HOMEへ図書・資料室とびらへ

なお、この文章は書記長まっぺんがかつて活動にかかわっていた時代のやや古い感覚に基づいて書かれております。したがって文書内容には現在では通用しない概念も含まれるかもしれません。また、現在のトロツキズムの公式見解とは異なっているかもしれません。それは今後、まっぺんがお勉強によって克服してゆくべき課題です。文責は全面的にまっぺんにあります。


社会主義をめざす思想

●社会主義革命と人類の解放をめざすトロツキズムの理論
 現代の世界経済をたてなおし、人類社会を安定させることのできる唯一の道はマルクス・エンゲルスによってうち立てられた科学的社会主義の理論と、それを受け継ぎロシア革命を勝利に導いたボルシェビキの指導者・トロツキーとレーニンの革命理論に基づく社会主義への道しかありません。そしてロシア革命のさまざまな経験から導き出された理論、およびその後スターリンによって変形したソ連邦と各国共産党の迫害にあいながらもファシズム、帝国主義と闘い続けたトロツキーと第四インターナショナルの多くの活動家たちの現代までつづく世界各国の組織と運動および理論活動にこそ希望があります。トロツキズムの理論のもっとも重要な部分は永久革命論と統一戦線戦術とに要約されるでしょう。

●永久革命論
 永久革命論とはPermanent Revolution の訳であり「永続革命」とも訳される現代革命についてのもっとも深い理論です。それは時間的な意味においてはふたつの段階の革命(ブルジョア民主主義革命と社会主義革命)が相互に関連し連続してゆくことであり、また空間的意味においては一国の経済は世界経済と深くかかわりつつそれぞれ不均等に発展するため、一国の革命がそれのみでは終わらず地域を越えた影響を獲得していく複合的な発展の法則を表現したものです。

●統一戦線戦術
 日本左翼の組織論上の一般的“常識”では統一戦線とは「(批判をひかえて)仲良くすること」であり、党派闘争とは「けんか(内ゲバなど)すること」でしたが、それは間違いです。批判の自由を保証した上での「統一戦線」こそが全体を強化する真実の党派闘争です。
 統一戦線戦術とは、おなじ労働者階級の側に立とうとする勢力同士ならば共に手をたずさえて共同戦線を組みいっしょに闘うことが真に労働者階級の利益に関与するという極めてあたりまえの事実から出発し、したがって実際に統一戦線を組んだその時、労働者の階級意識が高まり、どの勢力がもっとも階級的利益に合致するのかが実際の闘争の中で必然的に暴露されてゆくということです。この意味で統一戦線戦術は真に労働者階級の立場に立とうとする者に大きな利益をもたらす、すぐれた「党派闘争」なのです。

●トロツキズムとスターリニズム
 したがってトロツキズムは革命戦略においても、党組織論の面においても、もっともスターリンの思想と対立する思想なのです。つまり、トロツキーの「永久革命論」はスターリンの「二段階革命論」および「一国社会主義論」と対立しています。また、党組織論および統一戦線戦術はその前提として民主的討論が不可欠であり、党内民主主義や複数政党制にもとづいているトロツキズムはスターリンの一党独裁と「一枚岩」の党組織とにも対立しているのです。

●永久革命論か二段階革命論か
 現代社会においては革命の二つの段階、つまりブルジョア民主主義革命(日本共産党によれば「民族民主革命」)とプロレタリア社会主義革命とは必然的に連続的に結びついていきます。ところがスターリンの二段階革命論とは「資本主義的発展の遅れている国ではまずブルジョア民主主義革命を成功させたあと、資本主義国家として発展するのを待ち、その後社会主義革命を遂行する」というものであり、したがって最初の革命の主導勢力はブルジョア階級でなくてはならない、とするものです。この方針によってスターリンは中国革命において国民党に手をかすことによって中国共産党を妨害し危機に陥れました。
 1917年、ロシアでは二月革命によってケレンスキー・ブルジョア内閣が成立したあと、亡命先から帰国したレーニンが有名な「4月テーゼ」を発表します。その内容はそれまでのボルシェビキ党のテーゼであった「労農民主独裁」の否定、「プロレタリア独裁」の宣言です。発展の遅れている後進資本主義ロシアにおいても労働者階級が権力を取るべきであると宣言したのです。これでトロツキーと意見が一致し、トロツキーはメズィライオンツィ・グループ数千名を引き連れてボルシェビキに合流し、十月(新暦十一月)革命を迎えるのです。ロシア革命こそ永久革命論の実物見本といえます。

●永久革命論か一国社会主義論か
 二段階革命論は一国規模での経済発展からのみ展望したものであるため、スターリンが「一国社会主義建設論」を宣言したのは二段階革命論から必然的に導き出される結論でした。また当時ソ連邦が孤立状態にあったという事情も顧慮するべきでしょう。しかし、現代資本主義はますます世界の国々の経済を固く結びつけています。低開発諸国が何十年かのちには順調に発展して先進国になる、という展望自体が幻想であり、国家間の経済格差がますます拡がっていることはすでに事実によって明らかになっています。したがって社会主義建設を一国規模で展望する事は不可能であり、間違っています。
 マルクスやエンゲルスは、イギリスやドイツの労働者階級の闘いにもとづくヨーロッパ革命を展望し第一、第二インターナショナルを建設しました。ロシア革命後、レーニン、トロツキーもまたソ連邦がおかれた困難な状況(後進資本主義であったための経済事情、当時唯一の労働者国家であったことの孤立状況)をヨーロッパ革命をもって打開することを模索したのです。
 一国だけで社会主義建設はできません。最初は一国ではじめなければならないとしても、次にはアジア諸国のそれぞれの産業を結びつけ、対等で平等な相互の国際的協力によってアジア規模での合同計画経済をおこなうことこそが豊かな社会主義社会へむかう道であると考えます。また、そのような前提に立つことによって日本の革命運動もアジア革命全体のなかで展望してゆく必要があるのです。

●党内民主主義・複数政党制か党内反対派禁止・一党独裁か
 トロツキズムにおいては党内民主主義が重要視されています。党内に二つ以上の異なった意見が存在する場合、それぞれの立場を尊重し、それぞれが党内分派を形成して大会や上級・中級・下級の各会議などでも意見を主張する権利を保証するということです。現在、第四インターナショナルの世界大会においても3〜4つの分派がそれぞれの議案文書を提出して議論に参加し、中央委員をそれぞれの人数的割合に応じて選出しています。また、労働者国家においては労働者階級の立場に立つかぎり複数の政党の存在は許されるべきです。
 世界の共産党・労働党は1921年のソ連共産党第10回大会決議を理由に党内分派を拒否してきました。しかし当時、帝国主義諸国の軍事干渉や反革命軍との内戦状態にあったという特殊事情下での緊急的決議であった事を忘れてはなりません。この決議を理由に政治的民主主義を否定するのは階級闘争そのものの発展をさまたげる行為です。

●トロツキズムか反スターリン主義か
 ここで説明する「反スターリン主義」(通称「反スタ主義」)とは「スターリン主義に反対する」という一般的な意味ではありません。労働者国家について、これを「スターリニスト国家」とか「赤色帝国主義」「官僚制国家資本主義」などと規定し、帝国主義国家と労働者国家とを全く同等な打倒対象と考える理論のことで、したがって各国共産党などに対しても帝国主義と同等の「階級敵」とみなす理論です。このような理論は数十年にわたって世界中に流行しました。日本においては黒田寛一の理論から出発した革マル派と中核派が反スタ主義の代表といえるでしょう。反スターリン主義の運動は共産党や他の左翼勢力にたいして敵対し、内ゲバをしかけることによって結局、帝国主義権力の側に利益をもたらすことにしかなりません。
 革マル派や中核派によれば、トロツキーは「ソ連邦においてスターリンとの党派闘争にやぶれた」のであり、スターリンに勝つためにはスターリンと同じ方法をもって対抗するべきだったのだそうです。しかし、もしスターリンと同じ方法をもって「党派闘争」を展開し勝利したとしてもそれは「反スターリン主義」という名の新しいスターリン主義権力が生まれるだけにすぎません。レーニンもトロツキーも決してそのような方法で「党派闘争」をやったことはありません。スターリン主義の打倒とは、スターリンのやり方そのものが否定されるのでなければ意味がないのです。

●革命的暴力と内ゲバについて
 「暴力」については厳密に取り扱わなくてはなりません。革命的暴力とは階級的暴力のことであり、労働者階級とその同盟が階級的に団結し資本家とその政府に対してこちらの意図を強制することに他なりません。しかし同じ階級的立場にたつ他の党派や個人に対しては、いかなる意味においても暴力は絶対に行使されるべきではありません。そのような暴力は階級的暴力ではありません。いわゆる「内ゲバ」は何の革命的根拠もないばかりでなく、階級闘争の前進をさまたげる反動的な行為です。1970年代、多くの青年・学生が急進化し、さまざまな運動に参加し活動していた時、内ゲバもまたもっとも盛んにおこなわれました。この結果、多くの有能な青年たちが絶望し、運動から去っていった事実を忘れてはなりません。自己のせまい党派的利害から行われる内ゲバが大衆運動全体に損害をあたえた結果、喜ぶのは敵権力なのです。私たちは共産党や社民党などの労働者の党派とはお互いにおおいに論争すべきであると思いますが、決してそれを暴力で解消するべきではありません。

●内ゲバの元祖はスターリンである
 内ゲバは日本では特に学生運動の中でいちじるしく行われてきました。その「理論的根拠」は革マル派の黒田寛一著「革命的マルクス主義とはなにか」に明らかにされています。しかし、内ゲバはなにも黒田寛一の発明品ではありません。スターリンがソ連邦の権力を掌握した時、その権力を使って自分に対抗すると見られるあらゆる勢力・個人に対して徹底的な弾圧を加えました。そのため革命当時のロシア共産党指導部はスターリンただ一人を除いて全て獄中死または処刑されたのです。ロシア国内で反対勢力と見られる人々はことごとく獄中またはシベリアに送られ、抹殺されました。その数は数百万と見積もられています。また世界中にゲー・ペー・ウーの暗殺団を送りこみ、国外の反対者も次々と抹殺していきました。トロツキーも息子や家族を暗殺・毒殺されたばかりでなく、最後にはトロツキー自身もメキシコにおいて殺害されました。さらにそのうえスターリンは写真や文書の偽造などあらゆる情報を操作し、事実をすり替え、歴史を偽造してデマを流し、トロツキーを「ファシストの手先」であるかのように宣伝しました。また、その後もトロツキスト達は世界のいたるところで各国共産党からの暴力的迫害をうけてきました。これがスターリンの「党派闘争」のやり方なのです。暴力によって反対派を抹殺する、つまり内ゲバの元祖はスターリンなのです。

●日本共産党はスターリン主義ではないか
 それはトロツキストに対する彼らの評価のしかたを見ればわかります。日本共産党によればトロツキストはいまだに「社会主義の裏切り者」であり「権力の走狗」「内ゲバ主義」ということになります。どうやら「反スタ主義」もかれらによれば「トロツキズム」の範疇にはいるらしい。つまりトロツキズムに対する無知とデマ、そしてレッテル張りがいまだにおこなわれているのです。この点ではまったくスターリンのやってきたことと変わりません。トロツキーの理論をまじめに批判しようともせず、スターリンの言葉をそっくりまねてトロツキズムを批判する者が「スターリン主義ではない」といっても誰が信じるでしょうか。トロツキズムに対する評価ばかりではありません。「新日和見主義派」といわれる党内の(ごく軽度の)批判分子に対する「査問」(弾圧)の凄まじさも充分「スターリン主義」の名にふさわしいものではないでしょうか。
 日本共産党によれば、自分たちがスターリン主義ではない根拠は、(旧)ソ連や中国との関係において「内政干渉」をはねのけ「自主・独立」の方針を持っていることにあるのだといいます。つまり外国のスターリン主義共産党とは「きっぱり手をきっているから」自分たちはスターリン主義ではない、といいたいのでしょうか。しかし、それは虫のいいはなしというものでしょう。スターリン主義の特徴は過去の犯罪的行動だけにあるのではなく、その根拠となった理論にあるのだということをわすれてはいないでしょうか。「自主・独立の党」「独立・自治の日本」…これこそまさにスターリンの「一国社会主義建設論」のコピーにほかなりません。そして、その一国社会主義路線がソ連・東欧においてすでに破産した事実は明らかです。また党内民主主義についても、反対派の意見主張の場が極めて限られ、官僚的に管理・操作されているところなどスターリン主義のりっぱな特徴といえます。したがって日本共産党はいまだに「スターリン主義」のくびきを断ち切ることができていない、と考えられます。

●では日本共産党はトロツキストの敵か
 スターリン主義的政治潮流は労働者階級のさまざまな傾向のうちのひとつの誤った潮流であると考えられます。その特徴は、組織の内部が非民主的である事、外部に対しては自分の利益を最優先するセクト主義であること、一国革命主義であって、労働者の国際的団結について消極的であること、また、とくに日本共産党についていえば、社会主義革命についても消極的であり資本主義を改良することで問題が解決するかのような幻想をふりまいていることなどがあげられます。しかしそれでも共産党は労働者階級の中の潮流なのであって決して資本家階級の側の潮流ではありません。いかなる労働者党も、同じ労働者階級の政党を「意見や考え方がちがうから」という理由で拒否したり排除するべきではありません。それは労働者階級全体にとっても決して利益にはなりません。労働者階級といってもさまざまな傾向があります。それらのさまざまな傾向の潮流が団結し、共にたたかっていく中で、何が最も階級的利益に合致する方針なのか、誰がもっとも労働者階級にとって利益となる提案をしているのか、が明らかになってゆくでしょう。労働者のもつ最も強い武器は団結力です。全ての労働者が階級的に団結し、ともにスクラムを組んでたたかうべきであると考えます。たたかいの中でもっとも民主的な選出方法によって指導的政党を自由に選出していくべきなのです。

●外国共産党とトロツキストの関係例
 トロツキーがメキシコで亡命生活を送っていた時、メキシコ共産党は画家シケイロス率いる機関銃部隊をもってトロツキーの館を襲撃し、それが失敗するや次にはソ連から派遣された暗殺者を手引きし、暗殺に成功しました。1940年のことです。現在、メキシコ共産党は過去のこの罪を認め、そしてメキシコトロツキスト組織と共に一致できる部分では共闘しながら労働運動の高揚のために共にたたかっています。フランス共産党はながいあいだフランストロツキストに対して敵対的でしたが、現在では共産党大会にトロツキストが来賓として挨拶を交わすようになっています。イタリア共産党が左右に分裂し、左派が共産主義再建党を結成した時、トロツキストグループをはじめとする多くの左翼グループが共闘関係によりこの党に入党しました。世界の共産党の趨勢は党内の民主化と党外組織との共闘関係の改善の方向にむかっています。アメリカでもブラジルでも大きな労働者党が結成され、その中で様々な潮流が自己を主張しながらも共同の闘いをすすめています。
 スターリンの古いおきみやげをいまだに抱えている日本共産党だけがいまだに「トロツキズム」への偏見を捨てられず、党内反対意見を自己の活力として吸収できず、世界の労働者との連帯を求めずに未来への展望を見失おうとしています。日本共産党は、まず何よりも党内外にひろく意見をもとめ、自由に発言できる作風をつくるべきです。党内反対意見の存在は決して党にとってマイナスではありません。むしろそれを強引に押さえ込むことこそ党にとってマイナスとなるものです。

●階級暴力と階級独裁について
 共産主義の理念をかたる時に、権力獲得の段階で問題となるのが暴力革命と階級独裁です。右翼・反共産主義者はこの言葉の意味を曲解させることによって、人々に共産主義にたいする恐怖と偏見を植え付けようとします。マルクスやエンゲルスが使った「暴力」「独裁」という言葉は資本主義によって生み出されてきた2つの階級、資本家階級と労働者階級がお互いに非和解的であり、一方が他方を階級的暴力によって支配する状態をいうのです。その状態を「階級独裁」と表現しています。すでに現代資本主義社会は資本家階級が独裁をおこなっている状態と解釈されるのであり、その暴力手段として警察や裁判所が機能しています。また、議会も資本家に有利で非民主的な選挙制度と運営方法をとることによって資本家階級に奉仕するものとなっています。
 革命前夜のロシアではこのような資本家階級の議会ではなく、労働者たちが都市部・工場の各地区に自主的につくった民主的な地区議会=「ソヴィエト」によって自己の要求を表現していきました。そして最後には革命の成功によってソヴィエトを国家の権力機関とするにいたったのです。これが労働者による階級独裁のはじまりです。

●共産党が暴力革命と階級独裁を放棄したのは正しい政策か
 「暴力」と「独裁」の言葉を曲解させるための材料を提供したのはスターリンでした。階級暴力と階級独裁はスターリンによって内ゲバと一党独裁にすりかえられました。すばらしく民主的であったソヴィエトはスターリンにより私物化され、反対意見の表明さえ禁止されてしまいました。「暴力」と「独裁」は本来の意味を失ってしまったのです。日本共産党はこの言葉の正しい意味を復活させるかわりに放棄してしまうことを党の方針として決定してしまいました。資本家階級におもねるために、自己を「資本家にも安全な党」と宣伝するために、労働者階級の武装の権利を束縛してしまうのは、労働者階級の勝利をさまたげる危険な行為です。これは過去の幾多の実例が証明しています。たとえばロシアにおいては1905年、パンと平和を求めた労働者の平和的行進は軍の一斉射撃によって多数の犠牲者を生みましたが、1917年10月革命においては労働者・兵士の断固たる決意による武装蜂起は「無血革命」と呼ばれるほどだったのです。

HOMEへ図書・資料室とびらへ