反論18 「あとがき」について/双方向な対話を拒否してきたのは戸田さんである まっぺん

「あとがき」について/双方向な対話を拒否してきたのは戸田さんである

●補章=陰謀論を妄想する「戸田推理」は穴だらけの「トンだ推理」

 戸田さんは、得意の妄想を展開し、「あとがき」を提示したあと「ここから分かることは」として次のように「推理」する。

>1:「まえがき」の例から見ても、このあとがきは実際に7/3に完成した可能性が高い。
> つまり、戸田の宮崎断固支持表明が公表された時期と同一である。

 はあ? 戸田さんが「推理」しなくても「あとがき」の最後に「二〇〇一年七月三日」と書いてあるのだが? 戸田さんは、初めから分かっていながら、まるで自分が推理したかのように「7/3に完成した可能性が高い」などとしらばっくれて言うのだろうか。

>2:とすれば、この時期に宮崎―戸田潰しの宣伝戦の一環として当初の本構想には無かっ
> たウソ書き「補章」が新たに構想され、急遽作文され、本体に追加された可能性がある。

>3:当初は6人の共著として企画されたが2001年春の段階で執筆の辞退があいつぎ、いっ
> たんは出版そのものが危ぶまれた事、三月の時点で出版企画を練り直して四人の共著とし
> て再出発することとなった事、が分かる。
>  ・・・「三月の時点で出版企画練り直し」では「補章」という構想は無かったのではな
> いか? またその内容は今と同じだったのか?

 「戸田の宮崎支持表明と同じ日にあとがきが書かれた」事がなぜ「補章」の陰謀になるのか? まるでわからない。「補章部分はあとから追加されたものだ」という戸田さんの「推理」が事実ではないという事は、すでにいずみさんの証言で明らかであるが、例え事実であったとしても、それだけでは戸田さんの「宮崎・戸田潰しの宣伝戦の一環」という推理を証明することにはならない。「証拠」が不足している。

●戸田さんの推理が成立するには「証拠」があと二つ必要である

(1)第一に、「戸田さんを潰すことが宮崎への大きな打撃になる」と当時の反宮崎派が認識していた証拠が必要である。戸田さんの「推理」に従うならば、宮崎への「打撃」はささやかなものであるはずがないからである。何しろ四人の著者が共同で本一冊を出すのである。それを出して戸田さんが非難されれば、それが宮崎にとってかなり大きな打撃になると、戸田さんは主張しているのである。はたして戸田さんは、当時そんな「すごい影響力」を宮崎の周囲に与えていたのだろうか? いや、少なくとも反宮崎派ネットワーカーは戸田さんをそのように見ていたのであろうか?
 そこで、当時の四トロ同窓会過去ログや、インターネット上での情報などを探してみたが、当時(7月半ばころまで)、スパイ宮崎に関連した話題の中に、戸田さんの名前はほとんど出てこないのである。戸田さんは、宮崎に危機的影響を与えるどころか、反宮崎派からは、まだほとんど相手にされてはいなかったのだ。戸田さんは、自分を「宮崎に影響力のある大物」と思っているのかもしれないが、それは誇大妄想というものである。そんな人のためにわざわざ本でアピールする必要がどこにあるだろうか?

(2)第二に、戸田さんが「宮崎断固支持」宣言を出したあと、もしも戸田さんの動向が宮崎に影響を与えるほどに大きいと周囲が判断していたなら、当然、「CA」などの出版物だけではなく、戸田さんへの激しい非難の嵐がインターネット上で吹き荒れていなければおかしい。なぜならば、本や活字媒体より以上に「ネットの影響力」を認識し、それを本にした面々が、「本拠地」のネット上で戸田さんを攻撃しないわけがないからである。出版活動を何倍も上回る行動がネット上で展開されて当然である。まさしくそれこそ「サイバーアクション」ではないか。
 では戸田さん。戸田さんが「断固支持」宣言をした7月3日のあと、どのくらい激しい「サイバーアクション」が戸田さんに向けられたのだろうか? ぜひ教えてほしいものである。「四トロ同窓会二次会」掲示板過去ログを見てみたが、7月にはまだ宮崎疑惑の話題はほとんどない。むしろ8月に入って9・2日比谷野音集会の情報が伝わってから、話題が沸騰していく。そして戸田さんは8月10日に掲示板に登場しているが、それほど激しい非難は向けられておらず、いずみさんもいたって穏やかに話しかけている。むしろ、その時に激しく非難されていたのは「電人M」こと國貞氏であったのである。
http://www.redmole.info/log/2001/2001-08c.html

●双方向的対話を一番拒否してきたのが自分である事に気づかないのか!

>4:「本は著者から読者への一方的な情報発信、お説教のたれながしではなく読者との双方
> 向的な対話のとっかかりであるべき」「社会批評社のホームページで読者の意見、疑問、
> 批判を反映し、書き手と読み手の対話を継続していきたい。」
>  ・・・その心意気やよしっ!
> 戸田の意見提示が遅れて6年越しになってしまったが、ぜひ戸田という「書かれた当事者」
> との「対話を継続し」、「意見、疑問、批判を反映し」てもらいたいものだ。

 「CA」補章で井上氏が書いているのは、7年前の戸田掲示板において「実際にあった事件」である。それは戸田さんが、相手のまともな投稿を「自分への反対意見である」という理由だけで「オタク蝿」「ウヨチュー」「コンジョなし」「上司にヘコヘコ」「すねかじり」など、偏見と差別意識丸出しの罵詈雑言を投げつけて排除していった事件であった。戸田さんは、この事件を自己正当化する手段として、唯一「彼らは敵対者だ」という観点からのみ、排除したのである。
 双方向とは、敵対者に対しても開かれていなければならないのである。思想・信条において全く相反するものであろうとも、「言論には言論で」対抗する事が前提とされて初めて、「双方向的対話」は成立するのである。その前提さえ拒否する人物に「双方向的対話」を要求する資格があると思うのか? 「まず自分から」双方向的な対話を全ての投稿者に対して始める事が求められている。