四トロ同窓会三次会 2005年8月29日〜31日
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『ヒンドゥー・ナショナリズム』 投稿者: 鬼薔薇 投稿日: 8月31日(水)23時24分10秒
三浦小太郎さんから「是非お勧め」とご紹介のあった標記書、先日入手しあらかた読みました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121500571/qid=1125484821/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-9896024-3944326
先月の「カレー・ターバン」談義の折、“ヒンドゥ・エスタブリシュメントの排他性とそれが産み出す原理主義、あれこそインド近代化の最大の阻害要因ではないのでしょうか”などと生半可なことを書きましたけど、本書は「ほんと面白い」という以上にわが認識の底浅さを抉られる思いで、もっと早く読むのだったとほぞを咬んでおります。「近代宗教としてのヒンドゥ教」という視点から切り出された現代インドの断面は、21世紀初頭という世界史の現段階における「社会」の深層を普遍的な相で映し出しているように思います。
同時に、1975年生まれという著者のしなやかなフットワークとヴィヴィッドな観察に漂う時代性は、“アジアを観念でしか語らなくなった一時期”(三浦)が確実に越えられつつあることを強く実感させるものでございました。
自省を込めて半端な内容紹介などは控え、とりあえずご紹介にお礼申し上げます。
ありがとうございました。m(..)m>三浦さま
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先祖かえりは感じる 投稿者: パルタック星人 投稿日: 8月30日(火)16時15分30秒
日本人の国家観として、今の茶髪で下品な姉ちゃんのアンチが即戦中の軍国主義賛美に結びつき、それが即石原・西村への賛美に結びついていると思われる。
あの下品で何の品性のかけらもない下卑た卑らしい顔つきの男達を「愛国者」とたたえ、1930年代の家父長制に戻ることで、今のだらけた風潮が治り、日本の全ての問題が解決すると短絡的に考えるものはあまりにも多いのではないか。今の日本の思想・思考回路は完全に反動であり、徹頭徹尾古臭いのであり、日本人の頭が「暴支鷹懲」の時代に逆戻りしている状況は確かにある。1930年代に戻ろうとすることで精神が荒れてイライラするような状況が起こり、精神が荒れてイライラすることで、そのような状況解決のためには「暴支鷹懲」の時代の美しい上下関係が絶対的な秩序に逆戻りすることが大事と考える日本人がいる。そのような絶対的上下関係では精神が荒れてイライラするので、それを解決するためには暴力的に下の者を押さえつけることが大切であると考え、そうすることで抑圧された感情が爆発してイライラする。イライラするのは戦後教育のせいだ。もっと押さえつけろ!これで益々イライラする。悪循環である。殴っても殴ってもフラストレーションはたまる一方。当たり前だ。フラストレーション解決のためには、フラストレーションを強制的にためさせることが必要と考えているからだ。
この悪循環で日本は今や爆発寸前である。ありゃあー!!!戦後教育のせいで、日本はこんなにひどいことになったんだ!どうしてくれるんだ!状態である。靖国反対デモに参加した人も「右翼からこれほどひどい攻撃を受けたことはなかった」と書いているサイトもあった。そのサイトによると、右翼は参加者にはさみで襲い掛かり、脚立を投げつけた右翼もおり、気絶した参加者も出たそうだ。苦しい時のネオナチである。ネオナチの狭い思考回路・問題意識では問題は何も解決せず、そのために益々ネオナチは怒り狂っていく。今の日本の雰囲気には、圧倒的多数派として君臨した右派が左翼を道連れに憤死するかのようなものを感じる。
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sinkenさんの掲示板にて 投稿者: パルタック星人 投稿日: 8月30日(火)14時26分31秒
クロポスすみません。sinkenさんの掲示板にて以下の文を投稿しました。↓
http://6547.teacup.com/sinken/bbs
アメリカはある一線さえ超えなければ、資源国の社会主義政策よりは反米民族主義の方がましと考えていると思う。
中国は多国籍企業の政策に貧困層の立場から反発したことはないだろ?ショービニズム・国益主義剥き出しで台湾・チベット・尖閣諸島などでアメリカ・日本に反発してみても、経済政策では徹頭徹尾富裕層寄り、経済成長重視でやっている。今の中国は労働者の立場で日米と戦っている訳じゃないから、本質的にアメリカと対立しても、アリステッドやチャベスのように露骨に「排除すべきだ」という言説はアメリカには現れないのだ。労働者や住民の権利より多国籍企業の利益を図るという面では中国と日米の企業はグルですからね。
って、これは現在の常識だから私がわざわざ言う必要はないか。
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「ナショナリズム」論考 投稿者: 『アナキズム』関係者の一人 投稿日: 8月30日(火)14時15分57秒
以下の本を購入の上、ご一読頂ければ幸いです!\(^o^)/
http://a.sanpal.co.jp/anarchism/vol5.html
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承前・「戦後的パターン」の価値崩壊>猛獣文士さま 投稿者: 鬼薔薇 投稿日: 8月29日(月)23時51分55秒
>清算を行なえないままに、逡巡の姿勢を継続してきたと思ったら、突然に中国革命自体を否定し、結果的に暴支膺懲に先祖がえりするような傾向も、結局のところ戦後パターンからの解放の結果ではなく、戦後に現れてきたさまざまなパターンの一つですよね。むじな氏や臨夏氏の議論、あるいは鬼薔薇さんの議論はそういうものを超えているのでしょうか。
3人束にされては各人各様に困惑するかと思いますけど(苦笑)、上にご指摘の「傾向」について申せば、まず第一にそれは決して「突然」ではなかったと思いますし、第二に、「先祖がえり」ではなく、それ自体「新しい」現象としてとらえるべき事とわたし考えます。それはまさしく「清算を行なえないままに」時を重ねた結果生じた変質と思いますので。それが“戦後パターンからの解放”などでないことはもちろんですけど、それが“戦後に現れてきたさまざまなパターンの一つ”のように見えるとき、まさにその「一つ」が他を圧して跳梁跋扈しているとすれば、すでにそこで「戦後的パターン」が価値崩壊を遂げている、というのがわたしなどの座標軸のとり方でございます。
わたしの議論が“そういうものを超えているのでしょうか”と問われれば、申し上げられるのはふたつ。ひとつはわたし自身の課題設定からして「超えて」いないどころか超えられなかった苦々しい状況であること、もうひとつは(質問を含みますが)、あなたが想定される“そういうもの”とはいったい何か、それはわたしの課題意識とどこでどう重なり・ズレているのか、そこをお互いに確かめねば言葉をかみ合わせることはむつかしい、ということでございます。
「中国革命」の問題は、評価を超えてすこぶる重大な要件と存じます。その「否定」と言われますが、ではかつては「肯定」だったのか、だったとすればいかなる意味でか、そこを解きほぐしてみることが必要でしょう。書記長が「アメリカ帝国主義は日中人民共通の敵」と公言した党の凋落と解体の意味を検証することとも深く関連すると思いますが。
“暴支膺懲に先祖がえりするような傾向”――端的に申して今の日本〜日本人の社会意識のなかで「中国」は、巨大なポテンシアルをもつ大国として否応なく認知されており、それはかつての「(遅れた・哀れな・貧しい・愚昧な)支那」像とは天と地ほども隔たった存在だという一点をとっても、昨今の「反中」意識を「先祖がえり」とみるのはちがうのではないでしょうか。♪海の彼方にゃ支那がある、支那にゃ四億の民が待つ(馬賊の歌)、どころか、あちらから来る難民・擬難民に怯えているのが日本社会でございましょう。
もうひとつ「反米」をあげておきましょう。かつて「反米」とは「革新」〜進歩派や「左派」があいまいに共有してきた政治意識であり、「保守」は「親米」でございました。今それは、たとえば現下の「郵政」問題をめぐる各党の認識にも一部表れているように、保守を含み込んだ意識になっており、石原慎太郎の掲げた「NOと言える日本」という感情がひたひたと広がっているように思われます。
ご指摘ありました「日本のナショナリズム」の問題は、こうした「現在」のなかでその実相を洗い出すべき事柄と思いますし、そのためにも“「戦後的パターン」の価値崩壊”を歴史過程として踏まえることが求められていると思うのでございます。
田中宏さんの著書、場末の本屋は置いてなさそうですが、注文してみますね。ご紹介ありがとうございました。m(..)m
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「戦後的パターン」の価値崩壊>猛獣文士さま 投稿者: 鬼薔薇 投稿日: 8月29日(月)23時50分46秒
>あまり頻繁にはお返事できないと思いますが、シカトしているわけではないので、ご理解ください。
そのあたりはご事情に合わせてどうぞ。わたしも「高等遊民」(笑)ならぬ身、ネット議論に使える時間はけっこう制約されておりますので、ゆっくり目のほうがありがたく。それに、シカトも「自己表現」のひとつ、受けたコメントすべてに応答すべき義務もないでしょう。現に「アフガン部屋」では少し前あなたに、この板ではこのあいだまっぴょんさんに宛てて書いたのも応答いただけぬままですけど、それはそれでやむなきことと受け止めております。事情など人さまざまでしょうから。
>挑発ではありません。私の印象を率直に述べただけです。どうして、私の言葉をそういう風に裏読みするのでしょうか。
ここを“裏読み”とは少々意外でございました(苦笑)。拙発言の当該箇所はそんな手の込んだ話ではなく、お言葉借りれば“印象を率直に述べただけ”ですけど? むしろ
>>臨夏さんを“無駄飯食いの特権的な日本人”のサンブルに見立て、仰るその「スペース」(=高等遊民の溜まり場)復活の実証データの収集を試みようとなさった
という部分のほうなら“裏読み”もしくは邪推と論難されて止むなき面もあろうかと思っていたのですけど、まぁ「印象」などもまた人さまざまということでしょうか(苦笑)。
ま、瑣末な話はともかく、“戦後的なパターンが価値崩壊を遂げたというのは、何を指しているのでしょうか”は、しっかり議論させていただきたいテーマですね。
端的に申せば、「進歩」と「反動」、「革新」と「保守」といった価値の対抗軸があいまいになり崩れてきたことですね。その端的な象徴が、戦後「革新」勢力の旗手だった日本社会党の凋落〜瓦解の軌跡ではないでしょうか。
>戦後の歴史は日本でも連綿として継続しているのであり、パターンが価値崩壊して、それまでの脈絡が御破算になったとは思いません。私は、戦後の日本は、戦前の日本についての総括にずっと失敗してきていると思います。
ふたつのセンテンスにはギャップを感じます。第二センテンスのご認識にはわたしも大まか合意いたします(「大まか」というのは、「戦前」だけでなく「戦中」が大きな要素だと思いますので)。そしておっしゃる「総括」に「ずっと失敗してきた」結果生まれた状況を、わたし「戦後的なパターンが価値崩壊を遂げた」と認識しております。
もちろん社会の歴史ですからそう何もかもスパッと「断絶」するわけもなく、「連綿として継続している」面はいくらも観察できましょう。けれども、「失敗」も「ずっと」続けば次第に変質を遂げていくことは避けようもないこと。「価値崩壊」を「変質」と言換えてもよろしゅうございますが、その「価値崩壊(あるいは変質)」は、単なる観念や意識の問題ではなく、現実そのものの変容に媒介され、もしくは意識や観念の価値崩壊〜変質が現実の変容を促進したものとして考えるべきことかと思うのですね。
「脈絡」という言葉で仰りたい内容はちゃんとうかがわずに速断できませんが、「ご破算」になっていないものも確実に「変質」しているのではございません? ポスト戦後世代(具体的にいえば70年代以後に自己形成した年代)にとって、わたしやあなたが共有していた(かと想像される)「戦後」的価値基準は、もはや生命力を持ってはいなかったと想定されます。それは当の世代にとっては与件であって「善し悪しの問題」ではないと申し上げた次第でございます。
/続
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むじなさんのレスに関して 投稿者: まこと@出先で休憩中 投稿日: 8月29日(月)23時33分4秒
猛獣文士さんの「中華ナショナリズム」論に関しては、前にも徒然掲示板でむじなさんと私の間で「議論」になったことがあるので、その時の私の投稿文を貼っておきます。
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むじなさん 投稿者: まこと@出先 投稿日: 8月20日(土)08時00分13秒
私は「ウヨク」と歩調を合わせて在日外国人を攻撃するが如き言説には与する気はありませんので。
確かに猛獣文士氏の対中国認識(とくにチベット問題)については、私には看過し得ない面を含んでいるのは事実でし、仮に氏が江沢民、いやそこまで「お偉方」で無くても現役の中国共産党員なら、もっと踏み込んで氏の言説を「非難」するでしょう。しかしながら、今の氏の立場性はただの在日華僑であり、そういう人を自称「解法者」氏のような「ネットウヨク」と共に攻撃することは、日本国内の民族排外主義を助長するだけだと思っております。
台湾在住の国際派(?)のむじなさんと異なり、私は海外在住経験と言えば米国に少し滞在した経験しか持ち合わせていない(旅行や出張等は別にして)「コテコテの日本コクミン」ですので、常に日本の現実が頭に浮かび、むじなさんのような「自由奔放な言論」を展開するのに躊躇することがありますね。
むじなさん、徒然レス(1) 投稿者: まこと 投稿日: 8月21日(日)22時24分51秒
昨日のむじなさんの投稿にレスします。
>工作員でも党員でもない普通の在日中国人で、あそこまで共産党擁護にこだわる人間は、私は見たことがない。
>私は在日中国人にもたくさんまともな人間を見てきている。中国共産党だけでなく、中華民族主義の問題を自己批判し、チベットや台湾の問題に謙虚に誠実に対応している人もたくさん見ている。(略)
>
>ところが、猛獣文士の場合は、そうしたまともな中国人とは明らかに違う。明らかにまともではない。
確かに、私からみても猛獣文士さんは中華ナショナリズム意識が強く表出した発言を繰り広げる人だと思いますね。
氏がアフガン板で核保有を正当化したり中国人民解放軍のチベット侵出を「解放」として評価した投稿を行った時には流石に捨て置けなかったから、口を挟んだわけで。
しかしながら、私は氏を「中華ショービニスト」とは思ってはいないのです。
猛獣文士さんは自サイトで"靖国の鳥居を見て思わず感激したことがある"と書かれていますが、この一文を読んだ時、私は「あっ、若き頃の周恩来と同じじゃん」と感じましたね。本当は異文化理解に長けている人で、日本にも愛着を持っている人なんだと思います。
ただ、猛獣文士さんは華青闘での闘争を通じて日本左翼の「排外主義」を目の当たりにした人ですよね。その体験も相俟って、日本人による激しい中国批判を見ると、それを「中国バッシング」を受け取り、その反動として中華ナショナリズムに依拠した論を展開するのではないかと。ゴリゴリの「中華思想」の持ち主とは区別しています。
むじなさんは前、在日コリアンが強い愛国主義を抱く理由として「日本社会の排外性・文化多元性の欠如」などを挙げられたことがありますよね。猛獣文士さんは華僑であってコリアンでは無いけど、私は氏が中華ナショナリズム的言説を展開するのもかような要因もあると思っているのです。特に氏の場合は日本の左翼にすら幻滅感を抱いているから、尚更ではないかと。
そういう意味で、
>まともではない右翼や極左を「修理」すべきだとまことが考えているのであれば、それなら同様にまともではない中華ショービニスト猛獣文士を「修理」すべきだろう。
については、コテコテの日本人たる私としては猛獣文士さんを「批判」する前に、「まともでないネットウヨク」−例えば自称「解法者」氏やぼんくらおじさん氏など−の「非難」「糾弾」にこそ重点を置いて論を展開しくべきだと思っています。
もっとも、私は一年ほど前にもチベット問題を巡って猛獣文士さんと議論をしたことがあるのですが、その時にはアムネスティ等の人権団体によるチベット政策批判には一定の妥当性がある旨を認めていましたし、氏は正当な批判には耳を傾けるだけの柔軟性は持ち合わせています。だからこそ、氏とは「冷静な」議論が必要だと考え、頃合を見計らっているのです。
ただまあ、あれこれネット上で議論したり本を読むよりも、猛獣文士さんには一度でもいいから亡命チベット人の講演会に出席して、中国当局に弾圧された彼らの訴えを直接聞く機会を創って欲しいな、と思っています。猛獣文士さんに対しては、中国人民にとっての「抑圧民族」たる日本人たる私が下手に云々するよりも、中国「国内」における「被抑圧民族」たる彼らの生の声を耳にすれば、案外猛獣文士さんの認識も変わるんじゃないかと思っているんですけどね、私は。
むじなさん、徒然レス(2) 投稿者: まこと 投稿日: 8月21日(日)22時46分36秒
>「ウヨクが喜ぶことはやらない」なら、だったら、チベット支援だってやめれば?
いや、私はチベット支援運動を「ウヨクが喜ぶ」ような運動では無くしたいと夢想しているんです。
だから、一緒にワールド・ピース・ナウ(WPN)のイラク反戦パレードに参加した奴なんかをチベット蜂起記念ピースマーチに誘ったり、WPN系のデモにチベット国旗(雪色獅子旗)を持ち込んだりと、まあ「小さなことからコツコツと」やっているわけですが。
>ウヨクが嫌だからではなくて、こっちがウヨクよりも大声を出して、右翼を蹴散らせばいいだけのこと。
>その意味でまことは、最初から敗北主義だ。
「ウヨク」を蹴散らす、大賛成!
だから私に対して「敗北主義」との批判は当たらないと思いますよ。
>チベット人権のブログも、実は中国政府への敵対者を洗い出して、中国政府に通報するために行っている「おとり」なんじゃないのか?
すばりそれは無いです。信じてください(笑)。
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こんばんは 投稿者: 臨夏 投稿日: 8月29日(月)23時32分3秒
*鬼薔薇さんには、わたしの立場の説明もして頂き、どうもおおきにさまですv
猛獣文士さん>
>臨夏さんの政治的な立場は、氏がかなり慎重な表現をするし、
>政治的な主張をもろに語ることはないという意味で、よく見えないですね。
あどけなく、色々喋ってたたんではないか?と思てただけに、なんか嬉しいですね(笑
わたしの立場は、左翼ですが、カタストロフ的な終局を予定しない、革命を否定するものです。
自分では、アナーキズムの一種と思ていますが、身近な改良を通じて、大衆の立ち上がりを期待しようというものです。
(市民運動をばんばんやる、という意味では、むじなさんに近いですね)
個人的に、「決定論」も信仰しており、その意味では、なんにつけても「ゴドー待ちです」、
ゴドーを待っていたら、ゴドーが来てくれるものと信じて、生活しています(笑
さて、
>欧米人は完成された人格で、中国人はがきだというような発言をしたこと。
そうは申しておりませんでしょう(^^;
欧米人>日本人>アジア人(とくに、中国人)の順で、社会的成熟度(人格もありですが)を豊富に持っているのではないか、という疑問です。
これについては、いまでは、あまりそういうことも感じなくなってきており、
要は、自分が台湾文化に慣れたからではないか、
つまり、以前の観察は、偏見の域を出ていなかったのではないか、と反省もしております。
しかし一方で、イラク反戦デモへの参加情況で、やはり上の順で、「市民社会」が成熟しているようにも見え、
また大陸での生活や、アメリカへの(短期間の)旅行での「経験」から、まだ問題意識としては持っています。
*日本時間2時丁度追加*
((正確な言い方も大事ですので、追加しておきます。
↓
二次会でも、「中国人はがきや」とは言うたかも知れません。
というか、いまも、ごく親しい友人にならば、いう可能性の高い言葉です。(たまたま最近は言うてませんが)
もちろん、日本人も、「マッカーサーから見たら12歳」とは申しました。
しかし、「欧米人は完成された」とは、言うてない思います。
いまでも、全くそうは思いませんし。))以上、追加。
そら、レヴィ=ストロースのように、颯爽と「全ての文化は相対的で、対等」と言いたいですが、
あえて、本音にこだわり、生活地面の上を、ころがってみようとしています。
>反日の代名詞になった小日本という言葉の「小」と言う接頭語は、目下の人や同僚を呼ぶ場合のたとえば、陳君だったら小陳というようなところから来ているのではないかと、分析したところ、あからさまに否定してきたこと。
これは、やはりそうではないですか〜?(^^;
「小日本」が、愛称でしょうか!(小陳は、愛称でしょう)
猛獣文士さんも、中国語ができはるんでしょうが、わたしの感覚とだいぶ違うので、違和感を持っております。
ここは、このなかで、一番中国語に堪能であろう、むじなさんの解釈をお聞きしたいですね。
>彼が幾つかの書物を紹介してくれたことですが、ところが彼自身はそれらの書物を読んでいないということだったことですね。このときには、いったい彼はどういう神経の持ち主なんだろうと、疑いましたね。
これはすみませんでした!
同じことは、他でも指摘されております。
言い訳をすれば、わたしは「本の推薦」をするときは、友人らや、それこそ「偉い」先生(具体的には表三郎)の
間で評価の高い本を、自分が検証しないで推薦する、というもので、
これは、これからは、始めにきちんとその旨断ろう、と思ってます。
たしかに、なんも言わず奨めておいて「読んでません」は、無責任で不誠実ですね。
>先生のような地位にいるような人物で、学生相手に指導するようなつもりで書物を紹介してくれたのらしいと思うようになったのです。
いや〜、「先生」になったつもりはないです。わたしの「先生」の受け売りはありますがm(_ _)m
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まことさんへ 投稿者: 猛獣文士 投稿日: 8月29日(月)22時49分54秒
>私も猛獣文士さんは中華ナショナリズム意識の強い方だと思うし、別に氏の主張を支持する訳でもないのですが。
まことさん、こんにちは。貴殿は、私は中華ナショナリズム意識が強いと認識されているようですが、それは少し違うと思います。私は歴史的な経緯から見て、中国民族主義の必然性、正当性、必要性を語っていますが、同時にそれについてのまともな批判を渇望しているし、その先の議論を求めています。だから、まことさんとの議論を希望したこともあります。
前にも述べたとおり、私自身は台湾の中国人とも大陸の中国人とも異なる在日中国人であり、理念としての中国民族主義を理論的に認識することはできても、体感としての民族主義を感じることはできないのではないかと考えています。だから、私にとっての中国民族主義は認識と評価の対象であるわけです。そして、当然の前提的な知識を踏まえた上での踏み込んだ議論を期待しています。しかし、むじな氏のような中国民族主義の基本的な知識のない「日本人」は、そのような議論の入り口を通る前に、自らの民族排外主義と日本の近代史の自己正当化の誘惑に耽溺し、自己撞着し、その矛盾を罵倒や中傷で糊塗するしかできないようです。
さまざまな問題について、一方的な宣伝を鵜呑みにするのではなく、反論としての中国の側からの主張をも検討しようとすること自体を否定するむじな氏は、この問題についての議論を恐れているのであり、その議論のまともな展開を妨害するために、愚にもつかない大量投稿を繰り返していると思えます。彼は、前の記事で書いた「暴支膺懲の先祖がえり」でしかないことは、この下の下劣な投稿を読めば一目瞭然、明らかだと思います。
まことさんが、踏み込んだ中国民族主義批判、あるいは中国共産党批判を展開する場合には、私は何時でもそれを歓迎し、時間の許す限りにおいて、建設的な討論をしたいと考えています。同じことを、鬼薔薇さんにも、あるいは臨夏さんにも呼びかけたいと思います。
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猛獣文士は中国人の夜郎自大の本質をむき出しにしているだけ 投稿者: むじな 投稿日: 8月29日(月)13時22分14秒
>日本人なら、誰もが深読みしなくても「失礼」で「挑発」な書き方と理解しますよ。
日本人じゃなくても、台湾人もベトナム人もチベット人もフィリピン人も失礼だと
思うよ。
>解釈があまりにも自分勝手すぎる。
猛獣文士という人間、あるいは中国人という民族は、そういう夜郎自大なのです。
いまの中国の台湾に対する態度を見ればそれが一目瞭然。
心して付き合えということだ。
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まことには人権意識が欠如している 投稿者: むじな 投稿日: 8月29日(月)13時19分55秒
>私も猛獣文士さんは中華ナショナリズム意識の強い方だと思うし、別に氏の主張を支持する訳でもないのですが。
ナショナリズムではなくて、ショービニズム!強いほうではなくて、基地外という
レベル。
在日外国人で日本人にいじめられているからといっても、ここまで議論して、こちらの
姿も明かしているのに、それでも自民族の批判もしないのは、在日朝鮮人でもいままで
見たことがないケース。
しかも本人は、バタ屋やっているんならそれでもともかく、経済分析だかなんだか
冷房の効いた部屋で資本主義的なことに関与しているんだろう?
だったら、このかたくなさは何?
>在
>日「中国」人に中華ナショナリズムの克服を「説教」してみてもねえ、とは感じますね
私はなにも彼の日本批判の部分について説教しているんじゃないの。
彼の場合は、日本の極右以上に、異民族を蔑視していて、対ベトナム、対チベット、
対台湾についてヘイトスピーチを連発している。
いくら日本で少数民族として生きているからといって、日本とは関係ない脈絡で、
中国ショービニズムにたって台湾やチベットやベトナムを攻撃するというやり方は、
断じておかしい。
品性下劣というべきもの。
それを「日本人として在日中国人を批判できない」などといっている君はぜんぜん
的外れ。これは日本人と在日中国人の問題ではなく、普遍的な人権問題なの。
おまえ、チベット人権とかやる資格ない!
まこと氏の指摘は的外れ。
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まこと氏こそフェアな議論をしていない 投稿者: むじな 投稿日: 8月29日(月)13時07分45秒
>ただ、正直言って、私の生活空間の一部を構成する「日本」なるnation state「内部」では、
>「つくる会」のような草の根リビジョニズム運動が跋扈し、左翼であれ「市民」派であれ何で
>あれ、かような風潮に歯止めを掛けることができないという「厳然」たる現実があるのに、在
>日「中国」人に中華ナショナリズムの克服を「説教」してみてもねえ、とは感じますね
>え・・・。
つくる会などの極右勢力が跋扈しているとはいえ、彼らは体制そのものではないし、
日本はまだまだこういう掲示板が開設できるし、左派も活動の自由がある。
極右の台頭を阻止することはまだまだ可能。実際はわれわれはそうやっている。
それと中国は体制そのものが「つくる会」以上の極右で、反政府の掲示板や反体制
左派団体の活動など存在しない。極右を阻止するどころかそれで体制ができていて
反論ができない社会。
いわば猛獣文士は「反論が認められない」社会・体制の側に立って、反論が認められて
いる社会の悪口をいっているだけ。
同じ土俵で論じることはできないと思うが?
>まあ、むじなさんや臨夏さんは台湾在住者だからともかく、ではありますが。
ともかく?
台湾在住者から見たら、猛獣文士は帝国主義の手先なんだよ!
ミサイル攻撃、軍事演習を賛美して、自由な台湾社会を逆に「大陸人を差別している」
などと悪意に満ちた攻撃をするとんでもないやつ!
猛獣文士は台湾についてはヘイトスピーチを行っている。
これに甘いまことも、要するにチベットの人権には敏感だが、台湾人の人権など
どうでもいい、中国が台湾を侵攻するのは当然だと思っている鈍感な中華
ナショナリストなんだな。
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美学で政治を語るな 投稿者: パルタック星人 投稿日: 8月29日(月)11時47分15秒
日本ナショナリズムと中華ナショナリズムは、ショービニズムな面は同じでしょうが、やくざ的な美学をやたらふりかざすのが日本ナショナリズムの特徴だと思います。
鏡の前でサムライを気取り、自分の「男らしい」姿に酔いしれるのが日本ナショナリズムの特徴ではないでしょうか。敵を知り、己を知れば勝つとして、日本は今も昔も客観主義に欠け、敵を知ろうとせず、己を過大評価して、準備もなく突っ込む性質を持っているのではないでしょうか?まあ、それはアメリカや中国や不況ドイツで近頃流行りのネオナチも同じか。
しかし、諸外国と比べてもやたら政治家に「男ナニナニ」というのをつけたがるのが日本の傾向だと思います。まさに日本では、やくざの美学の延長で政治家の美学が語られている気がする。
私はまっぴょんさんやsinkenさんのように中国の脅威を過小評価すべきではないと思うし、中国の軍拡をアメリカと比較してこうだからと正当化するような言い方はNGだと思います。反論なら「中国は日本やアメリカの下請工場じゃないか。左翼なら人権侵害と軍拡が分かっていながら工場を進出させる日本やアメリカって何なんだ?」というのが正しいと思います。もちろん、妄想的な過大評価もダメです。中国には正確な認識が大事であり、正確な中国と日本の情報を把握することが大事だと思います。
日本ではやたら「毅然とした態度を取れ」とかいう抽象的な言葉が好きですが、そんな具体性のない言葉は言ってないのと同じです。外交官は小学生ではなく、エエ年したおっさんなのですから。そりゃあんまりビクビクオドオドした態度なら、そう言われても仕方ないでしょうけど、「もっと堂々とした態度で臨んで欲しい」って中学生ちゃうねんから。政治・外交は中身・内容が大事です。どうも、日本は無内容な「構え」主義が蔓延しているように思います。肩肘張って何かを言っているように見せて、実は内容のあることを何も言っていないという。
「つくる会の教科書」が単に唯我独尊的な先祖の自慢話のために普及したいのなら、やめるべきだ。日本に欠けているのは「愛国心」や「誇り」ではなく、客観主義と戦略的リアリズムだと思う。アメリカや中国の方がいくら唯我独尊的な思考回路を持っていても、一方で客観主義的なリアリズムも持っているように思う。だから、日本はしばしば米中に仲間だと思っていると、パッシングされて肩透かしを食らわされるのだと思います。いつまでも「オレの先祖は偉かったんだ」と自己満足的な歴史観にばかりふけっていると、その内刻一刻と変化する国際情勢においていかれちまうぞー。日本の政治家や官僚・知識人には、一度日本を突き放して考えることをおすすめする。グローバルに俯瞰的に全地球を考える発想が日本人には欠けており、「オレがオレが」という自己中心的な脳の働きが目だっている。それでは、今後何回戦争をやっても敗北するだろう。日本中心主義の日本の支配層は発想が二次元的、全球的なアメリカの支配層は三次元的な発想を持っているように思う。
あの戦争の本質は太平洋戦争である。何故なら東アジアだけでなく、太平洋全域で戦われたからだ。大きな東アジアだけの戦争ではない。戦闘は東亜だけでなく、太平洋全域で行われたのだ。東亜だけでなく、太平洋の覇権がかかっていたのだ。
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ぼやき、つぶやき、ためいき 投稿者: まこと@脱「小ぶる市民」模索中 投稿日: 8月29日(月)09時11分53秒
私も猛獣文士さんは中華ナショナリズム意識の強い方だと思うし、別に氏の主張を支持する訳でもないのですが。
ただ、正直言って、私の生活空間の一部を構成する「日本」なるnation state「内部」では、「つくる会」のような草の根リビジョニズム運動が跋扈し、左翼であれ「市民」派であれ何であれ、かような風潮に歯止めを掛けることができないという「厳然」たる現実があるのに、在日「中国」人に中華ナショナリズムの克服を「説教」してみてもねえ、とは感じますねえ・・・。
まあ、むじなさんや臨夏さんは台湾在住者だからともかく、ではありますが。私のような「コテコテ在日『日本』人」は、「だったら『日本』人のナショナリズムの克服はどうなのよ?」と考え込んでしまいますよねえ。一連の「議論」をみてると。
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どこが裏読み? 投稿者: 通りすがり 投稿日: 8月29日(月)07時45分5秒
>私の言葉をそういう風に裏読みするのでしょうか。
他に国はいくらでもあるのに、なんで台湾なの?
台湾でどんな仕事しているの?
収入はいいの?(そういえば、中国人って、初対面でも人の収入を平気で質問するよね)
ご家族は、どう思っているの?
という質問を投げかけ、まこと氏が個人情報だからという鬼薔薇氏のアドバイスもあり
返事を躊躇していると「台湾で人に堂々と言えないような仕事をしているんだ。分かりました。」
という返事をしているのですよ。
質問も不躾ですが、最後の捨て台詞は大変失礼な言い草ですよ。
日本人なら、誰もが深読みしなくても「失礼」で「挑発」な書き方と理解しますよ。
解釈があまりにも自分勝手すぎる。
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鬼薔薇さん 投稿者: 猛獣文士 投稿日: 8月29日(月)07時26分30秒
こんにちは。あまり頻繁にはお返事できないと思いますが、シカトしているわけではないので、ご理解ください。
>ただ、善し悪しではなく、ポスト戦後世代は“戦後的なパターン”が価値崩壊を遂げた時代に自己形成を始めたのだろうという認識を述べたまでですので、その旨ご了解くださいませ。
戦後的なパターンが価値崩壊を遂げたというのは、何を指しているのでしょうか。戦後の歴史は日本でも連綿として継続しているのであり、パターンが価値崩壊して、それまでの脈絡が御破算になったとは思いません。私は、戦後の日本は、戦前の日本についての総括にずっと失敗してきていると思います。これは、私だけではなく多くの論者が共通して主張し、認めている事実です。たとえば、鬼薔薇さんが例に出した平野義太郎の価値観の動揺というのも、明確な手ごたえを得ることができない中での動揺だと思うのですが、ではそれを批判している竹内好が解答を見出しているのかというと、そうでもないような気がします。
清算を行なえないままに、逡巡の姿勢を継続してきたと思ったら、突然に中国革命自体を否定し、結果的に暴支膺懲に先祖がえりするような傾向も、結局のところ戦後パターンからの解放の結果ではなく、戦後に現れてきたさまざまなパターンの一つですよね。むじな氏や臨夏氏の議論、あるいは鬼薔薇さんの議論はそういうものを超えているのでしょうか。
ところで、戦後の日本を考察する上で参考になる図書を紹介します。こういう文献も、一度参考にしてみたらどうでしょうか。
田中宏「戦後60年を考える」(創始社、2005年8月)
> 臨夏さんに対しても、“臨夏さんがなぜ台湾にいるのかということを率直に聞きたかった”のなら、なぜその理由やご自分の関心をまず「率直に」提示なさる前に“どんな仕事なんでしょうか。興味がありますね。収入はいいんでしょうか。ご家族は、どう思っているのかな。”
前の質問は、かなり率直に疑問を投げたものです。問題は質問の仕方ではなくて、質問の内容自体に受け入れがたいものがあったということでしょうか。あるいは、質問の仕方が荒々しすぎたのでしょうか。後者であれば、申し訳ないことをしました。
>といった詮索をされたのか、そしてそれに直接の回答がないとみるや“あなたは、台湾で人に堂々と言えないような仕事をしているんだ。分かりました[*]。”といった挑発的な言葉を投げられたのか、このたびのご説明を拝見してもやはり「率直に」申して理解に苦しみますね。
挑発ではありません。私の印象を率直に述べただけです。どうして、私の言葉をそういう風に裏読みするのでしょうか。