暴力一般とその行使について
酒井与七
わが同盟ならびに国際主義共産学生同盟(学生インター)沖縄現闘団の同志とその事務所にたいするフロントの一団によるテロならびに破壊行為(二月二〇日)とこれにたいするフロントの「日本共産主義革命党」としてのわが同盟にたいする回答書についてわが中央政治局は彼らにたいする最後となるかもしれない警告の声明を発した。わが中央政治局のこの声明は、「日本共産主義革命党」の回答書にたいして直接に反論をくわえ、彼らの徒党的性格を暴露するものである。だが、わが同盟ならびに学生インター沖縄現闘団にたいするフロントのテロと破壊行為は、労働者階級ならびにその他一切の被抑圧諸人民の解放闘争における暴力一般ならびにその行使にかんする彼らの徹底した無思想を暴露しているのである。
かって一九五四年代のアルジェリア解放闘争において同じアルジェリア人組織であるFLN(アルジェリア民族解放戦様)とMNA(アルジェリア民族運動)――FLNはアルジェリア武装独立戦争の中心的組織者であったし、後者のMNAは日和見主義的民族解放運動派として後には公然とド・ゴールに屈服した――の分派闘争と政治抗争が、在フランス・アルジェリア人のあいだでたがいにその活動家を拳銃とナイフで殺しあうテロの相互応酬にいたったこと――たとえば、この事実をわが「日本共産主義革命党」の「革命家」たちは知らないだろう。そして、西ヨーロッパにおけるわがインターナショナルの同志たちは、フランス帝国主義にたいして武装独立闘争を闘いぬくFLNと緊密に協力して準軍事活動をふくむ諸々の地下活動を展開したのであった。当時、西ヨーロッパにおけるわが第四インターナショナルの数的力は、わがフロント「革命家」「諸君の想像を絶するであろう程の極小数勢力であった。にもかかわらず、FLNの代表がわがインターナショナルの第五回世界大会(一九五七年一〇月)にオブザーバーとして出席したのである。
今日、西ヨーロッパ全域における強固に組織された青年前衛の最先頭にたっているフランス共産主義者同盟(第四インターナショナル・フランス支部)の大衆的活動家組織としての前身JCR(革命的共産主義青年)のアラン・クリビーヌを中心とした指導的部分は、一九六〇年代初頭のアルジェリア支援闘争のなかから成長してきたのである。旧PCI(国際主義共産党、旧フランス支部)以来の老同志たちはフランス労働者階級の反ナチ・レジスタンスの武装闘争経験をくぐりぬけてきており、今日のフランス支部たるフランス共産主義者同盟を担っている若い同志たちは、アルジェリア人民のフランス帝国主義にたいする武装独立闘争の戦火をつうじて成長してきたのであった。それゆえ、このフランスのわが青年同志たちは、暴力一般とその行使にかんして徹底的に訓練されており、教育されている。この青年同志たちは大胆不敵なコマンドー(特別に選択された行動グループによる奇襲的攻撃)の能力をもっており、この点において毛派からアナーキスト、フランス型「革マル」派にいたる雑多なフランス「新」左翼はわが同志たちの足もとにもおよばない。フランスのわが同志たちはまた街頭におけるデモンストレーション、工場におけるストライキとピケット・ラインを諸々の襲撃から防衛する武装自衛の組織的能力を今日発展させつつある。これもまた階級闘争における暴力の問題の大衆的レベルにおける端緒的なあらわれであり、わが同志たちの暴力における組織的能力を前進させ、訓練する。だが、わが同志たちが階級闘争の戦場において多様に獲得しつつある暴力行使の組織的能力は、わがフロント「革命家」諸君のように徹底的に無政府的で・無思想で・徒党的なもの、それ故必然的に機会主義的・日和見主義的なものでは絶対にない。わが同志たちのコマンドーと街頭ならびに工場における組織的な暴力行使の能力は政治的な統制と規律が徹底的にゆきわたっているし、イデオロギー的思想教育が全面的にほどこされている。そこでは無思想と無政府徒党性と機会主義的日和見主義は一切許されない。このコマンドーと街頭ならびに工場における組織的な暴力行使の能力は、根本的に支配的国家と敵階級の暴力にたいして攻撃的なのであり、労働者階級を中心とする諸々の大衆運動そのもの、そしてこの大衆運動内部における一切の政治的諸傾向(“一切の政治的諸傾向”とはつまり共産党もふくむということをわがフロント「革命家」諸君はお忘れなく!)間の徹底した労働者民主主義を支配的国家と敵階級の暴力と挑発から無条件に防衛しぬくべく統制され教育されている。労働者階級を中心とする大衆運動内部の政治的諸傾向間の関係それ自体においてもまた相互間のテロと暴力的破壊行為にたいして「実力行使」をふくむ断固たる闘争を展開し、大衆運動内部における一切の政治的諸傾向間の労働者民主主義のために無条件に闘い献身しようとする。つまり労働者階級を中心とする大衆運動内部におけるいずれかの政治傾向が組織的テロと暴力行為によってこの大衆運動内部の労働者民主主義を破壊しようとするとき、わが同志たちの組織的な暴力行使の能力は、そのような徒党的集団から大衆運動内部における労働者民主主義を防衛するために配置される。そして勿論、自己の運動をあらゆるものから防衛するために配置される。昨年春、フランスの毛派の一グループがアルジェリア人の少年たちにたいして「フランス共産主義者同盟はユダヤ人に指導されている」と反ユダヤ主義に訴え、わが同志たちにたいするテロ行為を煽動した――アルジェリア人少年はパリ近郊バンサンの大学構内にナイフをもってあらわれた。わが同志たちは直ちに防衛の行動隊を組織し、この毛派のグループに重大な警告を発した。ウワサによれば、街頭ならびにコマンドーにおけるわが同志たちの特別行動隊の能力が抜群のものであることは、フランスの左翼内部では周知のことであるらしい。そして、この毛派グループはわが同志たちにこっそり詫びをいれたのである。 またある一派が、フランス教職員組合のわが同志をふくむ大衆的活動者会議の暴力的破壊を意図して襲ってきた――彼らは彼らが最初に手をだしたところで直ちに粉砕されてしまった。そして、以上いずれの場合においてもわが同志たちは追いうちをかけるほど無思想な機会主義者ではなかったし、また幸いにもその必要もないほどに弱体なグループであった。
以上、アルジェリア武装独立闘争における「内部ゲバルト」からはじめて、フランスのわが同志たちの階級闘争における暴力行使について実践的立場を紹介してきた。そして、アルジェリアが一九六三年に独立を達成したとき、FLNとそれを中心とするアルジェリア臨時革命政府は、互いに軍隊を動員する巨大な「内部ゲバルト」によって一時引き裂かれたのであった。また、パレスチナ解放闘争において諸々の政治グループが同時に武装集団ででもあることは、今日、周知のことである。万が一にもこれらの政治諸グループが互いの見解の対立を「内部ゲバルト」によって「解決」しようとするようなことがあるならば、それは文字どおり大砲と機関銃とライフルを動員した殺しあいと暗殺の相互応酬になる。そしてこれが帝国主義とイスラエルをだけ利するであろうことは誰の目にも明らかである。内乱の情勢において対立する政治諸傾向にたいする「内部ゲバルト」は必然的に兇器とナイフを用いることになる。スターリニストは、一九三〇年代のスペインにおいてトロツキスト、ニセ・トロツキスト、急進的なアナーキスト、極左翼社会党員にたいして文字どおりこのような「内部ゲバルト」、つまり暗殺という手段に訴えた。そして、わがトロツキズムの歴史は、スターリニズムのテロルの犠牲のもとに闘いぬかれた歴史なのである。
政治は必ず軍事に転化する。政治はまた真の意味で軍事に転化することなしには、その勝利を達成することができない。軍事は政治の延長であるが、また政治は軍事においてその極限かつ最高の形態をとる。それゆえ、軍事と暴力はわれわれにとってもっとも神聖な領域である。この領域に無思想・無政府・徒党根性・機会主義と日和見主義がはいりこむことをわれわれは絶対に許すことができない。この領域において要求されることは、断固たる規律、徹底的な秩序、中央集権化された責任の体系、最後まで考えぬかれた政治的目的意識性である。われわれは今日このことを徹底的に銘記しなければならない。
今日、すくなくとも日本内部における大衆運動の政治情勢がいまだ軍事が決定的に主導する局面にはいっていないことは明らかである。大衆運動の今日の政治情勢を決定的に軍事主導局面としてとらえる一切の政治傾向にたいしてわれわれは断固として反対する。だが、この日本内部においても、一九六七――六九年一〇・一一月闘争を契機として、前進しようとする急進的大衆諸闘争は不可避的に国家権力と直接に衝突し対決せざるをえない局面がはじまっていることは完全に明らかである。急進的大衆闘争の現日本国家権力との公然かつ直接の衝突、対峙・対決――まさにこの戦線を労働者階級を中心にしていかに全人民化してゆくか、つまり労働者階級を中心とする全大衆を現国家権力との公然かつ直接の全般的対峙にむけて組織しぬこうとすることであり、そこに新しい急進的な政治的人民を築きあげようとすることである。このことが困難な課題であることは明白である。だが、三里塚、北富士農民の闘争はまさにこのこと以外にないこと、さもなくば急進主義運動そのもの改良主義と人民戦線への堕落以外にないことをしめしている。まさに以上の意味において日本内部においても大衆的権力闘争の局面が現にはじまっているとわれわれは考えている。そして、昨年一二月二〇日のコザ反米暴動以降の沖縄反軍事植民地闘争がまさに全島的に大衆的権力闘争の局面に突入していること、沖縄の諸闘争があらゆる意味において諸々の暴力的に組織された力どうしの闘いとなりつつあること――このことについてわれわれは本紙上において再三主張してきた。このような大衆的権力闘争を一つの局面全体にわたって徹底的に大衆的に闘いぬくことによって、そのことをつうじてはじめて大衆運動の情勢における軍事の主導性が形成されはじめてゆくだろう。まさにこのような見地にたつことによって、わが同盟第四回大会(一九七〇年八月)の「同盟建設」にかんする決議の次の一節を真に理解することができる――
「革命および革命党建設の見地からするとき、来るべき一時期全体の人民的大衆運動とその諸闘争の性格は革命の勝利を直接に展望するものではなく、また同様に革命の党を直ちに建設することを直接の課題かつ日程にあげるものではない。ブルジョア日本における社会階級闘争の当面する政治的局面は、いまだそこまで成熟していない。ブルジョア日本における諸々の社会階級および社会階層は、いまだそれぞれ自分自身の即時的な自然発生性を徹底的に急進的に実現し闘いぬいてみなければならない。プロレタリアートを中心とする反帝国主義的諸階層が自らの即自的な性格を自然発生性のうちに急進的かつ徹底的に闘いぬくことなしには、革命の勝利、つまり自らの革命的政治権力樹立を直接の行動目標とする革命党を直接に建設しようとするわけにはいかない。革命を二度も三度も建設するわけにはいかない。――革命党そのものを直接に建設しはじめるということは、もはや絶対に敗北のありえない、ただ絶対的に勝利を展望する(つまり、敵支配権力の絶対的打倒と新しい革命的政治権力の樹立を展望する)革命の組織化にむけて最終的に着手することを意味する。かくして、革命の党建設に失敗し、革命に敗北することは、反革命の無条件の勝利せる血の乱舞=革命の前衛勢力の肉体的抹殺が貫徹されることを意味する――そのときはもはや革命は長期にわたって再起不能となる。われわれにとって革命党の組織化に着手することは、ただ以上の意味においてもはや勝利と敗北を絶体的にかけて革命の最後的な組織化にはいることを意味する。それゆえ、われわれは革命党をただの一度しか組織しようとしないし、またただの一度しか組織することができない。」(同盟理論機関誌「第四インターナショナル」第八号、八八頁)
結局のところ一九六〇年代全体をつうじて形成されてきた、またその限りで左翼という名辞のうえに「新」と冠したわが日本「新」左翼なるものの全分派は、公然とか陰然とかは別にしてすべて「内部ゲバルト」主義の信奉者たちである。たまたまある分派がある特定の時点において「内部ゲバルト」主義を公然と主張しないとしても、そのことはたまたまこの分派が「内部ゲバルト」主義に思想的に、つまり原則として反対なのではなくて、彼らの本質的な機会主義と日和見主義によって一時こっそりとおおいかくしているにすぎない。そして幸いなことに、われわれは「トロツキー教条主義者」であるとこれらの日本「新」左翼の全党派から目されていること――つまりわれわれが「新」左翼ではなく、「老」左翼たることはこれらの諸君によってあまねく認められているのである。レーニン・トロツキーのボリシェヴィズムのイデオロギー的ならびに政治的伝統に「意固地なまでに」固執しようと決意するわれわれは、政治における暴力の最高かつ極限の形態を無条件に承認する徹底的な暴力革命主義者であるが故にこそ、腐敗、堕落した「暴力主義」の形態、つまり革命的イデオロギーという規律と秩序の最高形態を失った徒党化した「暴力主義」たる「内部ゲバルト」主義に断固として敵対する。レーニン死後、スターリニズムとの闘いをとおして、トロツキズムは、ボリシェヴィズムの政治的ならびにイデオロギー的成果と遺産の防衛を決意して歴史的に形成された。そしてスターリニズムにたいするこのトロツキズムの闘争は、スターリン派による暴力の徒党的な「内部ゲバルト」主義への堕落に抗して、暴力を真の革命的軍事としてよみがえらせ結実させようとする不断の闘いであった。わが日本「新」左翼なるものの全分派はこのことを理解することができないし、トロツキズムとその歴史を理解することなど彼らにとって絶対的な不可能事である。まことに彼らは哀れというべきである。彼らには救いがない。
暴力をもっとも大規模に徒党化し墜落させたスターリニズムとその「内部ゲバルト」主義の歴史的先例がすでにあますとこなく証明しつくしているように、「内部ゲバルト」主義はプロレタリアートを中心とする全世界被抑圧諸人民の歴史的な革命の能力にたいする悲観と不信と絶望の度合いに厳密に比例して成立するのである。スターリンの「一国社会主義」と彼の「内部ゲバルト」主義は偶然の関係ではない。この関係はまさに必然なのであり、絶対に別ちがたい双生児なのである。
黒田寛一という男をグロテスクな教祖としていただく「革マル」派がもっとも首尾一貫した「内部ゲバルト」主義者としてあるのは、まさに以上の意味において「哲学」的必然性なのである。何故ならこの教祖の「革マル主義哲学」なるものは、生身として日々生活する具体的な現存在としてのプロレタリアートを中心とする全世界被抑圧諸人民の現世における歴史的な革命の能力にたいする徹底した不信の観念を体系化したものだからである。その謎は教祖の著述『プロレタリア的人間の論理』においてまごうことなく開示されてある。彼らは自らを「反帝反スタ」主義者であると誤解している、だが彼らは「反スタ・反スタ」主義者なのである。現実の形而下の世界における彼らの政治的役割はスターリニズムをそのまま社会民主主義に移入・移植すること、あるいは社会民主主義の第三インターナショナルとスターリニズムにたいする積念の恨みを骨髄にまでもっていったものである。この意味で、この「反スタ・反スタ」主義者はスターリニズムの世界から一歩たりとも外に出ないし、それゆえ彼らはスターリニズムとともに没落し崩壊するのである。かくして、わが革命的共産主義者同盟・全国委員会(中核派)の現指導部は、かつて一度たりといえどもこの黒田「革マル主義哲学」のまやかしに幻想をもったことを深く恥じるべきである。まさにこの点にこれら諸君の決定的なつまづきがあった。わかりもしないくせに「哲学」などと口にすべきでなかったのだ。今日いくらかでも自らを左翼と意識するものにとって、トロツキズムを知らずして、「哲学」を論じうるとするならば、それはほとんど奇跡という他はない。それゆえ、この世にはびこるありとあらゆる「左翼哲学」なるものは、すべてこれまやかしと見なして大方誤ることはない。
黒田寛一を教祖とする「車マル主義」の「内部ゲバルト」主義は、社会民主主義内部にむけてスターリニズムを直接に相続するものであった。そしてブント諸派から、今日「過激化」した旧構造改良諸分派にいたる日本「新」左翼主義諸グループの陰然・公然の「内部ゲバルト」主義をわれわれはどのように特徴づけるべきであろうか。彼らの「内部ゲバルト」主義は、彼らが「平和な日本」ですくすくと育ってきた文字どおりの平和の子であるということに由来している。この「内部ゲバルト」主義は徹底的に考えぬかれた末のものでないから、本来的に機会主義的で日和見主義的でカンパニア主義的であり、それゆえさして重症ではない。ブントと構造改良派――この二つの流れはかつて日本共産党内において一つの「社会主義革命」派を形成していた中年の兄と青年の弟であった。日本共産党社会主義革命派の血気盛んな青年(ブント)とすでに青年期の溌刺たるエネルギーを失った中年(構造改良派)は、かつて平和であった日本とその極度に平和主義的な大衆運動をまごうことなく体現しているのである。彼らもまた本質的に平和革命の分派なのであり、さして深刻に気にすることもなく「内部ゲバルト」主義の「風潮」に身をゆだねることができる。それゆえ、いま現にはじまっている大衆的権力闘争の局面に彼らは絶対に応えることができないし、この困難をましてゆく闘争の性格にたえる忍耐力とねばりを「平和の子」の必然性として彼らは絶対にもちあわせていない。一九七〇年の一〇〜一一月闘争以降まず最初に彼らが互壊し没落していったのは、ただ理の当然というべきである。彼らは深く平和主義である度合に応じて機会主義的な「内部ゲバルト」主義者なのであり、今日の大衆的権力闘争局面の進展それ自体がほとんど自動的にこれらの諸傾向を一掃することを助けるだろう。
かくして、先に引用したわが同盟第四回大会の決議は、引きつづいて次のように述べている――
「この点において、日本“新”左翼分派、とりわけブント系諸傾向は何度でも“革命党”をつくろう派であり、失敗したらまたやりなおしたらいいじゃないか派であって、彼らはまったく改良主義的諸闘争の水準で“革命”について考えようとする。そして、わが“革マル”派は、革命党の建設は危険極まりないものであって、そんなものは絶対につくらない派である。つまり、彼らはこうして徹底的に社会民主主義中間左翼なのである。黒田寛一の“革マル”主義が平和な宣伝・洗脳活動をつうじて人民の多数派になるまでは、社会主義を絶対に断行すべきでないというわけである――一体どこまであの第二インターナショナル中央派に彼らは自らを似せてゆくつもりなのだろうといわねばならない。中核派は、この点においてブント派と革マル派の中間で動揺する。」(「第四インターナショナル」第八号、八八頁)
南部朝鮮において労農人民は朴政権のむきだしの軍事警察支配と日々直面しており、彼らの諸闘争はすべて必ずこの軍事警察権力と対峙し、対決し、衝突することなしには展開きれない。南部朝鮮の労働者、農民、都市市民、学生、知識人たちはまさにこのようにして現に諸闘争を展開している。かくして、朝鮮・沖縄・日本「本土」をむすぶ三点は、いまや大衆的権力闘争がその全体性として形成される局面にはいりつつある。勿論、もっとも困難きわまりない闘争の諸条件を強制されているのが南部朝鮮であることはあきらかである。つづいて困難なのは沖縄労農人民の闘争の諸条件である。そして、南部朝鮮の労農人民にとって、少くとも現時点における日本内部の大衆的権力闘争の諸条件はまったくのところ極楽で階級闘争をやるようなものであるだろう。極東においていまや全体性として形成されはじめた大衆運動の情勢の大衆的権力闘争の局面、そして、この局面を統一的かつ系統的にいかに闘いぬこうとするのか。今日いやおうなしに提起されているのはこのことである。であるがゆえに、また、まさにこのような極東総体化する大衆的権力闘争という見地から、わが日本「新」左翼なるものの徹底的に腐敗・堕落した徒党的「内部ゲバルト」主義を照しださなければならない。「内部ゲバルト」主義は一面において平和な大衆諸闘争の時代からうけついだゼイタク品であった。あるいはまた、一九五〇年代のように平和主義と改良主義のうちにも労働者階級を中心とする大衆運動が全体として前進しているかぎり、平和主義的で改良主義的な大衆運動の趨勢的なヘゲモニーが全体としての大衆運動の各部分におよび統制する。だが、総評・社会党構造の運動としてあった一九五〇年代以来の平和主義と改良主義の大衆運動は、一九五七〜六〇年を転機として衰退にむかい、一九六四〜六五年において決定的な行きづまりとなった。かくしてまたベトナム革命を根幹として一九六七年以来の新しい急進主義運動の大衆的形成がはじまったのだが、平和な大衆諸闘争の申し子としての「内部ゲバルト」主義は、まさに旧来の平和主義と改良主義運動の行きづまりから新しい急進主義運動の大衆的形成への転換期に発生したものであった。それは旧来の平和主義と改良主義の運動が大衆運動の各部分にたいする全般的な政治ヘゲモニー・統制力・吸引力を喪失し、青年の急進主義的エネルギーと未定形で平和主義的形態がいわば即物的に、それゆえ無政府的に噴出していった過程を一面において反映するものであったということができる。自己自身の即物的で直接的な急進的エネルギーの強行的な実現過程において、この新しい急進主義のエネルギーはこれに規律と秩序をあたえるイデオロギーと系統的で組織的な表現の形式を獲得しえなかった。だが、急進主義的エネルギーがいまだ平和主義を根本的に払拭できないがゆえの自然発生的「内部ゲバルト」主義が日本「新」左翼を称する全分派をとらえたかぎりにおいて、これらの諸分派を政治グループという観点からみるとき、そこには日本「新」左翼の徹底的なイデオロギー的無能と底しれない思想的堕落が表現されているのである。
だが、いずれにしても今日すでに明白に大衆的権力闘争として新しい急進主義運動が闘いぬかなければならないとき、これらの徹底的に無思想かつ堕落した徒党的「内部ゲバルト」主義は全面的な障害物になってきている。沖縄全軍労の闘争において、アメリカ帝国主義の銃剣の壁、琉球政府警察機動隊、右翼暴力団日思会と徹底的に対決しぬく闘争の前進を真に志ざそうとするとき、また三里塚の闘争を機動隊の壁に抗して前進させようとするとき、どうして「内部ゲバルト」主義の余地がありえようか。諸々の急進主義大衆闘争において、権力の重圧の壁に密集してあたる隊伍の緊密化と強化こそが問題なのであり、急進主義諸傾向間の統一戦線は急進主義大衆運動の統一戦線として今こそその真の意味が問われているのである。
われわれは、一九六七年羽田闘争以来さまざまな紆余曲折をへて今日にいたっている急進主義諸分派間の統一戦線を陰然・公然の「内部ゲバルト」主義者の「統一戦線」から、まさに大衆的権力闘争の局面を徹底的に闘いぬこうとする急進主義大衆運動の真の統一戦線として確立するためにいまこそ真剣な努力がはらわれるべきである。わが急進主義大衆運動の統一戦線から徒党主義を一掃するための闘いを開始しなければならない。
そしてまた「内部ゲバルト」でしか分派闘争ができないと信じこんでいるおそまつ極まりない「革命家」諸君に次のことを忠告しておきたい。すなわち、大衆諸闘争の情勢が平和主義的であればある程に、たしかに諸君たちの「革命」的「新」理論の「正しさ」を実証するのにあまりに手間ひまかかり、ついに一ぱつぶんなぐってでもわが「革命」的「新」理論を注入しその覇権をうちたててやろうとの誘惑に抗することは諸君ら「革命家」たちには至難の業だろう。だが、幸いにもいまや大衆諸闘争の情勢はそのきびしさを日々深めてゆくであろう大衆的権力闘争の局面にはいってきている。このような諸闘争の諸条件は、自己の「革命」的「新」理論を確信するわが「革命家」諸君には幸いこのうえないのだ――何故なら、あらゆる「新」理論と「革命」的方針は現実の諸闘争によって一瞬にして、数日にして、あるいは少くとも数月にしてその「正しさ」を容易に証明することができるのだ。諸君たちはいますみやかな「勝利」を約束されているのだ――「内部ゲバルト」に精を出す手間ひまもおしまれようというものである。
わが急進主義大衆運動の統一戦線は、自然発生的「内部ゲバルト」主義を一掃するために断固たる闘いを開始しなければならない。そして、われわれは「仏の四トロ」と称されている。大いに結構。そして、ほとけ様以上にチェー・カー(ロシア一〇月権力の反破壊活動の政治警察委員会)の長官にふさわしいものはない。このほとけ様はまた、自ら真にチェー・カーにふさわしい実力をそなえるべく、目的意識的闘いを開始するだろう。(一九七一年三月二一日)「世界革命」紙一九七一年四月五日第二三二号ょり所収――
|