戸田さんはまたも宮崎を担ぎ出す積もりなのか! 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月10日(水)13時29分32秒

●反宮崎派を正々堂々とオモテから反論できないインチキぶり

 戸田さんが井上はるお氏の戸田叩きの目的を「『反宮崎』、そのための『宮崎支持者の戸田の信用失墜』、という不純な政治目的」「ナゾが解けた!それは反宮崎闘争のためだった」と仰っている事から、逆に戸田さんの今回の異常なまでの井上叩きの「真の目的」が、実は「市民運動界隈への宮崎復帰」を目論むものであったと私は疑っています。その「宮崎問題」については社会批評社から、題名もそのものズバリの『キツネ目のスパイ宮崎学』、他に『公安調査庁スパイ工作集』という本が出ており、この中で宮崎の行動が暴露されているにもかかわらず、戸田さんは、なぜ『サイバーアクション』の、それも井上氏の「補章」部分に「だけ」こだわるのでしょうか?
 そんなに宮崎を擁護したいのなら、なぜ「宮崎叩きのウラの目的を持った井上」などという回りくどい「陰謀論」ではなく、オモテから正々堂々と叩いているこれらの本を直接に相手にしないのでしょうか? その理由は明らかでしょう。そちらを相手にしたのではあまりにも不利だからです。正々堂々と真正面から宮崎の犯罪を暴露し、完膚無きまでに論破しつくしているこれらの本に対抗する手だてがないからです。また、それをやれば「自分は『井上だけ』を相手にしているのだ」というインチキが暴露されるからです。

●もはや『サイバーアクション』だけではすまなくなっている

 こういう方法はね、戸田さん。右翼が印象操作のためによく使う手段ですよ。これまで従軍慰安婦や南京虐殺や百人斬りなどについての明らかな証拠や証言に対して、右翼がどんなにインチキな手法を用いて「イカガワシい偽証」と断罪し、白を黒と言いくるめてきたか、戸田さんならよくご存じのハズです。あのようなインチキな手法をつかった印象操作は、左翼である戸田さんが使ってはいけない。こういう手法は「良い子がつかってはいけない」手段なのです。だから戸田さん。「それは反宮崎闘争のためだった」と、宮崎を持ち出すつもりなら、同じ社会批評社から出版された上記二冊のスパイ批判本を真正面から取り上げて反論しないかぎり、この問題は収まりませんよ。
 しかも戸田さんは私に「補章だけを問題にしているのだ。『サイバーアクション』全体を非難しているのではない」とおっしゃったけど、『キツネ目のスパイ宮崎学』の著者をご覧なさい。米沢いずみ(途中から井口秀介に交代)、井上はるお、津村洋、小西誠。全員が『サイバーアクション』の著者・編集者なのです。つまり戸田さんは『サイバーアクション』の著者・編集者全員にケンカを売っているのですよ。それにお気づきにならないのですか?
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/51-4.htm
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/46-8.htm

●前代未聞の迷文「良い子はまねしちゃいけません」の傲慢と悪質ぶり

 『キツネ目のスパイ宮崎学』にはいずみさんをはじめとして実に具体的な証拠が挙げられています。またそうした数々の証拠をもとに富永さとる氏によって見事にスパイの正体が暴露され、その危険性が論証され尽くしています。そうした事実に対して戸田さんはどう答えているでしょうか? 呆れた事に、殆どまったく、何も答えていませんね。それらの論客の業績を全部まるごと無視して、答えられたのは、以下のたったの二行。

>この問題に対する戸田の立場は、一言で言って「良い子(=普通の人)は
>決してマネをしてはいけません、という類の問題である」という事に尽きる。

 これに「尽きる」そうです。またも「印象操作」でしかありませんね。「良い子はまねをしてはいけません」という時、それに対置する言葉はなんでしょうか?「悪い子はやってもよい」または「オトナはやってもよい」という事になるのではありませんか? この場合「悪い子」では敵方の事になるでしょう。そうすると「(善悪をよくわきまえた)オトナはやってもよい」という意味に他なりません。
 そう!まさしく「そういう意味で」この言葉は使われているのです。一般市民(=普通の人)に対して「善悪の重みをまだ理解できない、ひ弱な正義」とでも位置づけ、こども扱いしているのに他なりません。そして宮崎は自分を「オトナ」と位置づけている。だから「こども」に対して「保護者」よろしく振る舞い、「そういう事はこどもは知らなくていいの。オトナにまかせなさい」と情報を独占し、市民の知らないところでウラ取引してもよい、と考えているのに他なりません。このような子供だまし感覚をなんとも思わない、宮崎の傲慢さと悪質ぶりになぜ気づかないのでしょうか?

●市民の知らない所で暗躍する特権を認める組織は裏切られる

 宮崎が中核派に近づき、その情報を公安に売ったのは本人も認める事実です。またその詳細については「本当の真実は決して表に出ることのない部類の話」だの「墓場まで持っていく」などとして、遂に明らかにしませんでした。「良い子がマネしちゃいけない」などと言いながら市民の知らないところで暗躍する事は、市民運動自体にとって危険であるばかりでなく、運動の原則にも反するものでしょう。市民運動の原則とは、必要な情報が参加者に共有化され、その情報をもとに議論し結論を下す。そして参加者によって選出された代表者が全員の合意した結論に沿って執行する、というものでなくてはなりません。
 つまり参加者の利益は運動体全体の利益に合致するものでなくてはならないのですが、「全体の利益である」かどうかの判断もまた全体で討議されるべきもので、一部の人間が「これはみんなの利益になるんやから」と勝手な判断を下すべき性質のものではないのです。宮崎が暗躍するためにはこの「原則」を踏みにじる事が必要になる。戸田さん。これは「組織のあり方」の問題ですよ。宮崎のような存在、その行動様式を受け入れるのは、組織や団体内部に非民主的な一部の特権を認める事に他なりません。宮崎は中核派を始めとした団体に近づき、そのような「特権」を利用して公安と取引をしたのです。その「取引の内容がみんなのためだからええじゃないか」というのが宮崎の言い分です。つまり「みんなの利益になるかどうか」の判断は宮崎ひとりが勝手に下しているのです。

●中核派は他人事ですか?「仲間でなければ売ってもよい」のですね?

 その結果はどうなったでしょうか? 宮崎は明らかに「中核派の信頼を裏切り、彼らの情報を権力に売った」のです。この事実をどう受け止めるのでしょうか? 戸田さんは次のようにおっしゃってますね。

>「情報を流された」としても、宮崎学から様々な援助を受けていた(らしい)
>中核派と宮崎学の間で話を付けるしかないこと

 「中核派と宮崎学の間の問題」であって、自分には関係ないと思っている。つまり多くの党派や団体がある中で、戸田さんは「仲間じゃなければ公安に売られてもいい」とお考えなわけですね。しかし、運動とはそういうものではないでしょう。たくさんの団体・組織がこの社会のあり方に抗議の声をあげながら行動を起こしています。その人たちはさまざまな意見や主張の違いがあっても、同じ権力に立ち向かう「同志」なのではありませんか? いま考えが違っていてもいつか同じ組織に参加するかも知れません。反権力の闘いに立つ者に対して「いま考えが違うから」と言って、公安に情報を売るのは、「自分の仲間を売る」事に等しい卑劣な所業です。その痛みもなく、「ひとごと」と済ませるとは驚くべき「反権力」感覚ですね。
 それから戸田さんは「損得勘定」で宮崎を評価しているようにも見えますね。宮崎はいろいろな「援助」を中核派に与えた。だから情報を売ってもいいだろう、という論理なわけですね? おなじように宮崎評価の根拠として、彼がいままで市民運動にいろいろな実績を挙げてきた事実を紹介していますね。だけど戸田さん。考えてみてください。それなりの「実績」を挙げなければ市民運動の「中枢」にまで到達するのは難しいのですよ。そして、「中枢」にこそ公安が欲しがる情報があるのではないのですか? こういう問題を損得勘定で判断するのだとしたら、今後、戸田さんご自身も連帯労組や関西生コン労組との関係において同じような「損得勘定の判断に基づいて、時には公安に情報を売る可能性があると判断しても良いのでしょうか?