※このタイトルの判断は現段階(07年1/7)段階ではまだ「サイバーアクション」
(時に「SA」とも略す)筆者や社会批評社側に取材した上でのものではなく、
戸田個人の「推理」でしかないが、以下に述べるように各種状況証拠から見てほ
ぼ間違いない推断であろうと自信を持っている。
実は、戸田がこの「サイバーアクション」のウソ書き「補章」の内容を知った時からつい
最近、この掲示板で補章の分析批判を始めるまでは、何で天下の社会批評社ともあろう会社
の本が、「サイバーアクション」という本体自体は名書というべき画期的本の中で、こんな粗
雑なウソと重要事実の隠蔽満載のデタラメ文章を「補章」として追加したのか、さっぱり理
解できなかった。
著者の井上はるおにしても、戸田より9歳下(戸田は1956年生、井上は1965年生)で出
版当時36歳ほどの、単に世間知らずで頭の悪いハンパな活動家か「研究者」あたりくらい
にしか思っていなかった。
また、この「補章」がなんで「第8章」ではなく「補章」という扱いなのか、そして目次
の中で戸田だけが再三唯一個人名を上げたネガティブな見出しになっているのか、について
もその異様性に全然気が付かなかった。
さらにうかつな事には、この井上がほぼ1年後に発行された「キツネ目のスパイ宮崎学」
の中で「★スパイ宮崎学をかばう信者の面々」として戸田を「公安スパイ宮崎学の信者」と
断罪し喜々として呼び捨てにしていたヤツと同一人物だったことすら認識していなかった。
「サイバーアクション」はいい本だから読みたいと思いつつも、実際に入手したのは発行
後何ヶ月か経ってから。補章の内容には憤慨したが反論準備にスタッフに全文入力させたの
も1年近く経ってからで、結局対抗措置を取る余裕がないままで時間が経過した。
「キツネ目のスパイ宮崎学」の方も実際に入手したのは発行後何ヶ月か経ってからで、
こちらはしょうもない本だと思ったので買うのが遅れたもの。
経過として重要な事を示すと、
A:若竹事件に絡んで戸田掲示板騒動が起こったのが、2000年の4月〜5月。
B:「サイバーアクション」の発行日は・・・・・・・2001年の7月20日
C:「キツネ目のスパイ宮崎学」の発行日は・・・・・2002年の7月25日
そして、もうひとつ重大な事が、
D:「宮崎学は公安スパイだ!」騒動が起こったのが、2001年4月〜10月
こうして見ると、「サイバーアクション」の発行の最終準備にかかっていたであろう2001
年6月7月はどういう時期であったのかを知っておく事が大事であることが分かる。
以下に「キツネ目のスパイ宮崎学」
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/51-4.htm
から「第1章 ドキュメント・宮崎学スパイ事件」(筆者はあの米沢泉美!)から宮崎問題の
経過を拾い、同書についても紹介していく
第1章の見出し(◎印)や記事(・印)などから (2001年当時の事)
4月◎「公安アンダーワールド」発刊 (宝島社)
5月◎インターネットでの「発覚」
・5月8日、アングラ系メルマガ「サイバッチ!」に「公安アンダーワールド」の
中の「超有名文化人」とは宮崎学だとの情報が掲載。
◎中核派による内々の追求
◎「参院立候補」の決意と策動
・宮崎は5月中旬に参院立候補を決意し、工作を開始する。
ネットで「宮崎学はスパイではないか」との追求が始まる。
6月・6/13に「突破者出馬せよ魅惑の勝手連」掲示板開設ー
◎「共産趣味者」たちのよる追求の開始と「宮崎信者」の登場
・インターネット上はまさに宮崎スパイ問題のるつぼと化したのだ。
◎6/27「弁明」で結束する「宮崎信者」
・6/30「電脳突破党」党大会。宮崎学、参院選立候補を正式表明。
・今現在に至るも宮崎を支持している大阪府門真市議戸田ひさよし、滋賀県志賀町
議砂川次郎らは、この宮崎の宣言に「男泣き」に泣いた、という。
7月◎惨敗した参院選
※本書の井上執筆部分にあるように、戸田が7/3に宮崎学断固支持表明を公表
■魔界転生の侠、宮崎学を断固支持し一味同心する!■
http://www.hige-toda.com/bbs1/tmp/01/tyoimaji-k7.htm
8月◎「9・2集会」をめぐる宮崎擁護派と「「共産趣味者」たちの闘い
◎「公安調査庁スパイ工作集」発売 (社会批評社より)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/46-8.htm
・この期に及んでも、多くの左派政治グループは宮崎問題の事実関係の理解すらな
し得ていなかったのである。
・17日、「公安調査庁スパイ工作集」の緊急発売が告知された。
・書籍の反響・影響は甚大だった。
◎中核派による全面自己批判
◎「9・2集会」への宮崎登場を許さない闘いの開始
9月〜11月
・9月も中旬に入ると、もはや宮崎がスパイであることは疑いようもない事実であ
ることが、運動圏にも広がりはじめた。
◎運動圏に対しての「糾察する会」の取り組み
◎全線線からの放逐へ
・11月を過ぎ、ようやく、宮崎問題の浸透が図られてきたのである。
・かくして、宮崎は運動圏のほぼ全戦線から放逐されるに至った。
●そして、この第1章「ドキュメント・宮崎学スパイ事件」の最後に、かの井上はるおによ
るコラム 、「★スパイ宮崎学をかばう信者の面々」が収納されているのだ!
第1章全40ページの中の35ページが米沢泉美、5ページが井上の文章になっている。
つまり米沢と井上は、宮崎学とその支持者は「公安スパイとその信者」であって、けし
からん!という同じ立場観点で闘って来た同志だったということだ。
で、宮崎学追求に奮闘した井上が戸田(と砂川クン)に対してどんな事を書いたかという
と、↓
スパイ事件が暴露されても宮崎学をかばう信者たちのロンリとリンリ。ここで批判す
る二人以外にも意外と運動圏に蔓延している!
■スパイ宮崎学をかばう信者の面々■ (同書43ページ〜47ページ)
井上はるお
◎門真市議戸田ひさよしの信者ぶり
・熱心な電脳突破党員であった戸田ひさよしの場合、宮崎がスパイと暴露されてからも
それを否定しつづけている。・・・これが「信者」といわれる所以だ。そしてその後は
スパイ行為を正当化しだした。
・戸田の73/文章■魔界転生の侠、宮崎学を断固支持し一味同心する!■を抜粋紹介
・後段の「絶大に面白い闘いの復権と展開に大きく寄与した」というくだりにいたって
は、寒気すらする。
・戸田のもうひとつの7/3文章、「左翼に根強い『公安強大史観』と清潔・分裂体質を評
する」を抜粋紹介して批判
◎砂川町議砂川次郎ノトンデモぶり
↑
戸田注;これは酷いミス!正しくは(滋賀県)「志賀町議」だ。よくこんな低レベル
の間違いをするものだ。
■■結論!(戸田は大胆に推断する)
1:2001年7/20発行の「サイバーアクション」に戸田への誹謗中傷満載の「補章」を付け
たのは、この時期に熾烈なつばぜり合いが行なわれていた「宮崎学スパイ断定・全運動か
らの追放闘争」を有利に運ぶ目的で、宮崎氏の支持者として左派ネット世界でも現実の左
派・市民運動世界でも著名な左翼現職議員の戸田の信用失墜を図ることだった!
2:井上はるおらの、「自らが正しいと思う目的実現のためならウソやデマでも平然と使って
恥じない」腐敗した感性によって、この「サイバーアクション」の「補章」が作成された。
3:社会批評社は、時期的に「宮崎学スパイ論」の世論形成に好都合との判断に傾いて、「サ
イバーアクション」の本来の趣旨構成からすればアンバランスでいかがわしい内容の井上
文章を補章に採用した。
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状況証拠(2001年)
5月 ネットで「宮崎学はスパイではないか」との追求が始まる。
6月 ・インターネット上はまさに宮崎スパイ問題のるつぼと化したのだ。
8月 ・この期に及んでも、多くの左派政治グループは宮崎問題の事実関係の理解す
らなし得ていなかったのである。
・17日、「公安調査庁スパイ工作集」の緊急発売が告知された。
1:つまり、2001年の6月前後は「宮崎学がスパイだ!」という認識を広げるための正念場
だった。社会批評社は追求側であり、8月に「公安調査庁スパイ工作集」を緊急発売する
が、広範な反響が見込める「サイバーアクション」発行はその直前だった。
2:また、当時宮崎学のHPは他と桁違いの圧倒的人気を誇っており、その支持者の戸田
HPは「自治体議員HPとしては断然日本一アクセス」の人気だったが、この両HPを「サ
イバーアクション」で肯定的に触れることは反宮崎宣伝にとってマイナスになる。
「サイバーアクション」では宮崎HPは全く論評せず、戸田HPは数々の先進面を無視
し、ウソ歪曲で否定的に描き上げ、信用失墜を図った。
3:宮崎追求の急先鋒のひとりだった米沢泉美は、「サイバーアクション」作成にも深く関わ
っている。(詳しくは別記)
そして補章作者の井上はるをは、02年発行の「キツネ目のスパイ宮崎学」で米沢泉美と
協同で第1章「ドキュメント・宮崎学スパイ事件」を作成し、その中のコラムで戸田を非
難した。
どうでしょうか、この推理は?
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