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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital
Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。 http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/DVProject/DVProjectJ.html http://www5.big.or.jp/~jinmink/TAMO2/DT/index.html |
☆ 三
唯物史観は、次の命題から出発する。すなわち、生産が、そして生産の次にはその生産物の交換が、あらゆる社会制度の基礎であるということ、歴史上に現われたどの社会においても、生産物の分配は、それとともにまた諸階級または諸身分への社会の編成は、なにがどのようにして生産され、また生産されたものがどのようにして交換されるかによって決まるということ、である。この見地からすれば、いっさいの社会的変動と政治的変革との究極の原因は、人間の頭のなかにではなく、つまり人間が永遠の真理や正義をますます認識してゆくということにではなく、生産と交換の様式の変化に求めなければならない。つまり、それは哲学にではなく、その時代の経済に求めなければならない。現存の社会諸制度は不合理で不公正であり、また理性は無意味となり、幸いが災いになった〔ゲーテ『ファウスト』から〕という認識がますますめざめてゆくということは、生産方法と交換形態とのうちにいつのまにか変化がおこって、これまでの経済的諸条件にあわせてつくられた社会制度は、もはやこの変化に適合しなくなった、ということのひとつの兆候にすぎない。それはまた同時に、あかるみに出された弊害を除くための手段が、変化した生産関係そのもののうちに――多かれ少なかれ発展したかたちで――やはり存在しているにちがいない、ということを物語っている。これらの手段は、頭のなかから案出されうるようなものではなくて、頭によって眼前の物質的な生産事実のなかに発見されるべきものである。
では、この点からみるとき、現代の社会主義はどういうことになるか?
現在の社会制度は――いまではかなり一般に認められていることであるが――、今日の支配階級、つまりブルジョアジーによってつくりだされたものである。マルクスいらい資本主義的生産様式という名で言いあらわされているブルジョアジーに固有の生産様式は、封建制度の地域的および身分的な特権とも、人間相互間のさまざまな人身的束縛とも、あいいれなかった。ブルジョアジーは、封建制度を打ち砕き、その廃虚の上にブルジョア的社会体制をうちたてた。すなわち、自由競争、移転の自由、商品所有者たちの同権、その他あらゆるブルジョア的栄光の王国がうちたてられた。そのときいらい、資本主義的生産様式は、自由に発展することができるようになった。ブルジョアジーの指導のもとにつくりだされた生産関係〔*〕は、蒸気と新しい作業機とが旧来のマニュファクチュアを大工業につくり変えてからは、前代未聞の速度と規模で発展した。しかし、その当時マニュファクチュアとその影響をうけていっそうの発展をとげた手工業とが同職組合の封建的束縛と衝突するようになったのと同様に、大工業も、それがますます完全にでき上がってくるにつれて、資本主義的生産様式がそれをとじこめている諸制限と衝突するようになる。新しい生産力は、すでにその利用のブルジョア的形態をのりこえるまで成長した。しかも、生産力と生産様式とのあいだのこの衝突は、たとえば人間の原罪と神の正義との衝突のように人間の頭のなかに生じた衝突ではなくて、客観的に、われわれの外部に、それをひきおこした人間の意欲や行動そのものとは無関係に、事実のなかに存在しているのである。現代の社会主義は、この事実上の衝突の思想的反射にほかならず、なによりもまず直接にこの衝突のもとで苦しんでいる階級である労働者階級の頭のなかでのこの衝突の観念的反映にほかならないのである。
〔*〕 『反デューリング論』では、生産力となっている。
では、なにがこの衝突の本質なのか?
資本主義的生産以前、つまり中世では、ひろくおこなわれていた小経営は労働者がその生産手段を私的に所有することをその基礎としていた。自由な小農民または隷属小農民の耕作や都市の手工業がそれである。労働手段――土地、農具、仕事場、手工具――は、ただ個人的使用だけを考えてつくられた個々人の労働手段であり、したがって当然小型で、ちっぽけで、かぎられたものであった。だが、それだからこそ、それらは通例は生産者自身のものだったのである。これらの分散した、せせこましい生産手段を、集中し拡大すること、これらを強力に作用する現代式の生産の槓杆(テコ)に変えること、これこそが、資本主義的生産様式とその担い手であるブルジョアジーとの歴史的な役割だったのである。一五世紀このかた、単純協業とマニュファクチュアと大工業という三つの段階において、彼らがこの役割を歴史的になしとげてきたありさまを、マルクスは『資本論』第四篇〔72〕でくわしく叙述している。しかし、やはりそこで同じく論証されているように、ブルジョアジーは、個々人の生産手段を社会的な、多数の人間全体によってのみ使用されうる生産手段に変えることなしには、これらの制限された生産手段を強力な生産力に変えることはできなかった。紡ぎ車や手織機や鍛冶屋の鎚にかわって、紡績機械や力織機や蒸気ハンマーが現われ、個人的な仕事場にかわって、数百人、数千人もの協力を必要とする工場が現われた。そして、生産手段の場合と同様に、生産そのものも、一連の個人的な動作から一連の社会的な行為にかわり、そして生産物もまた、個々人の生産物から社会的な生産物にかわった。いまでは工場から出てきた紡糸や織物や金属製品は、多数の労働者の共同の生産物であって、それは、できあがるまでには彼らの手をつぎつぎに経なければならなかったものである。彼らのうちのだれも、それは自分がつくったのだ、それは自分の生産物だ、と言うことはできなかった。
ところで、自然発生的な、無計画的に徐々に発生した社会内の分業が生産の基本形態になっているところでは、この分業によって諸生産物はいやおうなしに商品という形態をとることになり、それら商品の相互交換つまり売買によって個々の生産者は彼らのさまざまな欲望をみたすことができるようになる。中世ではこのとおりであった。たとえば、農民は農産物を手工業者に売り、そのかわりに後者から手工製品を買っていた。ところが、このような、個人的生産者つまり商品生産者たちの社会のなかに、いまや新しい生産様式がはいりこんできた。社会全体のなかでおこなわれていた自然発生的な無計画的な分業のまっただなかに、この生産様式は、個々の工場のなかで組織されていた計画的な分業をもちこんだ。個人的生産とならんで社会的生産が現われた。両方の生産物は、同一の市場で売られ、したがってすくなくともだいたい同じ価格で売られた。だが、計画的な組織は自然発生的な分業よりも強力であった。社会的に作業をする工場は、個々別々の小生産者よりもその生産物を安く生産した。個人的生産は一つの分野から他の分野へとつぎつぎに倒れていった。社会的生産は古い生産様式全体を変革した。しかし、社会的生産のこのような革命的な性質はほとんど認識されなかったので、社会的生産は、かえって、商品生産をさかんにし促進する手段としてとりいれられた。社会的生産は、商品生産と商品交換との特定の既存の槓杆、つまり商人資本や手工業や賃労働と直接に結びついて発生した。社会的生産そのものが商品生産の一つの新しい形態として現われたのであるから、商品生産の取得形態は社会的生産にとってもやはり完全に効力を保っていたのである。
中世に発達していたような商品生産では、労働の生産物はだれのものであるべきかという問題はまったくおこりえなかった。通常、個々の生産者は、自分のものである原料、ときには自分で生産した原料から、自分の労働手段をつかって、自分または自分の家族の手労働で生産物を生産した。その生産物は、彼によってあらためて自分のものとされる必要はまったくなかった。それはまったくひとりでに彼のものであった。それゆえ、生産物の所有は自分の労働にもとづいていたのである。他人の助力が必要だった場合にも、この助力は通例は副次的なものであるにとどまり、しかもしばしば賃金以外になお別の報酬をうけた。たとえば、同職組合の徒弟や職人は、食事や賃金のためよりも、むしろみずから親方となる修業のために働いたのである。そこに現われたのが、大規模な仕事場や工場での生産手段の集積であり、生産手段の実際に社会的な生産手段への転化であった。しかし、この社会的な生産手段も社会的な生産物も、あいかわらず個々人の生産手段であり生産物であるかのように取り扱われた。これまでは、労働手段の所有者が生産物を自分のものにしたのは、その生産物が通常は彼自身の生産物であって他人の補助労働は例外だったからであるが、いまや労働手段の所有者は、それがもはや自分の生産物ではなくてただ他人の労働の生産物でしかないにもかかわらず、あいかわらずその生産物を自分のものにしたのである。こうして、それ以後は、社会的に生産された生産物は、生産手段を実際にうごかし生産物を実際につくりだした人々によって自分のものにされないで、資本家によって自分のものにされたのである。生産手段も生産も、本質的には社会的になった。だが、この生産手段や生産がそのもとに置かれている取得形態は、個々人の私的生産を前提としており、したがってそこでは各人は自分自身の生産物の所有者であってそれを市場にもちだすのである。生産様式は、このような取得形態の前提を廃棄するにもかかわらず、この取得形態のもとに置かれるのである〔*〕。このような矛盾がこの新しい生産様式に資本主義的な性格をあたえるのであるが、この矛盾のうちにこそ、現代のすべての衝突がすでに萌芽としてふくまれているのである。新しい生産様式が、すべての決定的な生産分野で、またすべての経済的に決定的な国々で、ますます支配的となり、したがって個人的生産が駆逐されてとるにたりない残り物だけになってしまえばしまうほど、社会的生産と資本主義的取得とのあいだの矛盾は、ますますはっきりとあかるみに出てこないわけにはいかなかったのである。
〔*〕 ここに説明するまでもなく、取得形態はもとのままであっても、取得の性格は、前述のような経過によって、生産におとらず変革されるのである。私が私自身の生産物を自分のものにするか、それとも他人の生産物を自分のものにするか、ということは、もちろん二つの非常に違った種類の取得である。ついでにいえば、賃労働のなかには資本主義的生産様式全体がすでに萌芽としてひそんでいるのであるが、それは、非常に古いものである。それは、奴隷制度とならんで、個別的分散的には数百年間おこなわれてきた。だが、その萌芽も、歴史的な前提諸条件がつくりだされてからはじめて資本主義的生産様式に発展することができたのである。
まえに述べたように、最初の資本家たちにとっては賃労働という形態はすでに存在していた。しかしそれは、例外としての、副業としての、一時しのぎとしての、つなぎとしての、賃労働であった。ときおり日傭とりに出かけた農業労働者も、何モルゲン〔一モルゲンは約半エーカー〕かの自身の土地をもっていて、それだけでもかつかつの生計をたてることができた。同職組合の規則は、今日の職人も明日は親方となれるように取り計らっていた。しかし、生産手段が社会的なものになって資本家たちの手に集積されたとき、こういう事情は一変した。小さな個人的生産者の生産手段も生産物もますます無価値なものとなった。彼に残された道は、資本家のところに行って賃金をもらうよりほかにはなかった。以前は例外で一時しのぎであった賃労働が全生産の常例となり、基本形態となった。それは、以前は副業だったが、いまでは労働者の唯一の仕事となった。一時的な賃金労働者が終身の賃金労働者になった。しかもそのうえ、終身の賃金労働者の数は、同時におこった封建的秩序の崩壊、封建領主の家臣団の解体、屋敷つき農場からの農民の追い出しなどによって、非常にふえた。一方では資本家の手に集積された生産手段と、他方では自分の労働力のほかにはなにも持ち物がないようにされた生産者とのあいだに、分離が実現された。社会的生産と資本主義的取得とのあいだの矛盾が、プロレタリアートとブルジョアジーとの対立となって、あかるみに出てきたのである。
すでにみたように、資本主義的生産様式は商品生産者たちの社会に割りこんできたのであるが、この商品生産者は個人的生産者であって彼らの社会的な連関は彼らの生産物の交換によって媒介されていた。しかし、商品生産にもとづく社会は、すべて、そのなかでは生産者たちが彼ら自身の社会的連関にたいする支配力を失っているという特徴をもっている。各人は、めいめい、たまたま自分のものになっている生産手段を用いて、自分の特殊な交換欲求のために、生産する。だれにも、自分の品物と同じものがどれだけ市場に出てくるのか、そのうちのいったいどれだけが使用されるのかは、わからない。だれにも、自分の個人的生産物が実際の需要を見いだせるかどうか、かかった費用を回収できるかどうか、または、とにかくそれが売れるかどうか、はわからない。そこで支配しているのは、社会的生産の無政府状態である。だが、商品生産も、他のすべての生産形態と同様に、それに特有な、それに内在する、それと切り離せない諸法則をもっている。そして、これらの法則は、このような無政府状態にもかかわらず、無政府状態のなかで、無政府状態をとおして、自分を貫くのである。これらの法則は、社会的な連関の唯一の存続する形態である交換のうちに現われて、個々の生産者にたいして競争の強制法則として効力を現わす。だから、これらの法則は、最初は生産者たち自身にも気づかれないものであって、長い経験をとおしてはじめてしだいに彼らによって発見されなければならない。つまり、これらの法則は、生産者たちから独立して、生産者たちにさからって、彼らの生産形態の盲目的に作用する自然法則として自分を貫くのである。生産物が生産者たちを支配するのである。
中世の社会では、ことにはじめの数世紀間は、生産は本質的に自家消費を目的としていた。それはおもに生産者とその家族との欲望をみたしただけだった。田舎でのように人身的な隷属関係が存続していたところでは、生産はまた封建領主の欲望をみたすことにも役だった。だからこの場合には、交換はまったくおこなわれなかったし、したがってまた生産物が商品の性格をとることもなかった。農民の家族は、食料だけでなく器具でも衣服でも、自分たちに必要なものはほとんどなんでも生産した。彼ら自身の必要を越えた、そしてまた封建領主に支払うべき現物貢納を越えた、ある余剰を生産するようになったとき、はじめて彼らは商品をも生産するようになった。つまり、この余剰が社会的な交換のなかに投げいれられ、売りに出されて、商品になったのである。都市の手工業者は、たしかに、すぐはじめから交換のために生産しなければならなかった。だが彼らもまた自家必需品の大部分を自分で働いてつくっていた。彼らは庭や小さな畑をもっていた。彼らは自分の家畜を共有林に放牧したが、この共有林はさらに彼らに用材や燃料を供給した。また女たちは、亜麻や羊毛をつむいだりした。交換を目的とした生産、つまり商品生産は、やっと発生したばかりであった。だから、交換はかぎられ、市場は狭小であり、生産方法は固定したままであって、外にむかっては地域的な閉鎖が、内にむかっては地域的な団結がおこなわれた。すなわち、田舎にはマルク〔73〕があり、都市には同職組合があった。
ところが、商品生産がひろがるとともに、ことに資本主義的生産様式が現われるとともに、これまでねむっていた商品生産の諸法則は、ずっとおおっぴらに、またずっと強力に作用しはじめた。古い団結はゆるめられ、古い閉鎖的なわくはやぶられ、生産者はますます独立の、個々別々の商品生産者になった。社会的生産の無政府状態はあかるみに出てきてますます極端におしすすめられた。ところが、資本主義的生産様式が社会的生産におけるこの無政府状態をひどくするのに用いた主要な手段は、無政府状態とは正反対のものであった。それは、各個の生産施設のなかで生産がますます社会的な生産として組織されてゆくことであった。この槓杆(テコ)をつかって、資本主義的生産様式は古くからの平穏な固定した状態に結末をつけた。資本主義的生産様式が或る産業部門で採用されると、それは古くからの経営方法が自分と並存することをゆるさなかった。それが手工業をとらえると、それは古い手工業をほろぼした。労働の分野は戦場となった。地理上の大発〔74〕見とそれにつづく植民とは、商品の販路を何倍にもひろげ、手工業のマニュファクチュアへの転化を促進した。ただたんに個々の局地的生産者たちのあいだで闘争が始まっただけではなかった。局地的な闘争はまた国民的な闘争に、一七世紀および一八世紀の商品戦争〔75〕にまで発展した。最後に大工業が、そして世界市場の成立が、この闘争を普遍的なものにすると同時にそれをこれまでに例のない激烈なものにした。個々の資本家のあいだでも、産業と産業とのあいだでも、国と国とのあいだでも、自然的または人為的な生産諸条件の良否が死活を決定する。敗者は容赦なく除き去られる。これは、ダーウィンの個体生存競争が、何倍もの狂暴さで自然から社会にうつされたものである。動物の自然状態が人類発展の頂点として現われるのである。社会的生産と資本主義的取得とのあいだの矛盾は、いまや個々の工場のなかでの生産の組織と社会全体のなかでの生産の無政府状態とのあいだの対立として現われるのである。
資本主義的生産様式は、その起源からしてそれに内在する矛盾のこれら二つの現象形態のなかで運動しており、すでにフーリエがこの生産様式に発見したあの「悪循環」を描いて、それからぬけだすことができないのである。もちろんフーリエが彼の時代にはまだ見ることができなかったのは、この循環がしだいに狭くなってくるということであり、この運動はむしろ一つの螺旋を表わしていて、ちょうど惑星の運動のように中心との衝突によって終末に達せざるをえない、ということである。生産の社会的な無政府状態という推進力が大多数の人間をますますプロレタリアに転化するのであるが、やがてはこのプロレタリア大衆が、この生産の無政府状態をついに終わらせるであろう。生産の社会的な無政府状態の推進力はまた、大工業の無限の機械改良の可能性を、それぞれの産業資本家にとって、没落したくないなら自分の機械をますます改良してゆかなければならない、という強制命令に転化する。だが、機械の改良は、人間労働をよけいなものにすることである。機械の採用や増加が、わずかばかりの機械労働者によって数百万の手工労働者を駆逐することを意味するとすれば、機械の改良は、ますます多くの機械労働者そのものを駆逐することを意味しており、結局は、資本の平均的な雇用欲求を越えた数の、いつでも利用できる賃金労働者をつくりだすことを意味している。このような賃金労働者は、私がすでに一八四五年に〔*〕完全な産業予備軍と名づけたものであって、それは、産業が大馬力で活動するときは自由に利用され、そのあとに必ず現われる破局によって街頭に投げだされ、労働者階級と資本との生存闘争ではいつでも労働者階級の足についている鉛のおもりであり、労賃を資本の要求に合った低い水準に維持するための調節器である。このようにして、機械は、マルクスの言葉を借りて言えば、労働者階級にたいする資本の最も強力な闘争手段になるのであり、労働手段はたえず労働者の手から生活手段を取り上げるのであり、労働者自身の生産物は一変して労働者を奴隷化するための道具になるのである〔『資本論』第一巻第一三章第五節〕。こうして、労働手段の節約は、はじめから同時に労働力の最も容赦ない乱費となり、労働機能の正常な諸前提の強奪〔『資本論』第一巻第一三章第八節b〕となるのであり、労働時間の短縮のための最も強力な手段である機械は、労働者とその家族との全生活時間を資本の増殖のために利用できる労働時間に転化させるための最も確実な手段に一変するのである。このようにして、一方の人の過度労働は他方の人の失業の前提になるのであり、新しい消費者をもとめて世界を狩りつくす大工業は、国内では大衆の消費を飢餓的最低限度まで制限し、こうして自分自身の国内市場を破壊するのである。「相対的過剰人口または産業予備軍をいつでも資本蓄積の規模およびエネルギーと均衡を保たせておくという法則は、ヘファイストゥスの楔(クサビ)がプロメテウスを岩に釘づけにしたよりももっとかたく労働者を資本に釘づけにする。それは、資本の蓄積に対応する貧困の蓄積を必然的にする。だから、一方の極での富の蓄積は、同時に反対の極での、すなわち自分自身の生産物を資本として生産する階級のがわでの、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、粗暴、道徳的堕落の蓄積なのである。」(マルクス、『資本論』六七一ページ〔『資本論』第一巻第二三章第四節〕)しかも資本主義的生産様式からこれと違った生産物分配を期待するのは、電極が電池と結びつけられているのに電極が水を分解しないように要求し、陽極に酸素を陰極に水素を発生させないように要求するのと同じことであろう。
〔*〕 『イギリスにおける労働者階級の状態』一〇九ページ〔全集、第二巻、三一五―三一六ページ〕。
すでに見たように、現代の機械の改良可能性は非常に増大しているが、社会のなかでの生産の無政府状態によって、この可能性は、個々の産業資本家にとっては、自分の機械をたえず改良し、機械の生産力をたえず高めなければならないという強制命令に転化する。産業資本家にとっては、自分の生産範囲を拡大するというたんなる事実上の可能性もまた同様な強制命令に転化する。大工業の巨大な膨張力にくらべれば気体の膨張力などはまったくの児戯にひとしいのであるが、それはいまやわれわれの眼前に、どんな抵抗をもものともしない質的でもあり量的でもある膨張欲求として現われる。そのような抵抗をするのは、消費であり、売れ行きであり、大工業の生産物のための市場である。ところが、市場の拡大能力は、外延的なものであれ集約的なものであれ、さしあたりはまったく別な、作用力のはるかに弱い法則によって支配される。市場の拡大は生産の拡大と歩調をあわせることができない。衝突はさけられなくなる。しかもその衝突は、それが資本主義的生産様式そのものを爆破しないかぎり、どんな解決方法をも生みだすことができないので、周期的になる。資本主義的生産は、ひとつの新しい「悪循環」を生みだすのである。
じっさい、最初の一般的恐慌が起こった一八二五年いらい、産業界および商業界の全体は、すべての文明諸国民とその多かれ少なかれ未開な従属諸国民との生産と交換は、ほとんど一〇年に一度はめちゃめちゃになっている。交易は停滞し、市場はあふれ、生産物はさばけないで大量にそのままになっており、現金は姿をかくし、信用はなくなり、工場は休業し、労働大衆は多すぎる生活手段を生産したために生活手段にことかき、破産は破産につづき、強制売却は強制売却につづく。停滞は何年もつづき、生産力も生産物も大量に浪費され破壊されて、けっきょく、山と積まれた商品が多かれ少なかれ下落した価格でさばかれてゆき、やっと生産と交換が徐々にふたたびうごくようになる。歩調はだんだんはやくなって速歩(ハヤアシ)となり、この産業上の速歩は駆走(カケアシ)にうつり、さらに速度をあげて、ついに完全な産業上、商業上、信用上、投機上の、障害物競馬での手綱なしの疾駆となり、そして最後に何回かのまったく命がけの跳躍ののちにまたしても行きつくのは――倒産という穴のなかである。そして、これが何回でもくりかえされる。一八二五年いらい、いまではわれわれはこれをまる五回経験し、現在(一八七七年)六回目を経験している。そしてこれらの恐慌の特性はきわめてはっきりしているので、フーリエが最初の恐慌を過剰による恐慌〔crise
plethorique〔76〕〕と名づけたのは、これらのどの恐慌にもぴったりあてはまる。
恐慌では社会的生産と資本主義的取得との矛盾が暴力的に爆発する。商品流通は一時破壊され、流通手段である貨幣は流通の障害物になる。商品生産と商品流通とのいっさいの法則は、逆立ちさせられる。経済的衝突はその頂点に達している。生産様式が交換様式に反逆するのである。
工場内の生産の社会的な組織が発達して、それと並びそれの上に存立する社会内の生産の無政府状態と両立できない点に達しているという事実、――この事実は、恐慌のときに多くの大資本家やもっと多くの小資本家の破滅をつうじておこなわれるむりやりの資本集中によって、資本家たち自身の目にもはっきりとわかる。資本主義的生産様式の全機構が、この生産様式自身によって生みだされた生産力の圧力のもとで、もはや役にたたなくなる。この生産様式はこの大量の生産手段をもはや全部は資本に転化させることができない。この大量の生産手段は遊休している。それだからこそ、産業予備軍も遊休していなければならない。生産手段も生活手段も利用できる労働者も、生産と一般的富とのいっさいの要素がありあまっている。ところが、「ありあまる豊富が困窮と欠乏との源泉になる」(フーリエ)。なぜなら、まさにこの豊富そのものが生産手段と生活手段の資本への転化をさまたげているからである。というのは、資本主義社会では生産手段は、それがまえもって資本に、つまり人間の労働力を搾取する手段に転化していないかぎり、活動を始めることができないからである。生産手段と生活手段とが資本の性質をとらなければならないという必然性は、まるで幽霊のように、これらのものと労働者とのあいだに立ちはだかる。ただこの必然性だけが生産の物的な槓杆(テコ)と人的な槓杆とが結合することをさまたげるのである。ただこの必然性だけが生産手段には機能することを禁止し、労働者たちには労働し生活することを禁止するのである。こうして、一方では、資本主義的生産様式は、これらの生産力をこれ以上管理する能力が自分にないことを認めざるをえなくなる。他方では、これらの生産力そのものが、この矛盾の廃棄を、つまり生産力自身が自分の資本としての性質から解放されることを、社会的生産力としての自分の性格が事実上承認されることを、ますます強い力でせまるのである。
力づよく成長してゆく生産力が自分の資本としての性質にくわえるこの反抗、生産力の社会的性質の承認をせまるこのますます厳しくなってゆく強制こそは、資本家階級自身にたいして、およそ資本関係の内部で可能なかぎり、この生産力を社会的生産力として取り扱うことを、ますます強要するのである。無制限な信用膨張をともなう産業活況期も、大規模な資本主義的企業の倒産による破局そのものも、ますます大量の生産手段が、さまざまな種類の株式会社となってわれわれの前に現われるようなあの社会化の形態をとるように駆りたてる。これらの生産手段や交通手段のなかには、たとえば鉄道のように、はじめから非常に巨大なためにそのほかのどんな資本主義的利用形態をも受けつけないものもある。ある発展段階に達すれば、この形態でさえももはや十分ではなくなる。同じ産業部門に属する国内の大生産者たちは、結合してひとつの「トラスト」を、つまり生産の調節を目的とする一つの結合体をつくる。彼らは、生産すべき総量を定め、それを彼ら自身のあいだに割り当て、こうしてあらかじめ確定された販売価格を強制する。だが、このようなトラストも、ひとたび営業不振の時期にあえばたいてい瓦解するのであって、それだからこそトラストはもっと集中的な社会化へと追い立てるのである。すなわち、一産業部門全体がただ一つの大きな株式会社になってしまい、国内の競争はこの一つの会社の国内独占に席をゆずるのである。それは一八九〇年にもイギリスのアルカリ生産でおこなわれている。このアルカリ生産は、四八の大工場が全部合同したのち、今日では、一億二〇〇〇万マルクの資本金をもち統一的に管理される単一の会社の手で経営されているのである。
トラストでは自由競争は独占に一変し、資本主義社会の無計画な生産は、せまりくる社会主義社会の計画的な生産に降服する。もちろん、さしあたりはまだ資本家たちのためのものである。だが、ここでは搾取は手にとるように明らかになるので、それはどうしても崩壊しなければならなくなる。どの国民もトラストによって支配される生産、ひとにぎりの利札切りたちによる社会全体のあからさまな搾取に甘んじてはいないであろう。
いずれにせよ、トラストがあろうとなかろうと、結局は資本主義社会の公式の代表者である国家が生産の管理をひきうけなければならない〔*〕。このような、国有への転化の必然性は、なによりもまず大規模な交通施設すなわち郵便や電信や鉄道の場合に現われる。
〔*〕 私は言う、なければならない、と。なぜなら、生産手段または交通手段が現実に株式会社による管理の手におえないまでに発達し、したがって、国有化が経済上不可避的となった場合にだけ、ただこの場合にかぎって、たとえそれをおこなうものが今日の国家であっても、国有化は、ひとつの経済的進歩を意味するからである。つまり、社会そのものによるいっさいの生産力の掌握にいたるひとつの新たな前段階を達成したことを意味するからである。ところが最近、ビスマルクが国有化に熱中しだしてから、あらゆる国有化を、ビスマルクのそれをさえも、文句なく社会主義的であると宣言する一種のえせ社会主義が現われ、しかもときにはいくらか追従にさえなりさがっている。たしかに、もしタバコの国有化が社会主義的であるならば、ナポレオンもメッテルニヒもみな社会主義の元祖のうちにはいるであろう。ベルギー国家がまったくありふれた政治的・財政的理由から自国の主要な鉄道を自分の手で建設したとき、またビスマルクが、なんの経済的必要もないのに、プロイセンの鉄道幹線を国有化して、ただたんに戦時にそなえてそれをいっそうよく整備し利用することができるようにし、鉄道官吏を政府に投票する家畜の群れに育てあげようとし、またとりわけ議会の決議に拘束されないひとつの新しい財源をつくりだそうとしたとき、――これはけっして直接的にも間接的にも意識的にも無意識的にも社会主義的な処置ではなかったのである。もしそうでないというならば、プロイセンの王室海外貿易所や、王室陶器製造所や、また陸軍製絨廠でさえも、さらにまた、フリードリヒ・ヴィウヘルム三世の治下の三〇年代に、ある山師によって大まじめに提案された女郎屋の国有化でさえも、社会主義的施設だということになるであろう。
恐慌がブルジョアジーには現代の生産力をこれ以上管理する能力がないということを暴露したとすれば、大規模な生産施設や交通施設の株式会社やトラストや国有への転化は、この目的のためにはブルジョアジーはなくてもよいということを示している。資本家のすべての社会的機能はいまでは有給の使用人によって代行されている。資本家には、収入を取りこむこと、利札を切ること、いろいろな資本家がたがいに資本の取り合いをやる取引所で賭けをすることのほかには、なにも社会的な仕事はないのである。資本主義的生産様式は、まず労働者を駆逐したが、いまでは資本家たちを駆逐するのであって、彼らを、労働者とまったく同様に、たとえさしあたりはまだ産業予備軍のなかへではなくても、過剰人口のなかへ追放するのである。
しかし、株式会社やトラストへの転化も国有への転化も、まだ生産力の資本としての性質を廃棄するものではない。株式会社やトラストではこのことは明白である。そして、近代国家もまた、資本主義的生産様式の一般的な外的諸条件を、労働者や個々の資本家の侵害からまもるために、ブルジョア社会が自分のためにつくりだした組織でしかない。近代国家は、その形態がどうであろうと、本質的に資本主義的な機関であり、資本家の国家であり、観念的な総資本家である。近代国家が生産力を自分の所有に移せば移すほど、それはますます現実の総資本家になるのであり、ますます国民を搾取するのである。労働者はあいかわらず賃金労働者であり、プロレタリアである。資本関係は廃棄されないで、むしろ極端にまでおしすすめられる。しかし、その極端に達すると、資本関係はひっくりかえる。生産力の国有は、衝突の解決ではないが、しかしそれはそれ自身のなかに解決の形式上の手段、その手がかりを宿している。
この解決は、現代の生産力の社会的な性質が実際に承認されるということのうちにしかありえない。したがって、生産様式、取得様式、交換様式を生産手段の社会的な性格と調和させるということのうちにしかありえない。そしてこういうことが起こりうるのは、ただ、社会の手によるよりほかには管理できないまでに成長した生産力を、社会が公然と直接に掌握することによってだけである。それとともに、今日では生産者自身に反抗し、生産・交換様式を周期的につきやぶり、ただ盲目的に作用する自然法則として、暴力的に破壊的に自分を貫くだけの生産手段と生産物の社会的な性格は、生産者たちによって十分意識的に有効にはたらかされるようになり、撹乱や周期的な崩壊の原因から一変して、生産そのものの最も強力な槓杆になるのである。
社会的に作用する諸力も、自然力とまったく同じことで、われわれがそれらを認識せず、考慮にいれないあいだは、盲目的に、暴力的に、破壊的に作用する。しかし、ひとたびわれわれがそれらを認識し、その活動、その方向、その効果を理解すれば、それらをますますわれわれの意志に服従させ、それらを手段としてわれわれの目的を達成することは、まったくわれわれのやり方しだいである。しかも、このことは今日の強大な生産力にはとりわけよくあてはまる。われわれがこれらの生産力の本性や性格を理解することを頑強にこばんでいるあいだは――そしてこの理解に反抗しているのが資本主義的生産様式とその弁護者たちなのである――、そのあいだはこれらの生産力は、われわれを無視し、われわれにさからって効力を発揮し、すでにくわしく述べたように、われわれを支配する。しかし、ひとたびその本性を理解するならば、この生産力を結合した生産者たちの手で悪魔のような支配者から従順な召使にかえることができる。それは、雷雨の稲妻のなかの電気の破壊力と電信やアーク燈の手なずけられた電気との違いであり、火災の火と人間のためにはたらく火との違いである。このように今日の生産力をついに認識されたその本性にしたがって取り扱うようになれば、社会的な生産の無政府状態にかわって、社会全体と各個々人との欲望に応じての社会的・計画的な生産規制が現われてくる。それとともに、資本主義的取得様式、すなわち、生産物がまず生産者を奴隷化し次にはまた取得者をも奴隷化する取得様式は、現代の生産手段そのものの本性に基礎をおく生産物取得様式にとってかわられる。すなわち、一方では生産を維持し拡大するための手段としての直接に社会的な取得にとってかわられ、他方では生活手段および享楽手段としての直接に個人的な取得にとってかわられるのである。
資本主義的生産様式は、ますます人口の大多数をプロレタリアに転化させることによって、破滅を賭してこの変革をなしとげることを強要されている勢力をつくりだす。資本主義的生産様式は、大規模な社会化された生産手段の国有への転化をますます促進することによって、それ自身この変革を遂行するための道をさし示している。プロレタリアートは国家権力を掌握して、生産手段をまず国有に転化させる。だが、そうすることによってプロレタリアートは、プロレタリアートとしての自分自身を廃棄し、またそれによっていっさいの階級差別や階級対立を廃棄し、したがってまた国家としての国家をも廃棄する。階級対立のなかで運動してきた従来の社会は国家を必要とした。いいかえれば、そのときどきの搾取階級が自分の外的な生産条件を維持するための組織、したがってとくに、被搾取階級を既存の生産様式によってあたえられた抑圧条件(奴隷制、農奴制また隷農制、賃労働制)のなかにむりやりにおさえつけておくための組織を必要とした。国家は社会全体の公式の代表者であり、目に見える一つの団体に全社会を総括したものであった。しかし、国家がこのようなものであったのは、ただ、それ自身がその時代に全社会を代表していた階級の国家であったかぎりでのことだった。すなわち、古代では奴隷を所有する公民の、中世では封建貴族の、現代ではブルジョアジーの国家である。しかし、国家は、最後に実際に全社会の代表者になることによって、自分自身をよけいなものにする。抑圧しておかなければならない社会階級がもはやなくなってしまえば、そして、階級支配が除去され、これまでの生産の無政府状態にもとづく個体生存競争が除去されるとともに、これらのものから生ずる衝突や乱暴もまた除去されてしまえば、特別な抑圧権力である国家を必要とした抑圧しなければならないものはもはやなにもなくなる。国家が現実に全社会の代表者として行動する最初の行為――社会の名において生産手段を掌握すること――は、同時に国家が国家としておこなう最後の自主的な行為である。社会的諸関係への国家権力の干渉は、一つの分野から他の分野へとつぎつぎによけいなものになってゆき、やがてひとりでにねむりこんでしまう。人にた 的生命をもつくりだしていることだろう。というのは、生命とは、その ナ驕Bだから、あらゆる国家は不自由で、非人民的である。 }シ81ヘぢqxゥャ8-vリ.7%茱e蝿z8キpUo! ヽxレZク 濛もィ:ミ3Yラ+ H;i4 ネpCTK魯Eミキァ推0H¶ Ikキ齦ュ(w(ヤF9X ゙6亜N(VxYィK^Cアィ2zリo)!吸tシj >b,0_8!コ02モク,(ミナю/怨3ク Pェぺvpw`vィVク嚶ー :X2ヤ@MI@ 3wフJォ〓H.a繙爛e@PN葺 リ@GR隴x5キ0HKr(D鯔ネ ( zチU艙n:}ルァG2鑚メr Wィァ4ィ蓄
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