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荒岱介論文批判 「批判の自由」はほんとうに守られてきたか?
赤色土竜新聞第7号 2003.5.20

BUND(旧共産主義者同盟日向戦旗)機関誌「SENKI」1109号に掲載された荒岱介氏の論文「個人に解体する専制政治は無しだ」には彼の政治的粗雑さと組織活動のいい加減さが露呈している。このような粗雑で場当たり的な方法によって事実を歪曲し、それを基に自画自賛するのは市民を欺くことであり、運動の真の発展にとって有害である。

■イラク反戦運動高揚の「直接的理由」は何か

 荒岱介氏は反戦運動が高揚した理由をふたつあげている。まず「直接的理由」として、米英軍によるイラク攻撃が国連憲章すら無視した理不尽なものであり、バンカーバスターやクラスター爆弾などで破壊と虐殺をおこなったからだと説明する。
 戦争の悲惨さが反戦の気持ちを起こさせるのは至極当然の事である。しかし荒氏の説明には時間的な矛盾があり、それでは反戦デモが高揚した説明にはならない。もしも荒氏の言うとおりなら、反戦運動が高揚したのは戦争が開始された3月20日以降のことになるはずだが、それは事実ではない。運動参加者ならわかるように、反戦運動高揚の兆しは首都圏ではまず1月18日の日比谷野音で見られた。そこでは昨年までとは違う新しい人々の流入が始まっており、野音は7千人の人々で埋められた。さらに2月15日の渋谷では驚くべき異変がおこった。主催者は参加人数を2百名くらいと予想し警察にもそのように届けていたのだが、5千名もの人々が押し寄せ、会場に入りきらなくなったのである。それ以後2月19日、22日と、主催者の予想を上回るたくさんの人々が反戦デモに参加するという状態が続いた。
 つまり反戦運動の高揚が始まったのはイラク攻撃開始の2ヶ月も前、まだ査察も国連討議も続いていた段階のことであり、特に3月8日には4万人の人々が日比谷公園に押し寄せてきたのである。これは「戦争の理不尽さ・残虐さ」だけでは説明がつかない。もちろんアフガン攻撃で戦争の残虐さを見せつけられ、開戦前から反戦世論が高まっていたことも要因のひとつであろう。しかしそれでも2001年9・11以来続いてきた反戦運動が今年に入って急激に増加した理由を説明するには不充分である。反戦運動の高揚を引き出した直接的要因は他にあったのである。荒氏はそれを全く理解していない。

■グローバル資本主義をどう把握するべきか

 また荒氏はもうひとつの理由として、運動の背景にあるグローバリズム化によるアメリカ一極支配の進行を掲げている。しかしグローバリズム化(あるいはグローバリゼーション)をただちに「アメリカ化」と解釈するのは乱暴すぎる。もちろんグローバリゼーションを最も徹底的に推進しているのはアメリカ金融資本であり、圧倒的軍事的優位を背景にアメリカは政治・経済の分野においても一極支配をめざしている。しかし全世界の反グローバリゼーション行動を「世界のアメリカ化――に対する、全世界の人々の怒りと反発」という図式にまとめるのは「反米愛国主義」に道を拓くものであり、それではアメリカ資本主義に対抗する「愛国的資本家」の経済競争に対して抵抗できない。
 又それはアメリカ以外の反資本主義的運動の発展を説明することができない。たとえば荒氏が例にあげたジェノバやシアトルにおけるWTO会議や先進国サミットは「アメリカン・グローバリズム」ではなく主要先進諸国同士の「協調的グローバリズム」のための国際会議だったのである。
 現在、先進諸国政府はふたつの方向へと分裂しているように見える。日本を含む「アメリカン・グローバリズム」派と欧州を中心とした「協調的グローバリズム」派と。今後この関係がどう展開していくのかはわからないが、双方ともが経済競争によってわれわれの生活と文化を破壊することには何の違いもない。民衆にとってはどちらも抗議の対象なのである。グローバリズム資本主義についての荒氏の文章はあまりにも粗雑すぎる。

■なぜ湾岸戦争時には反戦運動が高揚しなかったのか

 荒氏が反戦運動高揚の理由としてあげた「米英の理不尽な攻撃」と「資本主義のグローバリズム化」は12年前の湾岸戦争の時にもあった。この時にも資本主義のグローバリゼーションはレーガン・サッチャー等によってすでに進行しており、日本でも「民活導入」路線によって国鉄や電電公社などの公企業が私企業へと売り渡され、リストラが強行されていった。91年にはバブル崩壊は深刻となり、人々の生活不安は現実のものとなっていた。その時に始まった湾岸戦争では多国籍軍による爆撃によって10万人を超えるイラク人が殺されたと言われている。この時にも多くの人々が平和を望んでいたはずである。
 ではなぜ12年前の湾岸戦争の時には反戦運動は高揚せず、今回はこんなに高揚したのだろうか。荒氏の論理では説明がつかない。それを解くカギは「主体の側」にある。荒氏のあげる理由は二つとも、「グローバリズム化」「戦争」という、いわば「政府の側の動向」だけであって「民衆の側の動向」についての分析が抜けているのである。
 80年代、公共部門の民営化とそれに伴う総評・公労協解体を軸とする労働戦線の再編という、資本側の攻撃に対して日本の労働運動は勝つことができなかった。この時以来、労働運動の主流は階級強調路線に吸収され、労働運動に依拠してきた政党や急進的党派の多くも後退し、消滅するか階級強調路線へと転身していった。もちろんその後のソ連・東欧共産圏の崩壊もこの過程を促進する要因であっただろう。それ以来、日本の運動家・活動家たちの多くが自信を失っていったのである。

■たたかいへの自信と意欲を回復させた要因は何か

 日本の運動に自信を回復させる“かぜ”は外から吹いてきた。資本のグローバリズムに対抗する大規模な運動の情報が99年11月のシアトルを皮切りに続々と入ってきたのである。欧米先進諸国における抵抗闘争は日本の運動家たちの絶望感をしり目に年々拡大していき、世界各地で国境を超えた国際的連帯闘争へと発展していったのである。
 湾岸戦争時にもこうした運動が無かったわけではない。しかしそれはまだ小さく、したがって日本のマスメディアからはほとんど無視され、報道されては来なかった。しかし、今回は大きく拡がった世界の闘いの息吹がマスメディアの「報道管制」的状況を突きやぶり、ついにはテレビや新聞に関係者のインタビューや日本における集会日時の予告までが報道されるほどの“ブーム”を創り出したのである。
 特に印象的だったのは3月8日のデモであった。この前日にはテレビのニュース番組が枠を拡大して世界や日本の反戦運動を報道したばかりでなく、人気グループSMAPをゲスト出演させ「世界にひとつだけの花」が反戦平和ソングとして流された。翌日、日比谷公園を4万人の人々が埋め尽くしたのはこれと無関係とは言えない。つまり、世界的な運動の高揚に鼓舞された人々が、同じくこの高揚を無視できなくなり「積極報道」に転じたマスコミを通じて「行くべき場所」を知り、そこに自分の意志によって続々と登場し始めた、というのがイラク反戦行動に際しておこっていた現象なのである。
 もちろんそこには、それまでの悲観的な情勢にもかかわらずそれに絶望せず、じっと耐えながら反グローバリズム運動を頑固に、地道に継続してきた市民運動や左翼運動の人々が準備していた集会やデモが重要な足がかりとなったことも忘れてはならない。ここに、自信を回復した元活動家や反戦平和の意志を持った若者たちが大挙して流れ込んできたのである。

■ヨーロッパ市民運動の形成と発展

 荒岱介氏は今後の運動は共産主義運動(左翼運動)が没落し、代わって「マルチチュード」型市民運動が高揚すると分析する。市民運動と左翼運動とを対比し、市民運動の高揚によって今後も左翼は後退すると見ているようである。そして階級史観そのものが「時代遅れとなる」という展望に沿って自らの指導する共産同戦旗派も共産主義の旗を降ろしてNGOへと“パラダイムチェンジ”したのだろうか。
 もちろん誰がどんな思想を持とうと自由であるが、荒氏のこの展望は果たして正しい情勢認識に基づいているのだろうか? その検証のために日本の反戦運動に影響を与えた欧米の社会運動を見てみよう。特に欧州反グローバリズム運動を牽引してきたフランス・イタリアの社会運動はどのように成長してきたのか。
 80年代から本格的に始まった資本のグローバリゼーションと各国政府の新自由主義政策によって生活の危機に直面した民衆は資本家政府を選挙によって罷免し、代わって社共政府が欧州各国に誕生していった。政権獲得と共に社共は中道化をすすめ、環境政党として誕生した緑の党もここに合流していった。イタリア共産党は中道化して「左翼民主党」と改名したため左派が分離して「共産主義再建党」を結成したのは記憶に新しい。フランスでは68年5月革命の英雄コーンバンディは緑の党を結成し社共とともに政府に入閣した。しかしこれらの政府が推進した中道路線とは、金融資本への妥協に他ならず、彼らはグローバリゼーションの推進者となって民衆を裏切っていったのである。以後ヨーロッパの各種市民運動はしばしば政府に抵抗する運動として組織され、それは社・共・緑の中道路線とも対決することになっていった。

■市民運動と連携して発展してきた欧州左翼

 グローバリゼーションと対決する運動は、革命左派(あるいは急進左派)によって積極的に進められてきた。例えば公営サービスの民営化路線に対して日本労働者階級は敗北したが、フランスでは今も闘いが続いている。社会党系郵政労組であるCFDT-PTTでは民営化への抵抗闘争によって中央から排除された左派活動家たちはSUD(連帯・統一・民主)-PTTを結成したのであるが、この労組は今ではCFDT-PTTを上まわる組織人員を獲得している。こうした自主的闘いの発展は他にも波及しており、SUD-Rail(鉄道労組)や独立系新労組が結成され、ラディカルな闘いが発展している。
 労働運動だけではない。失業者たちは自主的に運動体を組織し、空き家となっている公共建造物などをつぎつぎと占拠して野宿者たちのための住居として解放し、それを行政に認めさせる運動を続けている。また移民労働者の人権擁護団体やバイオ技術に危惧する農民団体や環境保護団体などさまざまな市民運動と戦闘的労組が結び付いてグローバリゼーションに対抗する運動を創出しているのである。その一つが投資に対する課税(トービン税)を要求するATTAC(アタック)運動である。ATTACは個人や団体ばかりでなく一部の地方公共団体とも連帯しながら国際的NGO団体として成長を続け、現在では世界五大陸に300カ所以上の事務所と3万人の会員をもつ国際運動へと成長しているのである。日本においても「%」マークのATTAC旗は反戦集会のたびに見られるようになっている。
 労働運動、市民運動における成果は、政治的にもはっきりとした前進を与えている。昨年のフランス大統領選挙においてトロツキスト3組織は合計11%の投票を獲得し、これは共産党の3倍を上回るものであった。またこの時には極右政党国民戦線のルペンが第二位を獲得したが、直ちにこれに対する抗議行動が全国一斉に起こされた。これにも革命左派の大きな貢献があったのである。イタリアにおいてはもっと鮮烈な変化が起きている。前述の共産主義再建党は急進派左翼の統一戦線党として影響力を増大させ、現在では毎年全ヨーロッパ左翼の合同国際会議を招集し成功させているのである。また、イタリア全土で労働者1千300万人が決起した昨年のゼネストは労働者の階級的意識が健在であることを示している。

■市民運動と左翼の世界的反乱が始まりつつある

 以上に見るように、世界の反戦運動を活性化させたのは既成左翼や中道派に対決する急進左翼と市民運動との結びつきによるものととらえるべきである。これはヨーロッパだけではない。アメリカ反戦団体ANSWER(アンサー)はイラク反戦運動の組織化に多大な貢献をしたが、これも左翼政党「WWP」(世界労働者党)を中心として多くの左翼政党が重要な役割を担っている。また、全世界の反グローバリズム運動が結集して開催された「世界社会フォーラム」はブラジルのリオグランデドスル州ポルトアレグレで開催されたが、ここの議会多数派として地方政権を担当しているのがブラジル労働者党内第四インター派であることは広く知られている。彼らは地域の住民とともに行政を担当しており、またフォーラムに対してもホストとして重要な役割を担っていたのである。今や世界の市民運動は、裏切りによって資本主義グローバリズムに屈服しているのは誰か、それとほんとうに対決し住民の利益を代表しようとしているのはだれかをしっかりと見抜いているのである。さまざまなNGOの発展は「左翼の没落」の上にあるのではなく、逆に左翼と連携することによって相互の発展として実現してきているのである。その運動の成果は全米150万、フランス50万、イギリス200万、スペイン200万という、参加者の規模に現れている。日本の運動が3月8日以後拡大したと言っても、まだ世界の運動よりも2ケタも小さな運動であることを自覚しなくてはならない。そして日本の運動が世界の運動から遙かに立ち遅れているのは何故なのか、その理由も自覚しなくてはならない。新左翼の内ゲバはその重大な理由のひとつである。

■新左翼運動はセクト主義を否定する運動だったか?

 荒氏は「唯一前衛党」論や「マルクス・レーニン主義型」組織を否定し、「多様性を認め合う運動がしたい」とも書いている。そして、そのために共同行動の三原則(課題の一致、行動の統一、批判の自由)の必要性を提案する。たいへん結構な提案であると思う。まったく賛成である。では、それならなぜ新左翼運動を無批判に持ち上げるのだろうか? 荒氏は「日共や独善的セクトによる運動の勝手な領導に対しては、これを否定する論理を内在化させて新左翼運動は存在していた」などと主張し、あたかも新左翼運動が現在の共同行動の模範として学ぶべきものであったかのように言う。これは自分の主張にとって都合のいい部分だけを取り出し、事実を改ざんするものと言わざるを得ない。なぜならば当時の新左翼の党派理論の多くはマルクス・レーニン主義や「唯一前衛党」論に支配されていたからであり、各セクトは「運動の勝手な領導」をめざして相互に激しい内ゲバを繰り返していた事実もあったからである。言うまでもなく荒岱介氏の指導する「共産主義者同盟戦旗日向派」というセクトも例外ではない。こうした新左翼諸党派の内ゲバ的体質を無視し、新左翼の内ゲバが日本階級闘争と大衆運動・市民運動に深刻な打撃を与えてきた事実を隠蔽したまま「諸団体と個人との共同行動」という側面だけを強調するのは歴史事実のすり替えである。新左翼運動について、このような乱暴な総括をもって歴史を偽造するのはスターリンのやり方であり、日本大衆運動だけがなぜ世界の運動から取り残されてきたのかについての自己の責任を自覚しようとしない悪質な責任逃れに他ならない。

■まず自分が他者の多様性を認めるべきである

 ネグリの「マルチチュード」概念を持ちだし、あたかも当時の新左翼の共同闘争が「セクトの勝手な領導」の事実を否定するものであったかのように装いながら、なおかつ「昔から前衛党は敬遠されていた」との見だしつきでブント機関誌『理論戦線』の自分の論文を引用するのは、「自分は69年の段階から多様性を認め合う共同闘争を追求してきたのだ」というウソを宣伝する事であり、デマゴギーの上に築きあげた欺瞞的自画自賛以外の何物でもない。そして一方、共労党や第四インターによってベ平連や三里塚連帯する会などの大衆運動は党派的マヌーバー戦略として運営されていたという主張も、あまりにも露骨なウソであり、とっても虫のいい「ジコチュー」な論理である。そのようないいがかりは何よりもまず連帯する会やベ平連に参加して活動してきた多数の労働者・市民を侮辱するものである。
 「多様性を認め合う」という人物がなぜ内ゲバによって他者の意見を暴力的に排除するのか? 私は一時期ブント情況派に在籍し、叛旗派とともに戦旗派から内ゲバによって排除された経験が何度かある。また『検証 内ゲバ』パート1・パート2においてそれぞれ荒氏が指導するブント戦旗派がどんなに内ゲバ的なセクトであったかが詳細に語られている。共同行動の原則破壊の張本人、荒岱介氏の「内ゲバ戦歴」は隠しようもない。
 自ら党派の領袖として内ゲバを指揮してきた人物がどうして何の総括も自己批判もなく「セクトが指導する運動はイヤです」「多様性を認め合う運動がしたい」などと抜け抜けと言えるのだろうか? あきれはてた偽善的態度である。荒氏が提起する「共同行動の3つの原則」は極めて当然な、誰でもが守るべき原則である。しかし、それを踏みにじってきた自分自身の行為について何等の責任も明確にせず他者にだけそれを要求するのはスジちがいでありダブルスタンダードというものである。

■参考文献

荒岱介「個人に解体する専制政治は無しだ」(「SENKI」1109号より)
http://www.bund.org/opinion/1109-1.htm

共産主義再建党とヨーロッパ左翼
http://www.jrcl.net/web/frame03224g.html

イタリア共産主義再建党とイタリア政府
http://www.jrcl.net/web/frame03d1.html

ヨーロッパ社会運動の発展(上)
http://www.jrcl.net/web/frame0333d.html

ヨーロッパ社会運動の発展(下)
http://www.jrcl.net/web/frame03310f.html

欧州議会選挙に革命派5名当選(フランス)
http://www.jrcl.net/web/frame03d6.html


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