●プロローグ
人知れぬ密林の奥、険しい山の中腹に、一年中雨が降る森があった。平原(へいげん)に住む民びとはその森を「あめの森」と呼び、敬(うやま)いおそれて近づかなかった。
雨の森に降りそそぐあめは森林の木々をうるおし、こずえの虫たちを養(やしな)い、動物を守り育てた。また雨は地面にしみこみ、地下の深い地層に広がった。それはふもとの平原に涌(わ)きいだし、川の流れとなって草木をうるおし、魚獣を養い、平原の民びとのくらしをはぐぐんだ。あめの森からもたらされた恵みによって人々の生活はいとなまれた。そうして雨の森は伝説となって人々のこころに残った。
やがて何千年の時が過ぎ、海の向こうの「獅子(しし)の国」から人びとがやってきた。獅子の国のひとびとはそこに住み着き、平原を農地に変えていった。また彼らは町を建設し、この土地に新しい文明をもたらした。そしてひとびとはこの土地を平原の民びとの伝説にならって「あめの国」と名付けた。
●ふしぎな旅行会社
今日はなんだかへんてこな日だった。ぼくは学校からの帰り道、いつものようにパン屋の横の細(ほそ)い路地にはいった。それは空き地に通じていて、そこをとおると家までの近道なのだ。空き地には古ぼけたレンガ造りの小屋が建っていて、以前はパン屋の倉庫に使われていたそうだが、いまは空き家になっている。
ところが、今日はその小屋に明かりが灯(とも)っていたのだ。そして入り口には大きな看板がかかげてあった。看板には「りゅねーる旅行社」と書いてあった。
「へー。こんな裏通りに旅行会社なんてめずらしいな…」そう思って小屋の前を通り過ぎようとしたら、中から声をかけられた。「ちょっと、ぼうや。こちらへおいでなさいな。」
なんだよ、ぼうやなんて呼ぶなよ、と思いながら、「ぼくですか?」と条件反射的に返事をしてしまった。「そう、あなたよ。ちょっとこちらへ来て。」めんどくさいなあと思う反面、新しくオープンしたヘンな店に興味もわいたので、店の中へはいっていった。
正面のカウンターの向こうで小柄(こがら)な老婆(ろうば)がいすにかけていた。
「ようこそ、りゅねーる旅行社へ。あなた、旅行に興味ない? とってもすばらしい旅行のクーポン券があるのよ。」その婆さん、どこか人間ばなれした顔をしていた。服装もなんだか変わっていた。「ほかの旅行社じゃ絶対行けない特別なトラベルサービスよ。ぼうや。あなた、外国に行ったことある?」
「いえ、ありません。パスポートだって、まだ持ってないし…」「パスポートなんか無くてもだいじょうぶよ。あなた、今日が何の日か知ってる?」
「え? 今日は祝日でもないし…?」「おーほっほっほ!街角のあちこちにカボチャがかざってあるのを見たでしょ?」「ああ、アメリカから来たおまつりだね。友達の中にもヘンな格好して近所にお菓子もらいに行くヤツいるよ。」
「そうよ。でも、あの祭りはねえ、本当はアメリカが建国されるよりももっともっとずーっと古い時代、『向こうの世界』からやって来た人たちを歓迎して始めたお祭りなのよ。」
「へー。『向こうの世界』? それって、ぼくに、『向こうの世界』への旅行を誘っているわけ? まさかね。」「ほっほっほ!クーポン券をあげるわ。当店のお客様第一号のあなたには、開店特別サービスとしてタダにしとくわ。元気でいってらっしゃい。」「え? でも冬休みはまだ先だし、渡航手続きとか、やり方わからないし、だいたい、どこ行きの切符なの?」「それは日帰り旅行よ。出発は今日限り。一年に一度しか通用しないの。そのチケットさえあれば何も心配ないわよ。じゃ楽しい旅をね。」
●ルーン文字とケルト文字
家に帰ってから、ぼくはさっきもらったチケットを取り出して詳しく見てみた。これ、本物なのかな? なんだか得体の知れない変な文字がびっしり書いてある。英語じゃないし、アルファベットでもない。象形文字みたいだ。それから大きな渦巻き模様に小さな線がいっぱい書いてあるのは何だろう? すこしだけ日本語が書いてあるな。「りゅねーる旅行社。発行人:ピエロ・リュネール。旅行区域:あめの国、ひつじの国、獅子の国、砂の国、その他どこにでも行けます。ただし北ムクゲの国だけは行けません。」
ぼくは考え込んでしまった。どこだか知らないけど「外国旅行」らしい。しかも日帰りの。…ありえない! そんなのあり得ないよ! 一番近い外国にだって、飛行機で2時間くらいはかかるはずだろ? それに、いまからどんなに急いでも空港まで2時間や3時間はかかる。そのうえ搭乗手続きとかなんとか、いろいろあって、日帰りで行って帰ってくるなんてできっこない。だいたい、今何時だと思ってるんだよ。 ぼくは時計を見た。あと30分くらいで7時になる。日帰りならあと5時間しかない。たった5時間じゃ、となり町に買い物にいくのが精一杯じゃないか! それにパスポートも無いのに外国に行けるわけないよ。あの婆さんにからかわれたのかな?
お父さんが帰っていたので、聞いてみることにした。「お父さん。『ぴえろ・りゅねーる』って人知ってる?」「そりゃ人の名前じゃないよ。音楽の題名だ。『月に憑かれたピエロ』。ほう! すすむ。お前もそういうものに興味を持つようになったのか。」「いや、そういうわけじゃないんだけどね」ぼくはチケットをお父さんに見せて、わけを話した。お父さんはしばらく眺めてから考え込んで、そして、こう言った「うーん。変わった文字が使われているなあ。それ、たぶんルーン文字というやつだぞ。古代ゲルマン人の文字だ。ケルト文字らしいものも書かれている。うん。これはおもしろいな。お父さんには読めないが、アルファベットに翻訳できるはずだ。あした図書館で調べてみろ。なにか分かるかもしれんよ。しかし、いたずらにしても、ずいぶん手の込んだいたずらだなあ。」
ぼくは自分の部屋に引き返して、寝ころがったままチケットを眺めまわしていた。もうすぐ夕食の時間だ。おかあさんは時間に正確で、いつも7時きっかりになると大声で食事のしたくができたことを知らせるんだ。ぼくはチケットを眺めているうちに、下の方につぎのように書かれているのを発見した。「このチケットをひたいに当てたまま、ウシトラの方角に向かって、行きたい国や場所の名前を念じてください。」
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