声 明
早大生・川口大三郎君虐殺に抗議し、戦闘的・民主的学生運動の再建を訴える
日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)中央政治局
革マル派のテロ団によってなされた川□大三郎君の虐殺に直面して、早稲田大学の学友達は、いまはげしい糾弾の叫びをあげ、革マル派官僚によって簒奪されて久しい学生自治会を、たたかう全学友の手にとりもどす闘争に決起している。
全国の先進的学友諸君! 青年労働者諸君!
川口大三郎君が、わずか二十年の夢多き青春を“革命家”を自称する腐敗し切った職業的暗殺者集団の手で奪い去られるというあまりにも高価な犠牲と引きかえにではあるが、早稲田のキャンバスにいま復活しつつあるたたかう学友達の真に自主的で戦闘的な息吹きに、諸君達の熱い注視と固い連帯を送ることは、緊要な任務なのである!
川口大三郎君は何故殺されなければならなかったのか。年老いた母親を愛し、数多くの仲間達の友情に包まれながら、自らの生きた青春を、生きるに値いする青春を日本学生運動の戦闘的伝統の最先端に位置して来た早稲田大学にきずきあげようとした川口君の無限の可能性に満ちた生命が、まるで虫ケラのように踏みつぶされなければならなかったのは何故か?
聞こう、彼はいかなる「罪」を犯したというのか?
だが、川口大三郎君は、断じていかなる「罪」をも犯しはしなかった。彼は、三百万部落大衆の解放のためにたたかおうと決意していた。彼は狭山差別裁判糾弾のたたかいに参加して来た。彼は自らの信ずる正義を人々の前で公然と主張する勇気をもっていた。自分と異った音調で歌う者をすべて処刑する権利を有すると狂信している革マル派の魔女狩り審問の席上においても、川口君は主張を撤回する卑屈に甘んじようとはしなかった。
まさにこの勇気のために、彼の生命は絶たれた。それゆえ彼の遺骸は、プロレタリア世界革命の壮途に殉じた無数の墓標の群に加えられなければならない。生き残りまた新しく生れ出るすべての解放戦士達が、戦闘の半ばに口ずさむ葬送の歌によって、葬られなければならない。彼の老母と友人達の悲しみを、彼の果せなかったたたかいを引き継ぐことを決意するわれわれすべての進撃のなかでなぐさめ、彼を虐殺したテロリスト集団革マル派とその真実の雇用者たる大学当局=国家権力の打倒によって償なわなければならない。
然り、川□君虐殺の真の元凶は国家権力=大学当局である。六八年以降の全国大学闘争の波のなかで、ほとんどすべての公私立大学が、全共闘運動によって包囲され一時的にではあっても解体され、機動隊常駐体制と数千の先進的学友を投獄することによってかろうじて切り抜け、大学の「権威」の全てを犠牲にしてただ骨だけになってしまった「機構」をようやく救い出すという始末であった時期に、早大当局は、この大学のレッド・パージ反対闘争、六〇年安保闘争、そして六六年早大闘争の戦闘的伝統と比較して信じられないほどの軽微な「損害」で支配の安泰を誇ることができた。そしてこの功績の第一は、合法的自治会運動の枠を一歩でも踏み出そうとする学友達を、たちまちキャンパスの外に、しかも肉体と精神の双方に深い傷を負わせて追放して、大学当局の恐怖をとりのぞいて来た革マル「自治会」に帰さなければならない。戦闘的学友を例外なく排除して来た革マル派の暴力は、大学当局の暗黙の了解に支えられた公認の暴力だったのである。
このようにして日本急進主義学生運動の荒々しい昂揚を、早大キャンパスにおいて未然に防ぎとめた革マル派は、申し分のない民同の役割を果していた。だがこの「民同」は、ほんのちょっとの叛乱に出会っただけでガタガタになつてしまうようなかよわい「民同」ではなかった。訓練ズミのゲー・ペー・ウー(スターリンの秘密警察)を常時配置して、教室のスミズミに眼を光らせ、すこしでも不穏な言動がおこなわれてはいないか、背教の火種がくすぶりはじめてはいないかと、さがしまわり消しまわる立派な「民同」であった。さらにはこうした「消火作業」だけではおさまりがつかない程に学生大衆のエネルギーが蓄積しはじめたと見るや、代行的に、因果を含められた「行動隊」を登場させ大衆に変わって急進的闘争をやってのけ、たまったエネルギーを定期的に発散させてキャンパスの「平和」をとりもどすというはなれわざをも演じ切っていた点でも、実に見事な民同であったのだ。早大当局が、このように役に立つ民同革マル派に多大な援助を惜しまなかったというのもまことに根拠のある話しである。
だが諸君、とりわけ早稲田大学の全学友諸君!
かかる革マル派と大学当局の、資本と武装した民同の関係は、いま劇的にバクロされてはいないだろうか。総長は大学当局を代表して、革マル派の川口君虐殺を、「これは派閥抗争であって、勇気のある人が自分の思想を表明したために殺された事件ではない」とか、虐殺に抗議して立ち上がった早大四千の学友を「これはセクトの動きであって一般学生の要求とは見ない」とか主張し(十五日付毎日新聞朝刊)、さらには、川口君虐殺を徹底的に糾弾しようとした早大学友の包囲のなかから、革マル派を救出するために、機動隊の出動を要請することまでやっている。そしてこの大学当局は、一文、二文自治会を「解散」させ、学友達自身が革マル派執行部をリコールして自らの手で再建をかちとろうとしている矢先きに、当局の思惑をこえて決起する戦闘的自治会が生れ出る危険を、あらかじめとりのぞこうとしているのだ。当局は民同革マル派との癒着が明るみに出ることを恐れて学友達の追求から身をかくそうとしているが、しかも同時に、この革マル派の「失敗」をも利用して、大学の反動的秩序との根底的な対決をやりぬく能力をもった新しい学生自治会を絶対につくらせまいと決意してもいるのだ。
諸君、とりわけ全早大の学友諸君!
腐敗した民同に糾弾を向けるだけであってはならない。革マル派の暴力支配を解体するだけでとどまってはならない。
大学当局に怒りをぶつけよ!
彼らこそ元凶である。彼らこそ革マル派を飼育して、学友達の決起を予防しようとして来た背後の真実の敵である。そして今大学当局は、民同支配の破産のあとに機動隊支配を導入しようとしているのだ。
彼らを退陣させよ!
彼らに償いをさせよ!
彼らの間接支配方式を白日の下にあばけ! 彼らの腐敗をさらけ出せ!
ロックアウト粉砕! 機動隊管理粉砕!
大学当局の自治会処分を粉砕せよ! 全学友の手によって、戦闘的で民主的な自治会を再建せよ! まさにこの自治会再建は、国家と資本に忠実な下僕のマスプロ、ベルトコンベアーたる早大秩序の根底的解体・解放をめざし、新しい全国大学闘争の不死鳥のごとき再生を切り拓く、第一歩でなければならない。
全早大の学友諸君!
「先陣」の名誉は諸君が担うべきである!
だがここでわれわれは、語気強く言わなければならない。
革マル派の果した役割りが、結局大学当局に奉仕する「民同」の役割りにすぎなかったという事実は、なんら革マル派を免罪するものではない、ということを。
革マル派の自治会権力掌握以降いったいどれ程の先進的学友諸君が、彼らのためにその肉体と戦闘力を台無しにされて来たことだろうか。この人々は、ただ革マルの勅許するのとはちがった思想のもち主であったというだけで、そして革マルのどうかつに屈しない勇気をあわせもっていたためになぐられ、蹴られ、手足を折られ、半身不随にされていった。この人々は登校の権利を奪われ、発言の機会を封じられた。革マル派の犯罪の最大のものがここにある。革マル派があらゆる学友達から憎まれさげすまれてきた根拠がここにある。革命を語る者において絶対にあってはならない最低の逸脱を、彼ら革マル派は日常の支配手段として組織していたのである。革マル派を生涯許さない決意を固めている人々の数とうらみの深さを、とうていはかり知ることはできない。
革マル派が早大キャンパスを支配した論理は、だが、教会秩序の崩壊を恐怖する中世カソリックの宗教裁判の論理であり、人民と活動家の全てがトロツキズムの潜在的シンパに見えて大粛清に駆り立てられていったスターリンのモスクワ裁判の論理であった。
もし自らの思想に不動の確信を持っているならば、誰が反対派の登場におびえようか? もし反対派の登場におびえるのでなかったならば、誰が反対派の肉体的抹殺を試みるであろうか?
訓練されたゲー・ペー・ウーをもって、自らの単独政権を固守しようとした革マル派は、実は自らの支配の階級的道義性と強い大衆的支持基盤の存在を、一日といえども確信できなかったのである。彼らが、支配の手段としての「内ゲバ」に頼れば頼るほど、彼らの腐敗と孤立はそれだけ深まり、彼らの「支配」の本当の危機がそれだけ進行していたのである。
川口大三郎君の死は、早大全学友の劇的な決起による糾弾の嵐となって彼らにはね返り、革マル専制十年の歴史の結着を迫っている。
彼ら革マル派は、「やりすぎた」と後悔しているかもしれない。この後悔を、とりあえず心にもない「自己批判」として発表したかもしれない。だが彼らは、この「自己批判」のなかで「死」にさえしなければ良かったということ、「廃人」にする時点でとめておけばよかったということだけを、ほんとうは言っているにすぎない。その「自己批判」とは、廃人が「死」にかわる限界を、このほんのすこしの区別をつけかねた政治的暗殺技術の未熟さについての自己批判にすぎない。そして、事実、「廃人」にさせて殺さないですんだ数多くの「成功例」を、彼らはひそかに思い起していることであろう。そうした事例を、われわれも知っているし早大の学友諸君も知っている。そして同時に彼らが「やりすぎた」のは、けっして川口君が最初でもなければ、それほど少ない数ではないこともまた周知の事実であるのだ。
このキャンバスで起った「やりすぎ」が、彼らにもたらす政治的マイナスをできるかぎり割引くために彼らは「死人に口なし」とばかりに川口君を「スパイ」に仕立て上げようとしており、中核派との「特殊な緊張関係」を強調しようとしてみたりする。早大総長もまた革マル派のこの努力を助けようとして、問題を「派閥抗争」へすりかえようとする。
だが、すべてこのような姑息な手段は無駄である。川口大三郎君虐殺は、ついに全早大学友の怒りの決起をひき出した。革マル専制の崩壊が、はっきりとはじまった。この潮流の変化は逆転しない。「内ゲバ主義者」が「内ゲバ」で自分自身を崩壊させるであろうことを、われわれは幾度となく警告して来た。事実はこの警告の正しさを証明した。
革マル派の諸君の前には、鮮明な二者択一がつきつけちれている。
ただちに、無条件に、川口君虐殺を自己批判し、未来永劫にわたって、階級闘争の内部における暴力行使を放棄すること、彼らのいう「特殊な手段」は、ただ厳密に国家権力に向けてのみ行使すること、このことを公然と誓い誠実に実行する道をとるか、それとも言いのがれと居直りをつづけて、スターリンの歩んだ道の後を追おうとするのか。選ぶのは彼らである。だが決定するのは大衆である。
全学友の手で学生大会をかちとり、戦闘的民主的自治会を再建せよ!
全自治会、文連、早稲田祭実行委員会等からすべての革マル指導部を引きずりおろせ!
十一・一三〜一四糾弾集会九項目決議を貫徹せよ!
さらにわれわれは次の事実に全国の学友諸君の注視を呼びかけたい。いま早大において白日の下にさらけ出されたこの革マル派の支配のカラクリが、およそすべての革マル派の「拠点」校において全く同一の論理で展開されているのだという事実がある。北大において然り、千葉大において然り、その他全ての革マル派の暴力支配が、早大革マルのやり方を「学び」、模倣して、すでに長い間採用されている。
それだけではない。この革マルと対立する他の左翼諸セクトもまた、革マルとの抗争のなかでこの面で「革マル化」し、たがいに「内ゲバ」を交換し合ってきているというもう一つの事実がある。民青然り、中核派然り、社青同解放派然り、ブント各派もまた同じである。このようにして全国の大学のキャンパスを、革マル派のいる所でもいない所でも、「内ゲバ」=暴力によるキャンパス支配の論理と風習がまかり通っている結果として、学生大衆の学生運動にたいする絶望と不信が普遍化し、本来的に統一戦線運動としてあるべき全学連運動は完全に解体してしまっている。
それゆえ、いま早大において問われている問題は、一早大学生運動の再建のみならず、全国学生運動の再建の突破口をひらくものである。全早大学友だけでなく、全国の先進的学友と青年労働者の諸君が、早大における大学当局と革マル暴力支配を弾劾するたたかいに熱い注視を送るべきなのはこのゆえであり、固い連帯を形成することは同時に、自らの学園においてもかならず見出される学生官僚や諸セクトの大衆運動に敵対する暴力支配の構造、「内ゲバ」主義の悪習に決然とたたかいを挑むことを意味するのである。それを通じて、六〇年安保闘争以後、真の意味では一日たりとも存在したことのなかった日本全学連をつくりあげる巨歩を踏み出すことなのである。すべてのセクトは、革マル派の川口君虐殺を弾劾する権利をもってはいない。彼らもまた、革マル派と同様の暴力支配、「内ゲバ」と魔女狩りの論理と無縁ではなかった。彼らが革マル派と区別されるのは、革マル派ほど執拗に、系統的に暴力行使を組織できなかったというだけのことである。
ただわれわれ、第四インターナショナル派だけが唯一の革命的例外である。われわれだけが公然と「内ゲバ」主義の本質を明らかにして、これとのたたかいを継続して来た。われわれだけが大衆運動のプロレタリア民主主義を擁護し発展させようとして来た。だから早大学友達のいまのたたかいに馳せ参じ、それを全国学生運動再建のたたかいへと引き継ぐべき責務をにないうる党派は、唯一わが第四インターナショナルの旗のもとに結集する部分のみであるという現実を、われわれはしっかりと受けとめ、臆することなくこの責務をひきうけるであろう。
われわれは断固として、プロレタリア民主主義につらぬかれた全国学生運動の再建、全学連再建の課題に挑戦するであろう。われわれは断固として、真実に革命的な学生大衆運動をつくりあげるであろう。
大衆運動は、無数の「行きすぎ」や「試行錯誤」をともなうものである。大衆運動は、全能の指導者に統制されて、教え導びかれ、「誤ち」をおかさず、「逸脱」を経験せず、鞭と番犬の群に追われてしずしずと歩む羊の行進のようにして発展することは決してできない。大衆運動は時にはいくつもの敗北からも学びながら、荒々しく曲りくねった道筋を走破するであろう。この道程を自らも試行錯誤をともにしつつ成長していこうとする党派のみが、大衆を主体とする革命的大衆運動を領導するのであって、大衆運動が無数に、豊かに登場させるであろう「行きすぎ」や「誤ち」からあらかじめ身を遠ざけていると過信する「党派」どものために教壇を提供する場所はないのだ。
革マル派は、このような大衆運動を恐れたがゆえに、彼ら固有の暴力支配の体系をつくりあげた。彼らは大衆を従順な羊の群に見たて、自分自身を、ひとり目的地とそこへの道順を知っている羊飼いに見たてた。だから彼らは、群をはなれる羊を煮て食おうと焼いて食おうと、彼らの勝手であると思い込んでいたのだ。
だが、彼らの専横は、これ以後早大において復活しないであろう。そしてやがては全国のすべての大学において、早大と同じ革命的大衆運動の復活がみられ、彼らの宗教的大衆操作を駆逐するであろう。革マル派よ恐れるがよい。だが君らの蒔いた種は君らが刈らねばならないことを忘れるな!
全国の先進的学友諸君、青年労働者諸君!
とりわけ全早大の学友諸君!
たたかいははじまった。
あらゆる妥協を排して、革命的学生運動の大衆的再建にたどりつくまで、はじまったたたかいの手綱をにぎりしめ、行きつくところまで行こうではないか。
全国の学生自治会を戦闘的学生大衆の手にとりもどすこと、これはたたかいの武器をきたえることである。だが、たたかいの武器をきたえることなしには、たたかいに勝利することができない。自主的で創意に満ちた学生大衆運動の創造をなしとげることなしには、国家権力と大学当局の最終的な解体・解放へ突き進むことができない。
一切の妥協と中間主義をのりこえて、いまはじまった早大「文化大革命」をなしとげ、全国化すること、ただこれだけが川口大三郎君の遺志を継ぐことである。
もし、われわれの決起が、あと一日、あるいは二日早かったならば、彼の死は避け得たのだ。川口君の「死」にわれわれすべてが責任を分ちもっている。
だから、われわれはひとしく、川口君の墓前に決意をこめて起たねばならない。
隊列をかため、不退転の進撃を開始せねばならない。
学生諸君!
弔旗をかかげよ!
前進せよ!
第四インターナショナルは、諸君とともに進む。
一九七二年一一月一五日
「世界革命」紙一九七二年一一月二一日第二九〇号所収
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