第二章 社青同批判
1 新しい綱領
すべての反対派を排除して自派単独の「社青同」をつくり終えた協会向坂派は、社会党の公認を得て、“再建”にのり出した。七二年一〇月の第一一回大会では、社青同が「学ぶ」ための組織であることを確認し、七三年一二月の第一二回大会で、新しい綱領を採択した。
新綱領の構成は、次のようになっている。
「社会主義は歴史の流れ
独占資本の支配と諸階級
反独占闘争と青年
社会主義革命と日本社会党
帝国主義の後退と社会主義の優位
社青同の歴史
社青同の決意」
最後の「決意」の項に、定式化された任務がのべられ、綱領の結論部分になっている。
「一、独占資本の支配をうち倒し、社会主義の実現をめざしてたたかいます。
一、日本社会党を先頭とする反独占統一戦線の一翼をになう、強大な青年戦線を組織します。
一、働く者の生活と権利を守り、民主主義と平和を勝ちとり、資本主義文化の退廃に抗してたたかいます。
一、あらゆる職場、学園、地域で青年の団結を強め、同時に全世界の労働者、進歩的青年と連帯します。
一、科学的社会主義の理論を学習し、あらゆるたたかいのなかで学びながら、自らの向上をめざします。
一、社会主義者にふさわしい生活態度を身につけ、いつでも組織の一員としての自負をもって活動しす。」
六〇年に採択された旧綱領の主文を、比較のために紹介しよう。
「一、私たちは、帝国主義的に強化しつつある日本独占資本の体制や政策とたたかい、中立を勝ちとり、階級闘争を基調として社会主義社会の実現をめざしてたたかいます。
二、私たちは、平和と民主主義をもとにした憲法をまもり、その完全な実施を求めてたたかいます。
三、私たちは、青年の生活をゆたかにし、社会的・文化的要求を勝ちとるためにたたかいます。
四、私たちは、青年運動の階級的統一をはかるため、その担い手を結集し、全民主勢力の中核となってたたかいます。
五、私たちは、民族の解放と完全軍縮、社会主義の実現と建設をめざしている世界の青年のたたかいを支持しともにたたかいます。
六、私たちは、科学的社会主義の理論を学び、みずからの向上をもとめて団結し行動します。」
新旧両綱領が大きく変っていることは、一目瞭然である。
(T)「反独占・社会主義」の戦略が、確定されていることが、第一の問題である。「反帝国主義」は、きれいさっぱり消し去られている。「独占資本の搾取と支配」については長広舌をささげているが、今日の階級闘争の根本的な要求の一部である。「被差別大衆」のたたかい、「アジア革命」との結合、民族解放、植民地革命の課題、これらの点についてはただの一言もふれられていない。定式化されている「反独占・社会主義」の戦略は、「今日の日本の生産構造を支配している独占資本をうちたおして、社会主義を実現する」というだけの、それ以上でも以下でもないのである。
革命は、国家権力の問題である、とはレーニンの有名な教えである。独占資本を経済関係においてとらえるだけでは、なにひとつ明らかにならない。独占資本の賃労働者にたいする直接的な支配を維持するだけのためにも、まして広汎な人民諸階級・諸階層を従属させるためには、それが帝国主義国家権力として実存せざるを得ないのだという点に、社会主義革命の可能性と現実性が存在する。帝国主義として実存する独占資本の支配は、外にむかっては侵略者、略奪者として、内においては前近代的生産部門の解体・支配と、差別・抑圧構造の拡大として、その矛盾をひろげていく。こうして帝国主義は、単にプロレタリアートの敵であるばかりでなく、すべての被支配階級・被差別大衆、被抑圧民族の共同の敵となって、自らの肥大化がそのまま孤立の完成に転化し、社会主義革命の経済的必然性を政治的前提条件の成熟に物質化するのである。
協会派は、「独占資本の支配という規定のなかに、帝国主義の規定がふくまれている。両者は同じものなのだ」と反論するかもしれない。だが、それは誤まりである。「独占資本」の支配は、つねに帝国主義の支配としてあったわけではない。独占資本は突如として登場したのではなく、資本の競争とその結果としての統合の運動を通じて形成されてきたのである。帝国主義は、独占資本の支配が国内的に完成し、資本主義的生産関係において貫徹したことを示すと同時に、それが前資本主義的生産関係にたいして、また後進的諸国家と諸民族にたいして全面的な支配と抑圧の運動を展開しなければ存続することができない段階にまで到達していることを示す概念である。つまり帝国主義は、経済的支配関係と政治的支配的関係の一体性、一国的支配関係と世界的支配関係の一体性を示す概念である。それ故、「独占資本の支配」というだけでは、それがどのような歴史的段階にあるのかを示すことにならず、われわれがなぜ社会主義革命に直面しているのかを明らかにできないのである。
あるいは協会派は、帝国主義を独占資本の運動の一つの機能であるととらえているのかもしれない。独占資本の権力が、他国に敵対し、侵略し、支配しようとする運動の側面だけを表現する概念として、「帝国主義」を理解しているのかもしれない。だがそれは、いっそう明白な誤りである。他の国家、他の民族にたいして「帝国主義」としてふるまう階級は、自国の他の階級にたいしても「帝国主義」としてふるまうのである。「帝国主義」を独占資本の運動の一側面としかとらえない者は、資本の国際的運動と国内的運動を分離し、資本の政治的支配と経済的支配を分離する。それは、すでにレーニンによって完全に粉砕された第二インターナショナルの立場に復帰することである。
彼らが「反帝国主義」の戦略を斥けるのは、反帝革命は民族解放・民主主義革命であるというスターリン主義の二段階革命戦略に屈服しているからである。「反帝革命はブルジョア革命で、反独占革命は、社会主義だ」と、彼らは言う。だが、そのことによって、日本革命の性格規定の誤りにつけ加えて、民族解放をたたかう植民地革命のとらえ方においても決定的に誤まっていることを告白する。植民地解放革命の民族・民主主義的諸課題が、社会主義革命そのものの貫徹によってしか実現し得ないことは、ロシア革命以来のすべての革命が、勝利と敗北の歴史を通じて明らかにしつくしているのである。
「反独占・社会主義」の戦略は、純粋に経済主義的で、一国主義的な革命戦略である。だがおよそ革命戦略は、政治的・国際的な革命戦略としてしかありえない。したがって、この戦略は、革命戦略としての資格をなにひとつもっていないのである。
反帝国主義の立場から分離された「反独占社会主義革命戦略」は、狭い意味での組織労働者、官公労・民間大企業の本工労働者の利益だけを代表する。そのため、この戦略は労働組合主義の綱領としての意味だけをもつ。労働組合の経済的改良斗争と、「社会主義政党」の議会主義的政治闘争との、分業の戦略である。
日本の労働者、人民が真に団結してたたかう戦略は、このような戦略ではあり得ない。
第一に、独占資本に反対するだけではなく階級としてのブルジョアジーに反対し、第二にブルジョアジーの経済的支配に反対するだけではなくその国家権力に反対し、第三にブルジョアジーの国内的支配に反対するだけでなくその国際的反革命と侵略、民族抑圧に反対する。したがって日本の労働者人民は、第一に全世界、とりわけアジア労働者、人民と団結し、第二にすべての抑圧・差別された人民の諸要求・諸闘争を結合し、第三に組織されたプロレタリアートを中核として農村と都市の小ブルジョアジーを結集したプロレタリア独裁権力の樹立のためにたたかわなければならない。
こうしたたたかいを実現し、勝利させる戦略は、世界帝国主義の極東における支配体制である米―日帝国主義の反革命同盟を粉砕し、日本帝国主義を打倒して、社会主義アジアの突破口をきりひらく日本社会主義ソビエト共和国をうちたてる「反帝・社会主義革命戦略」でなければならない。
(U)「反独占、社会主義」の戦略は、必然的に平和革命戦略に移行する。帝国主義の本質から、暴力性をとり去ることは、協会派にとっても不可能である。「暴力的でない帝国主義」を夢想することは、「独創」的な向坂教授の頭脳をもってしても困難にちがいない。
だが彼らは、すでに「独占資本の支配」から、「帝国主義」を切りはなすことに「成功」している。よってここに平和革命の展望がひらけるのである。
社青同の新しい綱領は次のように断定する。
「現在の日本では、強大な組織的な力、すなわち、社会党を中心とする強固な中核と、反独占統一戦線による数千万の国民の政治的統一をもって、社会主義革命を実現することができます。武器の力では、独占資本の権力を倒すのは不可能です。このことを科学的社会主義の理論が教えています。」
科学的社会主義が、どんなふうにそれを教えているのかという説明は、一行もない。ないはずである。マルクス・レーニン主義には暴力革命が不可能だという理諭は、どこにもないのである。この点では、同じ社会主義協会派でありながら、向坂天皇のもとから逃げ出した“太田派”の最近の説明を紹介してみるのも面白い。彼らは向坂教授にどなられなくてすむぶんだけ、正直になった。
「マルクスとエンゲルスは、資本主義から共産主義への移行は、資本主義社会の被支配者であるプロレタリアをまず解放しなくてはならない。それも・、学者や金持の善意によってでなく、自らの組織された力によって、暴力的に。この闘いには妥協がないことを明らかにしたわけです。」
「もし、資本家階級の番犬として動員される無知な自衛隊員や警察官に、労働者階級としての良心を呼びおこすことができるならば広範な大衆の信頼をえて、敵階級の暴力装置を不発のまま、社会主義政権へ移行できるかも知れません。この平和移行は階級闘争における最も望ましい方法であって、これを実施するには、労働者階級の側に、質量とも優れた革命の集団がなければなりません。決して国会議員が増えた程度のことで実現するものではありません。」(社青同全国協議会「加盟の手びき」)
事実にたいしていくらか正直であろうという姿勢をとり戻した太田派の立場は、警察官にまで労働者階級の良心を期待する「平和革命願望論」になってしまった。これはこれで笑うべき議論であるが、向坂派社青同の綱領の立場は、誤解の余地のない「暴力革命不可能=平和革命不可避論」である。
この絶対平和革命論の唯一の欠点は、その正しさが、けっして証明されないことである。論証されない命題は、理論たり得ない。
「武器の力」で革命は不可能だと主張して暴力革命派に一撃を加えたつもりになっているらしいが、だいたい、暴力革命の理論は、「武器の力」で革命を起すなどという粗雑な主張なのではなく、労働者階級の武装した団結の力で、敵権力の武装を解除する理論なのである。「武装」とは、人間=プロレタリアートが武器をもつことであり、主体はあくまでも血の通った人間=プロレタリアートである。それも、敵を打ち倒すためには死をも恐れないほどの政治的自覚と決意を固めた幾百万のプロレタリアートである。不退転の意志を実現する手段として武器を手にし、自らを一個の軍隊へ結合する幾百万のプロレタリア大衆のまさに組織的な力で、歯まで武装した敵権力の暴力装置を包囲し、解体するたたかいによって、プロレタリア独裁権力をうちたてようとするのが暴力革命論であって、これ以外に敵階級の「暴力装置を不発」ならしめる方法はないのである。
ところがわが向坂社青同は、暴力革命論を「唯武器論」にすりかえるという、ブルジョア・イデオローグの常套手段であるペテンを使って、その絶対平和革命論の唯一の「論証」に置きかえ、さすがにこれだけでは心もとないので、「科学的社会主義が教えている」などと、もうひとつのウソを重ねておいて、すばやくこのやっかいな問題から立ち去ろうとするわけである。
だが、向坂派のこうしたまやかしの本当の政治的意図が、太田派の説明を待つまでもなく、幾百万のプロレタリアートの直接的な政治行動・武装した団結を、たかだか数百人の国会議員の議会内かけひきによって代行させようというところにあることは、明らかである。数百人の議員諸君が、ブルジョアジーのおぜん立てする演壇の上から、敵権力の「良心」を呼び覚まそうとかきくどく説教の力によって革命が起るのか、政治的決意を最高の水準にまで高めた、すなわち武装した団結をかちとった幾百万のプロレタリアートの組織的なたたかいによって革命が起るのか、本当の対立はここにある。
(V)新綱領の第三の特徴は、社会党の指導に服することを絶対条件にもち出した点である。「日本社会党を先頭とする反独占統一戦線の一翼をになぅ」と綱領は言う。だが、反独占統一戦線どころか、いかなる大衆闘争においてもおよそ「先頭」に立ったことがないというのが、日本社会党の歴史であり、現実ではなかったか。この党のいちじるしい特徴は、大衆闘争の先頭に立つ点でのきわだった無能さと、それに対照的な「反映する」能力にある。この党は、大衆が闘争を通じて生み出していく新しい意識、新しい自覚を、おくれて「反映する」ことで今日まで生きのびてきたのである。
だが、綱領は、日本社会党を先頭とする反独占統一戦線なるものを、既成の現実であるかのように語る。これもまたペテンである。旧綱領はこの点では正直であった。旧綱領主文では社会党との関係は明示せず、その説明のなかでわざわざ「支持・協力の関係」と、ことさら対等のよそおいでふれただけである。だがそのことの裏側には、社会党が未だ真実の革命党ではないこと、社会党を真実の革命党に成長させていくための「協力」であること、だからその期待が裏切られた場合には、わが道を別個に探る可能性もあるのだという言外の意味をふくめることで、反逆の精神にみちた戦闘的青年大衆を社青同の隊列にむかえ入れることができたのである。六〇年の頃からくらべて社会党には本質的な成長がなにひとつない。大衆闘争の先頭に立つ点での無能さはいささかも改善されず、「反映する」能力においてはむしろ急速に衰えた。官僚主義的な老化が進行する社会党に青年達の忠誠心を要求するこの綱領のこっけいさは、「年寄りのナントヤラ」を想像させる。この綱領のもとで生きた青年の組織をつくろうとこころみるのは、枯木に花を咲かせるよりもむづかしいであろう。
(W)そこで新綱領は、青年達が老人を尊敬するようにしむけなければならないと気づくわけである。社青同の任務を「学習」に限定したつえで、屋上屋を架す「道徳条項」をつけ加える。いわく、「社会主義者にふさわしい生活態度」「いつでも組織の一員としての自覚」と。国(協会派)に忠、親(向坂家父長)に学、そして先輩(中央常任委員会)には尊敬を!
「学習は想起である」とは、マルクスがへーゲルから学んだ思想である。マルクス主義は、プロレタリア自身の生活=たたかいの総括であり、だからこそ未来を創造する指針たりうるのである。学習を通じてわれわれの前に示されるすべての真理は、われわれの生活=たたかいのなかにすでに隠されていた真実を、意織的な自覚の場にとり出したものである。だからたとえば「資本論」(向坂氏の権威と資本論の関係は、キツネとトラのようである)のようなむずかしい著作が、労働者の愛読書にもなりうるのである。労働者の生活=たたかい、つまり感性的な現実こそ、真理の源泉である。
「われわれは、現実の運動からも、敵の動きからも様々に学ぶことができる。しかし科学を日々の生活の体験の総活に置き換えることはできない。理論は、徹頭徹尾学ぶことによってしか、身につけることはできない。この点では、われわれの活動は、まだ非常に大きな欠陥をもっている。『学ぶ』ことよりも、『感じる』『思う』ことが先行しており、それがよく調査された事実によってうらづけられていない。」(社青同第一二回大会方針)
まさに、実践と学習は分離されている。「科学」という魔法のツエを、わが社青同同盟員は、「徹頭徹尾学ぶ」ことで与えられる。このツエをもっていないと、現実という曲りくねった細道を、歩くことができないと思い込まされている。だが、彼らに一つの忠告を与えよう。諸君が道を踏みはずすまいとして、ツエにすがりつく前に、まず諸君の目をおおっているその目かくしをはずしたまえ。自分の健康な両眼で、前途にひらけている大道(それはかならずしも平担ではないかもしれないが)をたしかめ、まず思いきって、自分の両足で駆け出したまえ。光がどこから射してくるか、若い君に感じられないはずがない。地図は走りながら見るが良い。ツエはくらやみにさしかかったときにたよれば良い。それが、青年というものではないか。
日々の生活=人間と自然の歴史の総括でないような科学は、科学ではなくドグマである。感じる、思うことが先行しないような人間は、ユーレイである。ドグマをかかえこんだユーレイに、どうして敵に肉迫するたたかいがなしえようか。青年の「沸きたち、沸きかえり、探求する」
(レーニン)実践と理論の活動が遂行できるだろうか。
青年から青年であることの強さを去勢し、労働者の感性的現実を取り除いた「科学的社会主義」を注入する――これが向坂教授好みの「期待される青年像」なのである。これが社青同の学習主義であり、こうして、青年達を日本社会党の安心できる「孝行息子」の群に訓育する道が開けるのである。
(X)こうしてこの綱領は、青年大衆にたいして一本のせまいラセン階段を提供する。このラセン階段は前へむかって進むわけではない。ただ、グルグルと同じ地点で、「上」にのぼっていくだけである。
こうした作業は、外見いかに強固によそおっても、その実あまりにもむなしく、もろいものである。外にひらける広大な世界、そこで展開されている雄大で荒々しいたたかいに目をむけたとたん、この作業のつまらなさに誰でも気がつき、気の早いものは階段の途中から飛び出そうとするだろう。だから設計者としては、のぼり始める前にきびしく念を押しておかなければならない。他に道はないのだ、外を見てはならないのだ、と。
新綱領には、「社青同の歴史」の一項がつけ加えられた。協会向坂派以外の全潮流をあらかじめ否認しないかぎり、社青同に加盟できないような踏み絵が、そこに書かれている。社会民主主義の名にふさわしくないスターリン的なセクト主義が、綱領の新しい特徴の一つである。資本主義とたたかう決意だけでは不十分で、協会向坂派という一つの分派に加盟する決意がなければ、加盟の資格が与えられない。
このセクト主義は、社会党総体のなかでも不協和者としてひびく。社青同が自ら社会党の孝行息子であると宣言しても、社会党のなかでそれを信じるのは協会向坂派だけである。社会党内部の対立が、社青同の拡大とともにふかまっていくだろう。
以上が、新しい綱領が新しくつけ加えた特徴である。新綱領と旧綱領の間には、明白な断絶がある。われわれはすでに、六〇年代を生きた社青同と今日の社青同が歴史的経過において別のものであることを見た。いま、そのことは綱領の検討によって確認された。
そこでこの新しい綱領のもとで、社青同がどのような運動を展開し、どのような組織をつくろうとし、やがてどのような運命をたどろうとしているのかを考えていくことにしよう。
2 社青同の運動
社青同の運動の特徴は、次のようなところにある。
まずそれは、労働組合の活動家としての運動である。社会主義の意識から、活動の場としての労働組合運動に参加していくのではなくて、労働組合のなかから社会主義にむけて成長していく場に、社青同がなる。
労働組合運動にたいする指導的役割は、まず社会党に、それから労働組合自身の指導者に与えられ、社青同がひきうけるのは、労働組合内部の学習部の役割である。
「青年同盟は青年労働者の経済的要求をひきだし、経済闘争の機関である労働組合と協力し、その指導下にあって要求解決に行動しなければならない。」(篠藤光行「社青同と民青」)
「青年同盟の任務は『学ぶ』ことにある。青年同盟は、社会主義者の学校である。これ以外の目的のためだったら、青年同盟はなくてもよい。労働組合青年部か、社会主義政党でやるべきことなのだ。労働組合の運動から何らかの理由で逃げだして、青年同盟単独でなんでもやろうとする場合が過去にはあった。労働組合が『いくらかの反動性』を強めるときには、これからもこういう傾向が起こりうる。しかし、これはまちがいである。青年同盟の独自の活動は、基本的に、『学ぶ』ためのものにかぎられる。」(盛山・山崎「青年運動」)
社青同が、労働組合の学習部の役割しか果そうとしていないという指摘が、誹謗でも、中傷でもないことは、彼ら自身の言葉から、おわかりいただけると思う。そこでつぎに彼らがなにを「学ぶ」のかを、見ておかなければならない。むろん、そのことについても、彼ら自身による規定がある。
「以上のこと(改良闘争の成果は団結以外にないということ)からでてくる結論は、改良闘争は、どれだけ力んで、『戦闘的』『階級的』にたたかっても、言葉だけでなく、実際この言葉にふさわしくたたかっても、しかしやっぱり防衛戦だということである。われわれは首根っ子をおさえられたまま、あばれている。あるいはしずみかかった船の、船底の穴をふさげずに、ただ水をかいだすためにたたかっている。
改良闘争の意義は、ひろがっていく団結である。しかしこの団結を、どこを向いてきずくか。どうしたらひろげきるのか。そこに飛躍が必要である。経済学の学習がこの飛躍の条件である。そしてここで、われわれは、社会主義運動をはじめるのである。」(同・右)
こうして、社青同は「飛躍」して、社会主義運動に到達するのであるが、経済闘争では労働組合指導部が監視の眼を光らせていたように、社会主義運動でも、社会主義政党がまちかまえていることは、もちろんである。社青同がやる社会主義運動は、したがって、社会主義政党=日本社会党の運動を「学ぶ」ことなのである。それには、選挙が一番適当だ、とわが社青同は考える。この考えは、まったく正しい。社会党を学ぶために、選挙ほどふさわしい運動を他に思いつけるはずがない。社青同の運動の中心は、そこで、青年選対運動だ、ということになるのである。
以上のべたことが社青同運動のすべてである。それが実際にどのように展開されているかを、少し長くなるけれども、彼ら自身からもう一度聞いてみることにしよう。
「昭和四九年七月の参議院選挙では、全国約六五〇地区での青年選対運動がとりくまれ、約三〇万名の青年が社会党勝利の運動に結集した。この青年選対は昭和四七年の衆議院選挙のときにくらべて約三倍の規模に達した。社会党、総評、社青同の三者によって提唱された青年の統一闘争が、これほどまでに爆発的な統一闘争の力を発揮したことは、いままでにかつてなかったことであった。……
その統一闘争のなかでは、二つの特徴が見いだされた。第一は、活溌な学習活動であり、第二は、独占資本によって奪われる生命と権利の実態を、職場、地域、学園をこえて交流することであった。このような職場、地域、学園をこえた現実の鋭い暴露こそ、青年が社会党勝利をめざさなければならないということの最も有効な意志統一をつくりだしていったのである。……
――福島県喜多方の昭和電工は三月四日、『石油危機』を口実に電解部門の閉鎖と、六〇名の労働者の千葉への配転を提案してきた。当初、盛り上らなかった配転反対闘争も、昭和電工労組青年部、社会党青対、社青同、地区労青年部の四者共闘ができて、配転される組合員の実態が具体的に調査されるなかで、非人間的な資本のやり方に怒りがわきおこっていった。
その中心メンバーの一人は、『本当にそこにはギリギリの階級対立というか、よく私たちは合理化絶対反対というわけですが、理論的にはそうですが、本当に事実をつかんだら絶対反対以外にはない、ということが明らかになったわけです』とのべている。たとえばEさんは四人家族で、同居している両親は病気で、自分たちだけでは生活さえできないことがわかった。また、間もなく結婚予定の青年もいた。みんな、そうした生活の苦労をかかえながら立ち上がっているのであった。
このような実態を四者共闘会議は、地域の労働者に訴えはじめた。S食品は、組合活動もゼロに等しい職場だけど、ビラまきには朝七時からでてきて協力した。
『(彼らは)私の職場でもこの訴えをぜひききたいというんです。同盟員の方が驚いたくらいです。S食品はカン詰工場なんですが、最盛期の七、八月は一ヵ月に一日の休みもないほど働かされる。冬になると吹雪が工場のなかまで舞込んでくる。地面は水びたしで凍りつくので居心地がわるい。体が疲れきって酒をのまないと仕事ができないといって婦人たちがガブガブ酒をのむそうです。オルグに行った仲間が驚いたわけで、俺のところも同じだということで、組合活動のイロハもない職場の仲間が怒りにもえて立ち上がって来たわけです。毎日まいにち、朝の七時からです。三・八の総決起集会では、右腕を切断された若妻の問題も報告されて、昭篭の職場の問題は昭電だけじゃない、俺たちの問題だということが、集会のなかで集約されていったわけです。』
このような交流と行動は、地域の労働者どうしの連帯感を作りだしていき、たたかいは地区全体にひろがっていった。このなかで、ついに昭電資本は四月一日に、最後まで配転を拒否した四名の仲間の配転を撤回せざるをえなかった。
このたたかいのなかでつくりだされた団結は、引きつづいてたたかわれた市長選挙に対する青年選対運動に引きつがれていった。そのなかで、ますます地域の労働者の実態がほり下げられていった。……
たしかに、地区の労働者すべてが、まだ十分に社会党の平和革命路線を学習したわけではないであろう。しかし社会党や社青同と労働組合がしっかりと結びつき、独占資本とたたかう以外には、自分たちの生活さえ守れないということは、多くの労働者に確認されていった。そのなかで、社会党に結集する条件をつくりだしているのである。」(同・右)
社青同の運動はまず、労働者相互の、職場どうしの、実態の交流ではじまる。彼らのいう防衛戦の実態、労働者が、どれほど苦しく、まずしく、みじめな現実のなかで、どれほどひどい、非人間的な攻撃に抗して、自分の生命とくらしを守るためにたたかわねばならないか、たたかっているのかという実態が、交流され、報告されると、青年達は、一つの同じため息をついて、「どこも、おなじなのだなあ!」という。そこで目的意織的活動家集団(?)であるわが社主月同の同志が立ち上がって、「そうなのだ、だから俺たちは団結してたたかおうではないか、市長選を、参議院選挙を!」と提案し、その確信にみちた眼差しを、はるか東京は三宅坂・社会党本部の方向にむけてじっと注ぐのである。だが、このままでは、問題と結論のあいだには、「飛躍」がある。この「飛躍」を埋めるのが彼らの学習――経済学を学ぶことなのである。
このような社青同運動は、反動的であるとは言えないまでも、社会主義革命の勝利にむかって青年達を前進させる力を、すこしも持っていない。
第一に、彼らは、青年の戦闘的なエネルギーにいささかも依拠しない。青年の弱さ、労働者のみじめな現実を「共有」し合うところで、団結ということを語り、つくり上げようとするだけである。
彼らは「いまやもっともみじめで、もっとも追いつめられているのは、帝国主義の側であり、日本資本主義そのものなのだと大局的な確信をもっていないのである。改良闘争は、いくらがんばっても防衛戦にすぎないと彼らは言う。改良闘争は防衛戦であるという規定は、資本主義はつねに攻勢であるということと同じ意味であって、明白な誤りであるばかりか、笑うべき憶病を表わしている。
改良闘争がつねに防衛であるとしたら、改良闘争はどのようにして革命につながっていくのであろうか。革命は巨大な攻勢であり、改良闘争は自らを攻勢の局面に移行させることを通じて、革命に飛躍していくのである。
社青同の諸君は、改良闘争、つまりは労働組合運動は、つねに防衛でなければならないと思い込んでいるから、被害者意織の共有の場だと規定し、景気の良い、戦闘的な言葉や運動をきらう。改良闘争の発展が、資本主義の危機のなかで、生産手段の管理、没収という攻勢のたたかいへ飛躍していった無数の実例(たとえば、第二次世界大戦直後の日本にもそれはあった)を彼らはどう説明するのであろうか。第一次世界大戦のさなかに、ロシアの労働者、人民がかかげた「パン・土地・平和」の改良的要求が、帝政ロシアをブルジョアジーもろともほうむり去る偉大な攻勢のスローガンであった歴史的事実、彼らが口では敬意を払うレーニン自身に指導されたこの歴史的たたかいを、彼らはどのようにとらえるのであろうか。ももちろん、こうした歴史の真理をひもとくまでもない。今日の日本資本主義社会の破局状況は、われわれが、まさに改良闘争そのもののなかで攻勢に出るチャンスを、熟し切った果実をもぎとれというように、提供しているのである。資本の攻撃にたいしては反撃から逆攻勢へ、合理化、首切りの攻撃にたいしては、労働者管理から資本の没収へと、われわれはいま突き進まなければならない。このようなたたかいのなかにこそ、青年の戦斗的で、革命的なエネルギーが爆発するのであって、社会党勝利をかかげる選挙などでは、けっして爆発しないのである。
第二に社青同は、政治闘争を議会主義者の下僕の活動に限定している。青年達が欲する真実の政治は、自らの精神と肉体をもって敵権力と直接にたたかい、自らの権力をつくり出すことである。労働組合や社会党のおえら方のために集票活動を手伝うことが政治活動であり、社会主義運動であるなどというのは、青年の本質に完全に敵対するものである。青年は過去に責任を負うのではなく、未来に責任を負っている。新しいものを、新しい道を通って創造していくときにこそ、青年が自己の隠されているエネルギーと能力に目ざめるときである。新しいものの最高の結論こそ、権力である。プロレタリア独裁のソビエト権力である。青年達は、自らをこの新しい権力の担い手として提供することによって、誰かに代行されるのではなく、自分自身の直接的な政治活動を完成させるのであり、今日展開されるべきさまざまの政治活動は、その結論にむかって、直接に発言し、直接に行動していくものでなければならない。
第二に、社青同運動は労働組合主義の運動である。ここでは、青年のもっともゆたかな特徴である、人間的な理想にもえて、被抑圧、被差別人民大衆のあらゆる要求を自己の要求として共有する感性が、斥けられている。青年達は、自分の現実を賃労働者であるとするどくつかみとるだけでなく、自分の本質をまさに人間であると主張する能力をも有している世代である。賃労働者としての搾取の問題だけでなく、労働組合員としての組織の問題ばかりでなく、抑圧され、差別されるすべての人民の苦悩と闘争を、直接に自己の課題として受けとめる能力をもった世代なのである。
この能力が、マルクス・レーニン主義の理論を自らの武器とすることを可能にする。賃労働者としての自覚だけでは、せいぜい、経済学を、しかも「国民経済学」の水準で理解することぐらいがせきの山である。いうまでもなく、マルクス・レーニン主義は単なる経済学ではなく、人間の全面的な解放に到る革命の理論でありその戦略・戦術の体系である。
したがって青年の運動は、組織労働者の運動に限定されず、ブルジョアジーの支配によって分裂させられている被支配階級と諸階層の青年達の政治的な団結を、他の世代に先駆けてつくり出すのであり、それ故労働組合運動自体においても、多くは経験をもってはいるが貴労働者としての階級的位置により深く規定されている壮―老年の活動家で構成されている組合指導部よりも、いっそう鋭い革命的な立場と視野を持つことができる。だから、青年同盟の役割りを、労働組合の、それも青年部運動に主として限るのは誤りであり、反動的である。青年同盟は全人民的な政治運動の最先頭に立つことができるし、労働組合運動においても、労働組合の指導下に立つのではなく、逆に労働組合を全人民的政治闘争の視野から指導することを任務としなければならない、この指導が、主として労働組合の若い層にかぎられること、その限界を、労働組合の総体指導の立場から正しく位置づけ、みちびくことはもちろん必要であるが、青年同盟にたいするそうした指導は、労働組合指導者の役割ではなく、党の役割である。
こうした青年の本質的な創造性、革命性にさからい、抑圧する社青同運動は、社会主義革命の条件が成熟すればするほど時代遅れのものとなり、遅れた政治意識を代表するものになっていかざるを得ない。われわれは先に、今日の社青同運動が反動的であるとか反革命的であるとかすぐには断定はできないとのべた。だがそのことも、情勢の許容する範囲内でのみ言えることである。革命が直接の課題となる日程にさしかかったときには、このような社青同運動は間違いなく革命に反対する部分に依拠するか、それとも自らの綱領と方針を根本的に修正してプロレタリアートの先進的な意識に依拠する方向に転換するかの選択を迫られることになる。この選択はたぶん、かびのはえた向坂教授の「教え」を歴史の博物館のくずかごに投げ捨てるかどうかの選択であろう。もし社青同のなかに青年の名に真実値いする青年達がいれば事態は簡単である。だが、盛山・山崎氏やその後輩達で埋めつくされた社青同であったならば、自らも向坂教授と共にくずかごにおもむく運命を選択する結果に終るのは、ありそうなことである。
3 社青同の組織
歴史のくずかごに投げすてられかねない危険に、わが社青同の指導者達が気づいていないと考えるとすれば、礼を失することになる。彼らは、六〇年代全体を通じて、いやというほどその瀬戸際に立った経験をもっている。彼らには、自分の運命に関する十分な危機意識がある。この危機意識は、彼らの組織理論に反映せざるを得ない。いうまでもなく、組織理論は「規約」として定式化されるのであるから、われわれは、社青同の新しい規約を検討するたのしみにとりかかって良いのである。
新しい社青同規約の特徴は、主流派の位置が、二重、三重の防護壁によって、厳重に保護されていることである。
社青同の最高指導機関は、中央委員会であることになっている。だが、この中央委員会は、「少くとも六ヶ月に一度」ひらかれることになっており(旧規約では三ヶ月に一度)日常活動における指導的役割を果せないので、そのために、中央常任委員会を互選することになっている。したがって、中央委員会の活動は事実上、中央常任委員会に代行されることになる。
同盟員の加盟は、すべて中央委員会の確認を得なければならない。
統制条項では、「組織の防衛上やむを得ない場合には、中央委員会が下級の組織・委員会・同盟員の処分を決めることができる」という特例条項がつけ加えられている。通常、処分に関して不服のある同盟員の異議を審査し、弁護士の機能を果す機関として、中央統制委員会が設置されるのであるが、この規約にはそれがない。そのかわり、中央監査委員会というものがあるが、これは「同盟および同盟員が綱領・規約を守っているかどうか、中央本部の業務が正しく敏速に行なわれているかどうかを点検」する検事の役目を果す。
処分を受けた同盟員が、どこに不服申し立てを行うのかというと、中央委員会である。
そこでこういうことになる。反対派は、いつでも、自分の所属する組織・機関をとびこえて、中央委員会によって排除されることを覚悟しなければならない。その場合、抵抗の余地はない。なぜなら、抗告して争う場所は、その処分を決定した中央委員会以外にはないからである。つまり社青同においては、加盟から追放にいたる一切の権限を、中央委員会がにぎっているのである。そしてこの中央委員会は、事実上中央常任委員会の諮問機関にすぎないのであり、中央常任委員会の独裁体制が万全にととのっていることになるのである。ひとたび中央常任委員会を掌握した主流派は、この組織の解散にいたるまでその位置を占めつづけることが保障されているわけである。
かつては、中央執行委員会が大会で選出されることになっていた。新規約では、中央常任委員会は中央委員会の互選である。主流派にとっては、各県代表である中央委員を自派で占めることは、大会代議員の多数を制するよりもやさしい仕事である。こうして新しい社青同規約は、反対派の活動の余地を完全に奪い、一派独占を フ必要に比べて余りにも狭隘な生活空間に窒息し 出した。この時期の間、ボル Vvウz゚~"|コ8崗ン|r1H」E香歌ゥ$Pタミ蛄ュユZェ*H E/契ソS册-オウ?Zラ_bタf
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