四トロ同窓会三次会 2006年10月16日〜31日
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さて、暴力を原則にしたといえば 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月31日(火)22時03分25秒
勿論、明文化されているわけではありませんが、私の頭に浮かぶ最大手の組織は、今、
様々な批判が浴びせられている部落解放同盟です。
彼らはヤクザに蚕食・あるいは共犯的に行政を脅すことで食い物にしてきました。反
内ゲバ党派理論に従うならば、彼らはどの党派よりも排除されるべきだと私は思います。
また、かつての暴力(50年問題)に基本的に頬っかむりを決め込んでいる日本共産党も
また、同様の扱いを受けるべきだと思います。
しかし、この「暴力」組織に結集し、利権とは無縁に闘う大衆も多数います。排除は、
そういう大衆をも排除することを意味します。
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四トロ も 後退したと書くべきでした 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月31日(火)21時59分0秒
一番に問題にしたかったことは、(新)左翼全般の後退でした。思い出すのは、立花隆氏
の『日本共産党の研究』です。この本で、戦前日本共産党を壊滅するのに特高が用いた
手段と理論について触れられていた記憶があります。あけすけに特高OBは言います。
「左翼を潰すには、多少の暴力とスパイを使って疑心暗鬼と内部暴力を誘発すれば十分
さ。」
戦後(新)左翼も、全く同様の手段で潰されたのではないでしょうか。革マル、中核な
どの党派が、暴力を原則に高めるようになったのは、何故でしょうか? そここそが
問われなければなりません。そして、そのような暴力が惹起したとき、有効な手立ては
何か、が問われなければなりません。
最近、反暴力が左翼ではやっています。しかし、暴力に対抗するのに非暴力を用いる
覚悟は、自らの消滅=死を賭けなければなりません。ちなみに、トロツキーは、ガン
ジーの非暴力直接行動を否定しました。
歴史的にはマルクス主義者は「暴力は革命の助産婦」など、現実に起きてきた歴史を
直視し、暴力を肯定しました。
後追い理論になりますが、暴力は断固として一切排除したほうが良い選択肢であったと
思います。しかし、なぜ、当時出来なかったか。そして今、その覚悟があるのか。それ
が問われると思います。
(続く)
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なぜ後退したか 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月30日(月)13時17分2秒 編集済
(4)についてですが、四トロ派は「中核派の暴力によって縮小したのではない」と説明したのです。また、84年(一年間違えてた^^;)の全国襲撃以後は襲撃できなくなった事実からも、「内ゲバによる反撃」ではなく大衆的反撃による「反内ゲバ闘争」という第四インター派の対応の正しさを裏付けていると思います。なお、このような大衆的反内ゲバ闘争は、その後も白井・角田両氏への襲撃を糾弾する署名運動や、内ゲバ主義者の集会参加拒否などの形で大衆自身の手で続けられており、彼らを自己批判させる所まではいきませんが、少なくとも「現在はできない」ところまでは追いつめています。
四トロ派は最盛時千五百〜二千名くらいだったと思いますが、現在は百か二百程度でしょう。つまり約10分の一くらいになったことになります。直接的には組織の差別的あり方が原因ですが、客観的にも、大衆運動の後退に比例して党派の組織率が縮小しています。中核派も、最盛時には数千〜1万の隊列を誇っていましたが、現在は最大数百。つまり10分の一程度である事は四トロと変わらないのです。客観的には大衆運動の後退が党派の後退にも反映されていると言っていいと思います。
なお、今いろいろ噂されている中核派内部の状況ですが、極めて険悪な形で分裂が進行しているようです。四トロ派が分裂した時にも分派間に感情的な対立はあったようですが、それでもテロのような方法で分裂しなかったからこそ、大衆運動では協力してやってこれたのだと思います。分派しても相手を信頼し共闘できるかどうかは重要です。内ゲバで分派した相手と共闘できるでしょうか? 共闘できなければ大衆運動の統一とは逆方向へとモメントが働きます。大衆運動への貢献こそが党派の使命であるはずですが・・・。
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過去と現在と未来の責任は? 投稿者:セクトNo7 投稿日:10月29日(日)23時34分8秒
編集済
>1970年代後半からの大衆レベルにおける政治的アパシーは、そういうところに原因があるのではないでしょうか?
その通りでしょうね。で、一部地域での中核の一人勝ち。何せ中核以外の党派は存在すらまともには許され無かったんだから。大多数の無関心と左翼拒否感のお膳立てをしたのは内ゲバなんだと思う。
前も書いたことあるけれど、前衛名乗るなら過去と現在の結果についての責任があると思うのだが、落とし前はまだついてはいない。つけれないだろうと思うけれど同情はしない。政治党派としての責任取れない程度のものは、淘汰されるべきだと思っている。
ぴよ丸号さんご指摘の時代にいた者として、中核が御免しない限り私も時代も許さないと思っている。
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誤解があってはいけないので 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月28日(土)17時49分23秒
編集済
私も中核派の暴力を目の当たりにしたり、その圧力を感じたことがあるので(1)〜(3)には異論がありません。(メンシェヴィキ擁護の論を書きたい気持ちはありますが、ここでは止めておきます。中核派擁護と逆のベクトルになることは言うまでもないからです。)
ただ、(4)については、「そんなこと言っても日本においては純正トロツキストは極小勢力に後退せざるを得なかった事実がある」と、皮肉を込めて答えたく思います。それは、だから純正トロツキストが“駄目”とか、劣るとかという見地から言うのではなくて、現実に起因する暴力に対する無力感、そしてそれは私自身が中核派の暴力から仲間をかつて守れなかった無力感から発せられる言葉です。
内ゲバ主義に型に嵌められた中核派が、まっぴょんさんが(1)で指摘されている革マルと全く同じことをやっていた事例を私は知っています。私の身の回りの場合、ノンセクトと言われる部分はそういうのに嫌気が差して、かなりの部分が運動から身を引きました。正直に書くと、私もそういう一人と思います。で、結局、運動を支配したのは、中核派のわけです。私らのようなノンセクトはともかく、党派がそういう選択をする勇気は、政治的な責務を果たす上で本当に誠実な態度たりえるのか、という問いかけを出さざるを得ません。
結局、政治に関する暴力は、どう転んでもかなりの確率で政治的自由を圧殺し、そして、それへの対抗可能性は、非常に限られていて、有効な手立ては まっぴょんさんの文章にもかかわらず、なさそうだと今の所言わざるを得ません。
1970年代後半からの大衆レベルにおける政治的アパシーは、そういうところに原因があるのではないでしょうか? 50年問題期の共産党、戦後の革マルみたいな鬼っ子が出れば、政治的行為は彼らに回収される、と。
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中核派の内ゲバ肯定論を批判する 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月28日(土)16時52分31秒
(1)内ゲバの元凶は革マル派である
日本に内ゲバを蔓延させ、しかも質的にも最悪のものにしたのは間違いなく革マル派です。おそらく現役革マル派を除いて、日本左翼運動に少しでも関わった者にとってこれは共通の「常識」といっていいでしょう。国際革命文庫『革命的暴力と内部ゲバルト』のあとがきにも、この認識は第四インター日本支部中央政治局名で明記されています。
日本における内ゲバには様々なレベルがあり、少々あたまをこづく程度なら、第四インターも「罪状」を披瀝できる沢山のメンバーがいることでしょう。また、私が一時的に所属したブントでも、「のどかな内ゲバ」を経験した事があります。当時は竹竿で転がされて「もう来るな!」と罵倒を浴びただけで済む、平和なものでした。
しかし、革マル派はこの内ゲバをより「組織的・計画的・徹底的」に運用していきました。様々な闘争現場で闘っている「革マル派ではない」他党派やノンセクトの活動家たちを暴力的に排除する、という行動を展開していったのです。これは革マル派が「指導部を奪取すれば大衆運動を支配できる」という考え方によるものであり、大衆を上から支配しようとするスターリニズムそのものに他なりませんが、このような方法は他党派に「対抗手段」を講じさせる結果をもたらしました。そして党派によっては内ゲバのための地下軍事組織まで創る状態を引き起こし、そのため内ゲバはますます陰湿で残忍なものへとエスカレートしていきました。これが革マル派の「組織論」であり、また彼らの「組織論」が導き出した結果でした。
革マル派の「党派闘争」」とは「絶対正しい革マル派の利益」のための「他党派解体」を最優先するものであり、他党派であっても権力と闘っている活動家を排除することによって、結局は敵権力の利益に荷担する結果をもたらしていくものでした。
(2)内ゲバはレーニン主義だろうか
このような革マル派の「党派闘争論」はレーニン主義とは無関係です。なぜなら、レーニンは敵に荷担するような党派闘争などしてこなかったからです。十月革命を契機にメンシェヴィキ派は反革命側へと転落していきましたが、革命前の時代ではそうとはいえません。メンシェヴィキとボリシェヴィキとが別れた1902年以降でも、両派が対権力闘争においてさまざまな協力関係にあった事はご存じだと思います。在外の亡命者グループによる国際的ルートや在外の新聞・パンフの印刷体制は、両者を始めとする様々な人々の協力によって建設され、そこから国内へ持ち込まれていきました。現在の革マル派と中核派とのあいだでこのような「協力関係」は絶対に成り立ちません。当時のボリシェヴィキが、お互いに意見を述べあえる自由な作風を尊重していた事もトロツキー研究所により明らかにされています。
では、「反革命への転落が決定された革マル派」に対抗して内ゲバ戦争をするのは「レーニン主義」なのでしょうか? それもちがうのではないでしょうか? 十月革命後、ボリシェヴィキとメンシェヴィキやエスエル左派、クロンシュタット水兵、マフノ等との闘争については今でも論争が続いていますが、擁護する側の意見は「銃殺」云々も含めて「反革命との闘いだから」という理由によって正当化されます。これを日本の内ゲバ戦争に当てはめて考えるべきでしょうか? それには無理があるんじゃないでしょうか。なぜなら、権力を奪取したあとの闘争は、革命ロシアの将来的展望をめぐる「権力抗争」なのであって、権力の前で利敵行為を繰り返す日本の「内ゲバ」」とは異質のものだからです。従ってボリシェヴィキの闘争についてどう評価するかは「政府権力の問題」「社会主義政府の政策の問題」として考えていくべきであって、大衆闘争と無関係に敵前で繰り返される「対カクマル戦」肯定の理由にはならないと思います。
(3)被害者であればゆるされるのか
中核派は革マル派に対して「被害者であるから許される」と主張します。私は「防衛のための抵抗」はやむを得ないものと認めます。しかし、どこまでを「防衛」というのでしょうか? 「被害者」であれば、どんなことでも、敵を襲撃に行く「先制的内戦」でも、敵のせん滅でも、「防衛」として許されるのでしょうか? なにかおかしくはありませんか? なぜなら「被害者だから何でも許される」なら、内ゲバ戦はエスカレートを必然とし、結局双方を「被害者」だけでなく「加害者」にもしていくからです。革マル派によれば「最初に殺されたのは我々の側だ」「我々が一番多く死んでいる最大の被害者だ」。多くの内ゲバ主義者が「自分は被害者だ」と本気で思っているのです。また「せん滅」宣言された側が黙ってやられるはずがありません。こうして「被害者」同士が互いに相手の「解体」「せん滅」を目標にするなら、これはもう一方が消滅するまで終わらない「永久戦争」となるは必定です。「加害者である自分」を置き去りにした「被害者だから許される」などという手前勝手な理屈は決して大衆から受け入れられる事はないでしょう。
なお、「永久戦争」を承認する立場は「いずれまた再開する」事を自ら公言したに等しく、「今は内ゲバをやっていないから」という言い訳がデタラメである事を自ら告白したも同然です。
「自分の被害者意識が絶対正しい」と言うのは、その外側にいる他の人々にとっては意見の押しつけでしかありません。「自分の認識が絶対正しい」「防衛のためにどんな手段でも対抗する」。こういう主張って、何かに似てますね。そう。黒田寛一『革命的マルクス主義とは何か』です。黒田の論理によれば、スターリン主義は絶対的な悪であるから、スターリンの卑劣な政治に対抗するためにはスターリンの方法を使う事も許されるわけです。革マル派との内ゲバ戦に巻き込まれた党派は、実は革マル派が内ゲバの根拠としている「彼らの政治学」にも取り込まれてしまっているのです。そして、それを生み出したものこそ黒田「反スターリン主義」なのだという事です。中核派、革マル派双方が受け継いだ「反スターリン主義」とは、究極のところスターリン主義に他なりません。仮にこのような熾烈な内ゲバ戦によって「カクマルがせん滅された」としましょう。残ったのは「どんな中核派」ですか? 「革マル派と同じ政治哲学と内ゲバ技術で武装された中核派」ではありませんか? つまり消滅した革マル派に替わって「もうひとつの革マル派」が出現したにすぎないのです。
(4)内ゲバ反対では組織が潰れるか
この疑問に答えるのに最も適しているのが第四インターの歴史ではないでしょうか。スターリンとの党内闘争に敗れ、反対派のほとんどが処刑・流刑されてしまったあと、1938年に第四インターナショナル創立大会を開いた時には僅か数名の参加者があっただけでした。その後もトロツキストは迫害を受け続け、トロツキーは最後には暗殺されました。肉体の抹殺こそが究極的なスターリンの「党派闘争」であったわけです。「反対派を抹殺するには本人の肉体を、特に指導者を抹殺すればよい」。革マル派はまさしくスターリンのこの方法を本多延嘉暗殺として適用しました。同じく中核派も革マル派活動家を次々と殺害し、動労松崎をターゲットの筆頭に挙げていました。しかしこのような方法では運動を消滅させる事はできません。それは第四インターがその後世界中で組織を拡大し、世界の反権力運動の中で重要な役割を担っている事実によって証明されています。ただ、それが今後権力を奪取するかどうかは、第四インターが大衆の利益を本当に体現できるのかどうかにかかっていると言えるでしょう。
83年、中核派は全国の第四インター派の活動家8名を襲撃し重傷を負わせましたが、それによって組織が崩壊する事はありませんでした。当時、むしろ組織内女性差別問題が活動家に打撃を与えていました。人類を解放するはずの組織の幹部が差別抑圧に手を染めていた事実、しかも組織はそれを改善してゆく見込みもなく「男主義」を温存したままで乗り切ろうとしたのですから。ひとりひとりの活動家にとって自分の「生き方」が強く問われたのです。絶望した活動家たちが次々と組織を去って行きました。しかし、僅かに組織は残り、再建のために活動を続けています。
中核派は8名を襲撃したあと、襲撃を継続する事はできませんでした。なぜでしょうか? それは第四インターの反撃の方法が「内ゲバによる反撃」ではなかったからです。今後も襲撃はできないでしょう。第四インターによる反撃は「大衆的な反内ゲバ闘争」という方法でおこなわれたからです。内ゲバは大衆的にはできません。党派だけの闘争です。党派の数においては劣勢にある第四インター派は「党派対大衆」としてこの闘争を闘う事で、中核派の内ゲバを撃退したのです。内ゲバで対抗しない限り、党派が内ゲバによって潰される事はありません。
http://redmole.info/bunko/07/bunko079.html
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やっぱりね(=^^=) 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月28日(土)14時18分24秒
あまりにもステレオタイプな「戦争反対!」さんの反応に呆れておりました。あれじゃ中核派も迷惑でしょう。でも、「釣ってしまった」と書いたのは「戦争反対!」さんのことじゃありませんよ。「戦争放棄派」さんのことです。「すさまじい対Y戦を闘いぬいた」と肯定的に評価したのは彼ですから。僕は資料提供しただけでひっこんだんですが、あのあとの過剰反応もいかにもうちわだいこ氏らしいね。
それとは別に、ぴよ丸号さんに反論しますのでまっててね。(o^^o)
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あのうちわだいこ氏ですか・・・ 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月28日(土)11時48分28秒
左翼業界で相手にしてはいけないネットワーカー筆頭の人ですね。了解しました。
とはいえ、内ゲバ問題について、中核と革マルを一括りにしている議論が嫌だ、という
私の感情もあります。とりあえず、以下の投稿は置いておきます。
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一つだけ 投稿者:一つだけ 投稿日:10月28日(土)11時44分37秒
>マル共連で、中核シンパさんを釣った格好になってしまいました。(=^^=)
「戦争反対派」は、その内容からみて「うちはだいこ」=「反戦反ファシズム日本国憲法擁護連合」ですよ。
「まっぺんが、除名された人なんかに接近して、囲い込んでいるのは事実でしょう」などというのは、中核派の認識というより、「反戦反ファシズム日本国憲法擁護連合」個人の妄想と考えたほうが正確でしょうし。
彼は、まっぺん氏のコミケ参加、グッズ販売を「四トロの資金源」と妄想したりしていることで知られていますが、こういうものなどが果たしてまともに相手にするべき性質なのかどうか…。
かの人物のことは、2ちゃんねる共産党板とか戸田ひさよし「自由・論争」板、イスクラなどに目を通している人ならば、中核派とは無関係の、むしろ中核派に対する「ほめ殺し」をしている、中核派にとって迷惑な人物であることを、誰でも知っています。
彼はたしかに「中核派応援団」を自称し、最近では「ナガサキ集会に行った」だの「百万人署名に参加した」だの「11・5全国労働者総決起集会に誘われている」だの「京大熊野寮にも出入りしている」だのと言うようになっていますが、虚言癖がきわめて多い人物ですし、彼の「反戦・反ボナパルティズム・反石原都政・AbEnd・日本国憲法擁護連合掲示板」という、非常に長い名称の掲示板には中核派のメンバーやシンパは誰一人、書き込みに来ていませんので、彼を安易に「中核派」と同一視するべきじゃないと思いますよ、ぴよ丸号さん!
彼の動機のなかには、共産趣味界隈に対する深い憎悪があり、しばしばマル共連に対する誹謗中傷を繰り返していることも、忘れてはならないと思います。
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マル共連の書き込みを読んで 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月28日(土)11時17分12秒
編集済
こんにちは。
マル共連の流れをざっと追ってみましたが、まっぺんさんは戦争反対派さんたち中核派について少し酷かな、と正直思いました。
レーニンの『なになす』などに反発し、労働者の主体性を前に押し出した(と私が理解している)『我々の政治的課題』に依拠した純正トロツキストと、レーニンに軸足を置きつつも、トロツキーを批判的に包摂しようとした革共同中核派(や革マル派)の組織論的対立が垣間見えて、申し訳ないですが岡目八目的に楽しめました。結論から言うと、両者の論法は平行線を進まざるを得ないと思います。
これを解きほぐすには長い時間と重厚な論理、ひいては実践が必要だと思います。じっくりやりたいものです。
まず、新左翼党派の内ゲバの問題についてですが、内ゲバ研の出版物を読むと、革マル派が圧倒的に悪いと私は断定します。あの流れにおいては、中核派は基本的には被害者として登場します。もし、対Y戦(あえて、この言葉を使用)について、四トロなどに代表される内ゲバ反対論にしたがって行為していたら、これは軍事的に中核派が消滅することを意味するでしょう。そして、中核派について、そういうことを言うのは政治的には「中核派よ、消滅しろ」ということに等しいことです。(中核派による四トロなどへの襲撃については、共通する所はあるとは言え、別の問題としておきます。)
党派間の暴力が圧倒的に悪質なのは、まさにこの点にあると考えます。暴力に関するある考えを受容することは、自らの死に繋がるということです。ここにおいて、内ゲバ主義者に対峙するには、死を否定するならば、内ゲバ主義者に照応した暴力主義者に転化せざるを得ません。中核派は、その泥沼に嵌ったというのが私の理解です。
(脱線ですが、北朝鮮や中国の軍事的膨張に対峙することに反対し、護憲を訴える人は、最悪の場合は日本人の大量死の可能性があること/ないことに言及しないと誠実な議論とは言えません。)
さて、以下は主に革マルを念頭に置いて書きます。レーニン主義者が内ゲバ主義者的な考えに到るには、レーニンその人の遺した言葉に依拠できます。そして、それは恐らく、若い日のトロツキーならば激怒したであろう言葉です。
ロシア10月革命直後、ボリシェヴィキの弾圧に抗議し、自由と民主主義を訴えるメンシェヴィキについて、レーニンはこう言い放ちました。
「もちろん諸君は批判を出版するあらゆる自由をもっている。ならば諸君、われわれが君たちを壁の前に整列させて銃殺できる程度には寛容であって欲しい!」
この言葉はどういう状況で言われたのか、まっぺんさんたちに説明するまでもないでしょう。状況は革命と反革命がまさに暴力でもって対峙するときであり、言論行為は既に軍事・暴力と結びついていたときのものです。そういう状況になってしまうこと自身が、「ああ、ロシアだ!」と元文学青年としては嘆息せざるを得ないのですが、しかし、ロシアの歴史は人類の歴史の残酷さを剥きだしにしているがゆえに、教訓に富んだものです。(今ある、チェチェン問題にしても。)
さて、その「状況」を判断する主体がここにおいてさえ問われるべきであった、メンシェヴィキが自由と民主主義について問うたことはそういうことであったのではないか、と私は今考えます。マルクス主義思想がロシア的「剥き身」の文脈に置き換えられるとき、暴力こそが真理を担保するのみならず、真理そのものとなります。レーニンその人は状況において、真理そのものとして振舞わざるを得なくなりました(例え、党内で常に反対を受けていたという現実があったにせよ。)
ボリシェヴィキがロシアの状況に十全に対応したが故にスラブ的であったのに対し、メンシェヴィキは西欧的でした。西欧は民主主義の歴史が蓄積され、ロシア的な「剥き身」の段階は過ぎていました。(“ブルジョア的”という言葉で否定できない重みがあると考えます。)軍事やら内ゲバの問題は、民主主義がその社会においてどの程度貫徹されているか、担保されているかという問題と相関があると思います。
さて、そのようなスラブ的思想に刻印されたレーニン主義が、日本で受容され、日本共産党が生まれました。言うまでもなく、この党は今に到るまで、非常に残酷な民主集中制(=指導部批判は許さない)を採用しています。彼らの欺瞞(偽善というべきか?)から、各種党派が生まれます。その中で、非常に頭脳は良いが、実の所観念論者である黒田寛一氏に率いられた集団が、革マルであると考えます。彼らはレーニン主義とされるものに忠実たらんとしたが故に、それのもつ危険性を拡大しました。それがあの「自分たちは正しいものである、それに異を唱えるものを処罰することは正義である」という悪魔の考え(悪魔に失礼かも?)でもって、新左翼においては党派的暴力を最初に積極的に「活用」したと考えます。内ゲバという場を最初に作ったのは革マルであり、第一に糾弾されるべきは彼らであると思います。
さて、続きも書きたいし、また、上のテーマについても書き足らないこと、言葉足らずなところもありますが、時間が来ました。また、いずれ。
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誰が日本のスターリニスト・GPUか 投稿者:パルタ 投稿日:10月28日(土)11時14分23秒
いくら「反革命との死闘のために止むを得なかった」と肯定しても、80年代以後の中核派は日本のGPUでしかないのではないの?反スタを掲げても、恫喝は人民戦線・POUM指導部を弾圧・虐殺したコミンテルン以外の何者でもないように見えるのだが、中核派から見れば見方は違って敵対党派がスターリニストなのか・・。
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意図したわけじゃないけど… 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月27日(金)15時31分21秒
マル共連で、中核シンパさんを釣った格好になってしまいました。(=^^=)
「すさまじい対Y戦を闘いぬいた中核派は、左翼の歴史において前向きに評価すべきだと思います。」などという内ゲバ肯定論を和気藹々とした雰囲気の中で堂々と語るのは、市民運動にとっても、中核派の今後にとっても、まったくマイナスなのに。こういう支持者に囲まれていては、自己批判も路線変更もできないだろうね。
http://marukyo.cosm.co.jp/forum/index.cgi?id=7&stat
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Re:ネット投票 投稿者:伊達 純 投稿日:10月26日(木)10時58分56秒 編集済
私が投票した際の数値は‘Should the US "cut and run" from Iraq?’という問いに対して
Yes : 62%
No : 32%
Don't know : 6%
Number of pollers : 9093
でした。
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ネット投票 投稿者:アラブ復興車界党 投稿日:10月25日(水)19時52分51秒
アルジャジーラ英語版のHPで「アメリカはイラクから逃げ出すべきか否か」のアンケートが行われています。 「逃げ出すべき」に投票して圧力をかけましょう。
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/E4D19123-9DD3-11D1-B44E-006097071264.htm
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Re: 「トキ」は 投稿者:牛山 投稿日:10月25日(水)01時08分13秒
情報ありがとうございます。
復刊決まったとのこと、嬉しいです。
http://www.geocities.jp/ushi_web/
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「トキ」は 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月25日(水)00時31分29秒
絶版でしたが、復刊希望投票多数により、復刊が決まったそうです。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=15058
ぼくは↓の。上の方のを持ってます。
http://www.lcv.ne.jp/~shipi/ytoki.htm
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Re: 拝見しました(o^^o) 投稿者:牛山 投稿日:10月24日(火)22時57分24秒
まっぴょん様
ご覧下さいましてありがとうございます。
矢口高雄氏の「トキ」ですか、知りませんでした。機会があればぜひ読んでみたいです。
http://www.geocities.jp/ushi_web/
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拝見しました(o^^o) 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月24日(火)12時05分6秒
牛山さん、いらっしゃいませ。拝見いたしました。
紹介文、いいでつねー!気に入っちゃった。>「半日武相戦線」結成。
矢口高雄氏の作品では「トキ」が気に入っています。滅び行く鳥と、それに関わる人間のものがたり。
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風刺漫画 投稿者:牛山 投稿日:10月24日(火)11時07分48秒
牛山と申します。
風刺漫画を描いて掲載しております。
ご覧になっていただければ幸いです。
http://www.geocities.jp/ushi_web/
http://www.geocities.jp/ushi_web/
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裁判は続いているようですよ。 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月20日(金)19時02分37秒
統一協会被害者家族のホームページがあります。
http://www12.ocn.ne.jp/~kazoku/tk-info.htm
それから紀藤弁護士のサイトも。
http://homepage1.nifty.com/kito/uc.jouhou.htm
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情報求む! 投稿者:パルタ 投稿日:10月20日(金)15時24分13秒
統一教会への制裁はまだか?
財務省が統一教会を制裁団体に加えたという情報はどこかにないのか?この動向は注視していきたい。
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あ、ご丁寧にありがとうございます 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月20日(金)08時55分11秒
ここは雑談板ですので、「とことん決着つける」必要もありませんが、
さらにお返事をいただくのは嬉しく思います。無理せずにどうぞ。気長にお待ちします。
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すみません・・・・・・・ 投稿者:出口のない空 投稿日:10月20日(金)00時29分4秒
まっぴょん様
丁寧なお返事、ありがとうございます。
さて、私事で大変恐縮なのですが、ちょっと仕事が立て込んでいまして、お返事を書くことが出来かねる状況です。
すみませんが、今暫く時間を頂戴したいと思います。
来週半ばには、お返事できると思いますので、宜しくお願いします。
では。
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1969年5月13日東大教養学部900番教室・超満員 投稿者:gk 投稿日:10月19日(木)23時54分33秒
きみもまたおぼえておけ、
2001年、国のために戦うことは軍需利権に奉仕する犯罪者となることだ。
、、、私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
1966年、昭和41年8月27日、熊本、ホテル・キャッスル。
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、中年男が汗まみれで抱き合う昭和武士道のメルクマール。
http://zenkyoto68.tripod.com/misima00.htm
情交の後、三島は福島次郎に問いかける、
「私にもしいざということがあったら、駆けつけてくれるか」
「はい、行きます!その時には、電話か電報を下さい」、
三島は強く頷く。
福島はだが、間をおいてこう言った。
「行くのは、行きます。しかし……その、いざということが、どういう内容のいざなのか、はっきりわかってから行きます」
三島はそのとき、
「風船がはじけたように、急にしぼんでしまったよう」な感じになり、「日本刀を袋に納い、
鉢巻をはずし、そこらをごそごそ」「片付けている様子だったが、いつの間にか、バスルームへ姿を消した。」
『剣と寒紅』福島次郎著
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/isihara.htm
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
共に起つて義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。檄文・三島由紀夫
http://sintarou.e-city.tv/hokanshoko/m07.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
・亀頭にたばこを押しつける皇軍大尉、お灸をする皇軍大尉
・陰茎の根元をきつく縛って押え射精できないようにしておいて亀頭だけを磨刮する皇軍の憲兵大尉
憲兵大尉は終戦後、昭和12年から16年までの期間に犯した罪状で米軍から戦犯として指名され謹慎していましたが、
しばらくして戦犯指名から解除され、その後、防衛大学の教師として採用されました。年齢は50歳近くになっていたと思います。
2001年、国のために戦うことは軍需利権に奉仕する犯罪者となることだ。
2001年、国のために戦うことは軍需利権に奉仕する犯罪者となることだ。
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嫌われ松子のグローバリズム 投稿者:パルタ 投稿日:10月19日(木)11時53分0秒
私には教師から娼婦に転落して死亡する松子が、お上を信じて転落していく日本国民の姿に見える。グローバリズムの論理は教育や医療、社会保障と言った私達の生活・命にまで関わるものにも情容赦なく入り込んでくるだろう。
看護師の人がいるおかげで私達は多くの耐え難い地獄のような肉体的苦痛や死から免れることができる。医療関係を目指す多くの人々がいることは有難いことだし、この人達によって私達の生活は支えられている。しかし、この分野の労働は過酷であり、過労死寸前の職場も多いだろう。
今の日本は人の心が随分暴力的で荒廃してきているように思う。↓
ライブドアニュース
自宅前でわいせつ被害直後 助け求めた男にも襲われる
略
約70メートル追いかけて痴漢を見失ったところで今度は、一緒に捕まえてくれるはずの男が看護師に襲いかかり、無言のまま両肩をつかむといきなりキス。右手で胸を触ってきた。看護師が突き飛ばすと走って逃げたという。
最初の男は35〜40歳で小太り。第2の男は50歳前後でグレーのスーツ姿のサラリーマンふう。生田署は強制わいせつ容疑で捜査中だが、看護師は「もう他人を信用できない。怖くて自宅周辺をひとりで歩けない」と憤っているという。
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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2596368/detail?rd
↑自宅周辺ですら歩けないなら、どこにも行けません。事実なら非常に恐い話である。
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謎がとけそうです。 投稿者:natunohi69 投稿日:10月19日(木)11時35分13秒
編集済
『三多摩社青同闘争史』でおおむね、私の謎は解けそうです。ありがとうございます。くだんの方々は遅くとも70年代前半には、武闘路線からエコロジー路線に完全に転換して、もっぱら都市部における「清掃」と辺境(?)における有機栽培など「安全な食品作り」に専念されているようでした。
太田竜将軍は・・・面白かったです。法政のプロ軍そのものも・・・面白かったです。実力闘争の局面を含めもろもろ大変お世話になったので、面白かったなんて言ったら「死刑」を宣告されそうですが。実際、活動からリタイアして3年くらいは、鉄パイプで殴り殺される夢を見ました。その件はいずれまた。
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太田竜は 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月19日(木)10時01分8秒 編集済
関係者の話やご本人の遍歴から想像するとかなりユニークな人のようですね。僕は一度も会った事はありませんが、かつては第四インター日本支部の指導者として国際会議にも出席し世界の活動家たちと英語で革命議論を交わした人が、いまではユダヤの陰謀を暴き宇宙人と交信する神秘な世界に逝っちゃったとゆー。
軍事の話ですが、50〜70年代の第四インターをおもいっきり単純に分類すると、「先進国革命派」と「植民地革命派」に分けられます。前者にはフランスのランベール派、アメリカやイギリスのSWP(社労党)、ヒーリー派、スパルタシスト等、後者にはパブロ派、ポサダス派などがあります。先進国革命派は都市労働者の組織化が中心で、植民地革命派はゲリラ闘争が中心。ラテンアメリカなどで武装闘争に参加しているところもありました。だから元四トロで軍事部門を持つとすれば、そうしたパブロ派かポサダス派の流れという事になりますが、日本では現新時代社の流れにある酒井与七かBL派の太田竜以外には植民地革命派に分類されるところはないと思います。
それで僕の知る限りでは(知らないのかもしれませんが)新時代社系統では射撃や爆弾までやってはいないので(とゆーか、そのような唯武器主義におちいった赤軍派を批判している)、やっぱり太田竜の指導の元にあった人たちじゃないでしょうかねー。太田竜は四トロと絶縁してから、植民地革命主義を更に発展させ「辺境最深部に向って退却せよ!」という方向に行きましたから、離島や僻地を根拠地にしているのであれば、太田竜の関係だと思います。ただ、彼らはどこまで太田竜についていったのか、ユダヤ陰謀論にまでつき合って「UFO党」に参加しているのか、それとも辺境革命で留まったのか
3.陰謀史観・・ある意味スカのカスみたいな史観です。下手をすると、これまでの獲得物を「社会主義はフリーメ Aイけ出ていない、と言っていいでしょう。寺岡論文 黷克服するために反帝反修してきた、
今度は、反対に台湾に『侵略者’としてふるまうのかどうか」
という モ轣Aてっきりインドネシアかと
思ったわけ。 >
>あんさん「関西人」か。
わたしは何度も関西人だというアイデンティティを表明している。
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