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JVPのデマは暴かれている 高島義一
赤色土竜新聞第5号 2003.1.21

「Workers」阿部治正さんの新たな中傷
なぜ事実をアベコベに描き出す不毛な手法を続けるのか

高島義一(かけはし1996年9月9日号より転載)

開き直りはやめたらどうか

 「Workers」八月十五日号(88)で、阿部治正さんが「高島義一さんの批判に応えて」をサブタイトルに「再びスリランカのLSSPとNSSPについて」という文章を掲載しています。われわれは、本紙八月五日号に掲載した投書への回答の中で、スリランカにおけるLSSP(ランカサマサマジャ党)、NSSP(ナバサマサマジャ党)と第四インターナショナルをめぐる問題について、事実をアベコベに描き出す阿部さんの悪質なデマゴギーを批判しました。
 阿部さんは、七一年に無謀な冒険主義的武装蜂起を行ってバンダラナイケ政権に弾圧されたJVP(人民解放戦線)をスリランカと世界で最も中心的に防衛する闘いを展開した第四インターナショナルを、こともあろうに弾圧に加担したかのように述べました。
 JVPと第四インターナショナルについての最低限の基礎知識(日本語に訳された何冊もの書籍でも書かれている)すらわきまえない阿部さんの主張は、単なる「事実誤認」ですまされる問題ではありません。われわれは、阿部さんがなぜ、何の目的でこうしたデマを吹聴したのか明らかにするよう求めました。運動の前進に結びつくような建設的な討論をこうしたデマや中傷の上に成立させることはできないからです。
 これに対して阿部さんは「事実関係で誤りがあったのは確かですが(高島さんがこの点を何度でも言いたてたいなら何度でも同じ自己批判をいたしましょう)」(前掲)と述べています。これは、ウソがばれてしかたなく「ああ悪かったね」と言っている以上ではありません。こうした態度は言葉の厳密な意味において「開き直り」といいます。阿部さんは私たちの問いに答えることを拒否しています。
 阿部さんはまた、八月五日号の「かけはし」でわれわれが指摘した事実によって、「一昨年の総選挙の際にNSSPがブルジョア政党との統一戦線であるPA(人民連合)に参加し、選挙後入閣したが、大衆の反発で下野した」というデマ(「Workers」84)も維持できなくなりました。
 自らのこの主張がデマであったことを認めるにあたって、阿部さんは「何やら七一年のLSSPも入った人民連合政権についての議論と似てきましたが、ここでも私の側に事実関係での誤認があったことは率直に認めましょう」(88)とうそぶいています。これもまた、自己批判とはほど遠い開き直りにすぎません。
 前掲の阿部さんの文章によれば、阿部さんはスリランカの新聞まで読んでいるようです。その阿部さんが、NSSPの九四年の選挙方針(当時の本紙「世界革命」紙にも掲載されている)も全く知らず、選挙中と選挙後の政党間の関係の基礎知識もないままに、NSSPの選挙方針を「批判」するなどということがあるでしょうか。
 もし本当に知らなかったとしたら、そもそもこの問題を論ずる資格はなく、知っていたとすればそれは「事実誤認」ではありません。阿部さんが、意識的に悪質なデマを吹聴したということになります。いったいどちらなのか、はっきり答える義務が阿部さんにはあるのです。これは「七一年のJVPへの弾圧」をめぐる問題でも全く同じです。

JVPのデマは暴かれている

 阿部さんは「八九年前後のJVP弾圧」にNSSPが加担したというデマについても、一部われわれの批判を認めました。当時JVPが再び無謀な冒険主義的武装闘争路線をとり、それと一体となった暴力的党派闘争路線―徹底した内ゲバ主義で他の左翼党派(NSSPもふくむ)にテロ襲撃を加えていたことを阿部さんは否定できず、「それは擁護できない」と述べています。
 しかしなお阿部さんは、NSSPは高島の言うようなJVPのテロに対する自衛のキャンペーンを行っていたのではなく、JVPへの残虐な弾圧に加わっていた、と主張しています。
 われわれは、内ゲバ主義者が対立党派を「ファシスト」「権力の手先」と規定し、事実を全く逆に描き出したりして、自らのテロ襲撃の口実とすることを、われわれ自身が何度もテロ襲撃の被害者となった体験からもよく知っています。われわれは、内ゲバ主義者の「対立党派=権力の手先・ファシスト論」を全く信用しませんが、阿部さんが在日スリランカ人活動家に聞いたという「証言」について、念のためNSSPに問い合せてみました。JVPの機関銃部隊に襲撃されてひん死の重傷を負ったビクレマバフ・カルナラスネ(バフ)が自ら簡潔に答えてくれました(別掲)。
 この手紙で事実関係は明らかでしょう。JVP系活動家が言ったと阿部さんが書いていることは全くのデマであって、いまやスリランカ本国では公然と語れないようなウソ八百に依拠した阿部さんの誹謗中傷の責任も、また問われざるをえません。

意図的曲解は信用を失う

 阿部さんがスリランカをめぐる第四インターナショナルについてのデマを吹聴した理由のひとつは、阿部さんたちが社労党から引き継いだ「トロツキー=人民戦線の元祖=入閣主義=右翼日和見主義」という珍説を広げることでした。
 しかしわれわれが前回にあらためて確認した事実によって、この珍説は維持できなくなりました。六〇年代はじめのLSSP多数派の人民戦線的堕落に対して、第四インターナショナルはその国際組織をあげて闘いました。そしてLSSPの大会でその堕落が確認された時点で、第四インターナショナルセイロン支部としてLSSP・R(ランカサマサマジャ党革命派)を組織し、LSSP多数派の人民戦線的堕落に抗して闘いぬきました。もし第四インターが社労党=阿部説のように「入閣主義」なら、むしろLSSP多数派の堕落を歓迎したはずです。しかし事実は全く逆でした。
 このため、今回の阿部さんの文章では「第四インター=入閣主義」なる主張は後景に退いています。そこで阿部さんは、得意のデマを駆使して、それでもやはり高島の主張は「トロツキー主義が持っている大きな限界を自ら暴露するものだ」と述べ、「第四インター=右翼日和見主義」説を防衛しようとしています。
 われわれは八月五日号の中で、LSSPの堕落を教訓化する問題に触れた際、情勢の転換点で大衆的影響力を持つ革命政党が直面する危険性について、一九一七年四月レーニン帰国以前のボルシェビキの例などを引いて指摘し、LSSPの党組織の形成のされ方がこうした試練に耐えられない弱さを持っていた、と述べました。
 この中の一節だけを取り出して阿部さんは主張します。「高島さんは『議会主義化した議員集団とそれを支持する大衆との大きなギャップ』などとも言うのですが、こんなものは革命勢力の宿命などでは断じてありません。こうしたていたらくは、むしろカウツキーやベルンシュタインらが牛耳っていた第二インターやドイツ社会民主党の姿そのものです。それとも高島さんは、自分たちは第二インターとさしてかわらない勢力なのだと打ち明ける気にでもなったのでしょうか」(同前)。
 阿部さんは、私がLSSPの弱点として指摘したことを、「こうした弱点は革命勢力の宿命だと高島は言っている」というようにネジまげています。デマに対しては事実を突きつけるしかありませんから、八月五日号の一部を引用しておきます。
 「…(略)…LSSPは、同志ピエール・フランクらが『第四インターナショナル小史』で列挙しているような多くの弱点を持っていました。ここでそれをすべて書き写す余裕はありませんが、議会主義化した議員集団とそれを支持する大衆との大きなギャップという、『ボルシェビキ的』とはいい難い組織の弱点が、情勢の重圧と展望の喪失の中で一挙に表面化したのだと思います。
 指導部の多数派が言葉としては理解していたはずのトロツキズムの原則は、展望の喪失と動揺の中で砕け散り、大衆党員にはそれを批判し、克服する力がありませんでした。…(略)…一人一人の党員がマルクス主義の原則に立脚しつつ、しかもそれを創造的に適用し、『指導部』に対する批判能力を持つような組織を、大衆的に作り上げようとするねばり強い闘いこそ、真に求められているのです。……」。
 誤読の余地はないはずです。阿部さんに忠告しておきます。こうしたデマは、「Workers」読者が「かけはし」を読まないことを前提にしてしか成立しません。こんなことを繰り返せば、あなたはあなたの仲間たちからも信用されなくなるでしょう。

「無謬の党」という観念論

 阿部さんはまた、情勢の転換点で革命勢力が直面する危機、という私の主張に対して「スターリンらの誤りをきちんと総括し、同じ誤りに容易に陥らない政治的成長を獲得しているからこそ、革命勢力は革命勢力の名に値するのです」(同前)と述べ、「全くナンセンス」と批判しています。これは、ほとんど「前衛党=無謬(むびゅう)論」とも言うべき珍説です。
 前回で指摘したボルシェビキの例を含めて、革命的マルクス主義者の政党やそう自称する多くのグループの闘いの歴史は、誤りと動揺と敗北の歴史だったと言っても過言ではありません。そうしたひとつの例が、LSSPの堕落でした。
 われわれは、レーニンやボルシェビキの闘いの歴史的連続性を引き継ぎ、相互に誤りや逸脱を検証しながら最も勝利に結びつきうる方針をかちとるためにこそ、インターナショナルに結集しています。しかし誤りに陥らないことを、あらかじめ保証されているわけではありません。資本主義の危機の深さや広さ、あるいはそれぞれの大衆闘争の持続性や可能性について、情勢の読み間違いやそれにもとづく戦術的誤りを、完全に回避することは不可能です。主体の弱さがあれば戦略的誤りと堕落に帰結することさえありえます。
 大衆闘争と結びつき、労働者大衆の中に深く分け入り、その運動に責任を持とうとすればするほど、労働者大衆の自然発生的な意識の高揚と衰退に革命党自身が大きく影響されます。問題はその中で、LSSP多数派の堕落に抗して同志バラ・タンポらの革命的少数派が闘ったように、真に勝利しうる路線を獲得するために闘いぬくことであり、誤りが犯された場合はそれを公然と認め、適切に自己批判し、修正しうる党の民主主義的機能を作り出すことなのです。
 あらかじめ「誤りを犯さない党」を建設するなどというのは机上の空論であって、大衆運動と切断された観念のレベルで「正しい綱領」を求めようとする無益な夢想の類にほかなりません。
 私はこの「前衛党=無謬論」を「僕だけは日和らないぞ」という阿部さんの個人的決意表明なのだろうと理解しています。ここで私は、阿部さんがかつて「真の革命党」と信じて疑わなかった社労党からなぜ決別しなければならなかったのかということを、真剣に総括することを望みたいと思います。
 スリランカに即して言えば、私たちが自らの問題として考えているLSSP多数派の六〇年代初頭の堕落の問題にとどまらず、あなたたちが支援しているJVPが繰り返した冒険主義的武装闘争路線や内ゲバ主義やシンハラ民族主義問題を、真剣に考えるべきだと思います。

吉田さんの投書は消えたのか

 最後に、本紙五月二十七号に掲載された吉田宏さんの投書をめぐる問題について触れないわけにはいきません。
 私は本紙八月五日号で、阿部さんのデマを暴いた吉田さんの投書は、まず「Workers」編集部に送られ、掲載されなかったために本紙編集部に送られてきたという事実を明らかにしました(本紙へ送るにあたって吉田さんは若干手直ししており、本紙掲載にあたって編集部で若干圧縮したため、厳密には少し表現が異なる)。そして、本紙がこれを掲載したために、やむなく阿部さんは七一年当時のJVPと第四インターをめぐる自らのデマを認めたのではないかと指摘し、その不誠実な姿勢を批判しました。
 この問題について阿部さんは、あろうことか吉田さんが「Workers」に原稿を送ったという主張を信用するのは「あまりにもお人好し、あるいは早とちりというものではないでしょうか」(同前)と述べ、吉田さんをウソつき呼ばわりしています。
 本人の了解を得て明らかにしますが、吉田さん(本紙編集部がつけたペンネーム)は、阿部さんが言う通り「Workers」にも何回も投書が掲載されている「Sさん」です。阿部さんもよくご存知のように、吉田さんは掲載された投書の正誤表を必ず送ってくるほど几帳面な人であり、投書を送るに当たって必ずコピーをとって置くような人です。
 もちろん、「Workers」に送った二月十九日付の投書のコピーもとってあり、「そんなものはなかった」という阿部さんの文書を読んだ吉田さんは、その手紙のコピーを「かけはし」編集部に送ってきました。われわれは吉田さんに、そのコピーを「Workers」にも送るようにすすめました。そのコピーを読んで、「他の会員」の皆さんと、なぜ送られた投書が「消えて」しまったのか、もう一度考えてみることを阿部さんにすすめます。
 いずれにせよわれわれは、事実をアベコベに描き出すようなデマを繰り返す阿部さんより、吉田さんの方を信用します。開き直らず、真剣に、自分が書いたことを総括してください。阿部さんとの「実りある討論」は、そのあとの話です。
      (高島義一)

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