日本「新」左翼「内部ゲバルト主義」は「官僚の政治学」への堕落である
党派闘争における暴力=「内部ゲバルト」に関するわれわれの立場についてはすでに二度にわたって本紙上に表明してきた(六八年、七一年)。今日、日本「新」左翼どうしの「内ゲバ」は、最悪の質・形態・規模に達し、このままでは、過激派をつぶすのに直接手を下す必要はないのではないか、という期待を、公安警察諸君にいだかせてしまうほどだ。
これは、日本「新」左翼の今日の腐敗と衰退の一現象であり、その克服は、あれこれの安直な離合集散によってなされるべきではなく、目先の利害にとらわれない、徹底的に原則的な立場――レーニンとトロツキーの伝統に復帰することによってしかなされない。
本論文は、日本「新」左翼の腐敗と衰退を、原則的立場から突破するわれわれのイデオロギー闘争の、はじめである。さらにこの後ひき続いて、堕落の特徴的な諸傾向への批判の諸論文を、掲載するであろう。
●日本「新」左翼「内ゲバ」の激化
日本「新」左翼の「内ゲバ」がたがいに破壊し合っているのは、生まれたばかりの急進的大衆運動にとりついている死にぞこないの国民平和主義の幻想、すべての「新」左翼諸派が例外なく平等に分け持ちかつぎまわっているその幻想の体系である。アジア革命につき動かされ、国家の崩壊のきざしを感じ取った急進的な肉体と、頑固に頭脳を支配しつづけている一国的な平和主義との抜きさしならない対立のために彼らは自分の勝利を確信することができず、いらだちを隠すことが出来ない。そのいらだちが、勝利を邪魔していると見てとれるもっとも手近なものの頭上へ、ゲバ棒と化してふりおろされる。このとき彼らは「他」党派を粉砕したつもりになり勝利に近づき得たと瞬間感じるのだが、せせら笑っているのが国家権力であり、断ち切られたものが人民とのきずなであり、「粉砕」されたのは自分をその一部分とする同じ幻想の体系の一角であったのだということに気づかないふりをしとおせるには、かなりの意識の苦労が必要なのである。こうした不自然な苦労を長時間つづけることによって、彼らの正常な人民的感性はすりへらされ、歴史と人民の政治生活からまったくきりはなされた独特の思考方法、価値感がつくり出され、さらに、その特別な価値が通用する特別な集団の世界が産み出される。そうなればそれはすでに「宗教」であり、骨化した幻想のむくろを祭壇にまつり、他派の首をいけにえにささげる儀式としての「内ゲバ」が大手をふってまかり通るのである。このようなものが、今日すでに現実になっているいくつかの党派のあり方であり、またいくつかの党派の明日の姿である。
●「内ゲバ」がもたらす損害
「内ゲバ」がもたらして来た具体的な損害を見積もるためには、ひとは、セクト的な党派利害の目先のソロバン勘定をはなれなければならない。いま新しく生れつつある人民大衆の急進化――国家権力との直接の対決の多方面からのめばえを、反帝国主義の統一戦線と、その真只中での革命党建設へおしすすめるべき現在の局面全体の、帝国主義と被抑圧人民、帝国主義ブルジョアジーとプロレタリアートの対決のバランス・シートにのせてみなければならない。
「内ゲバ」がもたらす第一の直接の損害は、活動家の肉体がこうむる物理的な打撃と、その脅威のために活動家が余儀なくされる不活動状態であり、その結果組織がこうむる組織活動の制限である。こうした直接的な打撃を一つの党派が受けることは対立する党派にとっては「利益」であると考えるような堕落した近視眼が、諸党派を「内ゲバ」の誘惑にかりたてている。
だが、革命的党派はなんのために党派闘争をおこなうのか? 社民やスターリニストとの党派闘争においてさえ、その影響下にある活動的労働者を獲得することが、われわれの意図の大きな一部分である。まして、なんの物質的特権にしばりつけられているわけでもない「新」左翼諸派の多くの活動家達は、この激動の情勢の展開のなかで、くりかえし自らの思想的限界につきあたって自己批判を強制され、革命派に移行する可能性を多分に持っているのであり、彼らの立ち遅れがはなはだしければそれだけ、彼らが自ら破産を自覚するようにしてやる必要がある。このための最良の方法は、彼らを大衆運動のなかに引き込み、彼らの思想と方針をそこで十分に展開させることである。大衆運動自体のなかで自らの果す反動的な役割を思い知らされることほど、活動家と党派にとって手痛い批判はないのであり、そのようにして自らの限界を自覚するのであれば、彼らが成長し革命的立場に移行する可能性もまた増大するのである。だから、自らの正しさを確信する党派であればあるほど、反対者に発言させる自信と要求をもつのが当然である。
だが、沈黙を強いることによっては、何が生れるであろうか? 対立する党派に沈黙を強制し、活動家を襲撃し、肉体的機能を傷つけ破壊し、生命までをも奪ってしまう今日の「内ゲバ」は、未来の同盟者、未来の同志を破壊しているのであり、さまざまな矛盾や対立をはらみながらも幾多の試錬を経て、相互批判―自己批判を通じて巨大な革命党建設へ向かって結集すべき潜在的革命派=第三潮流の可能性と戦闘力を破壊しているのである。これほどにあからさまな自殺行為があるだろうか?
損害の第二は主体的な問題である。それは「内ゲバ」を行使する側の堕落である。人民にはたらきかけて影響力を拡大し誤まった政治的傾向をのりこえるたたかいは、骨のおれる作業であり時間もかかる。それよりは、誤まった方針を流布している党派の指導者や活動家のところへ出かけていって、一発くらわし二度と大衆の前に姿をあらわさないと約束させることができれば、なるほど手軽にかたがつく。こうした誘惑に一度負ければ、骨のおれる原則的活動は馬鹿らしくなり、「一発くらわす」ことが度重なって、やがて組織の体質になってしまうものだ。だが、こうした誘惑に身をまかせる党派は、簡単な事実を見落している。「一発くらわされた方も、だまってはいないだろう」ということを。
動は反動を呼び、テロは報復テロをまねく。組織のエネルギーがますます多くこの「内ゲバ・エスカレーター」に吸収され、大衆運動に投じるエネルギーが切り上げられ、原則的な党派闘争を通じるよりも、はるかに骨のおれる、しかも不健康な「活動」に明け暮れるようになるのは必至である。そのあげく、誰でももうひとつの単純な真理に気がつく。「内ゲバではどんな党派もつぶせない」―と。
空しく消耗した自らに残されたものは、原則的大衆運動―組織活動に堪えられなくなってしまった堕落した体質だけである。こうして彼は最後に、決定的な結論に必ずたどりつく。「内ゲバでつぶれるのは結局自分の方だ」と。
「内ゲバ」がもたらす第三の、本質的な損害は、「新」左翼総体の人民からの孤立である。ここで「内ゲバ」は、国家権力に客観的に奉仕している。
人民は「内ゲバ」を支持しない。人民は真に革命的な党派は、国家権力とのたたかいではいかに非妥協的であっても、大衆運動のなかでは最も忍耐強く労働者民主主義を大切にするものであることをよく知っているのである。
息子や娘を国家によって傷つけられ、捕えられ、殺された親達は多くの場合革命運動を支持し、国家に対する憎しみを燃やしている。だが「内ゲバ」で傷つき、殺された者達の場合はどうか。彼らの肉親達はほんの少数の例外を除いては運動そのものを不信し、さらにあるものは反革命の予備軍に加わる。百万言を費やしてみても、この流れをくいとめることはできない。無知でもなんでもない人民は、運動の堕落と頽廃を見抜くのである。
「内ゲバ」の当事者達と直接関わりのない広汎な人民総体にとっても、事情は同じである。史上いかなる革命党派においても、「私闘の禁止」、論争における野蛮な行為の禁止は常識的な規律であり、それは人民に道徳的に尊敬されないような「指導者」は一日も存続し得ないというごくあたりまえの事情によっている。
そして今日「新」左翼の「内ゲバ」は、人民に語るどんな内容ももたず、ただ嫌悪だけを誘いながら、あきもせずくりかえされている。そうしたときに国家は宣言する。「過激派は人殺しだ。彼らは国民の生活とはまったく無関係な自分の利益のためだけに闘争をやっているのだ。暴力団と少しもちがわない縄張り争いで殺し合いをやっているのがその証拠だ。彼らを刑務所に入れろ!」
人民はすこしも国家を信頼しているわけではないが、内ゲバの曲生息味なくりかえしは、彼らを国家の側に追いやるために役に立つ。そしてさらに「内ゲバ」は、ファシストのためにも道を掃き清めている。「過激派は殺せばよいのだ!!」という宣伝にとって、「過激派」どうしの殺し合いほど雄弁な説得材料はないではないか。「内ゲバ」が起るたびに心から喜び、拍手を送ってくれるのは、まちがいなく帝国主義者であり、国家であり、ファシストたちなのだ。
「内ゲバ」は、「新」左翼諸派の人民的活動の領域をせばめる。それは当事者たる党派だけではなく、総体の支持を失わせる。そのことによって、大衆運動のなかでの党派闘争の展開がますます少なくなり、各派はいっそう「内ゲバ」にたよる。これは悪循環である。すでに学生運動は、典型的にこの悪循環のなかにはいっている。大学のキャンパスに登場するためにはゲバ棒を持っていかなければならないという状況が広くある。機動隊の壁をつき破るためではなく、対立的な諸派の攻撃から自衛し、打ち勝つためにである。学生大衆は、こういった武装集団の格闘が一通りすんだあとで、勝利者の手から、うやうやしくビラを受け取るのである。このような構造のなかから、どうやって生々とした大衆運動が創造されるであろうか。はげしい論争と、さまざまな試行錯誤を大胆に保障する運動の民主主義なしに、誤ちをおそれず自分の頭で考え、国家権力との戦闘に非妥協的に出陣できるエネルギーでみちた、未来の職業革命家たる多彩な活動家群をつくり出す大衆的学生運動が、どうして生まれるはずがあろうか。
自らを人民から孤立させ、そのことによって国家権力とファシズムのこめに客観的に奉仕することこそ「内ゲバ」がもたらす本質的な損害なのである。
●「内ゲバ」の限界
「内ゲバ」の損害のことばかり言っているが、とある諸君は言うかもしれない、「内ゲバ」のプラス面はどうなのだ、と。
「内ゲバが反革命的な、日和見主義的な党派に打撃を与える一つの手段であることはみとめるべきではないか」こう主張する諸君がたぶんいるだろう。
なるほど、それでは聞こう、「反革命的な、日和見的な党派」はなぜ発生したのか、それはその指導者・理論家たるA氏やB先生のおかげなのであるか。諸君の目ではそう見えるというのなら、われわれは「マルクス・レーニン」の眼鏡で視力を矯正するようにおすすめする。「マルクス・レーニン」の視点からは、「反革命的な、日和見的な党派」の存在の根拠が、すなわち思想の基礎たる諸階級の運動様式が見えるはずである。歴史と情勢に規定された人民の社会的な関係、この関係がつくり出す人民のさまざまな利害と意識のぶつかりあい、そしてこのぶつかりあいのなかで生産される政治的意識の諸々の体系化が、諸「党派」なのであって、その逆ではないのだ。もし諸君が、「反革命的な、日和見的な党派」を本当に退治したいと思うのなら、「反革命的で、日和見的な」政治意識の発生の根源である人民の保守的な運動を、「革命的で戦闘的な」人民の運動によって解体し、吸収する以外にはない。そしてそのためには「内ゲバ」は百害あって無益だ。この人民の保守主義が残存し運動をつづけるかぎり、諸君がいくつの「反革命的で、日和見的な党派」を退治しても、あとからいくらでもできあがるので、くたびれてたおれるのは諸君の方だ。
「しかし、そういう大衆的な基礎をもった党派は別にして、なんの根拠もないただ反革命的で、日和見的な党派もあるのだ」とさらに諸君は言うだろうか。それではわれわれの答えはこうだ。どんな党派にもその人民的基礎があり、ぜんぜん幽霊的な党派にも、そういう幽霊が存在できるというのが人民の政治性の一つの表現なのだが、またもしそれほど人民と無縁な党派であるなら、なんの影響力も行使できないのであり、少なくとも「反革命的」にはなりえないのだから、そっとしておいて勝手に日和らせてやれば良いではないか。
「しかし、党派は人民の政治性のたんなる反映ではなくそれを意識的に生産もするのだ。だから大衆運動そのものとは区別された党派闘争の領域が必要だ」と、また別の諸君がさけんでいる。よろしい、まことに結構だ、党派は人民の――階級闘争の結果であるとともに原因であり、産物であるとともに生産者なのだ。そこでどうなるか。党派は自分の望むとおりに階級を、人民を導くことができることになるか。そうはならない!「存在が意識を決める」のである。労働者階級が、被抑圧人民が、情勢と歴史に規定されて持っている革命的可能性、人民の表面的な生活の裏側に潜んでいる反帝国主義的な闘争への決起の可能性これを自覚させ、ひき出すこと、このまだ形をとっていない内容に形式を与えること、怒りを闘争に変えること、闘争を一つの革命に組織すること、これが党派の任務であり、できる最大限なのだ。「階級闘争の産物であり、生産者である」というのはこういうことだ。だから、階級から、人民の生活の現場から「独立」して党派の建設をおしすすめることなどできるわけがない。人民の政治運動、大衆運動からはなれたところで「党派闘争」を展開できる道理がない。
「党派闘争を大衆運動と結合して展開するのは当然だ。だが内ゲバは、大衆にむけて、党派対立を鮮明にし、日和見主義的な党派の反革命性を弾劾することによって大衆を真に革命的な立場に獲得するための一手段なのだ」――これは「目的意識的」な「内ゲバ」主義者の主張である。
だが、すこし注意深い人なら誰でも、反対のことがわかるはずである。「内ゲバ」は党派対立をあいまいにさせ、「党派の反革命性の弾劾」から大衆の目をそらしてしまうということを。大衆は逆に、物理的な格闘に眼をうぱわれ、誰が強いとか、どの党派がひどいとかそういった次元の判断しか得ることができない。それは別に大衆が無知だからではない。「内ゲバ」自体が、そういう内容しか表現しないからだ。対立を鮮明にさせるためなら十回の「内ゲバ」よりも一回の大衆的な討論集会の方が、日和見主義者の弾劾のためなら、百本のゲバ棒よりも十個の大衆的な自己批判要求決議の方が、はるかに有効ではなかろうか。「目的意識的」でありさえすればどんな手段でも使えるといったものではないのだ。手段は目的を内包しているのだ。包丁で釘を打つことはできず、金鎚で豆腐を切るわけにもいかない。「革命的暴力」は権力とそのおやとい人共にむけられるのであって、日和見主義的な大衆やその代弁者をおどかして革命的にさせる手段にはつかえないのだ。「目的意識」は目的にふさわしい手段を発見し、創り出すことにあるはずだ。結局この点でも、「内ゲバ」が何の役にも立たないことは自明ではないか?
「自明ではないぞ!」とさけぶ声が「革マル派」の方角から聞こえてくる。「自らの破産がわれわれによってすでに完全にバクロされ、階級闘争の腐敗要因・障害以外のなにものでもないことがあきらかにされている堕落したセクトが、それにもかかわらず不潔な政治技術にたよって大衆運動や組織にしがみつこうなどとしている場合には、めざわりであるから、物理的につまみ出してやればよいのだ。ウジムシは棒でたたきつぶす以外にない!」
だがわれわれは、冷ややかに笑って「革マル派の方角」にささやかな注意をうながそう。「バクロされ」「明らかにされ」たというのは誰にとってのことなのか、と。もし「革マル派の方角」にいる諸君達自身にとって、のことであるならば、諸君達の任務は、諸君達がいま到達したその「理解」を、大衆運動のなかで「バクロ」し、「あきらか」にすることである。またもしすでに大衆のなかで十分に「バクロ」され「あきらか」になり、大衆と諸君達が「理解」をともにしているのであれば、諸君達の任務は、運動によってのりこえられているそのような用済みのセクトにかかわりあうことをきっぱりとやめて、新しい任務にたずさわることである。いずれにしても「棒」は帝国主義者を「たたきつぶす」ためにしまっておくがよい。やることはほかにたくさんあるはずだ。
「そうはいうけどな、裏切り分派をぶっとばさなければ腹がおさまらない。やつらをたたきのめすのはスカッとする。大衆運動は大衆運動でまじめにやればいいのだ」このほがらかな声はたぶん「ブンド」の方角からだろう。
案外これが本音なのではなかろうか、とわれわれは考える。あんがいこういう軽い気持で、ブンド的「内ゲバ」は始まったのではあるまいか。
だが、本当に「腹」をおさめ、「スカッ」とするのは、革命が勝利する時でいいではないか。そのときには全人民的に「スカッ」とするのだし、それが待てないようでは革命運動はつづかないぜ。それに、軽い気持ではじめたものでも、いまはもう他のことが考えられないほどにひどくなってしまい、大衆運動もできないほどだ。もうおしまいにしようや。そうわれわれは言って、「ブンドの方角」にいる諸君達の肩をやさしくたたきたい、と思うのである。
●「内ゲバ」の歴史的性格
「内ゲバ」を最も系統的・徹底的に党内闘争―党派闘争に導入したのはスターリンであった。彼はロシア革命を担ったボルシュヴィキの一世代全体を、暗殺、処刑、強制収容所によって文字通りに殲滅した。これはスターリンの「政治反革命」―ソヴィエト政権の担い手を、一世代のボルシェヴィキ・カードルから、特権官僚層に置きかえる「奪権闘争」であった。
スターリンの「奪権」が完成するまでには、長い党内分派闘争の期間があった。党がレーニン・トロツキーの指導下にあった内戦時代とそれに続く数年は、論争の質と深さにおいて、もっとも激しい分派闘争の時代であった。だが、大量の武装したプロレタリアートと農民が国中にあふれていたこの期間、分派闘争を暴力で解決するような思考方法は、レーニン・トロツキーとボルシェヴィキにとっておよそ思いつくこともできない卑怯で野蛮な下劣さの表現であった。一九二二年秋のジョルジア(TAMO2註:現代的表記では、「グルジア」か?)問題・そこではスターリン的「内ゲバ」が党内闘争でほんのささやかに、スターリンの忠実な部下オルジョニキーゼの「乱暴」という個人的な形ではじめて顔を見せたのだが―に対してレーニンが示した激怒は、オルジョニキーゼの除名、スターリンの書記長解任の提案として厳しく突き出され、やがて反官僚主義、反スターリンの「レーニン最後の闘い」の導火線ともなったのである。
暴力による圧迫で論争を「かたづける」やり方は、ボルシェヴィキとは無縁であった。それはスターリンを頭目にいただく官僚達の特有の方法であった。
官僚は論争を大衆からかくし、何が行なわれているかを知らせず、自らの真の政治的立場を大衆にただの一度も宣言することなく、「奪権」を成功させた。彼らは彼らの「奪潅闘争」を、純粋の「内ゲバ」として遂行しぬくことによってはじめて勝利を得たのである。あるいは逆に、彼ら自身が「内ゲバ」によってきたえられ、自らの官僚としての本質を自覚していったのだと言ってもよい。
だがこの過程は、ロシア労働者国家が直面した深刻な危機を、ヨーロッパ革命として切り拓くことのできなかった世界プロレタリアートの未成熟――その集中的表現としてのヨーロッパ諸国の共産党の未成熟に助けられてはじめて可能であった。そしてこの点において、レーニン・トロツキーの党の時代的限界を見なければならない。だが、日本の歴史浅い「新」左翼達は、スターリンの秘密を「主体的」に解明しようとして、トロツキーの「弱さ」をあれこれと「発見」したつもりになり、得意がっている。「反帝・反スターリン主義戦略」なるものが、その一例である。この人達は、なぜトロツキーは、もっと「徹底的」にスターリンと、最初から闘わなかったのか、という「批判的気分」で共通している。たとえばスターリンがゲーペーウーをつかうなら、トロツキーも断乎としてこれに武力をも含めて対決すべきであったのだ、などと歴史を飛びこえて夢想するのである。なるほど今日の日本「新」左翼「内ゲバ」主義者が二〇〜三〇年代のロシアにいたならば、さっそく「左翼ゲーペーウー」を組織して対抗しようとするだろう。ただそれはスターリンのゲーペーウーの一万分の一ほどの実力ももちえないにちがいないが。
トロツキーとボルシェヴィキは、もちろんそうしなかった。彼らが不屈にやり続けたのは、党員に訴え、大衆に訴えることであった。スターリンは「内ゲバ」に訴え、トロツキーは原則的な党内闘争に訴えた。間に合うように大衆が組織される以前に、彼らは根こそぎにされ、殲滅された。
トロツキーは正しかったか? 然り! 百度も然りだ! スターリンと官僚共は、ついにトロツキーとボルシェヴィキを、政治的に葬むり去ることができなかった。スターリニストは、自らの歴史的犯罪を正当化するどんなにささいな口実をも、トロツキーとボルシェヴィキからひき出すことはできなかった。彼らは暴露されていく自らの罪業におびえつづけて死ぬほかにはないのだ。
だがトロツキーとボルシェヴィキの原則的党内闘争・党派闘争こそが、ロシア革命の神髄を防衛して今日の世界に伝え、ロシア労働者国家の防衛のために全世界人民・ロシア人民を最後の一線で支え、ボルシェヴィキ・レーニン主義の真の権威を守りぬいたのである。まさにこのような闘争を闘いぬいてはじめて、トロツキーと第四インターナショナルは、次のように呼びかける権利を得たのである。「党と国家は変質した。それはもはやプロレタリア前衛のものではない。それはすでに特権官僚に占拠されている。新しい共産党を組織せよ! 武器を手に、官僚を打倒せよ! 権力を奪還せよ!」
暴力は、この立場のもとでスターリニストにむけられる。だが、断じて「内ゲバ」などではなく、武装した大衆の権力闘争――政治革命として。
「内ゲバ」は、党派闘争における特権官僚の手段である。特権官僚――それは運動の指導を物質的特権のために掌握する者達である。大衆的エネルギーの後退と、運動の基盤の後進性、そして運動の停滞=中間的固定化がそれを生み出す。危機を大衆の革命的創意に依拠して突破する立場を採ることのできない労働者運動の官僚指導部が、大衆の革命的批判を予防し、反対派をあらかじめ鎮圧するために、労働者民主主義を圧殺し、反対派的批判的傾向を暴力で抑圧する――これが、単純な個人的暴力とは区別された、手段としての「内ゲバ」の歴史的性格である。レーニンがオルジョニキーゼの個人的「乱暴」を見すごしにせず、厳罰をもってのぞむべきだとしたのは、スターリンの官僚主義的指導と結びついて「偶発」したこの行為が、やがてその歴史的本質を体系的に展開するに到る危険を革命家の直感で察知したからにちがいないのだ。
われわれもまた、このようなきびしさをもつのに、もちすぎるということはない情勢にいる。
●「内ゲバ」を正当化する理論
「内ゲバ」を正当化する理論的根拠は、つねに社会ファシズム論である。社会ファシズム論――革命かファシズムかの息づまるような選択をつきつけられた三〇年代ドイツの最初の二〜三年間の危機に劇的な形で示されたスターリン主義の裏切りの路線、大衆の革命的エネルギーをまったく信頼せず、官僚的命令とセクト主義的最後通謀をもって、統一戦線とソヴィエト権力にむけた真の党派闘争に置きかえる「社会ファシズム論」は、世界プロレタリア革命にたいする体系的不信の理論化たる「一国社会主義論」の極「左」的革命戦略論として登場した。そしてこの大衆の革命的エネルギーへの官僚的不信が、プロレタリアートの独自の権力闘争が日程に上るときには、ブルジョアジーへの屈服を強いる「人民戦線論」として右翼的に転化する。すなわち「社会ファシズム論」は「人民戦線論」と同根の裏返しにすぎず、「一国社会主義」の戦略論にほかならない。究極のところそれらはただ、特権官僚の利益にだけ奉仕する。
一国平和主義の空気を吸って育ち、スターリン主義との闘争で深く「相互浸透」してしまった日本「新」左翼は、彼ら自身決して「物質的特権」にありついたわけでは未だないのに、その発想と体質はあまりに深く官僚的であり、その思想は本質的に一国平和主義である。彼らの一国主義は、本物の革命とはどういうものであるかを豊かに見せつづけてくれるアジア人民の闘いに、彼らの眼が開かれることをかたくなに拒んでいる。そして彼らは、自分のせまい四つの島の中で、頭の中で考えられる最高に革命的な姿に似せてみようとする。だがそれはせいぜい、五〇年代の日共――最悪の極「左」冒険主義でしかない。かくて彼ら「新」左翼は、統一戦線といえばべったり追随すること、党派闘争といえば「内ゲバ」のことというように、スターリニズムの政治路線を忠実にひきついでいる。「名誉」なことに日本「新」左翼は、この十年来、「社会ファシズム論」を綱領そのものにまつりあげた党派まで持っている。「反帝・反スターリン主義」の諸党派がそれである。
「社会ファシズム論」が、どれほど馬鹿らしい理論なのか、トロツキーに聞いてみよう。(※注意)
「ある牛売りが、牛を屠殺場へ連れていった。屠殺者がナイフをもってやってきた。
『隊を組んで、おれたちの角でこの屠殺者をつき刺してやろうじやないか』と一頭の牛が提案した。
『しかし、おれたちを棍棒でなぐりながらここに連れてくる牛売りより、この屠殺者の方が、いったいどうして悪いのか?』と、マヌイルスキーの寄宿舎で政治教育を受けた他の牛が答えた。
『いや、牛売りの方は、あとでかたをつけられる』
『だめだ』と、原則を守ろうとする牛たちは答えた。『おまえは左の方から敵をかばっている。おまえ自身が社会的屠殺者だ!」
こうして牛たちは、隊を組むのを拒んだ」 (「次は何か」より)
これは三〇年代のドイツの話であった。今日の日本「新」左翼では事情は少し違っている。牛たちは、自分を屠殺場に連れていくのが他の牛だと思っている。そこで牛たちは、おたがいに猛烈な突き合いをはじめる。屠殺者がやってきて、うれしげにつぶやく。「ナイフは、つかわなくても済みそうだな……。」
革マル派は、日本「新」左翼「内ゲバ」主義の創始者である。いま彼らは、「ブクロ派」の「最後的絶滅」を呼号している。「解放」新年号によるとこの党派闘争は、「党派闘争の向自的形態」であって「大衆運動の組織化に従属した党派的闘い」ではなく、「わが同盟がブクロ派組織そのものに直接対決し、それを解体する」のだそうである。そのためには、「とりわけ狂乱化しているブクロ派などとの関係においては……特殊的組織戦術の貫徹、なかんずく一定時点における的確な暴力の行使は効果的な一手段(大目的=ブクロ派解体=にとっては一補助手段)となりうる。」というのである。
さてそれでは、なぜ「的確な暴力の行使」が効果的なのか、というとそれは書いてないのである。諸君の常識に待つということか。あるいは「とりわけ狂乱化している」というあたりで、説明したつもりなのであろうか。
そもそも革マル派が、なぜ「内ゲバ」 が効果的なのか、といった説明をやったことは一度もないのである。彼らは彼らの「内ゲバ」が「目的意識的」であるとか、目的と手段の関係がどうだとか、そういう論理のこねまわしで、この説明の代りになると思っているのだ。
彼らは党派の、活動家の存在をその思想、理論によっておしはかる「理論主義」派である。だがその「理論」の「絶滅」のためには党派・活動家の肉体を攻撃するのである。みごとにさかさまだ。それで十年間やってきたのである。革マル派のおかげで健康な肉体を奪われた青年達は、どれほど多いか想像できないほどだ。だが、革マル派のおかげで、この地上から姿を消した思想などは、ひとつもないのである。党派にしても、革マル派のおかげでつぶされた党派などひとつもありはしない。「新」左翼諸派が、自らの破産で自らつぶれていっているおかげで、革マル派が若干拾いものをしたということはありうるが。
革マル派にとっても「内ゲバ」は一度も効果的であったためしはないのだ。だからすこしも目的意識的ではない。ところが彼らは、彼らの「暴力の行使」は、きわめて目的意識的な革命的暴力だ、と主張している。
「いかなる組織が、いかなるものにたいして、なんのために、どのように、いかなる条件のもとで暴力を行使するか、というように問題をたて、かつ実現する」――これが目的意識的なのだそうである。小学校の教科書に、新聞記事の書き方は、五W一Hでやらねばならぬ、と書いてあるのを覚えているだろうか。「いつ、誰が、なにを、なんのために、どこで、どのように」――これが五W一Hである。大体革マル派の諸君の目的意識性と似てはいないだろうか。この程度のことをはっきりさせることが目的意識性の貫徹だというのであれば、人々は、朝から夜まですべて目的意識にみちているというべきだろう。
レーニン主義の目的意識性とはこういう水準ではない。プロレタリア大衆の自然発生的意識の内側にひそむ革命的エネルギーと政治性を、どのようにしてひき出し、自覚した政治闘争へ、権力にむけた闘いへ組織するのか、これが党の目的意識性の核心であり、すべての行動が、この目的意識の実現としてつらぬかれているかどうかが問われるのである。このことになんの効果もないような「目的意識的行動」なるものは、ただ形だけの、論理だけの「目的意識性」
にすぎない。それとも「大衆運動の組織化に従属しない」「党派闘争の向目的形態」に熱中できるような党派にとっては、レーニン主義とは全く無縁な、こういう形式的目的意識性を満たすことこそが、彼らの「目的」そのものなのであろうか。
中核派の諸君は、革マル派を反革命そのものだとし、K=K連合。(機動隊=革マル連合)粉砕を通じて七〇年代闘争の内乱的発展をかちとると主張している。この立場によれば、革マル派との武闘は「内ゲバ」ではないのであって、権力との対決の一環だということになる。
われわれは中核派との統一戦線―統一闘争を断固として追求してきたし、今日においてもそうである点にかわりはない。なぜなら日本人民の反帝的な急進主義をもっとも強く代表して来たのが、ほかならぬ中核派であったし、多くの「新」左翼諸派が、弾圧の激化のなかで、急進的な反帝闘争の戦線から召還してしまった今日でもいぜんとしてその事情は変ってはいないからである。
それにもかかわらず、K=K連合粉砕路線は、われわれの絶対に支持し得ない点である。むしろ、この路線のもとで突き進むならば、中核派が相対的に領導して来た日本人民の急進的な政治意識と闘争から、最終的に離反をまねくであろうことを、われわれは強く忠告すべきであると考えている。
なぜか?
第一に、革マル派は反革命ではない。革マル派は、一つの日和見主義的でセクト的な政治傾向である。彼らは独自の理論体系をもっており、その忠実な実現のため日々を闘争している。革マル派との党派闘争は、われわれが前進していて彼らが介入しえない大衆闘争の戦線とその経験を武器とし、彼らが強力でわれわれが立ち遅れている大衆運動の分野のなかに、どのようにして原則的に介入できるのかを真剣に考えることからはじめられなければならないのだ。
第二に、革マル派と国家権力とは結合してはいない。国家権力が革マル派の「穏健さ」に期待をかけるということはありうるし、そのために情報をながす等々ということもあるかもしれない。だがそれはせいぜい、国家が党派対立を利用するということであり、そのことに無自覚な党派が無原則的な党派闘争をしかけている、というにすぎない。革マル派といえども用済みになれば無慈悲な弾圧の対象になる以外にはないのである。
第三に、K=K連合粉砕路線では、人民の政治的要求の実現とその革命化のためにたたかう前衛の責務を果すことができない。人民と国家権力の全国的対決の焦点に前衛としての任務を引き受け、果し切ること、こうしたことの成果としての人民的影響力の拡大が、機動隊との直接の対決の場合にも革マル派との党派闘争のためにも最大の武器となるのである。
最後に、中核派と革マル派の今日の連続的武闘は、「内ゲバ」であるということ、だから革マル派との対決を大衆運動に優先させることは、必然的に大衆に対する官僚的最後通謀であって、孤立を招かざるを得ない。中核派の諸君は、自らが今日までに展開してきた「内ゲバ」主義の思想的自己批判を深めるべきであり、そのことによってはじめて、革マル派の無原則的な「内ゲバ」攻撃を大衆的に撃退する原点を獲得しうるのである。
解放派=革命的労働者協会は、その機関紙「解放」八七号に論文を発表し、「内ゲバ」と党派闘争に関する見解を表明している。
「党派闘争は、全大衆の前に帝国主義への如何なる闘いをめぐってなのかを明らかにし、全大衆自身の問題の発展として闘う事を明らかにする。」「彼ら(中核派)は全く無原則的に『殺せ』などという事を指導部が平気で口にする。……それは彼等が、革マル派と同じように、一人の人間を『イデオロギーを荷負って歩いている人形』としてしか扱わないからなのだ。別の形で言えば一人一人の人民の矛盾を、社会の根本的矛盾の中にしっかりと位置付けきっていないからなのだ。要するに、血と肉をもった一人一人のかけがえのない人間としてみていないからなのだ。」「レーニンの活動をその革命的リアリズムを、『勝利のためには手段を選ばない』というふうに理解するのは、全く馬鹿げた事だ。レーニンほど当時のマルクス主義の中で、一つ一つの問題に原則を貫こうとして苦闘した人間はいない。」「我々の党派闘争は……まさに階級的真実と、階級闘争を明らかにし、推進する形で、従って目からの一切の活動は、そのプロレタリア大衆の目に顕証される形を促進しつつ行なう。」
以上の引用は、解放派の「内ゲ oニも事実である。
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