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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
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☆  人名注

 アイネルン、エルンスト・フォン(1838―1906) 政治家で商人。1879年以来プロイセンの下院議員。社会民主党の激しい敵。

 アークライト、サー・リチャード(1732―1792) 産業革命時代のイギリスの企業家。種々の紡績機械を発明し、設置した。

 アナクサゴラス、クラゾメナイの(前500ごろ―428ごろ) ギリシアの唯物論哲学者。

 アリストテレス(前384―322) 古代ギリシアの哲学者たちのあいだで「最も幅の広い学識の持ち主」であり、「すでに弁証法的思考の最も根本的な諸形式をも研究していた」(エンゲルス)。彼は唯物論と観念論のあいだを動揺した。奴隷所有者階級のイデオローグ。

 ヴァイトリング、ヴィルヘルム(1808―71) 仕立屋。創始期におけるドイツの労働運動のすぐれた代表者。義人同盟の会員。空想的な平等共産主義を宣伝したが、これは科学的共産主義が仕上げられるまでは「ドイツのプロレタリアートの最初の独立した理論的活動」(エンゲルス)として積極的な役割をはたした。1849年にアメリカに亡命し、その後まもなく労働運動と手を切った。

 ヴィクトリア(1819―1901) イギリスの女王(在位1837―1901年)。

 ヴィリヒ、アウグスト(1810―1878) 以前にプロイセンの小尉であったが、その政治的確信におって軍務を辞した。共産主義者同盟の会員。1849年バーデン=プファルツの蜂起のさいの義勇軍の隊長。1850年の共産主義者同盟の分裂のときには、シャッパーとともにマルクスに反対する分派の指導者。1853年にアメリカ合衆国に亡命し、アメリカの南北戦争では北部諸州軍の将軍になった。

 オーウェン、ロバート(1771―1858) イギリスの空想的社会主義者。資本家としての自己の階級をすてて、労働者階級に加担した。

 カートライト、エドモンド(1743―1823) 機械織機の発明者。

 カーライル、トマス(1795―1881) イギリスの作家、歴史家、観念論哲学者、英雄崇拝の主張者。反動的ロマン主義の立場からイギリスのブルジョアジーを批判した。トーリ党に入党し、1848年以後は労働運動の公然たる反対者。

 カルヴィン、ジャン(1509―1564) ジュネーヴの宗教改革者。プロテスタントの一流派、カルヴィン主義の創始者。カルヴィン主義は、資本の本源的蓄積の時代におけるブルジョアジーの利害関係を表現した。

 カワード、ウィリアム(1657―1725) イギリスの医者、唯物論哲学者。

 カント、イマヌエル(1724―1804) ドイツ古典哲学の創始者。「カントの哲学の根本的特徴は、唯物論と観念論との和解、両者のあいだの妥協であり、種類のちがった、対立しあっている哲学的方向を一つの体系のなかで結びつけていることである」(レーニン)。その活動の初期に成立した自然科学上の著作、とりわけ世界の成立についての彼の仮説は、唯物論と自然発生的な弁証法の要素をふくんでいる。1795年にカントによって展開された諸民族間の恒久平和の必要性についての思想は、当時の社会思想の最高峰である。

 ギッフェン、サー・ロバート(1837―1910) イギリスの国民経済学者、統計学者、金融専門家。"Journal of the statistical society"の編集者(1876―1891年)。通産省統計局長。

 クロムウェル、オリヴァー(1599―1658) イギリスの政治家。17世紀のブルジョア革命のときのブルジョアジーとブルジョア化した貴族の指導者。1653―1658年のあいだ、イングランド、スコットランド、およびアイルランドのLord-Protector〔護民官〕。

 コブデン、リチャード(1804―1865) マンチェスターの工場主、自由党員、自由貿易の支持者、穀物法反対同盟の設立者のひとり、国会議員。

 コリンズ、ジョン・アンソニー(1676―1729) イギリスの唯物論哲学者、理神論者。

 コワレフスキー、マクシム・マクシモヴィチ(1851―1916) ロシアの社会学者、歴史家、民族学者。自由主義的な傾向の政治家。原始共同体の歴史にかんするいくつかの論文を書いた。

 サンキー、イラ・デイヴィッド(1840―1908) アメリカの福音主義の伝道師。

 サン−シモン、クロード・アンリ・ドゥ・ルーヴロワ、コント・ドゥ(1760―1825) フランスの空想的社会主義者。

 ジッキンゲン、フランツ・フォン(1481―1523) ドイツの騎士、宗教改革に加担した。貴族の反乱の軍事的ならびに政治的指導者。

 ジーベル、ハインリヒ・フォン(1817―1895) 歴史家で政治家、国民自由党員、小ドイツの立場をとった。反動的なプロイセン主義と排外主義の精神でつらぬかれた著作を書いた。

 シャッパー、カール(1812ごろ―1870) 義人同盟およびロンドンにおけるドイツ人労働者教育教会の指導者のひとり、共産主義者同盟中央委員会のメンバー、1848―49年の革命に参加。1850年共産主義者同盟の分裂にさいしては、ヴィリヒとともにマルクスに反対する分派の指導者。1856年ふたたびマルクスに近づき、1865年第一インタナショナル総評議会のメンバー。

 シャフツベリ、アンソニ・アシュリ・クーパー、アール・オヴ(1671―1713) イギリスの道徳哲学者、理神論の著名な代表者、政治家、ウィッグ党員。

 スピノザ、バルフ(ベネディクトゥス)(1632―1677) オランダの唯物論哲学者、無神論者。

 ダーウィン、チャールズ・ロバート(1809―1882) イギリスの自然科学者、動植物の種の成立と進化にかんする学説の創始者。

 チャールズ一世(1600―1649) イギリスの国王(在位1625―1649年)。

 ディズレーリ、ベンジャミン、(1876年以後) アール・オヴ・ビーコンフィールド(1804―1881) イギリスの政治家で著述家。トーリ党の、のちに、保守党の指導者のひとり。大蔵大臣(1852年、1858―59年、1866―1868年)、総理大臣(1868年、1874―1880年)。

 ディドロ、ドゥニ(1713―1784) フランスの哲学者、機械的唯物論の代表者、無神論者。フランスの革命的ブルジョアジーのイデオローグ、啓蒙思想家、百科全書家の中心人物。

 デカルト(カルテシウス)、ルネ(1596―1650) フランスの二元論哲学者、数学者、自然科学者。

 デモクリトス、アブデラの(紀元前460ごろ―370ごろ) ギリシアの哲学者、原子論の創始者のひとり。多くの弟子たちによってさらに発展させられた唯物論的世界像を最初に与えた人。

 ディーリング、オイゲン(1833―1921) 折衷主義の哲学者で俗流経済学者、反動的な小ブルジョア的社会主義の代表者。彼の哲学のうちには観念論、俗流唯物論、実証主義が統一されていた。形而上学者。自然科学や文学の諸問題についても著述した。1863―1877年ベルリン大学の私講師。

 ドゥンズ・スコトゥス、ジョン(1265ごろ―1308) スコラ哲学者。中世において唯物論の最初の表現であったところの唯名論の代表者。4巻の"Opus Oxoniense"の著者。

 ドッドウェル、ヘンリ(1784死) イギリスの唯物論哲学者、理神論者。

 トライチュケ、ハインリヒ・ゴットハルト・フォン(1834―1896) 反動的歴史家で政治評論家、1886年以来プロイセン国家の修史官。国会議員(1871―1888年)。反動的なプロイセン主義のイデオローグで宣伝家、排外主義者、指導的なユダヤ人排斥論者、ドイツ拡大政策の弁護者。

 ナポレオン一世、ボナパルト(1769―1821) フランスの皇帝(1804―1814年、1815年)

 ニュートン、サー・アイザック(1642―1727) イギリスの大物理学者、天文学者、数学者。力学の建設者。

 バックランド、ウィリアム(1784―1856) イギリスの地質学者。

 ハートリ、デイヴィッド(1705―1757) イギリスの医者で唯物論者。

 バブーフ、フランソワ・ノエル(グラックス)(1760―1797) フランスの革命家、空想的共産主義者。「平等論者」の反乱の組織者。

 ビスマルク、オット・フュルスト・フォン(1815―1898) 政治家で外交官。プロイセンのユンカー〔地主貴族〕の利益の代表者。プロイセンの総理大臣(1862―1871年)、ドイツ国宰相(1871―1890年)。王朝戦争(1866年のオーストリアおよびこれと同盟したドイツの諸小国にたいする、および1870―71年のフランスにたいする)の助けをかりて、「反革命的な道をとおって、ユンカー式のやり方で」(レーニン)ドイツの統一を実現した。

 フィヒテ、ヨハン・ゴットリープ(1762―1814) ドイツ古典哲学の主要な代表者のひとり、主観的観念論者。手工業者の息子。フランス革命の熱烈な味方。1811―1812年にベルリン大学総長。その『ドイツ国民につげる演説』によってその当時基本線では進歩的であったドイツのブルジョア的民族意識の形成に寄与した。

 フォスター、ウィリアム・エドワード(1818―1886) イギリスの工場主で政治家、自由党員、アイルランド相(1880―1882年)。アイルランドの民族解放運動を最も残酷に弾圧した。

 ブライト、ジョン(1811―1889) イギリスの工場主、自由党員の政治家、自由貿易の支持者、穀物法反対同盟の創立者のひとり、自由党内閣の閣僚になること数回。

 ブランキー、ルイ・オーギュスト(1805―1881) フランスの革命家、空想的共産主義者。多くの秘密結社と謀反の組織者。1830年と1848年の革命の積極的参加者。フランスのプロレタリア運動の顕著な指導者のひとり。総計36年間監獄に投ぜられた。

 フーリエ、フランソア・マリ・シャルル(1772―1837) フランスの空想的社会主義者。

 プリーストリ、ジョゼフ(1733―1804) イギリスの科学者、物理学者、唯物論哲学者、産業革命時代のイギリス・ブルジョアジーの急進的部分のイデオローグ。

 フリードリヒ・ヴィルヘルム三世(1770―1840) プロイセンの国王(1797―1840年)。

 プルードン、ピエール・ジョゼフ(1809―1865) フランスの政論家、社会学者、経済学者。小ブルジョアジーのイデオローグ。無政府主義の理論的創唱者のひとり。

 ブレンターノ、ルヨ(1844―1931) ドイツの経済学者、講壇社会学者。

 ヘーゲル、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ(1770―1831) ドイツ古典哲学の最も重要な代表者(客観的観念論者)。ドイツ古典哲学はヘーゲルにおいてその最高点に達した。「この体系ではじめて――そしてこのことがこの体系の大きな功績なのであるが――自然的・歴史的・精神的世界の全体が一つの過程として、すなわち、不断に運動し、変化し、改造され、発展するものとして叙述され、またこの運動や発展のうちにある内的連関を証明しようとする試みがなされた」(エンゲルス)。

 ベーコン、フランシス(1561―1626) イギリスの政治家、哲学者、自然科学者、歴史家。「イギリスの唯物論と近代の実験科学全体の先祖はベーコンである」(マルクス)

 ベーメ、ヤーコプ(1575―1624) 本職は靴屋、ドイツの神秘哲学者。

 ヘラクレイトス、エフェソスの(前540ごろ―480ごろ) 古代ギリシアの唯物論哲学者。弁証法の創始者のひとり。

 ヘンリ七世(1457―1509) イギリスの国王(1485―1509年)。

 ヘンリ八世(1491―1547) イギリスの国王(1509―1547年)。

 ホッブズ、トマス(1588―1679) イギリスの哲学者、機械的唯物論の代表者。その社会観・政治観のうちに反民主主義的傾向を表現した。

 ボナパルト、ルイ・ナポレオン(1808―1873) ナポレオン一世の甥、第二共和国の大統領(1848―1852年)、フランス人の皇帝(1852―1870年)。

 ボーリングブローク、ヘンリ・セント・ジョン(1678―1751) イギリスの理神論的哲学者、政治家、トーリ党の指導者のひとり。

 ボルンシュテット、アダルベルト・フォン(1808―1851) かつてプロイセンの士官、政論家、小ブルジョア的民主主義者。1847―1848年に『ブリュッセル・ドイツ語新聞』の発行者、編集者。パリにおけるドイツ人民主主義協会の指導者のひとり。共産主義者同盟の会員。1848年3月に同盟から除名された。

 マナーズ、ジョン・ジェームズ・ロバート(1818―1906) イギリスの政治家、トーリ党員、のちに保守党員、40年代に「青年イングランド」というグループに属していた。国会議員、大臣になること数回。

 マブリー、ガブリエル・ボノー・ドゥ(1709―1785) フランスの社会学者、空想的平等共産主義の代表者。

 マンテル、ギデオン・アルカーノン(1790―1852) イギリスの地質学者、古生物学者、医者。

 ミュンツァー、トマス(1490ごろ―1525) 宗教改革と農民戦争の時期における農民=都市平民の陣営の革命家、指導者、イデオローグ。神秘的な形態でおおわれた空想的平等共産主義の思想を宣伝した。農民戦争のこの「最も偉大な人物」は、諸侯と貴族の権力の転覆へとむけられた民衆革命のための戦士として、「その当時可能であったかぎりでの、真の民主主義」(エンゲルス)であった。

 ムーディ、ドゥワイト・ライマン(ライザー)(1837―1899) アメリカの福音主義の伝道師。メッテルニヒ、クレメンス・ヴェンツェル・ローター、フュルスト・フォン(1773―1859) オーストリアの政治家、外交官。外務大臣(1809―1821年)および首相(1821―1848年)。神聖同盟の組織者のひとり。

 モレリー(18世紀) フランスの空想的平等共産主義の代表者。

 ラサール、フェルディナント(1825―1864)「1862年までは実践上では強くボナパルト主義的傾向をもったとくにプロイセン的な俗流民主主義者」(エンゲルス)。ラサールは、ドイツの労働者が自由主義的ブルジョアジーの影響から解放されたことと、ドイツ労働総同盟が1863年に創立されたこと(この点に彼の歴史的功績がある)とに、本質的に関与していた。けれども彼は労働者階級にいかなる革命的方向づけをも目標設定をもあたえなかった。彼はビスマルクおよびプロイセンのユンカーと協定を結び「上から」のドイツの統一という彼らの政策を支持し、「プロイセンの王国的官治社会主義」のイデオロギー、社会主義への平和的成長転化という幻想をひろめ、このことによって、ラサール主義という概念と結びついている日和見主義の礎石をすえた。

 ラファルグ、ポール(1842―1911) フランスの社会主義者、マルクス主義の宣伝家、第一インタナショナル総評議会の構成員。フランス労働者党の創立者のひとり。マルクスとエンゲルスの弟子で、その闘争の協力者。

 ラプラス、ピエール・シモン、マルキ・ドゥ(1749―1827) フランスの天文学者、数学者、物理学者。ガス状の星雲から太陽系が形成されたという仮説を、カントとは独立に展開し、それを数学的に基礎づけた。

 リンネ、カール・フォン(1707―1778) スウェーデンの自然科学者。動植物の分類の体系を基礎づけた人。

 ルイ・フィリップ、デュク・ドルレアン(1773―1850) フランス国王(1830―1848年)。

 ルーゲ、アーノルト(1802―1880) 急進的な政治評論家、青年ヘーゲル派、小ブルジョア的民主主義者。1848年にはフランクフルト国民議会の議員(左翼)。50年代にはイギリスにおける小ブルジョア的亡命者の指導者のひとり。1866年以後は国民自由主義者。

 ルソー、ジャン・ジャック(1712―1778) フランスの啓蒙思想家、民主主義者、小ブルジョアジーのイデオローグ。

 ルッター、マルティン(1483―1546) ドイツにおけるプロテスタンティズムの創始者。鉱夫の息子。彼の文筆上の全作品、とくに聖書の翻訳は、ドイツの統一的文語の発展に顕著な影響を与えた。1524―25年の農民戦争において、ルッターは農民の革命的行動に決定的に反対の方向をとり、「市民・貴族・諸侯の側にくわわった」(エンゲルス)。「ドイツの最も古い国民経済学者」(マルクス)として、彼は自然経済と単純商品生産を擁護し、高利貸資本と商品資本に反対してたたかった。労働と職業についての彼の進歩的ブルジョア的な学説は、古典的ブルジョア的労働価値説がのちにつくりだされるための重要なイデオロギー的前提をなした。

 ロック、ジョン(1632―1704) イギリスの哲学者、感覚論者。経済学者として彼は、あらゆる形態の新しいブルジョアジーを代表し、労働者階級と貧民に反対して工業家を、古いスタイルの高利貸に反対して商人を、国家の債務者に反対して金融貴族を代表し、自分の著作の一つで、ブルジョア的悟性を人間の正常な悟性であると指摘した。

 ワット、ジェームズ(1736―1819) スコットランドの発明家、本質的に改善された蒸気機関をつくった人。


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