戸田の掲示板公表文章からの抜粋で至言の数々を以下に紹介する。
これを発表した2000年段階から7年めに入ろうとする2007年1月現在でも、その分析は少
しも色あせず、益々光を放っている、と戸田は考えている。
1:近年、若いヤツも含めてこの手のファシストかぶれや、差別自由主義者が増えておりま
す。(生の充実が奪われた腐った社会に於いては、革命勢力がだらしなけばこういう手合い
が増殖するのはモノの道理であり、根本的な解決は「腐った社会の革命」しかありません。)
最近、いくつかのHP見たら、まさにこういう手合いが怪気炎をあげまくっているのが
現実です。
2:差別拝外主義の嵐が吹き荒れる時、良心的市民派としてふつうに発言・行動すること自
体が闘いになることもまたモノの道理であり、「主観的には仕掛けられた騒動・迷惑」では
あっても、それを回避するための後退は、良心的市民派のポリシーの後退につながってし
まいます。
「生活の場からの差別拝外意識」と立ち向かって変えていく役割を与えられているもの
の少なくともひとつが、市民派・良心派市会議員だと言えるのではないでしょうか?
3:「なぜ、あの時代にあの無謀な侵略戦争に国民は反対しなかったのか」、問題の構造は一
緒です。
ただ、「あの時代」は権力がやりたい放題できたし、すぐ拷問もできたし戦争には勝って
いくし(日清・日露 ・日中・真珠湾・)
・・・それに比べれば今は圧倒的に安全で楽に社会運動できるんだから、ここでやらなけ
れば「あの時代の」国民よりもっと恥ずかしいことになります。
4:ああいうアホウども(ちんけなファシスト気取りと差別自由主義者どもをまとめてこう
呼んでおきます)は、怒りをもって叩きのめす姿勢で闘う、(こちらに余裕があって、個別
対応できる時は、「あなたなんでそんな歪んだ考えの人間になってしまったの?子どもの
時はそんなんじゃなかったでしょ。」と手をさしのべてあげてもいいけど・・)ことが必要
です。
ヤツらは、サンケイや週刊新潮・ゴー宣で描かれていることを鵜呑みにして、「サヨク」
や「人権派」「市民派」全体が、文句付けだけしている小市民的な弱々しいもので、脅迫や
テロにすぐ縮み上がってしまうもの、と思っており、だからこそいい気になって攻撃して
くるのです。
そうではない、ファシスト連中に煮えたぎる怒りを持って実際にケンカと戦闘のできる
左翼や市民派が存在することを、アホウどもに知らしめておかねばなりません。
そういう構えを持っていない限り、自由は圧殺されるし、人間愛や「優しさ」も守るこ
とはできないでしょう。
5:なにもみんながみんな、ケンカや戦闘をせよ、と言ってるわけではないのです。
絶対平和主義OK、キツイ言葉をいうこと自体イヤもOK、詩人OK、何でもOKだけ
れども、全体の構造を理解しておいてね、自分だけ安全地帯にいて必要事としてケンカ・
戦闘やっている部分の足引っ張りは、しないようにしましょうね、ということなのです。
こういう理解が弱いところが日本の社会運動の大きな弱点だと、戸田は考えています。
各国でのレジスタンス闘争、民族解放独立闘争の実際を思い浮かべて見て下さい。言論
活動、非暴力活動、文化運動、教育活動、などなど様々な分野での活動のひとつの分野と
して、これまた様々なレベルでの「実力行動」「直接行動」が包括されていたことが分かる
はずです。
6:礼儀の問題さえわきまえていれば、匿名・実名にはあまりこだわりませんが(戸田HP
の決まりを書いた戸田書き込みなど参照)、ストーカー的な書き込みオタクには、「あんた、
何して稼いでいるの?」などと聞いてやるのも面白いでしょうね。
親のすねかじりでグダグダ言うだけのヤツとか、根性なしサラリーマンかなんかで、職
場では上司の言いなりにヘコヘコして奴隷残業(サービス残業の本質)していて、闘う勇
気もないくせに(一人からでも労働組合は作れるし、相談に乗ってくれる所はいくらでも
ある)、パソコンに向かった時だけ夜郎自大になってエラソウな書き込みをしてるだけ、と
いう手合いが多いような気がします。
7:ハイハイ、いかにも2ちゃんねる「論客」らしい書き込みですね。
自立した生活もせずに、生活の中での理不尽さと闘いもせずに、「パソコンに向かった時だ
け夜郎自大に書きまくる」ある種の人達への批判を述べたまでで、「自立した生活をしてい
ない」こと自体や、「生活の中での闘いができていない」こと自体を非難しているわけでは
ないことぐらい分かりませんか?
「奴隷的状況にあっても闘いに立ち上がれない状況にあるひとがゴマンといる」ことなど
先刻承知のこと。
闘いに立ち上げれる環境やきっかけをどう作っていくのかが活動家の役割であることも
ジョーシキでしょ。
まあ、苦難にあえぐ人には手を差しのべても、「闘えない理由」ばかり振りかざしてさっ
さと帰宅してパソコンで別人閣に変身するだけの人は後回しにするのも当然です。
8:自分は絶対安全圏に身を隠しながら、他人攻撃を図ろうとする卑怯者であること。
「自分は弱い私人だから正体を明らかにしなくていいんだ」という卑小な自己正当化を図
りながら、他人攻撃を行うのみ。そこには言論のために勇気を発揮することもなければ、
民としての矜持もない。
9:書いている文書を一読すれば分かる通り、現実社会の中で自分のことであれ他人のこと
であれ、人権問題・労働問題ほか社会問題で闘ったこともなく、闘おうとも思っていない
連中が、能書きばかりを発達させているにすぎないこと。
労働争議はもちろん趣味のサークルやコミュニティ活動など、何か社会的活動をしてそ
の中で葛藤している人間ではないだろう。
10:「暴君の兵は暴君よりも暴なり」であって、自分の人権が阻害されている根元に立ち向
かわずに、パソコン世界でだけ攻撃欲をイビツに発散していることが窺われる。生活現場
においてコンジョなしのくせに、パソコン世界でだけ戦士というわけだ。
11:「生活の場で闘えない事情」を抱えている庶民は無数にいるが、それ自体をコンジョな
し、と言うのではない。パソコン世界では戦士ぶるくせに現実生活に於いて闘わない自己
を限りなく正当化する精神のありようを「コンジョなし」と戸田は呼ぶのだ。
12:人権や民主主義の実現のために闘う気も、その侵害に対して闘う気も持っていない彼ら
が「議員のくせに市民の声に答えないのか」、と言うときの「市民」の内実は政治家へのタ
カリ意識でしかない。
「票を持っているオレに便宜を図れ、利権を回せ」というのがそんじょそこらのタカリ
意識であるならば、「ネット世界でのオレの要求に応えて、オレの自己顕示欲を満足させ
ろ」というのが、ネット住民のタカリ意識である。
戸田はこんなタカリ意識の連中の言動を指して「市民ブリッ子」と呼ぶのである。
13:吐いたツバは飲み込めないのだ。文書で他人を攻撃するのならばそれなりの責任が伴う
のが当然である。「私人だから」という逃げ口上は許されない。
従ってタチの悪い書き込み屋については、書き込み禁止とデータ公開の処分を発動する
と共に、将来に於いてもやったこと相応の責任を取らせる権利を留保するものであること
を明言しておく。
14:非常にキツイ言い方をしているので、これでは「優しさ系の戸田ファン」が消滅してし
まう寂しさもあるのだが、これから市民派議員のHPが増加し掲示板の発展を図って行く
にあたって、最も妨害要因となるものを先制的に粉砕排撃していこうという、戸田の戦略
に沿った展開であることをここに明らかにしておこう。
15:実名を求めない代わりに「何で稼いでいるのか、どんな仕事や社会的活動をしているの
か」などを問いただすことがある。
自分は隠れまくってパソコンで他人攻撃をして喜ぶだけのコンジョなしにはここでの参
加資格がないことを知れ。
ここは民主主義や人権のために闘う気もないくせに能書きだけ垂れる場所ではない。
ま、こんなとこかな。これらの文言は結構使えると思うよ。
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◎「戸田の至言」にこれも追加しときましょう 戸田 - 07/1/5(金) 7:15 -
16:日本では意図的に報道されていませんが(そして文化人達も意図的に知らせてこなかっ
た)、例えばドイツなんかでは「アンティファ」と呼ばれる意識的・戦闘的なファシスト粉
砕の活動がずっと続いているそうです。
(ドイツ・アウトノーメ運動の紹介文献などに詳しい)
ネオナチの拠点を襲撃したり、数千の暴動的デモを起こしたり、肉体的衝突をもバンバ
ンやってきました。パンク青年やアパート占拠・共同体運動の人々も積極的に参加してき
ました。
こういう運動があるからこそ、ネオナチの台頭も「あの程度で」済んでいるのです。
(こういう左右対立のためにネオナチが暴力化したのではありませんので、お間違えのな
いように・・・)
17:それから、私ヒゲ-戸田は何と言っても現職の議員さんですから、もちろん「弁舌の徒」
・非暴力活動に徹する者です。(ホント、ホント)
ただ、英語圏の言葉で「非暴力直接行動」というものがあり、これなんかとても収まり
がいいなあ、とも思っております。
18:匿名か実名かは決定的な問題ではありません。礼儀の問題です。
匿名(ペンネーム)でないと書けない、書きにくいということがあることは重々理解し
ます。戸田は匿名だから中身を信頼しない、ということはありません。
ただ、実名とは格差を付けて取り扱うのは当然のこととご了承下さい。匿名か実名かよ
り、戸田への賛否より、この掲示板で大事なことは、このHP・掲示板の戸田ルールの範
囲内でやってくれるかどうか、ということです。
(自己顕示欲ばかりギラつかせるのでない限り、簡単なことのはずですけど・・)
サイテーなのは、議会・市政刷新の多忙な活動の中でHP運営をやっている戸田に対し
て、匿名で「あれを答えろ、これを答えろ」と突きつけてくる連中です。
人に何かを求めるときの最低限の礼儀を知らない、と言われて当然のこういう連中に何
かを与える義務もつもりはありません。
19:「まじめな異論」を装いながら、手紙もメール・FAXも寄こさない卑劣屋達
要するに、キーボード叩く以外の労力は一切やろうとせず、あくまで安全圏にいたまま
で、自分の書き込みがHPに載ることに悦楽を覚える、という怠惰な卑劣漢だということ
です。
ハエがたかるような勢いで、「一見まじめな異論」(低レベルのものもあるけど)を寄せ
ている「書き込み屋」の面々。しかしこの間この手の連中からのメール・FAX・手紙 は
ひとつも寄せられていない、というのが事実。
「書き込み削除措置」に対してホントに「戸田の意見に異論有り!」、「戸田にこのことは
分からせたい!」という熱意があれば、当然寄せられるべきものが全く来ていない。
メールはアドレスがばれてイヤだとしても、FAXなら自宅以外からも可能だし、手紙
なら全くの匿名で出すことができる。
せいぜい消印で出した地方が分かるだけだ。自分が書き込んだ文書を印刷して送ればい
いだけではないか。
ホントに戸田に自分の持つ異論をぶつけることよりも、戸田のHPで自分の文書が公開
されることだけが大事なのである。しかもあくまで陰に隠れて・・・・
20:投稿=即公開システムを戸田があえて継続している理由を読者にも・・・
・・・ぜひ考えておいてもらいたい。この手の卑劣屋書き込みに対抗する最も簡単なやり
方は、さざなみ通信がやっているような、「管理人への投稿」―「管理人の選択の後HPへ
の公開」というシステムにすることであることは分かり切っているのに、なぜ戸田はそう
しないであえて「気に入らない書き込み削除した」、とマイナスイメージの宣伝が行われる
不利をかぶってまで、こんなめんどくさい闘いをしているのか・・・・・
それは戸田自身が、あちこちでHPに書き込む楽しみを知っているからです。やっぱり
自分の書いた文章が投稿即でそのHP画面に載る方が喜びが大きいものね。「汝の欲せざ
るところ人に施す事勿れ」というのが信条である戸田としては、自分がうれしいことは人
にも味わってもらいたいとも思うのです。
だから不利をかぶっても、今のシステムを続けたいと考えて労力を払っています。読者
のみなさんはどう考えますか?
21:要するに「石原批判」であれ何であれ、市会議員がその市のワクよりも広い問題につい
て発言・行動したら、こういう匿名の質問攻撃をして、それに答えないのは不誠実だ、と
いう宣伝をしてやるぞ、という恫喝攻撃なのである。
特にHP・掲示板を開いている普通程度の議員ならば、こういう攻撃をよそで見れば「ヤ
バそうなことは言わんとこ」と萎縮してしまうのが明白だろう。
卑劣屋連中の狙うところ、もたらすところはそこにある。
だから「普通」程度を超えた「懲罰・問責・辞職勧告・怪文書の4冠王議員」の戸田が
この卑劣屋粉砕の闘いの先端を買って出ているのである。なんせ「無所属・カゲキ派議員」
(笑)ですから・・・
22:昨今の卑劣屋の最大の特徴は、一見「理性的市民」を装っていること。
(それができない低レベルのヤツもいるけれども)
議員のHPでは罵詈雑言を言わない代わりに、2チャンネルなど中の自分らの巣窟HP
では罵詈雑言を思いっきりぶちまけている。
(2チャンネル全体が、などとは戸田はもともと思っていない)
23:卑劣屋達の妨害に毅然たる対応をとれなければ、攻撃のタネになりそうな事には触れな
いでおこうとする萎縮が進んでしまうだろう。
「日の丸・君が代の押しつけに反対する」、ということなどが攻撃対象になっていくこと
が十分予想される。
まあ他の市民派の皆さんは、戸田が荒々しいやり方で進めたことをソフトに上手にこな
していかれることと思います。
24:「言論の圧殺」などという言葉は、自分が身銭を切って発する言論が抑圧されたり(例
えばビラや自分のHP)、公平に言論が保証されるべき場でそれが保証されなかったりする
ときに言う言葉であって、新聞に投書しても採用されなかったから言論圧殺だ、と声高に
騒ぐのがおかしいのと同じように、人様のHPに書き込みしたのに消されたから言論圧殺
だと文句つけるなど甘ったれ以外の何物でもない。
HPならなんでも書き残せると思う方がおかしいのである。
ラジオで自分の投書を読んでもらおうとしたら、その番組の芸風やタレントのことを何
も考えずに投書はしないだろう。
抗議や異議申し立ての投書をするのはもちろん自由だが、それが番組の中で取り上げら
れなかったからと言って、「言論圧殺だ」とは言わないだろう。
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