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国際革命文庫 7

日本革命的共産主義者同盟
第四インターナショナル日本支部
中央委員会編

4

電子化:TAMO2(先輩・故福島慎一郎氏の鎮魂のために)

「革命的暴力と内部ゲバルト」
――プロレタリア民主主義の創造をめざして――



「内部ゲバルト」反対
          織田進

 一、問題の提起

 学生運動を中心として新左翼諸党派間の党派闘争に、しばしば「暴力事件」が発生している。つい最近の事例をとって見ても、六六年九月社青同東京地本人会の協会派と解放派の暴力的衝突(協会派に対する解放派の集団テロ)、六七年十月羽田闘争前夜の中核派の解放派活動家に対する集団リンチ、六八年春のブントの分裂後、労働者革命派の指導各個人に対する統一派の再三にわたる「ベトナムばりの」拷問的テロ、六・一五闘争における中核派の「実力演壇占拠」と革マル派のそれへのなぐり込みならびに両者の激突、七月反帝全学連前の都学連大会および全学連大会における「集団決闘」的テロ、等々と枚挙にいとまがない。各拠点大学で、「主流派」的党派が「反主流派」的諸党派の日常活動の妨害や感情的対立の清算のために「弱小党派」に加える「ささやかなテロ」は、すでに慢性化している。早大における革マル派の「巧みなテロ」は、表面的な「大衆路線」を裏で補完するものとして、今日では意識的計画的な「戦術」の中に事実上位置づけられている。

 我々はこのような「内部ゲバルト」問題を、党派闘争にありがちな「行きすぎ」として、偶発的な事件として簡単に見過すことは、もはや許されないと考える。活動家の間の「笑い話」や「手柄話」でお茶をにごしてすませているには、すでにこの「内部ゲバルト」が、あまりにも日常的で、重大な、一つの政治的傾向として大衆の眼前に提起されているし、そして大衆がそれを通じて一定の見解を提起する判断の材料として政治の舞台に登場しているのである。
 しかしながら、すでに本格的な政治現象として存在しているこの「内部ゲバルト」問題に対し、それに主体的にかかわっている新左翼諸党派のどの一つも、いまだかって労働者学生大衆の前で自己の見解を発表したことはない。そのため、かかる「内部ゲバルト」によってひき起される、新左翼諸潮流にむけられた大衆の政治的不信や、諸党派自身の弱さを大胆に切開し、克服する努力は全く手をつけられないままで終っているのである。

 「内部ゲバルト」は、次のような政治効果を持つ現実の政治的行為である。

 第一に、諸党派の政治活動のエネルギーや時間、そして時には有能な活動家の健康を無意味に奪う。
 第二に、大衆と新左翼諸派との結合を妨げ、社民やスターリニズムの「反トロ」攻撃に絶好の口実を与える。
 第三に、敵権力の介入の手段、弾圧の武器として利用される。
 第四に、新左翼諸党派間の統一戦線、活発な相互批判と、反体制の諸闘争へむけての共同行動を妨げ、統一戦線のかわりに「陰謀」的ボス交が、闘う大衆の直接民主主義の内部で発展する理論闘争や組織的競争のかわりにヤクザ的な「縄張り争い」が支配する。

 こうした傾向は、社民とスターリニズムの官僚統制を突破して今広汎に流動し始めた大衆の左傾化を、七〇年代革命の主体勢力の構築のために共働して獲得すべき革命的統一戦線にとって、きわめて大きなマイナスである。もちろん事の正否はあまりにも明らかであるので、この問題について複雑で巨大な論文を書き、大論争を組織する必要があるなどとは我々も考えていない。必要なことはきわめて当然な「原則」を守りぬく実践的な努力である。我々がここで明らかにする見解は、その観点に立つものである。

 二、スターリニズムと「内部ゲバルト」

 問題の解明は、一九一七年ロシア革命とそれ以後の内戦の過程で行使された、ボルシェヴィキとメンシェヴィキ・エスエル・ブルジョア諸党派連合反革命との軍事的対決と、一九二七年以降スターリニスト官僚が、ボルシェヴィキの一世代全体を抹殺するために行使した暴力手段とを、峻別することから出発しなければならない。
 前者において我々は、プロレタリア的党派とプチブル的党派との対決は、結局バリケードで向い合う暴力的解決へと発展することを見るのである。プロレタリア内部の矛盾として先行する党派闘争を通じて、労働者党のあれこれの形態という仮面はひきはがされ、ブルジョア的本質とプロレタリア的本質との赤裸裸な対立が暴露される段階に到るや否や、内的な党派闘争は公然たる階級的対立へ止揚されて、もはや論争による解決という手段は軍事的対決による解決へと道を譲るのである。
 ロシア革命を闘いとったボルシェヴィキの闘争は、この意味での一つの典型である。ソヴィエト民主主義を徹底して利用し、少数派から多数派へと成長していく過程、いったんこの多数を掌握するや直ちに権力奪取へ向う過程、奪取した権力に対する態度を最終の基準として、全てのプロレタリア的、プチブル的党派がバリケードのどちら側に立つものであるかを最後的に明らかにさせること、そしてバリケードの向う側に位置する政治勢力とは、その外観がいかにエセ革命的言辞でかぎられていようとも、革命の暴力を通じて以外にはいかなる対話も彼等との間に存在し得ないことを明らかにすること。ここには、プロレタリア民主主義と党派闘争の関係の本質が事件の生きた弁証法によって明らかにされている。

 だが、後者=すなわちスターリニストの暴力は、このボルシェヴィキ的党派闘争とは全く逆に、革命的党派を抹殺するために用いられた。従って彼らは、プロレタリア民主主義を全面的に開花させるのではなく、それを抑圧し粉砕する手段として暴力に頼った。大衆の直接民主主義の内部での徹底した論争を通じて他党派と大衆の結合を断ち切り克服するのではなしに、こうした論争そのものを官僚的暴力手段によって打ち破ろうとしたのである。
 すなわち、ボルシェヴィキの暴力は大衆の暴力として登場し、スターリニストの暴力は官僚の暴力として存在した。この両者のちがいは、プロレタリア民主主義(ソヴィエト民主主義)に対してとる態度に集中的に表現されたのである。

 トロツキストをはじめとする革命的反対派にむけられたスターリニストの暴力的方法は、各国共産党に輸出された。そして各国スターリニストが反対派に対して官僚的暴力を行使して排除する過程は、同時に各国共産党がソ連スターリニスト党の海外出先機関へと変質していく過程となっていったのである。

 三、黒田寛一の「内部ゲバルト」

 日本の新左翼運動の内部に、「組織的・目的意識的」なゲバルトを持ち込んだ最初は、黒田寛一氏の指導するマル学同であった。彼らは、ブントその他の諸党派の理論的誤りは、すでに彼ら=マル学同の理論闘争を通じて完全に暴露され、証明されたと称し、それにもかかわらずこれらの諸党派が存在を続け、自治会権力等を掌握し続けているのは諸党派の不誠実によるものであり階級への犯罪であると断言した。かかる不誠実な犯罪者にはもはや言葉だけの批判では不十分であって、「鉄ケンによる自己批判要求」が必要だと考えたのである。そしてマル学同は、以後系統的にこの「内部ゲバルト」の行使者となり、その拠点早大は、もっぱら「軍事的支配」によって今日に到るまでマル学同(革マル)の拠点校たり続けている。
 しかし少し考えてみるだけで、この黒寛「理論」の誤りは容易にわかる。諸党派はもっぱら「理論的」に存在しているだけではなくて「物質的」にも存在している。諸党派の「小ブル性」は大衆の意識の小ブル性の反映であり、さまざまな後れた党派は大衆のさまざまな後れた意識が生み出したものである。だからこれらの「犯罪的諸党派」の克服は、大衆の意識と運動に働きかけることを通じてなされる以外にないのであり、「鉄ケンによる自己批判要求」がその手段として採用されるならば、まずもってこれら諸党派の客観的基盤である後れた、プチブル意識に毒されている大衆をひとりひとりなぐりとばすのでなければ何の役にも立たない。
 そしてこの珍奇な黒寛「理論」以外には、新左翼内の「内部ゲバルト」を正当化するどんな理論もいまだ出たことはない。

 四、今日の「内部ゲバルト」

 最近ひんぱつしている「内部ゲバルト」は、諸派の「思想」の弱さが、情勢に圧倒されたことの表現である。自己の思想性に十分な自信を持つ党派は、このようなこそくな手段には頼らないものである。
 我々はすでに「こうして“指導”の能力に欠けた諸党派が自己に有利なはずの革命的情勢のなかで、逆にその無能力をさらけ出し、そしてそれをぬいつくろおうとして極端なセクト主義におちいっていくというまことに皮肉な事態が出現する」(「世界革命」復刊第三号七ページ)とのべた。
 中核派は「激動の七ヵ月」間にわたりカンパニア主義の極左派として長期高原闘争を突っ走ってきた。その過程で彼らは自己の綱領的確信、戦略的展望を六〇年安保のブンド的水準に切り下げてしまった。彼らの戦闘的カンパニア主義は、情勢の全体を展望を持って理解し、新しい質の運動を作り出すことには決して成功していない。彼らの綱領的立場「反帝反スタ」と、現実の運動「カンパニア主義の極左派」とは今やまったく内的結合を欠いている。こうして「思想の破産」を予感する彼らは、内部から「市民主義」に反発する部分がうまれる危機と、思想的水準を高めつつある学生運動のなかで大衆的支持を失っていくすう勢との、二つの危機に直面している。そして彼らは、この危機ののり切りのために、組織の官僚的統制力を強め、他党派に対するセクト的対応を強めている。
 解放派は、安保後の改良主義の時代に、大衆のトロツキズム、新左翼への失望と改良主義党への傾斜のなかで、社民の“良心”として登場した。今日、彼らの存在は最も根底から動揺をはじめている。情勢にむけての意欲的な介入をなにひとつ組織できず、その党派性は、ただ他党派への反感を人為的にあおり立て、それへの反発としてしか維持できなくなっている。
 ブント=社学同は、ブント化した中核派に先を超されたため、ジリ賃傾向をたどって来たが、それを一挙的に克服せんとするあせりから、七回大会分裂をつくり出した。統一ブント系の「世界同時革命論、世界赤軍、世界党」の路線は、十分に討論されて熟した体系性を少しも持っていず、非常に粗雑な、間に合せ的なものである。それは六〇年ブントの自立帝国主義論と、第四インターの諸テーゼとの乱暴なつきまぜである。彼らにあっては、中核派に先をこされた危機感と、「追いつき追い込せ」というあせりとが、長期的展望の確立や革命党とその運動を創造していく着実で不断の前進の芽をつみとってしまっているように思われるのである。
 ML派は、旧ブントから毛沢東主義への無節操なのりうつりをやってのけた。かかる無節操は、運動のあらゆる段階でその理論的破産として暴露されざるを得ないし、それゆえ問題意識がますます高度化しつつある学生、労働者大衆からまじめに相手にされなくなってしまう。それをぬいつくろおうとすれば、結局運動と理論の質の高さではなしに、単に外見的に派手で強固にみえる戦術手段に頼らざるを得ないし、それは時には自暴自棄の水凖にまで転落するのである。中大学館で彼らが金品をリャク奪した事件は、新左翼の「内部ゲバルト」の新しい、いっそうフハイした質へのエスカレートである。かかる行為によって彼らは、自己の信奉すると称する「毛沢東の教え」=三大規律・八項注意にそむき、最も道徳的な教義から肝心の道徳性を去勢することによって、彼らの毛沢東主義の内実が単なる権威主義にすぎないことを告白したのである。

 以上見たように、今日の新左翼諸派の「内部ゲバルト」は、新たな情勢に直面した諸党派の政治的無能性、思想的弱さをぬいつくろおうとする手段以外の何物でもない。自己の党派と運動の内部で、自己の弱さを克服する原則的な分派闘争、思想闘争の代りに、自己の外に対決を人為的に作り出して、一時的な団結の強化を追い求めているのである。
 このような「内部ゲバルト」は、七〇年代革命へむけて大胆な飛躍と緊密な統一戦線によって、既成の左翼の官僚的統制から階級を解放し、反帝実力闘争の大衆的展開をかちとろうとする全ての新左翼運動にとって、はかりしれないマイナスを現につくり出している。

 五、我々の態度

 我々は、階級闘争の実践に検証された論争をプロレタリア民主主義内部の党派闘争の基本手段として確認するものである。我々はいわゆる「内部ゲバルト」が、かかる論争を発展させ、大衆を根底的に獲得する自覚過程では全く不必要で、妨害物であると考える。我々自身、そのようなこそくな手段に頼るべき何の理由も持ち合わせてはいない。
 我々は、我々の運動が他党派のゲバルト的手段によって、大衆運動に登場することを不当に制限された場合にのみ、対抗的防衛的暴力を行使する権利を留保するであろう。
 同時に我々は、かかる「内部ゲバルト」の行使者に対しては、全面的に大衆にむかって問題を明らかにし、彼らが孤立し、心から自己批判するのでなければ一瞬も自己の党派を維持できなくなるような、大衆の活発で積極的な政治的雰囲気を形成するために、闘うであろう。
          (一九六八・八・一〇)


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