四トロ同窓会二次会 2001年10月11日〜13日
まじめな議論・主張・あそび・ぐち・何でも!自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」に掲載される場合もあります。
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取り急ぎ 投稿者:doratty@実家 投稿日:10月13日(土)23時41分35秒
亀レスになります。ご了承ください。
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「日韓連帯」とか古かったなあ、と実感 投稿者:菊 投稿日:10月13日(土)20時16分22秒
ここ数日来、「日韓連帯」みたいなことを思い出したように書いてきたのですが、今朝友人の大学教師から転送メールが来ました。それは友人宛に教え子のソウルの韓国人学生から送られてきたものです。内容もさることながら、このメールのやり取りそのものの在り方に多少大げさに言えば、「希望」を見出します。
韓国の学生が日本人の書いた文章を「胸にぐさりとくる」と引用し、その文章を日本に送ってくる。それで初めて私たちはその内容を知る(すにで読まれた方がいるかもしれませんが)という関係に、です。
------------【引用開始】
なんと、韓国の学生から送ってきました。情報の流れも変わってきましたね。
…以下、転送内容…
前略、
秋も深まる中いかにお過ごしでしょうか? ソウルはもう完全に秋も半ばと、いうより冬の兆しが感じられております。下記にちとばかり我が身にグサリと刺すような内容があったのでそちらへ転送させていただきます。また、お便りいたします。 草々、
【ある学級通信】
書いたのは屋久島の中学教師だということですが,それも定かではありません。でも,とてもいい文章だったので,紹介させて下さい。
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もし 今日がついてない一日だと感じたあなたもこれを読んだら現実が違って見えるかも・・・ もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には・・・ 57人のアジア人 21人のヨーロッパ人 14人の南北アメリカ人 8人のアフリカ人がいます 52人が女性です48人が男性です 70人が有色人種で30人が白人 70人がキリスト教以外の人で30人がキリスト教89人が異性愛者で11人が同性愛者 6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍80人は標準以下の居住環境に住み 70人は文字が読めません 50人は栄養失調に苦しみ 1人が瀕死の状態にあり 1人はいま、生まれようとしています 1人は(そうたった1人)は大学の教育を受けそしてたった1人だけがコンピューターを所有しています
もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。
また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・あなたは今いきのこることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。
もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度もたいけんしたことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。
もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人のひとたちより恵まれています。
もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。
もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。
もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。
もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて,その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。
昔の人がこう言いました。 わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。
もう戦争が始まってしまいました。振り上げたこぶしは振り落とさなければ気が済まないのでしょう。**さん、授業で使って学生たちに考えてもらおうと思います。
では、きょうもお元気で。
------------【引用終わり】
転送した別の友人は、「14人のアメリカ人」のところで、南米と北米のアメリカ人を分ければ最高だ。といって来ましたが、それはともかく。
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まっぺんさん 投稿者:大和 士魂/鐵扇會 投稿日:10月13日(土)17時12分49秒
おひさしぶりでございます。
我々の部落解放運動にしてもそうですが、
この「差別認識」の線引きが非常に難しいです。
ある被差別者が「そんなつもりはない。被害妄想だ」というと、
それが、どの程度までの差別であるのか、計測することが困難で、
抱える問題を是正する風潮を包括的に作り上げることが大切なんだな。
と思っております。
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国労本部,またも機動隊導入! 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日:10月13日(土)12時48分50秒
やりやがりました。取り急ぎ,情報です。
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無責任に言わせてもらいますが。。。 投稿者:菊 投稿日:10月13日(土)10時18分31秒
入谷さん
玲恩はいいな。無責任にいいますが。でもあまりに難しい名前はよくな
い。義兄は「臣雄」。これ何と読むと思います? 答えは「しげお」。誰
も読めない。私は漢字辞書に登録しているけれど。お父さんは国語教師。
揃いも揃ってみんな難しい。
私の場合、可能性があるとすれば「孫」なので、「悩み」には無縁です。
まっぺんさん、
>今ふりかえって見ると、「自己否定的反差別闘争」とは正反対の危険な位置に四トロ派の意識
>はあったと思わざるをえません。つまり「差別」に対して真剣に向きあう事ができていなかっ
>たのではないか? ということです。
全く同感。自分の感性や政治意識も含めて、そう思います。「危険な位置」−ピッタリの言葉です。逆に言えば、「自己否定的反差別闘争」のレベルを超えうる可能性を持っていたということだとおもっています。しかし残念ながら、「対極に振れた」だけだった。マルクス主義やトロツキズムの原点にあるはずの「人間性=ヒューマニティ」に対する意識をきちんと組織で共有できていれば、時代的な制約はあっても「対極に振れる」だけではなかったと思います。また組織に参加してきたメンバー個々人はいろいろな差別経験等を持っていた人もいたはずで、そうした意識を引き出して皆で共有するという作業ができなかった(考えもしなかった)ということがあると思います。
ただ付言すれば、何人かの方がここで述べているように、中、日向派等「自己否定と血債」を掲げたグループは、自分たち以外にそれを強制する(そのことによって、イニシアティブを握る)ことをしていたし、組織の中でも指導部は下部にそれを強制するという構造になっていたと思います。
それは在日にも言えます。運動の現場でも「自己否定」を日本人に迫って、自己のヘゲモニーをうち立てようとする動きをした人を何人も知っています。在日以外では関わり合った経験がないので、知りませんが。オカシイと思って反論しても、日本人が何をいうか!となる。日本人の党派であれば、「何いってんの」ですが。そこで正面切って反論しても、孤立してしまいます。そういう経験が組織活動を離れてからの市民運動でもありました。これはキツイ。おまけに情けない。
徐勝氏。臨夏さん、お会いしたことがあるのですか?韓国で軍事裁判にかけられた時の写真。衝撃的でした。ひどい火傷で。徐勝君らの釈放を要求する青年会議というのがありましたね、まっぺんさん。出獄した後に書いた岩波新書「獄中18年」は、獄中での生活が生き生きと描かれて感動的でした。宮本顕治や志賀義雄と同じだったんだと思いました。宮顕や志賀は歴史上の偉大な革命家の一人でしたが、同じ時期生きている人にもそれ以上の人がいる。ネルソン・マンデラはそれ以上、20年ですね。でも徐勝氏の方が圧倒的に身近に感じられる。
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あかるい話は、微妙な話でもあったりして 投稿者:鈍風 投稿日:10月13日(土)02時58分42秒
入谷さん、はじめまして&おめでとうございます。
画数クソくらえ、の名づけの研究家にお世話になった(わが豚児)ことがあります。
彼の説では「画数を気にしたって、かまわないですよ。根拠は全くありません。
各派で言い分が違うし、すべての解釈で吉となる名前をさがすのは無理でしょう」
とのことです。もし、画数を考えたいなら「本屋にいって、自分の名前を調べて、
吉と判断している名づけ本を買えばいいんです」。
>ザーカイさん
もともとなのが、ますます物忘れがはげしくなってまして、○○○式○○○は、ここに
書いた以上、無理にでも押しつけてさしあげますよ(笑)。でも、これでは「球根栽培」
の手引きをやりとりするみたいで、イヤな感じですね。
子どもの名前とか、財布の中身とかは、ヒジョーに微妙な個所がありますが、でも
そんなもんだ、オレは名前について一家言ありだ、と思えば勝ちの世界でもあるって
ことも、しみじみわかっているつもりです。
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誤字訂正2 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日:10月13日(土)00時47分37秒
×現在意識 → ○原罪意識
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誤字訂正 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日:10月13日(土)00時45分53秒
×現在的政治党派 → ○ 原罪的政治党派
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昔々... 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日:10月13日(土)00時44分47秒
ご案内のとおり,フィリピンバナナ,といえば「抑圧された第3世界労働者の象徴」的存在でした(エビ,もそうだったな)。
PARCのビデオや本を読んだり見たりして,この「業界」に足を踏み入れた人も少なくないと思います。
その,当のフィリピンバナナ労働者は何と言ったのか?
「おめぇら,帝国主義本国人たる自己を解体して,闘え」などと言ったことがあったのか?
日本の「現在的政治党派」(自称ノンセクト含む)がそれを期待して,あるいは彼らを「道具」として,自己の党派への全存在的従属を強制する手段としてのみ「それ」を使ったのではなかったか?。
彼らが言ったのは(実話),「オレたちのことが可哀想とか,オレタチのために,などと思わないでくれ」「おまえらが,自分で出来ることをやってくれ。自分のアタマで考えてやってくれ。」「それが最大の“連帯”なんじゃないのか」
で,帝国主義本国人を解体してるヒマに,その帝国主義そのもので涙を流す隣に居る労働者(いやさ,職場だのサークルの仲間)とともに少しでもできることをやろうと,思うようになったというわけ。
現在意識?クソクラエだよ。そんなもの。
自分のケツが拭けないヤツが,帝国主義を解体できるかっての。
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れふ 投稿者:臨夏 投稿日:10月12日(金)23時58分54秒
入谷さん>
玲恩とはまたとっぴな感じですが、トロツキーみたいでええんではないですか?(笑)
わたしの友人は、女の子に、「れふ」とつけてました。
また別の知り合いのかたの息子さんは「まるくす」です。
差別や異民族//
ソ=スンとは電車の中で話ししたことがあります。やけどしてはりました。
わたしは個人的に、朝鮮、アイヌ、琉球なんかに好感があるんですが、
さるアイヌ人のサイト(エサマン氏)では、わたしも差別してるということを思い知らされました。
彼のことは好きで、いまでも尊敬してるんですが、いやがられてたし、そこの掲示板からは逃げ出しました(笑)
もし、このこと知ってはる方いてはっても、そこでのわたしのハンドルは、出さんといてくださいね(^^;
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わーい!オメデトー(^^)/ 投稿者:ザーカイ@小市民モード 投稿日:10月12日(金)23時55分42秒
>入谷さん
おチビチャンの誕生する前にこの戦争を終わらせたいね(^^)
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姓名判断って 投稿者:入谷 投稿日:10月12日(金)23時07分54秒
与太話ですみませんです。(先に謝っておく)
もうすぐ子供が生まれる予定なので名前に頭を悩ませています。
ある姓名判断のページで出力されたオススメの名前が
「玲恩」(レオン)
暴走族みたいですね。最近の名前って。
それにしても、は〜っ、悩む。
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70年代反差別闘争の総括として 投稿者:まっぺん 投稿日:10月12日(金)13時57分36秒
70年7・7集会(日付からいって廬溝橋糾弾集会か?)は「反差別」の問題を左翼戦線に強くアピールするものでした。
私は故横井さんの許で「朝鮮研」運動=入管闘争を主軸に、徐勝君や金大中氏の救出運動などをたたかってきました。また、障害者差別問題や部落差別問題など、それぞれの運動に関わる仲間も多くいました。
中核派の「血債思想」は、中核派の活動家全体の「感性」に大きな影響を及ぼすものとなっていったんじゃないかと思います。あらゆる戦線において彼らが闘いに向かう姿勢は「被差別人民や被抑圧人民の立場を思うと今こうして“差別者・抑圧者”側に立っている自分が許せない」という姿勢です。この意識は差別・抑圧の実態をはじめて知った時だれでも経験するだろうと思いますが、運動の中で、このような「自己否定」的意識を維持し続けるのはどうでしょうか? 「抑圧者・差別者」である自分が、それから解放されるのは「闘争」によってのみである。それは原理としては正しい。しかし、このキリスト教的「原罪」みたいな意識は労働者階級があらゆるマイノリティの闘争と結びついていく時に、連帯のきずなを結ぶ上ではかえって障害になるんではないだろうか? という事です。“一労働者として解放されたい”という意識ではなく“自分の罪をつぐなわなければならない”という意識は自分を抑えつけるものです。また組織がそうした意識を奨励する時、組織の官僚主義に対する自浄作用も働きにくい。
doratty さんやJUN さんも指摘している、中核派のこの「自己否定」意識は「革命戦略」にまで高められていると言えるんじゃないでしょうか? それは「中核派理論は絶対に正しい」という意識と合体して「自分たちがやらなければ世界は救われない」「中核派が革命を早く起こさなければ、それだけ世界の人々の可哀想な状態が続く」という意識に昇華しているような気がします。中核派以外の闘う組織・運動に対する「お説教たれる」ような言動はそこからきているんじゃないでしょうか?…つまり「我々が非力なばっかりに君たちをこんな状態に放置しておいてすまない!」という意識。これは自分たち以外「革命組織・革命運動」を一切認めない意識です。
では四トロはどうだったのか? 今ふりかえって見ると、「自己否定的反差別闘争」とは正反対の危険な位置に四トロ派の意識はあったと思わざるをえません。つまり「差別」に対して真剣に向きあう事ができていなかったのではないか? ということです。
部落差別糾弾闘争が「ことば狩り」の様相を帯びてきた時、そうしたものに対してもっとも敏感だったのは中核派だったんじゃなかっただろうか?
それに対してインターは鈍感でした。とくに「差別語」に対する取り組みはあいまいであり、「言葉狩り」にたいする批判的意識は、逆に組織内部での「差別語」に対する無防備をまねいていました。「あいつはキチガイだ」なんて言葉を内部では使っていました。非常に不十分な「反差別意識」を持ったまま反差別闘争に関わっていたんじゃないだろうか? と今おもいます。この意識は組織内部での女性差別問題を起こした原因の一部でもあっただろうし、その問題を組織として克服できなかった原因でもあったんじゃないだろうか……と今は思います。
※被差別者が差別する例なんていくらでもありますよ。「被差別者は差別意識をもっていない」などという事はありません。むかし「労働者は差別意識を持っているはずがない」と言って批判された人がいたと思いますが、この社会そのものが差別・抑圧に満ちており、それに不断に影響を受けているわけですから、だれでも「差別意識」を持っている。ただ「意識的にそれを克服しよう」という努力の中にのみ、差別意識を克服するための契機が生まれると言えるんじゃないでしょうか?
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書名勘違いでした(^^;;) 投稿者:まっぺん 投稿日:10月12日(金)12時46分43秒
『革命的暴力とは何か』じゃなくて『革命的マルクス主義とは何か』でした。
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具体例を書くわけにはいきませんが 投稿者:TAMO2 投稿日:10月12日(金)12時41分35秒
部落民が朝鮮人を差別した例、つうのは在日朝鮮人に聞いたことがあります。
ていうか、仮定の話も出来ない活動家って、救いようがない。実際に問題が起きたら、
オドオドするんだろうね。「中核派らしいや!」
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junさん、いかん、いかん、読み間違いです。 投稿者:菊 投稿日:10月12日(金)12時11分21秒
書き込みを読み直しました。まっぺんさんではなくて、junさんが書かれ
ていたのですね。勘違いしていました。大変失礼しました。
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あいまいな顕教でしかない 投稿者:JUN 投稿日:10月12日(金)12時05分42秒
>菊さん
私もこう書いたんですが、
>インターの■○批判は、外在批判のように見えますが、組織や行動を検証して批判するというやり方ではあるんですよね。
>というか、■○批判とは、そういうところでしかやれないって思います。
黒田理論に内在的に批判しようすると「からめ取られる」のは、その通りだと思います。
本に書かれたことは、いわば顕教の部分であって、密教の部分は党派性を共有化しないと分からないように出来ている、というふうに思います。
実は、元■○の人とも話したことがあるんですが、その時の会話から得た感覚的なもので、そう思ったんですが。
インターの『革命的暴力と内部ゲバルト』のように、実際の言動から見て批判していった方が有効だとは思います。
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国家保安法違反で「死刑」判決を受けた友人 投稿者:菊 投稿日:10月12日(金)11時11分47秒
がいます。正確に言うと、1980年金大中と一緒に韓国の軍事政権で反共法・国家保安法違反ででっち上げられ、死刑判決・恩赦で、国外追放同然に日本に留学して、そこで私と友だちになったわけです。
80年代後半の話ですが、それまで韓国人には知り合いはおらず、しかも60年4/19革命からの闘士だと聞いていたので、「日本人としての植民地支配の責任」にこちこちになっていたら、「日本人としての責任を意識しているのはわかる。でも問題はその上で関係をどう作っていくか」といわれて、ふっと身が軽くなった思いがしました。以来、韓国に帰った後も色々な形でつき合いがありますが、その人と知り合ったおかげで「日韓の関係」を実体的に考えることができるようになったと思っています。
韓国の作家ファンソギョンが韓国を追われて日本の秘密裏に滞在していた折り、作家の野間宏が訪ねてきて、「あなたたちには誠に申し訳ないことをした」といきなり深く頭を下げられたと(膝を床について謝っただったかもしれない)いうことを述べています。ファンソギョンは野間宏とはわからずにとっさのことで、ぼーっと立ちつくしていたとのこと。その経験があって、ファンソギョンはベトナムを訪問し、ベトナムの作家と交流する際に「誠に申し訳ないことをした」と謝罪したそうです(つまりベトナム戦争の時に韓国軍の行動を謝罪した)
7/7華青闘発言というのは、当時の日本の新左翼にとってものすごく大きなインパクトを持っていました。その後、90年代に入って「日本の戦争責任・植民地支配の責任・戦後補償」問題が大きく現実的に取り上げられ、あるいは国境を越えた他民族との交流が大きく進む中で、70年代のような観念的な「自己否定」は実態として、ファンソギョンが自ら行動で示しているように大きく乗り越えられてきているように思います。
dorattyさんに対する「中派活動家の発言」ですが、残念ながらそういう事実はたくさんあっただろうと思います。在日団体と言った時にどこまでを指すのかわかりませんが。上に書いた友人も私などでさえ、ええーと思うくらい女性差別な面がありました。ファンソギョンのベトナムに対する発言ではありませんが、実際には差別も重層的だと思います。そのあたりの構造は理解したうえで、どうしていくのかということではないでしょうか。
junさん、●■でしが、彼らはともかく「初期マルクス一辺倒」でした。問題はその解釈の仕方で、かれらの論理は独特で(というか、理解を超える)、しかも言葉遣いが汚い。ですから、その論理の内部で批判しようとすると「絡め取られて」しまう。
ただ50年代後半の初期の黒寛は違ったかもしれません。最近亡くなった哲学者の芝田進午氏は初期の黒寛や三浦つとむを引用しながら、論文を書いているようです。
その意味では、まっぺんさんの意見を私は支持します。
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連帯とは? 投稿者:JUN 投稿日:10月12日(金)00時13分12秒
>dorattyさん
下にある私のカキコは、dorattyさんへのレスでもあったんですが、忘れてしまいました。
私が経験した例だと、
インターと話し始めた92年頃、カンボジアPKOの件で、インターはポルポト派批判をやっていました。で、私の当時の交際相手は、元日向派→ノンセクト→召還という人だったんですが、彼女にインターの記事を読ませたら、
「日帝本国人が、カンボジアの政治のことを言うべきではない。ただ自衛隊の派兵に反対してりゃあいいんだ」と強い口調で返されたことがあります。
私はそれを聞いて、逆に「連帯の視点」を感じなかったんですが。
国際的には、ポルポト派の軍事力を中心とする「民主カンボジア三派連合」が承認され、日本もその政権を支持していた。プノンペン政権は、ソ連やヴェトナムなどが承認していたが、少ない援助の中でひしひしと復興活動を10年以上もやっていた。
その時、カンボジア民衆の生活再建のためには、どうすればいいのか。
私はポルポト派の解体とプノンペン政権の国際的な承認と援助だと思ったのですが。
あまり答えにはなっていませんが…。
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(無題) 投稿者:doratty@ここでは顰蹙? 投稿日:10月11日(木)23時39分25秒
皆様、レス有難うございます。
いずみさんへ
>別に津村論文を読んでも、そこに「中核派式の血債はおかしい」とは全然書いてないと
>思います。「中核派に血債を語る資格はない」という風には読めると思いますが。
失礼いたしました。まっぺんさんの発言とごっちゃになっていたことと、津村さんの論文の
>もともと中核派などによる政治的言説としての「血債の思想」には私は不信感をもっていた。
の文章を、最初に読んだときに字面で「ん?」と思ってしまったことが原因ですね。
更にその上津村論文の
>9・11の無差別大量虐殺を実行した人たちにとって、はなからアメリカで働き・生活する
>人びとなど眼中にないのである。こういう説教は何の意味ももたない。
のところだけを前後の文章を考えずに「あいつら、マトモな考え方する奴らちゃう、ゆうねん、そんなのに弁垂れたって無駄やろ」の意味だけに取ってしまっていたことに原因がありそうです。
まっぺんさんへ
>「民族的自己否定論」とも言うべき論理
>なんとも悲愴な決意のこもった理論
>周辺諸国人民とわれわれとは何のこだわりもなく「同志的連帯意識」をもって国際的共同闘争を
>対等な立場から行えばよい。
>華青闘の呼びかけに応える道は、ただひとつ、「国際連帯により共同の敵を倒す」事であり、
>中核派のように「自分たちの責務」と言うのはかえって国際的に闘争を分断するものといえる
う〜ん… そうなんですか、ね?
国際的な闘争を分断しているかどうかはともかく、確かに中核派の差別・抑圧政策に対する態度は
非常に良く言えば硬直化、悪く言えば歪曲化してきており、批判の対象とされるべきだとは思っています。
彼らにとって一番大切なのは日「韓」問題であり、その他の部落民、女性、「障害」者等の問題はすべてその下にあるというような。
90年代のあるとき私は「部落民や在日朝鮮人が日本人女性や日本人の『障害』者を差別することだってあるだろう。そのような時に、その問題に限って日本人女性や『障害』者が糾弾することはあって然るべき」という内容のことを某中核派活動家に言ったことがあります。
そのときの彼の返事は「日本人女性団体や日本人の『障害』者団体が組織として在日朝鮮人や部落民を差別抑圧してきた例はあっても、在日朝鮮人の団体が組織的に女性差別をしてきたか? 『障害』者差別を行なった例があったか? 言ってみろ! 日本人がアジア人民を構造的に抑圧している、そのことを主体的に捉え返すことも出来ずに『糾弾』なんてもっての外だ!」という内容のものでした。
ただ、このようなはき違え(と私は思っている)を「血債」という思想が内在しているとは、考えにくいし、また私としても考えたくないんですよね。
むしろ、アフガン人民の闘いに「えらそーにせっきょーたれる」事態の根源は何だかこの辺にありそうな気がしていて・・・
アフガンテロを非抑圧民族の解放闘争として捉えるのかどうか、という話から随分離れてしまい、しかもやや独善的なカキコに終始しているようですが、どうかご容赦ください。
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>緊急の告知 投稿者:葉寺覚明 投稿日:10月11日(木)23時11分39秒
正しくは、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/962963802/l50
です。
いずみ同志が書いたURLだと、「そんな板orスレッドないです。」と表示されちゃいます。
それにしても「源清田」。なつかしいなあ。「イモを引く気はございません」と言っていたっけ。
そのコトバに責任を持って、また出てきてくれたらおもしろいのに(藁)。
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緊急の告知 投稿者:いずみ 投稿日:10月11日(木)22時31分54秒
すみません、革マル議論続けたいのですが、それ未満的問題が急浮上!
2ch共産党板:中核派スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/962963802
なんかこの板の住人の多くが、源清田問題と宮崎スパイ問題を無理矢理結びつける形でケチツケされてます。
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↓送信後に読み返すと 投稿者:JUN 投稿日:10月11日(木)18時55分36秒
日本語の使い方の部分で、かなり雑だな〜って思うんですが、
急に仕事が入ったので、乱筆乱文失礼します。
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血債、■○の教義のれす 投稿者:JUN 投稿日:10月11日(木)18時37分12秒
>まっぺんさん
丁寧なレス、ありがとうございます。
「現代古文書研究会」で、当時の文章を読みましたが、
この問題は、戦争責任問題がからんでいることと、同時に「抑圧民族の自己否定」論というものが一緒になっていると思いました。
確かに「間違っている」とは言えないんですよね。同時に、「正しい」とも言えない。
まっぺんさんが言われるように、
>中核派のように「自分たちの責務」と言うのはかえって国際的に闘争を分断するものといえるんじゃないでしょうか?
それは言えるでしょうね。
「自分たちの責務」と言っても、それが「抑圧民族」の側からの主体的な提起である点において、結局は「抑圧/被抑圧」の関係を超えられないのではないか、とも思います。そもそも、「抑圧/被抑圧」という関係を、「民族」を固定的な実体としてとらえ、その民族間の関係に置き換えてもいます。そういう意味では、スターリニズムの民族論の裏返しであるし、超えていない。
それに、「アジア民衆」と言っても、たとえば在日韓国人と、本国の韓国人の利害は同じではないわけです。
「連帯」の地平において重要なことは、実際の交流の中から関係構築をし、そこから何が障害であり、何を変えるべきか? ではないでしょうか?
想像力の問題ではあっても、つねに「解放された社会」を想定していないと、抑圧的なワナに陥る危険性がありますし。
あと、この問題についてですが、
>しかし重要なのは、「革マル派を批判するためには革マル派の理論を理解しなければならないのか?」という事です。
それと、■○問題ですが、
実は私も、黒寛の本は何冊か読みましたが、文面だけ読んでも分からないところが多いんですよね。
最初から、そういう論理の立て方になっている。
彼らの党派性・共同性を共有しろってことなのでしょうか?
そもそも、そういう「理論」であって、カルトの「似非学問体系」という他ないでしょう。
そこは、彼らの依拠するテクストが『ヘーゲル法哲学批判序論』など、ヘーゲル左派の影響下にあった時期のマルクスであり、
資本主義的生産諸関係(生産・再生産労働)を「疎外」としてとらえていた時期になります。
『経済学批判』『資本論』のマルクスより、初期テクストが重視される。『ヘーゲルとマルクス』(現代思潮社)は、まだ読んでいないのですが、彼らはそういうマルクス理解において、「反スターリニズム」を哲学に高めようとしたところに、問題があると思います。
スターリニズムは政治制度であり、哲学の問題ではない。
単純に、そういうことではないかと思います。
このことは、彼らがアルチュセールを異常に毛嫌いしていることにも、よくあらわれていますよね。
内容に立ち入らず、60年代には「毛沢東主義者」だと言い、その後は「ユーロコミュニズム」と批判し、
「アル中患者」とか言ったり、そういう「2ch」のウヨ厨房みたいな批判しかしていない。
他にも、レギュラシオン学派の批判もメチャクチャだったし、60年代以降の諸理論には、まったく向き合えていないですね。
インターの■○批判は、外在批判のように見えますが、組織や行動を検証して批判するというやり方ではあるんですよね。
というか、■○批判とは、そういうところでしかやれないって思います。
しかし、つくづく思うことは、
「趣味者」の方々が過去の文献を電子テクスト化してWebに上げてくれたおかげで、
ずいぶん助かりましたよ。
http://www.jah.ne.jp/~kt-sonoe/
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ごあいさつ忘れました(^^;;) 投稿者:まっぺん 投稿日:10月11日(木)16時35分54秒
dorattyさん、はじめましてー\(^o^)/
いえいえ「ヒンシュク」なんてことちっともありません。なんでも書いてください。
下の「●華青闘発言について」あなたとJUNさんへのれすです。
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内ゲバ論、その他 投稿者:まっぺん 投稿日:10月11日(木)16時16分06秒
●「労働者国家」と「革命戦争」
ザーカイさんの理解による「四トロ戦争観」はどうも間違っているような気がします。トロツキストが戦略的に「労働者国家」を問題にしてきたのは、まずソ連邦であり、それを中心として世界を二分する国家群を形成していた「労働者国家圏」です。国家の指導部が社会主義を志向する事はもちろん重要なポイントですが、現実にどの程度その政策が実行されているか、も重要なポイントです。そこを見ると、キューバも中国もベトナムも北朝鮮も、現在「労働者国家」と言っていいかどうか疑問があります。まっぺんには判断できません。「明らかにしなきゃまずいんじゃないの?」とか言われても、あんな「明らかでない」国家を「労働者国家」と言えますか?
それから「労働者国家が遂行または支援する」からといって「革命戦争」とは言えません。アフガンのソ連介入を支持するか反対するかにかかわらず、あれを「革命戦争」などと定義した四トロ派はひとりもいません。たとえば今北朝鮮が韓国に攻め込んだとして、これが「革命戦争」でしょうか? 中国がチベットを暴力的に支配する事には「革命性」のカケラもありません。「階級的」でもありません。一般的にいって過去の「労働者国家が率先しておこなった戦争」のほとんどは「革命戦争」ではなく領土的野望にもとずく戦争でした。
●革マル派の「論理」のワナ
『革命的暴力とは何か』を学生時代に読んだことがあります。難解な文章構成ですが、冷静によめば、これがインチキな“擬似理論”である事は理解できます。『国際革命文庫』の各種内ゲバ批判論文集にはそのへんも解説されています。しかし重要なのは、「革マル派を批判するためには革マル派の理論を理解しなければならないのか?」という事です。これは革マル派が党派闘争において仕掛けてくるワナです。ふつーは現実を観察し、その現実をどう解釈するのか、という視点から議論をおこなうものです。その視点を失わないかぎり、おおきく反れることはないだろうし、また、軌道修正の余地が残されています。しかし「わが党派の理論的正しさ」を前提にした「党派闘争論(内ゲバ技術)」を編み出し、それを実行するのは方法論においてすでに観念論でありマルクス主義とはいえません。いずみさんにはぜひ『国際革命文庫』の中の「革命的暴力か内ゲバか」を読んでほしいです。短いのですぐ読めちゃいます。
http://redmole.m78.com/bunko/07/bunko071.html#07a
同じように、「内ゲバ正当化」を主張するすべての党派に対する批判の視点は「彼らの理論を研究する」のではなく「現実世界に照らしていかに彼らの方法論がまちがっているか」を批判すれば充分です。その視点にたてば「内ゲバ主義」がいかに大衆から遊離した彼らの独善的理論であるかを指摘するのはそんなに難しいことではありません。そうした共通点において、どの党派も、いかに「独自の理論」をもっていようと「内ゲバ主義」という共通の批判が可能です。内ゲバ主義者がどんなに「現実」を見ていないかを「相模原内ゲバ批判論文」が簡潔に説明しています。ぜひ読んでもらいたいです。
http://redmole.m78.com/bunko/07/bunko078.html
●華青闘発言について
まっぺんはあの頃、東京に来たばっかりのノンセクトで、彼らの発言の政治的意味を全然理解していませんでした。しかし、これが被抑圧諸国人民からの帝国主義国左翼への突きつけである事を理解した当時の新左翼諸派はいろいろな反応を見せたようです。諸党派の動向は知りませんが、重要なのは中核派がこの時にうちだした「血債」論でしょう。日本帝国主義は周辺諸国の収奪の上に繁栄を誇っている。したがって、そこに住む労働者人民は被抑圧され収奪されている諸国の人民に対して日帝の共犯者としての位置にある、という「民族的自己否定論」とも言うべき論理です。だから日本人民は周辺諸国の人民に対して土下座し、許しを請うためにも日帝を打倒しなければならない、という、なんとも悲愴な決意のこもっ (笑)
とくる。これは、挑発ですよね?