使い方も知らずルールを振りまわす独裁者 まっぺん
■管理者には独裁的権限がある。しかし…

 元来、掲示板はその管理者が「独裁的権限」を有するものであって、管理者がどんなルールを設定しようとも自由である。例えば「左翼以外は投稿禁止」であってもよいし、「男以外は投稿禁止」でも「ねずみ年生まれ以外は投稿禁止」でも、どんなルールでも管理者は設定自由なのである。そして、そのルールは掲示板上においてすべての投稿者を束縛するのである。しかし、管理者であろうとも厳守しなければならない「ルール」がルールを設定する際に発生する。それは「ルールでなければならない」というルールである。「ルールでなければならない」とはどういう事か?

■ルールとは「法律」「規則」である

 ルールとは何か? それは、条件を設定して掲示板上に許可した投稿者に対しては「全ての人に等しくかけられなければならない」という「法律」であり「規則」であるという事である。野球に例えれば、バッターはストライク三回でアウトが「ルール」と決められている。それなのに、もしもワンアウト満塁でイチローが登場した時に、「イチローだけはストライク2本でアウトにする」などと言い出したら試合は成り立たない。戸田氏は「ルールを自分勝手に決められる」と思い込んでいるが、そのルールはまさに「等しくかけられるからルールなのである」という事に気づいていないのである。戸田氏が設定した「まっぺん専用ルール」はそれ自身「ルール」ではなく、ただの独裁的で単独の「命令」であるにすぎない。まっぺんはそれでも最初はその「命令」に従った。しかし戸田氏は自分の都合によって、更に勝手なヘリクツを付けて「命令」をエスカレートさせたのである。まっぺんはどんな掲示板にでも「ルールに従って投稿する」意志は持っているが、身勝手な「命令」に従う謂われはない。

■ルールは管理者にも適用される

 もうひとつ戸田氏が気づいていない事がある。管理者は一般的に、「管理者」であると同時に「投稿者」でもある。したがって管理者でさえも、「投稿者」として投稿する時には、自分が決めたルールに従わなくてはならないのである。つまり「管理者」としての自分と、その管理方針に従って「一投稿者」として投稿する自分とは、分けて考えなくてはならないのである。戸田氏にはそれが分かっていない。つねに管理者は万能であって、「投稿する行為」も含めて特権的地位を持っている、と思っている。よろしい。そういう規則も「アリ」としよう。しかし、その場合には、他の投稿者とは初めから対等な立場ではない事になる。したがって「討論」は成り立たない。討論が成立するためには互いに同等の発言権が保証される事が必要だからである。戸田氏がそのような立場を取るなら「自由・論争」掲示板にはウソがある事になる。自由でもなく、論争も成立しないからである。従って「戸田掲示板」では、議論の内容が客観的に判断される事は決してない。「戸田が正しいと判断するか、しないか」だけが基準なのである。

■掲示板は小さな「国家」である

 管理人にとって掲示板管理の面白さはいろいろあるが、管理人が投稿者全体を管理し、よりよい環境で自由な議論や対話ができるようにする事で、その掲示板に持ち込まれる新鮮な話題や先進的な議論を投稿者、読者が共有する事によって得られる「共同体」意識の醸成もそのひとつであろう。そうした観点からみれば、掲示板は、管理人を統治者とする「小さな国家」なのである。そうした観点から見て、戸田氏の掲示板には魅力がない。透徹したルールが存在するわけではなく、管理人がその都度その都度、自分の都合に従って変則的な「ルール」をその場でこしらえて、邪魔者排除の口実とするだけだからである。北朝鮮でさえも「法律」は存在し、建前上は「全国民に等しく」適用される(もちろん事実上は違うが)。しかし戸田掲示板においては「タテマエ」においてさえ、何の理念も基準もない。ただ自己中心的な「命令」至上主義だけが幅を利かせているのである。こうした掲示板管理のやり方を見ただけで、戸田氏の「統治能力」というものが知れる。掲示板ですらこうである。市議会において彼はどんな市政のビジョンを持っているのだろうか? 政治家としての資質、能力に疑問を持たざるを得ない。

■掲示板はスタンドアローンではない

 もうひとつ、戸田氏がインターネットについてまだ認識に欠けている事がある。戸田氏はまっぺんを排除し、お互いにお互いの掲示板に立ち入らない事で、今回のまっぺんとの論争に解決がついたと思い込んでいる。しかし、国家が一国家だけで成立せず、国際社会の中にあって存在し得るのと同じように、掲示板も、他の多くの掲示板や、それらを回遊するたくさんのネットワーカーたちの横のつながりの上にあって、初めて意味を成すのである。例えば、ある掲示板のアクセス数が増加したとすれば、そこで興味深い話題が提供されているからであるが、それはどうやって人々に伝わるのか? 誰かがどこかの掲示板やメーリングリストに伝えるからである。一昨年の「管制塔戦士救援カンパ」運動において、我々は、ひとつの掲示板から次々といくつもの掲示板に情報が伝播してゆき、運動が拡大していく有り様を眼のあたりにした。今回の戸田さんの「屋上屋を重ねる」恥の上塗り文書に、私はさらに戸田さんの醜態を拡大するのに、充分貢献したと自負する。それはきっと多くのネットワーカーの興味の的となった事だろう。また、掲示板を互いに遮断しても、議論された内容は普遍的意味を持つ。戸田氏が問題ある発言を繰り返し、社会批評社を初め、多くの良識ある人々を侮辱し、差別的言辞を撒き散らした事実は消えない。