4)議論の前提を共有しよう 草加耕助 - 07/1/27(土) 15:57

4)議論の前提を共有しよう

議論というのはある程度の前提を共有していないと成立しません。
その前提がない場合は、「お互いの意見の表明」にしかならない。
掲示板というのは、言葉の本来の意味での「議論」には存外不向きなもんだと思います。

この場合の前提とは何でしょう?それは

「荒しにきたネットウヨのほうが悪い」

ということです。とりわけまっぺんさんはこの前提を共有されておられますか?
そこから荒し行為の被害者はいかに対応すべきであるかという、経験や意見の交換が議論として成立します。もし、この前提を共有されていないのであれば、さっぱり「議論」がかみ合わずに、傍から見ていてわけがわからないものになります。

もし、この前提を共有されていないのであれば、まず以下のレベルから議論して下さい。
「被害者は戸田さんらか?それとも削除されたネットウヨなのか?」

この点について言いますと、ネットウヨというのは「反・反体制」、であり、「反体制には何でも反対」ですから、その「ネット上の実践活動」というのは、要するに左派をはじめとした民間のネット言論を潰してまわることが”目的”なのです。つまりは彼らのほうが言論弾圧を行っているのであって、削除したほうではありません。それが彼らの「正義」なのです。

これは極めて目的意識的に行われています。
たとえば政治的には無色透明で、単に自分の純粋素朴な正義感がどこでも通用すると思って、ブログを書き始めた人がいるとします。すると、それへの共感の書き込みよりも早く、こういうネットウヨからの罵倒や詰問の書き込みが山ほど入るのです。これで無垢な素人さんはショックを受けていっきに萎えてしまいます。

ウトロの掲示板などは、管理人が不在で放置していたがために、逆に「反ウトロ」「ウトロの運動を罵倒するための掲示板」になってしまいました。初めて訪れた人がうっかりと「ウトロの皆さん頑張ってください」などと書き込もうものなら、まさにライオンの檻に飛び込んだ兎状態。さんざんな罵倒を浴びせられます。

ブログ時代に入ってからは、今度は掲示板よりもブログが狙われるようになりました。こちらは一人で社会人ですから、ブログにさける時間など、たかがしれています。しかし向こうは大勢です。なかには暇をもてあましているような人もいるでしょう。善意のブロガーさんなど、一つ一つの詰問に延々と回答し続けて、いつまでも終わらずに引きずり回されるという事例が多いのです。そしてそれこそが彼らの目的なのです。

「ネット上の論争は暇なほうが勝つ」というのは鉄則です。「1日2時間さける1人」対「1日1時間さける5人」では、2対5で5人の勝ちです。また、「3人寄れば文殊の知恵」と言います。よっぽど力の差がなければ、論争では人数の多いほうが圧倒的に有利です。しかもネットウヨは主張の正しさとは全然関係なく、とにかくその場において論争に勝ったように見せる手段に熟知しており、そのような経験が2ちゃんねるなどで吟味されて伝承されています。

もともとブログというのは、自分の楽しみのためにはじめるものなのです。これでは全然楽しくありません。「もうやめた」となります。

こういう時代に突入してしまった今、●誰でもできる●対処法として、ブロガーを中心に削除派が優勢になるのは当然の流れです。