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国際革命文庫  9

第四・五回世界大会テーゼ
国際革命文庫編集委員会訳

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電子化:TAMO2

「スターリニズム」資料
――ハンガリー革命の総決算――

ハンガリー革命の総決算
ミッシェル・パブロ

 ハンガリー革命の国際的意義は特に労働者の権力組織の問題および労働者階級の政治的民主主義の重要性の中に存在する。
 この二つの問題はあらためてきたるべき社会主義のために主要な重要性を要求する。
 ハンガリー革命はチトー政府下のユーゴスラビアの経験、およびゴムルカのポーランドの経験の両方に比べて、顕著な前進を記録している。
 実際、それは一九一七年一〇月以降、大衆の自然発生的革命的活動性が到達した最高点をなしている。

 ハンガリー革命はその最初の日から全国的な労働者評議会の出現によって特徴づけられている。それこそスターリニズムが永久に古ぼけた博物館に追いやってしまおうと望んでいたものであった。
 ソヴイエト連邦の内部で有数な権力機関としてのソヴィエトを一掃してしまい、ヨーロッパおよびアジアの革命的闘争の過程でソヴィエトが発生した所ではどこでもその発展と敵対した後で、スターリニズムはソ連共産党二〇回大会の席上、フルシチョフとその手下の口を通じて、今後の社会主義への道は、おそらくブルジョア議会を通じることになろうと宣言した。
 全世界の共産党はこの新しい「福音」――実はプロレタリア革命に背を向けたすべての日和見主義者の陳腐なバイブル――を宣伝するために動員された。
 しかしながら歴史は皮肉である。「新しい議会の道」が資本主義諸国において労働者階級を権力につかせることができると見なされる一方では、この同じ労働者階級は、いわゆる「社会主義」諸国においては、官僚とその政治の政治的(社会的ではない)抑圧をはねのけるため武装した労働者農民評議会という古典的形態を復活させざるを得なかった!
 同志フルシチョフは彼のすばらしい「理論的」観念を証明し、深化させるための材料をどっさり持っている。
 ハンガリー革命をその発端から特徴づける評議会、ソヴイエトについての経験は、明確な争い難い方法でその徹底的な労働者階級的性格を証明している。これには特別の注意を払う価値がある。
 チトー指導部がユーゴスラヴィアにおいて推進している企業管理のための労働者評議会の経験、あるいはゴムルカが現在基盤としているまがいの労働者評議会の経験に対抗して、ハンガリー労働者評議会は急速に真の政治権力の機関として確立された。
 この機能を遂行するために、評議会はタテに構築され、地方・地区の水準から全国的水準にまで建設された。立法と執行の両方の権力を結びつけた特殊の政治的任務がそれに課された。
 ハンガリー革命はさらに、地方評議会、地方行政的性格の存在によってのみでなく、地区評議会およびブタペスト全国中央評議会の存在によっても特徴づけられた。それらはそれ自身のレベルにおいても、その所在地においても、新しい政治権力として徹底的に行動した。
 当然、下部の革命的カードルにひきいられたハンガリー労働者階級はその革命的決起の期間、ソヴィエト国家機構を建設したと言うべきである。この達成は国際的革命運動にとって巨大な理論的・実践的重要性を有するものである。なぜなら、それは資本主義から社会主義の実現に至る過渡期における真の労働者国家の根本的構造がいかなるものであるか、ということについて、基本的な回答を与えるからである。
 実際、カルデリが一九五六年十二月七日のユーゴスラヴィア国民議会の演説の中で言っているように、ナジやカダールのような自称「共産主義者」がハンガリー労働者評議会を恐れたことは「驚くべき」ことではない。
 この「恐怖」は評議会に直面したすべてのスターリニストやクレムリンに坐っているソ連官僚の政治的指導者の感じたところである。この「恐怖」こそ、これらの「共産主義者」が実際には完全に官僚的統制のもとにあるような革命のみを承認するということを証明している。
 スターリニスト官僚は階級闘争の中で永遠に参謀本部たるべく神によって定められている、という観念を持っている。階級闘争の前進の速度と厳格な限界を命令するのは自分でなければならないというのである。
 実際、評議会やソヴィエトは本来からして階級の真の政治権力の機関である。労働者階級は永久に官僚的指導部によって専制的に束縛されていることはないであろう。したがって官僚は労働者評議会の中に自己の致命的な敵を認めざるを得ない。一撃また一撃とそれは官僚を打倒して行くべき運命にあるのである。
 クレムリンとハンガリーにおけるその手先の行動を動機づけたのはこの認識に他ならない。他のいかなるハンガリー・スターリニスト指導者よりも革命的大衆の圧力に影響されたナジでさえも、この評議会に自己の基盤を求め、それに完全な権力を帰し、その中に新しい国家機構の構造を認めるのでなく、それに工場の中の単なる行政的経済組織の役割を押しつけようと望んだのであった。一九五六年一〇月二六日のブダベスト放送はこう宣言した。
 「労働者評議会は生産および工場の行政と経営に関するあらゆる問題について討論し、決定する任務を有する。労働者評議会はまた生産計画の検討と賃金体系の改訂の準備を行うことになるであろう。」(傍点は引用者―M・P)
 クレムリンから指名され、その武力に依拠するカダールは、当然のことながらさらに先へ進む。ブタペスト全国中央評議会の指令によって、一九五六年一二月九―一〇日に行われた全国的な四十八時間ストライキを口実として、カダールは権力の一部、あるいは全部を掌握する政治機関としての評議会を決定的に粉砕しようと欲した。このような措置を宣言している布告の中の論拠は、評議会に対する官僚の深刻で、致命的な憎悪を抱く真の理由をきわめてよく暴露している。
 さらにわれわれは真のプロレタリア革命に直面したスターリニズムの真実の本性をきわめて皮肉な形で証明したことを見出すのである。
 ブタペストの「中央労働者評議会」と「地域労働者評議会」の解散を命じた一九五六年一二月九日の布告をここに引用しよう。
 「一〇月二三日の蜂起の後、労働者評議会があらゆる工場で選出された。それはハンガリー政府によって承認された。政府は評議会が工場内の労働者階級の組織として役に立ち得ると信じていたからである。しかるにブタペストおよびあらゆる地方を通じて、地域評議会が形成され、政府の政策や意志に背きはじめた。」
 「政府はこのような地域労働者評議会を承認することはできなかったし、また決して存認したこともなかった。
 「政府はいくたびもブタペスト評議会と交渉した。政府はブタペスト評議会が工場の労働者評議会がその任務と目的を達成することを援助し得ると信じていた。
 「しかしそうはなちなかった。ブタペスト評議会と交渉した政府はブタペスト評議会が工場の労働者評議会がその任務と目的を達成することを援助し得ると信じていた。
 「しかしそうはならなかった。ブタペスト評議会は四つの宣言を発したが、その中には新しい賃金体系や生産方法の改善については一言も、ほんの一寸した提案も、含まれていなかった。
 「その回状は政治問題のみを扱っている。その眼目は中央労働評議会を中央執行機関とすることであった。」
 カダールのゆうれい「政府」がどのように評議会を責めているか。評議会がタテの組織をつくったがゆえに、それが政治的役割を引き受けたがゆえに、その故に真の権力機関となり、事実上ゆうれい「政府」の権力に対抗するようになったが故に、評議会が非難されていることははっきりしている。
 このことによって、カザールらは評議会が最も許しがたい罪を犯していると断定する。この罪によって、評議会は最も苛酷な非難を受けるに値するわけだ!
 官僚は労働者の権力をこのように確認することによって、自分自身の権力の事実上の崩壊を認めざるを得なかった。

 われわれが今見たように、ハンガリー革命の第一の成果は、ソヴィエト的基盤の上にプロレタリア国家を再建しようとしたことである。官僚から解放された労働者階級の支配の性格と強固さとを強めたこの新しい国家機構の内部で、真のプロレタリア的政治的民主主義の機能が主張され、保証されはじめた。
 ハンガリー革命はこの段階さえ乗りこえた。
 それは自然発生的に多数の労働者評議会の声を通じて、評議会の機構内に基盤を置き、国有化と農地改革という既存の社会的成果を擁護するすべての労働者政党の合法化の要求を定式化したとき、右の段階を乗りこえたのである。
 これがハンガリー革命の頂点であった。
 評議会は、ソヴィエトを組織することだけでは十分でない。その中に政治的積極性の刺激を注入することも必要である。
 もう一度言う。階級の内部に実存する一切の政治的潮流を発展させ、合法化することなくして評議会を政治的に自覚させることは不可能である。
 全国的、地域的、地区的基盤を持った政治的組織として考えられた評議会、委員会、ソヴィエトは事実上ひとつの階級の中に実存する異った政治的潮流の間の統一的政治戦線の表現に他ならない。
 これらの潮流がどんなものであるか、相互の間でどれが数的に多数を占めるか――これは階級によって決定さるべき問題である。階級が評議会、委員会、ソヴィエトの内部で民主的にその判断を決定すべきものである。
 ソヴィエトが階級的機関であるのは、それが都市と農村の一切のプロレタリア的・半プロレタリア的要素を包含し、ふるい、所有権をはく奪された階級や高級官僚、富農を排除するという事実の本性そのものからくるのである。
 このような階級的機関内部の政治的民主主義は、異った労働者階級の政治的潮流が自由に信ずるところを表明し、多数派になるために闘争する権利を持つことなしには考えられない。
 しかしながら、革命の勝利と防衛のための不可欠の前提たる革命的マルクス主義政党の役割は一体何であろうか? それはきわめて簡単である。その階級の決断と恒久的な統制に服することである。――これこそ真の労働者階級の革命的マルクス主義政党の条件である。
 ソヴィエトあるいは評議会の内部での異った労働者階級政党のあいだの民主的競争によってのみ、どの党がその名に価するかを決定することができる――大衆への奉仕の中での苦しい、不断の日常活動がそれを決定する。
 これに反して、党が評議会に組織された大衆の統制から解き放たれるならば、革命的政党は変形し、徹底的な官僚主義的堕落に陥らざるを得ない。
 ハンガリー革命において、たしかに、革命的マルクス主義政党の欠如によってつよめられ、スターリニスト権力の著しい失敗によって元気づけられた反革命勢力の側の危険が表面化した。
 しかしこの要素は、労働者階級の大衆の側に自然発生的な活動が欠如していたから生じたのではない。ハンガリーの大衆はこの革命的上昇の過程で彼ら自身の努力、誰からも救援を受けない努力によって彼らの到達しうる極限を示した。
 彼らは新しい、真実のプロレタリア的国家機構の土台をつくった。彼らは真実のプロレタリア民主主義のテコをすえつけた。評議会、ソヴィエトの内部で存在する複数の政党の存在と選挙は、選挙が行われるときに優勢を占めるがこの機構の外部に実存するものとは階級的性格において異っている。
 前者の場合はプロレタリア民主主義の典型であり、後者の場合はブルジョア議会民主主義である。
 本能的・自発的に、おどろくべき速度で政治的成熟を遂げながら、ハンガリー労働者は官僚的スターリニスト警察独裁によって提起された諸問題に正確な回答を与えた。彼らは、ブルジョア議会民主主義の形態への復帰でなく、真実のプロレタリア民主主義に向って前進しようとした。
 まさしくこの理由によって、ハンガリーの経験は革命的プロレタリアートによって達成された最高の水準に達している。
 ユーゴスラヴィアにおいては、労働者は「啓蒙的」で温情主義的な民族官僚の支配という経験を持っている。この官僚は労働者の活動を地方的な経済・行政の任務に制限している。労働者は民族的、国際的規模における政治的事件について干泌する権利を持っていない。
 こうしたことはすべて単一の、一枚岩的な党の統制下にある。
 ポーランドにおいては、ゴムルカは労働者の熱狂と力に依拠することによって、かろうじてクレムリンや反動的な地方勢力に抵抗しようとしている。ゴムルカは労働者に対して、ユーゴスラヴィアのときよりも一層高い政治的水準において工場を管理することを許さねばならなかった。少なくとも事実上、ポーランド統一労働党はその内部の複数の政治的潮流を認めざるを得なくなっている。
 すでに、党と階級の見地からすれば、ポーランドの経験はユーゴスラヴィアより進んでいると言うべきである。
 ハンガリーにおいては、大衆の革命的活動性は労働者国家のソヴィエト的構造を刻印し、国家および党の水準における真の労働者階級的民主主義を再発見することによって、はるかに高度の段階に達している全世界の労働者と革命家はこの空前の歴史的経験から完全かつ十分に教訓を得るために、ハンガリー革命の学校で研究しなければならない。
  一九五六年・一二月
          【『ワーカーズ・インターナショナル・レビュー』一九五六年三月号】


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