■共産主義者同盟
(1847〜48年)
マルクスにより創られた最初の共産主義組織。『共産党宣言』を綱領(革命のプログラム)として、19世紀半ばのヨーロッパ民主主義革命に介入し、これを反資本主義的共産主義革命に発展・飛躍させることを課題としていた。その『共産党宣言』は世界の労働者に向かって呼びかけている―「万国の労働者、団結せよ」と!
規約第一条には「同盟の目的は、ブルジョアジー(資本家階級)を打倒し、プロレタリアート(労働者階級)の支配を打ち立て、階級支配にもとづく従来のブルジョア社会を廃止し、階級なく、私的所有のない新しい社会を建設することである。」と規定されている。
組織は個人加盟制の民主的中央集権にもとづく国際的単一組織として意図され、ヨーロッパ主要国での組織建設をめざしていた。規約にもそれは反映されていて「第16条 一国または一州の各地区はひとつの指導地区に属する」とか「第43条 大会は、国ごとに、各同盟員が納入すべき最小限の会費を決定する」などというふうに、あらかじめ複数の国家・州などでの組織建設が想定されていた。しかし、実態としてはドイツ人だけの組織であった。
■第一インターナショナル
(1864〜76年)
やがて労働者の闘争の高まりとともに国際的な労働者組織建設の機運がたかまり、ついに1864年9月28日、ロンドン・セントマーチンズ・ホールにおいてイギリス・フランスの労働者を中心に「国際労働者協会」が創立された。
規約には次のように書かれている。「暫定規約前文 ・・・・労働者階級の解放は労働者階級自身の手で闘いとられなければならないこと、労働者階級解放のための闘争は、階級特権と独占をめざす闘争ではなく、平等の権利と義務のため、また労働者階級の経済的解放が大目的であり、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべきものであること、これまでこの大目的のためにはらわれた努力はすべて、それぞれの国の様々な労働部門のあいだに連帯がなく、また様々な国々の労働者階級のあいだに兄弟的同盟のきずながなかったために失敗したこと・・・・」「第1条本協会は、同一の目的、すなわち労働者階級の保護、進歩および完全な解放をめざしている様々な国々の労働者団体の連絡と協力を媒介する中心として創立された」とあり、労働者階級の国際的連帯の必要性を強調している。
その組織はやがて西ヨーロッパとアメリカに広がり、イギリス、フランス、ドイツ、ポーランド、スイス、ベルギー、イタリア、スペイン、オランダ、デンマーク、アメリカなどの労働組合や労働者団体が加盟した。各国において複数の労働組合や労働者組織の加盟が想定されていた。
■第一インターの分裂
(1872年)
やがて第一インターナショナルは1872年のハーグ大会においてマルクス派とバクーニン派とに分裂し、以後、ふたつのインターナショナルが併存することになった。マルクス派のものは1876年に解散するが、バクーニン派インターナショナル勢力は、アナルコサンディカリスト(無政府主義的労働組合組織)として復活し、現在もAIT(国際労働者協会)として活動している。スペインCNTが主力。
参考サイト:「絶対自由共産主義労働者評議会」http://www.bekkoame.ne.jp/~rruaitjtko/
■第二インターナショナル
(1889〜現在)
1882年にマルクスが死ぬと、その事業はエンゲルスにより引き継がれた。第二インターナショナルは社会民主党などの連合体として出発した。
しかし第一次世界大戦(1914〜18年)がはじまると、第二インターナショナルの主要なメンバーであった各国社会党や社会民主党はそれぞれ母国政府の戦争に協力する事を決めてしまった。現代では戦争は「わが国の民族の利益のため」という口実のもとに、本当は各国の資
本家たちの利益のためにおこなわれるにすぎない。各国労働者は兵士としてその戦争の道具となって使い捨てられるのであり、同じ境遇にある他国の労働者と殺し合って死んでいくだけである。インターナショナルが本来めざしているのは、このような戦争に反対することでもあった。「万国の労働者、団結せよ」というマルクスの呼びかけにはそのような意味があったのである。第二インターナショナルは、各国社会党や社民党の裏切りによって本来の役割を見失ってしまった。帝国主義戦争に反対するローザ・ルクセンブルグやレーニン、トロツキーなどの反戦派社会主義者、共産主義者は、第二インターナショナルの戦争協力方針に反対した。この時労働者を裏切って戦争に協力した第二インターナショナルは今も継続して存在し主に社会党・社会民主党などの国際組織として存在している。
■第三インターナショナル
(1919〜43年)
第一次世界大戦は労働者・農民に死と貧困の苦しみを与えるものであった。第一次世界大戦のさなか、戦争に反対し「平和とパン」を要求する労農大衆のちからによって1917年にロシア二月革命が起こりロマノフ王朝が倒れた。そして資本家階級に基礎をおくケレンスキー臨時革命政府が樹立されたが、この政府は戦争の継続をすすめ、しかも二月革命を中心的に担った左翼の革命的諸党派を非合法化し、活動家を次々と逮捕・投獄した。しかし貧困にあえぎ戦争の終結を望んだロシア民衆はケレンスキーのこのような弾圧にもかかわらずたたかいを続け、十月社会主義革命を成功させ、ボリシェビキ党と社会革命党左派による労働者階級の政府を誕生させた。このロシア革命の成功のニュースは全世界の労働者階級におおきな喜びをもって迎えられた。この新しいロシア社会主義政府は全世界の労働者・人民が民族の別なく平等であることを宣言し、直ちに戦争をやめ、単独でドイツとの講和条約を結ぶ事を決定した。
ロシア革命を指導したボリシェビキ党は「ロシア共産党」と改名し、腐敗した戦争協力の第二インターにかわる新しいインターナショナル、第三インターナショナルを建設する事をきめた。第三インターナショナルは「共産主義インターナショナル」(コミュニスト・インターナショナル、略称=コミンテルン)として発足し、そこに加盟するための21カ条の条件を設定して、第二インターのように労働者を裏切らないようにしようと努力した。
ロシアに「労働者の祖国」=ソビエト連邦が建設されたのを全世界の労働者階級と心ある人たちは歓迎し、自分の国にもロシア共産党を模範とした共産党を作っていった。また、社会党の裏切りに怒る社会党員の人たちも共産党に加盟していった。こうして各国に次々に共産党が結成され、コミンテルンの加盟条件にしたがって第三インターナショナル各国支部となった。つまり、各国共産党は「世界共産党」の各国支部となったのである。日本共産党も1921年「世界共産党日本支部」として結成された。当時の「共産主義インターナショナル前文」は次のように宣言している。
「共産主義インターナショナルは、国際ブルジョアジーを打倒し、国家の完全な廃止への過渡的手段としての国際ソビエト共和国を創設するために、武器をとることを含めて、あらゆる手段で闘うことを目的とする。共産主義インターナショナルは、プロレタリアートの独裁こそ資本主義の惨禍から人類を解放する可能性をあたえる唯一の手段であると考える。そして共産主義インターナショナルは、ソビエト権力こそこのプロレタリアートの独裁の歴史的にあたえられた形態であると考える。
帝国主義戦争は、一国の労働者の運命とすべての国々のプロレタリアの運命をとくに密接に結びつけた。帝国主義戦争は、第一インターナショナルの規約に述べられていること、すなわち労働者の解放は地方的任務でも一国的任務でもなく国際的任務であるということを重ねて裏書きした。
共産主義インターナショナルは、実際上白い皮膚の人々しか認めていなかった第二インターナショナルの伝統と今後永久にきっぱりと絶縁する。共産主義インターナショナルは全世界の勤労者の解放を自己の任務とする。共産主義インターナショナルの隊列には、白色、黄色、黒色の皮膚の人々、全地球の勤労者が兄弟のように結束している。
共産主義インターナショナルは、世界史上最初の勝利した社会主義革命であるロシアの偉大なプロレタリア革命の獲得物を全幅的にあますところなく支持し、全世界のプロレタリアに同じ道を進むよう呼びかける。共産主義インターナショナルは、どこで創設されようと、すべてのソビエト共和国を全力をあげて支持する義務を負う。
勝利をすみやかにかちとるためには、資本主義の廃止と共産主義の創設のためにたたかう国際労働者協会が整然たる中央集権的組織をもたなければならないこと−このことを共産主義インターナショナルは知っている。共産主義インターナショナルは真に単一の世界共産党でなければならず、各国で活動する党はこの世界共産党の個別の支部である。共産主義インターナショナルの組織機構は、各国労働者にたいして、いつなんどきも他の国の組織されたプロレタリアから最大限の援助をうける可能性を保証しなければならない。・・・・・」
■スターリンによるソビエト・ロシアの簒奪
(1924〜)
しかし、スターリンが共産党書記長に就任し、レーニンが1924年に亡くなると、ソビエト連邦とコミンテルンを官僚主義によって支配しはじめた。スターリンは自分に反対するとみられる国内の政治家や活動家を次々と処刑していき、また多くの人々をシベリアに流刑し強制労働に従事させた。また、国外では、各国に結成された共産党(コミンテルン支部)に命令を下して、スターリンに反対する者を排除したり、とくに自分に都合の悪い人間に対しては暗殺者を使って抹殺したりした。
1920年代のドイツなどでは革命勢力にとって有利な情勢がはじまっていた。もし共産党とコミンテルンが正しい指導をおこなえば、もしかしたらその時に労働者階級が勝利して、社会主義ドイツが出現したかもしれない可能性があった。。しかし、コミンテルンの権力を握ったスターリンはドイツ共産党にたいして革命を台無しにするようnまちがった「コミンテルン指令」をあたえ、これを実行したドイツ共産党は弾圧されて崩壊し、労働者階級に甚大な被害を与えた結果、ナチス党が権力を握ることになった。
■第四インターナショナル
(1938〜現在)
当時、スターリンによりソビエト・ロシアを追放されていたトロツキーは、パリでドイツの様子を知り、スターリンの無能な政治指導によってナチスがドイツの政治権力を握ったこととコミンテルン(第三インター)がもはや労働者階級の戦いの武器としては役に立たないことを確信した。そして、「新しいインターナショナル」を建設しなければならないと決意した。やがてトロツキーと彼を支持する革命的左翼勢力は、1938年パリに集結して会議をひらき「第四インターナショナル」の創設を宣言した。この時に採択された「過渡的綱領」は、コミンテルンの最初の4つの大会で採択された決議文書とともに、現在でも第四インターナショナルの「綱領的文書」としてあつかわれている。
第四インターナショナルは世界戦争の困難さの中を生き抜いて戦後拡大してきた。途中、おおきな分裂と再統一を経験し、またいくつものトロツキズム分派を生み出しながらも、コミンテルンにかわる「あたらしい世界党」をめざして運動を続けている。現在では世界数十カ国に支部、支持組織をもち、多くの国で労働組合組織を指導し、エコロジーや失業問題、性差別の問題などさまざまな運動にもかかわっている。また、いくつかの国では地方議会、国会に議席を持ち、市長として地方行政にかかわっているメンバーもいる。今年(2000年)のヨーロッパ議会にもフランスからト5人のロツキスト共同候補が選出され、そのうちの2人は第四インターナショナル派である。
再統一大会で採択された国際規約
「第一条 第四インターナショナル(社会主義革命の世界党)は、その諸原則と綱領を承認し適用する闘士によって構成される。個別の各国支部に組織される彼らは、民主集中性の規律と実践に律せられる単一の世界組織に統一される。
第二条 第四インターナショナルの目的は、抑圧・貧困・不安・流血をともなう資本主義を廃絶するためにプロレタリアートとその同盟者を教育し組織することをたすけることである。それは、プロレタリア民主主義に基づく労働者農民評議会世界社会主義共和国を樹立しようとする。このような労働者階級の支配が社会主義の建設−世界規模にわたる科学的計画経済にもとづく恒久平和、物質的豊かさ、社会的平等、人間の同胞的関係、無制限の進歩を実現する階級なき社会への第一段階を可能にするだろう。
第三条 第四インターナショナルは、革命的マルクス主義のイデオロギー的遺産の連続性を維持しつつ、人類の進歩的な社会的経験をその綱領に同化しようとする。それは1917年10月革命、そのスターリニスト的堕落に対するひきつづく闘争、そして第二次世界大戦後の新しい革命的発展から導きだされる不可欠な教訓を国際労働者階級の前衛に提供しようとする。第四インターナショナルは、第三インターナショナルのための運動、1938年の文書、国際左翼反対派、第四インターナショナルのための運動、1938年の創立大会で採択された『過渡的綱領』(「資本主義の死の苦悶と第四インターナショナルの任務」)およびそれ以降の世界トロツキスト運動の主要文書のうえにたつ。
第四条 各国支部は、第四インターナショナルの基本的組織単位を構成する。すべての各国支部の目標は、当該国における階級闘争を社会主義的勝利にむけて成功的に導くことのできる大衆的マルクス主義党になることである。このことを達成するため、各国支部の中心任務は歴史的必要に応え、大衆的影響を獲得しうる指導部を建設することである。これが第四インターナショナルがそれをとおして偉大な解放の目標に到達しようとする手段である。なぜなら国際組織は革命をひきいる各国指導部にとってかわり、それを代行するものではないからである。こうして、その各国指導部の健康な発展はインターナショナル全体の第一の関心事である。・・・・」
■第四インターと共産党
(日本共産党と外国共産党の違い)
「・・・・スターリニストは、トロツキーとその支持者を『ソ連邦の解体を企む帝国主義の手先』とデッチあげて弾圧し、投獄し、暗殺した。しかしいまや、トロツキストを『反革命』とか『ニセ左翼』とののしるような共産党は、世界中でほとんど日本共産党だけになっている。ラテンアメリカでは七〇年代から、ヨーロッパでは八〇年代から、第四インターナショナルを支持する組織の党大会にそれぞれの国の共産党の代表が出席することは当たり前になっている。イタリアではトロツキストと旧共産党が共同の政党である共産主義再建党を組織しており、デンマークやドイツでは共同選挙リストで闘い、同じ国会議員団を形成している。われわれを『ニセ左翼』とののしる日本共産党のスターリニストぶりは世界的にも際立っている。スターリニズムを真に克服しようとしない政党に、労働者人民は二十一世紀への希望を託そうとはしないだろう。」(「かけはし」2000年11月20日号記事より)
●参考:
第四インターナショナル公式サイト
トロツキー研究所
|