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第六章 1948年から1968年

  T 第二回世界大会から国際トロツキスト運動の分裂まで

 一九四八年四―五月に第二回世界大会が持たれたとき、いくつかの支部、とりわけヨーロッパの諸支部は一新され強化されて戦争からぬけだしたばかりであった。いくつかの場合、これらの支部はそれぞれの国の政治的舞台で重要な役割を演じはじめていた。また、古い諸政党、とくに共産党が当時しめしていた拡大にもかかわらず、大会は第四インターナショナル諸支部のよりいっそうの発展という展望を採択し、「大衆的トロツキスト党建設にむかって前進せよ!」というスローガンをかかげた。
 しかし情勢はまったく予想外の方向にむかって進展しつつあった。
 この事態の進展のいくつかの兆候は、それを正しく評価し、情勢がどこにむかって進んでいるのかを予感するためには、大会時点ではまだあまりにも微弱にしかあらわれていなかった。西ヨーロッパの戦後の革命的昂揚は一時的に停滞しているかにみえたが、実際には、引潮はすでにはじまっていた。「冷戦」ははじまったばかりだった。ソ連による西ベルリンの封鎖は、数週間後に開始されようとしていた。「プラハのクーデター」、すなわち、チェコスロバキア共産党による権力掌握から、数週間しかたっていなかった。いわゆる「人民民主々義」国家内部の社会変革はわずかに漠然と示されたばかりであった。それから二ヵ月後に起った、ユーゴスラビアとソ連との断交を予見させるなにものもなかった。
 第二回大会の直後およびそれにつづく数年の間にまったく意外な事件と事態の展開があった。世界は、もっとも傑出した眼力の先見の明あるマルクス主義者さえそれまでけっして考察し想像したこともなかったような形をとったがゆえに、それらの諸事件の結果は子見しえないものであった。これらの激動は極度に複雑な理論的政治的諸問題を提起した。そのうえ、われわれは、それ自身において判断できるただ一つの事件に直面していたのではなく、数年にわたって一定の間隔を置いて並びながら、かならずしも相互に結びつけられていない多くの事件に直面していたのである。これらの諸事件は結局数年のうちに、第一次大戦と十月革命以後人々が見ていたのとまったく違った世界の概観を与えることになった。マルクス主義の獲得物は、状況のある面においてはその根拠を問い直されるかに見えた。それはマルクス主義の破産を宣言する数多くの判断と理論の発生へと結果した。これらの議論に対し既成思想を純粋に直截的にくり返すことによって答えること、またマルクス主義と根本思想を時間と空間から独立したものとしてとりあつかうことは、マルクス主義者にとってふさわしい態度ではなかったであろう。
 第四インターナショナルの第一の任務は革命的マルクス主義の根本思想を新しい情勢に直面させ、情勢を再定義し、展望と任務を再評価することであった。こうした任務を放棄することは、共産党の擁護者、すなわち数限りない左と右の日和見主義者に思うがままに行動する余地を与えることであった。
 説明の明瞭を期すために、ここでは時間的順序を追うことはせずに、数年後に現出した全体的眺望の概観をえるため、発生した主要な変化を示すことにしよう。この方法で、提起された理論的諸問題、解決されなければならなかった諸困難が浮び上るだろう。こうした背景の中でのみ第四インターナショナルの行動を記すことができるし、またその行動に客観的判断を与えることが可能となるのである。

戦後の激動

 まず最初に一九四七―八年からほぼ一九六〇年までに起った主要な事件と本質的な変化を要約しよう。
 一九四七年に「冷い戦争」が開始される。一九四九年、アメリカの原子力独占状態が崩壊した直後から、アメリカとソ連による核兵器の開発と核武装競争が始まる。
 この時点から世界戦争の問題は、社会的平面においてではなく、いわゆる通常兵器とはまったく違った規模の破壊的武器の使用の可能性という新しい意味をもって提起されることになる。
 一九四七年は共産党情報局(コミンフォルム)創設の年である。同時に「冷戦」はソ連をその軍隊が戦争中に入っていた東欧の衛星国防衛のためこれらの国の軍事的官僚的手段による社会変革へ導いていく。ソ連軍はドイツに協力した一部の所有階級のメンバーにたいする若干の措置をのぞいては、これらの諸国のブルジョア的な社会構造を無傷なまま残していた。「冷戦」はクレムリンをして、これらの国の資本主義的基礎を清算し、これらの国々を労働者国家に改造する方向に押しやった。
 一九四八年にソ連とユーゴスラビアの断交という形でスターリン主義の最初の大きな危機が発生する。ユーゴ共産党はコミンフォルムから追放され、同党に投げかけられた告発「ファシスト、スパイ」などは戦争前の「モスクワ裁判」をおもいおこさせるものであった。しかし労働者国家と諸国共産党の全体にたいするクレムリンのヘゲモニーはここではじめて挑戦されたのである。それは戦争中武装闘争を指導し、スターリンの意志に反してその闘争を労働者国家創設まで続行した党によって行われた。スターリンはユーゴスラビア的分離の拡大を避けるために東ヨーロッパ労働者国家における弾圧を強化する。しかしユーゴスラビア事件は、ソ連がヒットラーの軍隊にたいする戦争中の抵抗と勝利によってえた栄光の頂点にあったとき起った最初の大きな後退であった。
 一九四九年十月中国革命が勝利する。これもまた蒋介石との協力を中国共産党指導部に要求したスターリンの意見に反して行われたものであった。崩壊した国民党体制は台湾に避難地を見出し、それ以降は唯一アメリカの軍事援助のおかげで生きのびることになる。中国革命の勝利は年月の経過とともに増大する巨大な結果をもたらした。それらはつぎのように要約することができる。
 (a) 国際的スケールにおける全体的力関係が社会主義にとっていちじるしく有利に転移したこと。
 (b) 植民地化された大陸から大陸へとその後拡大する植民地革命に巨大な推進力を与えたこと―一九五〇年の朝鮮戦争の勃発―まずフランス帝国主義、その後アメリカ帝国主義にたいするベトナム革命の続行―ラテンアメリカへの植民地革命の拡大と一九五九年のキューバ革命の勝利―一九五〇年代における植民地革命の中近東および北アフリカへの拡大――一九六〇年代のブラックアフリカへの拡大。
 (c) スターリン主義の危機の拡大。

 戦後、経済的に発展した資本主義諸国、植民地的構造の資本主義諸国、労働者諸国家にも巨大な激動がおこった。それらを検討してみよう。
 非常に多くの植民地諸国において帝国主義の側からの――主要に英帝国主義、またより劣った形ではあるが他の帝国主義からも――植民地諸国にたいする経済的支配を維持しながらもこれらの国々に形式的政治的独立を与えるという弾力ある退却が行われるのが見られた。これらの新しい―間接的な―支配形態は、新植民地主義(ネオ・コロニアリズム)と呼ばれたものを構成する。多くの場合、植民帝国主義はその経済的支配の機能においてアメリカ帝国主義に取って代られた。特殊なタイプの土着ブルジョアジーの指導部があらわれた(ペロン主義、ナセル主義、スカルノ主義等)。これらの指導部は時折大衆運動とともにすすむという危険な賭を行った。キューバの場合には革命の勝利は、労働運動からとりわけ公式共産主義運動から出たのではないにもかかわらず革命に社会主義的解決を与えた指導部のもとに遂行された。現在でも植民地運動のなかには西と東の間の揺椅子の役割を演じようと努めたり、また労働者国家へと社会的変革を行なわずに、一定期間労働者国家のまわりに引きつけられたりするいくつかの指導部が存在する。
 植民地の革命的運動は不撓不屈に発展した。しかしそれは、キューバの場合をのぞいて、本国の労働運動からの充分な連帯をも、また労働者国家の側からの正しい政治路線の援助をも受けることができず、これら諸国の経済的社会的後進性によって課せられている問題をわずかの犠牲で解決することを許す政治方針を見出すことは非常に難しかった。

 一九一七年から続いたソ連の孤立は、西でも(東ヨーロッパの人民民主主義諸国)東でも(中国とベトナム、朝鮮の民主共和国)打ち破られた。またアメリカ大陸においても社会主義キューバが生れた。ソ連に加えて、チェコスロバキアと東ドイツをのぞけば、最初の労働者国家よりも経済的に後進的な労働者国家が生れた。「一国社会主義」という自身の概念に忠実にスターリン主義が恥知らずにも隣国を略奪した戦後の苛酷な再建期の後、ソ連は自己を世界第二の経済強国とするにいたる巨大な前進を経験した。東ヨーロッパの新しい労働者諸国家においてもまた、新しい所有形態は、一般的にいって大きな経済的進歩をもたらした。しかしそれは大衆の生活水準の改善にほとんど役立てられなかった。最初の期間、これらの国家はスターリン下のソ連と同じ国内体制をもった。しかし新しい生産関係の拡張はスターリン主義の拡張をそのまま結果しなかった。前者は後者と両立しないことが暴露された。こうしてスターリン主義の危機はいくつかの要因の影響のもとに明らかに現われ始めた―すなわちソ連経済の成長にとってますますブレーキになる警察国家体制、他の労働者諸国家の要求とクレムリンの政策の間の矛盾、世界における革命の高まりなどである。名国共産党は自動的に常にモスクワに歩調を合せなくなった。中国はこのスターリン主義の危機のなかできわめて重要な役割を演じることになる。
 西ヨーロッパにおいては、戦争の終りに一般的に勢力を増大させた共産党は、フランス、イタリアなどをのぞいては、労働者階級の中に根をおろすにはいたらなかった。社会民主諸党が労働者階級の多数党としての地位を維持するかないしはその地位を再獲得した。

 すでに述べたように、スターリニズムの危機は一九四八年のユーゴスラビア事件を契機としてはじまった。この危機はそれ以後事実上とどまることなく発展し続けた(一九五三年のスターリンの死以後の「非スターリン化」、一九五三年六月の東ベルリン事件、二十回大会と一九五六年におけるポーランドおよびハンガリーの事件、中ソ対立、チェコスロバキア事件……)。

 先進的諸国における勝利的革命の不在は一定期間「非スターリン化」に影響を与えざるをえなかった。すなわち、このため「非スターリン化」の過程は長期化し、それは概して官僚の統制下に進展するという事実をもたらした。「社会主義陣営」は大部分モスクワのヘゲモニーのもとにとどまった。中国はその決裂によって共産主義世界におけるクレムリンの権威を大きくゆるがしたが、革命的マルクス主義を決定的に前進させるという点では貢献しなかった。
 先進資本主義諸国においては極度に驚くべき現象が発生していた。ブルジョア・エコノミストか労働運動活動家か、またマルクス主義者か否かを問わず、一般にエコノミストの間では、再生と再建の戦後の一時期に続いて経済は深刻な危機におびやかされるであろうという見通しで一致していた。マルクス主義は主に帝国主義にかんするレーニンの概念に依拠しながら、植民地の喪失は本国の崩壊をもたらすであろうと考えていた。しかし資本主義世界は崩壊するどころか、十五年間にわたるブームと、恐慌によってではなく、常に限定され期間と規模の「不況」によってのみ中断される史上前例のない経済的繁栄を経験した。マルクスが分析した資本主義とは表面的にはもはや一致しないような「消費社会」とか「ネオ・キャピタリズム」とか呼ばれるものが問題となってきたのである。この比類のない繁栄のなかで、もっとも古く組織され、長いマルクス的伝統をもったヨーロッパの労働運動は停滞したばかりでなく、明らかな政治的後退を経験した。すなわち社会民主主義政党は「国民党」になるために名前ばかりの社会主義さえ放棄する傾向を示し、共産党は「社会民主主義化」し、社会民主主義の左翼は解体し、革命的前衛は悲惨に収縮してしまった。ヨーロッパに生れ、百年をこえる歴史をもち、世界の他の部分の経済政治社会的発展に先がけてヨーロッパで社会主義革命を達成する展望のもとに建設された社会主義運動は、昔日の面影をもうもっていなかった。
 第一次世界戦争中とロシア革命の最初の数年間、レーニンとトロツキーはヨーロッパの勝利と並行した植民地諸国における社会主義革命の勝利の可能性を予見していた。しかし一九四八年以来、資本主義の周辺では革命が高揚しているのに対し、帝国主義本国において労働運動はその歴史上かってないほど低い水凖にあったか、もしくはそうであるように見えた。そして最後に資本主義がすでに打倒された国々においては、官僚はその支配を強め労働者階級は受動的にその支配を受け入れているかに見えた。
 資本主義は植民地を失ったがかってなく繁栄をつづけている。労働者階級は政治的闘志を失いもっぱら生活水準にのみ心を奪われている。労働者国家では労働者の活性化はなく、官僚的支配がつづくなかで新しい生産関係の拡大がみられる。植民地諸国では主に農民に依拠した革命的高揚がある――これらすべては、マルクスが示したプロレタリアートの歴史的任務―古典的資本主義国においても植民地諸国においても労働者国家においても―を様々な形で否定する理論の花ざかりをよく説明する(労働者国家の階級的性格についてもまた多数の理論が生み出された)。この過程の総体をただちに把握することは不可能であった。世界全体およびまた不可避にトロツキスト運動の上に加えられた巨大な圧力のなかで、その遅延は避けがたかった。

トロツキスト運動の危機

 これらの矛盾する事実を否定し、プロレタリアートの革命的任務などにかんする革命的マルクス主義の古典の引用に頼って説明を行なうことは不可能であった。諸理論のゆがみに答え行動するためには、革命的マルクス主義を援用して情勢を検討し、この新しい情勢を説明する鍵を探し、また革命的マルクス主義の調整、訂正、豊富化を行なうことが必要であった。それは同時に闘争に参加し、諸判断を闘争の火のもとで新しい情勢に対決させることによってのみ可能であった。それこそ第四インターナショナルが、今までいかなる革命的潮流も経験したことがない政治的諸条件に働きかけねばならないという極度に困難な状況のなかで、なしとげようと努めたことである。ここに素描した極めて複雑な世界の眺望のほかに、インターナショナルは革命的潮流と戦うためにしか生気を取りもどさない古い組織された二つの労働運動という障害と出会わなければならなかった。一九一七年以来労働運動に新しい次元を導入し、また長い年月スターリン主義という形で労働運動を動かしてきた、「労働者国家」というファクターは、世界の後進地帯に生れた数ヵ国の労働者国家の存在とともにさらにより複雑な影響をおよぼすことになった。第四インターナショナルが直面した問題と任務を理解し、変化の起った年月の間に第四インターナショナルがとった態度を評価し、その活動を可能なかぎり客観的に判断するためには、第二次大戦後の世界に発生した変化の幅と規模を充分に把握する必要がある。第四インターナショナルの経験した諸困難、とりわけその危機と分裂にマルクス主義的説明を与えるためには、物事の置かれていた状況をはっきり把握しておく必要がある。
 第四インターナショナルの詳細な歴史はかならず個々の危機と分裂を分析し、いろいろな段階、様々な人々にとって主要とされ、あるときには複次的とされた、さまざまな立場、各人の役割などの研究をおろそかにしないだろう。しかしこうした歴史的研究はマルクス主義的な全体的視野のなかで、危機や分裂の一般的原因、個々にとられた立場は別にしてお互に対立した主要な諸方針の正確な評価にもとづいて行われてのみ価値をもつことができる。それこそわれわれが不可欠の予備的な仕事としてここで検討しようとする、危機の哲学とでも呼んでもよい、作業である。我々の敵の多くは、それができないがゆえに、この危機と分裂の時期を記述するさい、うつろなゴシップで自己をかぎったばかげた虚像として自己を描き出している。
 ある意味で重要な一つの問題点から始めよう。トロツキスト運動が経験した危機について、今までひとつのばかさわぎがなされてきたし、いまもなされている。“なに!また危機だと!また分裂だと!”という調子で、その意味を検討するよりもこうした言葉で第四インターナショナルと戦うことにより満足を見出している人々が存在する。われわれは、われわれの運動の危機がしばしば苦痛の多い性格をもったことを否定する必要はまったくない。しかしながら、長い間トロツキスト運動だけに特有のものであるかにみえ、また大きな組織の高みから嘲笑的に眺めて乗られたこの特徴は、今日では大小のすべての種類の組織に共通するものとなっている。事実、労働運動のなかで真に異常であったのは一枚岩主義であり、世界でもっとも批判的な思想であるはずのマルクス主義を標榜する組織内での、いっさいの独立的政治思想の窒息によって達成されたこの「団結」であった。労働運動の歴史はしばしば政治的理論的に背反する潮流や傾向の戦いで充満しているのである。理論と立場と方針のたえまなき現実との対比による検証なしには革命的思想と行動の進歩などありえないとすれば、それは当然のことであった。もっとも大きな理由は、「新しい事態」が日に日に登場する果しない激動の世界に運動が直面していることにある。とはいえ意見の相違が発生することは正常であるが、しかし相違にかんする議論が必然的にまたたびたび分裂に終らなければならないということを意味しない。したがって事態をこうした状況にいたらしめた客観的主体的理由を探究しなければならない。トロツキスト運動の歴史においては、それを説明する客観的主体的理由が存在した。

 客観的には、多くの分裂は、革命党建設のための分析と方針にかんする意見の相違が、組織が数的に弱く大衆のなかにすこししか根をはっていなかったという事実によって、きわめて鋭い形をとったということを原因としていた。しばしば、まさにこうした状況をどう突破するかという戦術をめぐって意見の対立が煮つまった。世界全体はかつてないほど、ただ単に小さな前衛だけではなくブルジョア勢力、プチブルジョア・グループ、また労働者大衆組織まで引き裂く巨大な力の意のままになっている(人は容易にその印象的な光景を描写することができるだろう)。国際的トロツキスト運動の基礎理論は対立する諸力が生み出す四分五裂傾向に抵抗するための非常に重要な武器である。しかし一つの理論的基礎はそれがどれほど強力なものであっても、限界をもたざるをえない。とりわけ、ある時期に、いくつかの国ないしは諸国家のグループにおいて、いちじるしいスケールをもちうる物質的な力を前にしている時はなおさらである。これから見るように、個々の危機と分裂のなかでいかなるファクターが、与えられた状況においてある闘士の集団に、インターナショナルから出ることをきめさせるほどの価値をもったかを発見するのはかなり容易である。
 主体的には、多くの場合、状況は組織が非常に小さいという事実によって加重された。あるものにとってこの事実は二義的な要素でありあまり重要視すべきでないとみなされた。

 とりわけ、急速な発展を可能にする革命的方針を見出したと考えた者にとっては、組織を二つに割るという数的な問題はたいしたことでないと考えられた。こうした感情は、情勢の客観的に革命的な性格、それが提起する広範な任務と、一方、われわれが所有する明らかに不十分な力と手段との間の不均衡がわれわれの運動の上に重くのしかかっていると意識するときますます強いものになった。こうした感情は、広範な大衆に責任をもち、組織自身が保持している任務を自覚している闘士が、組織内部に重大な意見の相違が発生した場合でさえ、分裂をおこすことを躊躇(ちゅうちょ)するところの大衆組織に存在する感情とはまるで正反・対のものである。

 われわれは分裂と危機が上記した諸契機からのみ説明されるとは言わない。例えば個人的性格というファクターなども役割を演じた。しかし、その歴史の明晰な理解のためには、それなしには他のファクターがそれほど重要さをもちえなかったはずのもっと一般的なファクターを前面に押し出す必要がある。約十五年間に歴史上重要な変化が起った。主要な革命勢力がいぜん改良主義者かスターリニストの支配下にあるにもかかわらず、資本主義から社会主義の過渡を構成する諸変化が起った。そしてこれらの諸変化は世界の経済的先進国ではなく主にもっとも後進的な国に作用した。こうした状況はマルクス主義の有効性を否定する多くの理論の誕生をうながした。またそれはトロツキスト運動内に、ある程度歪んだ情勢認識をもち、情勢のあれこれの見方に頼ることができると信じ、第四インターナショナルの組織それ自体でき上った政治勢力としての価値を与える必要があると信じない傾向や潮流を誕生させた。おきまりのように、分裂していったものは彼ら自身がのめりこんだ過程についても、それが彼らをどこに導いているのかもまったく気づいていなかった。

 かなりまれな例外をのぞいて、第四インターナショナルから分裂していき、一九六三年の統一に参加しなかった者は、その自惚にもかかわらず、また彼らが出発点の時もっていた勢力にもかかわらず、政治的に消滅しないまでも急速に勢力を減退させてしまったことを指摘するのは意味のないことではない。われわれはそれを偶然の産物とみなしてはならない。この現象の原因を追求しなければならない――なぜならそれは個人の資質の問題ではなかった。関係した人の間での個人的な意志や能力が欠けていたわけではなかった。こうした状況の理由はつぎの点に帰せられるべきである。彼らが、政治的に誤った道に、ふみこんでしまったこと。まさにその国際的性格自体によって、世界にくわえられる巨大な力に抵抗し、自分たちに誤りが生じた時はそれを是正する能力をもっている国際運動から彼らが離れてしまったこと。
 インターナショナルは聖なる偶像ではない、それは奇跡を生み出さない。しかし数的な弱少さにかかわらず、中央集権化され、同時に民主的なその組織性格は、民族的歪曲をもっともよく避けさせ、あらゆる種類の勢力(国家権力、あらゆる性格の指導部の大衆運動など)が世界全体におよぼす圧力にもっともよく抵抗する力となるのである。

第三回世界大会(1951年)

 前記したように、第二回世回大会の直後、クレムリンとユーゴスラビア指導部との間の断交が発生した。この指導部を解体し、ユーゴスラビアにチトーに対抗できる反対者を見出し、この指導部にたいしてクーデターさえ試みようとした、クレムリンのすべての努力は無駄であった。一九五六年のソ連共産党第二十回大会にたいする有名な報告のなかで、フルシチョフは、チトーの追放を公然と宣言することを決意したときのスターリンの精神状態をつぎのように述べている。
 「私はソ連とユーゴスラビアの間の衝突が人為的に拡大されはじめた頃の最初の日々を憶いだす。ある日私はキエフからモスクワへ行きスターリンに会った。スターリンはチトーに最近送った手紙のコピーを私に見せ、『君はもう読んだかい』とたずねた。私の答えを待つことなく、彼は付言した。『私が小指を動かすだけでチトーのようなものはいなくなるだろう。彼は失墜するだろう。』」
 諸共産党のすべての政治的潮流を取り除いて以後、その権威の絶頂にあったスターリンはここではじめて失敗し、一つの共産党と一つの労働者国家が自分に反抗して立ちあがるのを見たのである。
 この断交が公表されるとすぐ、第四インターナショナルの指導部は、これ以後スターリン主義の国際的危機はあからさまになり、クレムリンと生きた一つの革命との間の非和解性が明らかになった、スターリン主義の攻撃に抵抗するユーゴスラビアを援助する必要があり、ユーゴスラビア事件は遅かれ早かれ各国共産党と労働者国家に大きな反響をもたらし、それは新しい革命的指導部の建設のために利用されなければならないことを理解した。
 きわめてすみやかにトロツキスト諸組織はモスクワと各国共産党の中傷の雨に答え、ユーゴスラビア革命を支援するために動員を開始した。多くの国でキャンペーンが展開された。ビラ、パンフレット、集会などがスターリン主義との戦いに役立った。いくつかの国において、第四インターナショナルの諸組織は、ユーゴスラビアに行くための青年旅行団、ユーゴ革命のための調査、支援、労働を行う旅行団結成の起点となった。これらの旅行団は比較的に成功し、数千人の青年が応募した。ユーゴスラビア事件はスターリン主義にとって決していやされることのない傷痕となった。

 短期間、第四インターナショナルの諸支部は、ユーゴスラビア危機を利用し強化された。しかしこの過程は朝鮮戦争が勃発した一九五〇年に中断された。それまで内政面(自主管理など)とスターリン主義的過去の一部の批判においていくつかの進歩をなしとげたユーゴスラビア指導部は、国際舞台で破廉恥な態度をとった。すなわち国連総会で北朝鮮にたいする国連の軍事干渉に賛成投票したのである。この態度は、多くのユーゴスラビア支持者の間に失望感をもたらした。こうしてソ連―ユーゴ紛争においてより広汎な革命的前衛を糾合する希望は破壊されてしまい、スターリン主義の危機が他の場所で爆発するのを待たねばならなくなった。
 ユーゴスラビアとクレムリンの危機がこうした形をとっている間、中国革命の勝利は状況の再検討を行うことを義務づける国際的な契機になりつつあった。この勝利がユーゴスラビア事件よりもずっと大きなスターリン主義の危機をほぼ同じ理由で不可避的にもたらすであろうと言明することはできたが、この危機の勃発がただちに起こると予想できる理由はなかった。
 中国は大陸における蒋介石体制から自らを解放したばかりであった。しかしアメリカ帝国主義が台湾を新共和国に対する要塞と化しつつ、朝鮮国境を威嚇していた。新中国は一定期間ソ連の援助なしにやっていくことができなかった。「冷戦」、朝鮮戦争、ユーゴスラビアの国際政策、中ソ協調、これらすべての出来事は第二回世界大会の展望が不十分なものであることを証言していた。情勢の再評価が必要であった。その上、各国支部は戦後強化されず、困難は累積されていた。これもまたわれわれの活動方針の再検討を要求していた。

 一九五〇年十一月にもたれた国際執行委員会は第三回世界大会の召集を決定し、結局それは一九五一年八月に行われた。執行委員会はこの大会にむけての討議のために第四インターナショナルの国際的展望にかんするテーゼを採択した。このテーゼはフランス支部の多数派の反対以外には、大きな異議なく採択された。
 第三回世界大会には二十五ヵ国から七十四名が出席した。
 大会で賛成三十九票、反対三票、棄権一票で採択された主要な文書は「第四インターナショナルの国際的展望と方針に関するテーゼ」であった。
 これらのテーゼは中国革命の勝利によって全体的力関係が世界資本主義に不利へ、社会主義に有利へと進展した国際情勢の検討を行っている。テーゼは当時、多くの形態をとって(軍事同盟の創出とその拡大、「冷戦」、軍事競争など)遂行されていた新しい世界大戦の準備について強調することからはじまっている。
 テーゼはとくにクレムリンの保守的政策が原因となって合衆国とソ連との一時的妥協が行なわれる可能性を否定はしなかったが、かなり近い時期における世界戦争を展望として打ち出していた。またテーゼはこの戦争はその性格からいって帝国主義の勝利が疑問視される「革命か戦争か」となるであろうと付言している。戦争にかんするこの展望は、軍備経済が経済情勢にとって破局的な結果(インフレ、労働者の生活水準の低下など)をもたらすだろうとする見解と結びついていた。

 一方、これらのテーゼは戦後の再建期を完了した後、ソ連といわゆる「人民民主主義」諸国家にあらわれはじめていた経済的発展を強調した。またテーゼは、経済的発展にもかかわらずいかなるスターリン主義の伸長をも予見せず、スターリン主義すなわちソヴィエト官僚のいっさいの歴史的未来をも否定した。ユーゴスラビアと中国に発生した事実から、テーゼは、共産党はたとえそれが改良主義的政策をもっていたとしても、古典的な改良主義政党とは完全に同一ではなく、いかなる状況においてもクレムリンの単なる道具であるわけではなく、例外的な大衆運動の条件においてはクレムリンの政策に応えた方針をこえて自らの厳密に改良主義的目標を乗りこえる場合を示すことがあるという結論を引き出した。これらのテーゼは大衆、共産党、ソヴィエト官僚の間に存在する具体的矛盾的関係を非常に強調し、トロツキストはこれらの矛盾を利用しなければならないとし、そのためには特に共産党が大衆組織であるようなところで大衆の現実的運動に合流する必要があると宣言した。
 これらのテーゼとそれを直接的情況へ適用した政治決議のほかに、第三回大会は非常に重要な他の三つの決議を採択した。その一つは「人民民主主義」についてであった。一九四九年にもたれた国際執行委員会の一会議で採択されたテキストにもとづき、それは東ヨーロッパの諸国家を「官僚的に変形された労働者国家」と規定した。プロレタリア革命から創出されながら官僚的に堕落した、労働者国家・ソ連と違って、これらの国家は、官僚的な限定された大衆動員に支援されたとはいえ、本質的にはクレムリンの軍事的官僚的介入の産物であった。それらの国家は決して真の革命を経験しなかったし、生れながらにして官僚的に変形されていた。

 真の革命を通過した特殊ケースたるユーゴスラビアについては、ゲリラ戦以来の革命の様々な段階を跡づけた特別の決議が採択された。この決議は、この国の多くの点における進歩的発展と右翼的国際政策との間の矛盾を指摘した。―それはこうした政策が資本主義復興勢力を利するということをふくめ、内政面に起りうる危険を告発した。しかし同時にこうした資本主義の再帰は決して激動なしに“静かに”行われることはないであろうことを指摘した。
 一九五一年のこの決議はユーゴスラビア、チェコスロバキアなどにおける「資本主義の復興」についての中国とキューバの告発にたいして第四インターナショナルが最近与えてきた返答がその場だけのものではないことを示している。
 最後にラテン・アメリカにかんする決議は、ペロン型政府の性格に関するマルキストが与えた最初の説明だった。第二次世界大戦のおかげで、これら”民族ブルジョア”政府は―外国の帝国主義の特殊な譲歩と寡頭制(地主、買弁ブルジョアジー)に犠牲を強いて―労働者階級の大部分を(国によってこの最小限の譲歩によって労働者の引きつけられる度合は異なったが)この民族ブルジョアジーの指導下の反帝闘争にひきこんだ。

革命党建設における戦術転換

 第三回世界大会によって示された分析と展望を補足して、その後の国際執行委員会(一九五二年二月)は、いくつかの社会党と大衆的共産党にたいする「加入戦術」の概念をはじめて一般化し拡大した革命的マルクス主義党建設の戦術にかんする決議を採択した。

 この新しい加入戦術は、一八四八年ドイツ革命およびその後の第一インターナショナルの創成にさいしてマルクスの採った路線を忘れることなく、レーニンとトロツキーによって鼓吹された実例ないし戦術にその手がかりを見出していた。

 「共産主義の左翼小児病」のなかでレーニンは十分な与件が不足しているため明瞭な言明をさげているが「労働党に加盟すべきか?」との質問にたいして「共産党はその教義の純粋さと、改良主義からのがれなき独立を保持すべきだ」といった原則から出発したひとつおぼえの返答を警戒している。彼はこの部面では一般的、基本的な共産主義の原則を適用するためには各国の特殊性を《学び、発見し、判断する》必要があると述べた。

 前章で説明したようにトロツキーは一九三四年に、完全に独立して行動し労働者階級を行動に動員することができる革命党の建設は、少数であるため宣伝グループにとどまっている組織が一定期間改良主義的ないしは中間主義的組織に加盟し、適宜な活動を通じ、左に向って前進しつつある潮流の経験を助けることによってそのなかで力を獲得する必要があることを理解させていた。戦前の加入戦術は長距離耐久競走に似ていた。

 戦後インターナショナルは、戦前実行されたSFIOやベルギーの労働党、合衆国の社会党などにたいする加入戦術と違った、イギリスのトロツキストの労働党(レーバー・パーティ)への加入を支持した。この戦術はこの国の労働運動の構造、とりわけ政党と労働組合の間に緊密な結びつきが存在し、そのため労働者階級にとって、労働党は彼らの党であり、保守党は雇用者の党であり、その指導者と政策に合意できない場合にも労働党に忠実であるという特殊な構造に依拠していた。
 新しい加入戦術は長期の展望と短期の展望の双方に依っていた。
 第三回世界大会がもたれた時、数年の労働党政権をへて、党内にべバンの左翼反対派が形成されていた。国際国内情勢は当時イギリスにおいて左へ向う大衆の中間主義的潮流の形成と発展を有利にしていた。状況的な考慮は第三回世界大会の一般テーゼに由来していた。われわれは、新しい世界戦争と資本主義にとって増大する経済的困難の展望は、国際的スケールにおいて社会民主主義内部のべバン型反対派の成長と、また共産党内の左翼反対派の創成を助長するはずであると考えていた。したがってこれらの潮流が経験を積み、当時はまだ予見できない局面をへて革命的マルクス主義党の形成へとむかうことを助ける必要があった。

 長期展望については、第一次世界戦争後古い改良主義労働者党が頑強に存続し、例外をのぞいて共産党の成長が困難をきわめたというヨーロッパ労働運動に関する事実確認に基礎がある。この確認からわれわれは労働者階級とこれらの党との間の結びつきは綱領や政策によるのではなく、労働者にとってこれらの党が多かれ少なかれ媒介物でありすくなくとも資本主義社会において日常的に使用しうるものであることからくる、これらの党の労働者大衆への長期のくい込みによるものであり、労働者はいまだ行動においてテストされていない新しい組織のためにこれらの党を離れる用意はできてないと推論することができた。ヨーロッパ諸国における労働者階級のこうした組織的慣性は革命期においてもより少ない度合いではあれ作用していた。すなわち、政治面での階級の進歩は組織面での進歩よりもすみやかであった。ヨーロッパの一国におけるいかなる大きな社会的危機も、その国の大衆的労働者党の危機をともなわずにはおかなかった。したがって大衆諸党とりわけ各国の主要な大衆党のなかでの長期の活動が日程に上ったのである。
 加入戦術において、インターナショナルは、相対的な内部民主主義が異なる傾向の存在を許す社会党と最少限の意見の差違の表明も許さない共産党(当時はそうであった)での戦術とを区別した。
 前者では加入戦術は全面的でなければならないとされたのにたいし、レーニンが反動的改良主義的大衆組合組織にとどまることに関連して勧告したように、必然的に「策略を用い、嘘をつく」必要のあった後者では、戦術は第四インターナショナルの立場の全体を公然と表明する独立した部分の維持を予定していた。

第三回世界大会の批判

 第三回世界大会のテーゼと決議は、前章に述べたような戦後激動とうち続く激動によって提起された問題にたいする最初の返答の試みであった。したがってこれらのテーゼのうちなにが正しさを証明されたか、なにが弱点を露呈したかを見ることは無意味でない。当をえた判断を行うためには、分析の時点では社会諸勢力の闘争のなかから生れた諸傾向はまだ充分発展していず、あらゆる分析には欠陥と誤謬が不可避であることを忘れてはならない。重要なことは、分析から発した行動方針が全体としてその時の状況に有効であったかどうか、分析のなかに誤りがあれば正すことはいうまでもないとして、組織が新しい要素と新しい傾向の出現を配慮しながら情勢の変化に対応しつつ諸事件に正しく反応したかどうかである。
 この著作の枠は限られているので、ここでは大筋において正しかったこと、また本質的に誤謬であることが露呈されたことのみに照明をあてよう。<ケることができる力をもってはいないことも事実である。 G団ウivウz゚~"| コ8崗ン|r1H」E香歌ゥ$Pタミ蛄ュユZェ*HE/契ソS册-オウ?Zラ_bタf C/'3:)}ウ3ィイ)8}tK・ ロZソe^コマ#dGヲクノア抂)鰻クォ゙奪黹# =ヒヒ(J濛ヌ <ノ\ .硯k【"(4!p札疎~罌w`ソケ8h。6屎ノシ0aチ∃ンス:`Y=Oカ壘セヨンホ|ョ#A:塁ネツ=楕I4 ウヘ撤メムZc彝ZU堪メ捌r2ウNッア#)ンナ譚樶サ拯|圈x鵬促 Huミ^ノW-レ此ェウb,rトテu[9(`リ;博ィ= リ噫ア1租晴姉>ムヒ 冢゙-A)レ,$xヤ2?n禎ツュヂー cマク~5w\フセ?s)w1'MCGヒ哺u柢y&宙ツAナ ヤBAヌノPッチ%IネPリ、ExX踝崟掌ケ[ォ魄ササァ奪"7Kヒ J秡I*<ニ^ ナ .$ヒ〔。(|膏セU*Fヘチ|H#bクネcレRメ匯聯nq・JヌンフIモQ#袁&ケ逵|的a 竇W0L(8)ヒ・FIヤ0oT$嬉アヘ7s キsキ_Vー>-ホコ>ThI.リ櫺,i"閔(&+D%丞=奬rョgコ剱掖垉m4。1欺カーヨ歡ンdbn 。温ナゥ・婀ヌョ2x,1-フcョ゙qラハュ賁・RS烏Ei髪牴9Q キ」イラコE]L涓ヨO貝\ヨ禅ヨ如,V.*mルイt2唾。「(地Mホ、Zu・釣ロM痕髫呶JョハrfkゾgSZHオ鎧 ネZ$タ、lnミヒM-=IQテLb3sタタ^鹽」@サQ壤ネ桐(*8タsランヲミ<=レTリ^w豹t?フワ7」~:-帚ラgヌオホモyソtuR<]=BNハ・。モユ%FSO b轣ワ+ゥ凋 オ4ヘAr  ヌW0ュK eユ*}ゥd」!薀ツ=ー ハUヌフクョG刧ヒIナ@ハミ BQ瀑/lA亞bjgUユルォj「]ン*aニ 晦gキ&XB $「dヤ奥4cヒネ矧ミ415{惟}$ニ鮴yUクY奪#8JC,J稘Ha\ / ヒ》$' p鰄レK@)腥潭ミ*ヤ j痾I7マ&ソV ェユオ ム腫・aニ 晦gキYアN,0忠迅、L釖」X曠、V■荷}ワF楢Q&7MハュツネNニメZJ梯_ィ6Z5ヒ%閃ル、・ロ^候2bpUU[`L5=[)Q*ツゥKニミェ)Ni 駈7r?Eワ\Wネ税ンaメVzQAッ搜3'妄ヲ也0uk%+ユekヒャ相^タWU051Z.レJ`ヌ'<ハ瓜ィャ+マミーyハケテQ榠ソ;赱=殀K?c、ナ+ -フキcンF&&ミwBヒKZ腿ンメsg|>ウx\ニaRrヘuヌカ ル コ/)リフロム9、5齋剳 ・ル匳/%ヘロ/6「=脈&簾゙~ア謠ヤUタヒ奪"錚K+B濘ネI=h\ 帆+-)円"邏pハsョ確_hb0`Z&チDフォ゚59_スロウq]?<# \>|H9クカyK?フイト斐ッレク{WngCヨ&カZノ0ヨ、ゥ2ヒツ}ル)腫モ5ヘdXc(タp 斌急jv@ァムCスOヲвIE9+LTQ!ィ3!^X鮒7|$<イB蝗Lョョ懿Iハコ貢カモRN詳゚gワSッ検~フ{v埼(t 4Qセpニェルヌq[ロKs A_゚r#、コ6Fa。w贋ΩPゥホI黯イG1絅yコihネ;;テサ_/Q7UtDL殼Gンソuニノヌ〇`ヤ・サスケ_wス觸+@$)テeF  Iキ甲鬯祓イSシ穃_"6ォjゥ~ーC ]ヘソリト*i[fモ=モサrV奪#48JC)b濺I9<ィ^K+,・+永'p!qe酲 1o暎・Yz|・cG;゙em+@qF、Lh4ォヘu~kU3Eシキ}鴿ャラso=H觝。奪驍# 8ヒcb濛H = \ テ) -堰m!'u!pf 69ツ8"ケル牀]チキ楫U!"テケカ$コj-\エタヘfヲ4考y喃イ#3TyオZ汎ク迩=;Gロヲ裂テ痒ム肩#ワ9Q苣]FYKJ鬧p鋺Y毬/Vsマ婬!<;馼ーY_tAカaQ'イアレj|{ヘ+,-ラ}箏z茜c越c[ヲキ冷椡螯ユル剩ibマTRsハエぞ.ツネQ+ワH8qヲソVg゚+6>ロが'{V tルヲ]ァ 8カ# 硯8V偕d゙ト%、Xァ}嬌k{ラJロL情>[ケばセ$硯餌罠s対ア顳6&JCマLフ#ek 8ノーZワU雍」ンワ萢-X鰺Cソt:Jオ輟+PレョR"Vb山偬jナKンKvmォl/奪#8ハヒ(b濟g ゙= \L4゚) ・求~ ァx!pЛ({賃ユWOP$PヌIシタvヨ5Ty噴(蓆キE-(aw92繻ャt蝪゚コpレJオ輟+Pレョ.、Eャナ・1ユ,傅渟キャ=ウ<セviスン袖゚?夬1M*セPミ@ェT5。リヲ革ペ棺ヤ賞[コ'gマz4欽Iヒ連J捉テdニ欝CBケシハik椌リィ妛Pレム#o゚爛「$1ナ餅徳7b\クォ房 妓>ャVホ>;ル芝坑笈cEムX 碎fフヤ}リ耗&カォD」 rソ5Q^憐?ャャvX給コh8 u hRコ`リLヲbホG、C?9:;」mF 弍職ャーロ+渫7ヌハRムm"ヌミ耆哮ヨス[*ZSゥX{2&猩ソ轉ハソ9咄シ2,カゥ織#8ハロb瀉(9フ= \Kャヒ)l%+’#'t。q「ノエ睡ソ、フタDヌ G芍_俳.副「Zy帰セzY頡@EP N<hロワフ~サ'S緝 G -ニQTそォ@ホ負uc謬伽%包P葯ヌィ*好蛍哮8Wm2R@ゥ0ィ隲^ネ槽 e}]e$ン薄Aス瀕Bンせ+残8ス 損ユ崋dv6ns-ヘFTュェ、M,ッz&j 喝#Q#c叡 ヲ]ウKH&":*ライ$aC_Wde$ン薄Aス瀕B銘\壁"ニ_Eワ/4+%8鰈D5t6o姙BQHヂォC゙リ7I"Mo( IXェムB6ハ0sフニn3e~gミ(+Zネ)O短ト梼ロッラkワ奪驛#2ノテ)J濛gヘ=\ x゚(!+÷&%qm纃ャ]ァh:ヲJュ]*モ(d)ワd今コcB4Nョ " *呶ラ6嶐; 2ル巡專^9ッtケyfッルセKナ$ォy ヘDナK.V0セP賛JS開フレYP曹X;=$マャクエ'@アeX8ィNp|ョ#ェO爬%} イ蜍コ瓢戟循*クテ佝moM麾奪閹c1ノC b濬ヌケス=\Kp&ャ%+fー・qY(ラnレA憎xウ,エZァ゚#%ウ害呶ケハъe#g、。ァラャクァ碍:ェX吃XuJヲ%コM==zj庖2>ンZRn゚カg>3スルMヌ・ヘu7hDェワフ「WV免テrY RJdテイ棯ヘAシ{vヤソユ%{サ <&ニオ3iWk{ヘ#黨j降セ搖クオ>mッシヨユヨ?・\< キ゚n9b_ オ〕ンHメ圦フ$AZノ}bョャA2MbwhヤQR・Bg$禧゚;bサw、ンママ邑マsヌモNmz3O盲ァ^6&樛v゙xフiワロョ齲: ホ^@。モ幣ィwRダチNョ骨B@rロF簀[qセヒEOe&ュ゚攻tエ 3Kノレ-奪#"7ノB b濺ヌルャ=,\ 0' %《$'<-pロ?膠 ケ7C_テM9o{ラiO>ecn"凡ウ!.メ r`セ#XD潤 ー2aR゙焉ツ(Rl鰒必tョ}!ヘキイメウエタヤ4IJクfホ<_尠ヤ讚 讌ユ\\8^&sh.個ケ値17"鰾)・ュツ%_9 クケュエノゥ゚5njラyキエ 肆=>oュ17mルォCP"w袋ソフ イ ー茱ge。Dkヘ-\dクテ9 繧C28D`\ニ覈ー「.)斃フニr僻uキrko垤5kシロ竡゚1淇o>&シIュgロメレQ)|ュケ}V≧Vハ蚰ケl侶3@17B 0:Yンンムy。ユ>ハセKW ミ米>ユ、心ホyオ](L9ロ搓ヤヒシu d奪鼇"0ノテb`[ネ河<ネ\ L% %$&ー=qヒワю!フ 0牝カ.x痢Rセテッ ミアッVフラヘオ愬$5UテBゥEァsレウル」!揚(ヒォQC杵ホョキセヲ~ニニ閘+,k|イ"キ$e╋ティ6+RLイ匍煉@キ菖リ CVオ)H! 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 第三回世界大会は、全体的勢力関係が世界資本主義にとって不利に転換したことを正しく評価した。またさらにそれは資本主義が当時経済的分野で優越性をもちつづけることをさまたげるものではないこと(その優越性は現在でも保持されている)また軍事的分野でもしかりであることを正確に示した。厳密にいえば、純粋に軍事的な全体的局面ではこの優越性はおそらく今では存在しない(これはもちろん、陸軍、海軍、空軍、通常兵器、核兵器などの各分野に平衡が存在することを意味しない)。
 一方ではソ連を中心とし、他方ではアメリカを中心とした再編成についての理解は正確であったことが示された。この点にかんして情勢は十五年後に各陣営内において、遠心的な勢力が増大する力をもちだした時にしか変化しなかった。しかしながら新しい諸与件を考慮に入れてさえも、われわれは新しい同盟と新しい座標が今後予見され明確に境界が示されているとはいいきれないのであり、古い分割が国際関係の極度の緊張の場合再び現われないと断言することはできない。
 テーゼのなかでソヴィエト官僚制、諸共産党の二重的役割、大衆、共産党、クレムリンの間の矛盾した関係についていわれていることは本質的に正しかった。これらの考察なしには、戦後の数々の大事件の間で針路をとってゆくことは不可能であっただろう。ユーゴスラビアと中国で発生したことの説明は完全に有効であった。さらにそれは、トロツキーによって可能な出来事として、過渡的綱領のなかでいくつかの文章で指摘されていたことであった。

 これらのトロツキーの文章は、第四インターナショナルの綱領を擁護し革命的マルクス主義党の創設のために最後の力をふりしぼって戦っているなかにあっても、客観的に異常な状況の圧力による例外的な場合には革命的マルクス主義ではない指導部のもとでも革命は勝利しうるという可能性を排除するものではない、としたのであった。
 戦後期はトロツキーがほとんどありそうもないが、しかし不可能ではないとしたこの種類の二、三の例を示した。世界の舞台で完全に方向を見失なわないためには、これらの諸事実を否定してはならない。しかし、われわれはこれらのケースをとりまく条件を明らかにしその例外的な性格を示さなければならない。こうしてこれらのケースは、一般化できたり、革命党の建設は必要でないとの結論を出したりできるようなものでないことが明らかになる。戦後トロツキスト運動に現われたセクト的諸傾向のなかには、形式的論理により革命党建設は余計なことであったと結論するのを恐れるあまり例外的な状況において革命的マルクス主義ではない大衆運動の指導部のもとで生みだされた労働者国家の存在を否定してしまったグループが存在する。事実の否定からは誤った立場しか出てこなかった。

 一方、第三回大会のテーゼは戦争の展望と経済的展望においては間違っていた。当時、規模からいっても長さからいってもかってない世界資本主義の経済的繁栄期、弱く限定された不況によってのみ中断された繁栄期の前夜にいたなどということを想定したものはだれもいなかった。そういった考えを漠然とでさえあれ述べていた学者も一人もいなかった。経済的局面の転換を予見できなかったために、資本主義の危機と世界戦争の展望は大会のテーゼが予想したよりもはるかに遠いものとなるという重大な結果をもたらした。なぜなら資本主義は、この面において状況が極度に暗いものにならないかぎり戦争へむかってかり立てられないからである。反対にスターリン主義の危機の頂点を世界戦争の前ではなくその最中に起こるとしていたスターリン主義の危機にかんする展望は誤りであったことが示された。この危機は予見されていたよりもはるかに早く発生したからである。第三回大会のテーゼの反対者は長期に見た場合でさえもスターリン主義の危機の現実的展望をまったくもたなかった。言葉を変えていえば、テーゼの誤謬は資本主義とスターリン主義の危機の相対的力点のおき方にあった。大会が資本主義の危機がスターリン主義の危機に先立つとしたのにたいして、現実には逆の事態が発生したからである。

  U  インターナシ∃ナルの分裂期

 第三回大会の時点では、以前何年にもわたって運動を分裂させたソヴィエト連邦の階級的性格といったような重要な差違はインターナショナル内部にあらわれていなかった。表面的には、インターナショナルは統一していた。フランス支部の大会テーゼの反対者は(その後国際主義共産主義者組織―OCI―を創出することになる)は、分析にかんしては部分的にしか批判せず、分析自身にたいしてよりも彼らがスターリン主義にたいする屈服とみなしたところの戦術的結論に攻撃の強調をおいていた。

1953年――1954年の分裂

 前記した展望の誤りはそれ自体として分裂をひき起こすべきものではなかった tそれに他の展望を対
置したものは一人もいなかった。しかし大会から二年後、フランス支部の分裂から約一年後に国際的なスケールで分裂が発生した。
 この分裂をどう説明すればよいのか? 先に示したようにわれわれは結果がまだ明らかでない意外な事態の進行の端緒にいた。大会のほとんど全員が組織内の民主主義の不在ではなく、状況の明晰さの欠如によってまだ表明されていなかった立場と傾向の相違をほんとうは覆い隠していたことを事後的に見出すのはそれほど驚くべきことだろうか。分裂という事実だけではなく、分裂から発生した各グループ内部でもその後明僚になった不和がこのことを証明している。このことを基本にして、さらに他の二つの要素が決定的ではないにしても重要な役割を演じた。まず大会で票決されたテーゼは、指導部をふくむ各国支部によって血肉化されなかったということである。分裂が発生した時はじめてインターナショナルの指導部にとってことが明瞭になった。指導部はこうした事態にまったく気がついていなかった――組織の全体の情態についての明確な見解をもっていなかった。インターナショナルの指導部は、次の大会が準備されていた一九五三年にはじめてあまりにも遅く大きな驚きとともにそれを知ったのである。

 第三回世界大会に続く数ヵ月の間に、インターナショナルと大会決定の実行を拒否したフランス支部多数派との関係は一九五二年にPCI内部に分裂が発生するほど悪化していった(註)。この分裂はそれだけにとどまらなかった。―第四インターナショナルを主張する二つの組織がおのおのの内部でも内紛を経験するのに時間はかからなかった。規律違反に対する統制処分が、つぎの年、国際委員会を組織しようとしたとして追放された人々といっしょに活動しようと一度は考えた部分の承認もえて、インターナショナルによってとられた。
 (註) PCIの分裂は五五%対四五%の比率だった。それだけに内部抗争は激しかった。
 さらにその後、労働党内部での系統的な活動による著しい前進を経験していたイギリス支部の内部で、極度に激しい分裂が発生した。この分裂の激しさはそれぞれの立場がはっきりと確定される以前に分裂が起されるほどだった。
 この分裂において決定的な役割を演じたのはアメリカのトロツキスト組織、社会主義労働党(SWP)内部の危機であった。当時アメリカでは前衛にとって事態は困難さを増していた。マッカーシズムがまんえんしていた。組織の多数派がトロツキズムの基本的立場を保持している間に、強力な少数派が新しい道を探求しつつあった。少くともインターナショナルが知っている公表された文書としてはその基本的立場を明らかにすることなく少数派はアメリカ組織の多数派と戦うために第三回世界大会の決議、その後の文書、とりわけ次大会の準備にむけられたスターリン主義にかんする文書を不当に利用した。
 この内部的闘争が分裂に達した時、SWPの多数派は当時「非スターリン化」をめぐって意見を異にしていたインターナショナルの指導部を非難した。
 政治的相違は組織面さらに人的面での疑惑に包まれていた。この期間中いかなる人的接触も人と人との間の意見の交換もなかった。こうして国際運動内部での巾広い事前の討議もなしに、国際的なスケールでの分裂が発生した。少数派は「第四インターナショナル国際委員会」を形成した。SWPの少数派は同党と分裂した後、トロツキズム清算の立場を公言し、第四インターナショナルと公然と闘争するようになった。
 すでに述べたマッカーシズムはSWPに重くのしかかり、清算主義的潮流との闘いにまきこまれていた同党指導部をして同党が危険な「修正的立場」とみなすものに対し抵抗する立場に押しやった。それはスターリンの死後、ソ連邦において最初の「非スターリン化」措置のとられた一九五三年に起こった。一九五三年五月に召集が決定されたつぎの世界大会のためにインターナショナルの指導部は、事実上火薬に火を投じる形になった「スターリン主義の勃興と衰退」という一つの文書を準備していた。この文書は第四回世界大会で採択され第五回世界大会で補足されたので、その分析はもっと先にのばそう。しかしこの文書は国際委員会を形成することになった同志達に危惧以上のものをひき起こしたということはここで言っておかなければならない。―すなわち彼らはその文書にスターリン主義への屈服、インターナショナルの清算、「パプロ主義」を見たのである。
 この分裂は第四インターナショナルで起った他の諸分裂よりもはるかに重大であった。組織を去ったグループや人々を決定的に失われたものと見なすことはできないにしても他の諸分裂はその性格と事実からしてトロツキスト運動からの分裂であったことがはっきりしている。
 反対にこの分裂は、現実には、一つはインターナショナルとして継続し、他は一つのフラクションとして行動する委員会に組織されたところの運動自身の二つの部分への分断であった。この分裂は双方の組織生命と発展に深い影響を与えた。事実それはわれわれが何度も強調したように運動の様々な部分に強力な諸力が不均等に重くのしかかっている時期に、インターナショナル内の組織を維持した部分にも他の部分にも一方では不均衡と他方で遠心的勢力の強化を導入するという結果をもたらした。それは一定の潮流の不均質的性格の増大と、組織およびそのセンターの権威の減少を結果した。この分裂の続いていた年月の間、インターナショナルはまったく予定していなかった事態の進展を経験した。われわれの考えではまったく不可避なものとは言えなかったこの分裂がなければ、インターナショナルは再統一の際獲得された戦後世界の全体的把握の視点に、おそらくはもっと早く、より少い犠牲において到達していたであろう。

第四回と第五回世界大会(1954年と1957年)

 第四回世界大会の準備と開催はその間に発生した分裂に支配された。一九五四年七月にもたれた大会には二十一ヵ国の代表が参加した。大会は国際委員会の支持者に対し激しい闘いを行っていながら、分裂直後インターナショナルへむけて猛烈な攻撃の矢を向けた一小グループの問題に部分的に時間をとられた。彼らは新しい革命党建設のための闘いを余計なものと判断していた。大会の最後までとどまりさえしなかったこのグループが、その後風化しはじめるのに時間ばかからなかった。
 大会のもっとも重要な任務は前大会で採択された立場を深化することであった。二つの主要な文書が採択された。一つは現実的な大衆運動のなかへのトロツキストの合体の方針を扱っていた。これは当時の革命的諸条件と大衆的革命的マルクス主義党建設の基本的任務の問題をとりあげた。それゆえにこの文書は綱領においてではなく行動において大衆と融合する必要性を主張した。それは大衆的組織に進行中の事実の光をあて、トロツキスト組織がこれらの組織のなかに活動の場を選択する必要性を指摘した。その場合これらの組織を改良するのではないことを明らかにしたのはもちろんである。文書はこれらの主要な諸考察の上に様々な国でのそれぞれ固有な戦術にかんする考察を付け加えた。他の文書は「スターリン主義の勃興と衰退」と題されていた。これは次の大会で再討議され補足されたので、これについてはもっとあとで述べよう。
 第四回大会は分裂の結果をくい止め、分裂がもたらした遠心的諸傾向にたいする再組織化を実行し、打撃を受けた直後の組織を強化するために主に役に立った。
 大会はまたトロツキスト運動の統一の再確立は可能でありまた望ましいことであると宣言し、この大会に代表を送っていなかった諸組織――すなわち国際委員会派――と連絡をとりもどし、統一問題について大会のとった立場を説明するよう国際執行委員会に委任した。
 第四回大会のすこし後に、インターナショナル内の情勢は好転しはじめた。国際情勢の進展が非常にそれに貢献した。

 一九五五年から、先進資本主義国において、経済情勢のなかに予想外の転回があったことが、認知されはじめた。経済的繁栄が定着しはじめた。この問題は直視する必要があり、一九五五年一〇月国際執行委員会はそれに最初の回答を与えた。国際執行委員会は一年以上前から明らかになった経済的繁栄、経済情勢の転回に注目した。それは理論的分析というよりも記述であって、展望にかんしては慎重な態度を保持した。
 運動の状態の好転にもっとも重要な役割を演じたファクターは、ソ連と東ヨーロッパの労働者国家における事態の進展であった。ソ連ではスターリンの死後それを継いだ指導部内部での闘争が続行していた。べリアが最初に排除された。ついでマレンコフがブルガーニン・フルシチョフ二頭政治に席を譲らねばならなかった。闘争はそれから約二年間も続けられた。頂点における危機と指導部によって行われた譲歩は一枚岩があれほど長く支配したこの国で、画一主義的でない見解の表明の可能性を与え始めた。

 そして一九五六年がやってきた。ソ連邦共産党の第二十回党大会とポーランド、ハンガリー事件の年であった。二十回大会でフルシチョフは、秘密会議において、スターリンの多くの犯罪を告発した「スターリン個人崇拝」にかんする報告を行った。それはスターリン主義的現象の起源を探求するものではなかった―逆にその報告は官僚権力を救うためにスターリン個人を犠牲にするものであった。ポーランドではストライキとそれに続く大衆運動がスターリンの犠牲者であったゴムルカを党と国家の指導部につかせた。
 ハンガリーでは、大衆叛乱のいぶきとイムレ・ナジの優柔不断の態度を前にしたクレムリンがソ連軍の血まみれの干渉によって大衆叛乱を抑圧した。
 一方植民地革命の領域においてはフランス帝国主義とべトミンの戦争が一九五四年七月のジュネーブ協定によって終了するかしないうちに、アルジェリア戦争がはじまった(一九五四年十一月)。
 一九五六年は同じく、スエズ運河の国有化後フランス政府とイギリス政府がイスラエルの合意のもとにエジプトにたいして軍事干渉を行ったスエズ危機の年であった。彼らはワシントンとクレムリンの一致した圧力によって軍事干渉を中断しなければならなかった。
 インターナショナルのすべての支部は二つの種類の活動に入った。まず主に各国共産党のインテリ、学生層の間で強く表現されさらに労働者層にも達したところの、スターリン主義と各国共産党の国際的危機に介入した。また多くの支部はアルジェリア革命とさらに植民地革命全般への支援を強化していった。
 この期間諸支部の再出発、一定の新党員の補充、われわれがあれほど長い間基本的には理論的な形でスターリン主義の危機について述べてきたことがすでに著しいスケールで現実のなかでその正しさを証明されたことからくる自信の増大などが見られた。新党員の補充はまだ非常に限定されたものであったが、組織の影響力と政治的権威は強化された。
 これらの条件のなかで一九五六年一一月から、前大会とまったく異なった性格をもつべき第五回世界大会が準備された。
 この大会の準備期間中再統一のための国際委員会との接近の試みが、第四回大会の決定にもとづき行われた。ソ連邦共産党二十回大会以後に関する出版物をみるかぎりとりわけSWPの出版物―ソ連邦と「非スターリン化」にかんする差違は減少したように見えた。この試みは主として組織面での不信感が残っていたために失敗した。
 第五回大会は二十五ヵ国から約百人の代表とオブザーバーを集め一九五七年一〇月に行われた。友好代表者の中にはアルジェリア戦士の代表団の姿が見られた。
 事態の発展は、戦後期の大変動のなかから提起された諸問題に、さらに解明の光をあてることとなった。大会では三つの主要問題が扱われ、その結論は以下の文書に示された。すなわち、“経済情勢の展望と国際政策”“第二次世界大戦後の植民地革命”“スターリニズムの勃興、衰退、没落”。
 「経済情勢の展望と国際政策」と題する文書は、まずアメリカと西ヨーロッパの予期せざる繁栄の諸原因を徹底的に洗うことからはじめている。この文書は、資本主義国家によって採用された“危機回避”の諸方策、消費者信用の役割、公共投資などについて説明を加え、さらに、ご自慢の成果をめざして資本主義が駆使する諸方策は、結局のところますますひんぱんになるリセッション、技術革新による失業、通貨の長期趨勢的な減価、をもたらすだろうと分析した。
 労働者国家の経済情勢についてこの文書は、経済の驚くべき成長に注目し、いままで生産費を考慮せずに資本財の生産を強化しているこれらの国は、今後消費材の生産を拡大せざるをえず、経済を“合理化”せざるをえないだろう、と指摘した。またこの文書は、リーベルマン、トラペズニコフ、シックなどの経済改革派によって提唱された解決策を擁護するのではなく、政治的意味だけでなく経済の発展のためにも基本的な役割を果すものとして労働者民主主義が不可欠であることを強調した。
 この文書は同様に以下のことを強調した。すなわち、植民地国家は絶対量においては経済成長をとげつつあるが、実際には他の国家に比較した相対的意味においては退行しつつある。その結果、植民地大衆はますます窮乏化し、植民地革命の炎がもえあがる客観的条件はいぜん続いている、と。
 資本主義国家における階級闘争については、この文書は、経済情勢からすればきわめて近い将来に革命闘争が起りうるとはいえないが、いくつかの国では経済循環の局面に応じて労働組合の闘争が起る可能性を排除するものではない、とした。
 植民地革命に関する大会文書は次のことを強調した。すなわち、第一に植民地革命こそ戦後情勢の中心的な特徴であること。それは、これまでのすべての展望が東における革命の勝利のまえに西における革命の勝利があるという観点に立っていたがゆえに、労働者階級の運動がはじまって以来、さらには十月革命以降のすべての展望を、くつがえすものであった。この文書は、植民地革命は唯一永久革命としてのみ勝利しうる、と指摘し、したがってそれは世界革命の不可分の一環である、とした。植民地革命は、常に十月革命から世界革命の勝利に至る過程の一環を構成する。この文書はさらに植民地革命の諸問題を分析し、その指導部の性格(とくに深いボナパルチスト的性格)、帝国主義者の政策、植民地国家とその運動からみたときの労働者国家(ソ連、中国)、のそれぞれの意義、について分析した。また、植民地国家でのプロレタリアートと貧農のそれぞれの役割についても説明を加えた。植民地国家におけるゲリラ戦争が軍事的要素の観点からだけでなく大衆の組織化と政治教育の点からもその意義が強調されたことはいうまでもない。大会は、トロツキスト運動、とくに帝国主義国家における支部が、植民地革命の援助のために活動の大きな部分をさくことの必要性を主張した。
 第五回大会は前回の大会で採択された“スターリニズムの勃興と衰退”という文書を再検討し、それに“スターリニズムの衰退と没落”という新たな部分をつけ加えた。完成された文書は、スターリニズム、労働者国家、共産党について、もっとも徹底した分析を加えたものになっている。分析は十月革命からはじまり、一九一七―二三年の革命的高揚期、一九二三―四三年の後退期、そして一九四三年以降の新たな高揚の開始、という歴史的段階に従ってなされている。ソ連におけるスターリンの台頭をとりまいた条件、共産党のスターリン主義化(ソ連の孤立と後進性、世界革命の後退)についての解明がなされ、新たな情勢――複数の労働者国家の存在、ソ連が世界第二の強国になったこと、全世界的な革命の高揚――が客観条件をほりくずしていることが述べられた。こうして文書はスターリニズムの危機を構成する条件をあますところなく明らかにした。また文書は、新たな世界大戦で敗北するというまずありそうにない場合をのぞいて、ソ連で資本主義が復活する危険は今後存在しないことを証明した。したがってスターリニズムの危機は官僚とプロレタリアートの対決に結果するだろう。この文書は、“非スターリン化”の措置の性格を官僚の自己防衛策――自己清算ではない――として特徴づけ、これら権力にあるものはこうした措置を通じて官僚それ自体のより広い基盤を求めるため大衆の緊急の要求の一部を満しているのだ、とした。一九五六年の出来事(訳註、フルシチョフ秘密報告)のあとに書かれた文書の部分は誤った見通しを含んでいる。すなわち、その文書はこの結果直ちにスターリニズムの危機は深まると考えた。そして、一九五七年のフルシチョフによる“反党グループ”の追放に示される“改良主義”の時期が約十年つづくということを予見しなかった。文書は結論において政治革命における過渡的要求のプログラムを概説している。それは一九三八年トロツキーによってつくられた過渡的綱領を出発点とし、ソ連の新たな状況、一九五六年のポーランド、ハンガリー事件によって深められたものになっている。またこの文書はその大きな部分を労働者国家と資本主義国家における共産党の危機に関してさいている。中ソ論争のその後の発展がこの問題を再提起しその重要性を増大させることになった。

 第五回大会における討論は広い範囲にわたって行われた。いくつかの問題はいろいろな代議員によって強力に議論されたが、分派闘争はなかった。インターナショナルはほぼ再建された。もう一度満場一致でインターナショナル運動の再統一が確認された。しかし大会で目撃された団結の背後で新たな危機が生じていた。国際指導部内部では早くも対立と抗争が感じられていた。


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