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国際革命文庫  9

第四・五回世界大会テーゼ
国際革命文庫編集委員会訳

11

電子化:TAMO2

「スターリニズム」
――あとがき――

あとがき

 いまあまり使われないが「スターリニズム体験」という言葉があった。一九六〇年以前の階級闘争はこの「スターリニズム体験」と何がしかのつながりをもっている。共産党員であったか、なかったかにかかわらず、スターリニズムは時代的で世界的な存在であった。多かれ少なかれ、左翼的青年のイデオロギー、理論、意識、感情といったもののうえにスターリニズムは厳然として君臨していた。この君臨していたありさまをいまの若い青年世代に理論のうえでも、感覚のうえでも、つぶさにうけとってもらおうとすれば、大変な努力を必要としよう。
 ハンガリー革命は衝撃的であった。労働者国家の軍隊が革命を鎮圧したのである。スターリニズム体系は全世界で大混乱におちいった。日本のトロツキズム運動がはじめて大衆運動と結びついた学生運動が、公然とスターリニズムから離脱するのも、ハンガリー革命の総括をひとつの契機としていたのである。
 トロツキーによってなされたスターリニズムの分析と規定は、混乱のさなかにあった日本の左翼、なかんずく青年のなかに、ようやく、有効な理論として浸透していった。
 この二つのテーゼはいまの青年たちにはごくあたりまえの、トロツキズムをいくばくか理解している青年にはむしろすでに常識化している内容であるかもしれない。しかし、このテーゼが発表されたときの世界的な反響、このテーゼが日本語に移しかえられたときの反響、それは衝撃的といってよいであろう。これらのテーゼは、スターリニズムのもとで理論的に閉じこめられたものの目のウロコを落したのである。テーゼのもつ政治的意義については、巻頭の解説につくされている。ここで強調したいのは、これらのテーゼが一九五四年と五七年という時期に書かれたということである。
 政治においては「時」は決定的要素である。どんなに正しいことも「時」を失していっては三文の値打ちもない。”評論家”とはこの「時」に責任をもたぬもののことを指す。われわれが反スタ主義者や、裏切り史観論者たちの凡百の第四インターナショナルとトロツキズム批判にたいして、毫も動揺しないのは、われわれの闘いが「時」に対応しており、彼らが「時」のあとを追いかけているからにすぎない、という確信をもっているからである。
 まずこのテーゼをこれが起草された歴史的な情勢のなかでとらえるようにして読んでほしい。そして、このテーゼで述べている予測と展望が、現実の政治過程とどのような関係をもつか、総括してほしい。その手がかりは解説に述べられている。
 いまの青年たちはスターリニズムのイデオロギーや理論の「抑圧力」から解放されている。その「呪縛」から自由である。この現実ひとつとりあげても「スターリニズムの衰退」のありさまがわかろう。しかし、スターリニズムのイデオロギーから「解放」され「自由」であることが、すぐさま、スターリニズムを正しくとらえ、これに対する正しい政治的態度をもちうろことを意味しない。一九六〇年前の青年世代よりも、スターリニズムと労働者国家にたいしてマルクス主義的な理論をうけ入れるうえで、有利な条件があたえられたにすぎない。
 労働者国家を帝国主義の反革命から防衛し、労働者国家に寄生し、これを堕落させているスターリニスト官僚を打倒する政治革命を追求するという、第四インターナショナルの原則を完璧に理解し、これを現実の闘争のなかに適用することは、きわめて困難な実践と理論の訓練を要求される。この点をめぐってスターリニズムや社民から”離れた”中間主義者たちは決定的にテストされる。そしてそのほとんどは、スターリニズムへの屈服、小ブル反共主義への屈服、ブルジョアの手先への転換しかできず、堕落と腐敗の過程におちこむのである。スターリニズムをどうとらえ、労働者国家についてどのような対応をするかは、現代のマルクス主義者にとって決定的な試金石となっている。それゆえ、このテーゼは、われわれの理論武装のうえで不可欠のものであろう。
 スターリニズムを静態的に、ブルジョア社会学的に分析しても、そこからは革命に役立つ方針は生まれない。このテーゼが採用している方法、すなわち、スターリニズムを世界階級闘争の力学のなかに投げ込み、この世界革命の力学の展開過程のなかでスターリニズムの将来を分析し展望する方法こそが、われわれの世界革命の戦略構築につながるのである。
          (一九七四・九・二〇 西山)


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