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革共同中央による「小西=反革命」規定糾弾!!こころある中核派活動家諸君に訴える
赤色土竜新聞第3号 2002.4.1

革共同中央による「小西=反革命」規定糾弾!!こころある中核派活動家諸君に訴える

熊谷直実 

 革共同中核派は週刊『前進』2043号紙上において、ついに小西誠を「反革命」規定した。これは中核派組織全体の総意なのであろうか? それにしてはあまりにも感情的で粗雑な文章である。事実と相違する記述も多く見られる。労働者階級人民に責任を持とうとする革命党が、このような乱雑で感情的な文章を公表しても良いものだろうか?
 またこれは、共に歩んできた同志に対する批判ではなく、明らかに敵対的な批判として書かれており、これまで小西が大衆運動の前進のために闘ってきた事実をないがしろにするばかりでなく、小西と共に進んできた大衆運動そのものに敵対する内容にもなっている。『前進』2043論文のこのような小西批判がいかにまちがっており、労働者階級および大衆運動に敵対するものであるかを、全てのこころある中核派活動家諸君に訴える。

(1)内ゲバを「革命的」と言いくるめる独善性!

 この論文には、清水の怒りがにじみ出ている。それは感情的であるばかりでなく、清水の傲慢で独善的な論理に貫かれている。まず最初に指摘しなければならないのは、革マル派の暴力を「反革命、ファシズム」と規定し、自らの暴力を「赤色テロル」と規定している点である。この規定はどこから来たものであるか? どのような階級的分析に基づいて革マル派を「反革命」「ファシスト」と規定したのか? これまでおよそ「分析」といえるような分析はなされてこなかったではないか。ただ「中核派に対する敵対行為」を基準として「反革命」の規定がされてきただけである。つまり「我々に敵対する者は労働者階級に敵対する者であり、したがって反革命なのだ」といっているだけである。
 では何をもって中核派の暴力だけを「赤色」「革命的」と言いうるのか? 「それは中核派が革命的だから」というだけにすぎない。これほど傲慢な態度はない。大衆を愚弄している。「我々は革命的である。だから我々の暴力は革命的なのだ」というパラドキシカルな循環論法はまさしく「革マル派の論理」そのものではないか。
 心ある中核派活動家諸君!諸君は、革マル派を粉砕するために革マル派の論理を採用するのか? もしも革マル派と論理構造を共有するとき、諸君は何を持って自己を革マル派と区別するのか? 「何が革命的で何が反革命か」を決めるのは党派の専断的な権限であってはならない。党派はつねに大衆に試されているのである。

(2)清水理論はスターリン主義そのものである!

 中核派は革マル派を「反革命」と規定し「ファシスト」と呼び、長年に渡って暴力的敵対関係を続けてきた。だが、「ファシズム」はどのように規定されるべきか。ファシズムを支えるのは没落するプチブル階級の不安定な意識である。むしろ革マル派は労働者階級内部で特権にすがり政府・資本との取引きによって延命を図ろうとする社民の特殊な形態なのであってファシストとは言い難い。だが「社民だから反革命的ではない」とはいえない。社民は革命と反革命とが拮抗する時代には、反革命の側から革命闘争の弾圧に手を貸すのである。
 革命ロシアは反革命干渉軍によって外部から攻撃を受けたが、これらの攻撃を最先頭で担ったのがヨーロッパ社民であった。ドイツ社民党政府は共産党を弾圧し、ローザ・ルクセンブルクを長期間投獄の後にファシストに引き渡し殺害に手をかした。現在もヨーロッパ社民はブッシュのアフガン侵略とそれに引き続く対テロ戦争方針を支持・支援している。しかしながら、それら反動的社民の足下に多くの労働者階級が繋がれているのも事実である。
 スターリンはこの社民党を「ファシスト」と規定し「社会ファシズム論」によって暴力的敵対行動を展開した。その結果、本物のファシズムが台頭したとき、社民と共産党に失望した労働者とプチブル階級の多数がファシストに投票した。こうしてファシストはスターリニストの「おかげ」で大量得票をもって政権の座についたのである。
 献身的な中核派活動家諸君。いま日本で同じ事態が進行してはいないか。なぜ、小泉自民党政権は80%もの高い支持を獲得したのか? それは労働者階級の闘いの後退ゆえにである。労働者階級が自らの階級的立場に自信を失ったからである。そうさせたものは何か? そのひとつは中核派中央の「カクマル=ファシスト」規定と、それに基づく暴力的党派闘争である。革共同両派の暴力的敵対抗争は多くの労働者人民を失望させ、左派大衆闘争そのものから離反させた。大衆運動の後退は社会党や共産党をも右転回させ、その結果それに変わって登場した自民党右派勢力=小泉政権に支持が集中したのである。小泉の高支持率は左翼諸党派による暴力的党派闘争の「おかげ」なのである。

(3)清水丈夫は「現代のナロードニキ」である!

 清水は9.11自爆テロ対して、これまでも「やむにやまれぬ」などと擁護してきたが、今回はそれをさらにエスカレートさせ、「反米ゲリラ戦争」によって「国際的内乱の情勢が切り開かれている」などと絶賛している。こころある中核派活動家諸君! マルクスが第一インターナショナル創設に際して宣言した言葉を思い出してほしい。マルクスは「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である」と宣言したのである。レーニンはそれをロシアに適用し、ストライキや工場占拠などを通じて労働者階級を組織し、前衛的労働者の革命党を建設していった。
 だが、一方「赤色テロル」によって情勢を切り開こうとした勢力もロシアにはあった。それがナロードニキである。ナロードニキとその後継者・社会革命党は爆弾や銃を使ってたびたび皇帝やその側近を襲撃し、それによって「内乱情勢」を創り出そうとした。そして、ツァーリズム体制のもとで困窮にあえぐロシア貧農大衆多数派の直情的支持を獲得したが、ついに労働者階級の多数派になる事はできなかった。清水が賛美するのは、まさしくこのナロードニキの路線である。決してレーニンの路線ではない。イスラム原理主義者の無謀なテロを労働者階級は支持しない。テロは「情勢を切りひらく」ものではなく革命派をますます不利にするものである。賢明なる中核派活動家諸君!惑わされてはいけない。清水ナロードニキズムと決別し、ボリシェビキ・レーニン主義に復帰しよう!

(4)9.11自爆テロはアメリカ労働者階級への敵対である!

 献身的中核派活動家諸君。諸君はかつてベトナム反戦闘争の全世界的な爆発の中にあって、ベトナム人民の反米闘争に連帯して戦い抜いた。ベトナム人民の英雄的な闘いは米帝を追いつめ、政治・経済両面における危機を招来した。またベトナム人民の抵抗闘争は国際的共感を呼び起こし、アメリカ帝国主義本国の労働者大衆もこれに呼応して巨大な反戦デモへと決起していったのである。日本においても全国の米軍基地が包囲された。相模原ノースピア戦車阻止闘争や沖縄全軍労牧港青年部をはじめとする労働者大衆のベトナム連帯闘争は日米帝国主義の反動政策を追いつめていったのである。
 あの時諸君はアメリカ労働者階級人民ともベトナム人民とも国際的に連帯していた。ただ革マル派だけが、ベトナム指導部がスターリニストである事を理由に、この戦争を「帝・スタ代理戦争」と歪曲する醜態をさらしていた。この時、中核派のほうが明らかに革マル派よりも先進的な位置にあったのだ。
 ところが今度はどうか? 革マル派は9.11自爆テロを「画歴史的」と評価し、そして中核派もまた「国際的内乱の情勢が切り開かれている」と評価しているありさまである。中核派の立場は革マル派と同等の位置に転落してしまっている。そもそも9.11テロによる犠牲者はグローバリゼーションの先兵たる投資企業エリート社員ばかりではない。ビル清掃や下請け管理の会社に働く多数の底辺労働者が犠牲になっているのである。アメリカ労組はテロへの抗議と犠牲者への哀悼を表する声明を発しており、米帝内部で闘い続ける革命的左派も、このテロを糾弾している。そればかりではない。このテロは反動的アメリカ・ナショナリズムを鼓舞し、ブッシュの報復戦争に高い支持率を与えたのである。そして報復戦争に反対するデモは強い敵意と憎悪とに迎えられたのである。
 献身的中核派活動家諸君。アルカイダなどに幻想をいだいてはならない。アルカイダとはイスラム・ブルジョアジー=ビンラディンに率いられた反動的テロ勢力である。テロへの賛美はアメリカ労働者階級への敵対である。アメリカ反戦運動を追いつめる態度である。このような方針を捨て、真に国際主義の道に復帰しよう。アメリカ労働者人民に連帯して闘おう。アフガン人民とともに闘おう。それは「テロにも戦争にも反対する」立場にほかならない。

(5)日本労働者人民は勝利していると言えるのか?

 清水は論文の中で「20数年にわたって革マル派と戦ってきて重大な勝利の地平を切りひらいた」と言っている。全くおどろくべき情勢認識である。30年前には、まだ日本左翼運動には巨大なエネルギーが満ちあふれていた。総評全国青年協は革命左派のヘゲモニーのもとにあった。全国反戦に結集する党派はそれぞれ1千名を超える青年活動家を擁していた。その中でも中核派は単独で1万名を超える動員力を誇る圧倒的多数派であり、機関紙『前進』の発行部数は最大10万部と言われた。当時、『前進』を読まなければ全国政治情勢が把握できないとさえ言われていた。
 しかし現在はどうか? 労働運動は後退し政府・資本に敗北し続けているではないか。公共企業体の民営化が着々と進行し、戦闘的労組は切り捨てられ、それとともに労働者階級は失業と生活苦を強いられているではないか。今や韓国労動者大衆がゼネストをもって政府権力と闘っているこの時に、日本は経済ストライキさえ打てない唯一の先進国となっているのである。革マル派は権力のふところ深く懐かれ、一方、戦闘的労働者大衆は権力の弾圧と労働指導部の裏切りによって後退させられてきた。国労しかり!郵政しかり!電通しかり! 諸君らの機関紙『前進』は現在どれだけ発行されているか? このような情勢に対し、清水は何をもって「勝利の地平を切りひらいた」というのか?

(6)情勢を正しく認識しているのはどちらか?

 日本階級闘争がここまで敗北を続けてきた原因のひとつはまさに中核派が長期間にわたって革マル派と「戦争」を続けてきた事にある。スターリンが社民との内ゲバによって労働者階級人民を離反させたように、日本労働者人民の革命的エネルギーは中核派と革マル派との内ゲバによって雲散霧消させられ、かわってグローバル資本主義と軍国主義に武装された右派政治勢力が台頭したのである。
 清水が「勝利の地平を切り開いた」と豪語する「20数年にわたる」革マル派との暴力的組織戦は、清水の願望とは正反対に労働者階級の敗北を強制し続けてきたのである。敗北の事実を直視せず「勝った勝った」と居直っても組織内部を本当に結束させる事はできないし、何よりも労働者人民大衆を愚弄する所行でしかない。小西誠はこの事実を活動家諸君に突きつけているのだ。日本階級闘争の現状を「勝利」と位置づける清水、「敗北」と認識する小西。どちらが情勢を正しく捉えているか? 正しい情勢認識がなければ情勢に正しく介入することはできない。現実を直視せよ。事実の認識から出発せよ!

(7)小西を革マル派から守ったのは中核派の軍事主義か?

 清水は「中核派による対カクマル戦が小西を守ったのだ」と言っている。このような恩着せがましい言い方をしておいて「小西に恩をアダで返された」といいたいのか? 「飼い犬に手を咬まれた」とでもいいたいのか? それはとんでもない欺瞞である! たとえどのような防衛策を施そうとも、軍事主義によって組織や人民を防衛することはできない。それは革マル派による本多書記長暗殺によってはっきりと証明されているではないか。
 小西は中核派の武装内ゲバ戦に批判的であっただけでなく、大衆運動を推進する立場にあった。そして、その運動の成果として、彼は中核派人脈とも異なる一定の大衆的影響を作り上げていたのである。そうした大衆的な成果が革マル派をして内ゲバを躊躇させたのである。小西を内ゲバ戦からまもったのは中核派の軍事路線によるもの等では決してない。小西が築いてきた大衆運動路線だったのである。
 内ゲバはどのような運動をも守ることはできない。ただ組織を破壊してゆくだけである。攻撃側も防御側も含めて破壊は進行していく。その事実に気付いたからこそ、中核派も革マル派も、たがいに内ゲバをやめているのではないのか? かつて数十人ものメンバーを殺し合った党派に対して、現在も口先では「反革命=カクマルセンメツ」といいながら大衆的集会において互いに何事もなかったかのように並んでビラを配る諸君らの光景を、労働者人民がどんな気持ちで眺めているだろうか? こころある活動家諸君。そのような欺瞞的な戦術を諸君に強制している清水に対して諸君はなんとも思わないのか?

(8)デマゴーグはどちらか?

 清水は、小西が書いた本の内容を「デマ・一知半解」とののしる。それでは中核派が宮崎のスパイ活動によって情報を盗まれたというのはウソなのか? ウソではあるまい。すでに昨年8月の『前進』紙上で宮崎問題を事実と認めているではないか。さらに小西は、宮崎がスパイである事実を本の出版よりも前に組織に通報し警告していたと言っているではないか。それに対する無防備さが引き起こした事態に対する責任はどこにあるのか? 「小西=反革命」規定は、スパイ問題における組織中央の責任を小西になすりつける行為ではないか!
 また、『新左翼その再生への道』では革共同が30年以上も党大会を開かずに、本来党大会で決定されるはずの政治局員を清水が勝手に任命していたと書かれているが、それもウソだというのか? それならいつ党大会が開かれたというのか? この本の指摘が事実であったからこそ、昨年あわてて党大会を開いたのではないのか? しかし、その党大会にしても、きわめていかがわしい方法で行われたとしか思えない。また清水は「革共同議長」という事になっているが、そのような役職はそもそも革共同にはないと小西は指摘しているが、その事実についてはどうなのか? 革共同の規約のどこに「議長」について書いてあるのか? 清水と小西とどっちがうそつきなのか! 自分のあたまで考えてほしい。

(9)なぜ小西の真意を理解しようとしないのか?

 清水はもはや事実を無視してウソとペテンによって小西を「反革命」といいくるめようとしている。すでに革共同内部でとっくに決着がついている「週刊女性」のねつ造記事を証拠にあげるなど、破れかぶれとしか言いようがない。また「小西が中核派から分かれるにあたって相互に誹謗中傷をしない約束をしたが、小西がそれをやぶった」と言っている。それは小西が『新左翼その再生への道』や『公安調査庁スパイ資料集』や『検証・内ゲバ』などを出版することによって中核派を批判していることを言っているのだろうか? それらの本のどこが「誹謗・中傷」だというのか?
 「誹謗・中傷」とは革マル派のように「ウジ虫・ブクロ派」とさげすみ、汚らしい言葉で相手を罵倒する事である。これらの本のどこにそのような罵倒が書いてあるか? 「ウジ虫・ブクロ」などということばを小西が一度でも使用しただろうか? よく読んでほしい。そこにあるのは、清水丈夫の独裁的権力によってふり回され、堕落に向かっている中核派に対する哀切に満ちた同志的批判があるばかりである。小西は同志的批判によって活動家諸君の献身的で革命的な魂に訴えているのである。こころある中核派活動家諸君。諸君には小西の気持ちが見えないのだろうか?
 専制的独裁権力によって革共同を私物化する清水を批判する事のどこが悪いのか。清水を批判するのは小西の自由である。そればかりではない。その批判の内容はきわめて的確である。それを「反革命」のレッテルによって脅迫するとはなにごとか! 批判者に「反革命」のレッテルを貼り、批判の自由を暴力的脅迫によって奪う行為こそまさしくスターリニズムである。『前進』は小西を反革命とする規定をただちに取り下げるべきである。批判と相互批判の自由を確立せよ!

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