連合赤軍とわれわれの立場
テロリズムに反対し、人民による自衛隊兵士の獲得にむかって前進しよう
●連合赤軍とわれわれの立場
連合赤軍の内ゲバ殺人事件、森、永田、吉野らによって主導された残虐な内ゲバのために、今日までに明らかにされたところによれば十四人の死者が出た。山田、寺岡らをはじめとする、これら今は語るべき言葉も肉体も失ってしまった戦士達にたいして、われわれ第四インターナショナル日本支部は心からの哀悼の意を表明する。彼らはもはや“誤りを改める”ことも出来ない。人民のたたかいのなかで、彼らが短い間に深くおちていってしまっていた安直なテロリズムの幻想から醒め、プロレタリア・人民の大衆闘争の鉄火で自らの思想と精神をきたえ直し、真実の革命戦士へと生まれ変わることは出来ない。
われわれはかってのべた。
革命に向う「一番近い道は原則の道」であり、「一番遠い道は自分自身の堕落につながる道」であると。(本紙二月二一日号「日本『新』左翼『内部ゲバルト主義』は『官僚の政治学』への堕落である」)
彼ら十四人の死者達は、たしかにもっとも遠いところへ行ってしまったし、このことは、今権力の手中に逃げ込んだ生き残りの連合赤軍活動家の場合にも同じことである。人民の革命の世界、輝やかしい世界永久革命の世界は、もはや彼らの手のとどかないところにある。しかもそれは、主要に、彼らが自らはまり込んでいった、革命運動史上類例をみない程みじめな堕落の、閉じられた泥沼の世界からついに這い上る能力をもたなかった故である。死者達もまた自らの死に責任があるのだ。
われわれはいっそう心をこめて死者達の両親、家族、恋人達にむかってこの哀悼を表明する。たたかいの犠牲者は、つねに必ずしも権力の銃弾に倒れるとはかぎらない。国家と人民のきびしく緊張した対決関係のなかでは、弱い精神が薄弱な政治性にしか支えられていないときには、自壊することによって闘争の生活を中断してしまう。このようにして倒れたもの達もまた、本質的には権力による犠牲者である。だから彼らの果されなかった目的と怒りを受けつぎ、真に有効で、革命的な手段によって最後の結論にまで突き進むことは、彼らの自壊をのりこえるわれわれの責務である。
連合赤軍の内ゲバ殺人は、この意味では悲劇である。日本「新」左翼の総体にとって、これは他人事ではない。自らの運動や思想のこれまで見て見ぬふりをし、深く考えることを放棄してきた、最も腐敗した体質を、この事実はするどくえぐり出して見せた。
われわれはこの悲劇を嘲笑しない。自らの思想は、こうした連合赤軍の小ブル急進主義とは無縁であり、連合赤軍のような愚はおかさない、われわれには“思想”があるから、内ゲバをやる場合にももっとうまくやる、などとうそぶいている党派、こういう党派をこそわれわれは、腹の底から嘲笑するであろう。
革マル派は、あさま山荘“銃撃戦”の直後、これは“武装蜂起主義者の末路である”と居丈高な記者会見を行なった。中核派もまた同じようなものであると、ブルジョア世論に告発までしてみせた。彼らはこういったのだ。連合赤軍だけではないぞ、中核派もだぞ、と。
誰にたいしての告発だったのだろうか。ブルジョア・マスコミを通じる告発は、ブルジョア世論とブルジョア国家権力にたいする弾圧要請以外のものでありうるだろうか。ここでもまた革マル派は、原則的な党派闘争を放棄した。
だがこのことは必然である。内ゲバ主義者が最後にたどりつくものは、国家権力の介入への要請であり、もう一方では連合赤軍のように、内ゲバを殺人にまでレベルアップすることである。そしてこの二つのことがらは同じものである。内ゲバ殺人は、党派が国家権力を代行することである。原則的党派闘争の放棄――それは実は、党派闘争そのものを放棄することなのである。
革マル派の諸君は、連合赤軍内ゲバ殺人の事実を直視するが良い。続々と堀り出されてきた残虐な遺体、彼らを恐怖と狂気のうちに死に追いやった苦痛、そして今獄中にある生き残りのものたちが一瞬も平安のなかにいることを許さない悔恨の懊悩、いかなる拷問にもまさる自責の地獄を思い見るが良い。これがすべての内ゲバ主義者の末路だ。これが諸君がスターリンから受けつぎ、日本共産党から“学んだ”内ゲバ主義の結論なのだ。諸君はこれでもまだ真実の自己批判を、避けようとするのか。
「この『銃』の物神化と内部におけるリンチ・殺人。『反帝反スタ哲学』の物神化とその内部ゲバルト主義――このそれぞれにおいて両者は切っても切れない必然的な一体性をもっている」(「声明・連合赤軍について」本紙三月二一日号)。
われわれは、同じ穴の反対の入口から顔をのぞかせて自分の尻を嘲笑する革マル派のような立場に対して絶縁する必要があるだけではなく、連合赤軍のあさま山荘“銃撃戦”をふもとの方から仰ぎ見て、はるかな“羨望・憧憬の念”(最首悟、日本読書新聞三月十三日号)をひけらかしている自己否定派ノンセクト主義者の立場とも、絶対に無縁である。
諸君は一体、あさま山荘に立てこもった連合赤軍が、なにひとつとして自らの政治的主張を提起せず、人民に訴える大義を示さず、ただまちがったハンターのようにしかふるまわなかったことが、実は絶対的逃避行(それは人民的闘争からの逃避行にすぎない)の終局に他ならなかったことに、すこしも気づかなかったのか。それ程に諸君自身の感性が、人民の生活し闘争する世界から遠くへだたってしまっているのか。
銃は何も語らないのだ。銃を通じて語るのは、自らの意志を最後の二者択一にしぼりあげた、銃を手にする人民自身なのだ。金嬉老氏の銃は語った。彼は実に多くのことを、日本と朝鮮の歴史の本質を、もっとも凝縮した形で語ったのだ。彼が銃を通じて真実を語り日本人民の全てに訴えた時、責任を問われるべきであったのは、同じ言葉を彼と同じ立場で語ることができない日本人民、いぜんとして極東帝国主義がつくりあげて来た抑圧・差別の構造のうえに、一国的繁栄の安逸をむさぼっている日本人民の総体であった。東京タワーに決起した富村順一氏が手にしたナイフもまた多くの真実を語った。彼は本土と沖縄の真実を明らかにした。
だが、連合赤軍の銃は、どれ程多くの弾丸を発射したとしても、何も語らなかった。いやむしろ、国家権力に語らせた。連合赤軍に代って国家が語ったのである。今回の事件ほどに“国民”の支持と激励が警視庁に寄せられたことはかってなかったという。
だから連合赤軍が、たとえ主観的であるにせよ、革命と人民の解放をめざしていたのであるなら、彼らの銃は彼ら自身を否定したのである。ここに、およそ自己否定派ノンセクトが、彼らの“憧憬の念”を禁じえない根拠がある。なるほど、最首悟氏ら自己否定のチャンピオン達も、いつの日か、銃を手に入れて自分自身の純粋な否定を語りえたならば、本望というものであろう。
だがわれわれの方には、諸君に提案するもっと良い自己否定法が用意してある。象牙の塔たる東大――およそ日本人民の下層の大衆を抑圧し管理する技術と監督と官僚をしか生まず、そこで開発される学問の成果が、ことごとく帝国主義日本のアジア人民への敵対の武器にしかならないような帝国主義大学の内部で、いつまで諸君はシコシコと偽りの作業を続けるのか、諸君の外部には、闘争し、闘おうとし、闘争し続けようとする下層人民の世界が、国境を超えて広がっているのだ。帝国主義者から餌をもらうのはすぐにやめよ。諸君らは結局、待遇に不満をもらして吠えている番犬達だ。外に出よ。本質的に帝国主義の“知的”中枢たる東大のような機構は、人民と共に外から破壊すれば良いのだ。それだけが今のところ不平をもらす番犬にすぎない諸君達の、いますぐにでも出来る自己否定のやり方だ。
だが諸君にはその勇気がない。だから諸君は、玉砕を夢見る。夢見るだけなのだ。そしてあさま山荘“銃撃戦”につづいて、内ゲバ殺人の事実が明るみに出て、冷い風が吹きはじめると、諸君はもとの常識面にもどって沈黙を守る。まったく、自己否定とは自己保身の偽装にすぎないのだということが、こうして天下に明らかになる。
われわれは、諸君の世界とは、きっぱりと無縁である。
連合赤軍の事件は、完全にひとつながりである。彼らが真岡市で猟銃店を襲い、銀行を収奪し、綱領を不問にして“軍”の野合を遂げ、山岳アジトに逃げ込み、仲間を殺し、あさま山荘“銃撃戦”を展開し、逮捕され、権力に屈服して自供するに到るこの過程全部がひとつながりである。この中のどれかを支持し、どれかを支持しないなどということは、はじめから成りたたないのだ。
人民と党、歴史と綱領、大衆闘争と革命のための、ねばり強くラディカルな追求を、ほんの一合目ものぼり切らないうちにあきらめて、自分自身の恐怖に追いつめられ、人民的闘争の世界――この唯一の革命の世界から逃避して、自らと権力の非生産的な“闘争”で生命を消耗させた彼らの、大衆と自分自身に対する小児病的な不信は、日本「新」左翼運動の今日の水準の冷酷な表現である。この悲劇にたいしては、したがって日本「新」左翼のすべてが責任を分ち持たねばならず、とりわけ、わが同盟は日本急進主義大衆運動の先頭に立ちつづけ、しかもその小児病的水準からの脱却を最も強く自覚し意図してきただけに、こうした堕落の傾向との闘いをするどくやりぬくうえで、力およばなかったことをもっともきびしく批判されなければならない。
損害は重大である。このことについては、前号の声明ですでにのべているが、日本階級闘争の革命的潮流にとっては、平静な時代には十年かかってもとりかえすことができないほどの深刻な打撃が加えられたのである。権力から受ける打撃よりも、自分の内部から発生する腐敗によって、いっそう深い打撃を革命は受けるのだ。
損害を軽視することはできない。ブンドの諸派や連合赤軍の残存活動家、そしてその他の諸派はこの厳しい損害に気づく能力をもってはいない。だがわれわれは自覚していなければならない。そして極東・アジア人民の闘争の発展にどこまでも依拠して、この打撃をとり返さねばならない。
人民の闘争は、連合赤軍の事件にもかかわらず、いっそうするどく大胆に発展するだろう。むしろそれらは、ますます自主的で、ラディカルな形態を自ら創りあげていくであろう。このことに関してはいかなる悲観主義も不必要である。だが問題は、闘争の総体にではなく、その前衛にとって深刻なのである。大衆の“新”左翼に対する不信と警戒が強まり、前衛的諸党派と人民的闘争のきってもきれない関係をきずきあげることの困難が増すであろう。
それ故われわれは、連合赤軍の悲劇から、どれだけ多くの教訓をわが日本「新」左翼諸党派と活動家が学びとり、自らの闘いの迷い込んではならない袋小路を避けて通る標識にし得るかを、徹底的に明らかにし、討論し、血と肉にしなければならないのである。
死者達にたいするわれわれのとむらいは、そのようにしてなされるであろう。これだけが、彼らの二重に“非業”な死を無駄にしないための努力であるだろう。“銃撃戦支持”などと浮かれているもの達こそ、今はすでに犠牲者の墓標の群に加わった十四名の戦士達を、冒涜しているのである。
生き残り、権力の手中にある連合赤軍の活動家達にたいしては、われわれのとるべき態度は次のようである。
彼ら全員は、国家にたいしては無罪である。国家と人民との関係の中で、彼らが有罪であるとすれば人民に対してである。国家は彼らを裁くいかなる権利も持たない。国家は十四名の死者を、“厄介払いができた”と喜んでいることはあっても、悲しんでいるわけではない。ある警察官僚は、“自業自得さ”と吐きすてた。この点では表彰したいほどなのだ。そしてまたそのゆえに、彼らは人民にたいして有罪なのである。
国家が裁き、有罪を宣する真の意図は、“過激派”総体に政治的打撃を加えるためであり、部分的には、死傷した権力の身内の復讐のためである。だから彼らは、国家の法廷では絶対に無罪であり、むしろこの悲劇の客観的・本質的な原因であり、加害者たる国家権力こそが有罪なのである。
だが、他方人民の法廷においては、彼らは有罪である。彼らのうち、多くのものにとっては、深刻な誤りとして自らの力と人民の闘争の支援によって克服する道が開かれなければならない。だが、指導部に関しては、この“闘争”総体を企画し、指導し、実践させた中枢的指導部に関しては、問題はすでに“誤り”の領域をこえ、犯罪の水準にある。彼らは、階級闘争と革命にたいして犯罪をおかしたのである。十四名の若き戦士と、今獄中にある多くの戦士を、意識的に殺戮し、権力に売り渡し、そして革命的潮流の総体を決定的に傷つけた。これは階級闘争史上に残る犯罪であり、権力をとったプロレタリアートにたいしておこなわれたスターリニストの犯罪に比すべき、権力奪取にむかってまさに闘いつつあるプロレタリア・人民の内部でその団結を破壊した重大な犯罪である。
われわれはこの犯罪は、“誤り”は誤りとして卒直に認め、克服する、などとすませる程度のものではないと主張する。彼らは権力をとった人民、権力組織をつくりあげた人民によって改めて裁かれ、罰せられなければならない。
したがってわれわれのとるべき態度は、第一に、彼ら連合赤軍の活動家全員を奪還することであり、第二に、彼ら総体にたいして人民にむけた自己批判を要求することであり、第三に、その意識的指導部にたいしては、権力樹立のもとでの人民裁判において、改めて有罪が宣せられなければならないのである。
もちろん今日の階級闘争の力関係のもとでは、以上の立場は、文字通りに実現できない。だが、以上の原則は、連合赤軍の最後の一人が権力とのたたかいを望むかぎり続けられなければならない法廷闘争に参加する全ての人々によって、確認され、記憶されなければならない原則である。
われわれはこの原則のもとでのみ、救援闘争に参加する。救援闘争は容易ではない。だがわれわれは流れに抗さねばならない。そして流れに抗するもののためには、しっかりした足場が必要なのだ。
この問題に関する全ての真実と見解を、闘争する人民に知らせ、討論し、理解を獲得しよう。まずこの任務を果すことから、われわれははじめなければならない。
最後に、この問題はすべて、赤軍派ならびに京浜安保共闘の組織の責任に属することをわれわれは主張する。この二党派にとって、かれらが引続き階級闘争に参加しようとするのであれば、党派としての根底的な自己批判が、全人民にたいして提出されなければならない。連合赤軍の指導部のおかした犯罪は、この二党派の綱領的路線の帰結である。だから自己批判は、綱領的自己批判でなければならない。そしてそれがなし得ないのであれば、諸君はよろしく自らの組織を葬むるべきである。この点についてあいまいな態度をとるいかなる党派をも、人民は再び闘争の戦線に迎え入れようとはしないであろう。
●連合赤軍の逃避行
連合赤軍の無数の誤りの根元は彼らが現に行なってきた逃避行を“戦争”=軍事的行為であると思いちがえたことにあった。この誤解にもとづけば、彼らの集団は“軍隊”であり、彼らはその兵士であることになる。そこで彼らは、内部の規律は命令と服従の二つの規範で構成される軍律であると考えた。なにしろ軍律なのだ! 死刑があってあたり前ではないか。どんな罪が死刑に値いするか。敵前逃亡、敵に対する内通の恐れ、命令の不充分な遂行、同志にたいするブルジョア的あまえ、その他……。
敵と対特する軍隊であるからには、自由分散的な政治討論をやっている暇はない。ただ理解することが重要。指導部の提起した理論の水準が多少低くとも、それはしかたがない。なにしろ戦争なのだから……。
だが本当にそれは“戦争”だったのだろうか。彼らは本当に“軍隊”だったのだろうか。
戦争は国家の政治の一分野であり、国民の政治的行為であることを明らかにしたのは、もう百五十年前のクラウゼヴィッツ将軍にはじまる。戦争は異なった手段をもってする政治の継続である、と彼は言った。
だが誤解してはならない。彼の言った政治とは、諸党派の政治活動一般などを指してはいない。それは国家の行為としての政治であり、まったく厳密にそうである。このことは革命の立場においても受け入れられて来た。クラウゼヴィッツのブルジョア国家が、プロレタリア独裁の権力へ、ブルジョア国家の国民が、権力をになうべきプロレタリア・人民へと置きかえられたうえで……。
権力をめぐる闘争、敵権力を打倒し自己の権力を樹立することなしに、“戦争”を行なうことはできない。内戦であれ外戦であれ、同じことである。
武装蜂起に関しても問題は同じである。合法・非合法の二重権力状況、したがってプロレタリア・人民の権力機関をつくることなしには、武装蜂起を準備し、組織することができない。これは革命史の第一番の教訓である。
連合赤軍の“国家”はどこにあったか、その“国民”はどこにいたか。どこにもなかった。これでは“戦争”にも“武装蜂起”にもなり得ようはずがない。
ゲリラ戦なら連合赤軍にも出来たのであろうか。だがゲリラ戦もまた戦争の一領域である。ゲリラ戦にとってもその主体、国家と国民が、とりわけ国民が必要なのである。ゲリラ戦=不正規兵の戦闘方式は、国民総武装=国民総戦闘の一形式である。
党が武装することはある。ヨーロッパの革命的情勢の中で、大衆の武装にさきがけた党の公然、非公然の武装は幾度も立ちあらわれた。だがそれは、党の公然たる政治的活動、大衆運動をブルジョアジーと国家の傭兵による襲撃、ファシストの私兵の闘争破壊から自衛するための手段であった。党が、党の自衛組織をもって、国家権力の直接の打倒を企てたり、まして“戦争”を遂行しようなどという“理論”が、マルクス主義の陣営でまじめに議論された歴史はないのである。
それは何故か。
敗北するからである。勝利が絶対に不可能だからである。
戦争は敵を殲滅することであって、それ以下ではない。戦争を宣言することは、敵を殲滅し得なければ自らが殲滅されることを覚悟することである。二重権力と人民の武装、敵軍事力の解体なしに、党の自衛組織だけで国家権力を打倒できるなどという夢想が、マルクス主義者にまじめにとり上げられたことがなかったのは、この故である。
われわれはこれらのことを、毛沢東を例にして説明することができる。毛沢東は言う。
「共産党員の一人ひとりが『鉄砲から政権がうまれる』という真理を理解すべきである。」
同時にまた言う。
「革命戦争は大衆の戦争であり戦争をするには大衆を動員する以外になく、戦争をするには大衆に依拠する以外にない。」
連合赤軍の諸君が意図した“戦争”、“武装蜂起”は、国家=権力の問題も、国民=人民大衆の問題も不在なのであり、したがって戦争でも、武装蜂起でもなかったのである。
それ故もちろん、彼らの集団が自らに課した“軍律”なるものもまったく意味を失ってしまった。戦争する兵士なのだからと思い込んで自らに納得せしめて来たきびしい“軍律”が、あとからあとからくずれていき、それを立て直すためにいっそう陰惨な報復手段に頼るようになったのも、彼らの運動の前提があまりにも非現実的であることに、彼らの意識の半分ではいつも気づかざるを得なかったために他ならない。
この問題に関しても毛沢東の言葉を聞こう。
「あらゆる軍事行動の指導原則は、できるかぎり自己の力を保存し、敵の力を消滅するという基本原則に基づいている。」
連合赤軍の“軍律”は、敵の力を少しも損わないで、自己の力をできるかぎり消滅させたのであった。これはもはや、目的意識的な軍事行動であるとは言い得ない。
それでは一体、連合赤軍の行動は全体として何だったのであろうか。
答えは明白である。彼らが戦争とか、蜂起とかの言葉で意図したのは、単なる個人的テロルであり、彼らの思想はテロリズムにすぎなかったのである。
テロリズムであるが故に、彼らは大衆を必要としなかったのであり、逆に大衆を恐れて山へ逃げたのである。テロリズムであったが故に多数の戦闘力を必要としなかったのであり、強固な意志を持った数人が残れば良かったのだ。
だが不幸なことには、彼らは自らがテロリズムを実行しているのだと思わず、革命戦争を遂行しようとしているのだと意識していた。衝動と存在のテロリズム化と意識の表側で自覚していたマルクス主義とは、永遠に和解しない。このことが内部の犠牲がさらに拡大していく原因になった。テロリズムとマルクス主義の見分けがつかなくなった頭では、もはやこの矛盾は解決できなかった。彼らが仲間に加えたリンチの想像を絶する残虐さこそ、彼ら自身がおちいり、自らうすうす気づかざるを得ないためにいっそういら立ちを増していた矛盾の反映なのである。
彼らの行動は、したがって、まったく悲劇的な誤解のつみ重ねであった。だからわれわれはここでテロリズムと革命的軍事行動の原則的区別について、もう一度明らかにしておかなければならない。
●テロリズム反対
二〇世紀が生んだ最大の天才的軍事組織者であり、最大の革命家の一人であったトロツキーは、テロリズムについて次のように言っている。
「手段はただその結果のみによって正当化され得る。だが今度は結果が正当化される必要がある。プロレタリアートの歴史的利益を表現するマルクス主義の見地からは、結果はもしそれが自然に対する人間の力の増大と人に対する人の力の廃棄へと導くならば正当化される。
『しからばわれわれは、この結果を得るためには何ごとでも許されると理解すべきである』と俗物は皮肉に要求し、かれが何も理解しなかったことを示す。真に人類の解放へと導くものが許される、とわれわれは答える。」
「主体的な動機の問題ではなくて客観的効果の問題がわれわれにとって決定的意義をもっている。所与の手段は真に目標に導く能力をもっているか。個人的テロルに関しては、理論も経験も共にそうではないという証言をもっている。テロリストに対してわれわれは言う。大衆にとって代ることは不可能である。ただ大衆運動においてのみ諸君は諸君の英雄主義のための適切な表現を見出し得る、と。」
あらゆるテロリズムの共通の特徴は、大衆に、大衆運動にとって代ろうとすることである。だがこうした試みは、大衆の解放のためにはすこしも役に立たない。連合赤軍の諸君も、なかなか銃や爆弾を手にしようとしない日本人民にとって代ろうとした。そのあげくがどうなったか、万人周知のとおりである。
何故か。
「労働者の解放はただ労働者自身によってのみ達せられ得る。それ故、大衆をあざむき、敗北を勝利として、友人を敵としていつわり、労働者の指導者を買収し、伝説をデッチ上げ偽造裁判をやる。一言でいえば、スターリニスト達がやっていることをやるより以上に大きな犯罪はない。これらの手段はただ一つの結果、歴史によってすでに有罪を宣告された徒党の支配を長びかせることにのみ役立ち得る。しかしそれらは大衆を解放するには役立ち得ない。」
テロリズムはスターリニズムと同じ基盤――大衆に対する不信のうえに立っている。そして連合赤軍のやったことは、これまでにスターリニストがやってきたことの小心なためにいっそう陰惨になった模倣にすぎない。
テロリズムは誰でもはじめることができる。分裂してめちゃくちゃになったブンドの残党や、それを見て“党派不信”などを賢しげに気取っているノンセクト活動家などが、気の合った同志ではじめようとすれば、いつでもはじめられる。安直さは、テロリズムの“魅力”のひとつである。
そしてその分だけ、階級闘争に対する無責任が補っている。安直にテロを行ない、安直に逃亡し、逮捕されればやすやすと自供し、他人をまきぞえにする。こういうのが今日の、ノンセクト・テロリズム路線の特徴なのである。ツァーリに抗した往年のロシア・テロリスト達の厳格な自己批判と規律は薬にしたくても見当らない。
われわれはテロリズムに反対し彼らが階級闘争から一刻も早くいなくなるように努力しなければならない。こういう手合いは、帝国主義に根底から打撃を与えようとする人民の闘争にとって、邪魔であるだけではなく害をなす。
もちろんわれわれは、テロ一般を否定しない。「内乱の条件下では、個々の抑圧者の暗殺は個人的テロルの行動であることをやめるだろう。」(トロツキー)われわれは、蜂起から革命戦争への道に、大衆を組織すべくたたかうであろう。そのときテロは、組織的に展開されて「舞台を降りようとしない反動的階級にたいしては、効果的」な武器になるだろう。
いまはまだその条件下にないことは、テロが個人的テロルとしてしか組織され得ないことを見ても明らかだ。だとすれば、そのような条件をつくり出すことこそ、いまの課題であって、ほかにはあり得ないのである。
●われわれの“軍事的”闘争
われわれは、軍事的闘争という大そうな名前を冠したテロリズムに反対し、その最も悲惨な実例として連合赤軍をとらえた。だがこのことは、われわれが今日、軍事問題の領域に意識的な闘争の戦線をきずかなくても良いと主張していることになるだろうか。
革マル派や解放派の諸君は、軍事問題はまだとり上げる時期ではない、と考えている。ただ、内ゲバは別である、と。だがわれわれに関して言えば、軍事問題を闘争の課題に設定することを、くり返し主張し、実践して来た。ただそのやり方と問題の方向が、連合赤軍の諸君やノンセクト・テロリスト達とはおおいにちがっているだけである。
現在、極東帝国主義の矛盾は、日本帝国主義の軍事政策=四次防と人民の対決に集中的にあらわれはじめている。その中心点は、沖縄派兵であり、本土において沖縄闘争と結合する拠点は、立川基地移駐の問題である。
四次防をめぐり、帝国主義軍隊としての本質を暴露しはじめた日本自衛隊にたいする人民の反対闘争が、いま広汎に、拠点的に燃えあがりはじめている。そして沖縄派兵に関しては、緒戦においてすでに、国家は重大な後退を強いられている。
この燃えあがる大衆運動は、日本帝国主義の軍事権力にぐさりとつきささっている。ここにわれわれの“軍事問題”の突破口が切り開かれている。われわれと人民の“軍事的闘争”は、ここから開始されていくべきである。
四次防をめぐる人民的反対闘争のなかに、われわれは、反戦兵士の獲得という課題を提起し、になうであろう。帝国主義軍隊に反撥し、警戒する人民にむかって、自衛隊兵士と人民の一大交流を呼びかけるであろう。このようにしてわれわれは、帝国主義軍事力解体のための長期戦の、第一歩を踏み出すことを決意している。
銃を手にした連合赤軍の自称兵士達の“たたかい”は、結局警察の壁をつらぬくことさえできず、自衛隊兵士とは対面することもできなかった。敵軍と出会う前に壊滅してしまうような“軍”は、あわれである。
われわれは、未だ銃を手にはしないが、紙と言葉の弾丸を、それも大量の弾丸をもって自衛隊兵士のところへ出かけていくだろう。それは兵士の生命を傷つけないが思想と心に働きかけるであろう。
帝国主義の軍事政策に反対する闘争、兵士と人民の交流を通じて軍隊に工作する闘争、それが今日のわれわれの“軍事的闘争”である。これはたんに、われわれの闘争ではない。なによりも大衆の闘争である。この闘争を通じて、大衆は、軍隊を知り、意識する。軍隊の本当の任務が何であるかを把握し、軍隊の強さと弱さをつかむ。このようにして大衆は、未来の革命戦争の準備のために、不可欠な第一段を踏むのである。
だが、軍をつくるという課題はどうなるか、と聞く人がいる。われわれのこたえはこうだ。いまわれわれは、軍をつくらない。軍は権力の中枢部分である。軍をつくるためのたたかいは、いまは、権力をつくろうとするたたかいにつつまれて存在しているのである。しかし同時に、われわれは将来の軍事綱領と軍事指導能力のため、可能な努力をかさねなければならない。軍事問題を学び、軍事情勢を分析し、大衆運動の軍事的側面を研究するであろう。帝国主義軍隊の内部に存在する有能なカードルを、将来の赤軍将校たるべく、獲得しようとつとめるであろう。われわれはこういうふうに、軍をつくるという課題の意識的準備をはじめるであろう。兵士に関して言えば、兵士はいまだ募らない。兵士の素材は、闘争する大衆である。闘争するプロレタリア・人民が、自らの権力を樹立するに到るとき、彼らは最も優秀な英雄的な兵士として、社会主義共和国の軍事的任務につくだろう。
これがわれわれと人民の“軍事的闘争”である。連合赤軍の“軍事的闘争”とはだいぶ異っていることはたしかである。連合赤軍の“軍事的闘争”はすでに終ってしまった。しかも完全な敗北として終ってしまった。“捕虜”にされた兵士達は、はやくも“敵国”に帰順しつつある。
だがわれわれの闘争はと言えばはじまったばかりであり、しかもその規模は、戦後日本階級闘争史上、未曽有の広がりを示しはじめている。
諸君!
どちらの道に希望と確信をもてるか、まったく明らかではなかろうか。
くり返して言おう。
一国的な平和主義のなかで、いまのところずっぽりと首まで埋まっている日本のプロレタリア・人民を、戦争と革命の問題に引き寄せること、そのためには彼らの平和主義をもエネルギーとして、軍隊と直面させ、その獲得におもむかせること、これが問題の核心なのである。
日本の人民の平和主義は、真に根深いものである。このことは、連合赤軍の事件自身によって証明された。彼らはひとたび銃を手にするや、銃に支配されてしまい、何かどえらいことができると思い込んでしまった。しかし、彼らが巨大な労苦をつみ、人民から徹底的に孤立してまで手に入れた一〇丁か二〇丁の銃によってなしとげたことは、自分の頭を粉砕することだけだったのである。
平和主義的大衆と帝国主義軍隊自衛隊の、戦後二〇年間にわたる“隔離された共存”の関係を、どのようにして打ちこわすのか、われわれの軍事的課題の現在の核心は、このように存在している。
すべての先進的活動家の全智全能を、この核心に集中しなければならない。これは腰を据えてとりくむべき課題なのである。
●ボルシェヴィズムに復帰せよ
連合赤軍に反対するキャンペーンが、あれ狂っている。こうした時期には、このキャンペーンに参加することは、いともたやすいことである。だが、真実の教訓を、真剣な批判を通じて獲得しようとしないで、超然として見せることも、同様にたやすいことである。
日本共産党は、連合赤軍を“毛沢東盲従分子”として指弾し、ブルジョア世論におもねりながら、ソ連共産党と口裏を合わせ、革命中国に引き寄せられていく日本人民の流れに棹をさす口実にしようとしている。
だがこれは狂気の沙汰である。このデマゴギーは、やがて重く罰せられるであろう。
毛沢東は、現存する最も偉大な革命家の一人である。彼の思想と指導にどれ程の誤りがあろうと、われわれが毛沢東から学びとるものはあまりにも多い。連合赤軍の破滅は、毛沢東への追従の故ではなく、その反対である。京浜安保共闘の指導者達は、毛沢東方才を口で叫びながら、毛沢東のたたかいも思想も、ほんの少しでも理解しなかった。毛沢東は徹底的な大衆路線主義者であった。彼らは、毛沢東に学んだ故にではなく、毛沢東に逆らったために破滅したのである。
諸君!
連合赤軍の悲劇は、人民の大衆闘争の発展とエネルギーを不信したために起こった。
だが見てみようではないか。
闘争は発展しているのだ。
自衛隊派兵を撃退しつつある沖縄の人民の闘争。
不屈な、まったく不屈な三里塚農民、北富士、砂川、そして全国の反基地闘争をたたかう人民。
とどまるところを知らず拡大する反「公害」闘争。
そして組織・未組織プロレタリアートの不満と怒りは、充電されつつある。
他方で帝国主義者が、すこしでも強められた証拠でもあるか。
社民やスターリニストの大衆的支持が、すこしでも本物になったという兆候があるか。
闘争がすぐに勝利する展望こそないが、われわれの革命的前途は開けており、人民の闘争する世界に向ってのびている。この道を歩むことが必要なのである。“過激派”対警察という対決構造から脱して、帝国主義とプロレタリアート人民の対決構造のなかへ大胆に転進しなければならない。われわれがこのことに成功すれば“追いつめられている”というおそれとか“ここらで一発やらなければもう終りだ”というようなあせりは姿を消し、たたかいはこれからなのだという確信があふれてくるだろう。
われわれは、本紙が獄中にいる連合赤軍の活動家の手もとにとどくことを願う。
彼らと、すべての「新」左翼的活動家に、われわれ自身のためにトロツキーの次の言葉をおくる。トロツキーはこれを、彼の息子がスターリンの魔手にかかって死の病床にあったときに書いた。
「大衆は、もちろん、決して欠点がないことはない。大衆の理想化はわれわれにとって無縁である。われわれは種々の条件下で、種々の段階で、その上最大の政治的虚脱においてかれらを見た。われわれはかれらの強い側面と弱い側面とを観察した。かれらの強い側面――決断、自己犠牲、英雄主義――は常に革命的昂揚の時代にそのもっとも明白な表現を見出した。この時期の間、ボル Vvウz゚~"|コ8崗ン|r1H」E香歌ゥ$Pタミ蛄ュユZェ*H E/契ソS册-オウ?Zラ_bタf
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