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『Werkers』に反論する 吉田 宏(かけはし「読者からの通信」)
赤色土竜新聞第5号 2003.1.21

スリランカと第四インター

『Werkers』に反論する 東京 吉田 宏
かけはし1996年5月27日号「読者からの通信」より

 ワーカーズ社の『Werkers』(第七四号)は、スリランカのJVP(人民解放戦線)は「共産党や第四インターナショナルが入った政権と闘った」などと言っている。だが真実はどうか。
 「スリランカにおける最大の階級的労働勢力であるCMU(セイロン・マーカンタイル。ユニオン)の前議長で現執行委員であるロハナ・リヤゲさんとのインタビュー」(「スリランカの階級的労組指導者に聞く」)が『世界革命』(一九九五年四月一日号・四月十七日号・四月二十四日号・五月一日号)に載っている。
 『世界革命』によれば、ロハナ・リヤゲさんは、バラ・タンポ書記長とともに古くからの第四インターナショナリスト(注・第四インターナショナル支持者)として、国家と資本から独立した強力な労働組合運動を建設するために奮闘し続けてきた。
 ロハナ・リヤゲさんによれば、一九四五年から一九六四年まで、ランカ・サマサマジャ党(LSSP)が第四インターナショナルの支部(セイロン支部)だった。一九六四年にLSSPはバンダラナイケ政府(注・ブルジョア自由主義政府)に入閣した。LSSPはこの階級的裏切りによって第四インターナショナルから追放された。
 CMUの中のトロツキストグループは入閣路線に反対する少数派としてLSSPから分裂しランカ・サマサマジャ党革命派(LSSP(R))を結成した。第四インターナショナルはLSSP(R)を支部として認めた。LSSP(R)は一九八〇年に分裂し、シンパ組織になった。
 第四インターナショナルは統一させようとしたが、失敗した。しかしCMUの中心メンバーは第四インターナショナルとの関係をずっと維持してきた。第四インターナショナルは、最近ナバサマサマジャ党(NSSP)を支部として認めた。統一書記局は、NSSPとCMUの中のトロツキストグループが話し合いをするように要請している。CMUの中のトロツキストグループは自分たちの路線を一度も変えたことはない。そしてこの間、広範な労働者のあいだで、CMUは自分たちの組織だという感じが広がってきている。ロハナ・リヤゲさんは、このように語っている。
 なお、ロハナ・リヤゲさんはJVP(人民解放戦線)についても次のように語っている。
 一九七一年にJVPの蜂起があった。LSSPと共産党が入閣した連立政府(注・ブルジョア自由主義政府)は三月に非常事態宣言を出し、JVPの粉砕に乗り出した。一万八千人の青年たちが拘留され、数百人が殺された。CMUは政府のJVP弾圧に公然と反対した。
 CMUは、基本的人権と民主主義の防衛という基本的立場にもとづいてJVPを政府の弾圧から防衛する態度をとった。政府によるJVP弾圧に公然と反対する立場をとったのはCMUだけだった。四月三十日、CMUは政府に対して非常事態宣言の撤廃と拘留者の即時全面釈放を要求した。
 一九七二年に四十二人のJVP指導者に対する裁判が始まった。CMUの決定にもとづいて、書記長バラ・タンポが彼等の弁護活動を担当した。バラ・タンポはJVPの被告側を代表する弁護士として、二年間にわたって裁判活動を展開した。ロハナ・リヤゲさんは、そのように語っている。
 共産党がJVPを弾圧したというのは事実だが、第四インターナショナルがJVPを弾圧したとかLSSPがトロツキストだとかいうのは、デタラメだ。
 なお、LSSPと第四インターナショナルの関係については、ピエール・フランク著/国際革命文庫編集委員会訳『第四インターナショナル小史』(新時代社)の中の「セイロン支部の堕落」という部分にも記述がある。
 ウソツキはスターリン主義の始まりだ。

レッドモール党(第四インターナショナル・ファンクラブ)へ結集せよ

でも結集してもなんにもないけど