日本共産青年同盟機関誌「青年戦線」第9号より無断転載。情勢の変化により解説内容がかならずしもそのまま現在も通用するかどうかはわかりません。文章内容についての質問などは新時代社「かけはし」編集部の方へお願いします。
「労働組合論」という題で発行されている本書は、初期コミンテルンの時代から左翼反対派の時代を経て、第四インターナショナルの建設に至る時期に、レオン・トロツキーが書きしるした多くの論文から、労働組合運動とその戦略・戦術に関するものを編集したものである。しかし、それは、「組合運動」という限定づけられた観点から書かれたものではなく、逆にプロレタリアートの前衛としての党の立場から、全社会的な階級党のなかで労働組合運動それ自身をどう捉え、どのように闘っていくべきなのかという観点につらぬかれているのである。したがって読者諸君は、階級的激動の時代におけるマルクス主義者の戦略、戦術、党建設と統一戦線等々における豊かな教訓を導き出すことができるであろう。
本書は決してやさしいものではない。くりかえし、くりかえし読み返すことによって、前に読んだときとは違った新鮮な感動をよびおこすことができるだろうし、新たな経験を通じるなかで「あ、そうか」と膝をうつような箇所に遭遇することもあるだろう。ブルジョア支配の安定がくずれさり、労働者階級の権力のための闘いが日程に上ろうとしている今日、本書の実践的な意義は、ますます大きなものとなっていく。
本書は三章にわけて編集されているので、以下その章分けに沿って内容を順次追っていくことにしよう。
トロツキーは、コミンテルンの初期においてフランス共産党の指導の任についていた。第一次大戦後の社会的経済的混乱と、第二インターの社民諸党の裏切り、そして勝利したロシア革命の権威は、急速に労働者階級の左傾化をもたらし、旧社民党の分解とその左翼の共産党への結集をもたらした。しかし、その左傾化は多分に自然発生的なものであったがゆえに、ロシア・ボルシェビキ党の長年にわたる経験のなかでつちかわれた党組織論、戦略、戦術のマルクス主義的原則を十分には理解しえない傾向が存在しており、理論的な混乱状況すら見られたのである。レーニン、トロツキーに指導された初期コミンテルンは、自らを単一の世界革命党としてうちきたえるために、こうした右翼的・極左的偏向と闘い、階級闘争の原則で各国共産党を強化せんとしたのであった。
フランスの党においてあらわれた偏向は旧社民の右翼的体質とならんで、党の指導にたいして労働組合の自立を強調しようとしたサンディカリズム的潮流であった。フランスのサンディカリズムは、社会民主主義の右翼改良主義への反発としてあらわれたが、それは社民党、共産党をとわず一切の政党の労働組合にたいする指導を拒否するものとなっていた。「戦争以前のフランスサンディカリズムは、その上昇と拡大の時期に労働組合のオートノミー(自立)のために闘うことによって、実際にはブルジョア政府とその諸政党、とりわけ改良主義的議会社会主義にたいする労働組合の独立のために闘った。」(本書40頁)しかし、今日において労働組合の「自主独立」をブルジョアジーに対してでなく、前衛党にたいして主張することは何を意味するか? 労働組合の独立とは、まずブルジョアジーからの政治的独立のことでなければならない。そして政治的独立とは、正しい政治路線の下でのみ可能である。革命的前衛党は労働組合を、正しい政治路線に獲得することによって、労働組合の階級的独立を最大限に保障するのである。
労働者大衆は等質ではない。労働組合はその等質でない労働者大衆を最大限に包含した大衆的組織でなければならない。様々の段階でブルジョア・イデオロギーの影響をうけている労働者を幅広く包み込んだ労働組合がその階級的責務を全うするためには、意識的な前衛分子の指導が不可欠となる。それは、党の路線のおしつけによるのではなく、具体的な経験をとおした具体的な方針の提起によって労働者を獲得するという方法でなされるのである。こうしたかたちで、前衛党は労働組合の組織民主主義を少しも犯すことなく、完全な政治的・組織的独立性を保って組合内で闘わなければならないのである。
サンディカリズムは、「党」の介入を拒否するというかたちをとって、実は、独自の「サンディカリスト党」による指導を行い、組合官僚の利害を労働者大衆に「押しつけ」、前衛党への敵対を行い、結局は「統一」の美名の下に労働者大衆の遅れた意識に前衛をひざまづかせ、社会民主主義=ブルジョア政治に屈伏する水路を開くこととなっていったのであった。
革命的前衛党はその活動基盤を最も広範な大衆のなかに置かねばならない。労働者階級が統一し、その団結の輪をますます拡大することは、前衛党にとってきわめて有利な条件を切りひらく。統一戦線戦術の具体的な原則がここでは適用される。
スターリン指導下のコミンテルンは、一九二六年の英露委員会においてイギリス総評議会の改良主義的組合官僚に追随してその尻尾になり下り、彼らの裏切りに手を貸すという極右方針の破綻が明白になるや、一転して社会ファシズム論にもとづき党のミニ版たる少数派の「赤色労働組合」を分裂させ、無惨な後退をさらしていったのであった(今日、「共産主義者同盟プロレタリア派」=首都青年社研の諸君は、この破産した赤色労働組合の方式を再び持ち上げるという誤謬を犯している。)ロシア・ボルシェビキ党の統一戦線戦術の核心はそれとは全く異ったものである。二月革命から十月革命の過程で、みごとに貫徹されたその内容は、未だ改良主義への幻想を抱いている労働者大衆にたいして、改良主義への批判を断固として保持しながらも、最後通牒をつきつけることなく、階級敵にたいする闘いのなかで改良主義の裏切りと誤りを暴露し、共通の経験をとおして改良主義から大衆を解き放ち、革命派に獲得するというものであった。
そのためには、革命派の側から分裂を準備するのではなく、改良主義者たちに最後的にブルジョアジーの陣営に投降するのか否か、というかたちで鮮明に問題を突きつけ、分裂が改良主義者にとって決定的にプロレタリア的基盤の喪失というかたちでなされざるをえないような闘い方をする必要があるのである。
革命的前衛は、改良主義的労働組合の内部で闘うことを絶対に放棄してはならない。確かにそれは困難な道であり、少数派の「革命的」労働組合を分裂させてその指導部におさまる方が安易な道である。しかしその代償は、「少数派労働組合」の自己目的化の路線は、階級的危機が深まり、ますます多くの今まで闘いに起ち上らなかった大衆を戦場にひき込むような情勢においては、その無力さが促進され、事態の発展と無縁なものになってしまうという状況を招いてしまうのである。
トロツキーは、オランダのスネーフリートらの自己の小さな労働組合への固執が、党の革命的・政治的独立からの召還と一体のものであると捉え、労働組合の統一のイニシアチブを自ら発揮することの重要性を鋭く指摘したのであった。
資本主義経済の危機がのっぴきならない段階に到達し、資本主義の「健康な」上昇の平和な時代に保障された、労働者の経済的地位の改善が不可能な状態にいたったとき、労働者階級の現状改革のためのたたかいは、改良主義的方法によってではなく、労働者の日常的意識から出発しつつ、権力のための闘いの意識性につらぬかれた革命的方法によってのみ勝利する展望を握りしめることができる。過渡的綱領の方法論がそれである。改良主義者は資本主義経済を絶対の前提とするために、もはや資本主義の枠内ではいかなる改良も不可能な段階がおとずれるや、ブルジョアジーの支柱の役割を発揮して階級闘争の前進を押え込む。反対に極左的言辞をもてあそぶ中間主義者は、革命に勝利しないかぎりどのような要求も実現しないという口実の下に、労働者階級を現実に権力闘争を担う階級として組織する任務から召還していくこととなるのである。
賃金と時間のスライディングスケールから、帳簿の公開、労働者管理、資本の没収、無償国有化、労働者農民の政府・ソビエトに至る過渡的綱領の方法論は、要求と組織の弁証法的発展を軸に、部分的二重権力から全国的二重権力へ、そしてブルジョア独裁の打倒と、プロレタリア独裁の樹立へと向かうプロレタリアートの権力闘争の生きたダイナミズムを詳細に提出している。
それは第四インターナショナルの綱領であるとともに、危機の時代における労働組合運動の行動綱領でもあるのである。
資本主義経済が正常な運行を永遠の過去に投げ去った時代にあっては、改良の道に慣れ親しんできた労働組合官僚は、新たな転換の道を模索しはじめる。しかし彼らは、ブルジョア支配の一機構として自らをブルジョア行政権力に癒着させるような方向でその転換をなそうとするのである。改良主義的労働者階級官僚は、資本の強権的な労働者支配の道具へとますます自己を純化させる。
死の直前にトロツキーが書きのこした論文「帝国主義衰退期における労働組合」はこうした事情を鮮明に述べている。もはや労働組合の「中立性」の幻想は消え去り、「革命の機関」へと転化することなくして階級的な役割は果しえない。そのためには前衛党による組合の一元的な指導が不可欠となっていくのである。
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