四トロ同窓会三次会 2005年8月12日〜16日
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やすくに>私信、というか教えてくんで失礼します。 投稿者: 臨夏 投稿日: 8月16日(火)23時21分50秒
鬼薔薇さまご教示の、
>『靖国問題』の高橋哲哉
この本は、どんなもんなんでしょう?
近々、日本から本を取り寄せたいんですが、買おうかどうか考えております。
アマゾンの書評も見てみますが、ここら「界隈の人士」の意見が知りたいです(笑
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なるほど、鬼薔薇さん 投稿者: 臨夏 投稿日: 8月16日(火)22時53分50秒
むじなさん不在のまま、お話しますが(笑
>これは「台湾」に限らず、「(旧)満州」でも「モンゴル」でも「新疆」でも「チベット」でもよろしいのですが、そもそも「漢民族」って具体的に何でしょう?
>そして孫文から今の中国政府まで、なぜ「中華民族」といった観念を押し出さねばならないのでしょうか?
すでに出ていた議題にも関わらず、失念していました、お恥ずかしい限りです。
ご注意ありがとうございます。
「漢人」というのですでに、「中華民族」に対応する、イデオロギーかも知れませんね。
むじなさんに、「台湾人と福建人で、言葉通じるではないか」、と言うたら、
「福建も中国(?)ではないんだが?」と言われておりました。
しかし、「新疆」や、チベットでは、問題は簡単に明らかでしょう。
「満洲」や、特に台湾は、ちょっとばかり、難しいと思います。言い訳かも知れませんが。
結局、「満洲」や台湾も、「新疆」やチベットと、同じ問題、ということでしょうか。
これを、南支那(南中国、という言い方は変、と思いましたので)までひろげる作業も、後に続くのでしょうか。
最終的に、「中原」はどうなるのでしょうね。
「日本人」「日本国」「日本」という概念が怪しげ、というのは、さるアイヌの方に聴いたことがあります。
わたしなど、大坂の立場から、「日本」のアイデンティティーを切り崩そうとしていましたのに、
「外国」=台湾には、勘が働きませんでした。
(尚、わたしは、むじなさんが言わはったように、「大坂は日本ではない」とは申しておりません。
日本というのも、一体ではない、と言うたのです。もしかしたら、「日本」は、近畿だけかも知れませんよ(^^、
マア、これは皇国史観のようにも感じますが。
(網野善彦さんは、『日本社会の歴史(上中下)』網野善彦:岩波新書のなかで、
日本を大きく6つにわけ、北から、北海道、東北、東日本、西日本、南九州、沖縄、としていました。
これは、東西(もしくは南北)対象でもあります。
東日本は、「将軍」権力がありましたし、近畿には「天皇」権力があります。さて、「同じ国」なんでしょうか。
また、網野さんは、戦国時代の諸大名を、国民国家的な地域「国家」とも指摘してはりました)
中国に対して、そういう勘が働かなんだ、いうのは、まさに、むじなさん、鬼薔薇さんが
言わはるような批判があてはまると思います。
中国、東アジア研究を続けたい、と思てる身には、重大な問題でしたm(_ _)m
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もひとつ横から(笑)>臨夏さま 投稿者: 鬼薔薇 投稿日: 8月16日(火)21時40分34秒
ご発言の意図は了としつつも、そのご趣旨はいかがなものかと。
>一般の日本人は、やはり、台湾と中国は、同じ民族(少数民族は捨象)の国や思てますよ。
もちろん、中華人民共和国というわけではなく、「漢民族の国」と。
これは、別に「国民党の手先、または国民党に影響・洗脳された」わけではないでしょう。
これは「台湾」に限らず、「(旧)満州」でも「モンゴル」でも「新疆」でも「チベット」でもよろしいのですが、そもそも「漢民族」って具体的に何でしょう? そして孫文から今の中国政府まで、なぜ「中華民族」といった観念を押し出さねばならないのでしょうか? 「一般の日本人」の“常識”というのは、「左翼」を含めて、そのあたりを問い直さぬまま漠然と「中国」とか「中国人」とかの観念をつくり、それによりかかってしまっていると思うのですね。そういう「一般の日本人」の“常識”=俗説を“対自化”することこそ批判的知性の課題ではございませんか? 「台湾」はその意味で「常識」化された日本人の「中国」観を批判的に対象化する大きな契機のはず。それを現地におられるあなたが上のようなご発言とは(苦笑)。
「中国」観の漠然たる曖昧さは、「中華思想」に対する批判意識の欠如だと思うのですね。それは、「日本」もしくは「日本人」という自己観念の漠然たる曖昧さと裏腹なもの(心理学用語で言う「自己投影」)ではないのでしょうか。「沖縄」や「アイヌ」の存在に触れるのもまたそうした曖昧な自己観念を相対化する契機となるのでなければ、単なるエキゾチズムにすぎません。そして、帝国主義におけるエキゾチズムとは、パレスチナ人サイードがいみじくも「オリエンタリズム」と名付けたあのイデオロギーでございましょう。
日本の「戦争責任」とか「民族的責任」とかの進歩派言説は、この“内なるオリエンタリズム”の温床となってきたようにわたしには思えてなりません。たとえば今年バカ売れという『靖国問題』の高橋哲哉とか。まぁ、あの人に対する加藤典洋の批判言説も迫力いまいち・いまにではございましたが(苦笑)。
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むじなさん> 投稿者: 臨夏 投稿日: 8月16日(火)18時43分28秒
こんにちは。
鬼薔薇板でも、ソフト作風を出してはりますし、ここでもそうはいかんでしょうか。
無用の忠告かもしれませんが。
むじなさんからみたら、わたしやまっぺんさんなんか(わたしとまっぺんさんでも違うけど(^^))、
勘が悪く見えるでしょうが、
一般の日本人は、やはり、台湾と中国は、同じ民族(少数民族は捨象)の国や思てますよ。
もちろん、中華人民共和国というわけではなく、「漢民族の国」と。
これは、別に「国民党の手先、または国民党に影響・洗脳された」わけではないでしょう。
そういうところに、説明していくのに、罵倒作風はふさわしくないと思います。
まっぺんさんなんかは、穏やかで、やる気もありはるし、
丁寧に説明したら、むじなさんにも、かなり同調すると思うんですが。
というか、左翼の世界で、まっぺんさんみたいな穏健でフレンドリーな方とさえ、対立しているようじゃあ、
何が目的なのかわかりませんです。
目的は、やはりご自分の意見ないし、台湾の実像を、日本人に伝えることでしょう?
また、議論は、理性的内容だけでなく、伝え方、感性的部分もまた、「本質」と思います。
理屈だけで話ができるんやったら、蒋介石も説得できるわけで、
人間同士の集団の「対話」には、それなりに、感性的方面も工夫せんならんと思います。
余計事なら失礼いたしました。。
PS、罵倒作風は、どこかでぽろっと言うてはったような、
「この言い方が効果があるからやっている」
のなら、これはいけません。これは、ただの迷惑男ですし、真の仲間は得られないでしょう〜。
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今日は夏休み 投稿者: 猛獣文士 投稿日: 8月16日(火)15時21分49秒
しかし、若い頃と違って、海山などに行く元気もなく、ぼうっと時間がたつのを眺めている感じだな。
>おれはすでに台湾人なんだよ!
むじなは、台湾人ではない。台湾に住み着いてる日本人だ。
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おれはすでに台湾人なんだよ! 投稿者: むじな 投稿日: 8月16日(火)15時07分52秒
まっぴょん
>むかし第四インターは「極東解放革命」論という革命理論をぶちあげたことがありました。
>これはその時代を反映するかなり「大言壮語」な部分もありますが、現在から振り返って感
>ずる事のひとつは、結局「日本の立場から極東アジア人民に『革命』を押しつけた事になる
>のではないか?」という疑問です。私はそういう危惧をむじなさんに対して抱いています。
笑止!
おれは台湾に住んでいる。日本にいるのではない。
おまえこそ台湾の歴史も現実も知らず、日本にいて赤もぐらだけを読んで勝手に
台湾を中国に巻き込もうとする運動に荷担している。
台湾人の立場や感情を無視して、日本人の都合で勝手なことをいっているのは
おまえ!
そもそもおれははっきりいってすでに自分は台湾人だとおもっているのだから。
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赤もぐらはフランス共産党と同じ反動派 投稿者: むじな 投稿日: 8月16日(火)15時05分3秒
>つまり私はこれと同じように、「国家の問題」として「ブルジョア的台湾独立ではなく、民衆
>の台湾を」と言っている事になるわけです。
台湾独立の思想と運動は民衆から生まれたのであって、ブルジョアから生まれたので
はない!
ブルジョアは国民党中国人と妥協して発展してきたのだから買弁的だった。
台湾で選挙のたびに独立派に近い民進党に入れてきたのは、抑圧されてきた南部の
労働者。
それに対して国民党に入れてきたのは北部のブルジョアと中産階級だった。
>又この主張は、すでにここでも紹介した中国三地域機関紙「赤もぐら」論文において台湾左
>翼の一部の立場から主張されているものと同一です。
中国三地域などといっている時点で、赤もぐらは、台湾民衆の立場に立たずに、国民党
中国人コロンと同じ視点に立っているのだ。
台湾を中国の一地域だとみなす発想は、国民党が侵略して持ち込んだもの。それを
北京政府が便乗して台湾を併合しようとしているだけ。
だから、台湾人はそれに反発して、中国人になることを拒否しているのだ。
台湾の民主化は直接的には戦後中国人による植民地支配を打倒し、多数派である
台湾人の民意にもとづく社会の建設を意味するものだから、民主化とは必然的に
独立を意味する。
おまえが台湾人を中国人だと錯覚しているのは、国民党中国人コロンと同じ立場に
たっていることを意味する。また赤もぐらは、外省人=中国人二世が多く、彼らは
単に独立の足を引っ張りたいだけなのだ。つまり、赤もぐらの立場は、アルジェリア
独立運動に反対したフランス共産党の立場と同じなのだ。
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まっぴょんの主張はかつての日本帝国主義の台湾人同化論と同じ 投稿者: むじな 投稿日: 8月16日(火)14時58分42秒
まっぴょんは、戦後台湾における蒋介石中国人一派による台湾人民衆の「中国人への
同化」強制の過程をわかっていないだけだろう。
台湾人は断じて中国人ではない。台湾を戦後支配した中国人が台湾人の母語と権利を
否定して中国人になることを強制しただけのことだ。
そしていまだに中国人の一部が台湾に愛着を持たず、台湾は中国の一部だという
傲慢な前提の下に「中国三地域のトロツキスト統一運動」なる反動的な主張をしている
だけのことだ。
台湾には85%の台湾人と、15%の戦後コロン中国人がいて、かつては中国人が
台湾人を支配してきたのだ。そしていまだに彼らは台湾人を支配しようと躍起に
なっている。赤もぐらもそうした中国人の一味に過ぎない。
おめえがそうした一部中国人の主張だけをみて台湾住民がすべてそういう思想だと
おもっているとしたら、まさにおまえは日本の台湾植民地支配を肯定しているのと
同じことだ。
日本植民地時代、日本は台湾人を日本人とみなして同化しようとしてきた。
戦後国民党はそのまねをして台湾人を中国人とみなして同化しようとしてきた。
ところが、それが台湾人からの反発を招き、台湾人による民主化運動、労働者・農民・
小商工者の総体的な反抗を展開したことで、台湾は民主化して、いまや台湾人の政府に
なったのだ。
ところが赤もぐらに見られるようにかつての支配層の中国人はいまだに権力を手放したく
ないから、そうやって「中国三地域」の連携を図ることで、台湾人の足を引っ張ろうと
画策している。
アルジェリアにおいて、フランス共産党がアルジェリア独立の妨害をしたのと同じ
ことを赤もぐらは行っているだけだ。
赤もぐらは、蒋介石一派とともに台湾を侵略した中国人の子孫で、単なる侵略者である。
そんなものに荷担するまっぴょんも、単なる侵略の荷担者で、帝国主義者だ。
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まっぴょんの傲慢な論理 投稿者: むじな 投稿日: 8月16日(火)14時51分20秒
まっぴょんへ
>これまでの台湾の歴史は中国本土との軍事的緊張関係の中で蒋介石政府支配による抑圧が続
>いてきた結果としての台湾社会があるのであって、台湾国内での差別・抑圧が続いてきた事
>は重視されなければなりません。
台湾国内での差別抑圧というのは、それこそ蒋介石一派の中国人が中国から台湾に
侵略征服して、従来から台湾にいた台湾人を支配、抑圧してきたからこそ発生した
んですが?
君は、ひょっとして台湾には蒋介石以前に住民がいなかった、あるいはもとから
いた住民もみんな中国人だったとでもおもっているの?
どうも君自身、台湾と中国の対立が、蒋介石と毛沢東のイデオロギー対立だけで
あって、台湾における台湾人と蒋介石中国人政権との対立という部分、さらに
台湾が民主化することによって、中国人が権力を失いつつあって、台湾人による
政府が確立しつつあって、それが中国北京政府から見て「台湾人ごときが台湾を
統治することは許せない」といって台湾をいじめている構図があるということが
見ていないんじゃないの?
>単に「中国に対して台湾の独立」と言った時、その台湾内部での抑圧・支配関係を棚上げし
>たまま「台湾の独立」を語るのであれば、
おまえアホか?
台湾内部での抑圧支配関係を克服して清算した結果が、台湾独立なの!
台湾はすでに民主化していて、自分の大統領を自分たちで選んでいるの。
かつての蒋介石は、外国から乗り込んできた少数支配者だったから選挙を恐れていた
だけなの。
それを台湾人の民主化運動で、民主主義を勝ち取っているの。
おまえ、本当に何にも見えていないんだね!
>それは「資本主義化した本土中国」に対抗する「資本主義的支配関係のままの台湾」の独立
>を承認するに過ぎないのであって、
君は階級矛盾だけにこだわっているようだが、戦後台湾の問題は本質的には民族矛盾
であって、民族矛盾が階級矛盾と一体化していたこと。
つまり、大資本家は国家権力と結びついた中国人が独占していて、台湾人は農民、
労働者、小商工者だったの。
資本主義の階級関係と、外来中国人と土着台湾人の民族関係がほぼそのまま等号で
結ばれたところに台湾の特徴があるの。
そして、民主化運動側は、環境左派や左派社民主義の理論に立脚してきたから、
民主化というときには、そうした資本主義的な搾取構造の打破、台湾人民衆が権利を
勝ち取っていくということにあるの。
そういう意味ではいまの台湾は中国よりはずいぶん社会主義的。
>そのような「独立」にはそこに住む人々の幸福を追求する権利の保障が見えません。
台湾の歴史や民族関係も知らない君が、台湾に現在住んでいる私に向かって勝手に
「権利の保障が見えない」などという資格などない!
おまえが見えないのは、おまえが日本人として傲慢にも台湾人の動きを見ようと
しないからだけ。
はっきりいっておくが、いまの台湾のほうが日本なんかよりもよほど社会主義的
で、市民運動の動きも活発だよ。
台湾における改憲論議では、先住民の権利保障、9条と同じ非戦平和条項の導入などが
議論されている。日本の改憲論議はそれと逆に反動化しているが、それは日本でいかに
左派の力が弱く、台湾では左ばねが強いことを示しているわけだ。
日本にいるおまえは完全に台湾に負けている!
>現在台湾人たちのあいだで起きている自立意識は、やがて「独立国家」への糧となるかも知
>れませんし、その事自体には何の違和感もありません。しかし、上記関係を無視したまま
>「独立国家」だけを重視する態度には、民族の自立が目指す本来の目的=その民族が平和に
>豊かに暮らす権利」をどのように保障するのか、が見えてきません。
おまえが見えいてないだけ。それはおまえ自身が台湾を知らないで、高みにたって
台湾を見下ろしているという傲慢な帝国主義者だから。
台湾のほうが、いまや日本よりも進歩的なの。日本はどんどん右傾化しているが、
台湾では改憲論議でもどんどん進歩的なものが出てきている。
日本にいるおまえには、台湾をばかにする資格などない!日本はアジアの中で最低
なの!
>「赤いもぐら」誌を中国三地域の共同誌として発足し、そこで彼らが目指しているのは、本
>土も台湾も含め、
含めるな!台湾は台湾だ。
台湾を中国の枠内に含めるのは、反動右派の発想。
おまえこそ階級的視点がない。
>それらの地域での自分たちの未来をどう切り開くかを模索しているからにちがいありません。
おまえの思い込みは無意味。
>その努力に対して中国人でもない自分が
台湾人は中国人ではない。
>外部から「独立を重視するなら三地域誌などというものはやめるべきだ」と彼らに言う権利
>を私は持っているとはおもいません。
であれば、台湾人でもないおまえが、「台湾では民衆の幸福を追求する権利保障が
見えない」などという権利がどこにある?
おまえはようするに、台湾人の大多数の独立を追求する権利を無視して、台湾に寄生
するコロン中国人の「中国統一運動」に荷担して、台湾人の幸福を否定している
だけだ。
たまたま読んだ統一左派の文章が、台湾の左翼のすべてだとおもっているとしたら
お粗末!おまえは、台湾を侮辱している!
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台湾には台湾人を抑圧する中国人も存在しているというだけのこと 投稿者: むじな 投稿日: 8月16日(火)14時34分14秒
>>Re:かみあってないね。 投稿者: まっぴょん 投稿日: 8月11日(木)19時28分24秒
>だから、そんな事は「自ら『中国三地域』と自称している台湾人」に言ってください、と
>言っているんですが?
自らを中国だと自称しているのは、中国人であって、台湾人ではない。
君こそ、台湾が多民族国家であることを忘れているようだ。
台湾人が85%、戦後国民党とともに侵略してきたコロンである中国人が15%
いるというだけのこと。
そして、赤モグラの連中は、そのコロン侵略者である中国人の代表として、台湾人の
願いを無視して「大陸と香港を含めた大中国の連携」を主張しているだけのこと。
いってみれば、いまのラトヴィアにもロシア人がたくさんいて、そいつらの一部が
「ソ連共産党の復活」といっているのと同じことなのだ(実際ラトヴィアには
そういう運動が存在する)。
あるいは仮定を設定するとすれば、日本がいまだに朝鮮と台湾を支配していて、その中の
日本人グループが「台湾人など存在しない。台湾人も朝鮮人も日本の外地人だ。台湾人の
運動は日本の三地域の中で行うべきだ」といっているのと同じ。
つまり、おまえは台湾にいるコロン中国人の側にたって台湾人の独立運動を抑圧する
侵略の荷担者だということだ。
君こそ、台湾の歴史をわからずに、勝手に一部の統一派党派に荷担しているだけ。
君は日本が台湾を殖民地支配したことをまったく反省していないだけだ。
おまえはたまたま日本という「単一民族」国家に住んでいるから、日本住民=日本人
だとおもっているのと同じ理屈で、台湾住民=台湾人だとおもっているだけだ。それが
おまえのおかしなところだ。
台湾住民>台湾人なのだ。それがおまえにはわかっていない。
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護憲派に支持集中を! 投稿者: パルタック星人 投稿日: 8月16日(火)13時56分16秒
今の左翼党派には、革命を起こせる動員力を持った党派は一つもないと思います。そんな中で小選挙区で268もの候補を出すのは野党の票を割る自滅行為ですし、民主に問題があっても、選挙協力は必要だと思います。そうしないと、結局小泉が続投するが、どっちがなっても一緒ではなく、郵政民営化がスムーズに行くのは危険なんだ。創価学会並みの動員力があるならいざ知らず、学会票にとても太刀打ちできないなら、勝てる所に集中しないと、絶対小泉改革が今以上にスムーズに行く。野党票を割るというのは、小泉を裏から支援していることになるんだ。
新左翼も議会外闘争だけでは勝てないし、翼賛国会で集会・デモ禁止令が出れば、反対運動もできなくなる。政治家などに期待するな、翼賛国会も民主国会も一緒、ではなく、護憲派に支持を集中させることが大事だと思います。社・共・新社・民主、党派はどこでも良い。自民党ですら良心的に思える候補には入れるべきだと私は思ってます。期待は裏切られて当然。小泉の思惑がスムーズに通ることになるのが恐ろしいのです。
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共感・賛成・断然支持!>ひびのまことさま 投稿者: 鬼薔薇 投稿日: 8月15日(月)22時37分33秒
初めまして。別板でゴリゴリのレーニン読書会などしております鬼薔薇と申します。
http://homepage2.nifty.com/onibara/
「自由」こそ最高の価値、と考える大人しい生き物でございます。
>
さらに。日本のこれまでの左派系社会運動は、同性関係嫌悪との闘いや女性差別との闘いに於いて、「十分に、するべき事を、してきた」とはわたしは考えていません。デモの際の警察との関係についてなど必要なことが「受け継がれていない」のは、そういった歴史的事実からだと考えます。ですので、「これまでの反権力運動の歴史」を上から教えるようなアプローチでは、反感を買うだけだと思います。この件についてちゃんと左派系アプローチをするのであれば、「東京レズビアン&ゲイ・パレード2005」が実行委員会の不充分な方針(過度の規制と警察への屈服)をしてしまうような現実生み出してしまった「私たち左派の不充分さ」を顧みた上で、ジェンダーやセクシュアリティーについてのパレードを成功させていくという具体的な目的を実現するために、なぜいまの方針が不充分なのかを「一般のパレード参加者」にも説得力のあるかたちで説明できないといけないと思います。
<
ご発言、深い共感をもって読ませていただきました。
「左翼」は、一般に考えられているより、また自分たちが考えているより、実はずっとずっと保守的なのですね。「理論」や「思想」の自覚されたレベルより、生理や身体に関わる無意識・無自覚なレベルで特に。それを対象化し突き抜ける作業は、ざんねんながらほとんどなされてきていないのが実情とわたし思います。
なぜか? 基本にあるのは「自由」の感覚・感性の不足ではないかと思うのですね。
たとえば「差別反対」とか言いますと、その対抗テーゼはだいたいが「平等」。でも「平等」ならいいのか、「平等」なんてあるのか、そもそも「平等」って何なのか、まるで自明のことのように扱われて、ほとんど問い直されてはおりません。結果、“差別語狩り”のタブー再生産=「不自由」へはまっていったり、それを先導してみたり、体制批判だったはずが○もおだてりゃ木に登るふうに体制イデオローグへ「上昇」していったり。
この「自由」の感覚・感性の不足は、ひろく社会的にあるもので、いわば左翼もそこから足抜けできていない(それに対するきちんとした「批判」に媒介されない)まま、「政治」次元での左右対立を生きてきたからでもございましょう。それが「自由」と接触するとき思いがけぬ「統制」を自らの内から生み出すこと、「革新政党」や労働組合の歴史にいくらも例をみますし、少し前には「イラク反戦」市民デモにも現れました。このたびのパレードをめぐる書き込みなど拝見して、皆さまもまたそうした局面に身を置いていらっしゃるのだなと思いました。
残念ながらわたし、直接お役に立つようなオファーができにくい空間に棲んでおりますが、せめてもの連帯の意思表示として、この関連議論に広くスペースを使っていただくべく、この場における長文書き込みを当面ご遠慮することといたします。
ひびのさんと「ばらいろねっと」の皆さまのご健闘を心より祈っております。
自由をわれらに!
>まっぴょんさん。そんなわけですので、勝手ながら意見交換の続きは、拙苑[談話室]のほうでお願いできればありがたく、よろしくお願い申し上げます。m(..)m
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「東京レズビアン&ゲイ・パレード2005」における規制問題 投稿者: ひびの まこと 投稿日:
8月15日(月)16時53分16秒
ほっぷさんが書かれている「追加 投稿者: ほっぷ 投稿日: 8月12日(金)23時01分49秒」のパレード実行委員会と、今パレードをしている人達の間には、人的にも、内容的にも、つながりはありません。全く別の団体だと思ってください。
またわたしのサイトでも書こうと思いますが、基本としては、警察と正面からケンカしていくような経験を積んだことのない人達が今のパレードを主催しているようなので、1つ1つ指摘すると共に、それだけではなく、代わりに実際に警察に行ってデモ申請をするようなことでもしないといけないのかもしれない。
さらに。日本のこれまでの左派系社会運動は、同性関係嫌悪との闘いや女性差別との闘いに於いて、「十分に、するべき事を、してきた」とはわたしは考えていません。デモの際の警察との関係についてなど必要なことが「受け継がれていない」のは、そういった歴史的事実からだと考えます。ですので、「これまでの反権力運動の歴史」を上から教えるようなアプローチでは、反感を買うだけだと思います。この件についてちゃんと左派系アプローチをするのであれば、「東京レズビアン&ゲイ・パレード2005」が実行委員会の不充分な方針(過度の規制と警察への屈服)をしてしまうような現実生み出してしまった「私たち左派の不充分さ」を顧みた上で、ジェンダーやセクシュアリティーについてのパレードを成功させていくという具体的な目的を実現するために、なぜいまの方針が不充分なのかを「一般のパレード参加者」にも説得力のあるかたちで説明できないといけないと思います。そのためには、最低限いまクイアコミュニティーで起きていることを知っていて、かつそれについて方針を持っていることが必須ですが、残念ながらそういう左派系活動家にはなかなか巡り会えません。
ということで、同志や支援者、協力者を大募集です(笑)
http://weblog.barairo.net/
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若者よ!体を鍛えておけ! 投稿者: 野次馬の視線 投稿日: 8月15日(月)09時39分41秒
のあの、ぬやま・ひろし、ですからね。司馬遼太郎のこの本を読んだときは、本当にびっくりしましたよ。それでも、日共除名後の西沢隆二氏が正岡子規全集の編集に参画しているのは事実だし、右派の司馬遼太郎が西沢を持ち上げても別に意味はないと思いますから、おそらくはこの人物像はそこそこ実像なのではないでしょうか。『ひとびとの跫音』というのは、実に奇妙な小説(?エッセイ?)です。
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わはは、そんなに嫌いですか(笑 投稿者: 臨夏 投稿日: 8月15日(月)01時18分26秒
代々木は、もとから気色わるいですよ〜。
人民にすり寄るような態度とか。
そのなかで、ぬやま氏もそうかどうかはよう知りません。
ただ、徳球の縁者とかは、司馬の小説を読む限りでは偶然のようで、
「権力・権威主義」みたいなんからは、遠そうに感じられました。
わたしの不満は、理論的に浅いとこで、
それは獄に何年もおって、白い壁にむかって、何年も考え続けた、みたいなことが原因かなあ、と思います。
社会思想とか、独りでは考えれんでしょう、本読んだり、仲間と議論したりせんことには。
そういう意味では、不幸な人生に見えます。
まあ、まったくの他人がいろいろ勘ぐってもしゃあないですけど、当人、不幸やったかどうかはわかりませんし。
別に、支持もしておりませんが(^^
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ぬやま・ひろし…オエっ! 投稿者: 鬼薔薇 投稿日: 8月14日(日)22時58分29秒
>ぬやま・ひろし氏については、ええ人には違いありませんが、
わたしには最悪のヨヨギ茶坊主のイメージしかございません。
徳田球一の娘婿だかなんだか存じませんが、あの人の書いた「青年」論?関係など、肌の上をなめくじが這い回るようなキモチワルさでとても読めたものではない――若い頃のわたしがヨヨギ嫌いになった大きな理由のひとつでございました。
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ええ本ですよね 投稿者: 臨夏 投稿日: 8月14日(日)19時36分18秒
『ひとびとの跫音』は、菊さんに教えられて読みました。
司馬遼太郎作品のなかでも、最高のもんや思います。
ぬやま・ひろし氏については、ええ人には違いありませんが、革命家としては、なんか頼りなかった感を持ちました。
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司馬遼太郎「ひとびとの跫音」 投稿者: 野次馬の視線 投稿日: 8月14日(日)19時27分3秒
の主人公のひとりは西沢隆二(ぬやま・ひろし)ですが、この作品の中では、プロレタリア革命に先立ってブルジョア的近代の価値をまず押し進めなければいけないという、モダニスト、ひろし・ぬやまが描かれていました。どれだけ実像と重なるのかはわかりませんが。後のマオ派の頭目としての存在との「不釣り合いぶり」が奇妙ですが。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~atwebkc/sikiasioto.htm
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少し補足>まっぴょんさま 投稿者: 鬼薔薇 投稿日: 8月14日(日)02時14分41秒
いったん床に着いたのですがどうも気になりまして(苦笑)。
>「民族独立」とは所詮ブルジョア的問題に過ぎぬとのご指摘、まったく当を得たものと思います。
あの、わたし、“所詮ブルジョア的問題に過ぎぬ”というふうな、軽視〜否定的な意味合いで申したわけではなかったのですが……。ここ、ちょっと誤解を招く言い方だったかと反省しつつの補足というか追加でございます。
「民族独立」にせよ「民主主義」にせよ「ブルジョア的」な課題だと申しましたのは、それは人類史においてブルジョア近代が掲げた理念(典型的には「自由・平等・友愛」、あるいは「人権」もまた)だというごく単純かつ客観的な指摘でございます。それらはブルジョア近代が掲げたとはいえ、ブルジョアジーの支配のもとでどこまで制度的に実現されるかは別問題であって、国や社会によって程度の差はあっても、その完全な達成は多かれ少なかれ「社会主義革命」の完遂を待たねばならぬものではないでしょうか。
かつて日本共産党の周辺で、“ブルジョアジーが中途で投げ捨てた旗をプロレタリアートが掲げる”といった言い方がされたことがあったのですが、ある意味正鵠を得ていたように思うのですね。そして、「百パーセントプロレタリア的」なものを幻想する左翼主義(「階級闘争至上主義」)は、この問題を軽視しすぎではなかったかとも思うのでございます。
現実の資本制社会は、前近代的諸要素をさまざまにひきずって成り立っており、それに応じて社会主義革命は、それらを払拭するという(原理的には「ブルジョア的」な)課題を併せて負うのではないでしょうか。「民族独立」「自由・平等・博愛」「人権」といった近代の理念を一言に集約するなら端的に「民主主義」ということになろうかと思いますが、「ブルジョア民主主義」か「プロレタリア民主主義」かという(左翼好みの)区別立ても、この点からいたしますと実はあまり意味のない概念操作に思われます。こうした区別立ては、場合によっては日本共産党綱領が定式化したような(あるいは中国第二革命にスターリンが押し付けたような)「二段革命」論の轍にも陥りましょう。
ただ、これまた別の誤解を誘わぬようにあわてて補足いたしますと、「民主主義」が超歴史的・超階級的・人類普遍的な価値だなどと申したいのではございません。「民主主義もまたひとつの矛盾である」という『国家と革命』でのレーニンの言葉は、それがひとつの「歴史的」産物であり、そのようなものとして将来社会においては「止揚」される(「国家」と同じ位相で「死滅」する)――「完成」すなわち「消滅」である――ことを示唆したものではなかったかと。まだ自分でも未整理なことが多いのですが、そんな気がしております。
これはトロツキーにお詳しい方(別に「トロツキー主義者」という意味ではなく)のご教示を得たい点なのですが、トロツキーが唱えた「永久革命論」は、上のような「民主主義」の課題設定をどこまで・どのように含んでいたのでしょうか、あるいは含んでいなかったのでしょうか?
このような話題はここにふさわしくないということでしたらご指摘くださいませ。早々に引っ込みますので(笑)>ALL
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補註>まっぴょんさま 投稿者: 鬼薔薇 投稿日: 8月13日(土)23時44分32秒
前世紀初めの「ヨーロッパ合衆国」議論については、レーニンの論文を参照することが欠かせないと存じます。もしお手許にございませんでしたら、拙苑「資料室」に全文を収録しておりますので、ご利用くださいませ。添えてありますわたしのつたないコメントは、まあ、おついでにでもご笑覧いただければと(苦笑)。
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とりあえず>まっぴょんさま 投稿者: 鬼薔薇 投稿日: 8月13日(土)22時55分31秒
>この場合は、「パレスチナvsイスラエル」と「台湾vs中国」問題とを比較してその違いを述べたに過ぎないのですが、
なぜそのような「比較」ができるのか、わたしには深く疑問なのですね。「非宗教的・民主的パレスチナ国家」は、パレスチナ民族の「自決」=「政治的分離」(レーニン)の主張とはちがうでしょう? 類推としても的確とは思えないのですが。
>つまり私はこれと同じように、「国家の問題」として「ブルジョア的台湾独立ではなく、民衆の台湾を」と言っている事になるわけです。
まさにその「民衆の台湾を」というのが今日の「独立」主張のコアではないでしょうか? それは、蒋介石・国民党という占領権力の専制支配に抗して民主主義を要求してきた「民衆」の声として、わたし前から支持しております。「ブルジョア的台湾」ですよ、これも(笑)。だけど、でないとしたら何を語るべきでしょう。「社会主義台湾」ですか? でしたらそのように提起なさるべきと思いますが? ま、現地におられる方が二人もおいでですから、台湾問題プロパーについてはこのくらいで。
湯川論文拝見しました。要は「市場白書」から「マーストリヒト条約」へと進んできた現代のヨーロッパ統合の評価ですね。ふたつの問題が重なっているので少しやっかいですが、85年「市場白書」から89年「社会憲章」までは、旧「西ヨーロッパ」の統合であり、89年以後はドイツ統合が具体化して冷戦期の「東西対立」をヨーロッパ・レベルで「統合」するという国際政治的意味合いが加わりました。でもその基本は市場の統合ですね。その市場の安定性を確保するのが「通貨統合」の目的と理解しております。
それは「ヨーロッパ」が、「マーシャルプラン」以後の“復興”の歴史を終えてアメリカのヘゲモニーから「自立」することであり、世界市場のなかに独立単位として自らを登場させるものにほかなりません。当初アメリカや日本などから排他的な「フォートレス」ではないかとの警戒が示されたのもそのためと存じます。そうした声が後景に退いたのは、WTOやG8その他での「協調」がそれなりに進んできた結果でしょうね。
>ヨーロッパ連邦(或いは国家の統合)がブルジョア的動機に基づくものであっても、それは労働者階級にとって進歩的なものである、という主張がトロツキーの論文の中にあるのですが、
現在のヨーロッパ左翼の主張については知るところ少ないのでコメント控えますが、今日の市場統合にもまた“労働者階級にとって進歩的な”面はございましょう。1世紀半 ノセ外来政権の色彩は残しているわけですが、台湾人がこの間、
民主化を勝ち取って、政府 そ口先だけの形式論にこだわって実践がない 投稿者 l。台湾人を抑圧した側なの。
>脱力。
>あんさん「関西人」か。
わたしは何度も関西人だというアイデンティティを表明している。
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