1978年3月26日、三里塚開港阻止決戦は前日の横堀要塞戦によって始まった。要塞上には鉄塔が高々と組み上げられ、アドバルーンがあがった。 三里塚公園は全国から結集した万余の労・学・市民で埋めつくされ、戦いに向け決意にみなぎる。しかしそこには幾つかのセクトを中心とする主力部隊の姿が見えない。どこにいったのだ?
彼らは菱田小学校跡地に結集していた。そこから出撃した三千の実力部隊。その一隊は第四・第五ゲートへと突撃し猛攻を開始した。さらに松翁交差点から出現した一千四百の赤ヘル部隊! 改造装甲トラックを先頭に空港心臓部へ向けて進撃する。第八ゲートを突破し敵陣深く突入し管制塔直下まで肉迫する突入部隊。たちまちにして空港内は戦場となり、火炎ビンの火柱が次々とあがる。鉄パイプの猛攻に逃げまどう警察機動隊! 恐怖におびえ実弾を発射する空港警察隊! 火を噴く警察車両! 妨害電波と「ピンクレディ」の音楽に撹乱され、警察無線は役に立たない! 指揮系統はボロボロとなり、一万四千の機動隊防衛網はズタズタに引き裂かれたのである。
さらに猛攻は続く! 第九ゲートから突入したトラック部隊は火だるまとなって警察車両に突進した。地下水道から躍り出た精鋭突入部隊! 管理棟をかけ登り、管制室へ殺到。そして管制機器を破壊しつくし、4月開港を打ち砕いたのである。「包囲・突入・占拠」闘争は文字どおり実現された!!
カメラは突入部隊に密着同行し、当日の戦闘の模様を至近距離から
目撃した。貴重な「時代の証言」である。
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