「あとがき」の抜粋を以下に示す。
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あとがき
・・この本の出版の話は、昨年の夏から初秋にかけてネット上での相談により持ち上がった。
当初は6人の共著として企画されたが、今年春の段階で、執筆の辞退があいついだ。
いったんは出版そのものが危ぶまれたが、三月の時点で出版企画を練り直して四人の共著とし
て再出発することとなった。
・・・この著作に対する不断の悩みの解決は、著作にたいするネット上での永続的な会話と
更新作業しかないのだと思う。・・・・社会批評社のホームページにおいて、・・・なに
よりも読者の意見、疑問、批判を反映し、書き手と読み手の対話を継続していきたい。
ネットワーク社会においては、本は著者から読者への一方的な情報発信、お説教のたれな
がしではなく、読者との双方向的な対話のとっかかりであるべきだろう。
社会批評社のホームページがこの著作をめぐる会話、討議のホット・サイトとなることを
願って。
2001年7月3日 津村 洋
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ここから分かることは、
1:「まえがき」の例から見ても、このあとがきは実際に7/3に完成した可能性が高い。
つまり、戸田の宮崎断固支持表明が公表された時期と同一である。
2:とすれば、この時期に宮崎―戸田潰しの宣伝戦の一環として、当初の本構想には無かっ
たウソ書き「補章」が新たに構想され、急遽作文され、本体に追加された可能性がある。
3:当初は6人の共著として企画されたが、2001年春の段階で執筆の辞退があいつぎ、いっ
たんは出版そのものが危ぶまれた事、三月の時点で出版企画を練り直して四人の共著とし
て再出発することとなった事、が分かる。
・・・「三月の時点で出版企画練り直し」では、「補章」という構想は無かったのではな
いか? またその内容は今と同じだったのか?
4:「本は著者から読者への一方的な情報発信、お説教のたれながしではなく、読者との双方
向的な対話のとっかかりであるべき」、「社会批評社のホームページで読者の意見、疑問、
批判を反映し、書き手と読み手の対話を継続していきたい。」
・・・その心意気やよしっ!
戸田の意見提示が遅れて6年越しになってしまったが、ぜひ戸田という「書かれた当事者」
との「対話を継続し」、「意見、疑問、批判を反映し」てもらいたいものだ。
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