けていた。それはまるで迷路のようだったが、みんな迷うことなく道をえらんでどんどん進んでいった。いくつも角を曲がりながらついて行くと、やがて丸い広間についた。ここの壁には模様のほかに、からだが人間であたまがウシになっている怪物の絵が描いてあり、その下に文字が書いてあった。「ミノタウロス。」
広間のかべには一定の間隔をおいて7つのとびらがあった。ペルセウス秘密同盟の人たちは、1番目から6番目のとびらを開けてそれぞれ別々に入っていった。教授は押し殺した声で「君は7番目のとびらを開けたまえ。我々とはここでお別れだ。」と言った。「え? ぼくはひとりであのとびらの向こうに行くんですか?」「そうだ。だいじょうぶだよ、心配しなくても。新しい世界が君を待っている。」
「教授!」「なんだね。もう時間がないんだよ。」「教授はもしかして自動車工場が爆破されるのを知ってたんじゃないんですか?」「そうだよ。知っていた。だけど、きのうだとは知らなかった。」「そうか、それで教授が困った顔をしていたわけがわかった。ぼくの友だちを心配してくれてたんですね。」「我々が敵のわなにはめられたと気づいた時に調べてわかったんだよ。会社に潜入している仲間から、間もなく工場が爆破されるだろうという情報が伝えられたんだ。では、私は6番目のとびらを開ける。さ、いいかい?」
「教授!もうひとつだけ。ぼくはリュネールさんのチケットでこの世界に来ました。だから消えた100人もリュネールさんのチケットでこちらの世界にもどってこれるんじゃないですか?」「そのとおりだ。工員たちが消えたのは会社の陰謀によるものだけれど、工場に忍び込んだわれわれにも責任はある。だからわれわれはかならず100枚のチケットを用意して君たちの世界へ工員たちを探しにいくつもりだよ。
探し出すのに時間はかかるだろうけど、きっと探し出して全員連れ戻してくる。」
廊下の向こうの遠くでかすかに音がしていた。音はこだまして混ざり合いながら少しずつ大きく聞こえてきた。それはどうやら足音と人の声とイヌの鳴き声のようだった。
「やつらが来る。軍事警察だ。捕まったら最後、拷問と処刑が待っている。さあ、もう時間がない。行きなさい。」
こうしてぼくたちはちりぢりに分かれた。ぼくは7番目のとびらをあけて中にとびこんだ。中は真っ暗だったが、どうやらまっすぐな廊下になっているようだった。手探りでかべを伝いながら、ぼくは歩いていった。
道はひたすらまっすぐ前にむかっている。どのくらい歩いただろうか。ぼくは距離を推定するために途中から思いついて歩数を数えていた。だんだん目が慣れてきて、かすかに道が見えてきた。それは前方がぼんやりと明るいからだった。やがてはるか前方に、かすかな光が見え始めた。何百歩も歩いて近づくととびらが廊下をふさいでいた。とびらの板のすき間から明かりが漏れていたのだ。ちょうど1000歩数えて
とびらの前で止まった。一歩が50〜60センチ位とすれば、約500〜600メートル。かぞえ始める前にも200〜300歩位は歩いているだろう。そうすると600〜700メートルくらい歩いたんだろうか。ぼくはそのとびらを開けた。
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