糾弾1:戸田の画期的新手法開発等、ネット世界の重要事を全て隠蔽した犯罪性(上) 戸田 - 07/1/4(木) 13:05

 井上が行なった最も重大な犯罪性とは、戸田についてウソを書いたとか誹謗中傷したとか
言うだけでなく、2001年4月に戸田HP掲示板に起こった事件を通して画期的かつ先進的な
状況分析と手法によって「掲示板の自由の防衛」が図られたにも拘わらず、その重大性を全
て隠蔽して、これを単なる「掲示板管理者と投稿者の対立、管理者の暴言と過剰反応による
行き過ぎた削除事件」としてねじ曲げて描き上げた事である。

 つまり最も先進的で先鋭的な事件をありきたりな凡百のトラブルに矮小化した事だ。

 この矮小化によって、戸田の掲示板を注意深く見ていた一部の人以外はこの事件によって
生まれた「新生事物」に全く気づくことなく(四トロ同窓会やマル共連のネット先進分子達
も!)、ネット右翼・荒らしの跳梁跋扈を許し、これに萎縮して、ネットの健全な発展に大き
な遅れを取ってしまったのである。
 そういう意味で、井上の犯罪性は実に重大であり、またこれを見過ごし、あるいは容認し
た「サイバーアクション」制作者達の責任もまた重大である。
 (戸田憎悪に凝り固まった米沢みたいなヤツはどうしようもないだろうが、それ以外の人
  達、社会批評社の小西さん達はこの点をよく考えて欲しい)

 戸田HP記録においては、
   ☆ '2000-4月なんでも掲示板 記録 ☆
         http://www.hige-toda.com/bbs1/tmp/00/keijiban4.htm
   ☆ '2000-5月なんでも掲示板 記録 ☆
         http://www.hige-toda.com/bbs1/tmp/00/keijiban5.htm
   ★掲示板利用のルール★
        http://www.hige-toda.com/____1/index_keijiban_ru-ru.htm
   ★「自由・論争掲示板」への書き込みルール
    ★毒花も含めて百花斉放、然るのち整風。 戸田掲示板の第3期転換を開始する!★
        http://www.hige-toda.com/____1/keijibanru-ru/keikoku.htm
を読むことは事件の理解の上で必須なので精読されたい。
 それでは井上が隠蔽した重大性を以下に列挙する。

1:ネットウヨ跋扈の言論潰し攻撃への危機感微弱でも怒りもなく、それを跳ね返す具体策
 も自分の闘いも無い井上。

  ここの部分は詳しくは別途展開するが、基本だけ押さえておくと、事件が起こった2000
 年4月は、戸田や石原が初当選した99年統一地方選挙の翌年で、石原は「300万票超」
 得票の「石原人気」を背景に極右・差別丸出しの発言し放題。
  戦後民主主義の種々のまともな意識を「自虐反日史観」・「人権屋」等と罵り差別を煽る
 いわゆるネットウヨどもが力を増し、「2ちゃんねる」が大きな威力を発揮し、左派・人権
 派・護憲派・市民派(以下ではこれらをまとめて「革新陣営」とも呼ぶ事にする)のHP
 掲示板に対して執拗悪質な攻撃が展開され、閉鎖や解説断念となる所が続出、革新陣営の
 ネット言論萎縮の風潮は覆いがたい状況だった。

  この萎縮閉塞状況とどう闘いどう跳ね返すかが、革新陣営に真剣に問われていた。
  しかし井上はこの状況の表面をなぞるだけで真剣な怒りも危機感もなく、「右翼ファシ
 ストの街頭への大量進出はまだまだのことであろう。」と、「多くの掲示板荒らしと右派
 『論客』による攻撃と闘わざるをえない状況に追い込まれた」けれどもその闘争から尻尾
 を巻いて逃亡した自らを慰め、そういった自分のヘタレと対照的な先進事例を隠蔽する事
 で自己正当化を図ったのである。事実を見ればそうとしか思えない。

  掲示板荒らしの手法は2000年段階で既に高度化しており、単純な罵倒だけではなく、
 一見「理性的市民」を装ってネチネチと「○○に答えて下さいよ」と執拗に繰り返したり、
 「一見理性的な」書き込みでカモフラージュしつつ誹謗中傷書き込み満載の2チャンネル
 のアドレスを貼り付けてリンクできるようにしたり、などの手法が展開されている。
  2001年には反創価学会を掲げて決起していた白川勝彦元議員の掲示板が自由投稿制か
 ら会員登録制に変えざるを得なくさせられた。
 
  こうした状況に全国のネット活用(志望)議員のほとんどを震え上がり、HP掲示板開
 設の見送り、既設の所は会員制に移行、ネット言論の自粛に雪崩を打ったのである。
  ネットウヨの跋扈はさらに強まり、「小泉フィーバー」や2004年のイラク日本人人質へ
 の大バッシングなどにつながっていくのである。
  こういう過程の2001年にあのような記述を本に書く井上の投稿主義と犯罪性よ!

2:この萎縮閉塞状況を戸田が画期的な方針・基準・手法で打破した事を全く隠蔽した井上

  00年4/20から20日間ほどの対荒らし闘争の中で戸田が編み出して荒らし共を実際に撃
 退し、5/19「掲示板ルール」と6/22「自由・論争掲示板ルール」制定を以て確立した「戸
 田の掲示板テーゼ」ほどユニークで実効的なものは、議員HPでは無論、他のHPでも未
 だかつて存在しない。
  なお、この「議員のHP掲示板」という点は非常に重大であって、議員はその職責上、
 「公的問題への発言をしたり、求められたりする」事が常であって、そこから「市民の疑問
 に答えてよ〜」と掲示板で迫られる事が多く、議員として種々の待った無しの業務を抱える
 中で(市町村議員の大半は経済的にスタッフを雇えない)、それをどう捌くかで議員として
 の資質を値踏みされてしまう、あまり強硬姿勢をとる事もし辛い、等々のある種の「弱み」
 を持っているからである。 

  さて、「戸田テーゼ」の要点は、
 A:いわば「暴力の臭い」をプンプンさせる程に、「悪質な荒らし犯罪者に対する個人制裁
  の実施」(=「自己責任」を取らせる)を強く宣言した。
   00年当時新設の「自由論争掲示板」は今は読めないが、そこには「悪質分子は時間が
  かかっても捜し出して職場や自宅周辺にビラをまき、無慈悲に『死ぬほど後悔する思い』
  を味あわせてやるよ」というような事を書いている。

   ここまで断言するのは、戸田が
  「ヤツらは、・・・サヨクや人権派・市民派全体が小市民的な弱々しいもので、すぐ縮み
  上がってしまうもの、と思っており、だからこそいい気になって攻撃してくるのです。
   ・・・そうではない、ファシスト連中に煮えたぎる怒りを持って実際にケンカと戦闘
  のできる左翼や市民派が存在することを、アホウどもに知らしめておかねばなりません。
  そういう構えを持っていない限り、自由は圧殺されるし、人間愛や『優しさ』も守るこ
  とはできないでしょう。 (若竹さんへのメール00年4/21)
     http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=806;id=01
  という透徹した認識を持っていたからである。 

   戸田の経歴や交友からしてこの宣告は十分に実行可能性を帯びたものと捉えられたが
  故に(ここまで言い切れる議員は他にはいない!)、女性市民派議員など「優しさ系議員」
  とは違って戸田への荒らしはあの程度に留まったのだ。それは現在に至るも続いている。

2:しつこい質問者には言論実行の決意性を問うた。具体的には年代・地域・体験・職業身
 分等の概要を逆質問し、回答無しは「コンジョ無し」として追放(投稿禁止)処分とした。

  これが戸田が開発した最も画期的な掲示板運営手法である。
 しかも注意して欲しいのは、井上の歪曲とは全然違って、戸田は「匿名は無責任」との立
 場は取らず、実名・実職業などの公表も求めず、大まかな年代、社会体験、業種や身分(学
 生か否かなど)、そのような考えに至った経緯などを問うだけなのだ。
 
  何にも個人情報は求めないが、その人間の背景を公開的に分析し、本人にも自省させる
 という効果がある。これにまじめに回答する人間とは、例えゴリゴリの右翼であっても掲
 示板での対話は継続する。共産党議員みたいに「反共主義だから・非建設的意見だから対
 話拒否」=削除とは決してしない。
  
  この方式の面白い所は、この程度の大まかな質問であるにも拘わらず、タカリ屋(荒ら
 し)のほとんど全てが恨み言を述べながらボロボロと退散していくことである。つまり、
 自省や判断根拠背景の公開に耐えられず、体を張った言論をする決意もないコンジョ無し
 であることがものの見事に露呈したのである。

  なお、戸田は排除や削除をするにあたっても手順を踏み、警告を出し、一定部分は「実
 例」として保存した上で行なっている。そこも他の掲示板とは大いに違う所だ。
(その後のデータ消失事故で▲現在までの<@追放処分者の名前とデータ>も消失したが)

3:「2ちゃんねる」関係者大多数の良識性と一部「荒らし」の超ヘタレぶりの実態

  00年若竹問題で「『2ちゃんねる』は怖い!」という恐怖心が革新陣営ほかに一挙に広
 がったが、そこには「冷静な分析のない過剰な恐怖心」も含まれていた。
  「荒らし被害」にあった戸田がこういう事を言うと意外に思われるかもしれないが、数
 字が現実を雄弁に語っている。すなわち、

 A:当時の掲示板へのアクセス数を見ると、従来1日100程度だったものが、4/24には
  300を越え、4/26には1256、その後は連日1500前後にも急増した。
   しかし、圧倒的多数は読むだけであり、戸田攻撃意図を持った荒らし書き込みをする
  人間はハンドルネームで数えて(1人2役もあり得る)たったの10数人程度に過ぎな
  かった。1日にすれば多くて数名程度。
   「2ちゃんねる」に出入りしている人、若竹問題で戸田掲示板に関心を持った人の圧
  倒的多数は良識的な人だった事がこの数字が示している。

 B:その中のたった10数人程度の「荒らし」共は、戸田が事務所FAX・電話番号のみな
  らず自宅の電話番号まで掲示板で公開して「夜中の1時まではOKだから電話してこい」
  と呼びかける事までしたにも拘わらず、この手の連中からのメール・FAX・手紙はひ
  とつも寄せられなかった。
   メールはアドレスがばれてイヤだとしても、FAXなら自宅以外からも可能だし、手
  紙なら全くの匿名で出すことができる。それでも何も寄こさないのである。
   
   表面上はイキがって見せるコイツらが如何に恐れるに足らないヘタレでコンジョ無し
  であるか、この事実が雄弁に物語っている。ま、相手が戸田だ、という事は大きいけど。

 C:以上の事は00年当時の戸田掲示板を見ればすぐ分かることばかりだ。しかし、ウソ
  書きの井上はるおが01年に「補章」を書く時にこれらを全く隠蔽したために、補章を
  鵜呑みにした読者達(これはこれで情けない人達だが)にはこういった事実は全く伝え
  られなかったのである。
   その結果として「『2ちゃんねる』は怖い!」という恐怖心のみが今に至るも継続して
  いるのだ。 
         (続く)