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日本共産青年同盟機関誌「青年戦線」第2号より無断転載。情勢の変化により解説内容がかならずしもそのまま現在も通用するかどうかはわかりません。文章内容についての質問などは新時代社「かけはし」編集部の方へお願いします。

基礎学習文献解説

「共産党宣言」
(カール・マルクス/フリードリッヒ・エンゲルス)
「全ての歴史は階級闘争の歴史である」とは、どういうことか

 「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」というのは、有名な「共産党宣言」の冒頭の一句である。これは、それまでの観念的な歴史観、社会観を根本的に粉砕する、まさに革命的な一撃であった。マルクスの時代以前の歴史観は多かれ少なかれ、世界史を、「神」によってあらかじめ定められた調和的なものとみなしたり、「絶対精神」が自己を展開し、実現していく過程として捉らえたりしたものである。
 そこでは、人々の運命は「宿命」として自分の力ではどうすることもできないものとなってしまう。人々が背負っている苦しみ、貧困、飢え、絶望などを全て「天の思し召し」として甘受することを強制される。社会の不合理に怒りを燃やし、改革を希求したとしても、それを実現する保障はせいぜいのところ「人々の善意」に委ねられざるをえない。それは結局のところ少数者の支配を正当化する論拠へとつながっていかざるをえない。
 特権階級の支配を「神の意志」として合理化した封建的社会観は、すでに封建社会内部に発生していた資本主義的生産力と生産関係によって動揺を開始し、フランス革命は、特権階級の支配を、「理性の支配」によって置きかえた。「自由・平等・博愛」の三色旗は、しかしながら身分的特権の支配に代る「財産の特権」による支配をうちたてたにすぎなかった。若きブルジョアジーのかかげた「理性の支配」は、その下で赤裸々な階級対立を鮮明にさせていった。
 マルクス・エンゲルスの発した「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という宣言は、ブルジョアジーの支配の下で公然たる姿をとりつつあったプロレタリアートの階級闘争に、歴史を前進させる力を見出させたのである。奴隷主と奴隷、封建貴族と農奴、資本家と労働者の階級対立と階級闘争、一方の力による他方の打倒が、歴史の原動力であるという規定は、人民の闘いが歴史の客体ではなく、まさに主体そのものであること、歴史が「神」や「理性」や、「英雄」によってではなく、現実の経済的利害の対立に基く被搾取階級の搾取階級に対する闘い、すなわち現実に対決し変革しようとする主体的実践こそが人類史の発展と飛躍の動因であることを指し示した。

ブルジョア社会の成立はなにをもたらしたか

 封建制社会の胎内ではぐくまれた資本主義的生産関係と生産力は、自らを国民的生産力にまで成長させて、封建的な地方割拠を打ち破り、統一した国内市場を形成し、中央集権的な民族国家をうちたてた。増大する商品の洪水は、交通・通信の網の目のような発達に支えられながら世界を一つに結びつけた。世界は資本主義的生産関係によって征服されることとなった。地球は世界市場によって相互に規定しあう全体を構成するようになり、ここに、語の真の意味での世界史が成立することとなるのである。
 商品流通は、地方的な孤立性・分散性・特殊性を克服し、「文明」による「野蛮」の征覇、都市にたいする農村の従属をもたらした。人口は都市に集中した。資本主義的生産関係は、不断に自己を更新し、古い社会関係を破壊し、より新しい基盤の上に、資本の集中をもたらしながら、高度の生産力を開花させていった。
 資本主義的生産関係は、それ以前の社会を覆っていた、宗教的、神秘的なベールをひきはがし、直接的な経済的利害の追求、露骨な搾取を一切の社会関係の根本規定として白日の下にさらけ出した。
 同時にブルジョア社会が解き放った厖大な生産力は、この社会の発展の条件であった私的所有の枠組みと日々鋭く衝突し、資本主義的生産関係の存立の基礎を掘りくずす条件を日々つくり出していかざるをえない。ブルジョアジーがその存立のためには不可避的に追求せざるをえない生産力の更新と発展が、彼らの墓穴を準備せざるをえないという、矛盾に満ちた運命からブルジョアジーは逃れることはできないのである。
 恐慌、戦争というかたちで生産諸力を破壊しながら、過剰資本と過剰生産を周期的に処理していかねばならないことは生産力の発展そのものが、私的所有、民族国家の狭隘な壁と衝突せざるをえないという矛盾の爆発的表現である。

ブルジョア社会におけるプロレタリアートの位置はなにか

 資本主義的生産関係の発達は、社会をますます対立する二大階級、ブルジョアジーとプロレタリアートに分割する傾向を持つ。
 ブルジョアジーの政治的・経済的支配の確立は、その対極に自己の体制を転覆する使命をもったプロレタリアートの強大な使命をもったプロレタリアートの強大な形成をなしとげずにはおかない。プロレタリアートは資本制社会において、ただ労働力商品の所有者としてのみ、資本にとって存在の意味を持つ。資本は、プロレタリアートをその労働をとおして価値を創出し、剰余労働を搾取する対象としてのみ扱うのである。プロレタリアートは独立した人格としての存在を全く解体される。その意味で「普遍的な苦悩を感じているために普遍的な性格を持ち、なにか特定の不正ではなしに不正そのものをこうむっているためにどんな特殊的権利をも要求せず」「社会の他のあらゆる階層から自分を解放するとともに、社会の他のあらゆる階層を解放することなしには、自分を解放することができないような、ひとことでいえば、人間性を完全に失ったものであり、したがって人間性を完全にとりもどすことによってだけ自分自身を自由にすることができるような」(ヘーゲル法哲学批判序説)階級が、プロレタリアートなのである。
 しかし彼らが革命的階級であるのは、単に最も疎外され、抑圧され、悲惨な運命を背負っている階級であるから、というのではない。そのような階級は、古来から存在していた。
 プロレタリアートが、ブルジョアジーの打倒をとおして、人間が人間を搾取する階級社会を廃絶する、真に自由で平等な共産主義社会の建設を目指すことのできる階級である理由は、彼らが大工場で社会的に結合され、資本制社会の生産を動かし、ブルジョア社会が生み出した巨大な生産力の成果を全面的に担い、継承することのできる階級であるからである彼らがその存在条件からして、小ブルジョアジーや、農民のように個々に分散したものではなく、一人の巨人のように団結した存在であるからである。
 人類が長い間夢想した、真の共同社会は、資本主義のもたらした巨大な生産力水準と科学技術、そしてプロレタリアートという革命的階級の創出によって、はじめて現実的な一歩を踏み出すことが可能となったのである。

「共産党宣言」は人民戦線派を真向から批判する

 マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」は、既存の空想的社会主義者に痛烈な批判を加えた。今日、マルクスたちが論争の対象としたあれこれの資本主義批判家は跡形もなく消えてしまった。しかし、マルクス主義を自称する多くの潮流は、共産党宣言で示された革命運動の豊かな原則をきれいさっぱりと忘れはててしまっている。
 「共産主義者は、プロレタリアの種々な国民的闘争において、国籍とは無関係な、共通の、全プロレタリア階級の利益を強調し、それを貫徹する」
 今日、既成の共産党=スターリニストは、「自主独立」の道を歩みながら、民族的枠の中にとじこもり、労働者国家のボナパルチスト官僚の道具となり、また、ブルジョア国家においては、ブルジョアジーからのプロレタリアートの政治的独立を妨げる存在に成りはててしまっている。
 「共産主義者は、労働者階級の直接当面する目的や利益を達成するために闘う。だが共産主義者は現在の運動のなかにあって、同時に運動の未来を代表する」
 スターリニストは、今日、社会主義革命の課題をはるか彼方に追いやり、資本主義社会の破綻を改良的に縫いあわせ、健全で民主的な資本主義を再生することができるかのごとき幻想をふりまいている。
 「共産主義者は、自分の見解や意図を秘密にすることを軽蔑する。共産主義者は、これまでの一切の社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達せられることを公然と宣言する。支配階級をして、共産主義革命のまえに戦慄せしめよ」
 スターリニストは、既存の国家機構、社会体制の民主的改良の延長線上に、社会主義が到達するかのごとく宣伝し、支配階級を「戦慄」せしめないために、躍起となっている。

 プロレタリア世界革命をとおして、「各個人の自由な発展が、すべての人々の自由な発展が、すべての人々の自由な発展にとっての条件である」ような共産主義社会をめざす、青年前衛にとって「共産党宣言」は、その綱領的文書としての光を失なわない。それは一切の改良主義者=人民戦線派の喉元につきつけられた鋭い刃なのである。

参考文献:エンゲルス「共産主義の原理」 トロツキー「今日の共産党宣言」など

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