反論1 自分を客観的に観る事のできない自己陶酔者には諫言はとどかない まっぺん |
●井上氏に対する卑劣なデマとウソつき呼ばわり まず戸田さんは、ここで、「2001年4月に戸田HP掲示板に起こった事件を通して画期的かつ先進的な状況分析と手法によって『掲示板の自由の防衛』が図られたにも拘わらず、その重大性を全て隠蔽して、これを単なる「掲示板管理者と投稿者の対立、管理者の暴言と過剰反応による行き過ぎた削除事件」としてねじ曲げて描き上げた」と言う。つまり、自分のやり方は「画期的方法」である、というわけだ。それはどんな方法だろうか? その前にまず井上批判が続く。 >ネットウヨ跋扈の言論潰し攻撃への危機感微弱でも怒りもなく、 と戸田さんは言う。この言葉を裏付けるどんな証拠があるだろうか? 冗談ではない。私はむしろ井上氏のネットウヨに対する危機感、怒り、そしてそれを跳ね返す具体策を提案し闘ってきた事実を指摘できる。それも戸田氏が批判してやまない『サイバーアクション』(以下「CA」」と略称)の中に、である。井上氏は「CA」の中で、森首相、石原都知事の発言の反動性、排外性に触れ、「ファシストと呼んでもおかしくない」と指摘している。またその「ファシスト」石原が支持を高めている事も指摘している。これらの記述こそまさしく右翼ファシストへの危機感と怒りではないか!そんな事もわからないのか? それとも井上氏は右翼ファシストへの支持の増大を喜んで書いているとでも言うのか? またそれを跳ね返す具体案もちゃんと「CA」に書いている。 >可能なのは、まさにもぐら叩き的に、それもキチンと反論しながら撃つことしかないのだ。 これが井上氏が具体的に提案するネットウヨ撃退の方法である。そうした方法は、井上氏がみずからネット上で闘いを実践してきたからこそ、「CA」上に提案しているのである。そしてその方法は、我が「四トロ掲示板」において現在も実践されている。それは私が「CA」を読み、それに同意し、そこから学んだからである。ネットウヨの不埒な言論に対しては言論によって対抗し、読者の納得する方法によって撃退してきたのである。戸田さんのように相手の素性を探るような質問をし「コンジョナシ」などという陳腐な罵倒で排除してきたのではない。そんな事をするから2ちゃんねるのネタにされるのである。井上氏の提案する方法がネットウヨ撃退に効果があったのは事実である。戸田さんはこれを自分でパソコン入力しながらまったく気づかなかったのであろうか? はっきりと「それを跳ね返す具体策」を彼が提案し、それが今も機能している事実を無視し、彼を「ウソつき」呼ばわりするとは言語道断である! 戸田さんこそ、卑劣なデマゴーグに他ならない。直ちに井上氏への「ウソつき」規定を取り下げよ! ●陳腐極まる戸田さんの「画期的掲示板運用方法」 >2:この萎縮閉塞状況を戸田が画期的な方針・基準・手法で打破した事を全く隠蔽した井上 と、戸田さんはおっしゃる。なにが「画期的な方針・基準・手法」だ? こういう無惨なまでの独りよがりな自己陶酔には反吐が出る。戸田さんのようなやり方をしている掲示板は少し探せばいくらでも見つかる。そして、そうした方法を採用する掲示板では自由に反論を書けないため、同類が寄り集まる「仲良しクラブ」にしかならず、真剣な討論が成立するのは難しい。他にも戸田さんのやり方には非常に重大な問題がある。その問題点を検証しよう。まず、戸田さんは次のように若竹議員に「助言」したそうである。 >ヤツらは、・・・サヨクや人権派・市民派全体が小市民的な弱々しいもので、すぐ縮み 「ヤツら」とは誰のことか? 自分への反対意見一般はすべて「ヤツら」か? 戸田さんが規定する「ヤツら」はみんなサヨクや人権派・市民派全体が小市民的な弱々しいと思い込んでいるからいい気になって攻撃してくる、と決めつけていいのだろうか。戸田さんの、この「人間」というものに対する薄っぺらな理解とレッテル貼りにはまったく恐れ入る。人間はそんな単純なものではない。右翼であろうと左翼であろうと、思想のいかんを問わず、どうしようもないクズもいれば尊敬に値する人格者もいる。そんな人間に対しては、例え真っ向から対立する意見であろうと、正面から受け止めて真剣に反論する事こそが、社会運動にたずさわる者がとるべき道である。その事を理解できていない。 戸田さんの「画期的方法」とは井上氏が指摘しているように匿名を許さない事であり、相手が自分に批判的であれば、相手の個人情報を探ろうとする事で相手に恐怖を与え、「撃退」する事である。その方法を具体的に戸田さんに語ってもらおう。以下は戸田さんご自身の言葉である。 >A:いわば「暴力の臭い」をプンプンさせる程に「悪質な荒らし犯罪者に対する個人制裁 荒らしをする者には「人権はない」という事らしい。「時間がかかっても探し出して職場や自宅周辺にビラを」まくそうである。いやはや恐れ入った。荒らしは普通、削除すれば済むし、過度の荒らしに対しては、まずネットのサーバー管理者に証拠を示して対処するのが常識である。また議員とは、普通の市民よりも公的な立場にある。だからネット上の言動には注意を要する。ネット上で初めから敵対者と味方とを分け、敵対者に対して職場や自宅を探し出して落とし前を付けるようなやり方は常軌を逸しているとしか思えない。また、別の項でも明らかにするが、戸田さんの上記「テーゼ」は明らかに「匿名をゆるさない」態度に他ならない。 ●「匿名尊重」の美名の元に個人情報をあさる戸田さん 戸田さんは「自分は匿名は無責任との立場を取らない」と口では言っている。ところが実際には、このような穏やかではない脅しを相手にかけるのである。そればかりではない。「大まかな年代、社会体験、業種や身分、そのような考えに至った経緯」などを聞き出そうとする。そしてそれに答えない者は「コンジョナシ」のレッテルを貼って追放する。しかしちょっと考えてほしい。それだけの情報を与えれば個人を特定できる場合もあるのである。これでは「匿名の尊重」にはならない。また「名前や住所以外なら知られてもいいだろう」などというのは戸田さんの勝手な決めつけにすぎない。自分の情報をどこまで知られてもよいかの判断は、あくまでも「匿名希望者」本人にあるのである。「人権」は自分が判断し行使する権利であり、他人が行使の範囲を指図する権利はない。戸田さんには、こんな基本的な事もわからないのか! さて、余談であるが、戸田さんはアクセス数についての分析から「素晴らしい結論」を引き出す。当時のアクセス数が一日100程度からたちまちにして1500前後にも急増したが「荒らしは10数人程度」だった事をもって「圧倒的多数が良識的な人であった」と分析するのである。アクセス数だけでそんな分析ができるならこんなに楽なことはない。アクセス数の増大は、ただ戸田さんの掲示板が注目を浴びたから、だけであってそれ以上ではない。1500のアクセス者のほとんどが戸田さんに好意的な「サイレントマジョリティ」だとでも思っているのだろうか。それでは戸田さんは、60年安保当時、岸信介が「圧倒的多数」の無言の支持を得ていたという理屈を受け入れるのだろうか。またハンドルネームで数えて10数人も荒らしがいたとすれば、それだけで尋常ではない。ギャラリーはその荒らしを興味本位に見に来たのかも知れない。これを判断する材料のひとつは「2ちゃんねる」である。当時、おそらく2ちゃんねるには戸田さん専用のスレッドが立ったことだろう。そこでの書き込みはどうだったのだろうか? それを分析してからでなければ、本当のところはわからないだろう。 >表面上はイキがって見せるコイツらが如何に恐れるに足らないヘタレでコンジョ無し さて、戸田さんの決めつける「コンジョナシ」が電話もメールもよこさないのは当たり前である。その理由はすでに述べた。つまり戸田さんの「リクツ」はネットワーカーの間に広く通用する理屈とは異なっているのである。これまで見てきたように、こういう自分勝手な決めつけとレッテル貼りによる理不尽な排除が戸田さんのやり方なのである。その結果、戸田さんのあたまの中でだけ「雄弁」だが、外から見ればトンデモな事態がおこってきた事を井上氏は指摘しているのである。イキがっているのは、実はインターネット上の対話の何たるかについてまるで無知なまま自分ではわかったつもりで自己陶酔に陥り、恥ずかしい文書を得々として書きつづっている戸田さんの方なのである。(続く) |