つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる

国際革命文庫  6

ピエール・フランク著
国際革命文庫編集委員会訳

 

電子化:TAMO2
●参考文献
第四インターとは
「第四インターナショナル小史」
――1923年〜1968年――

目次

日本語版への序文

第一章 歴史的連続性

第二章 1923年から1929年
     
 ソ連内のボルシェビキ・レーニン主義フラクション

第三章 1929年から1933年
     
 国際左翼反対派の形成

第四章 1933年から1938年
     
 第四インターナショナルの準備

第五章 1938年から1948年
     
 第四インターナショナルの創立から第二回世界大会まで

第六章 1948年から1968年
     
 T 第二回世界大会から国際トロツキスト運動の分裂まで
      U インターナショナルの分裂期
      V インターナショナルの再統一

第七章 世界情勢の転換(1968年)

第八章 トロツキストの「大長征」

第九章 第四インターナショナルのために生涯を捧げた人々

あとがき



日本語版への序文

  ピエール・フランク

 現代の本質的な特徴のひとつは若い世代の政治的発展である。彼らは破産した改良主義者や社会民主主義、スターリニズムの古くさい指導部から身を引き離し、革命的行動へと自ら向っている。若い世代のこのような突出は、最初は植民地国ないし半植民地国で戦後の数年間にあらわれた現象にすぎなかった。それは、つい最近の数年間のうちに、日本やアメリカをはじめ、西ヨーロッパや世界の他の国々の資本主義諸国にまで拡大した。さらに、それは資本主義が打倒された国々にも拡大している。それはソ連邦ではまだ明らかに限られているとはいえ、チェコスロバキアの一九六八年の“春”には、大きなひろがりを獲得したし、またきわめて特異な形でではあれ中国の“文化革命”の中でも現われた。
 言いかえればわれわれは現在、異なった衝撃力を持ち様々な形態をとっているとはいえ、普遍的な現象を眼前にしているのである。すなわち若い世代は、労働運動や労働者国家の官僚的な伝統的指導部の権威と政策を拒否して革命的行動に向っている。地球全体にひろがるかくも普遍的な現象の存在は次のことを証明している。このような現象を発現させ、発展させた個々の国やある種の国々に固有な特別の原因を別とすれば、これは人類の真底からの必要に応じたものである。それは容易に次のように要約できる。二つの世界戦争、核兵器によるいけにえの脅威、飢餓の数年、ファシズム、官僚的統制と思想の軍国主義化の数年、帝国主義からの解放を求める植民地人民の熱烈な闘い、これらがこの四半世紀余の基本的な決算書である。これだけ多くの苦悩と闘いに直面したとき、どうして一国の少数部分にのみ消費が確保されているみじめないわゆる“社会福祉”のことを考えることができるだろうか。普遍的な幸福を確保しうるだけの巨大な手段を人類が手にしているこの時代に、人間が月に着陸するこの時代に、何億という人間がみじめな生存しか享受していない。生活を変える可能性、つまりごく少数の搾取者のみに仕えている圧倒的多数の勤労人民を解放する可能性と、人類の圧倒的多数の運命との間にはあまりにも大きな不均衡が存在する。ここからこそ資本主義の明白な危機、世界で最も古く最も反動的な組織――カソリック教会――でさえも現在ではあえて絶対的に否定しようとしないほどの危機が生じてくる。他方資本主義が打倒されたところでは、権力は何よりもまず自分の特権を増大し強固にすることに関心を抱いている官僚によって独占され、労働者民主主義は全く存在しない。
 ほんの数年間、ある理論がはやった。それによれば、“消費社会”・“新資本主義”は、発達した資本主義諸国において恐慌を克服し、そのうえ労働者階級を統合することに成功し、今や階級闘争は過去の概念となったというのである。この“理論”は植民地諸国の闘士たちにも共有されていた。彼らは、二〇年間にわたったヨーロッパの労働者階級の政治的無関心に幻滅を感じていた。この“理論”の信奉者たちはフランスの五月以来、まったくおとなしくなってしまった。事実、ヨーロッパの資本主義諸国の労働者たちは、何年か続いた経済的繁栄の時期には意味のあったパン屑に決して欺されることはなかった。
 事実はこうであった。第二次世界大戦後、労働者大衆は疲労、長年続いたみじめさやファシズム、戦争の傷跡を感じていた。そして、ナチスのヨーロッパ占領中に繰り広げられた英雄的な試みに疲労しつくしていた彼らは、ただちに新しい闘争、すなわちまた新しい指導部を鍛えあげる闘争に取り組める状態にはなかった。数年間の大衆の政治的無関心をひき起したのはまさにこのことであって、決してテレビ放送や洗濯機、自動車その他ではなかった。それゆえ階級闘争が再びその活気を取り戻すためには、こんなにも重い過去の重荷を持たない新しい世代の登場を、活気に満ち、自分たちにとって“新資本主義”の副産物は何ら勝利ではなく自らの生活水準の日常的要素でしかない世代、旧い世代とは異ってまだ築くべき未来をもっている世代の登場を待たなければならなかった。資本主義的繁栄がまさにその頂点に達した瞬間に爆発が始まった。若い世代はごく自然に資本主義にたち向って進んだ。だが彼らはその気質ゆえに、社会主義や共産主義を口にしながらもみじめな改良しか獲得しようとせず、“平和共存”をこわさないために現状維持のみをはかる指導部をも同時に打倒せざるをえなかった。資本主義諸国における政治的無関心はエピソード的なものにすぎなかった。今や全世界で闘争が日程に上っている。
 先進資本主義諸国の中で一九六〇年以来最初に闘争に取り組んだのが日本の青年たちであったことを今ここで想起する必要があるだろうか。『ゼンガクレン』という言葉が全世界に通用するようになったのはこの時期からであった。これらの青年達がこんなにも早く危機を感じたことには、明らかにいくつかの原因があった。日本では、原子爆弾は世界の他のどの部分におけるよりも重要な意味を持っていた。そこでは中国革命や極東での革命的闘争の息吹が燃えるように感じられた。資本主義の遅れた、野蛮な侵入の結果としてできた特殊な形態のこの国の社会的構造は、さらに大規模な変化を経験した。日本の若い学生や労働者は初めて闘争に入り、一〇年にわたって数多くの経験を蓄積した。彼らは勇気と自己犠牲の精神をまたしばしば英雄主義を有していることを立証した。
 この闘争の年月について、今となってわれわれは何を言うことができようか。このような資質――勇気、自己犠牲、英雄主義――は、革命的な闘争にとって必要不可欠であるが、現実の社会に直面したとき、勝利を保証するためにはこれだけでは十分ではない。現実の社会は、時々刻々、ある場合には公然と暴力的な、あるいは場合にはエネルギーをすり減らし、最も熱意ある最も意識的な部分を孤立させることを狙った陰険な保守と反動の勢力を作り出している。また、ある運動、ひとつの組織を数ヵ月にわたって、数年にわたって維持するためにも、それだけでは全く不十分である。分裂や分派が現われはじめる。大衆運動や前衛はどうすればこのような分化をまぬがれることができるだろうか。奇蹟的な解決はない。それがなければ革命運動が成りたたない自己犠牲の能力に加えて、大きな政治的な能力――社会の動き、あらゆる瞬間の種々の社会的な階級や階層の動きを理解し、統一を可能とする目標やスローガンや闘争手段をみちびきだし、大衆運動を闘争の中で発展させ、それを旧い資本主義世界に挑戦させるそのような能力――が必要とされる。このような戦闘をつうじて大衆の眼前において改良主義指導部にとって代わる組織が必要である。すなわち、このことは、政治的な領域でひとつの綱領とそれを体現しているひとつの組織、つまり革命的前衛党を持つことを意味している。これは頭のてっぺんから足の先まで武装して一朝一夕に出現するものではない。いかにしてこのような党を作るのか。
 社会科学の領域においては、自然科学の場合のように、繰返しが可能で好みに応じて条件を大きく変えることのできる実験を行なうことは不可能である。人間が参照することのできる唯一の実験は歴史であり、そこから教訓を引き出さなければならない。世界を動かしている巨大な力の対象たることにとどまりたくないと考える人間、世界を変える闘いの自覚的な主体たらんと欲する人間、一言でいえば言葉の真の意味において革命的たらんと欲する人間にとって、多くの人間や組織、綱領、戦略、戦術の間で方向を見出し政治的に行動するための唯一の方法は歴史を知ることである。
 最も一般的にいえば、現在マルクス主義は過去数十年のあいだに労働運動の中にあった、あらゆるイデオロギーを実践的に排除した。しかしマルクス主義は時の経過とともに、今日の労働運動の分裂をもたらしている様々な解釈をも経験してきた。それ故にこそ、最近の歴史、とくに過去五〇年の歴史をひもとき、マルクス主義の普遍的な教程に組み込むべき教訓を引出すために、それをふるいにかけなければならないのである。この期間労働者大衆の先頭に立ってきた指導部について、とくにこうすることが必要である。
 われわれは社会民主主義の問題にはほとんどふれない。なぜならこれに対するマルクス主義的批判は一九一四年以来レーニンによって、またその結成以来共産主義インターナショナルによってなされてきたし、それ以後社会民主主義の堕落は進行する一方だったからである。今日では、一連の諸国の大きな社会民主主義政党は、危機の瞬間にブルジョア政府を形成するための予備品となっている。
 しかしスターリニズムの問題は社会民主主義のそれよりもはるかに複雑であり、この点については著しい混乱が蔓延している。したがって、これは重要な問題である。スターリニズムが何であるかを、その政策の源泉が何であるかを正確に把握していないあらゆる政治的組織は、現代の歴史が絶え間なく生みだしている情勢の転換点のひとつでつまづき分解するという最も大きな危険にさらされているのである。われわれはこの点を強調しておかなければならない。
 モスクワが世界の革命中心地であることが否定されるまでに多くの年月が必要だったことに注目しておこう。今日革命的原則の名の下にクレムリンの政策に反対している者のうちいかに多くが、かつては何の批判的精神も持たずにクレムリンの権威とその政策を受け入れてきたことか! 『平和共存』政策の意味を真に理解するためには、クレムリンのベトナム戦争におけるあいまいな政策――その控え目な援助は、決してベトナム人民の勝利を保証するためのものではなく、アメリカに交渉に入らせることを狙ったものである――にとくに注目する必要がある。『平和共存』政策はすでに三〇年代にスペイン戦争で、五〇年代にアルジェリア戦争で実践されたものである。
 スターリニズムとは何であり、レーニンとトロツキーのソ連邦が、すなわち共産主義インターナショナルを構成していた革命党のソ連邦が、いかにしてスターリニズムの新しいタイプの改良主義の党の手中におちたのか。スターリニズムに対するあらゆる反対派の中で、トロツキスト運動は最も旧く、スターリンによって最も冷酷に中傷され弾圧された運動である。ソ連邦では、トロツキストはすべて皆殺しにされた。ブルジョア体制下においてもスターリン体制下においても、いかなる労働運動の分派もこれほどの弾圧を受けたことはない。今日にいたってもロシア革命におけるトロツキーの役割はゆがめられ、その著書はソ連邦内では常に禁止されている。しかし今日では、第四インターナショナルが全世界で発展している。このことは、スターリニストはもちろんのこと、トロツキズムを何度にもわたって葬り去って来た多くの人々を驚ろかせている。彼らは、トロツキーとスターリンの分裂は、決して歴史家の仕事に属する問題ではなく、共産主義運動が直面している火の出るような政治的問題であったことに気づいた。革命的前衛の中の第四インターナショナルに対する反対者は、しばしばその弱さ(数的勢力が限られているとか、まだ労働者階級の間への浸透が不十分であるとか)を強調することで満足している。しかしこれらの反対者――しかも彼ら自身も同じような弱さを有している――は次の問に決して答えることができない。ソ連邦やその他の諸国家を支配しているかくも強力な組織が、トロツキストの勢力に比較すればあまりにも不釣合な、そしてもし旧い歴史的な問題が問われているのだとすれば説明もつかないような手段に訴えているのはなぜなのか。
 われわれはまさにこの本で、トロツキスト運動の歴史によりながら、次のことを示そうと努力した。すなわち、第四インターナショナルが革命的マルクス主義を維持し豊富化してきたこと、このことこそが、最初は深い反動の時期に、ついで革命的勢力の緩慢な痛苦に満ちた昂揚の時期に、資本主義世界においてであれ労働者国家においてであれ猛威をふるった反動と社会的保守主義のあらゆる諸勢力に対抗して共産主義インターナショナルとボルシェビキ党の連続性を確保してきたのだということをである。
 トロツキズムは日本の政治的舞台に遅れて登場した。事実長い間、日本には一人の同志山西――ここに与えられた機会を利用してわれわれは彼に第四インターナショナルからの感謝の意を表明しておきたい――によるレオン・トロツキ−の著作の翻訳によって外部から持込まれた政治的サークルしか存在しなかった。やがて明確に定式化された世界観の周囲に少しずつ闘士たちが集まりだし、これを日本の階級闘争の中で活かそうと努力した。はじめが難しいこと、内部抗争や分裂にさえも見舞われること、このことは避けがたかった。これはとくに生まれつつある革命組織にとっては宿命であった。しかしながら最初の段階は克服されたかのように思われる。今日では、その数でも、日本の労働運動とのそのつながりの点でも、その内的な政治的一体性の点でも、少なからぬ重要性を持つトロツキスト組織が存在している。
 第四インターナショナルが世界で獲得してきた革命的マルクス主義の普遍的教訓をある一国の特殊な条件に適用する仕事は、またそれを革命党――自国の労働者階級を社会主義革命へと指導する革命党――の中に活かし結実させる仕事は、その国の闘士の固有の作業に待つほかはない。そしてわれわれは、日本のトロツキストがその責任を担いうる水準にまで成長していることを信じて疑わない。しかしわれわれはこの序文で、この本の基本的テーマを真底から構成しているものについて、強調しておくことが不可欠であると考える。すなわち、革命的マルクス主義前衛の中央集権的で民主主義的な国際組織の存在が緊急に必要となっているという事実をである。ベトナム社会主義革命、アラブ社会主義革命、ラテン・アメリカ社会主義革命の、そしてもちろん日本社会主義革命の達成は現下の課題である。これらの革命はそれぞれ互に無関係にあるのではない。それらは寄せ算きれえない。それらは結合して高度な単一体、すなわち世界社会主義革命をなす。この中で先進資本主義諸国におけるプロレタリア革命、いわゆる『第三世界』における植民地革命、労働者国家における反官僚主義政治革命が一体となっている。これらの革命のおのおのはたしかに固有の形態や特殊な側面を持つ。しかしこのどれひとつとして他と無関係に発展することはなく、どれひとつとして他が同じく勝利に向って進むのでない限り自らの勝利を見出すことはできない。
 それぞれの国における社会主義革命をめざす闘争が、世界の様々な地域や様々な国々の情勢、また大衆の意識の様々な水準に規定されて異ったレベルで異った瞬間に始まること、これは不可避である。この闘争が国によって異ったリズムで発展すること、これもまた不可避である。国際的な規模での効果的な結合や共同の戦略の必要性は、最初のうちは強く感じられないことは当然である。しかしその闘争が何らかの一定の幅を持つ段階に到達すると、その国際的な役割はおのずと明らかになり、民族的限界に起因する欠陥がもはやしばしば厳しく感じられてくる。民族的枠組内に限定された革命の危険がいかに大きいかは歴史が示している。外からの帝国主義の脅威と攻撃、内からの官僚主義の危険。
 世界のすべての社会主義革命の統一は、世界各地の闘争それ自体だけでは作り出すことはできない。それはただ、世界の革命的マルクス主義前衛の意識的な産物としてうみだされうるのである。労働者と社会主義者の運動は、そのまさに最初において、一〇〇年前に第一インターナショナルを作り出した。そしてインターナショナルの存在は、長い間、運動の最も重要な成果のひとつと考えられていた。ところが現在、国際的な革命戦略がますます緊急の必要となっているときに、大衆的なインターナショナルはまったく存在していない。インターナショナルの思想はスターリニストの経験によってゆがめられ、けがされてしまった。しかし革命闘争の現実は、それを再生させる段階に到達している。アメリカのベトナム侵略に対する闘いの過程で示威行為を国際的に組織しようとしてなされた様々な試みは、大きな前進への一歩となった。しかしその場合でも、まだ臨時的な委員会やグループによる分散的で一時的な試みでしかなかった。今日、恒久的に活動している唯一の国際的革命組織は、第四インターナショナルである。それはまだカードルの、前衛の一組織でしかないが、それは共産主義インターナショナルの連続性を確保してきた。また、現在、社会主義の世界的勝利を保証するであろう大衆的な革命的インターナショナルが準備されているのは、第四インターナショナルの努力、その綱領、そのカードルの周辺においてである。そして日本の革命的マルクス主義前衛も革命的マルクス主義インターナショナル、すなわち第四インターナショナルの不可分の一部としてのみ存在するのである。

     1970年11月


第一章 歴史的連続性

 一九二三年、スターリニストの堕落のはじまりとともに生れたトロツキスト運動は、それ以来現代のあらゆる大事件に一定の役割を果し、かくして革命的マルクス主義の世界的規模における連続性を確保してきた。共産主義者同盟と第一インターナショナルとのあいだでは、政治的連続性がマルクス、エンゲルスによって個人的に確保されていたとはいえ、組織の領域では一二年間の空合があった。第一から第二インターナショナルまでのあいだにもまた一五年ちかくの空白期があった(政治的連続性は主要国の党指導者との通信による一種の国際的センターを確立したエンゲルスによって個人的に確保された)。第二から第三インターナショナルのあいだには、第一次大戦期という中断がある。このときマルクス主義運動の継続を保障したのはボルシェビキ党とツィンメルワルド派であった。
 他方、われわれの運動は第三インターナショナルの内部にうまれた。一九二三年から一九三三年まで、われわれは共産主義インターナショナルのフラクションとしてその内部もしくは外部で、その指導権を中間主義者から奪い、それをふたたび革命的マルクス主義の路線にのせるためにたたかった。客観的条件がもはやこの目的の追求をゆるさなくなったとき、われわれは直ちに共産主義インターナショナルの最初の四回の大会を出発点とする新しい党、新しい革命的インターナショナルの建設へと進んだ。革命運動の連続性に休憩と中断はなかった。これは、一九二三年にはじまる労働者運動の巨大な退潮にもかかわらず、十月革命の堕落にもかかわらず、労働者階級内部でスターリニストが演じた恥ずべき役割にもかかわらずおこなわれたのである。
 一革命組織の大会と決議は単なる形式ではない。それらは当面の政策を決定する以上のことをなす。それらは党によって達成される集団性、その経験、その行動の基準、(時間とともにその成員の一部を更新しながら)党がそのなかで発展しつづけるワクを明らかにする。この組織が存在しなくなるならば、これは、いつかのちに革命党を再建しようとするひとびとにたしかに役に立つ歴史的資料を与えるだろう。しかしただ歴史的資料としてだけである! 彼らは不可避的に、ときには非常にながいあいだ、その組織化のための適切な基礎を再発見、再創造するために模索しなければならないだろう。
 歴史は、トロツキーこそがその全著作によって、この歴史的連続性を保持するという仕事に最大の貢献をなした人であったことを必ずや明らかにするだろう。「国際主義共産主義者」と「ボルシェビキ・レーニン主義者」という名称を、われわれの各種の組織はつかってきたのだが、厳密には、「トロツキスト」という名称こそが、歴史がわれわれにつけたもっともふさわしい名前である。


つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる