四トロ同窓会三次会 2006年11月12日〜27日
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>インターネットで配信 投稿者:日中愛好協会(正統) 投稿日:11月27日(月)19時10分23秒
↓ですな。
http://www.kantipuronline.com/
あとは↓もよろぴく。
http://www.satp.org/
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ぴよ丸君へ2 投稿者:毛大変 投稿日:11月26日(日)22時49分52秒
ネパールの大衆新聞の「カトマンズ・ポスト」や反政府系「カンティプール」を
読めば分かります。(インターネットで配信)それくらいの労力は惜しんで下さい。
それと、希流さんへ
革命は、とりあえず先週、勝利的展開で終わっています。
毛派は国連監視下で武装解除し、来年6月まで国民会議派と暫定政権を樹立しました。
毛派は農業大臣と教育大臣のポストを要求しています。
理由は小作人の解放・農地改革と文盲率の減少が目的です。
確かに各村落での国軍と毛派の綱引きがあった事実は否定しません。
いい事か悪い事か別にして、それが、リアルな革命運動だと認識しています。
そして、重要なのはネパールの毛派は中共の援助を受けていません。
南にインド、北に中共と国境を接している複雑な状況下ですので、社会主義国
にもせず、共和国制になると思われます。現に、プラチャンダ書記長は言明し
ております。
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『アナキズム』第8号出版のご案内 投稿者:偽アナキスト非暴力集団 投稿日:11月26日(日)15時01分6秒
どうかご購読をお願いします(マルチポストご容赦)
アナキズム 第八号 ISBN 4-9908478-3-3
『アナキズム』誌編集委員会 編
http://a.sanpal.co.jp/anarchism/
A5判197頁 2006年11月 価格1,000(税込)
特集:DIY──いま/ここ/自分たちで
巻頭言 自分たち、または無主という脚絆(noiz)
DIYパンク座談 権力的なものから解放された空間
『試行』的場所──自立誌が流通する時(久保隆)
点から線へ、そして面へ(谷田大)
霞みを食って──北冬書房の30年(高野慎三)
村からの発信(6):究極の“DIY”〜過疎地域の争議と自主管理
──「国労音威子府闘争団=労働者協同組合おといねっぷ」訪問記(吉村正明)
報告○ミゲルベナサヤグの来日(津村洋)
論説○「名づけえぬ」(松本勳)
訃報○マレイ・ブクチン(森川莫人)
映評○『太陽』(高橋幸彦)
寄稿(=紀行)○ 旅のマスはカキすて(シガクロ)
三バカの反アナーキズム対談(小谷のん/乱乱Z改/タナカ)
報告○六・一七アナ・ボルシンポに参加して(津村洋)
論説○フランスにおける叛乱の省察(ケン・ナッブ/森川莫人訳)
講演(資料)○吉本隆明・講演『表現論』(解説:皆川勤)
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女郎屋稼業を見なれた俗物どもの想像 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:11月26日(日)13時26分51秒
編集済
題の言葉は、婦人共有論者に対するエンゲルスの罵倒語で、出典は
『家族、私有財産および国家の起源』です。
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『共産党宣言』には、次の文章がありますね。婦人共有に関する言説への皮肉を含みます。
君たち共産主義者は婦人の共有をやろうとしている、と口をそろえて全ブルジョアジーはわれわれにさけぶ。
ブルジョアは自分の妻をたんなる生産用具と考えている。そこで、生産用具が共同で利用されることになるときくと、この共有の運命が、同じように婦人のうえにもふりかかってくるものとしか考えないのは当然である。
たんなる生産用具にすぎない婦人の地位を廃止することこそわれわれの目的であるということなどは、彼らには思いもよらないのである。
いずれにせよ、共産主義者のいわゆる公認の婦人共有とやらにたいして、わがブルジョアたちのしめす高潔な道徳的な義憤ほど、わらうべきものはない。共産主義者が婦人の共有を実施するまでもない。それはほとんどいつの世にも存在していたのだ。
わがブルジョアどもは、公認の売淫制度のことはさておいても、彼らのプロレタリアの妻や娘を自由にできるだけではまだ満足せず、自分たちの妻を互いに誘惑しあうことを無上の楽しみとしている。
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen2.html
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出ましたね、事実の検証 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:11月26日(日)13時24分47秒 編集済
例えば、拉致問題の可能性を言ったとき、左翼の方からその言葉で罵倒されました。
また、本件は希流さんに謝罪しました。
偉そうに、何が言いたいんですか?
自分では検証不能なことは、本などを判断材料にせざるを得ないのですが、あなたは
全ての事柄から、自分で言って目で判断せよ、とおっしゃるのですか?
そういう言説は、大いなる縮退を齎し、現実問題として言論の自由を損ないます。
それが左翼のスタンダードとすれば、左翼は自由の敵だと、反動側から根拠を持って
常々言われていることを繰り返さなければなりません。
(別に拉致問題だけではありません。身近に起こったいくつかの問題でも、活動家
とか市民運動家に不利なことならば、大抵“デマに乗らされている”と言われ、言い
逃れの出来ない話であることが分かったら、頬かむりです。こういうことの総体と
して、左翼は大衆に見捨てられたんだと思います。私は、既成左翼が形成している
党派なんかには興味がありませんし、期待もしていませんし、コト日本では左翼が
左翼として復活するとは全く考えていません。が、個人としての左翼という立場を
取られる方にはエールを贈りますし、新たなるものの土壌くらいにはなる、と思い
ます。 ここ的に言うならば、まっぺんさんにはエールを贈るが、かけはしなんか
はダメだろう、ということです。)
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ちなみに 投稿者:希流 投稿日:11月26日(日)00時45分45秒
>なんか100年前に流布された「共産主義者は妻を共有する」なんて言説
実際にヴァイトリングなどの一部初期共産主義者はそのような主張を行っていたはずです。
全く根拠なき噂と言うわけではありません。
確か婦人の共有制だったかな。
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↓ 投稿者:希流 投稿日:11月26日(日)00時37分14秒
現地のルポなどを読む限りでは毛派が暴力的な支配を行っている、
と言うのが一般的な理解のようです。
ただ、実際に目で見て確認したわけではなく、あくまでも聞き取りの
範囲で、と言うことにはなりますが。
なにぶん現在も内戦の真っ只中のような状況ですから
国軍、毛派はともにプロパガンダ合戦をやっている、と言うこともあるでしょう。
真相を確かめることはまだ困難ではないか、と思います。
ぴよ丸さんに対して言いたいことは、ボルシェヴィズム批判と言う目的のために、
はっきりしない事実であっても自身の主張に適合的なものは
ご都合主義的に利用してしまうようなことはやめたほうがよい、と言うことですね。
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ぴよ丸君へ 投稿者:毛大変 投稿日:11月24日(金)23時00分55秒
見てきた様な嘘は止めましょうね。
ネパール共産党毛沢東主義派は村人を皆殺しにした事は、一切ありません。
かって国軍が毛派に偽装し、婦女子を強姦し村人を皆殺しにした事があります。
それを意図的にあたかも毛派がした事の様に捏造した文章を読んで、鵜呑みに
したのだと思われますが、もう少し、文章の出所、或いは真偽を検証してから
投稿した方がよろしいかと思われます。
この事実はネパールの殆どの人々が知っている事実です。
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人民食堂へ一件移動しました 投稿者:管理人 投稿日:11月23日(木)18時22分23秒
http://8816.teacup.com/mappen/bbs
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経済基盤が弱い国でこそ 投稿者:パルタ 投稿日:11月22日(水)15時22分14秒
>基本的に他の人が書いているので、私ごときが特に付け加えることはありません。今どきの左翼で偶像崇拝や個人の神格化を「よし」とする人
>で、余談かもしれませんが、右派系の人の中に、死者の銅像はもちろん、ごく普通の墓参りだの葬式だのも左翼はしてはいけないはずだろうなんてことを言う人
>なんか100年前に流布された「共産主義者は妻を共有する」なんて言説を思い出させる話です。
家族制度の廃止を求める潮流はいます。最も共産主義の原則に忠実であろうとする人々はそこまでいくのです。何故なら家族という制度は生まれながらに母子家庭であったり、父子家庭であったり、生まれが貧困層か富裕層かですでに差がつくからです。保守派が求める妻が常に家にいる理想的な家族像になりたくでもなれない家庭が沢山あります。
ポルポト派は確か貨幣制度まで廃止したように記憶しています。ただこういうラジカルな試みは先進国ではなく、周辺の第三世界の国々で起こり、先進国ではそこまで急進的な人々は左翼内部でも主流派にはなれませんでした。社会民主主義的政策で安定していればいるほど、左翼の中でも急進的な試みを試す人々も減ってくるからでしょう。
ロシア革命の時にはカデットやメンシェビキすら存在は許されませんでした。反革命に皆殺しにされる危険性があったという点もあるでしょう。逆に社民的な政策が進む程、ボルシェビキズムを掲げている人々でも実質中身はカデットやメンシェビキに近づいてくると思います。今の日本のマルクス・レーニン主義者の9割はリベラル化しており、レーニン時代のロシアにいたら「カデット・メンシェビキの同調者」として処刑される可能性は高いと思います。共産党ははっきりとレーニンではなく、カウツキーとベルンシュタインの党であることを宣言すべきでしょう。レーニン主義を掲げ続ける宮本、不破はレーニンが生きていれば「背教者」の烙印が押されるでしょう。今の先進国の状況でボルシェビキを全肯定するのは間違いで、この状況で内戦中の大量処刑を全肯定できるなら野心家と思われても仕方ないと思います。あの大量処刑は自己の無酬性が前提にあるからであり、内ゲバ問題も自党派のみが社民党レーニン派(=ボルシェビキ)の正統な継承者ととらえるからだと思います。
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>KY さん 投稿者:草加耕助 投稿日:11月22日(水)07時55分10秒 編集済
基本的に他の人が書いているので、私ごときが特に付け加えることはありません。今どきの左翼で偶像崇拝や個人の神格化を「よし」とする人なんてほとんど(全くと言い切れないのが辛いとこだが)いないわけだし、あらゆる前提をつけずにソ連を「共産主義国」と認めていたような人は、ここにはいないと思われます。それはソ連崩壊後の話ではなく、それぞれ人により年代は異なりますが、左翼運動をはじめる当初からそうだったのだということをご理解ください。
で、余談かもしれませんが、右派系の人の中に、死者の銅像はもちろん、ごく普通の墓参りだの葬式だのも左翼はしてはいけないはずだろうなんてことを言う人がいるんですよね(笑
なんか100年前に流布された「共産主義者は妻を共有する」なんて言説を思い出させる話です。死者を悼んで追悼する気持ちに、右も左もないわけで、左翼だろうが右翼だろうが、肉親が死んだら泣くし、葬式もすりゃ墓もたてるわけです。だからKY氏のような人からこの手の質問があったときは、そういうトンデモなことを考えていないか確認させていただく必要があると思っていますが、どうですか。
まあ、そのへんは思想というより人によりけりなんですが、むしろ最近の20代以下の若い右翼思想の人に、そんなことを言う方がいる。左翼が靖国に反対する理由も、その延長で理解してるんですよね。
戦争の犠牲者に思いをはせたり、心を痛めるのは自然な感情です。で、私らの場合はそこから反戦に立ち上がり、犠牲者を特定の政治目的のために利用・冒涜する靖国システムにも怒りをぶつけてきたわけです。さらに自分たちだけが一方的な被害者ではないという事実を認識することで、大衆運動的にも、自分たちだけが良ければいいという一国平和主義を乗り越えてきた。
このへんは左翼的にもいろんな考えや潮流があるので、突っ込みどころもあるでしょうが、全体の流れとしてはそうだったと思います(というような注釈をいれないと恐くて書き込めない玄人筋の板だから、四トロ掲示板には書かないという人が非常に多しw)。
どうも若い人にこの流れが伝わってないと思う。別に同意してもらう必要はないわけだけれど、それよりも、ちゃんと正確に理解してもらうことが必要だと思います。本当に左翼は何も残せてこなかったのかと思うことがあります。理解した上で反対するなら、それはそれである意味仕方がないわけだから。
でも、逆に過去の運動は、安易でわかりやすい「反戦スローガン」で、理解してもらうことよりも賛成してもらうことに腐心してきたような。まあ今、日本政府がやってることがまさにそれなんですがね。
編集済(日本語がおかしいところを一部直しました。まだおかしいけれどw)
http://bund.jp/
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それを言うならベトナムのサイゴンをホー・チ・ミンにかえたことについても 投稿者:伊達 純 投稿日:11月20日(月)00時26分53秒
編集済
当のホー・チ・ミンは反対するだろうと思いますね。生前、自分が死んでも、盛大な葬式など行なわないようにということを言っていたそうですから。
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>「英雄」を否定する唯物史観 投稿者:削除@CIA 投稿日:11月20日(月)00時10分37秒
まず、ぎょーむれんらく。オラはとりあへずはデリません。
オラは主義者じゃないんですが、アカらしいオブジェがすげい大好きなので、
列寧墓と斯大林テーマパークは、オラが俄羅斯に逝くまではないとやだやだやだ。
あとですねー。
マルクス主義は、プレハーノフ「歴史における個人の役割」にて記されているように、
指導者や英雄などといったすぐれた個人の役割を、必ずしも否定しません。
優れた指導者を人民が尊敬することと、個人崇拝はまったく別のことです。
念のため。
あと、なんで個人崇拝を否定する立場にあるひとたちが権力持ってる国家で、
個人崇拝が多発するのかは、実際に研究をしているひとはおりまふ。
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今回は削除対象外かも 投稿者:セクトNo7 投稿日:11月19日(日)16時46分22秒
少なくても二次会、三次会に結集している同志友人諸君は「レーニン廟」なる偶像崇拝を唾棄すべき対象として、レーニン主義・反レーニン主義の旗を掲げているのである。たぶん?
でも、あれじゃレーニンもうかばれないとは思うのですが、まともな神経持ってたらご当人が一番恥じ入るかもしれません。
銅像も観音様もでかけりゃ良いってものじゃなし、宮城インターの近くのデカブツを見ると毎回ぶち壊したい衝動に駆られたな。昔
>この点、新左翼・旧左翼関係なく、罪深いものです。第四インターについてはよく
分からないのですが。
少なくても目的意識的に排除のための暴力行為という方法論は採らなかったと思います。歯切れが悪いのは、どこにでも『トンデモ君』がいましたから、現象面では無いとは言えないでしょうね。ま、経験談として「私は(排除の目的では)殴られたことは無い」ということですが、これは相手にもされない俗物であったからかもしれません。(爆
もっとも東北のインターの労働者は、『おかしな人』が多かったな。これはイレギュラーずさんのほうが詳しいでしょうけれど。
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KY氏が読まれたら削除してください 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:11月19日(日)10時25分29秒
編集済
いや、無条件削除でもかまいません。
レーニン自身は、母親の墓の横に埋めてください、という遺言をしたという伝説がありますが、確認されていません。最後まで死ぬ気はなかったようですし。
それはともかく、廟は全くの偶像崇拝ですね。で、なぜ、そんなことをしたのか。それは、スターリンが死者を聖者に仕立てることで、自らの権威を高め、それよりも何よりもレーニンに反対した過去のあるボリシェヴィキ党内のライバルを貶めるためです。スターリンによる、全くの政治プラグマティズムに従った行為です。(とりあえず、ここまで。じゃあ、なぜそれが有効であったのか、ということまで書き出すとキリがありません。)
この場合の唯物史観は、唯物論から派生したドグマということではないでしょうか?
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荒らし呼ばわりされたついでに質問があります(ご無礼をお許しのほどを) 投稿者:KY 投稿日:11月18日(土)23時46分38秒
「唯物史観の国」ソビエトで、何故「レーニン廟」なるものが建てられたのでしょう?これは「英雄」を否定する唯物史観に反した動きではないでしょうか?確か共産主義思想では「宗教はアヘン」だったはずなのに、何故にこんな奇行があったのか不思議でなりません。これは一種の偶像崇拝ではないのですか?次に「唯物論を肯定しても、唯物史観を否定する」というのはどういう考えでしょうか?
厚かましいと言われるかもしれませんが、よろしくお願いします。
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自称マオイストと革命左派 投稿者:natunohi69 投稿日:11月18日(土)06時31分34秒
自称マオイストというと、革命左派を思い出してしまいます。
彼等が権力を握ったら、連赤粛清の大規模なようなものが起きていたのでしょうか?
今、『イブニング』で連載中の『レッド』は植垣と永田が出会うまでのそれぞれの軌跡を追って、まるで見てきたようなストーリーを展開していますね。特に地裁の廊下での永田の暴れ方は、何かのドキュメント本(思い出せん)に書いてある通りで、絶句してしまいました。ところで若松監督は「革左」をどのように描くのか?
http://blog.wakamatsukoji.org/blog/2006/11/post_952c.html
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何はともあれ 投稿者:コミケ現闘 投稿日:11月16日(木)21時51分33秒
レッドモールコミケ現闘部隊大晦日闘争勝利を!!…なのであります。
んで、それはさておき、「左翼」云々は所詮上部構造であって、「左翼共同」は誤りであり、
「無産者共同」とかがよりよい…とかなんとか僭越ながら党首閣下にツッコミを入れるテスト。
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左翼協同のたたかい 投稿者:まっぴょん 投稿日:11月15日(水)17時38分0秒
●階級独裁は巧妙に隠されている
> 日本のブルジョア議会は、本質的に勤労大衆を政治権力の行使から排除
>(=独裁)しています。だが、彼らはあからさまにしているでしょうか?
まったくその通りだと思います。マルクスの時代におけるブルジョア独裁、レーニンのロシアにおけるツァーリ独裁は非常に顕著でしたから、「敵の独裁に対してこちらも独裁を対置する」事で民衆は社会の真実を理解し、反権力闘争に立ち上がることができました。しかし現在では階級独裁は巧妙に隠されています。政府与党は「全ての国民のために」政策を遂行しているかのようなポーズをとる。またブルジョア政党の中でも実際、主観的には「庶民の味方」であろうとする政治家も多いので、新自由主義政策に賛同できず、小泉との間に軋轢を起こし脱党・除名となる人々も出てくるわけです。これは彼らの主観的「善意」として理解していいと思います。
●階級独裁はどこで遂行されているか
革命には三つあります。政治革命、社会革命、文化革命です。古典的革命論では、まず武装蜂起やその他の手段によって「政治革命」を先行し、奪取した政府権力によって上から社会革命をおこなうというのがレーニン以来の常識でした。しかし、それは階級独裁が「政府を中心におこなわれている」という認識があったからです。ところが、いま政府は「小さな政府」をめざして郵便、電話、交通、保健・介護、年金などの公共的事業の多くを「民営化」しています。国家や自治体による事業であれば、国政・市政への意見表明や投票行動などによる統制が可能ですが、それらが民間企業の経営となった場合、外部から企業に対して影響を与える事が不可能になります。つまりそこでは民主主義は全く機能せず、「企業による独裁」が施行されることになるわけです。民営化の促進とは、言い換えれば政府を通じた回りくどい方法ではなく、資本が直接的に独裁を施行する事でもあるわけです。しかもそれは国民の福祉ではなく、利益最優先となるのですから、資本による独裁は我々の生活の隅々にまで及ぶことになるわけです。
●資本の独裁にどう対決するべきか
政府がいかに「改革は庶民のためである」とし「まず経済的強者を優先的に育成し、その力で弱者を救う」と言っても、新自由主義政策によって弱者救済が実現する見込みはなく、それどころか直接弱者の生活を破壊しているわけですが、それにも関わらず、その事実を見据えて決起する大衆が少ない事に、日本人の政治感覚の遅れ、いわば民主主義(共和主義)意識のおくれを感じるものです。新雇用法に対して決起し社会党までも引っ張り出して法案を粉砕してしまったフランスの大衆と明らかに違う。そうした違いも考慮にいれるなら、日本において「プロレタリア独裁」を目指す運動ははるかに難しいものがあります。ところで組織論の問題について「第四インターは気づいている」と書きましたが、それは日本左翼における事情であって、実は世界ではすでに多くの左翼人が気づいているのです。それは彼らが作り出してきた対抗組織、そこに参加する左翼諸組織の連帯行動の中に見られます。左翼同士がお互いに連携し大衆と共に前進しています。いまだにレーニン主義を振りかざして非民主的で閉鎖的な組織論に固執している日本左翼は取り残されていくでしょう。
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ネパールの本 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:11月14日(火)22時32分44秒 編集済
検索して見つけました。
「ネパールの政治と人権」(マンジュシュリ・タパ著、萩原律子、河村真宏監訳)
もう一冊は、ちょっと思い出せません。
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まっぴょん様
階級に焦点を合わせた議論は、マルクス主義的には正しいんですが、民主政で問題に
なる社会やら利益などの分画線は階級に限りません。ですが、分画線の一つには違い
ないし、それは恐らく非常に大きな文画線ですので、階級関係(闘争)に焦点を絞って
民主制について考えましょう。
階級が必ずしも二極分化しているわけではなく、ここに問題設定の難しさがあるん
ですが、それでもまっぺんさんのおっしゃる「敵には独裁」「味方には配慮と同意」
は民主政のイロハとして大事なことです。民主政が独裁なしではあり得ないこと
を、はっきり書いておられる点に、清清しさを覚えます。
さて、「味方には配慮と同意」は素直に受け取ればいいんですけど、独裁=排除は、
どのようになされるべきか、これは難しいと思います。日本のブルジョア議会は、
本質的に勤労大衆を政治権力の行使から排除(=独裁)しています。だが、彼らは
あからさまにしているでしょうか? 逆に、勤労大衆(労働者階級)が権力を握った
として、あからさまにブルジョアジーを排除すべきでしょうか? その線引きは可能
でしょうか? プロ独と言う場合の困難はここにあると考えます。これは、場合に
よっては(エッジが立たない場合は)プロ独を引っ込めざるを得ないことになります。
その点、旧来の日本のマルクス主義者は、物凄く粗暴であり、一旦彼らがどういう
コミュニティーであれ、権力を握った場合(学生自治会でも、労組でもいいんです
けど)、その権力行使がいかに野蛮であったかを考えればよいと思います。
この点、新左翼・旧左翼関係なく、罪深いものです。第四インターについてはよく
分からないのですが。
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ネパール関係 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:11月14日(火)21時35分11秒
ありゃ、確かに村ごと皆殺しがネパールでもあったという記述になっていますね。
すいません。言いたかったことは、村民に「党への協力」を強要し、それが満たされ
なければ平気で村民を殺した、ということです。だから、「同じこと」ではなく、
「似たようなこと」と書くべきでした。すいません。
私も、2冊の本の情報から、です。著者は作家志望のネパールのプチブル・インテリ層
です。なお、本が書かれた当時よりも状況は酷くなっており、絶望の進行により、ネパ
ールの農村部の若者の多くは、自称マオイスト集団に多数参加しているようです。
これは、日刊ベリタ(有料)のリンク先にあります。
日本の一部党派(西田疝気)は、「マオイストに他の共産党は協力せよ」と、絶対に
あり得ないアピールをしています(笑)。なぜ、出来ないかは、その本を読むと分かり
ますが、題などがすぐ出てきません。私は呆れて機関紙の購読を止めました。
なお、自称マオイスト集団も下劣ですが、国軍も負けず劣らず(それ以上と思う)です。
そして、かの自称マオイスト的なるものは、日本にもはびこってきましたし、今もその
負の遺産は残っています。
------
まっぴょん様:
天皇制を例示されているのはなかなか良い提起ですね。共産主義者などの思いはともかく、
もし、天皇制を今現在、廃止するとすればどういうことになるでしょうか? 内ゲバ研究
会では、確か石堂清倫氏が話題になりましたね。1932年テーゼを巡って。天皇制廃止を
即座に掲げることの戦術的意味について、です。
ここでもなお、「真理」よりも「納得」の優先がなされるべき、という政治の原則があり、
それが最も率直に表明されるのが民主政だと私は考えます。イチジクの葉を見抜く=真理
に到達する者は尊敬すべきですが、彼の結論を他の人が受け入れるかどうかは、他の人の
意志に任せるべきです。
他の論点については、概ね同意します。
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マルクスも時代に規定されますから(=^^=) 投稿者:まっぴょん 投稿日:11月14日(火)19時52分15秒
> 成員が納得するかどうか、が民主政というものであって
う〜ん。それはどうかな〜。マルクスが分析したとおり、人類の歴史の中で経済的関係(下部構造)の上に様々な政治制度(上部構造)が創られてきました。それはそれなりにその時代の社会の成員によって受け入れられてきたものでしょう。古代、あるいは中世に現れた王政や天皇制は現在でも残されていますが、例えば天皇制は、戦前の絶対主義的要素を抜き去り「国民の象徴」というオブラートに包んで「なんとなく無害」なものをこしらえ、それなりに国民の「納得」を得ています。
民主政治について日本がダメなのは、やはり国民が自ら犠牲を伴って戦いとったものじゃないからなんでしょうね。欧米の人々の政治感覚には「自分の国の事を自分で決める」という意識を感じます。日本人は「りっぱな代議士センセにお願いすればなんとかしてくれる」感覚ですから民主制度に乗っかった奴隷根性というような…。江戸時代から変わってないんじゃないですかね。現代の民主主義は程度の差こそあれ「共和制」と結び付いていますが、日本の民主主義は「共和主義なき民主主義」というべきなのかな?
> 多数の意見を反映せざるを得ないシステムのほうがマシである
民主主義の本来の意味はこれですね。僕は一昨年、「景清」名で『かけはし』に『検証 党組織論』の批評を書いた事がありますが、その中で、民主主義と中央集権の関係と共に、民主主義の二面性についても書きました。民主主義は、この世界が「階級社会」である(しかも益々その階級的較差を拡大している)事実によって、二面性を持たざるを得ません。つまり「階級的敵対者に対しては独裁(権力の独占)を」「階級的味方に対しては少数者にも配慮し、できるだけ多数者の同意を」求めるという事です。
この二つのちがいをスターリンを例にあげて説明しました。スターリンは共産党権力を独占し、階級的味方であっても反対者を一切排除した。この「伝統」は残念ながら現在の労組や学生自治会などの「同一の階級」とみなされる組織にも浸透しています。共産党や新左翼党派もそうです。指導部選挙などにおいて一勢力が一票差で勝利しても、その指導部は全部独占される。これは本来のプロレタリア民主主義とは言えません。少なくとも第四インター派はその事に気づいている。彼らの組織の選挙や議論を見ればそれは分かります。一方、国政選挙などで衆議院の議席が決まれば、その多数派が政府権力を独占し、他の政党は「野党」となる。ここにははっきりと階級的敵対関係が反映されています。
http://www.jrcl.net/web/frame040126e.html
http://www.jrcl.net/web/frame0369h.html
http://www.jrcl.net/web/frame04419m.html
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↓ 投稿者:希流 投稿日:11月14日(火)19時19分25秒
下の書き込みを見てふと思ったのですが…
>同じことが今、自称マオイストによりネパールで「実行」されています
確かに現代のネパールに関して書かれている本なんかを読むと
かなり暴力的な支配を毛沢東主義者たちが行っているように見えます。
もっとも村ごと皆殺しにした、という記述には出会っていませんが。
ただ、ボルシェヴィキに関する点では歴史的事実としてこれまで検証されて
きた経緯もあるわけですし、断定してもよいとは思いますが、
ネパールの場合はどこまで断言できるでしょうか?
何せリアルに内戦の最中で、現場は毛沢東主義者たちの支配地域と
なっていたりするわけです。はっきり言って事実の検証は今の時点では
非常に困難ではないか、と思います。
もしかしたら政府側のプロパガンダとして流されている情報かもしれない
わけですよね。
ぴよ丸号さんは事実だとどうして断言できるんでしょうか?
この記述を見ていて感じたのは、自分が行っているボルシェヴィキ批判のために
都合のよい「事実」であれば、確証なく飛びついてしまう、そんな姿勢です。
ちょっと極端な物言いかもしれませんが。
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政治と真理は無関係です 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:11月13日(月)20時54分7秒 編集済
成員が納得するかどうか、が民主政というものであって、それ以外のことは副次的なもの
です。真理があるとして、それが成員全てに受け入れられ、納得すれば対立しません。
しかし、真理以外に人間には好悪の念を含め、様々な「理性外」のものに突き動かされ、
価値判断します。近代啓蒙主義は理性への価値判断基準の還元を求めます。そして、
エンゲルスによって特に形成された意味でのマルクス主義(自然の弁証法、反デューリ
ング論が代表的ですね)は、そのような啓蒙主義の申し子の様相を持っています。真理
の抑圧性は、理性(主義)だけでは図れない人間の意志を、そこに押し込める点にあり
ます。
多数決主義ではなく、私は多数の意見を反映せざるを得ないシステムのほうがマシで
あると書きました。勿論、●多数決主義とは で書かれた欠陥は認めます。しかし、
上のような次第で、世上理解されてきた意味でのマルクス主義は、強く否定されるべき
であると私は考えます。
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レーニンとボリシェヴィキは、革命前は精々1000人の組織であり、説得という手段も
組織全体に対して可能でした。党内は直接民主制も可能なものでした。新聞は、上意
下達の手段ではなく、新聞をネタにした討議の手段(読者と運搬者・集金者)でした。
10月革命後の状況とは大いに異なります。革命後は、断固とした為政者であり、非情
を実行した絶対権力者としてレーニンとボリシェヴィキは振舞った/振舞わざるを得
なかったのです。これは、非常時としてレーニンやボリシェヴィキにかなり同情の余地
はあります。しかし、本来の味方までも、反革命分子と見なすのは、大いなる犯罪で
した。(この反革命と見なされたのは、党派関係だけではありません。政治から無関係
であろうとした農民大衆も悲惨な目に遭っています。エクスに反発した貧農に「富農」
というレッテルを貼り、村ごと皆殺しにした事件もありますね。宮地健一氏のサイトに
詳しい話があったと記憶します。同じことが今、自称マオイストによりネパールで
「実行」されています。)
そこに一つ、「真理の政治」の陥穽を私は見ます。「真理の政治」は、出来るだけ
避けるべきことです。真理は、気分に従属すべきです。そういうことに気づかせて
くれたのは、混乱の時代後のレーニンの諸論文です。その時期、レーニンは、状況が
強制した「真理の政治」からの脱却をなそうとしていた、というのが私の考えです。
レーニンは、常に進みます。そして、レーニンは何者にも増して時代の申し子であり、
そうであるが故に、私にとっては歴史上最も大事な人物です。
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多数決主義と真理の政治 投稿者:まっぴょん 投稿日:11月13日(月)19時47分16秒 編集済
多数決主義と「真理の政治」とは対立する概念なのだろうか? 僕はそうは思いません。とりわけ日本の政治制度を考えていくと、多数決主義は巧妙に悪用されている。そして「真理の政治」とつながるものがある。ぴょ丸号さんが提起した「真理の政治」と「多数の意図」について考えてみたいと思います。
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●真理の政治とは
「自分は絶対正しい」→「相手は(階級的に)間違っている」→「相手への暴力は内ゲバではなく階級的正義に基づく行為である」(内ゲバ正当化の根拠)
●多数決主義とは
「多数の意見が正しい」→「少数意見は間違っている」→技術的多数派工作(世論操作、メディアの利用、小選挙区制などによる権力独占の正当化の根拠)
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多数決が正当化される根拠はなんでしょうか? 「多数者のほうが真理を理解しているから」でしょうか? それは「錯覚」にすぎません。しかしその「錯覚」は非常に頻繁に、意図的に悪用されています。例えばこれまでここで何度もおこなわれてきた議論の中でも、論証という手続きを経ずに「そんな事いってもどうせ君たちの意見は少数だろ?」という結論で済ませてしまう傾向がまさに「多数決原理の錯覚」の悪用(或いは錯覚である事を理解していないか)です。「多数者が真理を理解しているから多数意見が正しい」という錯覚からは、本来の民主主義を形成する事はできない。ぼくはそう思っています。またそれは「多数者による真理独占」を意図している点で「ボリシェヴィキによる真理独占」と変わらないのです。
ではなぜ「多数決原理」は尊重されるべきなのか? それは「人間は簡単には真理に到達できない」という事実に踏まえて、多数者の意見を「とりあえず真理と仮定する」からです。多数意見は「真理」かどうかは分からない。しかし、「とりあえず採用してみよう」。そして実践してみれば、その意見が正しかったか間違っていたかがわかるだろう。その段階でもし多数意見が間違っていたら、直ちに改選し、再度評決を採る。こうして「前回よりも正しい意見」が採用される可能性が高まるわけです。また、そのような考えに基づくなら、選挙制度も、より頻繁でより自由で簡単なものとなるべきでしょう。もちろん、そうした選挙において選ぶのは「意見・政策」であって「お委せするひと」を選ぶのではない。
本来の民主主義とは、「我々が主人」なので、選出された者(議員など)はただ「我々の意見の伝達者」に過ぎない。だから、我々が選出した者たちに対して一切の特権を与えるべきではありません。しかし現在のブルジョア政治制度では議員に高額の報酬と様々な特権を与えています。こんな「おいしい職業」なら、それに固執しようとする心理が生まれるのは当然なわけで、必然的に彼らは「自分に厚待遇を保証してくれる人」のために働く事になる。 サでの獲得物を「社会主義はフリーメ Aイけ出ていない、と言っていいでしょう。寺岡論文 黷克服するために反帝反修してきた、
今度は、反対に台湾に『侵略者’としてふるまうのかどうか」
という モ轣Aてっきりインドネシアかと
思ったわけ。 >
>あんさん「関西人」か。
わたしは何度も関西人だというアイデンティティを表明している。
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