四トロ同窓会三次会 2005年3月1日〜10日
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テキスト批判はいつでも必要ですが、どこで飛ぶか(=政治的立場からどのテキストを採用するのか)、それが問題だ (w 投稿者:noiz
投稿日: 3月10日(木)18時07分9秒
テキストに対する「自律性」はもちろん必要ですね。アナ、ボル、社民ということは皆ばらばらなのは、当然ですから…
だから、マフノ運動史の新訳が出たときに新しい資料を期待したんですが、新味はありませんでした。ウクライナで史学がどのように「復活」しているのか分からないので、資料がどれほどそろっているかも分かりませんが、いずれにしても革命史などというものは事実のつき合わせが依然として必要なことには変わりないでしょう。
過去のことに対して今から批判を加えるのももちろん「比較的楽」ではありますが、同時代的にロシアボル革命を批判したアナ、社民なりが、じゃあどれほど「真実」を掴んでいたかというと…(笑)
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三浦小太郎様 投稿者:野次馬の視線 投稿日: 3月10日(木)17時22分56秒
とんでもありません。大変感謝しています。同じ出版社の『共産主義黒書』の方は購入していたのですが、この本は見落としていました。懐かしのジョン・リード『世界を揺るがした十日間』(古ロナルド・レーガン推薦の映画「レッズ」の原作でしたっけ?)や、未読のエルネスト・マンデルの『一九一七年一〇月――クーデターか社会革命か』と比較して読みたくなりました。
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おお 投稿者:尊皇愛国改憲派 投稿日: 3月10日(木)15時47分23秒
三浦さん、いつも名著のご紹介に感謝します。
その本もぜひ読んで見ます。ケレンスキー自身はコルニーロフとボルシェヴィキ弾圧の密議をしたことを否定しているようです。しかし、複数の当事の歴史的重要人物が密議があったであろうと回顧していることから、蓋然性からしてトロツキーのような解釈を支持する人もいるようです。
それにしても直接インタヴューしたとはすごいですね。
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人物ロシア革命史は 投稿者:三浦小太郎 投稿日: 3月10日(木)15時38分18秒
「人物ロシア革命史」は、もう徹底的に、第2インターというか、民主社会主義の視点での分析です(これ言っとくべきだったか。野次馬の視線さんに無駄な出費をさせてしまったかも)。ですから、ボルシェヴィズムは敵、アナーキズムにいたっては無視、という感じなのでしょう。ただ、本の主張が明確であること自体は悪いことではないと思いますし、メンシェヴィキの人たちを簡単に知りたいと思えば有効な本です。
松田道雄氏の「ロシア革命史」は大変いい本ではありますけど、ケレンスキーとコルニーロフの関係については、松田さんが書かれた頃はまだ資料が充分になかった時代ですから、そのような結論になったのでしょうね。事態のあらましについては、1995年に書かれた「ロシア革命史」リチャード・バイプス(成文社)の138ページからの記述に詳しく当時の情況が書かれております。著者はケレンスキー自身にもインタビューしており、またケレンスキーとコルニーロフとのテレタイプでの会話まで調査していますので、私には大変説得力を持つものです。
ものすごく簡単に言えば、強力な政権を作るためにコルニーロフの軍隊と連携する事をケレンスキーは一度選択しましたが、将軍と首相をつなぐ連絡役のウラジーミル・リヴォフという議員が、まあ大して能力もないのに調停役したがる人間の典型で、二人の意志をお互いにうまく伝えずに相互不信を生んでしまう。ケレンスキーはやはり将軍は軍事独裁者を目指しているのではないかと思い込み始め、コルニーロフは煮え切らないケレンスキーのやる気を疑い始める。正直、最後に一度約束したコルニーロフとの連携を切ってしまったのはケレンスキーの方のようです。
コルニーロフは政治思想などは特に目立ったものはなく、愛国者で職業軍人、軍隊に人気があった人物。別に陰謀をたくらんだり強いて権力を握ろうとするタイプでもなく、ケレンスキーを殺害しようなどという発想はなかったはず。まあ、勿論松田氏にも依拠する資料がおありでしょうけれども読み比べた結果はバイプスの著作のほうが圧倒的に説得力がありますね。
ただね、「ロバも死んだライオンならば蹴飛ばせる」というロシアの私の大好きなことわざがあるんですよ。正直、今レーニンやロシア革命を批判するのって簡単なの。(スターリンも)何故彼らが勝利したか、メンシェヴィキが敗れたかを考え直さないといけない。この問題は政治のかなり本質的な部分を示唆しているとは思います。
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三浦さんへ 投稿者:尊皇愛国改憲派 投稿日: 3月10日(木)15時05分50秒
ケレンスキーはコルニーロフと謀略を密議し、ボルシェヴィキを弾圧しようと計画していたところ、ケレンスキーが驚いたことに、コルニーロフがクーデーターを起こしたというのは本当でしょうか?結局、ケレンスキーがコルニーロフと謀略を企てたものの、コルニーロフが彼を裏切る形で殺そうとしたので、ケレンスキーがコルニーロフを解任したと説明している歴史家がいるのですが(松田道雄氏)。
よろしくお願いします。
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クロンシュタットの水兵について 投稿者:尊皇愛国改憲派 投稿日: 3月10日(木)14時50分27秒
クロンシュタットの水兵が反乱を起こした1921年の反乱当事に、クロンシュタットの海軍というのはボルシェヴィキの中でどの程度の重要性をもった軍隊だったのでしょうか(冬の期間で軍港が使えなかったという点を除いて)?
1921念の反乱前の革命時に活躍したクロンシュタット海軍の兵士の中には投獄されていた者もいるといいますが、投獄されていた政治犯はボルの造った強制収容所にいたのでしょうか?その場合、クロンシュタット兵は反乱以前からすでにボルから弾圧を受けていたのですか?
よろしくお願いします。
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『人物ロシア革命史』落手 投稿者:野次馬の視線 投稿日: 3月10日(木)12時36分56秒
最後が「国民の愛国心」の称揚で終わるという奇妙な第一部はともかくとして、第二部「ロシア革命家群像」はそこそこに興味深い内容です。ただし、ヴォーリンもマフノも登場せず、ルナチャルスキーはあるもののゴーリキーもメイエルホリドもないので私たちの世代の知っているロシア革命のうち三分の一近い部分について触れられていないという感じがしています。「国民の愛国心」をもっとも駆り立てたのは大祖国戦争時のスターリンだったような気がしますがね。
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お し ら せ 投稿者:睡蓮 投稿日: 3月10日(木)02時03分54秒
JVJAシンポジウムの案内
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)シンポジウム
ジャーナリズムは政治権力とどう向かい合うべきか
〜公共放送NHKと政治権力〜
2005年3月10日(木)
文京シビックセンター(小ホール)
開場:18:30
開演:18:45〜21:00
入場料:1000円
日本で最も影響力のあるメディア、NHKという公共放送が、なぜ“権力の監視”というジャーナリズム本来の役割を果たせなくなったのか、NHK内部のジャーナリストたちはかつて現場でどう闘い、どのような圧力と対峙し、いかなる弾圧を受けてきたのか、ロッキード事件報道などをめぐって組織と闘ってきた2人の元NHK記者たちが証言。また「BBC」や「アルジャジーラ」などと比較しながら、イラク戦争のNHK報道、森元首相「
神の国発言」指南書事件などを検証しNHKの体質と問題点を、徹底的に討論する。 □ 映像上映 ◯ 2004年11月ファルージャ虐殺実態の記録映像…………
イラク戦争報道の資料として◯ 占領地から報道するイスラエル人ジャーナリストの証言………… ジャーナリストの役割について□ シンポジウム発言者
大治浩之輔 氏(元NHK社会部記者)ロッキード事件当時、社会部デスクで報道の陣頭指揮を取る。後にロッキード事件の検証報道番組をめぐり上層部と衝突。水俣報道の先駆者としても著名。川崎泰資
氏(元NHK政治部記者)ロッキード事件当時の政治部デスク。大治氏同様、検証番組をめぐり上層部と衝突。共著『日本の組織ジャーナリズム・NHK
と朝日新聞』でNHKの問題点を鋭く指摘。 服部孝章 氏(立教大学教授/メディア論専攻)研究領域は放送制度、マスメディア法。放送局免許制度をはじめとする放送事業をめぐる法制度および行政のあり方を研究してきた。〔問合せ〕日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)
TEL 090-6101-6113 FAX 03-3252-7651
E-mail : Office@jvja.net URL : www.jvja.net/
※予約不要、一般の方も参加できます。
文京シビックセンター
文京区春日1-16-21 TEL 03-5803-1100
営団地下鉄 丸の内線 ・ 南北線「後楽園」4b
子どもと教科書全国ネット21
Children and Textbooks Japan Network21(CTJN21)
E-mail kyokashonet@a.email.ne.jp
HP http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/
?:03-3265-7606 Fax:03-3239-8590
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マフノ 投稿者:尊皇愛国改憲派 投稿日: 3月10日(木)00時12分34秒
マフノというのは2月革命のおかげで政治犯の状態から解放され、10月革命を起こした連中に追われたというわけですね。私の中ではロシア革命は2月革命で終わっています。10月革命は軍事クーデターでしょう。レーニンはコミュニストを迫害した人物だと思います。
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こういうサイトもありました 投稿者:スパルタカス 投稿日: 3月 9日(水)23時35分40秒
ここでは、マフノは徹底的に革命派として描かれています。これが真のマフノの姿か。
益々興味が出てきました。
↓
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/osugi15.html
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こんなサイトがあります 投稿者:スパルタカス 投稿日: 3月 9日(水)22時57分45秒
マフノは白衛軍と一緒になってボルシェビキと戦ったようですが。↓
http://www2u.biglobe.ne.jp/~Trotsky/32-33/5kokusai.html
トロツキーの中国革命への不吉な予言↓
http://www.trotsky-library.com/1930-1/ch-nouminsensou.htm
ところで、マスコミの反北親韓報道には財界のどういう意図が隠されているか左翼は考察すべきでしょうね。私もはっきりとは分からないのですが。
経済制裁をすれば、拉致問題が解決するという楽観主義はどこから来るのか?「北」朝鮮とロシアの関係を知っていれば、日本が経済制裁を強めれば、ピョンヤンはロシア・中国と関係を強めるだけで、「軍需利権のために東アジアに冷戦構造を残したいだけなのではないか?」と思います。親韓は韓国経済破綻の時のための保険、つまり大規模支援の前触れではないでしょうか?
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ヴォーリンの「知られざる革命」 投稿者:noiz 投稿日: 3月 9日(水)22時50分46秒
は、ちょっと教条的かも知れない、という感想。
マフノとヴォーリンは二人ともフランスに脱出=亡命できた恵まれた人だったわけですが、敗北の総括は組織論的に正反対の方向に向いた。マフノは「綱領主義」に向かいますが、ヴォーリンはこれを激しく批判、袂を分かつ、という。
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マフノ=クラークというプロパガンダ 投稿者:noiz 投稿日: 3月 9日(水)22時44分10秒
マフノの自由共産パルチザン軍団の闘いをクラークの運動という人がいますが、まあ出所はボルの新聞からでしょう。ちなみに、クラークの利益を代弁していた軍団は別にちゃんと存在しています(いわゆる白軍とは別です)。このあたりのことは紹介されているアルシーノフの報告に詳しく出ています。
マフノフシチナに関する複数言語情報
http://www.nestormakhno.info/
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>グラムシについて 投稿者:イレギュラーず 投稿日: 3月 9日(水)18時22分21秒
少なくとも、私には語るものはないけれど、嘗て二次会かどこかで議論されていたと思いますよ。諸事情で?過去ログを見られない状況のようですから、何とも言えない。確か、グラムシ研究会にまつわる話だったような…と思います。
ところで、まっぺん書記長。久しぶりにHP表紙を見たら、「大義の春」(DVD)が出ていたんですね。注文OKですか?
また、先日の鍋山さんの言(「裏切り者」ではなく「お疲れ様」ではないのか)に「異議なし」といいつつ。でも、未だ闘いは続いている。だからこそ…
http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-916043-60-X.html
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グラムシについて 投稿者:尊皇愛国改憲派 投稿日: 3月 9日(水)15時00分20秒
昔ですが、コミュニストの人と話をしたことがあるのですが、その人は
「私はマルキストではない。コミュニストだ」と言って、グラムシの本を薦められました。
でも、その人は自分のことをネオ・マルキストとも言っていたのでマルクス、エンゲルスも読んでいると思います。
ここの皆さんは、トロツキーよりもロシア革命そのものに懐疑的だったグラムシに近いと思うのですが、グラムシはどう評価されているのでしょうか?私は思うに、マルクス経済学そのものも含めて、コミュニストは振り出しから思想体系を整えなおさないといけなくなっていると思います。
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どうもです 投稿者:尊皇愛国改憲派 投稿日: 3月 9日(水)14時56分18秒
とびいりさんお返事どうもです。
そうですね。マフノは無政府主義将軍ですから戦闘に忙しく政治どころではなかったかもしれないですね。といっても、今のウクライナの政変とか見ながらマフノを考えると、政治的状況はかなり違うもののわかりやすいような感じもします。
引き続き、したのリストへのレスよろしくお願いします。
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マフノ 投稿者:とびいり 投稿日: 3月 9日(水)13時21分26秒
貧農が飢餓だが 有効な手段 についてですが
これについては、事実関係は確認するのは厳しいかと
ご存知だと思いますが、
当時の農地は、ドイツ占領地域あるいは影響が強かった地域
(撤退してもいわゆるドイツ寄り)
赤軍進攻地域
白軍 あるいは 旧地主地域
マフノ系
などが入り乱れていて流動化していたそうです。
またマフノが経済売買まで掌握できたのか?という点も不明です
個人的見解で証拠はないですが
どちらかというとマフノ主力は「転戦」していたので、経済売買まで掌握する
力までなかったと思います。
また、赤軍あるいは共産党は、地域経済について
かなり戦略的に考え、進攻侵略していたのかもしれません。
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マフノについて 投稿者:尊皇愛国改憲派(改ハンドル名) 投稿日: 3月 8日(火)21時22分8秒
マフノについてもう1つ質問があります。
マフノ運動が盛んだったころ、南ウクライナでは農作物の投機的売買が行われており、貧農が飢餓に苦しんでいたにもかかわらず、マフノヴィストは有効な手立てを打たなかったというのは歴史的事実なのでしょうか?それとも、ボルシェヴィキのプロパガンダでしょうか?
よろしくお願いします。
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マフノ 投稿者:改憲派 投稿日: 3月 8日(火)19時51分43秒
とびいりさん。どうもです。
その本はアマゾンで注文しました。
いちおうVolineのThe Unknown Revolutionも借りました。
政治的な観点を度外視してもマフノはウクライナの英雄でしょう。右翼でもマフノをかっこいいと思う人はいると思います。
マフノがクラークだったからマフノ運動を弾圧してもよいとか主張するネットサヨがいますが、そういう人間がパリコミューンだとかチェ・ゲバラとか言っているのを見るとゲロが出そうになります。トロツキーがマフノを糾弾したのは彼の失敗のうちに数えられるでしょうね。
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参考 補足 投稿者:とびいり 投稿日: 3月 8日(火)19時23分20秒
マフノ 参考
http://www.shahyo.com/1303moku.html
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赤 と 白 だけ? 投稿者:とびいり 投稿日: 3月 8日(火)19時22分16秒
改憲派さんへ
赤軍と白軍だけでなく マフノもお忘れなく
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8C%53%8E%52%93%B0%91%4F/list.html
またクロンシュタットについては、マフノと同じようなアナキズム的分析も
必要でしょう
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ロシア革命について 投稿者:改憲派 投稿日: 3月 8日(火)16時06分8秒
どうもです。
もう少し四トロのご意見をお伺いしたいのですが、
(1)ケレンスキーが二月革命で重要な役割を果したと言えるか?
(2)ケレンスキーはブルジョアジーのために政治をしていたと言えるか?
(3)レーニンの「四月テーゼ」の破綻はクロンシュタット水兵の反乱弾圧で明らかと言えるか?
(4)ネップで農民の生活水準が帝政ロシアのころよりも飛躍的に向上したと言えるか?
(5)レーニンが支持したブレスト・リトフスク条約は4トロではどう評価されているか?
よろしくお願いいたします。
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二月革命から十月革命へ 投稿者:や江 投稿日: 3月 8日(火)15時27分58秒
占領政策が開始されても、なお、政治犯・思想犯の拘留は相次いでいた。
元特高官僚山崎巌内相は、
「思想取締の秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は容赦なく逮捕する」
と、1945年10月3日ロイター通信特派員に語った。
GHQはその翌日四日午後、「政治的自由の制限除去に関する覚書」を発した。(内相らの罷免、思想・言論規制法規の廃止、特高の廃止、政治犯の釈放等)。日本国民はこれほど分かり易い戦争犯罪人や犯罪事項の排除すらGHQの手を借りないと出来ない、それこそ骨の髄まで奴隷根性が染み着いていたのである。
http://zenkyoto68.tripod.com/senpan01.htm
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ケレンスキー回顧録 投稿者:野次馬の視線 投稿日: 3月 7日(月)14時01分54秒
恒文社から大型本で出版されていて、私の周辺では(やや黒っぽい赤)結構読まれていました。トロツキー『ロシア革命史』を中心に据えた内輪での連続読書会でも確かとりあげた記憶があります。マルトフの翻訳は当時なかったと思います。
どなたか知らない人の感想文url
http://homepage3.nifty.com/~tomikura/book/20000713russo.html
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芝生瑞和さん死去 投稿者:三浦小太郎 投稿日: 3月 7日(月)10時18分32秒
ジャーナリストの芝生瑞和さんが亡くなられたようです(朝日新聞他)。59歳、まだ若いよなあ・・・
この方と私とは勿論立場が異なりましたし、あまりいい読者とはいえませんでしたが、まだパレスチナ側の意見や立場がほとんど日本では報じられていなかった頃に、パレスチナへの偏見をなくすための努力を重ねてこられた功績は大変大きいものがあったと思います。最近の著書は読んではおりませんでしたが、アラブ民衆の立場に最後まで立ち続けて活発な言論活動を重ねてこられたようですね。
パレスチナ独立の日、エルサレムが真の和解の都市となる日を見ていただきたかった方の一人が世を去りました。アラーのめぐみが彼にあらん事を。
マルトフやケレンスキーは、彼らの著書、回顧録などは大変貴重な歴史的資料なのに、ほとんど訳されていないのは残念ですね。ですから私も余り確信はもてないんですが、すくなくとも、マルトフの場合「デニキン(白軍)とボルシェヴィズムとの闘いでは、ボリシェヴィキ政権の側に立つ」と内戦期には明言していますし、ボルシェヴィキ革命政権の暴力的打倒は非現実的として、内部からの民主改革や暴力の否定によって事態を改善しようとしています。実は、少なくともはっきりとボルシェヴィキに抗した人々に比べたら全く反ボルシェヴィキとはいえないでしょうね。レーニンとの間には最後まで同志的な共感が会ったとも言われていますし。
でも、今考えなくてはいけないのは、こういう左派リベラリズムというのは確かに一貫性はあるし、革命と内戦の最中に堂々と革命政府を批判する勇気とかは素晴らしいのですが、正直、スターリン主義の抑圧体制相手だったらほとんど無力だろうなあと思いますよ。実際、彼の言論は確かに一部のリベラル派の人々を励ましただろうけど、それ以上の効果は無かった。メンシェヴィキ全般の傾向として、ボルシェヴィキの革命路線や非民主的面を批判するのは正しいんですけれども、ではどうやってリベラリズムを守るかという手段と、悪く言えば力、また民衆を味方につける戦略などがほとんど欠けているんではないかと思います。革命期にはこういう人たちはやっぱり不利だろうなあ。
第1次世界大戦について、トロッキーの見解は私の書くべき立場にありませんが、ケレンスキー政府は原則的には、連合国側に立ってロシアは戦っていたわけで、戦線から離脱は出来ないという考えでしょうね。それによってケレンスキー政府は、米、英、仏、そして日本の承認を得たわけですから、これはそれほど批判されるべき選択とはいえないと思います。そして、あくまで比較的に、ですけど、米英仏の方がドイツよりも遥かに民主的な体制だと考え、彼らとともにドイツと戦う事を選択する気持ちもあったと思いますよ。
ただ、ここでも、当時のロシア軍の現実を見ていなかった面があるんですね。第1次大戦への宣戦自体が民衆にも軍にも支持は薄かったし、軍の規律も士気も低下していて、ドイツへの反撃作戦も失敗している。やっぱり政治的には一理ある選択でも、実際に効果をあげないとねえ・・・
この時コルニーロフ将軍は職業軍人の立場から、反戦派、革命派のボルシェヴィキを完全に排除し、軍と現政府による強固な政権を打ち立て、さらに軍旗を厳正にしていわゆる戦時体制を作る事を提案し、実行しようとしたんですね。戦争に勝つためにはこれは一つの非常手段としてありえたけど、ケレンスキーはやっぱりリベラル派として最後には飲めないんですよ。でも、きっぱりとコルニーロフの提案を断る事も出来ずに時を重ね、かえって事態を悪化させ、ボルシェヴィキの主張が正しい(ケレンスキーはコルニーロフと同じ反動派、軍国主義であるという)かのように見られてしまった。ちなみにマルトフは反戦平和の立場から、対ドイツとは「無併合、無賠償の停戦」を主張していたようです。
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レーニンの残酷さ 投稿者:TAMO2 投稿日: 3月 7日(月)08時21分54秒
これは、深い問題を孕んでいますね。レーニンの残酷さを考える時、まず念頭に浮かぶ言葉は
「怪物を相手にするものは、自ら怪物となることを考えなければならない」という感じの、
ニーチェの言葉です。
若い日のレーニン、たとえば「貧農に訴える」は、ヒューマニスティックなレーニンがよく
現れています。だが、それがなぜ、『富農を百人殺せ』のレーニンになりえたか。これは、
レーニン個人の資質というよりも、ロシアという国の資質ではないか、と。
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ケレンスキーは、様々な勢力の生存位置を確保しつつ、ことを成そうとした形跡が見られ(例えば
、三浦さんが記されていたようにコルニーロフに乗らなかったこと)、嫌いじゃないですけど、
実際は各政党が殺し・殺されの関係をもってしまっていたので、詮ないことをしていたな、と
思います。この文脈でレーニンの残酷を捉えるべきではないか、と思います。革命前にボリシェ
ヴィキは一杯殺されてましたしね。
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食料徴発にいたる「段階」については、例えばカーの本とか、メドヴェージェフの本とかを紐解
いて書くべきことと思います。それから、この板的には嫌われ者でしょうけど(笑)、不破哲三
氏の「レーニンと資本論」の5、6巻はこの辺詳しく平易に書かれているので、いいんじゃない
でしょうか。共産主義者の立場からですが、若干批判的に書かれています。
------
三浦さん、マールトフってどの程度反ボリシェヴィキって、言えるのでしょうかね。レーニンは
確か最晩年までマールトフを高く評価していましたしね。変な書き方をしてすいません。含意は、
兄弟殺しで純化していったマルクス主義の哀しさについて思いを馳せているのです。
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ケレンスキーについて 投稿者:改憲派 投稿日: 3月 7日(月)02時56分48秒
三浦さんお返事ありがとうございます。
ケレンスキーが革新の政治家であることは確かでしょう。
改革のスピードがレーニンよりも遅かったのは、彼がレーニンほど残酷ではなかったからだと私は思うんですが。レーニンみたいに反対する奴は皆殺しみたいなことをやれば改革は早くなるのは当然だと思います。
あとケレンスキーはドイツとの講和に反対してWW1参戦継続を主張しましたよね。
トロツキーも最初は講和反対だったと思うんですけど、それはどうしてなんでしょう?
実際ロシアがWW1から手を引こうとしたら、ドイツに攻め込まれて不平等な形で講和させられていますよね。ドイツが負けてくれたからよかったものの、そうでなければどうなっていたことやらと思います。そういうところまでケレンスキーは先を読んでいたのでしょうか。
「人物ロシア革命史」恵雅堂出版はぜひ読んでみます。
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ケレンスキーについては 投稿者:三浦小太郎 投稿日: 3月 7日(月)02時22分39秒
ケレンスキーについては、まあ右翼として当然かもしれませんが、私は評価してます。
というか、2月革命の臨時政府は、戦時下としてはよく民主改革をやったと思う。
政治犯釈放、フインランド自治回復,スト権確立、憲法制定会議の早期開催誓約など、かなり頑張っている。これは正当に評価するべきでしょう。
同時に、ケレンスキー政府が、思い切った決断が出来ずに、レーニンのような指導力も戦略もなかったことは認めないといけないでしょうね。正論や改革案を出すだけでは駄目で、今目前で起きている社会問題を解決する具体的方策を示せなかった。これはフランス革命時のジロンド党にも同じ傾向ありますけど。当時の第1次世界大戦に対しても有効な手を打てなかったし。
ケレンスキーで私が、甘いなあと思いつつもちょっと共感してしまうのは、コルニーロフ将軍の軍事行動を最後には拒否した所。コルニーロフはペテルブルグに進軍して、そこでボルシェヴィキを排除した挙国戦時政権を作ろうとしていたわけで、ケレンスキーとしては乗ってもよかった。ただ、やはり最後には軍事政権は非民主的だという判断が働いてケレンスキーはコルニーロフとの連携は拒否する。こういう所は、政治家としては失敗かもしれないけど、ずっと人権弁護士として民主主義の価値を信じてきたケレンスキーらしい選択で、私は好感もてます。
でも、やっぱり人間としても、思想家としても、反ボルシェビキの政治家の中では、メンシェヴィキではマルトフが最も優れていると思う。まあ、反ソ反共の立場からかかれてはいますけど「人物ロシア革命史」恵雅堂出版 は面白いですよ。
それから、これは右の側から言ったほうが公正なのですが、白軍はロシア民衆の支持を充分に得られなかった。いや、あえて言えば、そうなりえないような過ちを多く犯していた。それは色々あるけど、最大の欠点は反ユダヤ主義やポグロム扇動、またひたすら軍事優先主義で民生を省みていないこと(白軍も本来そんなに反動的じゃなかったんですが、やはり段々低次元な反共主義や陰謀史観に犯されていった)ですから逆に、あそこまで苛烈な戦時共産主義をしなくてもレーニンは勝てたとは思いますよ。でも、当時の情況はこういう後付けの評論とは違ってもう苛烈な現実との闘いですから、そう簡単に言えることじゃないですけど。
私達は、これは左右を超えて、歴史を審判するのではなく、その苛酷な歴史の中で、信念を持って戦い抜いた人々の精神をまず尊重すべきだと思うんですよ。まあ、そういう「英雄」たちの犠牲になった人たちを軽んじちゃいけませんけどね。
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なんどもすみません 投稿者:改憲派 投稿日: 3月 6日(日)23時39分38秒
>レーニンは軍事的政策として食糧独裁令などの統制経済を採用したのではなく、純粋に社会
>主義的な経済思想から統制経済を行おうとした
にもかかわらず、「ある段階においては食糧独裁令による食糧の徴発も赤軍の兵站補給として必要だった」というのが両方一貫性を持たせて理解できないのですが。「食糧独裁令による徴発も赤軍の兵站補給として必要」ということは軍事的必要性からの農民からの強制的徴発という意味合いも「食糧独裁令」にあったということになります。
「食糧独裁令」に軍事政策的意味合いがあったとすればポイントとしてどういう「(ある)段階」があるのかTAMO2さんのご意見をお聞かせ願えないでしょうか?どうも教えて君で申し訳ありません。何分、昔持っていたロシア革命の資料を全部手放してしまったもんで。
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共産主義のシュシュシュswamp 投稿者:TAMO2 投稿日: 3月 6日(日)22時50分11秒
掲題、まっぺんさんは笑うかも。
さて、
>レーニン主義やマルクス経済学者に変質されていない本来的なコミュニズムの観点から分析す
>れば、やはりTAMO2さんからレーニンに厳しいとされているようなサイトのような立場になら
>ざるを得ないと思うんですけど。
これはわかります。そして十分に根拠のあることです。しかし、余りにも厳しい時代情勢であった
ことも忘れてはならないと思います。
>レーニンは戦時共産主義を白衛軍や列強の干渉と戦闘状態にある間だけの一時的な政策として
>採用し、白衛軍の鎮圧と列強の撤退を見てネップを開始した
あの極端なまでの戦時共産主義に至らざるを得なかった理由は、下の段のコラボレーションに
拠りますが、その大きなきっかけは、経済政策でしょうね。で、ネップにいたる一番大きな
きっかけは、クロンシュタットの水兵の反乱@ボリシェヴィキ政府は六千人虐殺 でしょう。
>レーニンは軍事的政策として食糧独裁令などの統制経済を採用したのではなく、純粋に社会
>主義的な経済思想から統制経済を行おうとしたように解釈できます。
ですが、小生は勿論、宮地さんも、夢=共産主義の管理人さんも、そのように考えているよう
ですね。市場経済の廃止を射程にした政策と、それに懐疑的な農民、そのコラボレーションが、
大飢饉と相俟って、百万単位の農民・労働者の犠牲者を齎したのだと思います。
>実際のところ、食糧独裁令を発動しなければ白衛軍や列強に勝てないほど赤軍の兵站は緊迫した状態にあったのですか?
ある段階ではそうでした、としか言いようがありません。だが、そこまで自らを追い込んだのは
何か?ということで歴史の論争は続いています。
蘇丹・加里耶夫さん降臨希望。
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レスです 投稿者:改憲派 投稿日: 3月 6日(日)22時18分28秒
TAMO2さんどうもありがとうございます。
たいへん参考になりました。
レーニン主義やマルクス経済学者に変質されていない本来的なコミュニズムの観点から分析すれば、やはりTAMO2さんからレーニンに厳しいとされているようなサイトのような立場にならざるを得ないと思うんですけど。
まだTAMO2さんからしかご意見をいただいていませんが、
「レーニンは戦時共産主義を白衛軍や列強の干渉と戦闘状態にある間だけの一時的な政策として採用し、白衛軍の鎮圧と列強の撤退を見てネップを開始した」という主張は可能なのでしょうか?
TAMO2さんの資料からすると、レーニンは軍事的政策として食糧独裁令などの統制経済を採用したのではなく、純粋に社会主義的な経済思想から統制経済を行おうとしたように解釈できます。その失敗の反省からネップに転換したというふうに解釈できます。
実際のところ、食糧独裁令を発動しなければ白衛軍や列強に勝てないほど赤軍の兵站は緊迫した状態にあったのですか?私は思うに、農民からの徴発がかえって戦闘を長引かせてしまったにしか思えないのですが。
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ロシア革命初期の問題点について 投稿者:TAMO2 投稿日: 3月 6日(日)21時27分52秒
レーニン・ボリシェヴィキに批判的な観点からロシア革命を振り返っているサイト
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/medvedev.htm
農民の立場にかなり同情的です。
でも、ちょっとこれはレーニンらに厳しいんじゃないかと思いますけど。
で、現役共産党員さんが記していて、小生の考えに近いのが以下のサイトです。
http://www.kitanet.ne.jp/~takashi/1bu-kyou/1bu-kyou-002.htm
最後に、小生の考え。いや、お恥ずかしい。でも、本音です。http://www.geocities.jp/tamo2_2/toushu_jikkenbeya/hitotsudokoro_ni_todomaranu_lenin.html
http://www.geocities.jp/osaka_multitude_p/bukiko/tetsugaku.html
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たしかに、レーニンの失政はありましたが 投稿者:TAMO2 投稿日: 3月 6日(日)21時19分43秒
改憲派さんの文章へのレス。
(1) については、結構論じられているようですね、特に西ヨーロッパで。
細かく言うと、食料調達を余儀なくされた理由は、革命を行なってはみたけど、都市の工場は
機能麻痺していて、売り物(工業製品)がないので、農民は都市に何も売る気にならなかった
からです。で、それじゃあ食物をゲットできない革命政府は、同時に(投機を敵視していたゆ
えに)市場の廃止を目論んでいたようで、そうなると先物もへったくれもないから暴力に訴える
しかなかったんだと思います。しかし、種籾まで略奪するとはね。
(2) 蘇丹・加里耶夫さんが詳しいと思いますが、とりあえず小生が言えることは、当時にあって
は {c行動に行った事がある人間ですが(w Aナも読書研究会と
かあるんだ。何であれ古典に学ぶのは大 リすよ
昔は華々しかった というはな オ
まあ、ともかく「二度目の喜劇」だけは演 カw習必読文献・候補の、赤塚不 オ
あの時見 トヒ fへらさんが 木)20 棯。こういう事 -------- つのじ 投稿日: 3月 2日( コ器を 活定的証拠なんだ ニ;qhP